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僕が買ったもの、観に行った映画・ライヴなど、要は金を払ったものに対して言いたい放題感想を言わせてもらおうというブログです。オチとかはないです。※ネタバレありまくりなので、注意!

「鬼滅の刃」第六巻ネタバレ有り感想。第六巻はほのぼの感!!


鬼滅の刃」全巻感想、今回は第6巻です。

これまで5冊読んだのですが、全体的な流れで言うと、物語はここまで一気に駆け抜けた印象です。

もちろん、途中で修行したり、疲れを癒したりはしていたのですが、特に炭治郎が鬼殺隊隊員となってからは、割と(カラスによって)連続して鬼を討伐しに行ってましたよね。

それがこの第6巻になって、ようやく一旦小休止といった感じ。

蝶屋敷に行ってからの印象が強いためか、全体的な印象としては、ほのぼの巻、といった感じでありました。

と、同時に次の戦い前のワンクッションといった感じでもありました。

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やっぱり善逸!

第5巻は、全然と言っていいくらい、善逸の出番がなかったのですが、蝶屋敷に行ってからは久々に善逸が登場し、そして善逸は相変わらず善逸でした。

なんかねー、善逸出てくると、なんか嬉しい!

やっぱり、彼が出てくると雰囲気が一気に明るくなりますよね。彼が出てくるだけで、物語全体が彼の雰囲気に引きずられるというか。

ただ蝶屋敷編は休息の回、といった意味合いもあると思うのですが、基本的には修行の回です。ここで炭治郎たち三人は新しい技を覚えて一気にパワーアップして、次の戦いに備えます。

しかし、蝶屋敷の主が胡蝶しのぶという、雰囲気としては割とほのぼのした人だし、何と言っても善逸がいるので、修行といっても、「気合い出せ! ウラア!」のような体育会系な特訓的雰囲気はなく、どこか楽しい、ほのぼのした雰囲気があります。

とはいえ、修行の描写自体はじっくり描いているので、「成長した」という実感が読んでて伝わってきます。

ここらへん、一巻で描かれた鱗滝さんのところでの修行とは違い、あっさり感はなく、しっかり修行を描いていたと思います。ここらへん、なんか上手くなったな、って思います。

上手くなった、と言えば、以前はちょいちょい挟むギャグが割とスベりがちだったように思うのですが、この巻ではそこも上手くなっていた気がします。

鬼殺隊柱合裁判のシーンなどでは、シリアスなシーンにちょいちょいギャグを挟んできて、その固い雰囲気の間のハズし方が割と面白かったんですね。そういうちょっとした「汚し」というか「余白」というか、そういうの入れてくと、やっぱり読んでて面白味というか、そういうのを感じますねー。

鬼殺隊柱は様子がおかしい

あと今回、柱と呼ばれる鬼殺隊の、まぁ、幹部みたいな人たちが出てくるのですが、全員、それはもう一人の例外なく、全員、様子がおかしいw

もう、なんなんでしょう、まともに話が通じそうな人が、強いて言えば冨岡義勇くらいで。話が通じそうなのが冨岡義勇、という点で柱メンバーの異常性がわかろうかというものです。

何て言うんでしょう…、全員悪役に見えるw

まー鬼を相手にするわけですから、これくらい異常な連中を揃えないと、ってことなのかもしれないですけどねー。

ただですねぇ、最初はかなりヤベー奴だな、って思っていた胡蝶しのぶが、実は色々と訳有りで、彼女は彼女なりに一つ確固とした信念を持ってるってことが、炭治郎との会話でわかります。

鬼と仲良くすることを、本気で考えていて、それは鬼に殺されたお姉さんのためなんですね。

お姉さんは、炭治郎と同じく、鬼は実は同情すべき存在であることに気付いていたんです。

一方しのぶは鬼に対しては、人を殺しておいて可哀そうというのは馬鹿な話だと断言します。

でも、姉の意志は継ぎたい。鬼に哀れみを抱いていた姉と、鬼にどうしようもない嫌悪感を抱く自分、その狭間で怒りの感情が溜まっていっているのです。

非常に矛盾した思いを、常に持っている。

また、蝶屋敷編では、実は優しい人で、面倒見の良い人だということもわかってきます。

胡蝶しのぶは、僕の中で今後要注目の人になりました。

やはり、こういう自分の中に矛盾を抱え、葛藤して、その中で色々と模索している人は、どうしても気になってしまいます。

最初は、割と嫌悪感のあった胡蝶しのぶがそうなのですから、他の柱連中も今後、そうした面が見えてくるのでしょう。

鬼舞辻は昭和のヤンキー

で、一方、鬼チームは鬼チームで会合が開かれます。今回は十二鬼月の中でも下弦の鬼のみが鬼舞辻の元に集められ、一人を除き、全員ブッ殺されます(^^;;

もう、なんなんでしょう、まともに話が通じないどころの話じゃない。容赦ないです。ああ言っても殺される。こう言っても殺される。発言だけじゃなく、思っただけで殺される(鬼舞辻は、顔の見える鬼が何を考えてるかわかるそうです)。

何つーんでしょう、その逃げ場のない独裁の感じ。独裁者というよりは、昭和のヤンキー感があります。自分の舎弟に対しては、ちょっとでも自分の気に入らないことがあると焼き入れる感じ。いやー、怖いですねェー。

まぁ、そんな感じで、この鬼舞辻無惨、めちゃくちゃ強いです。下弦の鬼たちが成す術もなくやられてしまうわけですから。

ここで一つ疑問が出てきます。

なぜ鬼舞辻は炭治郎を自ら殺しに行かなかったのか。

これだけ強いのだから、例えば2巻にあったように手下を使わせるまでもなく、すぐ近くにいるし、顔もわかっているのだから、自分でとどめを刺しに行かなかったのでしょうか?

現時点で二人の戦闘力の差は圧倒的なのですから、その方が早いはずです。

そして、鬼舞辻の強さから導き出される疑問がもう一つ。

なぜ鬼舞辻は日本を征服しないのか。

鬼舞辻一人でこれだけ強い上、自分よりは力が劣るとはいえ、一般ピーポーより遥かに強い鬼を多数所有しているわけですから、戦力は既に整っているはずです。

なぜ、鬼舞辻は人に隠れるようにして暮らしているのでしょう? しかも、普段は人間として暮らしているらしい。

なぜそんなめんどくさいことをするのでしょうか?

今後、この謎にも注目していきたいと思います。

ちなみに、今回の鬼舞辻はマイケルではありませんでした。そういや鬼って、自分の形を思うままに変えられるみたいでしたね。

鬼殺隊は合議制で鬼舞辻は専制君主

そんな感じでですね、6巻では鬼殺隊と鬼チームでそれぞれ会合が開かれていたわけなんですが、なんか、この二つの勢力、対(つい)になっているイメージがあります。

なんか似てはいるんですよね。

両方共、一人の人物を頂点として、その人物に対して、基本的には絶対服従の態度を取っています。

鬼殺隊の方は当主である産屋敷耀哉を、鬼チームの方は鬼舞辻無惨を頂点としています。

ただ違うのは、制度的な点ですかね。

鬼殺隊の方は、柱連中は産屋敷に対して非常に礼を尽くしてはいるものの、平気で意見したり、「柱合会議」なるものが開かれていることから、一定の合議制ではあるらしい。

反対に鬼チームの方は、これはもうどうしようもないくらいに鬼舞辻無惨の専制君主制が採られているわけです。

なんとなーく、イデオロギー的なぶつかり合いのようにも見えてきますねー。

今後そういう思想的、というか、各々が内に持っている精神面での対決も見所になってくるように思えます。

 

 

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「華氏451度」ネタバレ有り読書感想。異質なディストピア小説?!


ディストピアを描いた作品が好きです。

映画とか小説とか、漫画とかでもですね、結構観たり読んだりしてるんですけども。

その中で、「華氏451度」という、名作との誉も高い小説があります。

フランソワ・トリュフォーによって映画化もされ(その時のタイトルは「華氏451」)、おそらくは有川浩の「図書館戦争」にも多大なる影響を与えたと思われます。

でもこの作品、ディストピア小説としては割と異質な小説なのではないか、と思います。

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全体を説明しない

この小説で行われている「出来事」に関しては、割とわかりやすくはあると思います。話の筋としては単純だし、人間関係も割と単純。

でも、具体的な状況の説明がほとんどないんですね。

ディストピア小説って、割と設定が重要じゃないですか。

時代は現在よりも過去か未来か(だいたい未来なんですけど)、場所はどこなのか。そして最も重要なのは、どのような社会形態でどのような暮らしが営まれているのか。

そういうのが、割と長い尺を取られて説明されたりします。設定厨の僕としては、そういうの読むのが大好きなんですけど、人によっては「説明が長い」と敬遠したりもして、まぁ、そこらへんは賛否両論なのですが。まぁ、ディストピア小説の醍醐味の一つではあると思います。

ところがこの小説では、舞台となる国の社会状況の詳細、全体像はほぼ語られていません。

大統領選挙があるらしいことは、会話の中からわかるのですが、その大統領がどれくらいの権力を持っているのか、どういう政治体制なのか、ハッキリと語られませんし、正確にはわかりません。

戦時中であるらしいのですが、どこの国と交戦中で、今現在どういう戦況なのかもわかりません。徴兵制があるのかどうかは、もちろんわかりません。

とにかく、どういう社会なのか、その詳細は語られていないんです。

というのもですねー、三人称小説ではあるのですが、小説全体を通して主人公・モンターグ個人の目線を徹底して追っているから、というのがその主な理由の一つであると思います。

個人の目線でしか描写しないから、全体的な状況がわからないんですね。

三人称小説だったら、パッと視点が変わって、例えば政府高官たちの会議の場面になって、今現在どんな状況か、彼らの思惑はどうか、などなど全体的な状況を説明することできるじゃないですか。

でもこの小説は、それしないんです。三人称でありながら、徹底してモンターグの周囲のことしか描かないんですね。

この「全体を描かない」という点で、ディストピア小説としては異質だと思うんです。

ディストピアものって、その主人公が置かれている状況、全体が、先ずは何よりも大事じゃないですか。でも、この「華氏451度」では個人を延々とフォーカスしていくっていうのが、非常に特徴的だと思います。

なぜそんな作りをしたのかっていうと、個人的な予想としましては、この作品のテーマの一つが「本」だからだと思うんです。

本を読む、ってすごい個人的な行為じゃないですか。例えば、テレビとかだと家族とか友達とかと一緒に見れますよね。でも、本は…やってできないことはないですけど(笑)結構厳しいですよね、同時間的にシェアするの。

だから作品の形態としても個をひたすら追っていくというスタイルを取ったのかな、と。

あとは知識と思考ですね。知識と思考を取り戻す、ってのもこの作品のテーマの一つだと思うんですけど、これらも個人的なことですよね。だからやっぱり、個を追っていくスタイルじゃないと成立し得ない作品だったのかな、と思ってしまいます。

強力な管理がない

ディストピアものって、大体徹底的な管理体制があって、その息苦しさ、出口の見えなさから、主人公が逃げ出したい、っていうのが醍醐味だと思うんです。

でも、「華氏451度」では、そこまで強力な管理はされていないみたいなんですね(なんせ全体がわからないので「みたい」としか言えない)。

確かに、本を持ってると、徹底的に家探しされて、本を燃やされて、逮捕されてしまいます。

でも、それ以外は、特段管理されている感じはありません。現在の民主国家とあまり変わりがないように見えます。

でも、ゆるーく管理されてるんですね。これが怖い。

学校は詰め込み式の記憶させる科目ばかりで、思考力を伸ばすものはないみたいです。

「余暇」の時間がなくなっているようです。仕事後の時間はあるのですが、プライベートな時間ではゲームをしたり、「壁」と呼ばれている(多分)テレビを見たり、とにかく自ら思考するような時間を持たなくなっています。

家の建築には、ポーチがいつのまにかなくなり、庭もどんどん狭くなっていっているようです。なぜなら、ポーチに座ってると、色々考えるじゃないですか。同じように広い庭で佇んでると、やっぱり考え事に耽るじゃないですか。

てなことを、モンターグが出会う登場人物たちが言うんですね。要するに、人々から考える力、考える習慣を奪ってしまおう、という、多分「政策」らしいんですね。

これらの政策って、別に特段強要してるわけでもないですよね。管理されてるといえばそうですけど、割とゆるいですよね。

でも、これが怖いんですよね。なぜなら、ゆるいから自分たちが管理されてることがわからないんでしょうね。

ここが、他のディストピア小説と違うところで、他のディストピア小説と比べて怖いところだと思います。

だから、みんな知らず知らずのうちに、自分たちを縛っていくように行動していってるんです。夫と話をするより「壁」(多分テレビ)を見たり、一生懸命詰め込みの勉強してみたり。

あとは密告ですね。モンターグが本を持ってる、ってことを密告したのは妻なんですね。

多分これは、お互いがお互いを監視してるんでしょうね。信頼していたはずの人間が実は政府の手先として振舞ってしまうという。

ゆるーく支配されて、人々も知らず知らずのうちに自ら支配されることを望んでいくという。

非常に怖いですね。

昇火士隊長が不可解

主人公・モンターグの上司のベイティーという人がいるんですけどね。この人が不可解で。

先ず、焚書を行う昇火士のくせに、やたら本に詳しい。実は本を読みたがっている、本を所持しているモンターグなんかよりも全然詳しい。まさに博覧強記という感じ。

そのくせ「本なんて下らないし、悪だ」みたいなことを言うのですが、本は素晴らしいと言っているように聞こえてしまうんです。

また、政府の政策をかいつまんで説明したりもするのですが、これは相当ヤベー政策してやがんな、ということがわかる感じなんです。

作者の言いたいことを悪役に言わせる、という手法は割と王道だと思うのですが、このベイティーもまさにそんな感じなんですね。

ただ不可解なのは、ベイティーが言ってることは主人公が薄ぼんやりと思ってる本の魅力について、明確な形を与えるようなことなんです。つまり、昇火士という立場の人間が言ってはいけないような内容なんですね。もちろん、本を否定してはいるのですが、取ってつけたように否定しているというか。

思うんですけど、ベイティーは実はモンターグになりたかった人だったのではないかと。

本当は本を焼きたくはなくて、本の読める社会にしたい。でも、それを諦めてしまって、その思いをモンターグに託したのではないかと。

モンターグは逃げるためにベイティーを焼き殺してしまうのですが、後になってモンターグは、ベイティーが自分に焼き殺させようとしたのではないか、と気付くんです。

ベイティーはこの世界に絶望し、そしてモンターグを逃すために焼き殺させたのではないかと。

ひいてはベイティーはモンターグのように逃げて、本をつなげていきたかったのではないかと、思うのです。


 

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「鬼滅の刃」第五巻ネタバレ有り感想。吾峠呼世晴は平沢進のファンだった!!


鬼滅の刃」全巻感想、今回は第五巻!

五巻まで来るとそこそこ読んだ感が出てくる一方、「まだ五巻」という感じもあります。まぁ全部で23巻もありますからね。マラソン企画、やはりまだまだ序盤といったところでしょうか。

いや今回、更にいよいよ本域という感じになってきましたねぇ!

前回は奇数巻が今一つで偶数巻が面白い、みたいなことを言ったんですけど、奇数巻の今回、一番ゴツンと来たかもしれません。

ちなみに、鬼という言葉は元々「隠」だったそうで、意味合い的には、形のない恐怖や不安のようなもの、だったらしいです。

それが、鎌倉時代以降、形が描かれるようになり、現在の形に至ったらしいです。

更にちなみに、鬼門とは、北東の方角で、丑と寅の間であるようです。だから、鬼には牛の角が生えており、虎のパンツを履いているらしいです。

そういえば、「鬼滅の刃」の鬼は角も生えていなければ、虎のパンツも履いていませんね。

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絵、上手くなった?!

先ず、五巻全体を通しての印象なんですけど、絵、上手くなりました?

それまでは、時折光るものはあるものの、絵下手だな、と思ったり、雑すぎじゃね?と思ったりしたことも多々ありました。

しかし今回、一巻通して、絵の粗さを感じることはありませんでした。

長期連載によって、いよいよ絵がこなれ、上手くなってきた感じがありますね。非常に読みやすかったです。

やはり漫画にとて、絵ってすごく重要なんだな、って思います(当り前ですが)。

ただまぁ、こうなってくると、一巻にあったようなガロっぽさが、早くも懐かしくもなってきたり(^^;; いやー、身勝手なもんですけど、読者ってのはそんなもん。

多分、これからもっともっと上手くなっていくんでしょうね。

その点も、楽しみです。

DVではなく、偽りの家族

四巻では、蜘蛛の鬼一家がやたら家族家族と言ってるんですね。家族に手を出すな、とか、家族というものはこうでないといけない、とか、そんな感じ。

で、その割には、えらいDVがあったり、家族相手にけなしてたり、この家族ちょっと様子がおかしいな、とは思ってたんです。

僕は四巻の段階では、鬼を使ってDV問題に切り込んでいくのか、と思ってたんですけど、そうじゃなかったです。完全に騙されましたね。

なんと家族ではなかったという。

それは鬼にされた孤独な子供が作ろうとしていた家族だったんですね。つまり疑似家族。作品中では「家族ごっこ」なんて揶揄されてました。

でも、その子供の家族像はすごくいびつで、年長者は年少者を命がけで守らなくては「いけない」という、非常に強制的な役割論を振りかざすものだったんです。

まさに炭治郎と禰豆子とは対照的な家族のあり方でした。作品中でもすごくわかりやすくそういう描写があります。

そういう絆みたいなものって、強制的にされるもんでは決してなく、かといって始めから自然に、厳然とそこにあるものでもない。

それは双方必死に歩み寄ってようやく築けるものですからね。

疑似家族でも家族の絆はできると思うんです。逆もまた真なり、なんですけど。でも、ここでの鬼には、群れていても絆を作ることはできなかった。

鬼は群れない、というのがこの作品での定義ですが、逆に言うと鬼は常に一人なんですね。今回のように力の上下関係による恐怖で縛ることでもしない限り(今回の鬼の能力の蜘蛛の糸は、まさに「縛る」ということの具現化なのかもしれません)、群れることが「できない」のでしょう。

そこに何か、鬼の秘密というか、業というか、運命めいたものがあるようで、ちょっと今後そこにも目が離せません。

それで、なんでこの子供の鬼が家族を作ることに固執していたかというと、まぁ、ざっくり言ってしまうと、過剰に親に依存し過ぎていたから、なのかもしれません。

ただ、そこにも理由があって、致し方ないところは、正直あると思います。そしてそこを鬼舞辻無惨につけ込まれた。ここでも鬼舞辻が暗躍していたわけなんですね。

どうも鬼舞辻は単に人を鬼にするだけでなく、何か、狙って人を鬼にしているような印象を受けます。誰でもいいわけじゃないというか。

それで、ここがこの話のやるせないところなんですが、親を殺した最後の最後に、この子は親の愛情に気付くんですね。でも、鬼舞辻によって、それを捻じ曲げられてしまった。

また、鬼になると人だった頃の記憶が消えるんです。これがまた辛すぎるところで。記憶がなくなると、もう、完全に関係性を絶たれてしまうというか。後悔という名の、ある意味絆すらもなくなってしまうんです。

だから、何で自分が家族を作ろうとしているのか、それすらもわからなかったんです。

でも、富岡義勇に斬られて、今度は命の尽きる最後の最後にわかるんです。それは炭治郎が鬼の体に手を触れることによって、思い出すんです。

謝りたかったんですね。ご両親に。

でもそれもできなくて、人を何人も殺したから、自分は地獄へ行くだろう、って悟るんです。

そしたら、これまた最後の最後に、ご両親が出てきて、一緒に地獄に行く、って言うんです。

これは、鬼が思った独りよがりな幻影かもしれません。でも、そう思えたんですね。

最後の最後、自分を殺そうとした親が、実は鬼と言う畜生道に堕ちた自分を救ってくれようとしていたことがわかって、そしてどこまでも寄り添ってくれる、そう思えたのは、せめてもの、救いとは言いませんが、まぁ、慰めみたいなものにはなったのかもわかりません。

是枝裕和の映画のキャッチコピーにもあったのですが、人生はいつもちょっとだけ間に合わないんです。

炭治郎、初めて鬼を語る

そんな感じで、子供の蜘蛛鬼の過去を、炭治郎は具体的にはわからないながらも、彼特有の鋭い嗅覚でそれとなく察します。だからこそ、鬼の遺体に手を差し伸べるのですが、こともあろうに、富岡義勇はその鬼の服を踏みつけます。

これに炭治郎は怒るんですね。

この時の富岡義勇は負ける寸前だった炭治郎を助けてくれた、謂わば命の恩人なのですが、それでも言わずにはいられなかったのでしょう。

そしてこの時、初めて炭治郎は鬼について言葉で語るのです。

曰く、鬼とは悲しく、虚しい存在、醜い化け物などではない。

そして、鬼は自分と同じ人間だった、と言うのです。自分と同じ。

何と言うか、ここからがいよいよ物語、というか、この作品のテーマの、本当始まりという感じがします。

ただ、このことは、鬼殺隊試験の時、初めて鬼を討ち取った時に、もっと描写して欲しかった気もします。

初めて鬼を倒した時、即ちそれは、鬼がどういう存在なのか初めてわかった時。既にそれは初めての時にあったはずです。

多分、それまでは炭治郎にとって鬼とは、家族を殺した憎むべき存在に過ぎなかったのだと思います。しかし、鬼を倒して、鬼の人生の臭いを嗅いだ時、鬼とはどういう存在か、初めて知ったと思うのです。

その時、炭治郎はどう感じたか。

ひたすら仇の存在から、悲しく虚しく、元は自分と同じ人間で、醜い化け物ではない。

それは、真逆とまではいかないまでも、相当な認識の変換だったはずです。

その時の炭治郎の心情を、もっと描いて欲しかった。

吾峠呼世晴はテクノファンか?!

それで、驚いたのが、手描きのあとがきにあった、読者からプレゼントされた平沢進のBOXへの感謝の言葉。

吾峠呼世晴って、多分、P-MODELのファンだったんですねー!

まさかのテクノファン!

これには驚きました。

ひょっとしたら、長州力のテーマソング「パワーフォール」も聴いてるかもしれません。いや、間違いなく聴いてるでしょう。

まさか「鬼滅の刃」と革命戦士が繋がるとは思いませんでした。

それにしてもP-MODEL…。いやあ、意外すぎました。

 

 

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「鬼滅の刃」第四巻ネタバレ有り感想。伊之助もキャラ立ってるが、この巻の主役はやっぱり善逸!


鬼滅の刃」全巻感想、今回は第四巻です! 全23巻なので、先はまだまだ長いです!

というわけで四巻読んでみたんですけど、今回は面白かったです!

ホント、「鬼滅の刃」は巻によって出入りが激しい。今のところ、偶数巻は面白くて、奇数巻はそれほどでもない、というパターン。次は五巻なので…。

今回はですねー、一冊を通して、ほぼ善逸の巻という感じでした。

なんというか、善逸の魅力爆発!という感じですかねー。個人的にはそう思います。

いやー、善逸いいなー。

もちろん、イノシシ男(こう書くと仮面ライダーの怪人みたいだな。コウモリ男とか)もね、キャラ立ちまくってて、良かったですねー。

そんな感じで、四巻は新キャラの強烈な魅力の巻であったかなー、と思います。

でも、この巻はイノシシ男よりも、善逸の方が主役、って感じだったかな。

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善逸のキャラがすごい

いや、もうホントね、この巻は善逸のキャラが爆発してましたね。なかなかこれだけ極端でフックがありまくりのキャラも珍しいのではないかと。

フックの多いキャラって、それまで色んな作品にも登場してきたと思うんですけど、善逸の場合はそのフックの多くが性格的な面である点で、珍しいかもしれないですね。

先ずねー、どこからいこうかなw フックが多すぎてw 先ずはあれですかねー、戦闘中、うるさいw

もうね、ホント、うるさいw 文句言いまくりの弱音吐きまくり。これだけ戦闘中に文句言ってるキャラは、かの名作「ダイ・ハード」のジョン・マクレーン刑事以来ではないでしょうか。マクレーンよりも「うるさい」という点では、ダイ・ハードを越えたかもしれません。

でもねー、この感じがいいんですよねー。カッコ良くキメないで、文句言いまくって弱音吐きまくる。この感じが何と言うんでしょうね、読者寄りというか。

スーパーヒーローみたいな完璧超人が敵をカッコ良く殲滅する。それはそれで醍醐味だとは思います。でも、一人くらい、ちょっと弱くて情けない奴がいないと、読んでいて感情移入しきれないかもしれません。

この「弱くて情けない」のは、取りも直さず、この作品読んでる読者自身なんですよね。で、そいういう読者と同じ「弱くて情けない」けど、主人公たちと一緒に敵と戦うわけです。読者と同じ要素を持っていながら、主人公と行動を共にする。謂わば、読者と作品世界を繋ぐ架け橋となっているわけです。

わかりやすい例で言うと、他には「ワンピース」のウソップなんかがそうだと思います。彼も弱くて情けない面がありますよね。でも、活躍する。そこが読んでて痛快で、しかも作品世界と繋がっていられる。

そういうのって、読者が置いてけぼりにされない、すごく重要な要素だと思います。読者目線で作品世界を見ることができる人物というか。この作品ではそれが善逸なんだと思います。

次は「やさしい」という点ですね。

惚れた女のためには騙されているとわかっていても借金をしてしまう。

お師匠さんに厳しくされても、期待をかけてくれていることがわかって、何とかその期待に応えようと、すごく嫌なんだけど頑張る(何度も逃げてるけど)。

炭治郎が鬼を連れていても、何か事情がある、と思って、禰豆子が入った箱に攻撃を仕掛けてくるイノシシ男から身を挺して守る。

炭治郎が、女の子である禰豆子を背負って危険な蜘蛛の山へ入っていったのに気付いて、すごく怖いんだけど助けに行く。しかも禰豆子が鬼で強いと知っていても、です。

加えて、鼻の利く炭治郎にも、その臭いで「優しいことはわかっていた」と称される。

とにかくこの人、実はすごく気遣いの人なんですね。基本的には自分が可愛くて仕方ないし、暴言も吐くし、女にだらしないし、割とどうしようもない人なんだけど、でも他人に気を遣ってしまうんですね。そういった意味では、普通の人が他人に気を遣うよりもずっと大変だと思うんです。逆に言うと、普通の人はそこまで他人に気を遣わないw

ダメな人なんだけど、他人に気を遣ってしまう。そこが魅力的ですよね。

あと、性格的に、何でしょう、それらを踏まえた上で、出入りが激しいというかw

とても優しいんだけど、割と乱暴な言葉を吐いてみたり、弱音を吐いているんだけど、敵を罵倒してみたり、よくわからんですw

あと、炭治郎が連れてる鬼が禰豆子で可愛いということがわかった途端に逆ギレして刀まで抜くという…w 善逸、禰豆子は炭治郎の妹だよ。

で、そこがまた、良いんですよねー。見てて面白いというか。

それと特殊能力を持ってるんですよね。この点も非常に強力なフックかな、と。

炭治郎は鼻がジミー大西ばりに良いですが、善逸は耳が超人的に良い。何でも、生命が発する音まで聞こえてしまい、その鳴り方で人が何を考えているかまでわかってしまうという。炭治郎の鼻と同じようなエスパー的能力も持っているのです。

この能力で鬼のいる場所を見分けたりと、非常に強力な能力です。

あとは、何と言っても、キャラデザの良さですかね。

実はよく見ると、善逸って結構可愛らしい顔してるんですよね。それに雷に打たれたせいで金髪(どういう理屈だ!)になってて。

大正時代に金髪の日本人の男の子、ってそれだけでもかなり目立つ容姿だと思います。加えて割とイケメンなので、女の子にもモテそうなもんなんですけど、やはり性格に難有り(笑)だからでしょうか。

イノシシ男のキャラもすごい

第三巻では敵か味方かカーボウイ的な役どころでしたが、四巻では早々に味方であることがわかりました。

名を嘴平伊之助というんですけど、この人もムチャクチャな人ですね。

先ず、育手なしで鬼殺隊の試験に受かってしまうという、とんでもないナチュラルな強さ。スタン・ハンセンか。

とにかく強い。育手がいない、つーか、育ての親もいない。どうも山の中で一人で生きてきたっぽい。だから一人で野性の中を生き抜いてきたからか、めちゃくちゃ強い。

だからめちゃめちゃマッチョなんだけど、猪の仮面(?)を取ると、まさかの美少女みたいな美少年でした、という超展開。

もう、何なんでしょうね、俄かには理解がおっつかない。ものすごいキャラを作ったものだなー。

めちゃくちゃ強くて、超美形で、でも山の中で一人育ったからモノを知らない。でも言語は話せる。そして字は書けない。自分の名前も書けない。しかし、フンドシには自分の名前が書いてあるという。フンドシって…。

もう、何なんでしょう?(笑) ただ、野性味、イケメン、パワー系の強さ、というところから、何となく響良牙を思い出してしまいます。

なんで猪の頭(多分剥製)を被ってるのかもわからないし、とにかく現段階ではまだまだ謎だらけです。

ただ、他の鬼殺隊の人たちは、人を守るために鬼を倒す、って感じだと思うんですけど、このイノシシ男の場合は、強そうな奴がいたら全員ブッ倒す、って感じなんですよね。鬼を倒すことそのものが目的というか。もっと言ってしまうと、倒す相手は鬼じゃなくても構わないみたい。

それが証拠にやたら炭治郎と張り合う。炭治郎が何かを発見すると、「俺の方が早くわかっていた」と嘘丸出しで強がり言うし。

ただ、そのやり取りがまた楽しいんですよね。炭治郎、善逸、伊之助、三人全くバラバラで、多分気も合わないと思うんだけど、妙なバランスの良さが早くも出てて、読んでて非常に楽しいです。

やっぱり人気が出る作品には魅力的なキャラは絶対的に必要な条件ですよね。ここまで極端なまでにキャラが立った登場人物が出てくる漫画はなかなかないんじゃないでしょうか。

蜘蛛山グロすぎ問題

で、四巻の後半は那田蜘蛛山編になるのですが、これがまたグロい。

もう、善逸の的なんて、まんま人面蜘蛛なので、そのキモさったらない。最初読んだ時、マジで気持ち悪くなったもん。

ただここでもですねー、善逸のキャラが救ってくれる感じですかね。善逸がキャーキャー文句言いまくってて、その感じが面白くて、それで一つ救われる感じ。

ちなみに、ここでの善逸の過去回想がなかなか良いんですよね。いかにして善逸が鬼殺隊に入ったかがわかるという。臆病な彼がなぜ鬼殺隊に入ったか。師匠との絆のためだったんですね。

ここでもまた、善逸に感情移入できるようになるというか。ホント、四巻は善逸大活躍です。実際、活躍しますし。

あとですねー、この山の蜘蛛、どうも家族らしいのですが、非常に家父長蜘蛛が母蜘蛛を殴る蹴るの暴行を加えて、そしてなんとまた、子供蜘蛛がそれ見て笑ってるという…。

まぁ、何とも色んな意味で胸クソの悪くなる今回の話なのですが、大正の時代に、蜘蛛鬼を使ってDV問題を扱おうとしているのでしょうか。

あと、このDVを受けてる母親蜘蛛なんですけど、どうも二巻で出てきた美人鬼女医の珠世さんが絡んでるのかもしれません。ここの描写も、後々気になりますね。

そんな感じで、那田蜘蛛山編、グロいんですけど、鬼殺隊隊員が敵の蜘蛛の糸で操られるシーンは、残酷なんですけど、人が操り人形のようになって、そこがまた、なんとも言えず、大正浪漫ホラーとでも言うべき描写で、耽美的なものも感じてしまいます。

何と言うか、蜘蛛というモチーフもそうですが、どことなく乱歩を感じてしまうというか。

鬼殺隊隊員は超能力が必須?

そしてどうも、鬼殺隊隊員には特殊な能力が必要みたいなのかな?と思ってしまいます。

炭治郎の嗅覚、善逸の聴覚、そして伊之助は触覚。空気の振動で鬼の居場所を見つけてしまいます。

この、臭いや音で、相手がどういう人かわかるという、ちょっとしたエスパー能力も発揮するのですが、ただ、そうやって相手の真意や人となりをすぐに把握できるのは、便利な反面、物語上はちょっとはしょりすぎ感がなくなはないです。

もうちょっと、相手との交流の中で、例えば炭治郎と善逸だったら、すれ違いの中で分かり合っていった方が、苦労を重ねた分、もっと感情移入できたような気もします。

そしてまた、相手の心がわかってしまうと、生きにくいような気もしますねー。事実、善逸はそれで相当苦労したことが忍ばれます。炭治郎もそういうことあったのでしょうか。

エスパー能力があると、なかなかに苦労しそう。

 

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「鬼滅の刃」第三巻ネタバレ有り感想。善逸は眠りの小五郎?トミーとマツ?!


鬼滅の刃」全23巻を一巻ずつ感想を言っていくというマラソン企画、今回は第三弾、つまり第三巻についての感想を述べようと思います!

ということなんですけどねー…、三巻は、ぶっちゃけた話、ちょっと停滞気味かな(^^;;

ま、前回、第二巻の感想で、急に面白くなってきた、と言ったばかりなんですけどね。「鬼滅の刃」は巻によって出入りが激しい感じですね。

変化といえば、様子のおかしい(笑)新キャラは出てきたんですけどね。

しかし、特にこれといった展開は見られず(まぁ、新キャラが出てきたこと自体が大きな展開とも言えるけど)、ま、ちょっとですね、一旦小休止というか、中だるみというか。

まぁ、そんな風に感じてしまいました。そんな第三巻。

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鬼舞辻登場編は面白い

ここは面白かったですね。前巻からの流れというか、その決着編ですかね。

まぁ、鬼舞辻率いる十二鬼月のうちの二人との戦いなんですけど、この二人がとにかく強い。というより、厄介。特に男の方が変な矢印攻撃仕掛けてきて、これがめんどくさい。

女の子の方はパワー系というか、手毬を超強力なドッジボールみたいにして投げ込んできたり、サッカーボールのように蹴っぱくったりって感じで、まさに悪魔の手毬唄ならぬ鬼のドッジボールという感じです。

ただでさえ強力な十二鬼月なのにそれが二人も! と思いきや禰豆子と御耽美二人組のおかげで分断成功。男の方が女の手毬に変化を加えてるのがめんどくさかったんですけど、女一人になるとストレートしか投げられなくなるので、そこがちょっと与しやすくなった感じですかね。

それと禰豆子の理由のわからない急激な成長が十二鬼月相手に善戦した最大の要因だったんですけど、この謎もね、後々明るみに出てくるという感じなんでしょう。

ただ、男の矢印攻撃に炭治郎は手を焼きます。なんとか勝つことができるんですけど、その代償は大きく、肋骨と脚を骨折してしまって、あと女が一人残ってるのにどうなるか!って思ったら、鬼の美人女医さんが血鬼術を使って自滅に追い込む、という展開。こういった頭脳戦は工夫を感じて、読んでて飽きないですよね。

そんな感じで勝利を収めるものの、実は今回の敵は十二鬼月ではなかったそうで、更に鬼の美人女医さんの口から、「弱すぎる」という衝撃の一言。じゃあ、本物の十二鬼月はどんだけ強いんだー! そしてそれを操る鬼舞辻はどんだけ化け物鬼なんだー!という感じで、早くも炭治郎の前に暗雲がたれこめるのでした。

どうやら敵鬼二人は鬼舞辻におだてられ、騙されていたようで、捨て駒として利用されただけだったみたいなんですね。

それだけでも、敵とはいえ暗澹たる気分になるのに、鬼舞辻の呪いに殺された手毬の女は、最後、子供のように手毬を欲しがります。この女も、子供の頃に鬼にされたのかもしれません。炭治郎が手毬を側に持って行ってやります。炭治郎も言うのですが、非常に救いがない。

鬼舞辻がどういう奴か、非常に浮き彫りになってくる感じですね。

様子のおかしいキャラ

とまぁ、鬼舞辻登場編はなかなか怒涛の展開で、暗澹たる気分になりつつも、一つ物語として急発進したかな、という感じなんですけど、ここからちょっと俺的には停滞感が…。

我妻善逸という新キャラが出てくるのですが、非常に様子がおかしいキャラで。

とにかく臆病でありながら、道行く女の子に結婚を申し込むという、よくわからない人で。そのどうしようもなさっぷりは炭治郎ですら呆れ果て、果ては小さな男の子からも説教を食らう始末です。

それでいて、眠ると人が変わったように強くなる、という「眠りの小五郎」のような側面もあるんですね。そういった、何かがきっかけで急に強くなる、というキャラ付けは古来からよくあって、「噂の刑事トミーとマツ」のトミーなんかはその典型ではないでしょうか。

そんな感じでフックがありまくりの新キャラなんですが、ただ今回のエピソードはそれだけではなく、謎の猪男まで出てきます。

まったく化け物の風体なんですけど、なぜか日輪刀を持っている(しかも、多分二本)。日輪刀を持ってるから鬼殺隊なの?と思いきや、何の躊躇もなく炭治郎に斬りかかる。かと思えば、鬼を一人殲滅する。

本当に、「敵か味方か」を地でいくようなキャラです。ちなみに、この三巻ではまだ名前もわからない。そういった意味では非常にエキセントリック少年ボウイのカーボウイを思い出した人も多いかと思います。

そんな感じで、今回の話は新キャラ登場のためのエピソード、という感じなんですけど、一人は鬼殺隊の試験の時からいたメンバー、もう一人は敵か味方かわからない謎の化け物、という、ちょっとした多重構造での新メンバー加入、という話で、そこはちょっと凝っていますよね。

ちょいちょい挟まれるギャグ

それで、善逸編に入ると、ちょっと肩の力が抜けるというか、割とギャグがちょいちょい挟まれるようになります。

善逸に対する炭治郎のリアクションが、それまでの彼のキャラにはない、割とSめのツッコミの効果があったり、炭治郎がやたら長男ネタをブッ込んできたり、鼓の鬼と戦っている時も、ちょっとコミカルな描写が挟まれたりと、結構入れてきます。

ここらへんは銀魂が好きという、吾峠呼世晴のパーソナリティが出てるのかもしれません。

ただ、その感じが…ちょっと、スベッてる感じが…(^^;;

まぁ、そこらへんは評価が分かれるところなんでしょうけど。

絵が雑

あとですねー、絵が再び雑になってきましたねー。いや、一巻の時よりも雑な感じがします。下手っつーか、雑。

まだ三巻なので、ひょっとしたらアシスタントさんとかついてないのかな、という懸念もなくはないですが、それにしても、他の漫画家さんの初期に比べても、割とな感じを受けるんですけど、どうでしょうか?

二巻で浅草来て、大正浪漫な耽美な絵になってきたなー、と思ったんですけどね。

この雑さが残念で、例えば、善逸が寝ると強くなる、っていうのはすごくこのエピソードのサプライズな見せ場だと思うんですけど、絵が雑で、そこに至る表現が効果が出ていない感じがするんです。

だから、善逸が急に異常な強さを見せつけても、なんかあっさり過ぎ去ってしまった感じなんですね。

もっと、描き込んで表現してくれれば、もっと「あ! 善逸ってすごいんだ!」って思えたと思うんですけど、それは頭で理解せねばならず、「強く感じる」っていう風ではなかったように思います。

他にも絵が雑なために、印象が低くなってしまう点が多々あったかもしれなく、逆に言うと、ちゃんと描き込んで表現できていれば、もっと印象も変わったかもしれず、三巻のこの絵の雑さは、ちょっと残念ですね。

ただ、そうは言っても、やはり「ここぞ」という時の微妙な表情は、さすがですね。

以前、手塚治虫の特番観てて、手塚治虫は自分の漫画の絵が嫌いだった、っていう話がありまして。漫画は誰にでもわかりやすく描かなくてはいけないので、そのためには「記号」にしなくてはいけない、というんです。

例えば、笑ったら口を上弦の月みたいにするとか、怒ったら眉毛をV字にするとか、そういう記号だ、っていうんですね。だから、自分の漫画の絵は記号だから、あんまり好きじゃない、というような話しだったと思います。

で、吾峠呼世晴も、もちろんそういうきらいはあるんですけど、ポイントポイントでは、そういう記号から外れた、言葉では言い表せない「感情」を絵にしている。そういう表情を描いている。

そういうのって、実はあんまりなかったように思うし、もちろんやってる人もいるけど、なかなか難しい技術だと思うんですね。

でも、吾峠呼世晴はそれが上手いような気がします。

グロすぎじゃね?

それから、やっぱこの漫画、グロいですね。

手毬の女が鬼舞辻の呪いで殺されるシーンや、鬼に喰われた人、もちろん、鬼がやられる場面など、絵が下手だからまだ若干マイルドにはなってるかもしれませんが、なかなかにグロい。

でもこれは鬼滅だけじゃなくて、最近の漫画全般に言えることかもしれません。特に少年誌に多い印象。割と残虐シーンが多くて、これはなんか、そういうムーブメントなんですかね? グロくしたもん勝ちっていうか。映画なんかもそうですよね。これはちょっと個人的にはいただけないですね。

鬼は現代人?!

あと、炭治郎って、最後、鬼を倒すとき、何か救いのようなものを差し伸べますよね。

これが一つ、それこそ作品全体の救いみたいなものにもなっていて。

炭治郎が倒していく鬼って、大体被害者ですよね。まぁ、鬼舞辻に鬼にされてるわけだからどうしてもそうなってしまうんですけど。

ただそれって、やっぱりどうしても現代の人、特にネット(ネットじゃなくてもいいけど)で誹謗中傷をばら撒いてる人を想起させてしまうんですね。

特に今回、鼓を持った鬼なんかはそうで、誰からも認められない人が鬼になってしまって、そこで元々は十二鬼月になったんですけど、それも人をたくさん喰いきれない(怖いな)からという理由で鬼舞辻に、その地位をはく奪されてしまうんですね。

鬼になってようやく認められたと思ったら、またダメになってしまう。そしてまた鬼舞辻に認められようと人を喰いまくる。なんだかすごいやるせなくて悲しい悪循環というか。

なんだかそれって、ネットで誹謗中傷垂れ流してる人物像と重なってしまうんです。認められなくて、誹謗中傷して、それに「いいね」いっぱいもらって、「いいね」が少なくなったら、また誰か攻撃する。その繰り返し。

それはネットじゃなくても、他人をやたら攻撃する人とか、特に何も行動を起こさなくても、腹に一物抱えてたりとか。

だから、炭治郎が鬼を殺す時、そういった人の「鬼」の部分をなくしてくれているようにも見えなくもなくて、だから炭治郎が鬼を倒す時、すごく悲しそうな表情してたり、一言声をかけたり。

多分、彼は鼻が鋭くて、その臭いで感情までがわかってしまう、ある種エスパー的な能力も持っているから、鬼の人生みたいなものも、わかってしまうのかもしれませんね。だから、悲しそうな表情したり、一声かけたりする。

だから、炭治郎が鬼舞辻を目指すということは、その鬼舞辻の被害に遭った元人である鬼を倒していくってことになるわけで、要は自分と同じ被害者と戦わなくてはいけないわけだから、ものすごく辛い戦いが、しかもこれから続いていくんだなぁ、ということを思うと、やはり、なんか、やるせないですね。いやぁ、吾峠呼世晴、性格悪いなぁ(^^;;

 

 

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