「ウインド・リバー」という映画がありまして。脚本家が「ボーダーライン」のテイラー・シェリダン、しかも今回は監督するということで観に行ったんですけど、なんというか、「観るべき映画」だったと思います。
主人公の男のセリフが印象的
物語としては、父親の娘に対する情愛、そして復讐譚、という感じ。時代劇や歌舞伎でも多く取り上げそうなテーマで、個人的にはすごく面白く観ることができました(こういう話に対して、こういう表現はちょっと不適切かもしれないが)。
子供に対する愛情は母親の方が当然深く、この作品中に登場する女たちも皆、男たちより情愛の強さを感じました。しかし父親は父親なりに娘を愛し、一部の男は男なりに強くあろうと懸命だったと思います。
主人公の男が、娘を失ったネイティブアメリカンの男に言葉をかけるんですけど、その言葉が強く印象に残りましたねぇ。ちなみに主人公の男はネイティブアメリカンと結婚し、生まれた娘をその父親と同じような状況で失っています。
主人公の男がかけた言葉っていうのは、カウンセラーに言われた言葉として語られるんですけど、悪い知らせと良い知らせがある、と言うんですね。
悪い知らせはこの悲しみから逃れる術はない、良い知らせは悲しみが続く限り心の中で常に娘と会うことができる。
だから、主人公の男はネイティブアメリカンの男に「苦しめ、悲しめ」と言うんです。悲しみや苦しみに向き合うことを肯定的に捉えているんですね。
その人に対する、言ってみれば「負の感情(ちょっと違うかもしれないけど、他に思い浮かびませんでした)」を持ち続けることは、その人と寄り添っていることに他ならない。
悲しみや苦しみを乗り越えることは、つまりその人を忘れてしまうことは、本当にその人の存在を消してしまうことでもあります。向き合うことは辛いけど、自分の心の中には生き続ける。
これ、多分ものすごく強くないとできないことだと思います。でも、主人公の男は、強くあれ、と言うんです。
強くなければ生きていけない土地
男は強くはないけど、それでも強くあろうとする。
この映画のラストで主人公の男がもう一人の主人公であるFBIの女性捜査官に「お前は強いから生き残った」と言うんですね。
運なんかない。強いから生き残った、強くなければ生き残れない、と。
言ってみれば、この映画の舞台となる土地はそういう土地なんです。強くなければ生きていけないような土地なんです。
そういう土地に、ネイティブアメリカンは追いやられている、とこの映画では言ってるんです。
強くあれ、というのはこの映画のメッセージでもあるけど、と同時にネイティブアメリカンの現状、白人が行ってきた所業に対する問題提起でもある、と思います。
脚本がすごい
脚本がものすごくよくできていたと思います。様々な言いたい事をさりげなく、しかも自然な形で盛り込み、且つ迫力のあるサスペンスに仕上げていました。
先ず、ネイティブアメリカンに対する深く根強い差別が映画の根底をずーっと流れていました。最初の方で、星条旗が逆さに吊るされたポールが映されるんですけど、観る者にこの作品世界を非常にわかりやすく説明し、この作品を非常に象徴していました。ネイティブアメリカンの白人に対する目線は常に敵対や恨みなど、複雑な感情に満ちている、ということがこの絵だけでわかります。
行方不明になったネイティブアメリカンの若い女性は多いらしく、しかも、ろくな捜査も行われないらしんです。もうこれ、どういうことだかわかりますよね。
また、この男主人公が白人でありながら、ネイティブアメリカンと結婚している、というのも作者の心情や言いたい事を表しているように思います。
男主人公はまぁ多分、ネイティブアメリカンよりの考えだと思うんだけど、白人であるということで今一つ信用されきってはいない面があるんですね。
でも、それでも男主人公は殺されたネイティブアメリカンの娘のために捜査に協力するんです。あんまり信用されていなくても、命の危険を冒してまで、ネイディブアメリカンの友達のために操作するんですね。
監督・脚本のテイラー・シェリダンも白人だから、本当にはネイティブアメリカンの側には立てない。でも、ネイティブアメリカンに寄り添いたい、という思いの表れが、男主人公の立ち位置ではないかと思うんです。そう考えるのは安い感情移入でしょうか。
また、この物語はFBIの女性捜査官の成長物語的な側面もあるのですが、テイラー・シェリダンは美しく気高い女戦士と熟練の男戦士という組み合わせが好きみたい。「ボーダーライン」でもそうでした。