azzurriのショッピングレビュー

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僕が買ったもの、観に行った映画・ライヴなど、要は金を払ったものに対して言いたい放題感想を言わせてもらおうというブログです。オチとかはないです。※ネタバレありまくりなので、注意!

「聲の形」ネタバレ有り感想。思い出したくないことを思い出させる!

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聲の形」というアニメ映画を観たんですけど、この映画は人の心の、一番思い出したくないであろうところをグリッグリとエグってくるアニメでした(^^;;

大抵の人は被害者と加害者の両方になって、一部の人は被害者で有り続け、そして一部の人は常に上手く立ち振る舞って加害者の立場に居続ける。

そういう、大抵の人が直面する問題を、障害者をみんなでよってたかっていじめ、次にそのいじめの首謀者がいじめの対象になる、という非常に極端な形で見せています。

オープニングテーマはなんとThe Who

先ずはオープニング。主題歌はThe Whoの「My Generation」から始まります。これにはビビりました。アニメなのにThe Whoかよ!

この選曲の妙はさすが山田尚子ですね。「けいおん!」で唯ちゃんにウィンドミル奏法をさせて、多くのアニメ好きロックファンをうならせたのですが、この作品で遂に直接的にThe Whoを使用!

やはり結構なロック好きなんでしょうね。そもそも「けいおん!」の場合、ベースが左利きって(^^;; それってポールじゃん!

それでまた、アニメの小学生の子供たちとこの曲が妙にバッチリハマるんですね。

このオープニングはすごい勢いがあって、すごく上がる感じです。ものすごい子供たちが活き活きと描かれていて、違った風に期待させてしまうのですが…。

本編に入ると地獄が待ってます(^^;;

小学校の現場がリアル(多分)

まぁ、今回の作品は小学生による陰湿ないじめというのがテーマのひとつだと思うんですけど、そういった点では、現在の小学校の現場を非常にリアルに描いている、ように思います(最近の小学校事情はニュースとかでしかわからないので、実際の現場は知らないんですけど)。

子供のいじめの陰湿さと、いじめ発生の責任を逃れたくて保身に走る教師、というのは然もありなん、といった感じ。ここらへんが可愛らしい絵柄でリアルに描かれているので、観ているこっちとしては非常に感情を揺さぶられます。

実はああいう担任こそがいじめを助長させているのだろうなぁ、と思いました。自らの責任逃れで他の誰かを生贄にするっていうか。

しかし、それは教師だけでなく、生徒もです。いじめを取り巻く状況はみんなそうだと思います。ここらへんをガツっと描いているので、非常に然もありなん、というかリアルさが増し増しなわけです。

ただ、話はちょっと脱線しますけど、いじめの問題って、「我が校ではいじめは起きません」とかって言うじゃないですか。それがそもそもの勘違いだと思うんですよね。子供って、いじめを「したがる」ものだと思うんです。まぁ、言ってしまえば、子供だけじゃなくて大人も、なんですけど。

なぜなら、自然状態で生きる時、一匹だけ目立つ個体がいると、天敵に見つかりやすいんですよね。捕食される側の動物だったら、これは種の保存レベルで危険なことです。

だから、その集団において異質な個体は積極的に排除しようとする。

だから、いじめは本能として組み込まれているのではないかと。

それが証拠にいじめられるような子って、良くも悪くも目立つ子が多いと思うんです。

でも、現代の社会ではいじめなんて、到底許されるものではないこともまた事実。

だから、学校側の正しい姿勢としては「いじめは起こるもの」とはじめから認識しておいて、「我が校はいじめの芽は早期に潰します」という方が正しいような気がします。

なんか、「いじめが起こる学校」というのは恥ずかしいことでもあるかのような風潮がありますが、いじめは起こるものなんだと思います。大事なのは、いじめが発生した後、いかに素早くそれを抑え込むか、なんだと思います。

ちょっと感情的になりますよ

しかし、石田はまだ良いんです。彼は結果論とはいえ罰を食らい、やってしまった罪に対して、これまた極端な形ではありますが、反省をしているので。

ダメなのは植野という女と島田ですね。 こいつらが特に始末が悪い。特に植野みたいな奴はよくいる感じですよね。マツコ・デラックスに気持ち悪いと言われてしまう典型的な女でしょう。絶対に信用してはいけない女ですね。

また、島田で印象的だったのは、彼の目が常に濁っていた(ように見えた)ことですね。なんか、他のキャラの目に比べて、非常に色が濁っているように見えたんです。しかも最後まで。

これは僕の思い込みかもしれないけど、彼はこの作品では最後まで扱いとして人ではなかったように思うんです。あんな奴人ではない、という制作者のメッセージというか。

しかし、それもまた極端な形で提出されているもので、誰しもが持っている素養であることは間違いない、とも思うんです。誰しもが人ではない要素を持っている、と。

罪を犯した子供のその後を描く

「罪を犯してしまった子供が、その後いかに生きるか」という点では「心が叫びたがってるんだ」を思い出してしまいました。もちろん、あの作品とは扱っているテーマは全然違うとは思いますが。

でも、犯した罪に苛まれ、それを乗り越えて再出発する姿を描く、という点では共通したところはあるのかな、と思うのです。

とは言え、あっちはミュージカル演じてみたり、割とさわやかに描いているのに対して、こっちは描き方が描き方だけにどう感じていいか難しい作品ではあります(^^;;

よく考えたらものすごいことを描いているわけであって、TVでは絶対に放送できない…んじゃないかと思ってたら放送しちゃいましたね(^^;; 大丈夫なんだろうか?

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だけど、妙にほっこり

だがしかし、妙にほっこりしてしまう作品であることもまた確かなような気がします。

それはおそらく、石田と西宮さん、そしてゆづるが真摯に生きようとしているから、な気がします。子供たちの中でこの三人だけが真摯だった、と思います。

また、石田が西宮さんをいじめてしまった理由が、おそらく不器用すぎる初恋の彼なりの表現だったのではないか、ということだったからかも?ということも、俺はあると思うんですよねぇ?。

もし、石田の初恋であるならば、これは石田が苦しみ抜いて間違え倒した彼の初恋の長い旅路の物語なのかもしれない。

小学生男子ってバカで、まだ人間じゃないサルだから、好きな子をいじめちゃうんですよね(苦い思い出)。ま、今の子はどうだか知らないですけど。割と素直に彼女とか作っちゃってるのかな。

一方、西宮さんはなぜ石田のことを好きになったのか? 非常にわかりにくいけど、それは彼女に障害者としてではなく、「人として」初めて興味を持った男の子だったから、ではないでしょうか。そんな気がしてならないんです。

また、西宮さんのお母さんの年齢が44歳だと知った時、俺はアニメの主役というよりはその親の年齢なんだと気付いて、ちょっとショックでした。

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