azzurriのショッピングレビュー

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僕が買ったもの、観に行った映画・ライヴなど、要は金を払ったものに対して言いたい放題感想を言わせてもらおうというブログです。オチとかはないです。※ネタバレありまくりなので、注意!

「ライ麦畑の反逆児/ひとりぼっちのサリンジャー」ネタバレ有り感想。『作家の声』とは何ぞや?

BANANA FISH」という漫画が好きで、タイトルの元になった「バナナフィッシュにはうってつけの日」の入ったサリンジャーの短編集「ナイン・ストーリーズ」を買って読んだんですけど、これがすごく良くて。

以前読んだ「ライ麦畑でつかまえて」はそれほどピンと来なかったんですけど、これはビシビシ来ましたねぇ。

で、その作者のサリンジャーの半生が描かれた映画があるということで行ってきたのが「ライ麦畑の反逆児/ひとりぼっちのサリンジャー」でした。

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若かりし頃は人との繋がりが濃かったサリンジャー

この映画だけで判断すると、J.D.サリンジャーは多くの人に愛されていたように思えます。もちろん、実話を元にしているとはいえ、映画で、基本的にはフィクションだからどこまでホントかはわからないんですけど。

最初に才能を見出し、信じ、強力にバックアップした母は元より、コロンビア大の教授も彼の才能を見出し、それを花開かせようと親身になっていた印象を受けました。また、女性編集者も彼の良き相談相手で、最後には出版活動を一切停止するという要望も受け入れます。もちろん、厳しい父親も当然彼を愛しました。また、若い頃も戦場でも友人がいたし、結婚して子宝にも恵まれました。

また、サリンジャーが作家になるためにキーポイントだったのは、案外回りの意見を聞き入れたことです。

基本的には我を通し、自分の文章を修正することなど許さない。職業作家というよりは芸術家肌ですね。読者が喜ぶよりも自分が読者を引っ張るというか、自己の表現の場としての文章だったように思います。

だから、自分と同世代の若者の会話にこだわり、若者が直面している現実の悩みにこだわり、絵空事のウェルメイドプレイを許すことはできなかった。まさに芸術家です。

しかしながら、学生時代は教授の、自分の『声』を出し過ぎる、という点に留意して何度も書き直したし、初めて雑誌に掲載される時は、説明しすぎる、という意見を聞き入れ、推敲し、直していました。

いずれも他人の意見を聞き入れることで成長し、成功を納めたように思えます。また、教授には不採用に慣れることの重要性も説かれ、それを実行するんです。更に教授は、それを踏まえた上で、見返りがなくても書くことに一生を捧げられるか、とサリンジャーに問うんですね。

実際、彼は戦場でも片時も紙と鉛筆を離さず、紙と鉛筆がなくなってもホールデンの物語を考え続けました。映画としては、ここの、作家として生きることの描写は非常な迫力を持って描かれていたいました。

あと、映画の見せ方という点では、小説家という、アクション的には地味な作業の題材をカメラワークや演出で飽きさせずに見せきった手腕は素晴らしかったですね。

この教授の教えはこの映画のラストで描かれる、出版をしなくても書き続けたサリンジャーに繋がってくるように思えます。それを思うと、サリンジャーは教授から教えられた二つのことを全うした、とも言えるような気がします。

そんな彼がなぜ人間不信になり隠遁生活をしたか。この映画はそこを明らかにしようとしているんですけど、その最も大きな原因はやはり戦争によるトラウマでしょう。そして救いともなった宗教(ヒンドゥー教?)も大きな要因であるように描かれていたと思います。

大人になれなかった?

また、彼自身、映画を観る限りでは、大人になりきれなかったのかもしれません。

結局教授を許すことができなかったのも、極度の潔癖症(裏切られることをその理由を問わず、異常なまでに憎む)だったのも、彼の少年性の表れのように思えます。

大人になれなかった原因としては、サリンジャーホールデン・コールフィールドに救われもしたが、そこに固執しすぎもしたようにも思えました。でも、ホールデン・コールフィールドを作ったからこそ、あれだけの作家になれたのもまた事実であるように思います。

あれだけ必死になった自作の出版を数冊で辞めてしまったのも何か因縁めいていました。映画としては悲劇的でもあり、ハッピーエンドにも感じられ、何とも言えない後味がありました。逆に言うと、これこそが実話を元にした映画とも言えるのではないでしょうか。

多分、サリンジャーはあまりに純粋すぎたのかもしれない。映画後半はその純粋すぎるところがいつまでも若々しく、痛々しかったけど、その純粋すぎるところがあの名作を生んだし、強烈な生の輝きを放っていたようにも思えます。

反戦映画

しかし、戦争はそんなサリンジャーからも一時は書くことを奪ってしまい、強烈なトラウマを植え付けてしまったことが、この映画では描かれていました。

戦時中、そして戦後帰還兵となったサリンジャーを見て、イーストウッドの「アメリカン・スナイパー」を思い出してしまいましたね。

また、「BANANA FISH」で、なぜサリンジャーの本からその名前を拝借したのか、この映画を観て更にわかった気がします。あの漫画の出発点はベトナム戦争での帰還兵の問題だったからです。

この映画は戦争に対する描写も地味ながら非常に丁寧でした。

出撃前にだけ出るステーキが夕食に並んだ時の兵士たちの表情、そして戦後に実家に帰った際の晩餐に出たステーキを見た時のサリンジャーの表情など、食を通じての細かい表現はすごかったです。それを見ただけでも、この映画は反戦映画の側面も持っているように思えます。

作家の『声』

またこの作品では頻繁に「作家の声」という言い方をしていました。

それは日本で言う「作家性」なのか「個性」なのかはわからないですけど、そのどれとも違うニュアンスのような気がします。

作家の声は物語にUnique(原語ではそう言っていました)を与えるものだが、出過ぎてはエゴになってしまう、と教授は言うんですね。

雑誌「ニューヨーカー」の人も、君の「声」は素晴らしい、と言うんですが、説明し過ぎる、読者の想像力を信じろ、とも言うんです。ここらへんの出し引きが難しいんでしょうねぇ。

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