「ROMA/ローマ」という映画を観たんですけどね。
舞台はメキシコなんですけど、なのに何故「ROMA」なのだろうか?と思ったら、メキシコシティのローマ地区ということらしいです。「ローマの休日」のローマ、中田英寿が一頃所属して優勝したローマではないそうです。アルフォンソ・キュアロン監督が生まれ育った町らしく、半自伝的映画ということらしいです。
なんでも、ヴェネツィアで金獅子賞を獲り、ゴールデングローブ賞でも外国語映画賞と監督賞を受賞し、オスカーでも外国語映画賞、監督賞、撮影賞の栄誉に輝いた名作中の名作との誉も高い作品です。
なんですが、正直よくわからなかったですw
愛があるようで愛がない
話としては愛があるようで愛のない家族の話、と感じたかなぁ。
主役は家政婦・クレアなんですけど、この人は誠実! とても良い子に思えました。真面目に働いてる感じだし。
それに比べて、周りの人はみーんな、不誠実に見えました(^^;; まぁ、みなさん、それなりにはやさしいんですけどね。
妊娠をしたクレアを、クビにはしなかった夫人も、自分の不機嫌をクレアに不当にぶつけてみたり、クレアが破水した時に親身になって病院に連れて行った祖母も病院ではクレアの年齢も誕生日すらも知らない。
その時代、使用人なんて雇い主からすれば、所詮そんなものかもしれないのかなー、とも思っちゃうんですけど、それにしても人情がねぇよなぁ、と。
やはり、愛があるようでないと感じてしまいます。
うんこちんちん
愛がないと言えば、この作品に出てくる男は皆揃いも揃ってクソばかりでしたねぇ(^^;; 不倫はするは、妊娠させたら捨てるは、もうサイテー。同じ男として悲しくなってしまいます。
クソと言えば、クレアの働く家の車庫は、斜めの市松模様で非常にスタイリッシュなんですけど、常時、犬のウンコがありました。常にです。ええ。いつもウンコがあるんですよ。
そんなに犬のウンコを出さなくてはいけないものなんでしょうかねぇ?
ウンコと言えば、クレアをやり逃げした男がいるんですけど、情事の後、その彼の全裸が無修正のまま割と長いこと映されていたんですね。チンコぶらんぶらんさせてました。チンコです。ええ。ぶらんぶらんさせてるんですよ。
ウンコとチンコをまんま出せばオスカーで評価されることになってるんでしょうか?
なんか、これは俺の勝手なイメージなんですけど、向こうの映画って、汚い物や、人前で晒すのはどうかなー?というものをそのまんま出すと「真実を描いている」とか評価しがちなイメージがあるですけど、如何でしょうか?
子供は愛に溢れてる
また、愛がないと言えば、クレアの妊娠が死産に終わってしまうシーンは本当に悲しいシーンだったんですけど、後の海のシーンでクレアが、本当は子供を産みたくなかった、と言っていたのが少しショックでありつつ、あの男のことを思うとわかるような気もしましたが、なんとなく、やはりここでも愛はなかったように感じましたねぇ。
で、その海のシーンで、末の男の子が「僕が大人だった頃は、」と語り出すんですが、どうもその子、前世の記憶がある、という設定のようなんですね。そこはなんだかすごく興味深かったです。そこもっと掘り下げて欲しかったかなー。そっちの話の方がすごく興味ある。
ちなみに、出てくる子供達はみんなホント可愛くて、また皆クレアのことが大好きっぽかったですね。
この映画の中で、子供達だけは、愛に溢れていたように思います。
映像は確かにカッコいい!
そんな感じで、内容的には何が言いたいのかよくわからなかったんですけど、全編白黒の映像が映し出す建物や部屋は非常に美しくて、久々に絵画的映画を観た感じですね。
冒頭の斜めの市松模様の車庫なんかは、めちゃめちゃカッコよかったです!(ウンコまみれだけど)
ただまぁ…それだけですね。
この映画、どこらへんが面白いですか?
というわけで、色々調べてみたんですけど、なるほどなぁ、と一定の理解はできました。
ざっくり言うと、この映画は生と死という大きなテーマを扱いつつ、監督の半生を描いたプライベートフィルムとしての側面があるそうです。
つまり、壮大なテーマを扱いつつ、内省的である、という。そういった意味では非常なダイナミズムのある映画であるらしかったんです。
しかし、それを理解するには非常に広範な知識がないとわからないと思うし、映画を観る「目」というものも非常に肥えたものが必要とされる。また、その当時のメキシコの情勢についても詳しくなければいけない。
要は、とにかくわかりにくいんである。
言い訳がましいが、俺がわからなかったのも無理はないと思います。
でも、中島かずきとか、いとうせいこうとか、すごい人はみんな誉めてんだよなぁ。つまり、「わかってる」んですよね。やっぱすごい人はすげぇなぁ。