「ゴジラ対メカゴジラ」をですねー、ようやくアマプラで観ました。
子供の頃、テレビでやっていたのを観たことはあったのですが、おそらく編集はされていたと思うので、ちゃんと最初から最後まで観たかったんですよね。最初から最後まで正規版で観たのは、多分これが初めてだと思います。
やっぱり子供の頃に観た時の印象とは違ったり、同じような感じだったり、ってのはありました。
ただ、この頃のゴジラ映画としては、かなりしっかり作ってるなぁ、という印象を受けて、それは意外でしたね(割と失礼かもしれませんが)。
予告編
円谷特撮伝統の反骨精神
やはり子供の頃に見たのとは印象が違う点も多かったです。
沖縄の音楽とか文化が割と描かれていることはその当時は全然印象になかったし、そもそもわかっていませんでしたからね。そういう文化の違いとか。
今見ると、結構突っ込んで描いている面もあるな、と思いましたね。特にお爺のセリフに、本土の人間に対する不満、恨みつらみなどが端々に出ていたと思います。
やはり、「ウルトラマン」などもそうだったけど、円谷関係の特撮はリベラルで、反骨精神がありますね。
丁寧な作り
また、ブラックホール第三惑星人が素顔を晒す時、子供の頃すげえ怖かったことを覚えています。
で、そのことに関連してなんですけど、作品の方は前二作に比べて格段に丁寧に作っている印象を受けたんですよね。
おそらく、沖縄の観光業界とタイアップしたのか、そのへんの金回りが良くなって、予算がアップしたのかもしれません。ホテルの感じや、サンフラワー号(懐かしい! 乗った!)、鍾乳洞などなど、割と観光要素強めな印象も受けました(そりゃタイアップですからね)。
でも、そういった営業努力の甲斐あって、時間とお金が注ぎ込むことができたんじゃないですかね。
先ずはやはり撮影に手間暇をかけることができたのではないでしょうか。カメラのカット割りとかが丁寧だし、特撮シーンなんかも過去映像の流用が一つもなかった(ように思えた)です。
例えば悪漢(ブラックホール第三惑星人)が忍び込んで盗みを働く時、一瞬悪漢の表情をアップにして彼の緊張感を演出したり、ブラックホール第三惑星人が正体を表す時(子供の時見て怖かったやつです)、丁寧に何回もメイクを厚塗りしていって、徐々に変化する様を表現したり、とにかく丁寧だったと思います。
新たなスター
そして何と言っても、メカゴジラ登場シーンのカット割り、演出などが実に丁寧でケレン味に満ちていました。これがめちゃくちゃカッコ良かった! ガイガンの時とは大違いだw
新たなスターを作るぞ、という気合が見えましたねー。ガイガンの時とは大違いだw
また、前二作、特に「ゴジラ対メガロ」の、あの雑過ぎる人間側の日常シーンの反省を踏まえてか、今回は人間側の描写(ドラマはさすがになかったけど)がそれなりに丁寧に描かれていたと思います。
だから、あんなぬいぐるみみたいなゴジラでも怪獣としての説得力があったのです。何より、今回は怪獣の擬人化演出が希薄だったのが良かったです。
おかしなシーン
ただもちろん、おかしな描写は散見されはしました。
例えば、沖縄に基地があるはずなのに、なぜメカゴジラは北海道から地下を通って御殿場まで南下したのか。
なぜブラックホール第三惑星人なのにアルファベットで「MG」とメカゴジラのイニシャルを付けているのか。
なぜ、メカゴジラの破片がスペースチタニウムと、「ざっくり宇宙産」なのか。雑ですね。
キングシーサーを眠りから覚まさせるため、一族の娘の歌が必要、というのもよくある演出だとは思うし、ケレン味があっていいとは思うのですが、なぜに突然歌謡曲なのか。
ここのシーンは特に微妙でしたねー。もっと、例えば「ちんさぐの花」的な、沖縄民謡的に作れば、なかなか説得力のあるシーンになったかもしれないように思います。モスラとザ・ピーナッツの歌なんかは、それなりに説得力はあったと思うんですけどねー。あれを参考にするわけにはいかなかったのでしょうか。
粗はあるけど良い出来
ただ、沖縄の伝説的な予言を科学的見地から現実に起こっていく仕掛けはなかなか良かったと思うし、その他にもミステリー要素やスパイ要素もあって、なかなかケレン味が強く、良い演出も多かったように思います。
あと、登場人物の一人に「流星人間ゾーン」のゾーファイターの人がいたので「早く変身しろよw」と思わずにはいられなかったですかね。
そんな感じで、こうして振り返ってみると、粗はあるものの、全体としては丁寧に作ってあり、なぜメカゴジラがスターになれてガイガンがスターになれなかったのか、それがわかった気がします。
やはり映画としてある程度はしっかり作らなければ、スターの素質があってもスターになり損ねてしまうのですね。