周防正行 監督11年振りの作品、「それでもボクはやってない 」を観たんですけど、むちゃくちゃ面白かった! これ今年初めて観た映画なんですけど、一発目でこれっていうのはハードル高くなっちゃいそうですね。
実はこれ観る前に周防監督の講演会に行く機会があって、お話を聞いてきたんですけど、ぶっちゃけつまんねーんじゃねーかって思ってて(^^;; 周防監督は「これは裁判映画です」「裁判にスポットを当てたかったので、人間ドラマのようなものはなるべく排除しました」みたいなことを仰られてて、しまいには「観た後気分が悪くなる映画です」とまで言い放ってました。そんな感じだったから、あんまり面白くはないのかなーと思ってたんです。確かに笑えはしなかったけど、硬派な、すごく見ごたえのある映画でした。
周防監督は「気分が悪くなる」って言ってたけど、僕は気分悪くならなかったですね。むしろ、上がった。主人公をすごく応援するモードになったっつーか。いや、それまでも結構感情移入して観てたんですけど、最後の最後で一回り大きくなったって言うか、戦う男になったっていうか。最後の「控訴します」っていう台詞を毅然とした、強い意志を持った言葉で言い放つところはカッコ良くすらあった。
何でこんな面白かったのかなーって思ったら、多分基本的な構造として、この映画も「周防節」が貫かれているからなのかなーと。それは「見知らぬ世界で強力な相手に向かって戦う人」を描くことだと思います。裁判という専門家以外には全くわけがわからない世界で、しかもこの場合は国を相手に戦うわけですから、周防監督は「ドラマを排した」と言ってましたが、これは大きな人間ドラマだと思います。ドキュメンタリーかのごとくかなりリアルに裁判というものを追っていくのですが、逆にそうすることによって無駄なものがそぎ落とされ、そうした「戦う人の姿」が浮き彫りになったような気がします。ドラマを削っていったら、ドラマが出てきてしまったとでも言うような。またそのような臨場感のあるストーリー、演出に応えなくてはならない役者も力のある人ばかりでした。
それでまぁ、「ゆれる 」を観た時も思ったんですけど、裁判というものはなんて危うい、あやふやな制度なんだろうということを今回も思いました。というのも、裁判って「人間の記憶」を頼りに進められていくんです。人間の記憶がかなり曖昧なものであるというのは結構有名な話だと思うのですが、その人間の記憶が頼りっていうのはなんて頼りないんだ、と。確かな物的証拠がない場合は特にそうせざるを得ないのでしょうが、今回の映画も主人公はもちろん、痴漢された女の子もその時の状況をあまりよく覚えていない、という感じでした。それで有罪か無罪かを決めるのはやっぱり一抹の疑問を感じてしまいます。
そんなわけで、周防監督の熱い怒りと、その根底を流れる周防節と、臨場感溢れる設定、演出、そして力のある役者、これはなかなか見ごたえ十分です。