是枝裕和監督作品「三度目の殺人」を観たんですけど、すごい映画でした。
人の根っこの部分を多面的に一つ一つ丁寧に掘り下げ、知ろうとしているように思いました。
予告編
裁判とは何か?
先ず印象的だったのは、司法制度の不安定さについても言及していたところ。
司法の場は「何が真実かを求める」のではなく、
「こういう事実にしよう、ということを決める場」なのではないか。
また、「勝ちか負けかを争う場」なのではないか。
この二点を指摘しているように思います。その点で、「それでもボクはやってない」にテーマ的に類似している、と思いました。
また、裁判とは「勝ちか負けかを争う場」であることについて、福山雅治に結構直接的な台詞を言わせていましたねー。
そしてそんな福山演じる主人公が役所広司や広瀬すずを通じて徐々に真実を追求し、被疑者に寄り添っていき、変わっていく姿がスリリングでした。
でも、そんな風にして、司法の場は真実を追及しない場かもしれないけど、それでもそこに従事している人はいる、ということも忘れてはならない、というようなこともちゃんと描いていたあたり、バランス感覚を感じました。
当然のことながら、司法の場には必死になって、ギリギリのところで働いている人がいるわけですから。
真実は闇のまま
で、この作品では結局、その真実は最後までわかりません。真相も真犯人もわかりません。
役所広司がどういった人間なのかもわかりません。
しかし、そこを描かないが故に、人間の不確かさ、不明さ、不気味さ、多様性、矛盾さを感じることができたように思います。
また、わからないよう、混乱するように描いてもいる。
役所広司が殺したのか、広瀬すずが殺したのか、わからないようなシーンもありました。むしろわからせないために、そのシーンを作ったのかもしれません。
タイトルにある三度目の殺人は描かれていないし、何かも明らかにされていません。ただ、三度目の殺人とは、おそらくそれは死刑、ということなのかもしれないないのかな、と思いました。司法制度による人殺し、ということなのかもしれません。
あと気になったのは、役所広司の自宅の部屋のシーンで、大家さんが「やだ、蜘蛛がいる。まぁ、夜の蜘蛛じゃないからいいか」という台詞が独り言のように小さく入っていたんです。
以前、僕の友人から、夜の蜘蛛は親の顔をしてても殺せ、と言います、ということを聞いたことがあるんですけど、そのことをほのめかす台詞なのかも。
もし、そうだとしたら、この話は親殺しの話かもしれない。しかも広瀬すずの父親が殺害されたのは夜でした。
母と娘のキャスト
また、広瀬すずは本当に可愛いし、本当に芝居が上手いですねー。
そして、役としては汚れ役にも積極的に挑んで行こうという印象を受けます。「怒り」という映画でも、そういうシーンがありました。
シーンとしては流石になかったのですが、ひょっとしたら周りが許さないかもしれないですね。
あと、広瀬すずの母親役は斉藤由貴だったんですけど、不気味な母親役がすごく良かったですね。
そんな感じでこの映画は是枝裕和監督からの様々な問いかけがあるように思います。そして監督自身の答えは確実に存在するのだろうと思います。