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僕が買ったもの、観に行った映画・ライヴなど、要は金を払ったものに対して言いたい放題感想を言わせてもらおうというブログです。オチとかはないです。※ネタバレありまくりなので、注意!

「鬼滅の刃」第八巻ネタバレ有り感想。無限列車編は終わるが、煉獄杏寿郎スピリットは続く!!

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鬼滅の刃」全巻感想も第8巻となったわけですが、この巻も非常に重要な巻ですね。

それはもちろん、爆大ヒットを記録した映画の原作となる「無限列車編」が完結するからです。

まぁ、色々とですねぇ、ツイッターとかで「そうなるんじゃないか」という情報が自然と入ってはきていたんですけども、それでも意外な展開でしたね。

予定調和にはいかない、というか、容赦しないというか、あまりにも早い退場というか、ややもするとあっけないという印象になってしまうくらい、衝撃の展開が待っていましたのでした。

衝撃の展開

読み進めて、いきなり下弦の壱の鬼を倒すのですが、ここは結構あっけなかったですかね。

まあ、前巻で大技出してたから、そういう展開になるんですけど、今回の鬼にはドラマはなかったですねー。ただただ悪辣な鬼だった、ということで終了、という感じでした。

毎回、鬼のドラマも気になっていたのですが、今回特になかったので、そこはちょっと肩透かし感はあったかな、と。

ただそこから先がすごかったですね。いきなりの(と言っても7巻の予告でネタバレしてたのですが)上弦の鬼の登場! しかも、参! 参ということは鬼ランキング第3位です。謂わば、表彰台に上っている鬼です。

だもんだから、そりゃ強いです。そりゃ強いですけど、まさか、柱の一角である煉獄さんが負けるとは思わなんだ。

いや、普通ここ引き分けでしょう。もっと言ってしまうと、普通はもっと下のランキングの上弦から出していくのがセオリーですが、いきなりAクラスの上弦って、攻めすぎじゃない?

もちろん、その参の鬼も煉獄さんの実力には、ある意味惚れ込んでいるくらい煉獄さんも強くて、非常に迫力のあるバトルにはなっていたと思うのですが、それにしてもですよ。

いやだって、炭治郎たちは煉獄さんの継子になる流れじゃないですか。でまた、この煉獄さんが、ちょっと様子がおかしくはあるけど、非常に出来た人で、炭治郎たちが継子になるのはこの人しかいない、って感じだったじゃないですか。それをあなた…。

更にもっと言ってしまえば、上弦の参とは相討ちになると思っていたんですよね、読んでて。多分、このまま太陽光浴びさせて相討ちだろうと。

ま、正直、煉獄さんが物語的にここで退場というのはわかってましたよ。ツイッターとかで、それっぽいことつぶやいてる奴いたし。

でもここで相討ちになって、それで後を炭治郎たちに託すのだろうと。

そしたらまんまと逃げやがってですねー、参の奴。炭治郎の叫びは読者の叫びですよ、ええ。

いや、上弦の鬼強すぎる。

でも、鬼舞辻に叱られてましたね。しかし鬼舞辻、今度は子供の姿ですよ、男の子。お金持ちの養子になっちゃったりして。変幻自在にも程がある。

で、柱を倒したのに、参の奴にお説教するのですが、割と毎回思うことがあります。そんなに鬼殺隊殲滅させたけりゃ、人頼らないでテメェでやれよ。そう思いません? 思いますよね。なんか、ものすごいブラックな上司ですよね。鬼だし、ブラックデビルと言っていいでしょう。

どういうわけか、圧倒的に強いのに自分の舎弟使うばっかりで自分じゃ手を下しません。でも、実はここに大きな謎があるような気がします。鬼舞辻の弱みというか。

二つの思想

そんなわけで、煉獄さんはここで退場となってしまうわけなんですけど、最後に煉獄さんが炭治郎たちに言葉をかけるのですが、そのシーンが良かったですね。

先ずねー、炭治郎が参の奴に、煉獄さんは誰も死なせなかったから煉獄さんの勝ちだ、って言うんですね(よくぞ言ってくれた、炭治郎!)。でも、炭治郎は大怪我してるからあまりエキサイトしすぎると体に障る。で、そんな炭治郎の言葉を受けて、竃門少年が死んでしまうと俺の負けになってしまう、と煉獄さんがたしなめるんです。これが粋だし、優しさ、気遣いに溢れてる。

そして、煉獄さんは炭治郎たちに、柱が後輩の盾になるのは当然で、いずれ君たちが柱になる、と言うんですね。そうやって、脈々と鬼殺隊の魂は受け継がれていくのでしょう。

ここで思い出すのが、上弦の参の鬼の言葉です。鬼は百年、二百年と生きることができ、その分修練を積んで、より強くなれる、と言うんです。

確かに人間にそれはできません。大抵の動物にはできないでしょう。ニシオンデンザメは四百年生きてるそうですが。

でも、人間には、煉獄さんたちのように、引き継いでいくことができます。一人の生は長くはないかもしれません。でも、そうやって、脈々と知識や経験を後の世代に受け継いでいくことができます。これが文化を持つ動物の強みです。

鬼は二百年、一人で鍛錬を積むことができるかもしれませんが、人間は何人も、何世代にも渡って、鍛錬を積むことができるのです。

煉獄さんが炭治郎に言い残した炎柱の手記などはその象徴でしょう。書物や本は人類の叡智を脈々と受け継がせることができるものだからです。

また、煉獄さんが参の鬼に言われた、選ばれし強き者、という言葉から思い出した母親の言葉も印象的です。

恵まれた才を持つ者は、その才を人のために使わなくてはならない。人を傷つけ、私服を肥やすことに使ってはならない。それは責務。母親は煉獄さんにそう諭すんですね。

ここも上弦の参の鬼とは真逆です。鬼にとって弱者とは、見ると虫唾が走る、ただ蹂躙すべき対象でしかないようです。

煉獄さんにとって、鬼とは思想的にも全く受け入れることができない存在だったのです。

煉獄さんは何度も参の鬼に、君と俺とでは価値観が違う、と言っていたのは象徴的なシーンだったのかもしれません。

また、煉獄さんの言葉といえば、禰豆子を鬼殺隊として認める、というのが、炭治郎にとってはどんなにか心強く嬉しかったか。最初は禰豆子の存在を煉獄さんも反対していたんですよね。でも、最後に認めてくれた。

多分、炭治郎と幾つか言葉を交わし、一緒に戦っている時に、この少年は信用できる、と思ったのかもしれません。煉獄さんの態度の端々にそれが見えていたような気がします。

そんな炭治郎の連れている鬼ならば、信頼してもいいのではないかと。それで最後、鬼と戦う禰豆子を見て、確信に至ったのではないかと、思います。

なんせ、煉獄さんは本当に出来た人ですから。ちょっと様子おかしいけど。

煉獄家は人格家(除父)

その後、炭治郎は煉獄家を訪れるのですが、先ず、千寿郎いい子!

すげえ良い子! ある意味お兄さんそっくり!(見た目はもちろん、瓜双子ですが) その精神性は非常に受け継がれているのではないかと。

それに比べて、親父は飲んだくれ! もう、すぐ人を殴るし、とんでもなく危ない親父です。しかも、元柱! クソ強いのに、すぐ人殴っちゃダメだろ。ホントに杏寿郎の親父か?

しかし、そんな強くて短気ですぐ人を殴るおっかねぇ親父さん相手に炭治郎は殴りかかるんですから、炭治郎も油断ができない。しかも、ヘッドバット一閃、強くて怖い親父さんをKOしてしまいましたからね。

思うんですけど、炭治郎って、すごく優しくて真面目で良い子だけど、結構武闘派じゃないですか? 結構色んな奴にヘッドバット食らわせてますよね。

そして、このヘッドバットがめちゃ威力抜群。アブドーラ・ザ・ブッチャーを彷彿とさせます。あとはボボ・ブラジル大木金太郎

親父に比べて、母親はホントに聖人のような思想の持ち主ですね。おそらくは、煉獄さんの精神を育て上げたのは主に母親だったのでしょう。

でも、思うんですけど、父親があれだけ杏寿郎に対して毒吐いたのは、本当は鬼殺隊になって欲しくなかったから、のような気がします。

親父さんも元柱ですから、人の力量を計る目はあったと思います。ひょっとしたら、親父さんの見立てでは、杏寿郎は上限の鬼と相対できるほどの資質は持っていなかった、と見ていたのかもしれません。

そんな息子を鬼殺隊に入れて死なせたくはなかった、というのが本当の本音だったのでは、と勘ぐってしまいます。

新たな謎が

そしてそして、第8巻では新たな謎が出て参りました!

先ずは鬼舞辻が言った「青い彼岸花」(青い菊ではない)。これは一体何なのでしょう? もちろん、まだ名称が出てきただけですので、何のことやら全然わかるはずもありません。

しかし、上限の鬼を使って、割と血眼になって探させている模様。今後の展開が気になります。

また、煉獄の親父さんから「日の呼吸」という言葉が出てきました。

それまで「火の呼吸」と表記されていたのですが、ここにきて「日」です。太陽です。親父さんの話では、全ての呼吸の元となった、謂わば原初の呼吸で、他の呼吸は全てこの「日の呼吸」の下位互換的なものでしかないそうです。

そして、炭治郎はその継承者らしいのです。炭治郎の日輪刀が黒く染まるのと、何やら関係もありそうですね。

徐々に徐々に謎が深まり、話が深いところまでいっているようです。

柱はやっぱり様子がおかしい

そして、次回からは世間を少しザワつかせたらしい「遊郭編」に突入するわけですが、新しい柱が登場しました。

今度の柱は元忍者らしいです。忍者! ニンニン。

しかしこの忍者柱がえらい派手好きらしく(バギーっぽい?)、しかも、かなりの犯罪素養のある人間っぽいんです。

だって、門の屋根の上から女の子を投げ捨てるんですよ。

もう一度言いましょう。

屋根の上から、女の子を、投げ捨てる。

これもう、犯罪者でしょ! とんでもない柱です!

やはり、ほとんどの柱は悪役に見える。

今のところ、話が通じそうな柱は、冨岡義勇、胡蝶しのぶ、煉獄杏寿郎の三人ですかね。…当初より割に増えましたね。


 

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「鬼滅の刃」第七巻ネタバレ有り感想。遂に煉獄杏寿郎、本格参戦!!

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鬼滅の刃」全巻感想というマラソン企画、遂に第7巻まで来ましたよー。

なぜ「遂に」かと言いますと、この第7巻、これが非常に重要な巻なんですよね。

というのも、ご存知の人の方が多いと思いますけども、この7巻から、あの!爆売れした映画のエピソードでもある無限列車編に突入するわけです。

…多分、無限列車編でいいと思います(^^;; 映画のエピソードで合ってるとも思うんだよな(←映画観てないからわかんない)。

あとはですねー、表紙について一言言いたい。

伊之助、ビジュアル系すぎだろ。

遂にあの男が本格参戦

第6巻で既に登場自体はしていたのですが、この巻から遂にあの男、そう、煉獄杏寿郎が本格的に物語に絡んできます。

いやそれにしても、最初に登場した時は様子がおかしかったですねーw

先ず、瞳孔が土方十四郎ばりにカッ開いてるし、目の焦点も合っていない感じ。大丈夫かあ?この人、と思わずにはいられません。

加えて、電車の中でいきなり弁当をカッ食らってるのですが、一口食べる度に「うまい!」「うまい!」を大声で連発。しかも、その弁当も二、三十箱はイッてる感じです。若かりし頃の馬場さんのようです。

それにしても、お高いであろう駅弁(割とどれも高くないですか? 観光地価格なんですかね)を何十個も買えるんですから、鬼殺隊の懐事情がわかるというものです。結構貰ってるんでしょうね。

そしてそんな煉獄さんを初めて見た善逸は「ただの食いしん坊」かと思ったそうです。非常に心配そうでした。

しかし、いざ声をかけてみると、案外普通に話は通じ、しかもなかなかの面倒見の良い兄貴肌でありました。

なんとなく、竹を割ったような人、という感じで、知ってることはしっかり教え、知らないことは知らない、とハッキリ言う。

そんなサッパリした感じの人柄である煉獄さんは、実は父親との関係で問題があることが、彼が「見させられた」夢で判明します。

父親はどういうわけか、ある日突然柱を辞めてしまい、無気力な人間になってしまったそうなんです。

それでも、煉獄さんはそんな父のため、そして弟のために、健気という言葉が似合わないほどに心の炎を絶やすことなく、燃やし続けてるんですね。

今後、その父親の謎も気になるし、煉獄さんの本当の心の内も気になります。

大正お耽美鬼バトル

それでですねー、それまでも徐々にバトル漫画色が強くなっていってたんですけど、この第7巻で更にバトル色が強くなった気がします。

しかも今回、夢の中での戦いで、更にそのバトルが汽車の中で行われるという。なんかこう、非常に大正で耽美な感じがします。江戸川乱歩要素があるというか。

乱歩は「うつし世はゆめ、夜の夢こそまこと」と言いました。そして乱歩自身も、蜃気楼やパノラマ館など、現実のものではない風景を、夢のように描写していました。

また、汽車、というのが良いですね。電車ではなく、汽車です。しかもこの時代の列車ですから、木造に天鵞絨(ビロード)の椅子がまたナイスです。

そういえば「押絵と旅する男」も列車の中で聞いた老人の話でしたね。

そんな感じで、今回のバトルは大正お耽美鬼バトルとでも言うべき様相を呈しているように思います。

いやあ、非常にツボですねぇ。

夢格差がひどい

そんな感じで、炭治郎、善逸、伊之助、そして煉獄さんまでが下弦の壱の鬼に眠らされ、夢の中から出られなくなってしまうんですけど、この夢がですね、それぞれのキャラクターの中で「格差」があるというか、そこもまたちょっと個人的にツボですね。

先ず、ざっくり言うと、炭治郎と煉獄さんはシリアスな感じの夢なんです。で、善逸と伊之助は間抜けな感じの夢なんですねw

ちなみに、見させられている夢の外側には無意識の領域があるそうなんですが、この領域がそれぞれの個性を反映していて面白かったですね。

例えば、炭治郎の無意識領域はとても綺麗な青空が広がっているんですけど、善逸の無意識は墨のようにまとわりつくような闇だそうですw

で、炭治郎の見させられている夢なのですが、もし家族が鬼に襲われていなかったら、というifの世界の夢なんですね。これが非常に残酷で。

夢の中での炭治郎を含む家族はすごく幸せそうなんです。それこそ、あのまま鬼が来なかったら、の続きの世界で。

炭治郎は、本当ならこんな風に家族と幸せに暮らしていて、禰豆子は明るい太陽の下で山菜取りに行けたし、炭治郎自身も剣なんか振るわずに済んでいたって思うんですね。

でも、炭治郎の思う「本当なら」は本当じゃないんです。「本当は」違うんです。

その本当じゃないという「事実」に、読んでいて、ちょっと愕然とさせられるところがあって。

その「本当」は「本当はこうだったらいいな」の本当なんですよね。「本当は」違う。「本当は」って思うと、本当の事実に直面させられた時、それこそ本当に救いがない。

炭治郎はそのことに直面させられるんですよね。それでも、刃を振るって戦いに行くんです。いや、だからこそ、炭治郎は刃を振るいに行くんですね。ここが炭治郎のすごいところで。

そして、そういうことは、多分読んでる人みんなに多かれ少なかれあって、みんなそういう風に思ってしまう。「本当だったら」って、架空の事実を思うんです。

そういう、人間の弱いところを突いてくる攻撃をするんですね、今回の鬼。

ひょっとしたらこの鬼、この漫画全体を通してみても、最も残酷な鬼かもしれない。

でも、この鬼と炭治郎では唯一共通点があって、それは人の原動力は心だって言ってるんです、二人とも。

でも、鬼の方は、人の心は弱い、と言います。一方、炭治郎は、心はどこまでも強くなれる、と言うんです。

出発点は同じで、多分、人の心は弱い、という認識も一緒だと思うんです。

でも、鬼はそこのつけ込む、弱いままだと思っている。一方、炭治郎は強くなれる、と思っている。しかも、どこまでも。

とはいえ、強くするのはすごく難しいと思うし、誰でも強くなれるとも思いません。

でも、炭治郎にそう言ってもらえると、なんか、いいですよね。強くなれるかもなぁ、って。なれるといいなぁ、って。

コイントスは恋んトス?!

そういえば、この巻には前回から引き続き栗花落カナヲという子が出てくるのですが、とにかく自分じゃ決断しない。炭治郎と喋るかどうかも自分じゃ決められない。コイントスして裏が出たから喋る、といったような状態。

最初、コイントスで決めるなんて、なんか失礼な人だなあ、とか思ってたんですが、なんと本編にはない、単行本に納められた番外編にその秘密がありまして。

コイントスで決めるというのは、胡蝶しのぶのお姉さんの提案だったそうで。

決められないカナヲに対し、お姉さんが、一人の時はコイントスで決めたら、と提案したんです。

それはいわば、お姉さんの優しさだったんですね。

そして、その優しさの上に、炭治郎の優しさが上書きされるわけで。いわば、優しさの連鎖。

お姉さんが、一人の時には、とコインを渡し、炭治郎がカナヲは心のままに生きるように、とお姉さんから渡されたコインで決めて、カナヲをコインから解放してあげる。

そして、お姉さんは、好きな男の子ができたらカナヲだって変わる、と予言していました。

その好きな男の子ってのは、多分、いや間違いなく、炭治郎なのでしょう。

それにしても、炭治郎は6巻からモテモテですなぁ。でも、わかる気がする。一番モテそうな男の子。

やはり作者の吾峠呼世晴は女性ということもあってか、本当にモテる男を描くのが上手いような気がします。

 

 

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「鬼滅の刃」第六巻ネタバレ有り感想。第六巻はほのぼの感!!

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鬼滅の刃」全巻感想、今回は第6巻です。

これまで5冊読んだのですが、全体的な流れで言うと、物語はここまで一気に駆け抜けた印象です。

もちろん、途中で修行したり、疲れを癒したりはしていたのですが、特に炭治郎が鬼殺隊隊員となってからは、割と(カラスによって)連続して鬼を討伐しに行ってましたよね。

それがこの第6巻になって、ようやく一旦小休止といった感じ。

蝶屋敷に行ってからの印象が強いためか、全体的な印象としては、ほのぼの巻、といった感じでありました。

と、同時に次の戦い前のワンクッションといった感じでもありました。

やっぱり善逸!

第5巻は、全然と言っていいくらい、善逸の出番がなかったのですが、蝶屋敷に行ってからは久々に善逸が登場し、そして善逸は相変わらず善逸でした。

なんかねー、善逸出てくると、なんか嬉しい!

やっぱり、彼が出てくると雰囲気が一気に明るくなりますよね。彼が出てくるだけで、物語全体が彼の雰囲気に引きずられるというか。

ただ蝶屋敷編は休息の回、といった意味合いもあると思うのですが、基本的には修行の回です。ここで炭治郎たち三人は新しい技を覚えて一気にパワーアップして、次の戦いに備えます。

しかし、蝶屋敷の主が胡蝶しのぶという、雰囲気としては割とほのぼのした人だし、何と言っても善逸がいるので、修行といっても、「気合い出せ! ウラア!」のような体育会系な特訓的雰囲気はなく、どこか楽しい、ほのぼのした雰囲気があります。

とはいえ、修行の描写自体はじっくり描いているので、「成長した」という実感が読んでて伝わってきます。

ここらへん、一巻で描かれた鱗滝さんのところでの修行とは違い、あっさり感はなく、しっかり修行を描いていたと思います。ここらへん、なんか上手くなったな、って思います。

上手くなった、と言えば、以前はちょいちょい挟むギャグが割とスベりがちだったように思うのですが、この巻ではそこも上手くなっていた気がします。

鬼殺隊柱合裁判のシーンなどでは、シリアスなシーンにちょいちょいギャグを挟んできて、その固い雰囲気の間のハズし方が割と面白かったんですね。そういうちょっとした「汚し」というか「余白」というか、そういうの入れてくと、やっぱり読んでて面白味というか、そういうのを感じますねー。

鬼殺隊柱は様子がおかしい

あと今回、柱と呼ばれる鬼殺隊の、まぁ、幹部みたいな人たちが出てくるのですが、全員、それはもう一人の例外なく、全員、様子がおかしいw

もう、なんなんでしょう、まともに話が通じそうな人が、強いて言えば冨岡義勇くらいで。話が通じそうなのが冨岡義勇、という点で柱メンバーの異常性がわかろうかというものです。

何て言うんでしょう…、全員悪役に見えるw

まー鬼を相手にするわけですから、これくらい異常な連中を揃えないと、ってことなのかもしれないですけどねー。

ただですねぇ、最初はかなりヤベー奴だな、って思っていた胡蝶しのぶが、実は色々と訳有りで、彼女は彼女なりに一つ確固とした信念を持ってるってことが、炭治郎との会話でわかります。

鬼と仲良くすることを、本気で考えていて、それは鬼に殺されたお姉さんのためなんですね。

お姉さんは、炭治郎と同じく、鬼は実は同情すべき存在であることに気付いていたんです。

一方しのぶは鬼に対しては、人を殺しておいて可哀そうというのは馬鹿な話だと断言します。

でも、姉の意志は継ぎたい。鬼に哀れみを抱いていた姉と、鬼にどうしようもない嫌悪感を抱く自分、その狭間で怒りの感情が溜まっていっているのです。

非常に矛盾した思いを、常に持っている。

また、蝶屋敷編では、実は優しい人で、面倒見の良い人だということもわかってきます。

胡蝶しのぶは、僕の中で今後要注目の人になりました。

やはり、こういう自分の中に矛盾を抱え、葛藤して、その中で色々と模索している人は、どうしても気になってしまいます。

最初は、割と嫌悪感のあった胡蝶しのぶがそうなのですから、他の柱連中も今後、そうした面が見えてくるのでしょう。

鬼舞辻は昭和のヤンキー

で、一方、鬼チームは鬼チームで会合が開かれます。今回は十二鬼月の中でも下弦の鬼のみが鬼舞辻の元に集められ、一人を除き、全員ブッ殺されます(^^;;

もう、なんなんでしょう、まともに話が通じないどころの話じゃない。容赦ないです。ああ言っても殺される。こう言っても殺される。発言だけじゃなく、思っただけで殺される(鬼舞辻は、顔の見える鬼が何を考えてるかわかるそうです)。

何つーんでしょう、その逃げ場のない独裁の感じ。独裁者というよりは、昭和のヤンキー感があります。自分の舎弟に対しては、ちょっとでも自分の気に入らないことがあると焼き入れる感じ。いやー、怖いですねェー。

まぁ、そんな感じで、この鬼舞辻無惨、めちゃくちゃ強いです。下弦の鬼たちが成す術もなくやられてしまうわけですから。

ここで一つ疑問が出てきます。

なぜ鬼舞辻は炭治郎を自ら殺しに行かなかったのか。

これだけ強いのだから、例えば2巻にあったように手下を使わせるまでもなく、すぐ近くにいるし、顔もわかっているのだから、自分でとどめを刺しに行かなかったのでしょうか?

現時点で二人の戦闘力の差は圧倒的なのですから、その方が早いはずです。

そして、鬼舞辻の強さから導き出される疑問がもう一つ。

なぜ鬼舞辻は日本を征服しないのか。

鬼舞辻一人でこれだけ強い上、自分よりは力が劣るとはいえ、一般ピーポーより遥かに強い鬼を多数所有しているわけですから、戦力は既に整っているはずです。

なぜ、鬼舞辻は人に隠れるようにして暮らしているのでしょう? しかも、普段は人間として暮らしているらしい。

なぜそんなめんどくさいことをするのでしょうか?

今後、この謎にも注目していきたいと思います。

ちなみに、今回の鬼舞辻はマイケルではありませんでした。そういや鬼って、自分の形を思うままに変えられるみたいでしたね。

鬼殺隊は合議制で鬼舞辻は専制君主

そんな感じでですね、6巻では鬼殺隊と鬼チームでそれぞれ会合が開かれていたわけなんですが、なんか、この二つの勢力、対(つい)になっているイメージがあります。

なんか似てはいるんですよね。

両方共、一人の人物を頂点として、その人物に対して、基本的には絶対服従の態度を取っています。

鬼殺隊の方は当主である産屋敷耀哉を、鬼チームの方は鬼舞辻無惨を頂点としています。

ただ違うのは、制度的な点ですかね。

鬼殺隊の方は、柱連中は産屋敷に対して非常に礼を尽くしてはいるものの、平気で意見したり、「柱合会議」なるものが開かれていることから、一定の合議制ではあるらしい。

反対に鬼チームの方は、これはもうどうしようもないくらいに鬼舞辻無惨の専制君主制が採られているわけです。

なんとなーく、イデオロギー的なぶつかり合いのようにも見えてきますねー。

今後そういう思想的、というか、各々が内に持っている精神面での対決も見所になってくるように思えます。


 

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「華氏451度」ネタバレ有り読書感想。異質なディストピア小説?!

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ディストピアを描いた作品が好きです。

映画とか小説とか、漫画とかでもですね、結構観たり読んだりしてるんですけども。

その中で、「華氏451度」という、名作との誉も高い小説があります。

フランソワ・トリュフォーによって映画化もされ(その時のタイトルは「華氏451」)、おそらくは有川浩の「図書館戦争」にも多大なる影響を与えたと思われます。

でもこの作品、ディストピア小説としては割と異質な小説なのではないか、と思います。

全体を説明しない

この小説で行われている「出来事」に関しては、割とわかりやすくはあると思います。話の筋としては単純だし、人間関係も割と単純。

でも、具体的な状況の説明がほとんどないんですね。

ディストピア小説って、割と設定が重要じゃないですか。

時代は現在よりも過去か未来か(だいたい未来なんですけど)、場所はどこなのか。そして最も重要なのは、どのような社会形態でどのような暮らしが営まれているのか。

そういうのが、割と長い尺を取られて説明されたりします。設定厨の僕としては、そういうの読むのが大好きなんですけど、人によっては「説明が長い」と敬遠したりもして、まぁ、そこらへんは賛否両論なのですが。まぁ、ディストピア小説の醍醐味の一つではあると思います。

ところがこの小説では、舞台となる国の社会状況の詳細、全体像はほぼ語られていません。

大統領選挙があるらしいことは、会話の中からわかるのですが、その大統領がどれくらいの権力を持っているのか、どういう政治体制なのか、ハッキリと語られませんし、正確にはわかりません。

戦時中であるらしいのですが、どこの国と交戦中で、今現在どういう戦況なのかもわかりません。徴兵制があるのかどうかは、もちろんわかりません。

とにかく、どういう社会なのか、その詳細は語られていないんです。

というのもですねー、三人称小説ではあるのですが、小説全体を通して主人公・モンターグ個人の目線を徹底して追っているから、というのがその主な理由の一つであると思います。

個人の目線でしか描写しないから、全体的な状況がわからないんですね。

三人称小説だったら、パッと視点が変わって、例えば政府高官たちの会議の場面になって、今現在どんな状況か、彼らの思惑はどうか、などなど全体的な状況を説明することできるじゃないですか。

でもこの小説は、それしないんです。三人称でありながら、徹底してモンターグの周囲のことしか描かないんですね。

この「全体を描かない」という点で、ディストピア小説としては異質だと思うんです。

ディストピアものって、その主人公が置かれている状況、全体が、先ずは何よりも大事じゃないですか。でも、この「華氏451度」では個人を延々とフォーカスしていくっていうのが、非常に特徴的だと思います。

なぜそんな作りをしたのかっていうと、個人的な予想としましては、この作品のテーマの一つが「本」だからだと思うんです。

本を読む、ってすごい個人的な行為じゃないですか。例えば、テレビとかだと家族とか友達とかと一緒に見れますよね。でも、本は…やってできないことはないですけど(笑)結構厳しいですよね、同時間的にシェアするの。

だから作品の形態としても個をひたすら追っていくというスタイルを取ったのかな、と。

あとは知識と思考ですね。知識と思考を取り戻す、ってのもこの作品のテーマの一つだと思うんですけど、これらも個人的なことですよね。だからやっぱり、個を追っていくスタイルじゃないと成立し得ない作品だったのかな、と思ってしまいます。

強力な管理がない

ディストピアものって、大体徹底的な管理体制があって、その息苦しさ、出口の見えなさから、主人公が逃げ出したい、っていうのが醍醐味だと思うんです。

でも、「華氏451度」では、そこまで強力な管理はされていないみたいなんですね(なんせ全体がわからないので「みたい」としか言えない)。

確かに、本を持ってると、徹底的に家探しされて、本を燃やされて、逮捕されてしまいます。

でも、それ以外は、特段管理されている感じはありません。現在の民主国家とあまり変わりがないように見えます。

でも、ゆるーく管理されてるんですね。これが怖い。

学校は詰め込み式の記憶させる科目ばかりで、思考力を伸ばすものはないみたいです。

「余暇」の時間がなくなっているようです。仕事後の時間はあるのですが、プライベートな時間ではゲームをしたり、「壁」と呼ばれている(多分)テレビを見たり、とにかく自ら思考するような時間を持たなくなっています。

家の建築には、ポーチがいつのまにかなくなり、庭もどんどん狭くなっていっているようです。なぜなら、ポーチに座ってると、色々考えるじゃないですか。同じように広い庭で佇んでると、やっぱり考え事に耽るじゃないですか。

てなことを、モンターグが出会う登場人物たちが言うんですね。要するに、人々から考える力、考える習慣を奪ってしまおう、という、多分「政策」らしいんですね。

これらの政策って、別に特段強要してるわけでもないですよね。管理されてるといえばそうですけど、割とゆるいですよね。

でも、これが怖いんですよね。なぜなら、ゆるいから自分たちが管理されてることがわからないんでしょうね。

ここが、他のディストピア小説と違うところで、他のディストピア小説と比べて怖いところだと思います。

だから、みんな知らず知らずのうちに、自分たちを縛っていくように行動していってるんです。夫と話をするより「壁」(多分テレビ)を見たり、一生懸命詰め込みの勉強してみたり。

あとは密告ですね。モンターグが本を持ってる、ってことを密告したのは妻なんですね。

多分これは、お互いがお互いを監視してるんでしょうね。信頼していたはずの人間が実は政府の手先として振舞ってしまうという。

ゆるーく支配されて、人々も知らず知らずのうちに自ら支配されることを望んでいくという。

非常に怖いですね。

昇火士隊長が不可解

主人公・モンターグの上司のベイティーという人がいるんですけどね。この人が不可解で。

先ず、焚書を行う昇火士のくせに、やたら本に詳しい。実は本を読みたがっている、本を所持しているモンターグなんかよりも全然詳しい。まさに博覧強記という感じ。

そのくせ「本なんて下らないし、悪だ」みたいなことを言うのですが、本は素晴らしいと言っているように聞こえてしまうんです。

また、政府の政策をかいつまんで説明したりもするのですが、これは相当ヤベー政策してやがんな、ということがわかる感じなんです。

作者の言いたいことを悪役に言わせる、という手法は割と王道だと思うのですが、このベイティーもまさにそんな感じなんですね。

ただ不可解なのは、ベイティーが言ってることは主人公が薄ぼんやりと思ってる本の魅力について、明確な形を与えるようなことなんです。つまり、昇火士という立場の人間が言ってはいけないような内容なんですね。もちろん、本を否定してはいるのですが、取ってつけたように否定しているというか。

思うんですけど、ベイティーは実はモンターグになりたかった人だったのではないかと。

本当は本を焼きたくはなくて、本の読める社会にしたい。でも、それを諦めてしまって、その思いをモンターグに託したのではないかと。

モンターグは逃げるためにベイティーを焼き殺してしまうのですが、後になってモンターグは、ベイティーが自分に焼き殺させようとしたのではないか、と気付くんです。

ベイティーはこの世界に絶望し、そしてモンターグを逃すために焼き殺させたのではないかと。

ひいてはベイティーはモンターグのように逃げて、本をつなげていきたかったのではないかと、思うのです。


 

 

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「鬼滅の刃」第五巻ネタバレ有り感想。吾峠呼世晴は平沢進のファンだった!!

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鬼滅の刃」全巻感想、今回は第五巻!

五巻まで来るとそこそこ読んだ感が出てくる一方、「まだ五巻」という感じもあります。まぁ全部で23巻もありますからね。マラソン企画、やはりまだまだ序盤といったところでしょうか。

いや今回、更にいよいよ本域という感じになってきましたねぇ!

前回は奇数巻が今一つで偶数巻が面白い、みたいなことを言ったんですけど、奇数巻の今回、一番ゴツンと来たかもしれません。

ちなみに、鬼という言葉は元々「隠」だったそうで、意味合い的には、形のない恐怖や不安のようなもの、だったらしいです。

それが、鎌倉時代以降、形が描かれるようになり、現在の形に至ったらしいです。

更にちなみに、鬼門とは、北東の方角で、丑と寅の間であるようです。だから、鬼には牛の角が生えており、虎のパンツを履いているらしいです。

そういえば、「鬼滅の刃」の鬼は角も生えていなければ、虎のパンツも履いていませんね。

絵、上手くなった?!

先ず、五巻全体を通しての印象なんですけど、絵、上手くなりました?

それまでは、時折光るものはあるものの、絵下手だな、と思ったり、雑すぎじゃね?と思ったりしたことも多々ありました。

しかし今回、一巻通して、絵の粗さを感じることはありませんでした。

長期連載によって、いよいよ絵がこなれ、上手くなってきた感じがありますね。非常に読みやすかったです。

やはり漫画にとて、絵ってすごく重要なんだな、って思います(当り前ですが)。

ただまぁ、こうなってくると、一巻にあったようなガロっぽさが、早くも懐かしくもなってきたり(^^;; いやー、身勝手なもんですけど、読者ってのはそんなもん。

多分、これからもっともっと上手くなっていくんでしょうね。

その点も、楽しみです。

DVではなく、偽りの家族

四巻では、蜘蛛の鬼一家がやたら家族家族と言ってるんですね。家族に手を出すな、とか、家族というものはこうでないといけない、とか、そんな感じ。

で、その割には、えらいDVがあったり、家族相手にけなしてたり、この家族ちょっと様子がおかしいな、とは思ってたんです。

僕は四巻の段階では、鬼を使ってDV問題に切り込んでいくのか、と思ってたんですけど、そうじゃなかったです。完全に騙されましたね。

なんと家族ではなかったという。

それは鬼にされた孤独な子供が作ろうとしていた家族だったんですね。つまり疑似家族。作品中では「家族ごっこ」なんて揶揄されてました。

でも、その子供の家族像はすごくいびつで、年長者は年少者を命がけで守らなくては「いけない」という、非常に強制的な役割論を振りかざすものだったんです。

まさに炭治郎と禰豆子とは対照的な家族のあり方でした。作品中でもすごくわかりやすくそういう描写があります。

そういう絆みたいなものって、強制的にされるもんでは決してなく、かといって始めから自然に、厳然とそこにあるものでもない。

それは双方必死に歩み寄ってようやく築けるものですからね。

疑似家族でも家族の絆はできると思うんです。逆もまた真なり、なんですけど。でも、ここでの鬼には、群れていても絆を作ることはできなかった。

鬼は群れない、というのがこの作品での定義ですが、逆に言うと鬼は常に一人なんですね。今回のように力の上下関係による恐怖で縛ることでもしない限り(今回の鬼の能力の蜘蛛の糸は、まさに「縛る」ということの具現化なのかもしれません)、群れることが「できない」のでしょう。

そこに何か、鬼の秘密というか、業というか、運命めいたものがあるようで、ちょっと今後そこにも目が離せません。

それで、なんでこの子供の鬼が家族を作ることに固執していたかというと、まぁ、ざっくり言ってしまうと、過剰に親に依存し過ぎていたから、なのかもしれません。

ただ、そこにも理由があって、致し方ないところは、正直あると思います。そしてそこを鬼舞辻無惨につけ込まれた。ここでも鬼舞辻が暗躍していたわけなんですね。

どうも鬼舞辻は単に人を鬼にするだけでなく、何か、狙って人を鬼にしているような印象を受けます。誰でもいいわけじゃないというか。

それで、ここがこの話のやるせないところなんですが、親を殺した最後の最後に、この子は親の愛情に気付くんですね。でも、鬼舞辻によって、それを捻じ曲げられてしまった。

また、鬼になると人だった頃の記憶が消えるんです。これがまた辛すぎるところで。記憶がなくなると、もう、完全に関係性を絶たれてしまうというか。後悔という名の、ある意味絆すらもなくなってしまうんです。

だから、何で自分が家族を作ろうとしているのか、それすらもわからなかったんです。

でも、富岡義勇に斬られて、今度は命の尽きる最後の最後にわかるんです。それは炭治郎が鬼の体に手を触れることによって、思い出すんです。

謝りたかったんですね。ご両親に。

でもそれもできなくて、人を何人も殺したから、自分は地獄へ行くだろう、って悟るんです。

そしたら、これまた最後の最後に、ご両親が出てきて、一緒に地獄に行く、って言うんです。

これは、鬼が思った独りよがりな幻影かもしれません。でも、そう思えたんですね。

最後の最後、自分を殺そうとした親が、実は鬼と言う畜生道に堕ちた自分を救ってくれようとしていたことがわかって、そしてどこまでも寄り添ってくれる、そう思えたのは、せめてもの、救いとは言いませんが、まぁ、慰めみたいなものにはなったのかもわかりません。

是枝裕和の映画のキャッチコピーにもあったのですが、人生はいつもちょっとだけ間に合わないんです。

炭治郎、初めて鬼を語る

そんな感じで、子供の蜘蛛鬼の過去を、炭治郎は具体的にはわからないながらも、彼特有の鋭い嗅覚でそれとなく察します。だからこそ、鬼の遺体に手を差し伸べるのですが、こともあろうに、富岡義勇はその鬼の服を踏みつけます。

これに炭治郎は怒るんですね。

この時の富岡義勇は負ける寸前だった炭治郎を助けてくれた、謂わば命の恩人なのですが、それでも言わずにはいられなかったのでしょう。

そしてこの時、初めて炭治郎は鬼について言葉で語るのです。

曰く、鬼とは悲しく、虚しい存在、醜い化け物などではない。

そして、鬼は自分と同じ人間だった、と言うのです。自分と同じ。

何と言うか、ここからがいよいよ物語、というか、この作品のテーマの、本当始まりという感じがします。

ただ、このことは、鬼殺隊試験の時、初めて鬼を討ち取った時に、もっと描写して欲しかった気もします。

初めて鬼を倒した時、即ちそれは、鬼がどういう存在なのか初めてわかった時。既にそれは初めての時にあったはずです。

多分、それまでは炭治郎にとって鬼とは、家族を殺した憎むべき存在に過ぎなかったのだと思います。しかし、鬼を倒して、鬼の人生の臭いを嗅いだ時、鬼とはどういう存在か、初めて知ったと思うのです。

その時、炭治郎はどう感じたか。

ひたすら仇の存在から、悲しく虚しく、元は自分と同じ人間で、醜い化け物ではない。

それは、真逆とまではいかないまでも、相当な認識の変換だったはずです。

その時の炭治郎の心情を、もっと描いて欲しかった。

吾峠呼世晴はテクノファンか?!

それで、驚いたのが、手描きのあとがきにあった、読者からプレゼントされた平沢進のBOXへの感謝の言葉。

吾峠呼世晴って、多分、P-MODELのファンだったんですねー!

まさかのテクノファン!

これには驚きました。

ひょっとしたら、長州力のテーマソング「パワーフォール」も聴いてるかもしれません。いや、間違いなく聴いてるでしょう。

まさか「鬼滅の刃」と革命戦士が繋がるとは思いませんでした。

それにしてもP-MODEL…。いやあ、意外すぎました。


 

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