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僕が買ったもの、観に行った映画・ライヴなど、要は金を払ったものに対して言いたい放題感想を言わせてもらおうというブログです。オチとかはないです。※ネタバレありまくりなので、注意!

アニメ「ダンジョン飯」第1~3話ネタバレ有り感想。設定も作画も丁寧、キャラも魅力爆発!!


ある日、「PONTSUKA!!」を聴いていたらですね、「ダンジョン飯」がアニメ化されるにあたり、BUMPが主題歌を担当することになった、という話が出てきまして。

「へー」なんて思って。「ダンジョン飯」自体は知っていたのですが、なんとなく異世界ゆるゆる生活系のまったりした、毒にも薬にもならない感じの、最近流行りのそういったものなのだろう、と全く興味がなかったんですね。

でも、BUMPのメンバーは全員が大ファンだという。ふーん、だったらまぁBUMP主題歌だし、主題歌のチェックだけでも損はないから観てみるか、と思ってたんですね。

そしたら、僕の友達みんな知ってて。しかもみんな面白いっつってる。

なんかすごい悔しくて。俺だけ完全に置いてけぼりにされてる感じで。

これはイカン!と思い、早速アマプラで観てみたのですが、なるほど、これは面白い!

PV

youtu.be

 

第1話

先ず思ったのが、意外と(失礼!)異世界、ダンジョンの世界観がしっかりと作り込まれている、練られている、ということですね。

ここらへんの作りがしっかりしていると、物語の世界を割とリアルなものとして感じることができるので、物語に入っていきやすい。そして登場人物とかにも感情移入しやすい。

そうなってくると、登場人物と一緒に、なんかちょっと異世界を「旅している」感覚にも浸ることができて、ちょっとしたアトラクションのようにも楽しめて、実に楽しい。

で、ダンジョンって結構危険なものじゃないですか。名うての戦士じゃないとおいそれとは近づけない、みたいな。でも、この作品って、もちろんそういう側面はあるのですが、割とポップにダンジョンに潜っていくんですねw その軽い感じが、逆になんか、良い。

というのも、そういう軽いノリでみんな入っていくから、ダンジョンの中にも街みたいなものが作られて、文化が形成されているんですね。文化が形成されるということは、生活が生まれるということです。

この物語の肝は「ダンジョンの中の食生活」、しかも「自給自足」です。だから、そういった生活感を醸し出すことが必要不可欠だと思うんです。そういった状況設定、世界作りも非常に抜け目ない感じがするし、やはり「異世界」を、なんというか肌で感じることができる(いや、実際もちろんできてないですよw でも、そんな気分に浸れる)。

そして、物語中にも言及があったのですが、魔物なりの生態系も形成されているんですねー。自給自足、ってことは狩りということです。キャッチアンドイートを観る者にリアルに感じさせるためには、魔物といえど生物、その生物がどんなものなのかを細かく設定する必要があるはずです。

なぜなら、どういった魔物(生物)であるかによって、調理法、そして味や触感まで決まって来るわけです。だから、ここの設定が「ざっくり魔物調理しましたー」では面白味がゼロになってしまいます。こういったところを丁寧に作り込んでいくところが、実に素晴らしい。

そしてあとは、キャラの魅力ですね。一話にして(これから増える可能性も大ですが)メインキャラ四人がそれぞれキャラ立ちまくり。やっぱり面白い作品はキャラクターですよね。

で、第一話の方なのですが、冒頭でいきなり魔物(レッドドラゴン)にやられてしまうので、夢オチ冒頭か、と思ったんですけど、そんなことはなく、主人公の妹がいきなりそのレッドドラゴンに食われてしまいます。

こりゃ一大事!となるところで、実際そんな感じではあるのですが、しかし割とポップに蘇生できる世界観らしく、緊急事態と言いつつ、のんびりした空気が漂っています。消化されるまではまだ余裕あるかー、といった感じw …どんな世界観だw

でも、そののんびりした感じが結構良かったし、やはり調理の感じが実に良い。作画も丁寧だし、料理場面もすごく美味しそう!(魔物だけど)

設定が細かく作り込んでいる上にキャラも立ってる。そして作品の雰囲気も良い。そんな感じで、今後の展開が楽しみになってきたので、継続視聴することに決めたのでした。

第2話

今回は、基本的には、キャラの魅力が炸裂したような話でした。もちろん、このアニメ(漫画)の肝でもある料理の魅力は言わずもがな、なのですが。

今回は前後編に分かれておりまして、前編はマルシル、後半はチルチャックがメインのお話し。そこへセンシが絡んでくる、という展開ですね。

先ず、マルシルなんですけど、基本的には金髪エルフでエメラルドの瞳を持つ美人です。大体9割方辛い目に遭っていますw 性格的には真面目だけど明るく外交的ですごく可愛い。僕、この人大好きです。

でも、役割としては、リアクション担当w そして、なかなかのポンコツw 金髪エルフで真面目で明るいのにリアクション担当にしてポンコツw しかし、そこが良い! そこがツボ! それに、設定的にはすごく強いらしいし。

で、このマルシル。真面目なだけでなく、多分優等生だったんでしょうね。多分魔法学校みたいなとこがあって、そこで成績優秀で、だから強くもあるんだろうけど。

このエピソードでは、野菜が欲しいということで、引っこ抜くと金切り声を上げて大変という草(名前忘れた。確かハリポタにも出てきたと思う)を取らなきゃいけないんだけど、そんな感じで普通に引っこ抜いてしまうと大変なことになってしまいます。

だからマルシルは参考書の通りにやろうとするのですが、急のことなので準備が足りない。そこへセンシが叫ぶ前に狩ってしまって、バンバン取っていく。その方法は正規の方法ではないのですが、センシは逆にマルシルと違って、多分叩き上げ。経験に裏打ちされた合理的な方法で効率良く事を進めていきます。

そんなセンシに焦ったマルシルは大蝙蝠を使って引っこ抜こうとします。引っこ抜くこと自体には成功しますが、なんせコウモリは飛びますからねw 運悪くマルシルの元に飛んできてしまって、マルシルは金切り声をまともに浴びてしまいます。

でも、その後の展開がなかなか良くて。結局、切らずに引っこ抜いたマルシルのものの方が美味しかったんですね。それ見てセンシが、自分は合理的に過ぎたかもしれない、と反省するんです。

教科書通りの優等生なマルシルの方が遠回りながらも質の良いものを提出し、叩き上げで経験豊富なセンシの方が合理に走り過ぎてしまって量は取れたものの質は下がってしまった。

この対比って、普通は優等生と叩き上げが逆のようにも思うのですが、よく考えたら、こういうこともままあることなのかな、とちょっと思ってしまいました。

で、後編はチルチャックが主役回って感じだと思うんですけど、より変態性が前面に出てくるのはセンシの方だったりします。

チルチャックはハーフフットということもあり、見た目一番子供ですが、本人曰く子供ではないらしいです。鍵開けや罠を見破るスペシャリストですが、その風貌とは裏腹に、実はすごい職人気質。自分の仕事に口出しされるのを極度に嫌います。

しかし、センシの食に対する貪欲さ、変態性はチルチャックのそんな気質を凌駕してしまいます。その押しの強さに折れるチルチャック。しかしこのセンシは本当に変態です。なんせ罠の仕掛けを使って天ぷら作ろうってんですからw

そんな感じで一見するとチルチャックが押されまくってこの回の主役の座を奪われてしまったようにも見えますが、チルチャックはその風貌とは裏腹に、このパーティではツッコミ担当の毒舌ガイの皮肉屋。そんな料理変態・センシに対し、ツッコミまくり毒づきまくり。まさにチルチャックの本領が発揮されていると言って良いでしょう。

そんな感じで今回は三者三様、それぞれの立ち位置でその存在感を存分に発揮した変態回でありました。

第3話

今回は一話ブチ抜きのワンエピソードでした。今回の主役はこのアニメの主人公でもあるライオスです。これまでも主役ならでは存在感を発揮してきたのですが、今回はライオスの回です。

もうね、ホント変態www 一番のバカwww これで結構強くて、ダンジョンに対する知識も経験も豊富ってのがまたツボ。いや素晴らしい。

だって、鎧食おうとするんですよ! 鎧ですよ、鎧。鉄ですよ、テツ!

アホでしょwww さすが変態パーティリーダーwww

ただ今回、ライオスの変態性も炸裂し倒してて、そこも面白いのですが、個人的に一番ツボだったのは魔物ですね。

なんせ今回の魔物は「動く鎧」と思わせといて、実は「貝のような未知の魔物」!

どういうことかというと、鎧を貝殻に見立てて、それぞれの個体(軟体動物)が各々人間の体の部位を担当して鎧を動かしてたってんですから。だから、言ってみれば、貝とヤドカリを混ぜた感じなんでしょうかね。

この発想力はすごいと思います。少なくとも、僕はこんな創造上の生き物、見たことありません。

なるほど、考えたなぁ。

そして、当然調理するのですが、もちろん貝のようで、めちゃくちゃ美味そう!(このアニメ、料理シーンが本当に秀逸です!)

基本的には牡蠣ですかね。お吸い物とかも作っちゃったりして、魚介類が大好きな僕としては、それはそれはもう美味しそうで、たまんなかったですね。

思わず自分も食いたくなっちゃったんですけど、絶対に食えないんですよね。だって、あれはアニメの中にしかいない生物だから…。

でも一瞬、自分も食べたい!と思わせるくらい、設定も作画もしっかりしていて細かい。

いや、ホントよくできてるな、このアニメ。


 

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イワクラ「特撮大百科」のガイガンはガイガンフィギュアの決定版!!


ガイガンが好きです。

めちゃカッコいいですよね!

そして、僕は10cm未満くらいの怪獣フィギュアが好きです。

ただ、何でもかんでも集めるのではなく、「これは!」と思うクォリティのものだけを集めたいんですね。

で、随分前にイワクラという会社から発売された特撮大百科と銘打ったシリーズのガイガンがありまして。

これが、もうめちゃくちゃクォリティ高いんです! そこらのソフビは完全に越えてるし、なんならガレキくらいのレベルに達しています。

それをですねー、ずっと欲しかったんですけど、先日、遂に購入しました!

やっぱね……良い!

 

 

エポックメイキングなデザイン

ガイガンの何がいいって、そのカッコ良さですよ! とにかくデザインが良いんですよね。

一説によると、このガイガンから怪獣デザインが次のフェーズに移ったらしいですね。

確かに、ガイガン初登場である「地球攻撃命令ゴジラガイガン」の公開は1972年の3月。ウルトラマンAの放映開始が1972年の4月。

ちなみに、去年はガイガン生誕50周年で、各所で結構ワイワイやってましたね。

で、怪獣デザインなのですが、それまで、つまり「帰ってきたウルトラマン」までは、主に恐竜などをモチーフとした、とちらかというとリアルめ、つまり実在した生物からそれほど逸脱しないデザインが主流だったと思んです。

それが変わったのが「ウルトラマンA」だと思います。振り返ってみると、Aからはかなり大胆なデザインが増えた気がします。

言ってみれば、ガイガンから「何でもアリ」なデザインに移行したのではないでしょうか。それまで、これほどトンガったデザインの怪獣って、なかったと思うんです。

そんな、後の怪獣デザインの「基準」となった、エポックメイキングであるかもしれない怪獣、それがガイガンなんですね。

ひと頃離れてしまっていた

そんなカッコいいガイガンなので、当然幼少の頃は超大好きでした。なんというか、エキセントリックな派手さの中にもスタイリッシュさを感じていたと思います。

それにしてもシビれるデザインですよね。腕は鎌、極めつけは胸の回転カッター。全身まさにこれ凶器。実に悪意に満ち溢れています。近寄れない感じですよね。実際、うかつに近寄ったアンギラスは回転カッターで血まみれにされています。ヒー。

でもですね、一時期離れてしまっていたんですよね。

その頃は、やはりリアルめな怪獣の方がいいんだ、って思ってまして(まぁ、怪獣と言ってる時点でリアルじゃないんですけど)。初期東宝怪獣とか、初代~帰ってきたまでくらいの怪獣に惹かれてたんですね。

今でもそういった好みの傾向はあるけど、当時はそれがもっと強かった。そんなんだから、そういうのとは違い、エキセントリックなデザインであるガイガンは「なんかちょっと違うな」と思ってしまっていたと思います。

あと、メカゴジラとかもちょっと違うかな、って感じでした。「ロボットであって怪獣じゃないよな」とか、多分そんな感じ。とにかく実在の生物っぽくないものはちょっとアウトな気分の時期があったのです。

でも、しばらく間が空いて、改めて見てみると、やっぱカッコいいんですね。サイボーグってのがいいですよね。その半分メカとか、フォルムとか、それこそ、その後のメカゴジラへの布石のようでもあります。


でも、メカゴジラは後の平成シリーズとか、果てはハリウッド版、はたまた「RERDY PLAYER ONE」にまで出てきて、その活躍は世界に広がっていったのですが、ガイガンはというと、そういった意味ではパッとしない。ファイナルウォーズに出てきたのもデザインはクソみたいなものに変えられてしまっていたし…。

でも、その後、自主制作のCGでめちゃくちゃカッコいいガイガンが出てきて、話題になりましたよね。あれはホントかっこ良かったなぁ。

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フィギュアの存在を知る

そんな感じで、ガイガン熱が再燃してきたわけですが、そうなってくると、当然欲しくなってくるのがフィギュアです。最近のはソフビにしても食玩にしても、フィギュアは出来がいいですからね。

ただ、ことガイガンに関しては、なかなかクォリティの高いフィギュアがない。

もちろん、30cmとかの大きいサイズになってくるとクォリティの高い(値段も高い)の多いですけどね。でも僕が欲しいのは大体6~7cmくらい、せいぜい10cm未満のものなんです。

これくらいのサイズのフィギュアもなかなかバカにできなくて、例えばアートワークスのアンギラスなんかは、30cmフィギュアすら霞むくらい、めちゃくちゃよくできているし、酒井ゆうじ氏の「ゴジラ名鑑」「ゴジラ全集」シリーズなんか、もはや伝説の域に達しています。

ただ、ガイガンのフィギュアでそういうのは、なかなか見つけられなかったんですね。

そうなってくるとターゲットになってくるのがHGなのですが、これがなかなか良いのがない。最近のHGはクォリティが高くなってるのですが、ことガイガンに関しては微妙なものしかない。

そんな感じで、ガイガンフィギュアはずっとスルーし続けてきたんですけど、どのタイミングだったかは忘れたのですが、ネットで見つけたんですね、めちゃくちゃハイクォリティなガイガンフィギュアを!

それが、イワクラというメーカーから発売されていた「特撮大百科」というシリーズのガイガンだったわけです。

ただですねー、それ見た時思ったのが「そういやあアキバ行った時、こんなのあったなぁ」でしたw その頃はガイガン熱が下火になっていたのかなぁ。或いは、ガイガンはなかったのかもしれないですね。ま、とにかく見つけたわけですよ、ハイクォリティガイガンを!

自分が知る限りではNo.1のクォリティ

このイワクラガイガンなのですが、もう、とにかくね、フォルムが素晴らしい!

顔の造形から、全体のシルエット、そして腕を振り上げたポージングまで全てがカッコいい! 特にすごいのは鱗の感じですね。この凹凸、立体感が実に素晴らしいです。

あとね、色が全体的にくすんでるんですけど、これが逆に良いんですねー。結構、他のガイガンフィギュアって、色が鮮やかだったりするんですよね。でもそれが、逆に安っぽくなっちゃってるんです。

そこへいくとこのガイガン。くすんだ色合いが非常に重厚感を醸し出していて、めちゃカッコいいです。


ただ、少しデカいかな。だいたい高さ8cmくらいですかね。僕は高さをだいたい揃えたいんですけど、この大きさだと僕が持ってる他のフィギュアとは微妙に揃わないんですね。

ゴジラ全集が6.5~7cmくらい。HGもそれくらい(最近のはちょっとデカくなっちゃってますが)。だから、このガイガンだけちょっと大きくなっちゃってる。

ただまぁ、劇中でのサイズ比ということであれば、むしろ丁度いいんですけどね。ゴジラより頭一つ近く大きくなるから。それにまぁ、サイズ感という観点からすると、大体同じくらいであることには変わりないですからね。

ま、とにかく、買って改めてわかったことですが、このサイズではこれ以上のガイガンフィギュアはないですね! もう、最高。


 

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「ゴジラ-1.0」ネタバレ有り感想。俺が観たゴジラ最恐! ゴジラを使って「映画」を撮った!!

絶対観なくてはいけないと思っていた「ゴジラ-1.0」を観てきましたー。

いや、凄かった。素晴らしかった。

僕の中では「シン・ゴジラ」越えましたねー。あっちはあっちですごく好きだし、スゲエ良くできてるなー、と思うですが、それくらい、今回の「ゴジラ-1.0」が良かった、ということです。

IMAXレーザーで観たんですが、それがまた更に良かったことに後から気づきました。

いうのも、IMAXレーザーだと冒頭のゴジラが原寸大で見れるらしいのです。どうりで迫力が半端なかったわけだ。

というわけで、感想です。

 

やっぱり怪獣映画はIMAX

やはりIMAXだと迫力が違いますねー。

こういうCGをふんだんに使ったSF系の映画はIMAXに限ります。山崎貴VFXゴジラはめちゃくちゃに迫力ありました。

特に冒頭の大戸島に現れたゴジラが一番怖かった! なんでも、冒頭でも言った通り、原寸大だったそうです。そりゃ怖いはずだ。こんなに怖いゴジラは初めてでしたからね。

おそらく、VFX的に、またゴジラという怪獣の演出的にも、ここに一番力を入れていたのではないでしょうか。

というのも、先ずゴジラのサイズが小さい。小さいっつってもデカい。どういうことかというと、リアルなデカさなんです。

人が最も脅威を感じる大きさって、身長10m、せいぜい30mらしいですね。だから、50mのゴジラは実はデカすぎちゃって、背筋も凍るような怖さにはならないんです。

過去ゴジラの影響たくさん

ここらへんは「シン・ゴジラ」を参考にしているように思います。「シン・ゴジラ」は最初の方は小さく、だんだんと大きくすることで、怖さの持続を演出していました。

もちろんゴジラだから、最終的には大きくしなくてはなりません。多くの観客はそれを期待しているからです。50m以上の大きさがなくてはゴジラである意味がない。でもそうすると怖くなくなってしまう。

大きなゴジラを怖く感じてもらうためには、最初に人間が最も恐怖を感じる10mのサイズを見せておけばいいわけなんです。最初に植え付けられた恐怖は、トラウマ的にその後の巨大すぎるゴジラを見ても身の毛がよだつようになる、というわけです。

ちなみに、「ゴジラ-1.0」では「シン・ゴジラ」だけではなく、過去の様々なゴジラ映画へのオマージュがそこここに見られました。それは日本版だけでなく、ギャレゴジへも及んでいましたねー。典子が銀座で電車の中から初めてゴジラを見たショットなんかは、ゴールデンゲートブリッジで子どもたちがバスの中からゴジラを見たショットに酷似していました。

冒頭ゴジラが怖すぎた!

で、この大戸島のゴジラなんですが、「シン・ゴジラ」に比べて、観客への恐怖の植え付け方が格段に上であったと思います。

大きさもリアルな恐怖を感じるものだったのですが、何より怖かったのは下から見上げるカットばかりだったから。間違っても俯瞰でなんか撮らない。これにより臨場感と、なんというか「体験感」が出てくるのです。

俯瞰にしてしまうと一つ冷静になってしまうというか。そんなことはさせないわけです。

それにもちろん、ゴジラの大きさを強調するため、というのもあります。

また、ゴジラの存在感の演出もあると思います。ゴジラとは人間が見上げることしかできない存在。絶対に敵わない存在。そういうことをこれでもかとばかりに見せている。

間近で真上に見上げるゴジラは、IMAXの映像、音響もあって、それはもう本当に怖かった。今まで見たゴジラの中で背筋が凍るほどの、割とリアルな怖さを感じたのはこのゴジラが圧倒的に一番でした。

ちなみに、この時のゴジラの足は恐竜でもありました。しかし、後に銀座に上陸したゴジラは昔ながらのゴジラの足だったと思います。おそらく、大戸島では観る者に恐怖を植え付けたかったため、できるだけリアル志向にしたのでしょう。どうしても、昔ながらのゴジラでは着ぐるみ感が出てしまい、「恐怖する」というわけにはいかなかったかもしれないからです。

あと、世界市場も視野に入れていたと思います。特に欧米史上。というのも、欧米人にとって、科学的知見というのが特に重要だからです。だから着ぐるみ風の足では、彼らにとっては一気に笑いの方への振り切ってしまい、恐怖へとは繋がらないのです。だから、この時のゴジラは科学的知見に立った「リアルな」恐竜の足でないといけなかったのでしょう。

ゴジラに背負わされた業

そしてこの「大戸島ゴジラ」は敷島に業を背負わせる。

敷島が20mm砲を撃たなかった(撃てなかった)せいで、橘を除いた整備隊を全滅させてしまうのです(いや、撃ったところでわからんけど)。

そのことが後の敷島に呪いのように付きまとい、映画全体を覆うこととなります。だから敷島は典子と結婚することもできず、女の子の父親を名乗ることもできません。

これはおそらく、第1作「ゴジラ」の裏設定である、ゴジラとは戦争で亡くなった人たちの亡霊である、ということを踏襲しているように思うのです。

ゴジラとは、大戸島で敷島が見殺しにした亡霊である。また大戸島の夢に何度もうなされる敷島の姿を見て、イーストウッドの「アメリカン・スナイパー」の主人公・クリスを思い出してしまいました。

抗って、生きろ

思えば映画前編では、敷島は他人よりも自分の命を優先させてきたように思います。特攻から逃げ、ゴジラから逃げ、結果論ではあるけれど、典子の犠牲の上に命を救われた。

ただ、それについて、僕は攻める気にはなれません。むしろ生物として自然な姿のように思えます。

そして、野田は「この国は人の命を粗末にし過ぎた」と述べました。このセリフがまた凄かった。あ、言っちゃうんだ、って思います。なんていうか、日本って人を資源にしか見ていないところがありますよね? それはお上だけじゃなくて民間でも。甲子園なんて、すごくわかりやすい例ではないでしょうか。

ラストではゴジラへ特攻するつもりだった敷島はパラシュートで脱出します。これは橘が仕込んだものなのですが、爆弾の安全装置を外したと同時に作動する自動のものではなく、操縦者が手動で作動するものでした。つまり、特攻するつもりだった敷島は自ら生きることを選んだのです。パラシュート脱出を無線で確認した橘が安堵して涙を流すのもまた良かった。

この映画のキャッチコピーは「抗って、生きろ」。まさに、テーマがそこにあったのです。

シン・ゴジラ」との圧倒的な差異

このテーマは先の大戦へのアンチテーゼだけではないと思います。更に言えば、山崎貴は秋津に「情報隠蔽はこの国のお家芸」とまで言わせました。

これは現代にまで通じる批判であり、その意味でこの映画は反戦だけに止まらず、現政府へも批判しているのです。

ここに「シン・ゴジラ」との圧倒的差異があると思います。

シン・ゴジラ」も「ゴジラ-1.0」と同じく、第1作「ゴジラ」のリブートを狙って作られたものでしょう。しかし、「シン・ゴジラ」には第1作「ゴジラ」のような恐怖、迫力はあるけど、批判精神が、ないとは言わないけど、希薄。

いやむしろ、批判すべき国におもねっているシーンすらありました。国会議事堂に集まったデモ隊を非常に批判的に描いていたのがそれです。

あそこで表現したのは、国のために一生懸命頑張っている与党、官僚に罵声を浴びせる無知な大衆、といったところでしょうか。

あのシーンは明らかに反原発デモに対する批判なのでしょうが、あのシーン自体実に取ってつけたようなものだったような印象を受けました。物語上、あれを挟む必然性が何にもないんですよね。

原発には反対する理由はあるけど、ゴジラ対策をする政府に大衆から批判が集まるはずがないからです。

物語全体を通しても、あまりにも無邪気な官僚礼賛が貫かれていますが、むしろそういうところは現実からは乖離しちゃってるよなぁ、というのが正直な感想です。国は何もやってくれないから、と主に民間が中心となってゴジラと対峙する「ゴジラ-1.0」とは全く対照的なスタンスなわけです。

思うに、それがオタクの限界なのだと思います。庵野秀明はオタクの代表のようなところがあるように思います。そしてオタクとは、どういうわけか権力者に従順であろうとする。

聞けば、「シン・ゴジラ」は海外では全く受けが悪かったらしいですが(僕個人的としては、思うところは散見されたものの、全体としては大好きな映画ではあります)、理由の一つに人物が描けていない、というのがあるらしかったです。

しかしそれと共に、この批判精神の欠如というのが大きかったと思います。ゴジラといえば、それはつまり反戦であり、批判精神の象徴なのです。

もっと言っちゃうと、映画をはじめ、舞台、音楽、小説、絵画など全ての芸術表現は権力者への監視、という側面も古くから担ってきました。

それなのに「シン・ゴジラ」はそれとは真逆の、権力側からの視点で描いているわけだから、そりゃ批判精神などあろうはずがない。むしろ精神的にはプロパガンダに近い。だから、海外の人が見ると、「これは映画ではない」ということになってしまったように思うのです。

それに比べ、山崎貴は実に強烈で容赦のない批判精神を見せつけました。ここが一つ、大きな差となっているように思うのです。

ゴジラは手段

また、ドラマ性という点でも、割と丹念にドラマを描いていたように感じました。言ってみれば、山崎貴ゴジラを使って映画を一本撮ったんだと思います。或いは撮ろうとした。

ゴジラが目的ではなく、ゴジラが手段。思えば、ここら辺が他のゴジラ映画と一線を画するところで、あの「シン・ゴジラ」ですらゴジラが目的だったと思います。ゴジラが手段だったのは、第1作「ゴジラ」がそうだったように思います。

あと、「エンタメゴジラ映画」の原点にして一つの到達点となった「キングコング対ゴジラ」もゴジラを手段として使った映画だったように思います。

あれは東宝お得意の社長シリーズやサラリーマンシリーズにゴジラ、そしてキングコングまでをも引っ張り込んでしまった喜劇映画だったと思うんですよね。怪獣映画というよりは、喜劇映画の範疇。

だから、ゴジラ映画最高の観客動員数を誇ることができたのだと思います。怪獣映画ではなく、ちゃんとした「映画」なのです。ちゃんとした映画だから、怪獣オタク以外の層にも訴求することができたのだと思います。

怪獣映画『だから』ドラマが必須

また、そうすることで逆に「怪獣映画」が「怪獣映画」足り得るんです。

映画を丁寧に作るということは、人を丁寧に描くということです。そうすると、ゴジラという鬼神がより怖く、時には崇高に、その存在の異常さが絵空事ではなくなる。怪獣を描くときは人や人の生活を丹念に描かなくてはいけないんです。

そうやって作らないと、単なる絵空事になってしまい、そうなると怪獣は一つも怖い存在ではなくなってしまうので、子どもやオタク以外の人には単なるごっこ遊び、おふざけにしか見えないんですね。良い例がハリウッドの「キング・オブ・モンスターズ」です。あれ褒めてるのガキ(肉体的にも精神的にも)しかいないですからね。

まぁ、怪獣は子どもに人気あるから、子どものために作るのなら、めちゃくちゃに怪獣に強さインフレ起こさせて、怪獣プロレスに終始するのは間違いじゃないんでしょうけど……。

ベタな展開があるも、容赦もしない

まぁ、時折ベタな展開もありますが、そこもまたマスを相手に戦ってきた山崎貴らしい強かさだとも思います。

本来なら、典子も生かしてなかったと思うんですけど、そこはやはりマスを意識したのかもしれないのかな、と。だってやっぱり主人公の相手役が生きていたら、嬉しいでしょ? 割とひねくれた人は「ご都合主義しやがって」って言うと思うけど(それはそれで全うな意見なのだが…)。

ただまぁ、YouTubeで色んな考察動画を見たら、典子が生き残った理由には、とんでもない原因があるようで…。もし、それが本当なら、山崎貴がこのラストを「創作者としての甘さ」と、反省していたのですが、その反省、ウソじゃんw

で、それはそれとして、また、テーマが「抗って、生きろ」だから、やはり典子もまた、大怪我を負いながらも生きなければならなかった、というのもあったのかもしれません。

「抗って、生きろ」ということであれば、敷島の物語以降の人生への暗示もあるように思えました。なぜなら彼はゴジラ放射能火炎の後の黒い雨を浴びているのだから。

彼はあの時、被爆したのです。今回の放射能火炎の威力は過去最大なのではないでしょうか。あれはつまり、原爆なのだと思います。ゴジラとはつまり、生きる核兵器

ゴジラ反核の映画でもあるけど、それを「これでもか」とばかりに描いたのは、今回の山崎貴が一番かもしれない。とにかくこの「ゴジラ」での山崎貴は容赦がなかった。

キャストも最高

また、物語を支える役者陣も良かったと思います。

ただ、神木隆之介の役はどことなく吉岡秀隆を彷彿とさせてしまい、吉岡秀隆が若かったらやってたんだろうなー、と思って見ていました。

若い頃の吉岡秀隆は世間と齟齬のある、悩みを抱える青年役をやらせたら右に出る者はいなかったからです。

と、思ってたら、出てきたアー! まさかの出てきたアー! 吉岡秀隆アー!

あまりにもビビッて、めちゃくちゃ嬉しかった!

事前情報を仕入れないと、こういうサプライズがあるのでやめられない。その後も、吉岡秀隆神木隆之介のツーショット結構あって、もう最高だった。この二人の並びはすごく良かったですねー。

あと、結構、演技がクサいとか、大げさとか、舞台的とか言って批判してる輩も多く見るのですが、全然わかってないですね。

怪獣映画の場合、演技は大げさなくらいが丁度いいんです。

なんせ、相手は怪獣ですからね。圧倒的な絵空事

そこで、例えば是枝裕和的な自然な演技にしてしまうと、そりゃもう怪獣の場面が浮きまくると思うんですよね。

だから、舞台的な、大げさな、非日常的な表現にしていかないと、逆に整合性というか、親和性と言うか、そういうものが取れなくなっちゃうと思うんです。

だから、あの演技的に過剰な演出は正解だったと思いますよ。

ただ、逆に言うと、やはり映画というメディアは舞台とは全然異なるのだなぁ、と一部のそういう意見を見ると、改めてそういう思いを再確認するのでした。

これはおそらく、映画はカメラでグッと寄れるから、より「現実的」なんですよね。対して舞台は、下手すりゃ、座席の一によっては役者までの距離がめちゃ遠くなってしまうので、「自然な」演技をしてしまうと届かない。下手すりゃ、何言ってるかわからない。だから、大げさに、デフォルメして演じないといけないんですよね。

ゴジラも強けりゃ、人間も強い

それでタイトルにある「-1.0」。色んな意味が込められてるそうですね。

その中で一番僕が響いたのは、第1作よりも前の時代を描いたから、という意味。

思えば、初めて戦前を舞台にゴジラが登場したゴジラ映画でした。この発明はやっぱすごい。そしてまた、ある意味での不文律を破るという、禁じ手に踏み込んだのも、なかなかの心意気ですよね。

そしてまた、日本の復興の早さにもまた、この映画で気づかされました。戦後のあの惨状から、わずか二年ほどで街や人が綺麗になっていく。ゴジラの強さもそうだけど、人間の強さをもまた、すごく力強く描いているように思えました。

ゴジラは殺せない

あと、今回のゴジラは第1作「ゴジラ」以来、ゴジラを殺したゴジラ映画だったなぁ、と思いながらエンドロールを見ていたんですよ。

でも、生き返る描写があった。

第1作の時は、なんせ初登場だったので、ゴジラはまだスターではなく、観客の感情移入もなかったと思います。

でも今日、ゴジラはスターであり、アイドルであります。観客の感情移入は十分すぎるほど得ています。世界の大スターですからね。もう、大谷ですよ。

だから、マスを意識する山崎貴には、ゴジラを殺すことはできるはずもなかったのでしょう。

そしてまた、ある意味、ゴジラもまた、「抗って、生きろ」なのかもしれません。

ただ、これも先程の典子の生還と繋がっているらしく、もしそうだとしたら「シン・ゴジラ」ばりのラストショットの恐怖なんですけど。

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よしながふみ「フラワー・オブ・ライフ」ネタバレ有り感想。闇を描くために光を描く!!


フラワー・オブ・ライフ」を読み終わったんですが、いやすごかった。

もう随分昔の漫画になっちゃうので、今更感満載ですが。ずーっと読みたかったんですけど、割と早々に単行本の方が絶版となってしまいまして(多分)。なかなか探してもなくてですね。

そんなとき便利なのが、電子書籍。基本的には絶版がない上、絶版した本も復活するし、どこでも読めるってのが魅力ですよね。「鬼滅の刃」を電子書籍で揃えて以来、その魅力にすっかりハマッております。

で、「フラワー・オブ・ライフ」なのですが、語り出したらキリがないくらい見所がありすぎるので、いくつかに絞って感想を書いていきたいと思います。

現代の問題として描いている

やっぱ、なんつってもね、これはビビった。物語ド頭から主人公・春太郎の白血病だったことを告白する自己紹介から衝撃的でしたが、その後は割と平和な高校生の日常群像劇風に話が進んでいきます

しかし、突然春太郎の父親から、自身が被爆二世であることが語られます。つまり、春太郎は被爆三世にあたるわけですね。だから、春太郎が白血病で苦しみ、その後の通院や将来のことに苦しんでいるのは、原爆のせいである可能性が高いわけです。

最初の白血病だったことの告白から、どこか物語全体に暗い影が落ちているのですが、それまではそれはもう治ったというエクスキューズがありました。しかし、この父親の告白により、その影は決定的となったのです。

実は、明るく楽しい高校生群像劇の裏には日本が抱える原爆問題があったのです。

いやこれはもう、読んでてびっくりしました。よしながふみはすごいですね。こういう、人に、世間に、社会に潜む影を裏に内包させ、それを突然表してくる。そしてその事象はその後の物語全体を影のように覆う。

これは「西洋骨董洋菓子店」でもそうでした。フラフラとチャラく、ひょうひょうとして不良オヤジっぽい、あの橘が、実は幼児誘拐事件の被害者でした。その時のトラウマがあるから、男なら必ず惚れてしまうという魔法使いのような魔性のゲイである小野に全く心惹かれることはありませんでした。そんなギャグっぽい設定が、実は橘の心の闇を強く照射する光だったわけです。

よしながふみのそういうところは怖いと思うし、その容赦のなさは、ある意味女性ならではのような気がします。男は基本弱いので、ここまで強烈に描くことはできないと思います。

これほど現代を舞台に真っ向から原爆を描いた作品はないように思います。

その意味で、日本でも戦争はまだ終わってないし、終わりようがない。

戦争とか武力を使った、人の争いって、一旦始めてしまったら延々と終わらない。

パレスチナの問題にしても、ウクライナの問題にしても、ずーっと昔のいざこざが現代まで続いて、あんなにもひどい形で尾を引いている。

しかも、この話、多分原爆が話のメインではないと思うんです。それが逆にすごいと思う。実はこういった問題は当たり前に日常に入り込んでいる、ということの現れ、表現のようにも思うからです。

「大人」が登場しない(おっさん・おばさんは出てくる)

あとこの話、最終巻になって、実は「大人」が一人もいなかった、一人も登場しなかったことが判明します。

例えば、主人公たちの担任の滋という女性がいるのですが、この滋、教え子の真島と付き合っていて、その真島に「ガキみたいなこと言わないで」と言い放つシーンがあります。しかし、男にだらしない滋の言い分がまさにガキだったりします。

その滋が国語の教師ってのも、なかなか効いてるんですよね。国語は言葉を教えると同時に人生まで教えている側面もある教科だと思うからです。

その国語教師の滋は、教え子に対して授業で教えるよりも、結果的に強烈に人生を教えてしまったのです。世間のリアルなんてこんなもんだよ、って。身をもってね。

で、この漫画、滋のみならず、「大人」が結局一人も登場しなかったことがわかります。春太郎の両親や姉も、いつまでも大人になりきれていないんです。あんなに堂々としていた母親でさえ、春太郎に真実を告げることが怖くてできなかった。多分それは相手を思ってのことだろう。それも真実だと思う。でも、ひょっとしたらそれ以上に自分のためだったのかもしれない。自分が言うのが怖くて、黙っていることにしたのかもしれない。相手の気持ちをわかったようでわかっていなかったのかもしれない。

そもそも、子供であることが過剰に求められる日本に、大人などいるのだろうか?

それでも、メインの登場人物たち、高校生たちは、少しずつ大人になっていきます。大人になることとは、大人も大人じゃないんだ、とわかることかもしれない。

闇を描くには光が必要

で、さっきもちょっと書いたんですけど、よしながふみの中では、闇を描くには強烈な光が必要、という思想がすごくあるように思います。

だから、高校生の普通の日常が、明るく楽しく描かれる。まさに「フラワー・オブ・ライフ」です。人生の花盛りです。

そして、なぜこの作品が「フラワー・オブ・ライフ」なのか、最後の方でそれが明らかになります。そしてその理由に驚愕もするし、唖然ともするし、残酷さをも感じるし、理不尽さをも感じるし、なんというか…やっぱよしながふみ性格悪いなぁ、って思います。優れた作家は性格の悪い奴が多い、ということがまたしても実証されてしまったというか。

しかし、その明るく楽しい高校生活を送る子供たちのそれぞれに、それぞれの闇が垣間見えるのです。

いつメンの隣には仲間はずれがいたり、仲良く振舞っているようでも壁があったり。

そういうところすらも、明るく楽しく、スルッと描くところが、よしながふみの怖いところです。

でも、こうも感じます。しかしよしながふみは、その闇を前向きに捉えている。

脱却の出来ないその闇を、肯定的に捉えているように思うのです。あたかも、光を知るには闇を知らなければならないとでも言うように。

で、そういう闇に、よしながふみは強烈な興味があるように思います。だから、よしながふみの漫画の多くは、言い方はアレですが「世間からはかわいそうと思われているであろう人物」を主役に据えることが多い印象です。

アンチクライマックス

それから思ったのは、やっぱりよしながふみって、ベタな盛り上げ方が嫌いなんだなぁ、ってことですねw

この漫画でも、最後の方で春太郎が真島相手に「普通がいい」って泣くんです。そこって実はものすごい切実で、えぐられるような慟哭なんだと思います。

でも、春太郎の泣かせ方は、ちょっとギャグっぽいというか。「わーん」とか言って、机に突っ伏して泣くんです。

普通だったら、もっとこう、何と言うか、ある意味ベタっぽくシリアスに描くと思うんです。でもそんなことは、よしながふみはしないんです。

そこがカッコいいですよね。

シリアスなものをそのままシリアスに提出するのって、ある面ではカッコ悪いし、ダサい。なんでカッコ悪くてダサいかというと、多分、意図を感じるからだと思うんです、作者の。

あんまりにも普通に、ベタにシリアスなものをシリアスに描くと、「ほら、ここ感動ポイントだぞ。泣けよ」って感じてしまうこともあると思うんです。もちろん、そんなこと考えて描いてはいないと思いますが、なんとなくそう感じてしまう瞬間もあると思うんです(中にはそう考えながら書いてる作家もいるかもしれないけど)。

そうすると、途端に、せっかく浸っていた作品世界から現実世界に引き戻されてしまう。冷める、ってやつですよね。それが嫌なんじゃないでしょうか、よしながふみは。

それに何より、そういう気質なのかもしれませんね。正面から来たら反発してしまう、妙に斜に構えてしまう。何より、ベタな表現が恥ずかしい。

平たく言っちゃえば、都会的な、センスの良い人なのかもしれません。

でも、それやるのって、すごく難しいように思います。それをさらりとやってのけてしまうよしながふみって、やっぱい上手いような気がします。それこそセンスがあるというか。


 

 

 

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「君たちはどう生きるか」ネタバレ有り感想。『宮崎駿』てんこ盛り映画!!


長らく観に行きたくて行けてなかった「君たちはどう生きるか」をですねー、ようやく観てきましたよ!

いやー、でもツイッターで、ある日突然公開の情報が上がってきた時はびっくりしました。そもそもここ数年ちょっと映画から離れちゃって、全然映画そのものの情報も取ってなかったから、それはもうびっくりして。

もちろん、宮崎駿が新作作ってるって噂は聞いていたんですよ。でも、突然来たから、あれはびっくりしましたねー。で、界隈ではお祭りみたいになってて、なんとか情報シャットアウトして、映画鑑賞までこぎつけたんですけどね。

で、観たんですけど、ま、正直言っちゃうと、何だかよくわからなかったですが、面白くはありました!

ある意味で「宮崎駿」てんこ盛りの映画だったと思います。

駿祭りというか。駿カーニバル&フェスティバルというか。

youtu.be

もののけ」以降の宮崎駿は怖い

まず冒頭で感じたのは、やはりもののけ以降の宮崎駿は怖い、ということですねw

もうね、絵が怖い。

いきなりの火事のシーンから始まるんですね。そういった、冒頭でいきない事件を起こす素早い展開は最近のトレンドを踏襲していると思います。

で、眞人が街中を駆けていくのですが、その時の人の顔がですねー、なんというか、崩れてるんですね。

この感じがですねー、非常に不気味だったんですよねー。なんとなく水木しげるのタッチに似ていたのも印象深いです。

あれは一体どういう意図で、何を表現しようとしていたのでしょうか。それはちょっとわからなかったのですが。

表現力が鬼

それで、やっぱりこの映画でもすごいなぁ、と思ったのが細やかな表現力ですね。動きの表現の確かさは健在ですね。

眞人が東京を離れて汽車に乗って田舎に引っ越すシーンがあるのですが、継母の夏子さんが出迎えてくれます。で、その夏子さん、リキシャに乗っています。

リキシャなんですねぇ。日本の人力車を参考に、人ではなくチャリンコに車を付けたタイの乗り物です。タクシーみたいなもんですね。多分日本にはないものです。なぜここで人力車ではなくリキシャを持ってきたのかはよくわからないのですが、おそらく「これはファンタジーなんだよ、日本じゃないんだよ」ということを印象づけるためなのかもしれません。違うかもしれません。

で、そのリキシャから夏子さん降りるのですが、ちょっとあやうく降りるんですね。あの感じ。あれがリアルだった。人力車乗ったことある人だったらわかると思うのですが、ああいう乗り物って降りにくいんですよね。ストンッなんてみがるにおりれない。夏子さんは着物を着ているので尚更です。そこをちゃんと描いている。

他には、大人と子供の歩幅がいちいち違うんですよね。石畳も、大人は一歩で渡っていくのですが、眞人は一歩では渡れません。しかも、二歩だったり一歩だったりと一定ではありません。大体大人の1.5倍くらい歩数を使うという手間のかけよう。

こういう、細かいところだけど、そういうところがキチンと描けている。

ここが重要で、アニメって結局絵じゃないですか。リアリティなんて何にもなくて、だから観客がスクリーンの中に入って行きづらいんですね。そこが実施に比べてアニメが圧倒的に負けているところです。

じゃ、どうするか。呆れるくらいに細かく表現していくんですね。そうすると完全絵空事のアニメの中に実存感を創出することができ、スクリーンの中に容易に入っていくことができるんです。

この手間を惜しむか惜しまないかが、作品の質、もっと言っちゃうと格を決めていくのだと思います。

その一方で、最初の方の青鷺が飛ぶシーンはなんとなく不自然な印象を受けてしまいました。宮崎駿特有の飛翔感を感じられなかったんですね。どうしちゃったんだろう?という感じ。

やはり、大型の鳥が近くを低く短い距離を飛ぶ、というその表現は難しいのかもしれません。逆にいうと、そういう飛び方に果敢にチャレンジした、とも言えるかもしれません。

日本を描いているようで西洋

あと、やはり宮崎駿は日本的な風景を描くのが苦手なのではないか、とやや思いました。

いや、基本的には上手いとは思いますよ。思うのだが…、西洋の作り方と混ぜてしまう(^^;;

というより、基本的には西洋の構造の考え方ですよね。「もののけ」の村でも、ああいう自然の一部を切り取って人間だけのテリトリーを作る、ていう村を作っていましたが、ああいう城塞都市的な発想は基本的には日本人の町づくりの概念にはないものだと思います。

もっと自然に対して自分たちのテリトリーをゆるやかに設定するようなところがあると思うんですよね、日本の町とか村作りって。

建築についても、宮崎駿って純然たる日本家屋を作ることって、あんまりない。「トトロ」の家とかも和洋折衷だったし(建物自体はめちゃオシャレで超憧れるけど)。「千と千尋」の旅館は日本的でしたが…。

で、今回も、日本家屋か、と思いきや家の中が石で作られている箇所もあったりして。基本的に日本の建築って石を使うことはないと思うんですけどね。

また、居住区行きはもう、開き直ったかのように洋館でしたねw これは、客をもてなす時は西洋建築、自分たち家族が住むところは日本家屋、という旧古河邸や旧岩崎邸などとはちょうど真逆の発送ですね。

そういったところ、宮崎駿の西洋文明への憧れが如実に顔を出しているのかもしれません。そういうところも、この映画が宮崎駿という人が前面に押し出ているところでもあるように思います。

臆面もなく自分をさらけ出す

そう、この映画って、宮崎駿という人間のほとんどをさらけ出しているようにも思えるんですよね。

「豚」や「風立ちぬ」なんかもそうだったらしいのですが、この作品こそ、宮崎駿が臆面もなく自分をさらけ出した初めての作品ではないだろうか、と思いました。

上記のような西洋への憧れもそうだし(コンプレックスと言えるかもしれない)、アクションシーンなんかは、「コナン」にまで遡る宮崎駿のほぼ全ての作品の要素がてんこ盛りになっているように感じました。

やっぱり、宮崎駿は冒険活劇が大好きなんですね。そして個人的には、そういう宮崎駿を観たかったりします。

君たちはこう生きろ

それに、彼のマザコン性をここまで暴露した作品はかつてなかったように思います。

この作品って、個々の事象は極めてわかりづらくて謎だらけなのですが、構造だけ抜き出せば割とわかりやすい。母親への愛情、及びそれに対する超克だと思います。

以前、高畑勲宮崎駿を称して、王子様がお姫様を助ける話しか書けない、と言っていたのですが、この映画はまさにそういった構造。しかも今回のお姫様は自分の母親です。しかも、実母と継母まとめて! ある意味では「究極の宮崎駿作品」です。

その意味で、男子にとっては、世の全て(それは理不尽と言い換えてもいいと思います)を受け入れること、だと思います。

また、世界(塔)を上手く作ることができなかった大叔父を宮崎駿の世代と解釈すると、その世界(塔)の行く末を託されそうになった眞人は若い世代、下の世代ということになるでしょう。

君たちはどう生きるか、とタイトルで言ってはいるけどそうではないと思います。君たちはこう生きろ、という、主に男の子に向けたメッセージであろうと思います。

あ、そもそもこの作品、あの本とは全然違うんですねw 僕は前情報一切入れたくない方なので全然知らなかったw 劇中にあの本が母親からのプレゼントとしてバッチリ出てきてましたし、何よりエンドテロップで「原作 宮崎駿」って書いてあったので。

ただまぁ、あの本が原作であったにしろ、違う感じになるんじゃないかなぁ、とは思ってましたが。

謎だらけだけどわかりやすい

で、まぁ、そんな感じで、ざっくりとどういう内容か、というとそれは多分わかりやすいのですが、上でも言った通り、個々の事象は謎だらけです。夢の中で夢落ちしてたりもしますからね。

そもそも、なぜ夏子さんはあの塔に向かったのかわからない。

おそらくは、やはり夏子さんは夏子さんで心の底では眞人を受け入れられてなかったのでしょう。だから、あの塔に引きこもった。そう解釈すると、ややしっくり来ます。

一方、眞人はなぜ自分をああまでして傷つけたのかわからない。

それも、やはり継母である夏子さん、そして実母を失くして一年しか経ってないのに再婚して子供まで作る父親を受け入れることができなかった故の行動、と考えると、まぁ納得できる。

眞人と夏子さんは二人とも、それぞれに引きこもりになったのでしょう。

で、その引きこもりの状態を強引にこじ開けたのが青鷺です。

ただ、この青鷺も、なんでそんなことをしたのか、その動機はよくわからない。

そんな感じでですねー、他にも細かく挙げていくとキリがないくらい、この映画には謎が多いです。ほとんど説明してくれない。

ただ、種明かしも唐突だったりします。でも、そんな唐突な種明かしをされても「そうだよね」と納得してしまったりします。

塔の中の、あの火の女の子が実は眞人の母親であったり、眞人を助けてくれた船乗りの女が実はキリコさんの若かりし頃の姿であったりはその典型でしょう。まぁ、そうですよね、と思ってしまいました。

思うに、宮崎駿の強引力がすごいのである。もう、そんな細かいことはウムを言わさぬ強引力で突破して、なおかつなんとかしてしまうのである。その強引な説得力! さすが宮崎駿です。怖いです。普段から怒鳴り散らしているっぽいくらい怖いです。

つーか、キリコさん、めちゃカッコ良かった。若い頃、こんなにイケメンだったんですね。顔はほぼ第十三代石川五右衛門

宮崎駿異世界アニメ

そしてまた、基本的にはこの映画は異世界冒険アニメだと思いました。

宮崎駿異世界アニメ。

そういった意味では、ここでもまた最近のトレンドをしっかりと踏襲しているとも言えると思います。

でもその異世界は、そんじょそこらの凡百の異世界とはわけが違います。宮崎駿ならではの独特な玉手箱やカレイドスコープのような、何が飛び出してくるかわからないような、そんな独特の異世界である。これがまたスゴい! ああいう美的センスというか、世界センスとでも言いましょうか、それはも圧倒的ですよね。

しかも、そこの作りにもまた強引力が発揮されている感じ。西洋風の日本家屋がどうした?!という感じw そういったところも「宮崎駿」って感じで、まさに「宮崎駿」がてんこ盛りになっている。

ある意味では宮崎駿の集大成的な作品とも言えると思います。

ちなみに声優は、総じて言ってしまうと下手でしたねぇ。そこで失敗してる感じもまた、宮崎駿の総決算的とも言えてしまうような気がします。

後進からの影響

トレンドと言えば、あの塔は空から飛来したものらしいことが作中で判明します。

もしその空からというのが宇宙的なものだとしたら、どことなく「君の名は」を彷彿とさせます。

そもそも、あの塔の中では過去と未来が混在している。しかも、自分の未来を知りながら「眞人を産みたい」と言って元の世界に戻っていった実母の生き様は、やはり「あなたの人生の物語」を遠回しに彷彿とさせます。

それは「すずめの戸締まり」でも同様のテーマが描かれていました。

これは邪推ですが、やはり宮崎駿新海誠からも影響を受けているのではないか。


 

 

 

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