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僕が買ったもの、観に行った映画・ライヴなど、要は金を払ったものに対して言いたい放題感想を言わせてもらおうというブログです。オチとかはないです。※ネタバレありまくりなので、注意!

「ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク2」(上)ネタバレ有り読書感想。映画は酷評されたけど、小説は面白い!!


やはり夏のクソ暑い時期には、クソ暑い設定の小説の読むのが臨場感も増し増しで良かろう、ということで読んだのがこの「ロスト・ワールドージュラシック・パーク2」!

マイクル・クライトンの名作「ジュラシック・パーク」の続編であります。

ジュラシック・パーク」は映画も公開されてバンバン大入り超満員。今日まで語り継がれる名作となったわけですが、原作小説の方も傑作でありました。まぁ、原作が良いから映画になったんだけど。

そんなわけでヒットが出れば当然の如く続編が作られるのがハリウッドの自然の摂理。御多分に漏れず、この「ジュラシック・パーク」も続編が作られ、それがこの「ロスト・ワールド」なわけです。

しかしこの続編、映画と小説、両方共観たり読んだりしたことのある人ならわかると思うのですが、「映画原作」と謳ってはいるものの、この小説、映画とは結構違ってます。

それもそのはず、この続編、映画は映画、小説は小説で、同時進行で各々別個に作っていったらしいのです。

随分変わった企画の通し方ですが、残念ながら映画の評価は散々(俺は好きだけど)。でも、こちらの小説の方は個人的にはなかなか面白いと思っています。

またこの小説中の登場人物・レヴィンが、白亜紀の生物が生き残っていてもおかしくない、と言うくだりがあるのですが、この小説の更に後の現代の視点から見ると、実は鳥は恐竜であることを知ってるので、なんというか、感慨深い。

時の流れを感じますねー。

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登場人物

今回も前回の「ジュラシック・パーク」同様、非魅力的なキャラが大挙して出てきますw

このシリーズは本当に非魅力的なキャラばっかり出てきますね。

今作品のガキどもも、前作のレックスに比べればはるかにマシだけど、やはりクソガキであることには変わりないです。

やっぱティムはよくできた子だったんだなぁ、ということが逆に浮き彫りになる感じですかね。

レヴィン

というわけで、先ずはレヴィンですかね。古生物学者の新キャラで、一応主人公格なんですけど、まー魅力ないw

本当にマジクソ野郎で、読んでて呆れるほど。トラブルメーカーのくせに(トラブルメーカーだから?w)心配してくれた仲間(と言ってよいかはわからないが)が助けに来ても「なんで来たの?」と感謝するどころか、むしろ馬鹿呼ばわりするくらいの勢い。

まぁ、レヴィンにはレヴィンなりの言い分があるんだろうけど、お前が連絡もなしに突然消えるからだろう!ということをわかっていない。やはり親しき仲にも報連相有りという感じですかね。そこらへんの人間関係のイロハのイが理解できない、そんな人。

相当優秀な人らしいんですが、異常に優秀な人って、えてして何かが欠けている場合が多いけど、その典型かもしれませんね。

また、描写として、レヴィンの病的なまでの綺麗好きが明るみに出たりもして、さもありなん、といった感じ。

やっぱりどこか異常な感じがする、という、こういう性格づけ的な生活レベルでの細かな描写はさすがですね。

ケリーとアービー

で、次は子供たちかな。今回登場する子供は秀才少女のケリーと天才少年のアービー。出だしは、前回と違って二人ともなかなか可愛らしいのかなー、と思ったんですけど、やっぱりそんなことはなかったですねw

二人とも少なからず問題がある子で、アービーは天才故か世間とのズレがある感じです。また、計画が狂うと思考停止になってしまいます。この性格付けも然もありなん、といった感じで妙にリアルなところが上手い人物造形ですね。

優れすぎてる人は何かが足りない、というのはレヴィンと共通しているところかもしれません。

もう一人の子供であるケリーも、勤勉な、なかなか頭の良い子ですが、いかんせん自己中心的で、自分が絶対的に正しいと思い込んでるやっかいなガキです。

アービーはまだ可愛げがありますが、ケリーの方は物語が進むにつれ、徐々に読んでてウザくなってきますw ああ、やはりティムはよく出来た子だった。

ドジスン

そして極め付けの非魅力的登場人物はドジスンですかね。まぁこの物語の悪役なので当り前なのですが。もう、殺人未遂とかしちゃったりしますからね。もう悪い悪い。

実は前作でも、悪事の手を裏で引いていたのはこの男で、事の発端を起こしたハモンドよりも、より直接的な悪であったように思います。

ドジスンの手引きがなければパークもあそこまでひどいことにはならなかったかもしれません。それだけに、物語にとっては重要人物ということになるんですけど。

でも、本来、それ故に物語的には粛清されなくてはいけない人物だったですが、のうのうと生き延びたんですよね、「ジュラシック・パーク」では。

ひょっとしたら、続編を書くのは既定路線で、その時にドジスンを粛清しよう、と構想していたのではないか、と邪推してしまいます。それくらいの悪党ですね。

ドック・ソーン

ひょっとしたらこのシリーズ初の魅力的なキャラかもしれません。それがドック・ソーンです。

まぁ、マルカムも相当魅力的だと思いますけど、ちょっと態度が尊大すぎるきらいがあり、残念ながら人好きのする感じではないですかねー(そこがカッコよくもあるのですが)。

しかし、このドック・ソーンという工学博士は、荒々しくもさっぱりとした、このシリーズにはいなかった魅力的な好漢です。

彼曰く、歴史も心理学も知らなければ、人のためになる設計はできない、いくら理論が完璧でも人が絡むとめちゃくちゃになる。

机上の空論ではなく、実践の重要性、総合的な、全人的な教育を重視している姿勢がよくわかります。

また、今回の子供達やレヴィンの弱点をも登場早々に看破している点もカッコいいですねぇ。彼もまた、マルカム同様、マイクル・クライトンの分身的キャラなのかもしれません。

で、今回もまたイアン・マルカムが登場するのですが、前回も出てきたし、割愛させていただきます。

描写

とにかく細部の描写が細かく、具体的!

そこは流してもいいんじゃない?と思うところも、これでもか、とばかりに描写してきます。そこがリアリティというか、実存感が表れているところかもしれません。

やはり恐竜を甦らせるという突拍子もないフィクションなのだから、小説世界の作りは細かくなくてはいけないのでしょう。

この細かい描写、設定が「恐竜が現代に甦る」ことに説得力が出るのですね。

そういうところは前回の「ジュラシック・パーク」を引き継いでいる点だと思うのですが、一転前回とは異なるところがあって、それは最初の恐竜出現シーンのところです。

あんまりもったいぶった感じはないんですね。しかも、グラント博士やティム君のような恐竜マニアはいないので、それほどの感動もありません。

今回は2回目だからなのでしょうかね。前回はもっと、こう、「練りに練った」感がありました。

なんせ、いるはずのない恐竜が出現するわけですから、謂わばこの小説の最も大切なシーンです。でも、割とあっさり。

2回目である今回の「ロスト・ワールド」は、「恐竜ありき」だからでしょうか。もう一回もったいぶっても意味はないのかもしれませんね。

ただ、島の全景を見る場面は、サバンナを見渡すような美しさと壮大さを感じさせます。今回は恐竜を、太古の、ある意味ロマンティックな存在というよりは、「動物」として描こうとしているのかもしれません。

そんなこともあってか、今回は恐竜を観察するシーンが面白い。

「こうだったんじゃないかな」を非常に理詰でリアルにシミュレートしています。それも実際のサバンナの動物の行動を参考にしてるっぽいので、説得力もある。

また、化石から推測することは連続写真を見てるようなものなのに、いつしかそれが現実のものと錯覚してしまう、という記述があるのですが、古生物研究が陥りそうなことかもな、と思いました。と言って、他にじゃあどうすればいいんじゃ、という感じですが…。

あとはですねー、今回は「ちょっとだけ近未来」の技術を投入した、秘密兵器的なマシンが登場。ちょっとだけだけど、来たるべき近未来SF、といった感じもあるところが、前回とはまたちょっと違うエッセンスですね。

マルカム先生、今回も大活躍

やはり、今回もまたマルカムのセリフが面白い!

しかも今回はいきなり始まるんですよねぇ。恐竜の絶滅は行動の変化が原因ではないか、とブチかまします。

曰く、カオスの縁より遠いとシステムは硬直化し、画一化する。近ければ、縁から落ちてしまう。

カオスの縁とは、適度に革新性を持ちつつ、適度に安定性を持っている状態らしいです。

いやあ、なんだかよくわかんないけど、なんとなく納得します。このマルカム先生の不思議な説得力。なんとなく分かった気になって、なんとなく頭が良くなった気分に浸れるので、気分いいですw

また、マルカムは絶滅のメカニズムについて、外的な要因よりも生物の行動の変化が絶滅に関与するのではないか、と言います。

マルカムは化石からは想像もできない「事実」を目の当たりにして(フィクションだけど)、恐竜はあれだけ複雑な行動をするのだから、やはりその考えは正しいのではないか、との結論に至ります。

例えば、氷河期の渦中にあっては絶滅は少ないんだそうです。でも、氷河期が終わりに入り、氷が溶ける時、つまり「二度目の変化」が起こる時、絶滅が起きるというんです。

二度の変化は相当な負担になる、ということですね。なるほど(←多分、よくわかってない)。今回も面白い論がいっぱいです。

マルカムの元カノ、恥をかく

それとは別に、ちょっと苦笑してしまう思想もありまして。

今回、サラ・ハーディングという、マルカムの元カノが出てくるんですけど、まぁなかなか、マルカムと違ってワイルドで肉体派な面もある、知的で、まぁなかなか魅力的な女性なのですが、ちょっと鼻持ちならない思想傾向があるのも事実。

どういうことかというと、この人、ハイエナを主に研究してるらしいんですけど、その研究対象の好きさ余って、あまりにもハイエナ上げにするためにライオン下げにするんですね。これが苦笑もので(笑)。

俺やっぱり、単純にハイエナは汚い下劣な肉食動物、っていうことでいいと思うんです。それが正当な評価だと思います。

ライオンがハイエナの仕留めた獲物を横取りすることを称して「下劣」と毒づく場面があるんですけど、それを言うなら、ハイエナなんかはチーターその他の肉食動物から獲物を横取りします。

更に言うなら、「下劣な」ライオンからも横取りしようとさえします。その事実をわかっていない(テレビで見たことがあります)。

思うに「人気者のライオンよりも、嫌われ者のハイエナの魅力がわかっちゃう自分スゲー」アピールをしたかったのでしょう。

しかし、狙い過ぎが見え見えで、失笑ものなんですね(笑) むしろ哀れというか…。

ストーリー

前回は「ジュラシック・パーク」という謎のテーマパークは何か、というのが物語前半の肝だったのですが、今回は「サイトB」がそれに当たります。

「サイトB」という施設が何なのか、それを中心にこの上巻は物語が進んでいきます。

そしてそのサイトBは、かなり闇の深い施設らしく、実はジュラシック・パークはその上澄みでしかなく、その暗部が今回の話っぽく進んでいきます。

そして今作では子供が活躍する場面が多いですね。

子供が大人に黙ってついて来てしまうというジュブナイルの王道的展開でもあるし、加えて上巻はあまりグロ描写が多くありません。

それを考えると、映画の成功もあってか、今回は多分に子供が読むことを想定して書かれているような気もします。

アービーなど、大人の能力を凌駕する子供の存在も、いかにも子供が好きそうな要素です。

だから、ある意味今回は「子供向け」と言って言えなくもないと思います。とはいえ、子供向けと言うには難しい話がいっぱい出てきますが(^^;;

また、マルカムが、前回あれほどまでにパークの建設に反対していたのに、なぜ今作でまた恐竜の島に来たのか、初めは理解に苦しみました。

しかしそれは、「絶滅」の謎を解くためだったのです。絶滅はなぜ起こるのか。

よく考えれば、そのメカニズムについては議論が喧しいですし、恐竜の絶滅ともなれば、更に議論は激化します。

よく言われる隕石(小惑星という説もある)衝突説も、有力ではあるらしいですが、決定的かというと、そうとも言い切れないものであるらしいです。

現代に蘇った恐竜を見れば、その謎が解けるかもしれない。マルカムはその一念で恐怖に打ち勝って「しまった」のです。

純粋な科学的興味は時に危険を顧みることができなくなるんですね。誰かが言ってたけど、勇気とは過大評価された価値観念、ということを思い出してしまいます。

そして、サイトBの恐竜は成体がいない、と妙なことに気付きます。

さあこれからどうなるか?! 次回下巻、乞うご期待!


 

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「鬼滅の刃」第十七巻ネタバレ有り感想。今回は色々と考えさせられる巻!!

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鬼滅の刃」全巻感想というこのマラソン企画。今回は第17巻です。

今回遂に、第150話に到達! これもね、第100話に次ぐマイルストーンではないでしょうか。

そしていよいよ物語も更に佳境に入っていく感があります。

鬼殺隊と鬼との戦いが同時多発で展開され、それが鬼舞辻との戦いへと集約されていくようであります。

やっぱりしのぶさんは…

前巻の感想で予想した通り、胡蝶しのぶは上弦の鬼の第2位の奴にやられてしまいます。

フラグが立ちまくっていたとはいえ、あのいけすかないイケメン鬼、しかも姉の仇である鬼に、まるで歯が立たず、あまつさえ、最後は鬼の中に取り込まれてしまう、という屈辱以外の何ものでもない結末を迎えてしまいます。

ある意味、朝日が昇ったので食われることは免れたお姉さん以上に無残にやられてしまったと言っても過言ではありません。

仇を討つどころか、返り討ち以上の仕打ちを受けてしまったのです。

いやー、なんというか、性格悪いなぁ、吾峠呼世晴(苦笑)

ただ、ですね。多分、いやほぼ大方、いや十中八九、いや確実に、絶対、この上弦の第2位はカナヲにやられると思います。

どういう風に倒すのか。それは勝つのか、相打ちなのか、わかりません。

しかし、間違いなくカナヲはこのいけすかないイケメン鬼をやっつけます。

なぜなら、フラグは立っているからです。

先ず、カナヲはしのぶさんの継子である。柱が勝つのであれば、継子の存在は必要ありません。

そして、しのぶさんはカナヲにあの鬼の倒し方を伝授しています。

そして何より、しのぶさんはカナヲさんに何やら手でサインを送りました。多分、鬼を倒すための重大なヒントでしょう。

更に言ってしまえば、カナヲ以外に胡蝶姉妹の仇を討つべき人はいません。

これはもう、絶対に、絶対に、カナヲが勝ち名乗りを上げます! つーか、上げてくれ。

善逸の話

前巻で何やら秘めたる動きのあった善逸ですが、その秘密が明らかになります。

善逸の育手の一番弟子、善逸の兄弟子でもある獪岳という鬼殺隊員が、こともあろうに鬼になってしまったんですね。しかも、自ら望んで。鬼に土下座までして。

まぁ、この獪岳の話をすると、結局自己顕示欲の塊みたいな子だったようです。そして、元々の属性としても悪というか。

というのも、悲鳴嶼さんが鬼殺隊に入ったきっかけとなった事件の張本人、つまり、悲鳴嶼さんの寺に鬼を招き入れた子供がこの獪岳だったのです。

しかも、悲鳴嶼さんの禁を破り夜外に出歩いたのは、他の子供達に追い出されたからです(悲鳴嶼さんはそのことを知りません)。何でかって言うと、お金を盗んだから。……。

ね?悪でしょ?

鬼と共闘して悲鳴嶼さんや子供たちを殺そうとし、挙句強さを手に入れるため自ら進んで鬼になる。そして泥棒である。もう最悪ですね。

そんな、鬼と因縁というか繋がりのある獪岳がなぜ鬼殺隊に入ったのか、ちょっとわからないのですが、多分、彼の自己顕示欲の強さ故だと思います。

強くなってみんなに認めてもらいたい。その一心で、強さを求めて、強くなるべく鬼殺隊に入った。そう考えると納得できます。

事実、鬼になって善悪の判断もつかなくなったか?と善逸に問われた時、「自分を認める者が善、認めない者が悪」と即答していました。まさに自己顕示欲の塊。彼の所業からすると、それは鬼になる前からそうだったと考えるのが自然です。

マジでクズです。この獪岳自身に関しては特にドラマもありません。この漫画って、なんか鬼によってその扱い方が全然違いますよね。

心ならずも鬼になってしまった、違う人生を歩んでいれば鬼にならずに済んだ、そんな同情の余地のある鬼、「人としての」鬼も数多くいました。

一方で、同情の余地を一切拒むかのような、生まれながらにしての「鬼としての」人、なるべくして鬼になった、という鬼もいます。

なんか、この違いの容赦のなさは、まぁやっぱり女性作家ならではの感じがします。

女性って、もう受け付けない時は全く受け付けないじゃないですか。「私、あの人ダメなの」とか言って。理由を問うても、これといった明確な理由はない場合もあります。

受け付けないものは受け付けない。ダメなものは一切ダメ。そういった女性の残酷性っていうんですかね、そういうのが如実に表れている感じがします。

そして、その獪岳のせいで、鬼を倒さなければならない鬼殺隊から、よりにもよって鬼を出してしまったことにより、師匠である育手の爺ちゃんは責任を取るため、介錯もつけずに腹を切って自害してしまいます。

そしてその爺ちゃんは善逸の師匠でもあるわけです。

善逸が怒ったのは自分のためじゃない。人のためだったんですね。

なにかこの善逸という人も不思議な人で、普段は割とエゴ丸出しの、自分が可愛くて仕方がない感じの人なんだけど(この人の場合は、むしろその感じが面白いし、愛らしい)、そのくせどこか自分が希薄な印象があります。

本気で怒る時は人のためだし、鬼殺隊で頑張っているのも、どうも育手の爺ちゃんのためのような気がします。

鬼殺隊なんて、命がいくつあっても足りないようなところですからね。それなのに、爺ちゃんのために頑張ってるように見える。

そんな善逸なんですけど、めちゃ強いです。

急遽の穴埋めのためとはいえ、上弦になった獪岳相手に、苦戦する場面もあるものの、実力的には圧倒している感がありました。

速さに関しては上弦が全くついてこれないくらいの速さです。

最後は自分で開発した七番目の型で一刀のもと鬼の首を斬ります。

そう、壱ノ型しか使えなかった善逸は密かに開発していたんですね。

それも獪岳と肩並べて戦うためです。善逸は一番弟子の獪岳に並べるように、技を開発していたんですね。実はめちゃ努力家なのです。

この「肩を並べる」というのがポイントで。「追い抜く」ではないんです。「並べる」んです。

実は善逸は、こんなクズな獪岳ではありますが、心から尊敬していたんですね。努力もしてるし、ひたむきでもある。

ところが、その獪岳は師匠の仇になってしまったわけです。師匠の仇を討つために尊敬していた兄弟子を倒す。

善逸の心根はいかばかりだったでしょうか。

善逸は強いです。確かに強くなりました。でも、ひょっとしたら人間、自分の強さに気付かない方が幸せな人生なのかもしれません。

産屋敷のお館様も言ってましたが、鬼がいたから強くならざるを得なかった。強くなるためには悲しい理由があります。悲鳴嶼さんなんかはその典型だし、そもそも炭治郎がそうです。

だとしたら、自分の強さに気づくことなく過ごせる方が幸せな人生であると言えるような気がします。

あとですねー、さんざん獪岳のことをこき下ろしましたが、この人、誰に似てるかと言ったら俺なんですね。

他人に認めてもらいたくてしょうがない、ってのは、割と誰しもあるんじゃないでしょうか。御多分に洩れず、僕もそういう傾向は、まぁ割と強めだと思います。

なんで獪岳見てイライラするのかっていうと、自分に似ているからかもしれません。

自分の、ダメで醜いところを見せつけられているよう、というか。

ただ、認めてもらうために鬼相手に土下座までする気概があるだけ、獪岳の方がマシかもしれません。

まぁ、そんなこともあって愈史郎の、欲しがってばかりいる奴は自分では何も生み出せないから何も持っていないのと同じ、という言葉は割とキツいですね。

時折、「鬼滅の刃」って、こういう教訓めいた名ゼリフが牽制球のように来ますよね。

義勇さん急激成長はスポーツのよう

また、この巻では義勇さんの戦いもあるのですが、超強敵である上弦の第3位を前にして急激に成長するんですね。そのことを本人も自覚して。

これ、なんかに似てるなー、って思ったら、スポーツ選手のインタビューとかドキュメンタリーとか見ていて、たまに出てくることなんです。

例えば、日本シリーズなんかそうみたいですね。

ああいう、その年の優勝を決める大一番ってのは、各リーグのチャンピオン同士のぶつかり合いじゃないですか。当然相手も強い。

そういう短期決戦の強敵を相手にすると、選手がその試合中に急成長することはよくあることらしいです。

だから、戦いの中で成長していく描写は、なるほどなぁ、って思いながら読んでいました。

弱者は悪、という思想は相変わらず

でも、この義勇さん。弱者は悪である、という思想は相変わらずです。

強くなった炭治郎を見て、出会った頃を思い出すんですね。あの時はただ俺に土下座するしかなかったお前がよくぞこここまで云々、って感じで。

やはり弱いということは悪である、という思想が垣間見れます。

そして、その後のシーンで煉獄さんの弟である千寿郎くんが仏壇に向かって必死になって祈っています。義勇さんの考えだと、この千寿郎くんの態度も悪となってしまうのでしょう。

逆に、そんな千寿郎くんもいずれは強くなって戦うようになるのでしょうか。

人の決定は自分の意思ではなく、脳が既に行なっている

上限第3位の鬼との戦いの中で、炭治郎と義勇さんは徐々に窮地に陥っていくんですね。で、その最中、炭治郎は炭治郎の親父さんとの会話を思い出すんです。

炭治郎の親父さんはヒノカミ神楽を踊る時の極意のようなものを教えてくれます。

ヒノカミ神楽は日没から夜明けまで踊り続けるという大変過酷なものです。これを踊る時、覚えたての頃は、なんせ色んなことを覚えなくてはいけないので、動きや感覚の全てを拾わなければならないそうです。

それこそ、体の血管ひとつひとつまで認識するくらい自分の体を意識するそうです。

それが、一通り覚えて吸収した後、必要でないものは削ぎ落とすそうです。

多分、炭治郎の親父さんが言うところの「透明な世界」とは、この必要なものだけを使っている状態であると言えると思います。

思うに、「意識」というのが問題なのかもしれません。

以前、NHKで放送していた織田裕二司会の身体についての番組があったんですけど、その中で、人は自分の意思で行動していると思いがちだけど本当は意思の前に脳が決定しているらしい、ということを言ってました。

自分の意思で決めているのは錯覚らしいのです。脳にそう思い込まさせられているというか。

で、その際面白いことを、誰だか博士が言ってたんですけど、人間意識している時は大抵上手くいっていない時だ、っていうんですね。

自然な、無駄のない行動というのは、よくよく考えたら意識なんてしていません。

例えば、朝起きたら、気付いたら歯を磨いて顔を洗っていた、なんて経験はないでしょうか。習慣化、というやつですね。

習慣化した動き、って無駄な動きなくないですか?

よく考えれば、「意識しなくちゃできない」ってことは、結局その人のモノになっていない、とも言えるわけで。

だから、ヒノカミ神楽でいうと、意識して動いているうちは無駄な動きも多い、ということなのだと思います。

そして、その習慣化された状態を「意識的に」開いたり閉じたりできるのが「透明な世界」であるのかもしれません。

無意識の領域を意識的にコントロールする、という、とんでもない神業なのかもしれません。

回り道が最短距離

そんな神業の領域なんですけど、炭治郎の親父さん曰く、力の限り?いて苦しんだからこそ届くのだそうです。

なんとなく、以前見たイチローのインタビューを思い出してしまいました。

インタビュアーの稲葉が、最近は知識も多いので最短距離で辿り着ける可能性はあるのではないか、と問うたところイチローは即答で「無理ですね」と返しました。

そして、(辿り着けないけど、仮に)全くミスなく辿り着いたとしても、深みは出ないですよね、と続けます。

イチロー曰く、遠回りはすごく大事、無駄なことは結局無駄じゃないっていう考え方はすごく大好き。

もちろん、無駄なものに飛びつくのではなく、その時は最善だと思って取り組んでたけど後から考えたら無駄だった、ということなのですが。

思うに、炭治郎の親父さんが言った「力の限り?いて苦しんだ」というのは、この無駄な遠回りのことなのかもしれません。

そして、そうして辿り着いた場所が「透明な世界」なのかもしれません。

それはイチローの言った「深み」と、何か相通ずるようなものがある気がするのです。

炭治郎の石頭

それにしても、この巻で特筆すべきはやはり炭治郎の石頭でしょう。

生身の人間が、上限の鬼、しかも第3位の奴にヘッドバットかまし、「いい頭突きだ」と言わしめます。

とても人間業のヘッドバットとは思えない!

炭治郎、頭の硬さではワールドクラスですね。色んな意味で。


 

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「鬼滅の刃」第十六巻ネタバレ有り感想。急転直下、怒涛の展開てんこ盛り!!

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鬼滅の刃」全巻感想というこのマラソン企画も遂に第16巻となりました。

そして、物語が大きく動きます。

もう最後のクライマックスか、という勢いですが、残りの巻数(全23巻)から考えて、多分その一つ前の段階の、主人公に立ち塞がる壁、といったところではないでしょうか。

おそらく、本当のクライマックスはもう一つ後にあると思うのですが如何に?

そしてこの巻は主に三つのパートに分かれていました。

1.特訓パート
2.鬼舞辻の急襲パート
3.しのぶさん戦闘パート

なんですけども、1から2のジャンプが凄まじかったですね。

まさに急展開! 風雲急を告げるとはまさにこのこと!

修行は部活の合宿感の一方で善逸は…

先ずは前巻からの続き、柱稽古なんですが、「稽古」という響きから来る生易しいものではありません。「地獄の特訓」です。「修行」と言っていいでしょう。

今回は入道柱こと、玉ジャリジャリ親父こと、岩柱の悲鳴嶼さんのとこで修行です。

もう、これがパワー全開の力修行で、多くの人が「修行」という響きから想像するようなステレオタイプな修行となっております。

滝に打たれ、丸太を担ぎ、岩を動かします。

ね? 「修行」でしょ?

善逸なんか、説明を聞いただけで気絶します。

しかし、悲壮感や絶望感はあまりなく(やってる本人たちはあるだろうけど)、同じような年代の男子たちが寝食を共にし、修行の辛さを(割と楽しげに)語らう姿は、どことなく「部活の合宿」を想起させます。

そんな中、炭治郎は魚を焼いたりお米を炊くのが抜群に上手いことがわかり、みんなから「お袋」というあだ名をつけられてしまいます。

同世代の男子にお袋って…。

そしてこの修行の中で悲鳴嶼さんの弟子(継子ではないらしい)であるところの玄弥によって「反復動作」なる「呼吸」に継ぐ新たなスキルがもたらされます。

こうして炭治郎たちは更なる成長を成し遂げるのですが、その一方、何やら善逸に動きがあります。

善逸の雀から手紙をもらうのですが、そこにはどうも、善逸の秘めたる目的に関することが書いてあるらしいのです。

善逸がどういう思いで鬼殺隊にいるのか、そこはまだ明確には語られていません。

いつになくシリアスな善逸の過去は、次巻以降語られることでしょう。

悲鳴嶼さんの話

そして今回、悲鳴嶼さんの過去が語られます。

前回の鬼との戦いの話を聴き及んでいたのか、炭治郎のことを「認める」って言うんですね。鬼である自分の妹を見捨て、里の者を助けるとは剣士の鑑だ、というわけです。

まぁ、悲鳴嶼さんは勘違いをしていたのですが(決断できずにいる炭治郎を見かねて、禰豆子が炭治郎を突飛ばして里の者を助けに行かせた、というのが事の真相)、その勘違いを訂正して「認めないでください」と正直に言う炭治郎に、むしろ更に感服します。

この子供は他の子とは違う、というわけです。

悲鳴嶼さんは子供という「生物」を看破していたんですね。

よく、子供というと、純粋で汚れを知らない無垢な、天使のような存在、みたいに語りたがるじゃないですか、みんな。

でも、天使って割と簡単に堕ちるらしいですからね(^^;;

現実の子供も同様です。確かに無邪気で純粋です。でも、それは良いことばかりではありません。

無邪気で純粋ということは、裏を返せばまだ何も知らないということです。何も知らない故に、平気で人を傷つけたり、いじめたり、場合によっては嘘をついたり、まぁ、そういう色々と悪事を働きます。

そういう子供の残虐性を、悲鳴嶼さんはある事件をきっかけにして知ったんですね。

細かい話は割愛しますが、まぁ、ざっくり言ってしまうと、一人の子供の裏切りで一緒に住んでいた身寄りのない子供たちと悲鳴嶼さんが鬼に襲われてしまうんです。

悲鳴嶼さんは必死になって鬼と戦ってなんとか勝つんですが(強ぇ)、女の子一人だけしか助けることができませんでした。

そして、その助かった女の子に、子供たちを殺したのは悲鳴嶼さん、みたいに言われてしまうのです。

それで悲鳴嶼さんは逮捕され、処刑を待つ身となったのです。そこを助けたのが産屋敷のお館様なのです。

まぁ、この女の子の証言の真相は、全然違ってたんですけどね。事実をありのまま話そうとしてたんですけど、ショックが大きすぎてうまく喋れなくて、こんなことになってしまったわけなんですが。

そんな感じでですね、子供の生態をあまりに残酷な形で知ってしまったわけなんですが、そんな悲鳴嶼さんだからこそ、炭治郎の本質を見抜くことができたんでしょう。

その子供の一件以来、悲鳴嶼さんは疑り深くなってしまったそうです。もちろん、疑り深いのはそんなに良くないことなのかもしれません。

でも、こうも思います。一旦、人に限らず物事を疑い、そこから自分なりに考察を加えたり観察したりして判断するのは、そう悪いことではないのではないか。

特に、悲鳴嶼さんの場合は色眼鏡で見ることはしていないように見えます。

疑い、観察し、考察し、そして色眼鏡なしで判断する。悲鳴嶼さんはそういうことができる人なんだと思います。

逆に不死川の兄貴の方は、たまには色眼鏡を外した方がいいと思う。

義勇さん、実はかわいいか?!

で、悲鳴嶼さんの修行が無事修了した炭治郎が次に向かうのは義勇さんとこでの柱稽古です。

ここは小休止というか、箸休め的な場面で配分も短いんですけど、まぁ、義勇さんと不死川の兄貴が戦ってるんですね。柱同士の稽古で。

でも、不死川の兄貴は殺気満載だし、何より偉そう(に見える)な義勇さんが大嫌い。

そんな不死川を鎮めようと、炭治郎は不死川の好きなお萩を作る、と申し出ます。でも、不死川は自分がお萩好きなことはあまり触れて欲しくないんですね。硬派で売ってる自分が甘いお菓子好きだとイメージが崩れるからだと思うんですけど。

で、不死川のお萩好きを知った義勇さんはそんな不死川の本心に気付かず、次回からは懐にお萩を忍ばせて、不死川にプレゼントする、ってんです。炭治郎も、それ良いアイデアですねー、て賛同するんですけど、いやいやいやいや、火に油を注ぐようなもんだろw

なんか、義勇さん、って天然なのか?w

なんとなく炭治郎とウマも合いそうだし。

そうそう、後のエピソードで義勇さんは炭治郎と共闘するんですけど、なんか、相性が良い感じなんですよね。

同じ天然同士、相通ずるものがあるんでしょうねw

鎧塚さんところ出身の鬼殺隊は、割と天然が多いのかもしれませんね。

ってことは、錆兎も…。

まさか、鎧塚さん本人も…。

いきなりの急展開

で、割とほんわかムード(って程には、ほんわかもしてませんが)で進んできたこの巻に、いきなりの衝撃が走ります。

なんと、鬼舞辻がいきなり産屋敷亭に乗り込んでくるのです!

これには意表を突かれた。いきなり主人公側の本丸に敵のラスボスが乗り込んでくるとは! こんな展開見たことないかも(多分)。

ややもすると、ちょっと拙速とも思えるこの展開ですが、読者に衝撃を走らせるには効果的抜群!

そして、産屋敷のお館様と鬼舞辻の対決の中で、秘められた真実が明るみに出ます。

先ず、産屋敷のお館様と鬼舞辻は元は同じ血筋だったというのはびっくり。今はもうかなり遠くなってしまったようなのですが、かつては近い間柄だったのです。

皮肉にも、鬼となった鬼舞辻がその長すぎる人生を謳歌している一方、産屋敷家は鬼を出してしまったことにより呪われてしまったんですね。

その呪いを解くための戦いだったのです。

もちろん、お館様がそれまで戦っていたのは、罪の償い、という意識もあったと思います。一族の者が犯した罪は自分の罪、という意識があったように、その言葉の端々からは感じられるように思います。

もう一つ新たにわかったことは、鬼舞辻が死ぬと他の鬼も全て死んでしまうようなのです。

しかしそのことがどうやってわかったのかは、まだわかりません。しかし、鬼舞辻自身もそのことについては自覚的でした。ということは、鬼舞辻が鬼を作るとき、「そのように」作っているのかもしれません。

産屋敷の作戦は女性作家ならでは?

そして、遂に鬼舞辻がお館様に手をかけようとした時、産屋敷亭は大爆発を起こします。

その時、産屋敷亭にいたのは、お館様と鬼舞辻の他には、お館様の妻と子供二人。

つまり、お館様は鬼舞辻を倒すため、油断させるため、自分の妻と子を道連れにしたのです。

思うんですけど、この物語的発想って、女性作家ならではだと思うんですけど、どうでしょう?

女性って、というより、母親って、父親、つまり男に比べて、自分の子供をより「自分のもの」と捉えているようなところがあると思うんです。

それは、お腹を痛めて子供を産めるから。

それは「自分のもの」=所有物という図式も成り立たないわけじゃないと思うんです。

これは超個人的なものの見方なんですけど、男の側からすれば、妻は基本的には血を分けていない他人だから巻き添えにするってことは、頭では理解できる。

でも、血を分けた子供を巻き添えにする、って考えはちょっと理解の外にあります。

だけど、もし、女性が「子供=自分の所有物」という考えがあるのならば、こういう発想が出てきても不思議はないかな、と思うんです。

自分のものだから、自分の思い通りにできる。思い通りにしてもかまわない。

何か、この、お館様の家族もろともの自爆作戦には、そういうところがあるような気がします。

しのぶさんはどうなるのか

お館様の作戦は功を奏し、あの鬼舞辻が焦ります。ここまで追い詰められた鬼舞辻を見るのは初めてです。

そこから、まさかの珠世さんが鬼舞辻を捕らえます! ここで出てくるか! ここもまた意外でした。しかも、珠世さんは鬼を人に戻す薬を開発したと言います。それを鬼舞辻にブチ込んでるわけです。

更に岩柱・悲鳴嶼さんも応援に駆けつけます。他の柱たちも次々に駆けつけますが、鬼舞辻の下僕である琵琶の鬼の能力で全員異界へと落とされてしまいます。一気に形成逆転です。

そこで、しのぶさんは仇である上弦の鬼と対決します。

しかし、しのぶさんの攻撃はまるで通じず、鬼にいいようにやられて万事休す。

しのぶさんの最後の攻撃で次巻!ということになりましたが、多分、しのぶさんは勝てずにやられてしまうんでしょう。残念ながら完全にそういう流れです。

というのも、しのぶさんには継子のカナヲがいます。多分、カナヲがこのスカしたイケメン鬼を倒すのだと思います。

なぜなら、しのぶさんはカナヲにこの鬼の倒し方を教えていたのだから。

思うんですけど、継子がいる、ってことは、多分その柱は鬼には勝てないってことなんでしょうね。

だって、そうじゃなければ継子いなくていいんだもん。もし、柱が鬼を倒せれば、特に必然性がある存在じゃないですからね。

なんか、次巻が早く読みたいような、読みたくないような。そんな感じ。

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「鬼滅の刃」第十五巻ネタバレ有り感想。様々なことが起こる激動の巻!!

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鬼滅の刃」全巻感想、今回は第15巻です! 四捨五入すると20巻に突入です!

いやあ、遂に20巻が見えてきましたねぇ。

それと同時に、面白くなってまいりました!

物語の方もね、いよいよ加速してくる、その前段階といったところなのですが、キャラクターがですね、もう完全に一人歩きしている感じですね。

もう作者の管理(という言い方が妥当かはわかりませんが)を離れて、独自に動いてる、生きてる感じがします。

それは、メインキャラ以外もそんな感じなんですね。

だから、いわば、この物語の世界が完全に構築されたんではないか、という感じです。

でまた、展開的にも割と激動の巻。

一冊の中に様々なエピソードが描かれていました。

上弦の鬼との戦いが決着

最後の最後まで息が抜けない展開となっていました。

「もうダメだ」と、最後の方はね、思いながら読んでましたが。

この「もうダメだ」感を出すのが、さすがに上手いですね。

当然、腹の中では読んでる人みんな、勝利を信じてますよ。わかってると言ってもいいでしょう。

でも、それでもなお「もうダメだ」と思わせてくれる。

その展開力、スピード感。相変わらず素晴らしいですね。

それに今回、割と本気で「もうダメだ」と思わせる要素もありまして。

「鬼の討伐」という勝利は信じて疑わないものの、今回はそれとは別に「禰豆子を救う」というのがありました。

夜明けが近くて、このままだと禰豆子は日の光で燃えてしまう!という危機があったんですね。

で、実際禰豆子は燃えてしまうんです。

ここがですねー、ええええー!って感じで、もうダメだ、どころじゃないですね。ダメだったんですけどね、燃えてるから。

この後どうなんダァー!?ってなって、戦いの最後の方はハラハラしっぱなし。

でも、個人的には言っちゃうと、それでも大丈夫だろう、というのは心の奥底でありましたけどね。

23巻(最終巻)の表紙に笑顔の炭治郎と禰豆子が描かれていますからねぇ。

禰豆子が進化?!

そして案の定(ハラハラはしましたが)、禰豆子は無事ですw

で、なんで禰豆子が大丈夫だったか、って言うと、「日の光の中でも大丈夫なように進化したから」。

とんでもないウルトラCですw

でももちろん、大きな流れの中の展開としては作者の中では無理なく決まっていたことなのでしょう。でもそれは読者には知らせない。意地悪ですねーw

で、禰豆子が日の光の中でも大丈夫になる、というのは珠世さんは予期していたそうで。まぁ、順番的には後出しジャンケンですが(笑)展開的には予定通りでしょう。

その理由はまだ明かされませんが、兎にも角にも禰豆子は日中も出歩けるようになります。

ただ、このことが更なる鬼舞辻無残の苛烈な攻勢を招くことになるというのです。

一つ良かったことが起こると、それは更なる悪いことの引き金になってしまう、というこの展開。さすがですねー。

鬼舞辻が青い彼岸花を欲しがるのは、それが自分が完全体、つまりは日中でも出歩けるようになるための薬に必要だからです。

しかし、禰豆子が日の光の下に出れるようになった今、薬は必要ありません。鬼として、ある面では自分よりも進化した禰豆子を、多分欲しがるのでしょう。

今後はいよいよ鬼舞辻が禰豆子の元へ直接乗り込んでくるかもしれません。いよいよ全面対決ですね。

また、いち早く禰豆子の「覚醒」を予期した珠世さんにも動きがあります。より正確に言うと、動かれた、というか。

産屋敷のカラスが珠世さんの隠れ家に接近するんですね。

どういう経緯で産屋敷サイドが珠世さんの情報を知り得たのかは定かではありませんが、結構組織デカいですからね。そこらへんは諜報部隊みたいのがいるのかもしれません。むしろ、いる方が自然かな。

ただ、この産屋敷が放ったカラス、本当に産屋敷のものかどうかは、まだわかりません。次号、要注目ですね。(多分、本物の産屋敷のカラスでいいと思うけど)

痣とは何ぞや?

今回の戦いの中で、炭治郎の他にも、無一郎、甘露寺さんの二人に痣が発現します。

炭治郎が見る夢の中に痣のある剣士が出てくるのですが、この痣が発現する、というのが殊の外重要なことだそうです。

鬼舞辻をかつてあと一歩のところまで追い詰めたのは痣のある剣士だったそうです。だから、鬼を倒す力と何か関係があるのではないか、ということだと思います。

そして、柱合会議では急遽、なぜ痣が発現したのか、二人に私見を述べさせます。

ここでの二人の対比が面白いですね。

感覚的な、シゲオ長嶋的な擬態語のオンパレードで説明しようとする甘露寺さん(可愛い)。対して無一郎は理路整然と、具体的な数値も交えて説明し、「条件さえ満たせば痣は誰にでも出る」と結論を下します。

甘露寺さんのアホっぽいけどナチュラルな強さと、一見天才的な無一郎の、実は努力に裏打ちされた知的さが鮮やかに描き出されているように思います。

こういう、設定的な説明シーンにも、それぞれのキャラを際立たせる感じが、見ている人に飽きを感じさせなくて上手いですね。

やっぱり、どうしても説明シーンって退屈になってしまうきらいがありますからね。

そして、鬼舞辻の過去も語られるのですが、どうも鬼舞辻、元は貴族であったそうなんです。なんとなく、意外な感じでした。

義勇さんの過去

そしてこの巻では、水柱・冨岡義勇の過去が語られます。

自分は鬼殺隊の選別試験には受かっていない、という衝撃告白。まぁ、実際には規定としては受かっているのですが、助けられて生き延びただけだ、というのです。それでは実質受かってないのと一緒だ、とこう言うわけです。

だから、義勇さんは自分は柱ではない、と言い、他の柱に対しても引け目があるそうなのです。

だから、なんとなく皆と交わらず、一歩引いたところにいたのですね。でも、どことなく偉そうな態度で、何人かから「バカにするな」と反感を買っていますが。どういうことなんでしょう。

で、しかも、義勇さんを助けたのは第1巻に登場した錆兎だというんです。ここで意外な繋がりが出てきました。

そして、痣騒動が起こる中、自分には関係ないとばかりにションボリ状態の義勇さんを元気づけるのが、もちろん炭治郎です。そして、炭治郎にそんなお願いをするのは産屋敷のお屋形様なのです。さすがに人の上に立つ人は目配り気配りが違います。

で、この炭治郎。相変わらずアホです。このアホアホ鈍感パワーが義勇さんみたいな人には効くんですよね。

呼びかけに無視し続ける義勇さんにも関わらず、ズカズカと家の中に入ってしまう炭治郎。

寡黙な義勇さんを勇気づけるには、ざるそば早食い競争がいいだろう(喋らなくていいから)、と勝負を持ちかける炭治郎(義勇さんは勝負を受けてくれます)。

アホです。

しかし、そんな天然ナチュラルアホパワーは時に、不意に、うっかり核心を突いてしまうことがあります。

錆兎から託されたものを繋いでいかないんですか、と問いかけます。

その問いかけは、かつて他ならぬ錆兎から問いかけられたものでした。

義勇のお姉さんが繋いでくれた命をお前が繋げ、と言われていたんです。

そのことを思い出したんですね。

姉と同じように、錆兎に命を託されたことを思い出すんです。それで、義勇さんは立ち直り、柱稽古に参加することを決意します。

その流れからのざるそば大食い対決です。

始終、炭治郎のペースに引きずられていた義勇さんでした。

すげえなあ、炭治郎。

柱の下で猛特訓

それで最後、柱稽古に入っていくわけなんですけど、稽古なんて生易しいものじゃ断じてないですね。特訓ですよ、特訓。いや、サバイバルかな(^^;;

そんな、辛い辛ぁーい特訓が鬼殺隊メンバーを待っているわけなのですが、炭治郎はかつて関わった柱の方々とはすっかり仲良しになっているのでした。

宇随天元とその一行(三人の嫁)には「久しぶり」と歓待されます。

かつてあれだけ冷たく、生意気だった時透無一郎はすっかり自分を取り戻し、元のやさしい無一郎として、炭治郎をひいきしすぎなのでは、というくらいの笑顔で接します。いや、「懐く」と表現した方が良いレベル。しかし無一郎、覚えの良くない他の鬼殺隊には元の冷酷な無一郎で接するのです。ここらへんはまだお兄さんの影響力にあるのかな?

そして甘露寺さんは、パンケーキでご歓待。しかし、稽古する鬼殺隊のメンバーに「レオタード」に着替えさせ(炭治郎も着ます)、サブミッションばりの柔軟体操をさせなす。

しかし、甘露寺さんに密かに恋心を抱いている(に違いない)蛇の人(名前忘れた)からは嫉妬120%の敵意を向けられ、しごきにしごかれます。

また、弦也の兄貴(名前忘れた)は獰猛極まりなく、弦也との兄弟喧嘩の仲裁に入るついでに大乱闘となり、接近禁止を命じられてしまいます。

この二人は相変わらず様子がおかしいですね。特に、弦也の兄貴! こいつはマジでやべー。でも、この人にも過去に色々あったんですよね。そのことは、弦也の過去話で垣間見られました。

いやー、この兄弟には幸あって欲しいですね。弦也の兄貴も更生(?)して欲しい。

そして次巻、あの入道の柱稽古に突入します。いやー、この入道柱、怖そうだ!

善逸再登場

そして、この巻で嬉しかったのは、善逸がひっさびさに登場し、相変わらずだったことです。いやあ、ブレねーなー、善逸。

日の光の中にいる禰豆子を見て狂喜したり、柱稽古の話を聞いて悪態つきまくったり、柱稽古に耐えきれずに逃げ出したり、相変わらず期待を裏切りません。

でも、鬼との戦いの際、炭治郎の回想の中で、打開のヒントを与えたのもまた善逸でした。

普段はなかなかにしてどうしようもないんだけど、いざという時に活躍する。

やっぱ善逸、いいなぁ。

でも最近、炭治郎にも似た魅力が出てきたんだよなあ。この巻で言うと、義勇さんとのやり取りはなかなかにして秀逸でした。

アホな炭治郎、好きだなあ。真面目で強い時とのギャップがいいですよね。

さてさて、次巻も更に楽しみです!

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「キングコング対ゴジラ」ネタバレ有り感想。怪獣映画というよりは娯楽喜劇映画!!

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世界に遅れること四ヶ月ほど、ようやく日本でも「ゴジラvsコング」が公開されましたね。

もちろん僕はゴジラが大好きなのですが、前作(「キング・オブ・モンスターズ」)がとんでもない駄作だったので、ハリウッド版のゴジラには一気に興味を失くしてしまいました。

そう、最初は大好きだったんですよ。ギャレス・エドワーズゴジラは最高だったぁー。

でも監督がドハディになったら、小学生レベルの脚本になって…(^^;; ひどかったぁー。

というわけで、「ゴジラvsコング」は観に行きません。まぁ、今回監督は変わったらしいですが、もう興味持てなくなりましたねー。

金曜ロードショーで放送されたら、それを観ます。多分、金払って観る価値はないでしょうw

でも、大好評ですねー。興行成績もいいし。いきなり1位ですか? 多分「その手の」ファンが喜んでいるのでしょう。怪獣が出て来てプロレスやればそれでいいっていう輩が。

映画ファンには耐えられないだろうなーw

で、代わりと言ってはなんですが、「キングコング対ゴジラ」観ましたw

やっぱ、面白れーなー、この映画。

ちなみに、僕が初めて見たゴジラです。

 

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デアゴスティーニから発売

以前、といっても結構昔になっちゃいますかねー、デアゴスティーニから東宝特撮のDVDシリーズが発売されまして。

いくら位だったかなー、値段はもう忘れちゃいましたけど、割と安かった印象です。

DVDの他に冊子も付いてまして。こういうのがなかなか特撮オタクの心をくすぐりますよね。

この頃くらいから多分、DVDの価格が下落していったんだと思います。そういう時代の流れに乗って、お手頃価格でシリーズを揃えられるってのはファンにはたまらない、ナイス企画でしたね。

あー、もっと揃えとけばよかった…。買ったの「ゴジラ」「ゴジラの逆襲」「キングコング対ゴジラ」「モスラ対ゴジラ」「三大怪獣地球最大の決戦」の5本だけなんですよね。最初の五作というか。

もっと、「空の大怪獣ラドン」とか「大怪獣バラン」とか「フランケンシュタイン対地底怪獣(バラゴン)」とか買っときゃよかった…。

いまさら後の祭り。

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音楽がカッコいい

やはりですねー、なんと言っても音楽がカッコいいですよ。

音楽はもちろん伊福部昭ゴジラ映画には欠かせません。と言いつつも、結構担当していない作品もあるんですよね。

ゴジラの逆襲」は佐藤勝、「ゴジラ対ヘドラ」は眞鍋理一郎、「ゴジラvsビオランテ」は御大・すぎやまこういちです。

だからゴジラ映画=伊福部昭では必ずしもないんですけど、やはりどうしてもその印象が強いですよね。インパクトあるからなー。

で、この作品はのっけからこの作品のテーマ曲とも言える、なんというか、ファロ島のテーマ(名前わからん)から始まります。

これがめちゃカッコいい!

結構、作中でもよく流れるのですが、やはりこの曲も、なんと言いますか、原始的な曲と言いますか、リズム主体でホーン主体の荒々しい曲となっています。

第一作でも使用されたゴジラの、「♪ゴジラゴジラゴジラメカゴジラ」という「あのテーマ曲」に、若干雰囲気似てるかもしれませんね。

ストラビンスキーの「春の祭典」のようと言いますか。実際、参考にしたらしいんですけどね。

で、伊福部昭、ストラビンスキー聴いて、「これくらいなら俺も作れる」と思ったらしいです。

さすが天才!

感じることが全然違う!

なんせ、アカデミックな音楽教育受けていないのに交響曲書いて、それがいきなりロシアで賞取ったくらいですからね。本物の天才です。

そんな本物の天才が書いた曲はこの作品でも唸りを上げているのです。

この曲聴くだけでも、個人的には観る価値あるかなと。

意外に細かい作り

で、今回改めて見直してみたんですけど、意外にも(失礼!)細かい作りになっていることに気付きました。

結構伏線が細かく張られていて、後々になって功を奏してくることが多かったですね。

例えば、最初の方で高島忠夫がCMでドラム叩いているシーンがあるんですけど、これが後の東京に来たキングコングを眠らせる時にボンゴを叩くシーンに繋がってきます。

いきなりコンガ叩くと不自然ですからね。ちゃんと打楽器の素養があるぞ、というのを前もって見せてからだと観てる方も納得しやすいです。

あと、シーンの繋ぎがスムースというか。

例えば冒頭、世界の驚異シリーズというパシフィック製薬の一社提供の番組があるんですけど、この番組内で、北極の氷が溶けてきている、という情報が流れます。

この後のシーンでゴジラが眠る北極の氷山のシーンとなるわけです。北極の氷が溶けてゴジラが目覚めてしまうんですねー。

ただ、ちょっと余談なんですけど、この頃は多分地球温暖化ってことは言われていなかった時代だと思うんですよね。

そういった意味で、結構予言的な場面にもなってしまっているという。まぁ、余談でしたけども。

しかも、ただ繋ぎのために北極を話題にしたのではなく、そういった気象情報は世界の驚異でも何でもない、とパシフィック製薬の多湖部長が怒る原因ともなるわけです。

パシフィック製薬の一社提供、ということは会社の宣伝ですからね。番組がつまらないと視聴率が上がらず、商品の宣伝効果が低いわけです。これを部長は怒ってるわけなんですね。

世界の驚異シリーズなら、驚異を紹介して視聴率を上げろ。そして商品を売れ、というわけです。

そしてこれがこの物語の根幹なんですね。

番組視聴率を上げるためにキングコングを探せ、というわけです。

この多胡部長の無理難題がなかったら、ゴジラキングコングは対戦しなかったわけです。だから、物語のそもそもの始まりとなる非常に重要なシーンでもあるわけです。

必然性がありつつ、次のシーンへの繋ぎともなっている。非常に上手い作りと言えると思います。

そんな感じでですね、割と脚本はしっかりしてる印象でした。

あと、怪獣が現れた時の社会のリアクションとかも丁寧に描かれていました。

双方の怪獣の現在地がニュース速報で流れたりしますし、あと「疎開」という言葉もよく出てきました。

やはりこの時代、1962年公開なんですけど、まだまだ戦争の傷跡が強く残っていて、疎開という言葉を使って、そうした記憶を想起させ、人々に「現実的な恐怖心」を煽っていたのだと思います。ただ、そうした煽りは是か否か、って問題はありますが…。

ただ、そういった「人々のリアルな生活」をすごくよく描けているとは思います。やはり、人の生活、人のリアクションを丁寧に描かないと、怪獣映画ってホントに嘘っぽいだけの映画になってしまいますからね。

映画って、どんな映画でも嘘を描いているけど、だからこそ本当っぽく見せるために必死になって作ってるじゃないですか。

それが怪獣というとんでもない大嘘をつくわけだから、それこそ丁寧に丁寧に作っていかないと、映画として全く成立しなくなってしまうと思うんですよね。

あと、怪獣と人間との関係でいうと、とにかくエキストラの人数が半端ないです。町を逃げ惑う人の数がすごい! ファロ島の部族の人数もそうですが、めちゃめちゃ人件費かけてる。金使ってんなぁ、って唸るくらい。

ここらへんも、人のリアクションですよね。巨大な怪獣が出てくると、これだけ多くの人に影響を与えるという。それを表すには、やはり人海戦術が一番なんですよね。

怪獣映画というより娯楽喜劇映画

あとはですねー、全体的な印象なんですけど、どちらかというと怪獣映画というよりは娯楽喜劇映画といった趣がありました。

それは、物語の根幹となるのがパシフィック製薬という会社の広告、そしてそれに伴う売り上げという点であるからです。

この映画の時代背景としては、日本は高度経済成長期。モーレツ社員なんて言葉が生まれたほど、とにかく激烈に働く時代であったそうです。

今みたいに、コンプライアンスがあー、とか、パワハラモラハラがあー、とか言った瞬間にクビになる時代です。

そういった、パシフィック製薬を中心とした会社人としての悲喜こもごもが、映画の根幹となっています。

サラリーマンたちの奮闘ぶりをコメディタッチに、やや風刺も交えながら、描いている映画。それが「キングコング対ゴジラ」です。

この映画はゴジラ映画史上最高の興行成績を今なお誇っているのですが、それはおそらく、怪獣を見たがる子供達の他に、サラリーマン映画が好きな社会人にも訴求できたからなのかもしれません。

それは配役にも現れてますよね。多胡部長の有島一郎は社長シリーズでもお馴染みの喜劇役者、高島忠夫藤木悠氏サラリーマンシリーズでも共演しています。

そういうことも加味してみると、ひょっとしたら多分この映画、怪獣映画というよりは、サラリーマン映画の延長線上に作られているのかもしれません。サラリーマン映画に怪獣が出てきちゃった、というか。

だからまぁ、全然子供向けには作られていない感じですね。

子供にそういうサラリーマンの悲哀や喜劇を見せても、全然ウケないですからね。

だけど、やっぱり荒々しい

とはいえ、ですw やっぱりこの時代の、しかも基本は怪獣映画。容赦のない粗々しい作りは満載です。

例えば、さっき言った高島忠夫キングコングを眠らせるためにボンゴを叩くシーンなんですが、ボンゴ叩いてるんですけどなぜかティンパニの音がするんですねw なかなかの特殊能力やもしれません。

他にもいっぱいあるんですけど、そもそもよく考えたら、なぜキングコング連れてきた? 絶対ダメでしょ。危険すぎるでしょ。

高島忠夫が島で眠ったコングを見て、「日本に連れて行くぞ!」といきなり啖呵を切るんです。全く必然性はありません。突然です。もう、勢いだけですね。

ここ、どうしよー?!ってんで考えた末、何も必然性を見つけられなかったから、もう勢いで持ってっちまおう、っていう感じだったのでしょうか?

でも、妙にリアルなところのあるこの映画。海上保安庁に怒られてしまいます。勢いだけで持って行けなかったんですねー。自分ボケ自分ツッコミのようです。

あと、キングコングが高圧線100万ボルト作戦で帯電体質になったのですが、それと放射能火炎防ぐのにどんな因果関係があるのでしょうか? 謎です。

ファロ島での島の部族の人たちのシーンはもう、あまりにもあんまりすぎるので割愛させていただきます。まあ一言、時代性ですね。

そんな感じで、妙に繊細なところと、大胆に荒々しいところが奇妙に混在している映画、とも言えるのではでしょうか。

実はそこがこの映画の一番の魅力かもしれないですけどね。

多胡部長が主役?

まぁ、よく言われることですが、多胡部長が主役並みの大活躍を見せますw

だって、主役の高島忠夫は元より、ゴジラキングコングも食っちゃってるもんwww

インパクトは絶大ですね。

とにかく全てが攻撃的。思想、アイデア、言動、表情、笑顔で上機嫌の時ですら攻撃的です。

最初、子供の頃に初めてこの映画観た時は、この人が面白くて仕方なかったんだけど(実際、多胡部長を演じる有島一郎は喜劇の名優でした)、今見ると怖いかなw

社会に出て会社で働いて、改めて多胡部長見ると、これは怖いですね。もう、パワハラモラハラの嵐。声はデカいは、怒鳴るは、もう、たまったもんじゃないですよね。

とはいえ、やっぱり面白いですけどね。この映画全体がこの人の気分で進んでいるようですらあります。多胡部長がいるから面白い、ってのは確実にあると思います。

女優可愛い

あと、地味に思ったのが、メイン女優二人が可愛い。

先ずは浜美枝。本作品では高島忠夫の妹にして、「ウルトラQ」「ウルトラセブン」でもお馴染みの佐原健二氏の彼女役です。

もうね、ふっつーに可愛い。この時代にこんだけ可愛いんだから、当時としてはもう場違いに、オーバーテクノロジーという感じで可愛かったのではないでしょうか。

で、結構熱演するんですよね。体当たりというか。

ゴジラから逃げ惑い、そんな必然性もないのに、川に倒れ込んでしまいます。もう濡れ鼠。そこを佐原健二に助けられるのですが、全出演者の中で一番荒々しい演出を要求されたのではないでしょうか。

また、キングコングお約束、さらわれてしまいます。あのデッケー手の中に。しかも今回のコングは身長40メートルにスケールアップ。本家よりデカです。なんか、体臭とかすごそうですけどね。そりゃ悲鳴も上げたくなるわ。

だもんだから、ものすごい悲鳴を上げるんですね。この悲鳴がねー、良かった。迫真の演技というか。すごい、なんかロック、いやファンクかもしれない。

やはり怪獣映画はリアクションなのだなあ、と再認識させられます。

もう一人、若林映子

この人もねー、普通に綺麗。いわゆる美人。ちょっと日本人離れしたエキゾチックなお顔立ちですね。

後の「三大怪獣地球最大の決戦」では金星人を演じます。ええ、金星人です。金星人と言われても、なんとなく納得してしまうような、そんなエキゾチックな美人です。

この人もまたオーバーテクノロジー…、いや、オーバープラネットな美人ですね。この時代には完全に場違いなルックスです。

そんな感じでこの御二方、割と男の論理で展開し、男汁満載な怪獣映画に、それはそれはもう、花を添えまくってました。

やっぱキンゴジカッコいい

しかしですねー。やはり、なんと言ってもこの映画は、怪獣ファン的に一番の目玉は「キンゴジ」です!

キングコング対ゴジラ」に出てくるゴジラだから、略してキンゴジ!

実は一口にゴジラと申しましても、様々な顔のゴジラがいます。例えて言うなら、監督が違うとキャラが微妙にマイナーチェンジする、というのと似てるかもしれません(例えが例えになっていないかもしれませんが)。

例えば(更に例えを重ねてみる)、「ルパン対マモー」のルパンと、「カリ城」のルパンと、旧ルパンと新ルパンでは、それぞれ顔が違いますよね? そういう感じだと思います(わかったね?)

そんな感じで、作品ごとに顔の違うゴジラですが、特に人気の高いのが、元祖である初ゴジ、モスゴジ、ビオゴジなのですが(わからない人には全くわからない)、このキンゴジもトップグループの人気を誇る、大人気ゴジラなのです。

僕が最初に見たゴジラでもありますので、当然このゴジラは超大好きです。一番好き、と言っても過言ではありません(まぁ、その時々の気分で違うのですが)。

何が魅力か、って、やはり類人猿のキングコングと対決させるため、より違いをクッキリと浮かび上がらせるためか、全てのゴジラの中で際立って爬虫類顔、言ってみれば恐竜顔なんですよね。

ゴジラって、実はあまり爬虫類っぽくない、恐竜っぽくないんです。

初代とか平成ゴジラで言うと、耳も生えてるし、肩もある。そんな恐竜やトカゲはいません(まぁ、恐竜はトカゲとは違うのですが)。

何かで読んだけど、ゴジラって魔人らしんです。人のフォルムを参考に作られているというか。

そもそも初代ゴジラのコンセプトとして、戦争で亡くなった兵士の亡霊、というのがあったそうです。

ですから、ゴジラってそもそも人なんです。

設定的にはジュラ紀の恐竜の生き残りなんですけど、デザインやコンセプトは人らしいんです。

だから、ゴジラは見ようによっては人に見えてしまう。人が怒れる神となった姿なので、当然そう見えてしまいます。

だから、ヒトの祖先であるサル、ゴリラ、その巨大種であるキングコングと見ようによっては被ってしまうんですね。

だから、このキンゴジはヒトとは異なる形にしなければならなかった。だから、シリーズ中最も爬虫類っぽい顔になったのではないかなー、と想像します。

そんでまた、このキンゴジ、太いんですよね。それに、強そう。「強そう」という説得力では一、二を争うかもしれません。このキンゴジなら、キングギドラも余裕で粉砕しそう。

やはりこの「強そう」というのも、相手のキングコングとのバランスを考えてのことだと思います。

この映画のタイトルは「キングコング対ゴジラ」です。キングコングの方が先にコールされています。

つまり、主役はキングコングなのです。

両者の対戦ストーリーを追ってみても、それは明らかです。

先ず、大涌谷で初激突します。そしてゴジラ放射能火炎で圧勝します。コングはビビって頭をかいて敵前逃亡。

その後、コングは自衛隊の高電圧線100万ボルト作戦により、帯電体質となり、放射能火炎に対抗する強力な力を得ます。

そして最後に富士の裾野で決戦。苦戦しつつも、最後に逆転。

ただ、勝利を収めたっぽく見えますが、両者揉み合いつつ海に落下し勝負はうやむや。両者リングアウトのような、非常にプロレス的な、ある意味、両者に傷のつかない最も美しい形の決着となりました。

このストーリー。まるでバトル系少年漫画のようではありませんか?

強大な敵が現れる→猛特訓なりをして対抗する力を身につける→激戦の末勝利

これをキャプテン翼に当てはめると、

日向小次郎が現れる→(色々割愛)ドライブシュートを習得する→激戦の末、南葛・東邦、両校優勝

となり、バッチリ当てはまります。

ですから、主役のコングを引き立てるため、ライバルであるゴジラは強そうじゃないといけないのです。

そりゃハリウッドからお借りした大スターですからね。おいしくしないといけない。でも、勝利は渡さないw

そう考えると、他団体のエースを自分のリングに引き上げ、非常に盛り立てはするけど、勝負はうやむやにする、というか。

或いは、各国のスターレスラーを挑戦者として迎え、相手の良いところを引き出しまくって、最後は反則負けでタイトル移動なしとか、両者リングアウトで防衛とか、なんとなーくチャンピオンに居座り続ける往年のNWA王者のよう、というか。

いずれにしても、プロレスの方が当てはまるかもしれませんね。

プロレスの世界戦興行に少年漫画のストーリーを当てはめたというか。

怪獣映画は基本的には怖い

そういや、これ見返して思ったんですけど、子供の頃って、割とガチで怪獣怖かったと思います。

もう随分昔のことだから、その感覚は忘れちゃったけど、ゴジラとかキングコング出てきた時「うわぁ…」って、ホント怖かったと思う。

子供の目って、あの無機質なテレビゲームの世界(最近のはすごいけど)にも非常に豊かな世界を見る、というか自分で勝手に作っちゃうことができるので、ましてや怪獣なんか、あの特撮の向こうに自分で世界を構築しちゃってたんでしょうね。

だから、大人の目とは比較にならないくらい、豊かで深い、世界が広がってたんだと思います。だから、怖い。

そういえば宮崎駿は、最初のゴジラが公開された時に劇場に観に行って、すげえ怖かったそうです。

この映画でも、あらためて大ダコのシーンは怖かったですね。

本物のタコを使ってるから動きはそりゃもう自然。それを大画面に映してるもんだから、キモいw

あと、タコの撮影もすごいけど、音効が素晴らしいですね。

あの、軟体動物特有の「クチャッ」とか「クチュッ」とかいう音や、ヌメヌメした感じの音を被せてくるわけですよ。

あと、呼吸音ですかね。多分口だと思うんですけど、それが開くのが見えるんですね。で、それに合わせて「クパッ!」っていう音が重なるんです。ヒー。キモい。

やはり特撮の八割は音ですよね。以前、庵野秀明の、段ボール倒しただけの絵にそれっぽい音を重ねるだけで、ビルが壊されるように見える、っていう談話を読んだことがあります。

そんな感じでですねー、今見ると娯楽大作って感じなんですけど、子供の頃は「怖いもの見たさ」って感じでしたねー。

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