azzurriのショッピングレビュー

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僕が買ったもの、観に行った映画・ライヴなど、要は金を払ったものに対して言いたい放題感想を言わせてもらおうというブログです。オチとかはないです。※ネタバレありまくりなので、注意!

「ヴァレリアン 千の惑星の救世主」ネタバレ有り感想。日本のSFアニメっぽい。

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ヴァレリアン 千の惑星の救世主」はですねー、リュック・ベッソンということで観たんですけど、なんかあんまり前評判は良くなくてですねー、あんまり期待しないで行ったんですね。

そしたら、観たらこれがまためちゃめちゃ面白かったです! 超俺のツボにハマりまくり!

こういうSFが観たかったなー、っていう感じです。なんとなく、昔観た「クラッシャー・ジョウ」に通じるものがあるように感じました。

主役二人が若い(つーか子供)!

主役二人の男女が凄腕の捜査官で、少佐と軍曹なんですが、その割にはティーンみたいな見た目です。そのアンバランスさが、子供の活躍が大好きな日本のアニメっぽかったですねw そういうところも観慣れてる感じもあって、僕好みだったかもしれません。

ここらへん、国民性出ますよね。日本人って、子供であることを求められるようなところがあると思います。いつまでも若く見られることにものすごい価値を見出したり。例えば、「いつまでも子供の心を忘れない」って表現は何よりも大事なことのように語られるじゃないですか。

一方、海外、特に欧米の社会は全く逆みたいですね。早く大人になることを求められる。そして、早く大人になりたがる。だから、男は若いうちからヒゲ生やしてみたり、髪型なんかもアップにする人多いですよね。あれ、髪を上に上げることで大人っぽく見えるかららしいんです。一方、日本人の男は前髪垂らしたがりますねw

また、日本のヒーロー像も昔から少年であることが多かったように思います。例えば、牛若丸だったり、桃太郎だったり、ねずみ小僧だって、あれ「小僧」ですからねw あとヒーローじゃないけど、「AKIRA」なんかも、子供が非常に脅威として描かれています。日本には昔から子供を、大人とは違った、もっと言ってしまうと、人とは違ったもの、神聖視するようなところがあるように感じます。

その一方で、すごく子供を大事にするところもあったみたいですね。江戸時代に海外からの使者が来て、日本の町を歩いたら、子供がすごく屈託無く笑ってるのを見てびっくりしたらしいんです。多分良い意味でw あぁ大事にされてるんだなぁ、って思ったみたいですね。

そういえば、これだけ童謡が多い国も珍しいらしいみたいです。子供のために曲を作るってこと自体がそもそもあんまり多くはないようです。よく考えれば、これだけ子供のためのアニメや特撮を何十年も何本も作り続ける国も珍しいですよね。これも、もちろん金儲けってのもあると思うけど、基本的には子供を大事にしよう、っていう精神性があるように思います。

そんなわけで二人とも見た目若くて(年齢設定は幾つかはわからない)、日本のアニメっぽいんですけども、原作はフランスの漫画だったりします。

あと、二人の衣装も良くて、危険な極秘任務なのにアロハとか観光するような格好でやってきて(潜入捜査だからそれでいいんですけど)、そうかと思えば基地では軍服やパワードスーツを着てすごく凛々しい。そのギャップ感がすごく良かったです。

ちなみに、タイトルは男の子の名前の「ヴァレリアン」ですが、原作では女の子の名前も入っていて、「ヴァレリアンとローレリーヌ」というらしいです。

多人種の平和的な共生

SFの世界観も素晴らしくてですねー、異次元を行ったり来たりする都市や、宇宙中の多人種が暮らすスペースコロニーは、旧作をなぞっただけの新作ブレードランナーや最近のスターウォーズよりも『新しさ』を提出しているように思いました。

後々調べたら、原作は「スターウォーズ」にも影響を与えているということで、なるほどちょっと似てはいました。多人種が当たり前に共生している点なんかは、確かに「スターウォーズ」を彷彿とさせますね。

またこの設定が良くて、多人種がそれぞれの特徴を生かし、平和的にうまく共生しているんですね、この映画の中では。それって、ある種の理想郷であるんですけど、個人的には現実の世界の遠回しな皮肉のようにも思えてしまいました。

この「多人種の平和的な共生」は冒頭にも現れていて、デヴィッド・ボウイの「スペイス・オディティ」をバックにISSに様々な国の宇宙飛行士が年を追う毎に訪れ、果ては宇宙人が次々と訪れて握手を交わし、共生するようになるんです。

この感じがねー、すごく良いんですね。何か、リュック・ベッソンの言いたいことが、この冒頭に全て集約されてる感じで。

もはや宇宙人は侵略者ではなく平和的に共同作業をする仲間として描かれている。その感じは、なんとなく「未知との遭遇」にも通ずるSF観だと思います。

楽しいSFだけどテーマ性もある

基本的には、宇宙を舞台にした胸踊る活劇大作で、非常に楽しいSF映画だと思うんですけど、現実に即した深いテーマもあるとも思うんです。

過去に住処を奪われた星の住人と、奪った張本人の司令官の陰謀が話の軸なんですけど、それは過去何回も繰り返されている戦争の比喩のように思えてしまいました。

そして、この映画では、奪われた人々は基本的には「許す」と言うんですね。そしてヴァレリアンとローレリーヌは罪を償うと言う。

この許しと謝罪が、現実の世界の戦争に対してのメッセージなのかもしれない、ように思います。まぁ、そう簡単に許せるとは思えないのもまた事実ですが…。

また、実は主人公側が侵略者、破壊者であったという点は「海のトリトン」やウルトラセブンの「ノンマルトの使者」にも通じると思います。ただ、侵略者を主人公側全体ではなく、一部の悪人に留めているので、そのテーマが弱まってしまっている印象はあります。しかしこれは娯楽大作なので、ギリギリのバランス感覚でやっているのでしょう。その点も含めてよく出来た作品なのではないか、と思います。

ちなみにですね、出演者も豪華で、無駄にイーサン・ホークが出ていた時はホント嬉しかったです。「真実」とは当然ながら全然違う役柄ですw

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「女神の見えざる手」ネタバレ有り感想。コードギアスのようなカタルシス!

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女神の見えざる手」を観たんですけど、噂に違わずすごい映画でした。「巨悪を以て悪を制す」コードギアスに似た感動、カタルシスがありましたねぇ。

ロビー会社のやり手女性社員が仕掛けるサスペンス、ということで、まさに今の時代、右系(ロシア系、と言った方が的確か)ロビイストが国際的に暗躍している今、まさに観る映画だと思い、絶対観たかったんですけど、それだけに留まらず、「映画」としても大傑作。

この映画観たら、やっぱり政治には金が必要らしく、そこがまた何ともはや。

主人公・スローンがカッコいい!

それにしても主人公のスローンは男みたいです。いや、これがこれからの女性のスタンダードか。男は弱く、女は強い。既にそういう価値観念は当たり前のものになりつつあると思います。

で、このスローン、所謂できるビジネスマンです。歯切れの良さ、頭のキレ、眠らず、目的のためには手段を選ばず、夜は男を買って性欲を満たす。そして恋愛はしない。…カッコいいッスね。

そして、この男を買うくだりで、スローンの生い立ちのようなものがほんの申し訳程度語られるます(主人公の過去は基本一切語られない)。家庭的に問題があり、かなり苦労して叩き上げで成り上がったことが示唆されていました。それまで強さ一辺倒で来たスローンのちょっと弱い部分の紹介。ここで少し観客に対して、主人公を歩み寄らせ、感情移入させようという狙いがあるのかもしれません。

ちなみに、この売春夫が後々聴問会で証言台に立つのですが、なぜスローンのために嘘の証言をしたのか、それがわかりませんでした。理由が説明されていないんです。でもまぁ、そこは予期せぬことで主人公の最大のピンチが救われる、というのはプロット的にありだとも思います。

主人公に常に弱さを感じる

実はスローンは終始強さを見せると同時に脆さも感じさせるんですね。

それは冒頭、公聴会の場に立たされていることが大きいと思います。「いずれ彼女は失敗する」と観客に思わせるからです。

観客がそのような色眼鏡でスローンを見ることによって、どこか脆さを感じさせるのではないでしょうか。

思えばスローンは(自分で蒔いた種なんだけど(^^;;)ほとんどの登場人物から信頼されていません。

仕事上の仲間はいるけど、実質的には孤立無援状態。唯一の仲間は、前の会社の大学院生だけ。しかも、それも物語上仲間だとわかるのは映画の最後の最後。それまではスローンを裏切った者、と描かれているんです。

予測できないと言えば、スローンの同僚が銃で襲われることは物語上、スローンも予想外だったと思います。そして、ここが非常に重要で、主人公側はこの予測不可能事で窮地に追い込まれ、スローンはこの同僚を失い、精神的に追い込まれてしまうのです。

スローンはこの同僚に「表に出ろ」と常に強要していて、その結果、表に出た彼女を命の危険に晒してしまいます。ただ、この「面に出ろ」というのは、スローンの本気のメッセージだったのかもしれない。スローン自身がそのように生きてきたのでは?と思ってしまったからです。弱くなってしまった自分を変えるには、表に出て、強くならなくてはならない。そう考えているのかもしれません。

悪を以て巨悪を倒す

しかし、それでも全ては彼女の計算通りに進み、最後は自らの破滅と引き換えに、政治家の不正を暴き、銃規制法案を勝ち取ります。ここのカタルシスは半端なかったですね! めちゃくちゃカッコ良かった。

公聴会で最後に語った言葉は登場人物の本音かどうかはわかりません(スローンは嘘ばっかついてますからねw)。でも、少なくとも製作者の本音であると思いました。

本当に国民のことを思っている政治家は力を持てない。力を持つのは金に群がるネズミだけ。

それは制度が腐りきってるからだと思います。構造的な問題なのです。

しかし、それでも議会制民主主義は堅持されなければならない、と思います。

民主主義は最悪の政治形態です。但し、これまでのあらゆる政治形態を除けば、ですが。確かチャーチルでしたっけ?

「銀河英雄伝説 Die Neue These 星乱 第一章~第三章」ネタバレ有り感想。田中芳樹の慧眼炸裂!

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名作揃いの2019年アニメ映画群の一つと言えるのが「銀河英雄伝説 Die Neue These 星乱」の第一章~第三章。

原作ファンのワタクシは、もちろん全三作劇場で観てきました!

まぁ、「全」と言いましても、TVシリーズからの続きで、これからまだ続くのですけどね。

そんな感じで、基本はTVシリーズですから、構成は30分一話、それを幾つかまとめたものとなっています。

ただ、それを劇場の大画面で観られるというのが、なんともファン冥利に尽きるというものです。

当然のことながら期待通りの素晴らしいアニメでした!

前アニメ版は残念ながら未見なのですが、今回のアニメも、やはり大名作のアニメ化ということもあってか、スタッフが気合入りまくっているのがひしひしと伝わってくるようでした。

映像にするとわかりやすい

映像で改めて観ると、小説では今ひとつわかりにくいところがわかりやすくなっていたところもありましたねー。戦闘シーンなんかはその最たるものだと思います。

またCGのクォリティも高かったですね。作画や動きやなども一級品であったと思います。特に戦艦の巨大感は大画面に耐えうるものでした。

もちろん、小説の方が心情などはより細かくわかりやすいのですが。それぞれが補完し合うので、原作とアニメの両方を観るのがベストかもわかりません。

また今回、映像で見てわかったことといえば、グリーンヒルがえらい間抜けな人間だったということですね(^^;; 騙されてクーデターを起こした挙句失敗し、あまつさえ帝国の刺客を殺そうとするより早く、その刺客にあっけなく殺されてしまうという…。彼は何もできなかった上に、大きな損失を社会に与えてしまいます。改めて映像で見ると、こんなに間抜けな男だったことを知って驚いてしまいました。なんせフレデリカのお父さんですからね、もっと崇高な人であって欲しかったです。

逆に言うと、こういう重要な登場人物にこういう役どころを与えるということは、それくらい、どんな人でも武力を持つとクーデターの魅力には抗えなくなる、ということを言いたかったのかもしれません。

田中芳樹の先見性

上記のグリーンヒルの役どころのように、示唆に富むところの多いのがこの銀英伝の大きな魅力の一つだと思うのですが、田中芳樹大先生(もう、大先生と呼ぶのが本当に相応しいと思っています)の慧眼には感服させられっぱなしです。

今回のエピソードにも名言が多かったですねぇ。個人的に特に響いたのはヤンの「人の命より尊いものがある。人の命より尊いものはない。前者は戦争を始める時、後者は戦争を終わらせる時だ」(ウロ覚え)という言葉でした。

また、第二章についてなんですけど、内容的にちょっと辛いシーンのある章なので、暗澹たる気持ちにもなった章なのですが、特にスタジアムでの虐殺のシーンは、なんというか、衝撃的というか、考えさせられるというか(こう書くとえらいチープですが)。

そのシーンに至るまでの状況が、言ってしまえば、かつての日本と現代の中国を混ぜたような状況だ、と思ったんです。これがもう何年も前の作品なので、銀英伝の警鐘性を褒めるべきか、進歩していない人間をけなすべきか、評価の分かれるところではあると思います。

そして第三章では、ヤンがトリューニヒトを権力の座に着かせる民衆とは一体何なのだろう?と自問する台詞があるのですが、これはそのまま現代の世界的な状況に当てはめることができるように思います。むしろ、この原作が世に出た時よりも尚、今の時代に当てはまる。

また、続けてヤンは、独裁者はそういった民衆を見て使命感を感じて独裁者になったのではないか、とも言うんです。不吉な言葉だと思いますが、当たってる気もしてしまいます。

ヤン・ウェンリーの優位性

僕はヤンが一番好きな登場人物なんですけど、やっぱり彼は物語中、もっとも達観した視線を持っていて、それは自分をも冷徹に見つめているように思うんです。その感じが、むしろどこか浮世離れしていて、とても好きなんですよね。もっとも、普段の彼は、趣味や思考が俗物だったりゲンキンだったりするんですけどねw そこがまたヤンの魅力なんだよなあ。

そのヤンのセリフに「流した血以上のことが自分にはできるのか」というのがあるのですが、ヤンの意に反して背負わされたものの大きさを物語っていて、短いながら、ヤンというキャラクターを全方位からよく表した名ゼリフだと思います。思うに、田中先生はヤンに自分の主だった考え方を全て投影しているのではないかな、と勘繰ってしまいます。じゃなきゃ、こんなセリフ言わせないと思うんですよね。

あと、「人は頭が回るようになると愚かなことを考えてしまいがち」というセリフもあるのですが、これは作品全体としてラインハルトの作戦を揶揄しているものと思われます。

ヤンは帝国内で内乱が起こると知った時、ラインハルトと同じ作戦、つまり捕虜を使って国内を混乱に陥れようと、ふと思うんです。でも、それは人道に反する愚かなことだ、と自分を諌めるんですね。一方、それを躊躇なく実行してしまったのがラインハルトです。ここに人として、ヤンの方が常にラインハルトよりも優位に立っていることを表しているように思います。一見すると、ラインハルトの方が煌びやかで高貴な貴族、という風貌ですが、その実、崇高な魂を持っているのはどちらなんでしょうか?

また、同盟が帝国領を統治した時、反乱を起こさせるよう計らったのもラインハルトで、これについてもヤンは「自分にも思い付くだろうができない」と言っています。ここも同じことを表していると言えるでしょう。

このシーンは現在のアメリカにおける中東支配をも見越していたように思えてしまいます。民主政治を与えれば、そこの市民は無条件に自分たちを歓迎してくれる、という勘違いが産んだ悲劇と言えるでしょう。圧政を敷かれていたとしても、そこにはそこの文化がある。それをよく知っていたのは日本を統治していたマッカーサーだったのかもしれません。

第三章では色んな登場人物がそれぞれに翻弄され、ヤンもまた同様であるのですが、それでもヤンは比較的安定しているんですね。常に理性を失わない。ここら辺がヤンのすごいところであり、一見頼りないように見えるけど、鋼の精神力を持っているのだと思います。

第三章は辛い

そして、今シリーズ最終章となる第三章はですねぇ…辛ーい!

小説を読んで、筋は知っているのに、いや知っているからこそ、先がわかって却って泣けてしまいます。そういう人は多いらしく、キルヒアイスがブラスターを手放すシーンで既にすすり泣いている人もいました(そりゃそうだ!)。

それに、映像にすると余計に泣けるというか。ここらへんは制作陣や演技陣の素晴らしい仕事が物を言ってる感じですかね。でも、それだけに辛い…。

キルヒアイスがラインハルトに苦言を呈するシーン、メルカッツが亡命を決断するシーン、そしてキルヒアイスの最期のシーン、またラインハルトと姉の電話のシーン、もうね、ここはホント泣けた。まぁ、メルカッツのくだりは違う意味の「泣ける」ですが。

いやー、それにしても第三章はラインハルトに襲い来る試練の数々が、さすがにキツかったですね。それもこれも全てはオーベルシュタインの策のせいなので、俺は本当にオーベルシュタインが大嫌いだ。

俺はオーベルシュタインが嫌いだ

ここから下は僕の感情に任せた文章なので、読み飛ばして頂いて一向に構いませんw ホント、俺は感情に流されて映画観るなー。

オーベルシュタインって、頭はキレる(狡賢い)し、先も見据える力があるのかもしれないけど、人間を見る力はないですね。また、先の先の大局を見据える力もなかったです。

逆にオーベルシュタインの持っていなかったものをキルヒアイスは全て持っていました。それだけに、オーベルシュタインに対するキルヒアイスの優位は動かなかったです。そこら辺の嫉妬があるから、オーベルシュタインは遠回しにキルヒアイスを暗殺したのだろう、と思ってます。僕はね。だから、オーベルシュタインのほくそ笑む姿を想像すると更に腹が立つ(そんなシーンはないけど)。

あと、やっぱりオーベルシュタインは人間というものをわかっていなかったのだと改めて思いました。

ラインハルトの暴走を止められるのは無二の親友のキルヒアイスしかいない。しかもキルヒアイスは賢明な人物です。彼ほどナンバー2にふさわしい人物はいなかったでしょう。冷徹なだけでは人は治められない。人間は机上の空論では動かないのです。

なんだか、社会主義革命のことを思い出してしまいました。社会主義の失敗は人間というものへの洞察があまりにも足りていなかった。オーベルシュタインもまさに、同じように、人間への洞察があまりにも欠けていましたね。

「ウインド・リバー」ネタバレ有り感想。強くなければ生きていけない土地とは。

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ウインド・リバー」という映画がありまして。脚本家が「ボーダーライン」のテイラー・シェリダン、しかも今回は監督するということで観に行ったんですけど、なんというか、「観るべき映画」だったと思います。

主人公の男のセリフが印象的

物語としては、父親の娘に対する情愛、そして復讐譚、という感じ。時代劇や歌舞伎でも多く取り上げそうなテーマで、個人的にはすごく面白く観ることができました(こういう話に対して、こういう表現はちょっと不適切かもしれないが)。

子供に対する愛情は母親の方が当然深く、この作品中に登場する女たちも皆、男たちより情愛の強さを感じました。しかし父親は父親なりに娘を愛し、一部の男は男なりに強くあろうと懸命だったと思います。

主人公の男が、娘を失ったネイティブアメリカンの男に言葉をかけるんですけど、その言葉が強く印象に残りましたねぇ。ちなみに主人公の男はネイティブアメリカンと結婚し、生まれた娘をその父親と同じような状況で失っています。

主人公の男がかけた言葉っていうのは、カウンセラーに言われた言葉として語られるんですけど、悪い知らせと良い知らせがある、と言うんですね。

悪い知らせはこの悲しみから逃れる術はない、良い知らせは悲しみが続く限り心の中で常に娘と会うことができる。

だから、主人公の男はネイティブアメリカンの男に「苦しめ、悲しめ」と言うんです。悲しみや苦しみに向き合うことを肯定的に捉えているんですね。

その人に対する、言ってみれば「負の感情(ちょっと違うかもしれないけど、他に思い浮かびませんでした)」を持ち続けることは、その人と寄り添っていることに他ならない。

悲しみや苦しみを乗り越えることは、つまりその人を忘れてしまうことは、本当にその人の存在を消してしまうことでもあります。向き合うことは辛いけど、自分の心の中には生き続ける。

これ、多分ものすごく強くないとできないことだと思います。でも、主人公の男は、強くあれ、と言うんです。

強くなければ生きていけない土地

男は強くはないけど、それでも強くあろうとする。

この映画のラストで主人公の男がもう一人の主人公であるFBIの女性捜査官に「お前は強いから生き残った」と言うんですね。

運なんかない。強いから生き残った、強くなければ生き残れない、と。

言ってみれば、この映画の舞台となる土地はそういう土地なんです。強くなければ生きていけないような土地なんです。

そういう土地に、ネイティブアメリカンは追いやられている、とこの映画では言ってるんです。

強くあれ、というのはこの映画のメッセージでもあるけど、と同時にネイティブアメリカンの現状、白人が行ってきた所業に対する問題提起でもある、と思います。

脚本がすごい

脚本がものすごくよくできていたと思います。様々な言いたい事をさりげなく、しかも自然な形で盛り込み、且つ迫力のあるサスペンスに仕上げていました。

先ず、ネイティブアメリカンに対する深く根強い差別が映画の根底をずーっと流れていました。最初の方で、星条旗が逆さに吊るされたポールが映されるんですけど、観る者にこの作品世界を非常にわかりやすく説明し、この作品を非常に象徴していました。ネイティブアメリカンの白人に対する目線は常に敵対や恨みなど、複雑な感情に満ちている、ということがこの絵だけでわかります。

行方不明になったネイティブアメリカン若い女性は多いらしく、しかも、ろくな捜査も行われないらしんです。もうこれ、どういうことだかわかりますよね。

また、この男主人公が白人でありながら、ネイティブアメリカンと結婚している、というのも作者の心情や言いたい事を表しているように思います。

男主人公はまぁ多分、ネイティブアメリカンよりの考えだと思うんだけど、白人であるということで今一つ信用されきってはいない面があるんですね。

でも、それでも男主人公は殺されたネイティブアメリカンの娘のために捜査に協力するんです。あんまり信用されていなくても、命の危険を冒してまで、ネイディブアメリカンの友達のために操作するんですね。

監督・脚本のテイラー・シェリダンも白人だから、本当にはネイティブアメリカンの側には立てない。でも、ネイティブアメリカンに寄り添いたい、という思いの表れが、男主人公の立ち位置ではないかと思うんです。そう考えるのは安い感情移入でしょうか。

また、この物語はFBIの女性捜査官の成長物語的な側面もあるのですが、テイラー・シェリダンは美しく気高い女戦士と熟練の男戦士という組み合わせが好きみたい。「ボーダーライン」でもそうでした。

男は黙って資生堂エージーデオ24パウダースプレー無香料タイプ40g。そのお勧めの三つの理由とは?

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そろそろ衣替えの季節ですね! つまりそれは、いよいよ本格的に暑くなるゾ、という季節でもあります。

僕は基本的には暑いの大好きなので、夏ドンと来い!派ではあるのですが、さすがに昨今の「酷暑」はマジ勘弁です(^^;;

そして、暑いと言えば汗! 汗と言えば臭い! そう、脇汗や脇のニオイが気になる季節がやってきます。

そんな季節に重宝するのがこれ、消臭スプレーです。今回はワタクシが夏になると愛用する、資生堂が世に放った人気消臭スプレー「エージーデオ24パウダースプレー」の好きな点を独断と偏見だけでお送り致します。

無香料である

夏ってのは、ただでさえ汗が気になるのに、暑いもんだから当然の如く薄着になります。そうすると、それまでの季節なら「布」である程度遮断されていたものが、直でニオイ、そう、オイニーが他者の鼻を射抜いてしまいます。

オイニーというと、その昔「夕やけニャンニャン」という番組で(改めて文字にするとすごい番組タイトルだ!)とんねるず(主に石橋貴明)が、その当時おニャン子クラブの会員ナンバー15番だった立見里歌に「オイニー!」っつっていじりまくってたのを思い出します。

しかし「オイニー」って…(^^;; ここでは明言を避けますが、本当にスゲエ番組だったな。コンプライアンスは存在していなかったですね。

そういえば、立見里歌って、名前に「歌」が入ってる割には歌下手だったなぁ。

で、なんでしたっけ?

そう! オイニーです!

夏になるとバリヤフリーで他人の鼻を無差別に襲うオイニーを遮断しなくてはなりません。そこで重要となるのが消臭スプレーです。

ワタシが数ある消臭スプレーの中で、なぜエージーデオ24パウダースプレーを愛用するかというと、その理由の一つに「無香料」タイプがある、ということが挙げられます。

無香料。そう、ニオイがしないということです。

オイニーをやっつけるのに、ニオイを足すとはいかがなものか? こちとらオイニーが嫌だから消臭スプレーを使うのに、別のニオイが常に自分のワキからカヲルというのはどうにも納得できません。

しかも、人工的な化学のニオイがする、いわば「化学オイニー」、ケミカルオイニーです。俺だって人の子だよ? 化学の子ではありません。

そこへいくと、ワタクシが愛用している、この無香料タイプのものはニオイがない。オイニーをやっつけるのだからニオイがしないというのは実に理にかなっています。

もっとも、エージーデオ24パウダースプレーのシリーズにも香り付きのものもあります。しかしながら、個人的には上記の理由で見向きもしません。

男は黙って無香料です。

ジャケットの色が良い

やっぱりニオイのケアって、男性よりも女性の方が敏感にして、気になる人は圧倒的に多いと思います。

最近の若い男子はそこらへんの意識が高い子が大分増えてきているとは思いますが、女性に比べればまだまだ「ニオイが気になる」人口は少ないのではないでしょうか。これがおっさんだったら壊滅的と言っていいでしょう。

自然、その販売戦略もどうしたって女性中心のものとなってしまう。

だから我々「おっさんでもニオイが気になる」勢が手に取るにはいかんせんファンシーなジャケットのものが多いのが実情です。

やれ、ピンクだのパープルだのばかりです。ブルーとか男性でも持ちやすそうな色彩でも、そこはかとなく女性向けを意識したようなデザインとなっています。

そこへ行くと、このエージーデオ24パウダースプレーの無香料タイプ、ジャケットの色はグレイです。日本語訳すると「灰色」です。一昔前の言葉で言うと「ねずみ色」です。

ねずみ色。

これほどおっさん臭い色もないというもの。これなら、オイニーが気になるおっさんでも手に取りやすい。ちょっと、小脇から取り出しても、そんなに気恥ずかしくありません。

男は黙ってねずみ色です。

大きさは40g一択!

そして、エージーデオ24パウダースプレーには40gの少量タイプのものがあるのが気が利いてます。

ぶっちゃけた話、スプレーをシュシューッって脇にやっても、それほど効果は長続きしないんですよね。やっぱ夏は常に汗かいてるし。

そうなってくると、バッグとかに携帯して、気になって来たらちょっと席を外して、シュシューッってやるのが、結局は効果を「持続」させる一番のやり方のような気がします。

そうなると、やはりデカい缶よりもコンパクトなものの方がかさばらなくて良いと思います。

そこへいくと、この40gのタイプ。大きすぎず小さすぎず、丁度よいフォルムだと思います。気になってきたら、小脇から取り出し、こまめにシュシューッ。これです。

男は黙って40gです。

というわけで、臭わない、男が持っても恥ずかしくない、デカくない、の「三ない」が揃ったエージーデオ24パウダースプレー無香料タイプはおっさんには非常にお勧めできる消臭スプレーなのであります。