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僕が買ったもの、観に行った映画・ライヴなど、要は金を払ったものに対して言いたい放題感想を言わせてもらおうというブログです。オチとかはないです。※ネタバレありまくりなので、注意!

「鬼滅の刃」第十八巻ネタバレ有り感想。猗窩座のドラマが深すぎる!!



いやー、久々、「鬼滅の刃」全巻感想というマラソン企画。今回は第18巻!

遂に18まで来ました。なんとなく、「18」って言うと20まであとちょっと感がありますよね。ほとんど20巻というか。全23巻なので、いよいよラストスパートといったところでしょうか。

ところでこの18巻…ヤバいです。

もうね、ホント色々と見所満載!

個人的には、これまでのところ最高傑作の巻だと思います。

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猗窩座はなぜ鬼になったのか

猗窩座がなぜ鬼になったのか、その話がめちゃくちゃ良かったように思います。そこには深いドラマがあったんですね。

漫画に描き切れなかったエピソードが扉絵にも綴ってあって、全てを総合すると、この猗窩座との戦い、裏にある深度が、もう深すぎる!

猗窩座はなぜ鬼にならねばならなかったのか。こういう深みがあるから表面に表れてくるもの、この場合だとバトルシーンなんですけど、それが面白くなるんだと思います。

猗窩座は、犯罪を繰り返していたので、もちろん悪人ではあると思います。

でも、その犯罪は本当に罪だろうか、という作者の「レ・ミゼラブル」的問いかけがそこにはあると思うんです。

猗窩座を犯罪にまで追い込んだ社会にも罪はないのか、という。

猗窩座のエピソードはややステレオタイプなきらいはありますけど、でもそれだけに、人間の社会が普遍的に内包する問題を表してもいると思います。

思うに、結局、猗窩座はやさしすぎたが故に罪を犯したのではないでしょうか。

やさしすぎた彼が、社会に絶望したから、暴力を振るってしまった、そして強くなりすぎてしまった。

そしてそういうところに、鬼舞辻はつけこむんですね。そういう鼻がものすごく利く。さすが鬼というべきか、そうじゃないと物語が作れないというべきかw

また、そんなやさしい猗窩座に育てた、猗窩座の父はいかなる人物だったか、推して計るべしですね。

肉体が進化しない人間の強み

猗窩座が何百年かけても辿り着けなかった「至高の領域」に、炭治郎がこの戦いの中でやすやすと辿り着いてしまったのは、一見、いかにも「天才が好き」な少年漫画っぽいですけど、その実炭治郎が辿り着けたのは、父親まで至る脈々と受け継がれた先祖からの「日の神神楽」の伝承があったからだと思います。

確かに鬼に寿命はなく、その意味で何百年となく研鑽を積むことができます。しかし、一人という限界もあると思うんです。

一方、人の一生は鬼に比べればそりゃ短いですが、その技術は何百人となく多くの人を通っています。

その過程で、技術は改良もされれば、新たな発見もあったでしょう。その先端にいるのが、炭治郎なんです。

だから、一見やすやすと手に良いれた「透明な世界」なんだけど、そこには鬼以上の時間、そして試行錯誤が積み上げられているんですね。

そしてまた、それは炭治郎の後にも続いていくものなんです。

それは、この物語のテーマの一つでもあると思います。この「繋がっていく」というテーマは、煉獄さんが炭治郎に鬼殺隊を繋げたことでも描かれていたように思う。

この「繋がっていく」、「受け継がれていく」ということは、肉体が進化しない高度な社会的動物たる人間の最大の武器、進化でもあるわけですね。

ここの感じ、以前読んだ「ロスト・ワールド」とも繋がっているような気がします。

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自己犠牲

また、猗窩座の物語は、自己犠牲の物語でもあるように思いました。

確かに猗窩座は犯罪を犯しまくってしまいました。しかしそれは、父親のために体を張って罪を犯し、汚れ者になっていった過程でもあったと思うんです。

いわば自己犠牲ですね。

そしてまた、猗窩座へ挑む、炭治郎と義勇の戦いもまた、二人がお互いを助け合った自己犠牲の戦いでもあったように思います。

最後に猗窩座は自らを攻撃して散っていきましたが、これもまた自己犠牲と考えることもできると思うんです。自らを攻撃することで炭治郎と義勇の二人を「自分から」守ったわけですから。

と同時にまた、自己救済とも言えるようにも思います。自らの魂をも救済したように見えるんです。

そしてそうさせたのはかつての恋人の恋雪でした。ここでも、人との繋がりを感じることができました。

そしてまた猗窩座は、自らを消滅させることで、鬼舞辻にも勝ったと言えるかもしれません。なぜなら、鬼舞辻の思い通りにならなかったからです。

この瞬間、猗窩座は鬼舞辻の支配から逃れられたのかもしれません。

カナヲさん、怖ぇ

また、次のエピソード、カナヲさんの戦いなんですけども、カナヲさんが相手を挑発し、芯を食うのが上手すぎたw

そして強い!

久々、頼もしい「味方」を感じましたねぇ。

ああいう普段大人しい人は、よく周りを観察しているので(だから大人しいのかもしれない)、いざ怒ると怖い。

そしてまた、カナヲさん自身が弱いからこそ、上弦第二位の鬼を「何も感じることができない」と看破できたのではないでしょうか。

弱い人間はその弱さゆえ、敏感、センシティブであるように思います。

からしか見えない視線というか。

弱いゆえにカナヲは孤独であった。だからこそ、カナヲは鬼の「孤独さ」を看破できたのかもしれません。

空気を読まない伊之助の存在感

しかしそこはやはり上弦第二位。やはりカナヲさんも苦戦してしまいます。

そこに乱入してきたのが、伊之助です。

やはり、鬼一匹に対して隊士は複数で対決する、という構造のよう。どことなく新撰組を彷彿とさせます。

それにしても、(最後はシリアスになるものの)伊之助の空気を読まない滅茶苦茶さは、どこか作品に救いのようなものを与えているように思います。

伊之助が乱入したことで、一気に雰囲気を変えてしまう。こういうところがさすが伊之助ですよね。

ややもすると、暗くなるだけの展開になってしまうところを、楽しみ、可笑しみを与えてくれるというか。そのバランスが上手い。

かと思いきや、上弦二位の鬼と突然の因縁。ここにきていきなりの伊之助の過去が明かされます。

この急転直下な展開がすごいと思うんです。こう行くのか、と思わせといてそうはさせないというか。

伊之助の助っ人登場はちゃんと意味があったんですね。

こういう、いきなりに見せかけて用意周到、という演出が光ります。後から思いついたとしても、それはそれですごい発想力ですからね。

そんな感じで、隊士二人の憎しみが上弦第二位の鬼にどう向かっていくか。続きは次巻!



 

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iPhone12miniこそ正統なiPhoneSEの後継機!!

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ずっとね、iPhone12miniが欲しかったんですけども。

何がいいって、iPhone SEを踏襲しているらしいからです。

小さく、角ばったデザイン。

これは欲しいな、と。

ぶっちゃけ、最近のiPhoneってダサいじゃないですか(言っちまったw でも本当のことですから)。

以前は機能面ではAndroidに劣ってるから「頭の悪いイケメン」とか言われてたけど(俺に)、最近じゃ頭も悪けりゃ顔も悪いという、普通に「ダメな人」に成り下がってましたからね。

肝心のSE2も角が、でろーん、とだらしなく丸い、最近のスマホ業界の悪習を踏襲した形になってしまいました。しかも、SEなのにデカい! これもうSEじゃねーよw

ところが、この12miniは、かつての「頭の悪いイケメン」に戻ったというじゃーありませんか!

しかも、全面液晶という、最近の(多分)良いトレンドに倣っているという。

しかもしかも、SEとほぼ変わらぬくらいに小さいらしい!

そういった意味で、まさにアップデートされた「正統なSEの後継者」がiPhone12miniなわけです。

しかし、欲しいなー、と思い、SEの電池もかなりヤバくなっても、「まだ使えるっしょ」と後回しにし続けていていました。すると、そうこうするうち、iPhone13が発売に。

やべー!12miniなくなっちまう!

と、思いましたが、

型落ちチャンスじゃね?!

と、意を決し、購入に至ったというわけです。

ハッキリ言おう。iPhone 12mini、最高!

 

色々駆使して5万円代で購入!

そうなんです! なぜ今回ワタクシが重い腰を上げたかというと、型落ちチャンスだったからです。

まぁ、そうでなくても買う意思はあったんです(ホントですよ)。

ところが今回iPhone13の発売のニュースが世間を駆け巡ってから、先ず何が話題になったかと言えば、12の型落ち価格です(俺調べ)。

大して機能は変わらんのだから、この機会に安くなった12を買ってしまおう、というわけです。これを期に、ワタクシのように購入の意思はあるものの、伸ばし伸ばしにしていた勢が一気に動き始めました。

で、案の定型落ちして安くなったのですが、どこで買うのがベストか、ということです。ショップで買うか、ネットで買うか、ネットならどこが安いか。

先ずショップ。そこらのショップは詐欺まがいに無駄に多くのサービスを売りつけようとする上、それらを全部断ったとしても謎の「手数料」を上乗せしてきやがるという噂があります(未確認)。ですので、ここはハナから却下。

ならばと、僕はauなので、直営店ならそんなことはないだろう、とも思ったのですが、いちいち遠くの直営店まで行くのはめんどくさい。店自体は悪くはないんでしょうけど、そういった意味でここはまぁちょっと保留。

となると、やはりオンラインショップです。先ほど申しました通り、僕はauなのでau online shopかアップルの公式サイトかの二択になります。

調べたところ、アップルの方が安かったのですが、auならポイントが使える。その時、まあまあの額が貯まっていたので、比較してみたらauの方が安くなる。それに、機種の引き継ぎとかはアップルだとちょっとめんどくさそうだったんですね。というわけで、au online shop購入と相成りました。

いやでもですねー、今回初めてオンラインで買ったんですけど、これは便利だ! 煩わしい店員とのやり取りもないし、色とか容量とか支払い方法とか、納得いくまで一人でじっくり考えられる。

しかし、機種の引き継ぎが面倒だったー!

これはですね、容量を128Gbから64Gbにした関係でめんどくさくなってしまったんですね。今後はデータはもうクラウド使えばいっかー、って思って少ないの選んだんです。今のところはそれで良かったのですが、引き継ぎがめんどくさかった。

少ないところから大きいところへ引っ越す分には何らの問題もないのでしょうが、大きい方から少ない方では「余剰分をどうしようか問題」が勃発しますからね。

こはちょっと、前もって準備しとくべきでしたね。まぁ、次回からは気をつけます。

で、そんな感じで色々駆使したら、元々9万円だった12miniを5万円代で買うことができましたー! 型落ち最高! Yeah!

こんな箱に入ってました。やはりアップル。どことなく洒落乙な雰囲気が。

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中はこんな感じ。中の方が洒落乙だったりします。

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Hola!!! ようこそ、iPhone12mini!

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画面がデカくてステレオ

そんで、12miniを使ってみたんですけども、最初画面見た時はびっくりしましたね。

デカい! そして綺麗!

大きさ的にはSEよりもややデカい程度なのですが、なんせ全面画面ですからね。そりゃもうデカいですよ。それに、液晶も進化していて微細なところまでよく見える!

FGOやった時が一番びっくりしましたね。おまえ、そんなんだったんか! いやー、実は芸が細かかったんだなーおまえ、ってな具合。

しかもですよ、iPhoneをこう、横にした時ですよ。それまでは右側からモノラルで聞こえてきたものが、今回なんとステレオですよ、ステレオ!

左の、電話の時に使うスピーカーからも音が出て、ステレオになってるわけですよこれが。YouTube観る時なんかもお気軽にステレオで聴けるわけですよ。こりゃー、進化だなぁ、おい。

いやー、お前のこと、「頭の悪いイケメン」なんて呼んでたけど、今じゃすっかり立派になっちまったなぁ…。

ちょっとデカいけど、SEっぽさを踏襲

そして、肝心要のデザインです。

最初持って見た時に思ったのは「SEだな」でした。

そう! SEなんです!

やはりあの角っこがカクカクしてるんですよ! これだよ、これこれ! これこそiPhoneだろおー!

いやあー、戻ってきたんだなあーお前なあー。相変わらずイケメンだよ、カッコいいよ。

このシャープさイケメンですよ、iPhoneですよ。

大きさはですねー、ちょっと12miniの方が、まぁ若干なんですけど、大きいですね。SEは片手で全面楽に届いたんですけど、12miniはちょっとキツいですかね。まぁ、許容範囲ですが。

あと、裏面の林檎のロゴ下の文字がなくなってしまいましたねー。あれが良かったんですけどね。「iPhone SE」とか、ちゃんと文字で書いてあるのが。そういうのって、なんとなくメカニックでいいじゃないですか。

12miniの背中。

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ちなみにSEはこんな感じでした。このiPhone SEって書いてあるのがね、なんというか、シグニチャーというか、そんな感じで好きだったんですけどね。

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まぁ、リンゴのマーク一個だけ、デン、って感じで置いてシンプルにしたってのが、スタイリッシュでいいんでしょうけど、個人的な好みでは文字があった方が嬉しかったかな。

それから、やっぱり物理ボタンはカッコ良かったですね。全面画面は見やすいし、便利で、もちろんナイスなんですけど、「かっこよさ」で言えば、物理ボタンがあった方が見栄えはあったかなー、と。

それに、純粋にデザインの点だけ切り取って言うと、全面画面よりも、少し「遊び」の要素、空間があった方が見栄えが良くなるんですね。全部機能一点張りにしちゃうと、せせこましいというか、なんか、質実剛健的ダサさが出てきてしまいますからね。余裕のなさといいますか。

そういう、余裕というか、無駄みたいなものが、デザインだと思うんですよね。ところがこの全面画面にはそれがない。まぁ、機能という点では優れていると思いますので、いいんですけどね。

ただまぁ、そういった意味で、「デザイン」的にはSEの方がよかったかな、と思います。SEの方が、そういった意味での「顔」が良かったかな、と思います。

12miniは顔は「フツメン」でも、スタイルが抜群、って感じなのかもしれません。

左が12mini、右がSE。全体の大きさは、ちょっと12miniの方がデカいですが、そんなに変わらず。しかし、ご覧の通り、液晶の大きさは全然違います。

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そしてこうして見ると、やはり「顔」はSEの方が良いかもなぁ。しかし、利便性は完全に12miniの方に軍配が上がりますね。

 

「頭悪い」卒業?!

あと、今まではiPhoneって「頭の悪いイケメン」だったと思うのですが、最近はちょっと賢くなってきてるみたいですね。

iOS14からウィジェットAndroidっぽく使えるようになったり、Documentsというエクスプローラっぽいアプリがあって、中身のデータをフォルダに分けて管理しやすくなったり。

そもそも、そういうアプリを安心して使えるのも、アップルのアプリの認可のハードルの高いからなんですよね。

そういう安心感が実はiPhoneの最大の頭の良いところかもしれません。

それに、相変わらずフリーズしないし。めちゃくちゃ快適。

Androidはまだフリーズしてんのかな?



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『METALIVE2021』ライヴレポート。俺初の有料配信ライヴはCD付きで最高の配信ライヴ!!

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ある日、ツイッターを眺めていたら、METAFIVEの配信ライヴの情報が飛び込んできました! しかも発売中止になった幻のニューアルバム付き!

題して、「METALIVE2021」!

これはチケットを買わねばならん。

というわけで、イチも二もなくチケット購入! しかし、若干焦っていたのでよく読まず、特典付きの高額の方を買ってしまいましたw

1万4千円!

高い!

通常版チケットの倍くらいw

特典はオリジナルキーホルダーとアルバムジャケットのB2ポスター。

特に欲しくないw

僕はコレクターではなく、セレクターなので、これはちょっと失敗だったかな。この二つで通常より倍ってのは高すぎだよなー、さすがに。

特典付き、という言葉で「ああ、通常の方はCD付かないんだな」と勝手に翻訳してしまったんですが、通常チケットにもCD(もしくはレコード)が付いていたんですね(CDは欲しい)。

通常チケットにすべきだったw

やっぱり、人間焦りは禁物。次回からはよく読まないとダメですね。

しかし、結論から言うと、配信ライヴはもう最高! やっぱり日本を代表するスーパーバンドであることを再認識しました。

感想のその前に

そのスーパーバンドメンバーの一人、小山田圭吾が、この夏ちょっと色々ありまして。それで楽しみにしていたアルバムも発売中止。海外ではありえない、日本独自のガラパゴス的裁定が下されてしまったわけです。

まぁ、今回の問題については各人色々思うところあると思います。ただ、その「思うところ」は何を土台にしたものか。

元々掲載された雑誌の記事を読んでのものなのか?

その記事を編集した例のブログのみを読んでのものなのか?

或いは、ネットに拡散されたものやワイドショーを見てのものなのか?

或いは、文春掲載の小山田へのインタビュー記事を読んでのものなのか?

更には、CorneliusのHPに掲載された小山田のコメントを読んでのものなのか?

どれを読んでの判断なのか、そこで随分違ってくると思います。

個人的には、元の雑誌インタビューを読んでからの、文春インタビュー、或いは小山田のコメントを読んで判断したのなら、それはどんな感想を持とうが、良いと思います。

元の雑誌記事に対し、訴訟も起こさず、ここまで放置していた小山田圭吾にも非はあると思いますから。

個人的には、正直よくわからない、というのが本音です。というのも、被害者からのコメントが何一つ発表されていないからです。

今回の件は、結局『加害者』とされている小山田圭吾からの一方的な情報でしかないのです(雑誌記者の、事実と異なる編集はあったにせよ)。今のところ被害者、もしくは『共犯者』からのコメントは「広く」公には見られません。

様々な視点からの情報がない限り、何とも言えません。

そういう状況ですから、わからないと思いつつも、僕は一旦小山田のHPに掲載されたコメントを信じることにしました。だってその視点からの情報しか今は提供されていないんですから。

「いや、あいつの言うことは違っている」と、他の当事者からのコメントが発表されたら、その時にまた一から考えようと思います。

以下のライヴ感想は、そういうことを念頭においてのものです。

緊張感溢れてる!?

念願のMETAFIVEの配信ライヴ『METALIVE 2021』は、僕が初めてチケット買って観た超個人的記念すべき配信ライヴでもありました。

そして、正直、最初に小山田圭吾が映った時は、大丈夫か?と思ってしまいました。

そして幸宏がいない…。幸宏の復活を切に願います。

代わりのドラマーは、GREAT3の白根賢一。この人がまた良かった! さすが幸宏の代打です。

そんな感じでですね、最初のうちこそ緊張感がみなぎっていんですけど、曲が進むにつれ、徐々にほぐれてきた感じで、段々と熱いパフォーマンスになっていきましたねー。

小山田は、初めは、なんとなく居心地悪そうに弾いてるように見えてしまいました。

しかし、ギターを抱える彼は、段々と自然になってきて、熱い、夢中なパフォーマンスになっていったような気がしました。

やはり彼が居るべき場所はここなのだ、と。本来の彼の姿を見た気がして、どこかホッとするような気持ち。

しかし最初はそんな風に感じたこのライヴ、7月26日にZepp Yokohamaで行われた録画のもので、ライヴではなかったんですね。だから、曲順も配信された通りかはわかりません。

そういった僕が感じた、気持ちの流れ的なものは、果たしてメンバーのものか、観ているこっちのものか、曖昧でした。

で、結論から言うと、やっぱりそれは見ている側の僕の問題だったような気がします。

というのも、なんせ配信ライヴですから、アーカイブが期間限定で残るんですよね。それで、期限が切れる11月23日まで、毎日一回、PCだけじゃなく色んなメディアで、iPhoneだたり、iPadだったりで計4回観てw いや楽しかった。

このレベルのライヴをスマホで観れるんですよ! 逆に笑えませか?w 円盤だとそうはいかないですからね。やはりネット配信最高! さすが21世紀!

で、何回も観ていると、最初観た時感じたメンバーそれぞれの緊張、特に最初の数曲はそういう風に感じたのですが、そうやって改めて何回も観てみると、あまりそんなことはなかったような気したんです。

みんな、演奏中は結構ノリノリでやってるように見えたんですね。

つまりは、観ている側の勝手な思い込みというか、そんな風に思います。こうして改めて観ると、普通に日本一カッコいいバンドの、通常のライヴだったように思います。

なんとなくThe BeatlesのGet Backセッションを思い出しました。あれだけ仲の悪かったメンバーが演奏時は結構ノリノリで演奏していたようです。

なんというか、どんな時でも、音楽が鳴っている、鳴らしている時だけは、全てがチャラになるというか。

あと、カメラワークが良かったですね。忖度なし。『普通に』映していたのが非常に良かった。

最後、小山田が深々と長く、お辞儀をしていたのが印象的だったのですが、そして、それを特にアップにすることのなかったカメラ。素晴らしかったと思います。

ボーカル

やっぱり、小山田のギターは良いですねー。ものすごいテクニックがあるわけではないんですが、同じカッティングでも、聴き心地が良い気がします。

それに、変なギターソロ、変なスケールというか、やはり優れた作曲家ならではの、コンポーズされた、独特な発想が、素晴らしい。やはりセンスが半端ないと思います。

Luv U TOKIO』が始まった時。僕の特に大好きな曲だったので嬉しかったのですが、なんと本来幸宏のボーカルパートを小山田が歌ったんです!

これには驚いたし、シビれた!

元々小山田の声が大好きということもありますが、ああいうことがあったので、大丈夫か?という思いも、正直あった。

でも、どことなく震え声のようにも聞こえた声は、何か「覚悟」のようなものを感じました。

この曲は、本来恋愛を歌ったものだと思うが、取り方によっては友情を歌ったものにも聞こえる。非常にグッと来てしまいました。

そしてやはり、小山田の声は良い。

本来小山田のパートででもあるかのようにすら聞こえる。

そして、幸宏、レオ、小山田と、三人も優れたボーカリストがいるこのバンドの恐ろしいまでの底力も感じる。ホントにスーパーバンド。

声と言えば、権ちゃん歌上手い! 今回、会長のコーラスパートの代わりをほとんど勤めていたのですが、なかなか深くて良い声だと思います。さすが音楽職人!

もう一人のスーパーボーカル・レオは、声も良いが、やはり良い顔w こうしてカメラでアップになると、イケメンさを再確認させられます。

メインボーカルは幸宏不在ということで、今回はレオだけになったからか、まさにセンターといった役所。そして普段はソロアーティストとして活躍しているだけあって、実に堂々としたステージ捌きでしたね。

小山田は他にも「TURN TURN」と「環境と心理」でも素晴らしいボーカルを聞かせてくれました。

「TURN TURN」はそれまでのMETAFIVEのライヴでも歌っていたけど、なんとなく遠慮がちに歌っている印象だったんです。でも、今回は力強く歌った。やはり何か覚悟のようなものを感じました。

そしてこの「TURN TURN」は元はsketch showエレクトロニカで、ほとんど原曲のままに演奏してるのに、迫力のあるサイケロックになっていた。

素晴らしい演奏、アレンジ。

やはりそもそもsketch showの二人がロック畑出身だから曲そのものがそもそもサイケロックだったのもあるだろうし、このバンドメンバーの出自がロックだったということも再確認させられる(まりんとテイ・トウワは違うかもだけど)。

途中なんか「Helter Skelter」みたい!

あと、白根賢一の要素も外してはいけないと思います。彼のドラムがサイケロックさをより一層加速させていたように思う。素晴らしいドラミングでした。そしてイケメン。

そして最後の「環境と心理」は歌詞とも相俟って、グッときてしまいました。図らずも、小山田のプライベートな内心を吐露するように聞こえた。

そして、それは映像とも相俟って、誰にでも当てはまる広がりを感じました。

荒々しい!

また、METAFIVEは、ライヴでは各人、実はすげえ荒々しいことをやっていると思います。

非常に綺麗に、緻密に作り上げられたものを、音で『汚し』ていっているように思うんです。

例えば、ガンプラを組み上げて、銀のプラカラーで『汚し』を入れるよう。

汚すことで、ややもすると綺麗なだけの音楽に、『色』が付くというか。ガンプラに汚し塗装をすることで、リアリティ、存在感を与えるのに似ているように思います。

あと、ほとんどのメンバーが、それぞれの楽器をパーカッション的に使ってる気がします。「Don‘t Move」なんて、ボーカルすらもパーカッション。そもそも、小山田のギターは非常に打楽器的。

さすがに幸宏のバンドだなぁ、って思います。

で、そういう傾向を更に推し進めたのが、やはり今回代打として入った白根賢一だと思います。

常時、ドラムという「野蛮な」楽器が入ることにより、荒々しさが増しましたね。

しかもこのドラムが荒々しいようで、手数が少なく細かいことをやっているというか。

「野蛮な」楽器なだけに、逆に繊細さを出そうとしているというか、そのバランス感覚が非常にMETAFIVEに合っているような気がします。

「図らずも」白根賢一を「手に入れた」METAFIVEは、やはりどうしても今後を期待してしまいますねー。

そして、そんな荒々しさの最後に「環境と心理」が来ると、逆にその美しさ、切なさが際立つ。何ともニクい編成。

配信ライヴ最高!

ニューアルバムからの楽曲はほとんどなかったけど、それだけに久々に観たMETAFIVEを懐かしく感じ、嬉しくも思いました。

わずか一時間という短いライヴだったのですが、それもまた、先週のBUMPの時も感じたが、配信ライヴでは良かったかもしれない。

そうなんです。2週連続で素晴らしい配信ライヴを観れたんです。なんて贅沢!

そしてまた、配信ライヴがかなり良い!

分け隔てなく「特等席」で観れるわけだし、落ち着いて座って観ることができる。

環境は自分の部屋ということで快適だし、飲み物とかも、格安で好き勝手に飲める(今回飲まなかったけど)。

快適さ、という点では圧倒的に配信ライヴに軍配が上がりますねー。

また、ライヴ当日より数日間、アーカイヴが残るというのがもう最高。その期間、何度も楽しめる。

今後は配信ライヴの方が良いかもしれない。もちろん、現地は現地にしかない、変えがたいものはありますが。音響とかは特にそうですかねー。あと、何と言っても「すぐそこ」に本人たちがいるというのが燃える!

そして、11月23日の23時59分、配信終了まで残り5分、最後の曲はこの曲以外ありえない「環境と心理」を観て、見納めました。

このレベルのライヴを、DVDではなくネット配信なので、PCやテレビではなく、スマホで観ることができるという贅沢を噛みしめるためiPhoneで観ました。

0時を過ぎてもまだ再生できてびっくりしたけど、29分になったら、さすがに見れなくなっていました。

 

 

 

 

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「ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク2」(下)ネタバレ有り読書感想。マルカム先生、恐竜絶滅の真相を解き明かす!?


えー、すっかり寒くなってしまいました。10月です。下旬です。寒いです。

そもそも、夏のクソ暑い時季に同じ季節を舞台にしたクソ暑い小説を読んだら臨場感マシマシだろう、ということで読んだこの「ロスト・ワールドージュラシック・パーク2」!

そう、読んだのは夏なんですよね。しかし、更新をサボりまくってもう冬将軍の雄叫びが聞こえてきそうなサムサムな季節となってしまいました。

というわけで、今回は下巻の感想をば、書きたいと思います。

ちなみにこの本を読んだ夏って、去年のことですよ。

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マルカム、大いに語る

いや、マルカム先生、下巻も舌好調!

この作品の肝でもあるマルカム先生の大講演。これですよ、これこれぇ。

科学の客観性

客観性というものは存在しない、という観点が面白かったですねぇ。

マルカム先生曰く、科学と、文学や宗教の間には大きな壁があるそうなんです。

その壁とは客観性なんですね。

文学などには、観察者の視点というものが重要です。確かにそうですよね。その作者が何を考えているのか、何を訴えたいのか、そこが大事じゃないですか。

視点なくてしては文学はありえない。

一方、科学は客観性を重視したんですね。そこには逆に観察者の主観なんてありえない。

物事のありのままの姿、理をつまびらかにする。

それが科学でした。

ところが、この客観性は幻想だって言うんです、マルカム先生。

物事を観察すれば、その対象物に影響を与えずにはいられないんですね。

こことは今や自明の理だと。まぁ、「今」っつっても、90年代なんですけど。

まー、確かにそうかもしれませんねー。不確定性原理なんか、モロにそうですもんね。

恐竜絶滅の原因

先ず始めに言っときますけど、2021年の今では恐竜は絶滅していないことになっています。なぜなら鳥が恐竜だからです。

という説もある、という方が正確でしょうか。いずれにせよ、恐竜が完全に絶滅した、という説は現在では割と危うくなっている、とは言えるかもしれません。

この本が書かれた時は、まだ鳥が恐竜だとはわかっていないんですね(多分)。だから、一応ここでは「恐竜は絶滅した」という時代の話として聞いてください。

で、恐竜の絶滅なんですけど、恐竜が絶滅したのは行動の変化によるものではないか、とマルカム先生は仰います。

生物の行動の変化というものは、進化による変化よりも大きいのだそうです。そしてそれ故、適応力に欠けるかもしれない、とも言います。

変化が大きいと、それだけ、いざ変わった時に修正するのが難しいんでしょうね。

複雑な生物は、「進化」、つまり体の変化による環境への適合を必要としないそうなんです。頭良いですからね。こういう時はこうしたらいい、って考えて、やり方、つまり行動ですね、それを変えられる、ということだと思います。

たとえば、道具の使用、学習、協力などなど、それらで適応していくことができる。なるほど、そうだと思います。

シャチなどのクジラ類なんかは狩りの仕方を子供に受け継いでいきますもんね。

最近ではシャチがホオジロザメの狩り方を「発明」したらしいですね。

何年か前、はらわただけ食いちぎられたサメが打ち上げられることが多くなったことがあって、人間の仕業だろうと当初は思われていたらしいんです。密漁的なものだろうと。

でも調べたら、犯人(というのも変な言い方ですが)はシャチだったらしいんです。シャチはえらいグルメらしくて、美味しくて栄養もあるサメのはらわただけを食うらしいんです。

で、サメの狩の仕方なんですけど、サメって軟骨魚だから内臓を守る肋骨がないんですね。それで、シャチがサメの横っ腹を体当たりして内臓を破裂させるそうです。

なんせシャチは哺乳類の中で一番速く泳げますし、あの巨体ですからねー。タックルされたらひとたまりもありません。

それで仕留めたサメをゆっくりと食事するという。怖いですねー。

これも、言ってみれば「行動の変化」ですよね。体を変化させることなく、行動を変化させることによって対応する。

教育のために社会はある

でも、そうすることによって、自らの身体を進化させるということができなくなるらしいんです。そうする必要がなくなる、というべきか。

複雑な動物にとって、適応とは行動の変化であって、それは社会的に決定されることだそうです。

社会が決めるんですね。その種の個としては社会に適応しなくてはならない。環境の変化の適応は、個の社会への適応、という側面も多分に含まれているのかもしれません。

だから、社会が決める、つまり後天的に獲得しなくてはならないわけですから、教育がなければ、その種としての正しい行動が取れない、というわけです。

往々にして動物園の動物が子育てできないのは、そのような教育をされていないから、他の個体の子育てを見たことがないから、ということに由来するらしいです。

つまりは、あるべき社会の姿、即ち種としての自分の似姿を見ることができない、というわけですね。

だから、この話でのラプトルは秩序だった行動が取れません。頭が良い、という触れ込みなのにおかしいな、とは思っていたんです。そしたら、そういうことを描いていたんですね。なるほど納得でした。

この「頭の良いはずのラプトルがなかなかにして野蛮な頭の悪い行動をする」というのは第一作からあることなので、多分作者は続編も念頭に置いていたのではないでしょうか。

以上のことが理由で、この本の舞台となっている島のラプトルは、最も下劣な個体の方が生き残りやすいという…。

なんだか…、人間の社会と似てるな、と思ってしまいましたw

それでですねー、この教育ということに関して、下巻の冒頭の、大体100ページくらいまでですかね、そこにですね、人間が社会を作るようになったのは教育のためだ、ということが書いてあって、非常に感銘を受けたんですけども。

ここ読むだけでも、非常に価値があると思いますんで、是非、冒頭の100ページだけでも読んでみてください。お勧めです!

インターネットは人類の終わり

かなり大胆なことが書いてありましたねー。しかも90年代に。

サイバースペース、つまり今で言うインターネットですね。これは、人類の終焉を意味する、とも言うんですねー、マルカム先生。

進化が起こりやすいのは少数の集団である、と言います。なるほど。小回り利きますからね。

大きくなればなるほど、何も為すことはできなくなる、と言います。確かに大企業なんかはそういうこと、よく言われがちですw まぁ、実際はどうだかわかんないですけど。

で、マスメディアがやっているのはそれであり、全世界を均一化させている、と言うんですねー。なんせ「マス(大きな塊)」のメディアですからね。そりゃ大きいです。

ここでマルカムに憂慮されているのは知的多様性の喪失ですね。

多様性がない、つまり可能性、選択肢がなくなるということです。

そういうものが失われると、ヒトという種が停滞する。なんせ可能性がない、選択肢がなくなるわけですから、そりゃ停滞もします。

そしてマルカムは、精神の大量絶滅、と言います。

昨今の状況を見れば、それは当たっているように思えてしまいますねー。まぁ、こうやってワタクシもネットを利用してしまっているわけですが…。

90年代中盤にこういうことを予測しているのだから、マイクル・クライトンさすがだなー、とも思うが、その頃からそのような兆候は既にあったのかもしれないですね。

現代に甦った恐竜を描く

そして今回、やはり恐竜の観察の描写が多く、その点では前作よりも現代に恐竜が甦った、という醍醐味がありました。

しかも、その甦った恐竜が、本当はこうだったんじゃないか、という感じでかなり説得力ある感じで描かれており、それを観察しているわけだから、読んでて非常に楽しい!

一作目の単行本の帯文に藤子F不二雄が、恐竜を見るという夢が半分叶った、と書いてあったと記憶していますが、それはこちらのロストワールドの方がよりふさわしいかもしれません。

前作は確かに恐竜を蘇らせはしましたが、描かれ方として、人を襲うモンスターという側面が非常に強かった印象を受けます。

今回はどちらかというと、草食恐竜をのんびり観察するとか、自然としての恐竜、そこには食物連鎖があり、攻撃と防御があり、子育てがあったり、そういう「生活」があることが、丹念に描かれています。

実はこれこそ読みたかった、現代の恐竜小説だったかもしれません。

子供嫌い

あと、やはりマイクル・クライトンは子供が大嫌いだったのではないかと思いますw

キングという、謂わば敵役の一人がラプトルに襲われるのですが、それを観察小屋から子供たちが目撃するシーンがあるんですね。

大人たちは、見るな!と制するんですけども。そりゃそうですよね。でも、その制止を振り切るんですね、子供たちは。

そうまでして、子供たちは残虐な殺人シーンを見たがる。

これはハッキリと子供の残酷性を表したシーンだと思います。

よく考えたら、一種、異様なシーンでもある。

子供って、知識はないのはもちろんのこと、感覚もまだ完成されてないですからね。だから、大人よりも、そういうスプラッターな、残酷なものに対しても、変に耐性があるように思います。

そういう、子供の持っている怖さ、残虐性というものを、マイクル・クライトンは察知していたのかもしれません。

物語的にはイマイチ

そうは言っても、やはり恐竜の強さというか、怖さというか、そういうものは健在です。ティラノサウルスに延々と襲われたりとかね。

あと印象的だったのが、保護色を使って狩りをする恐竜。これはなかなか面白かったですね。カルノタウルスという恐竜なんですけど、もちろん実際には保護色を使ったかどうかはわかりませんが、物語的にはそういう設定を加えられていました。

この「見えない敵」というのがスリリングでしたね。しかも、設定的には現生の動物では考えられないくらいの保護色。

もう、ほぼ完全に後ろの景色と同化してしまうんですよ。もう、ほとんど光学迷彩ですね! 攻殻機動隊じゃないんだからw

そいういう動物がいるとすればイカとかですかね。透明になっちゃうってのは。あと、サフィリナという甲殻類がいるんですけど(攻殻?!)、それはもうかなり透明になっちゃうらしくて、最初その動画見た時はびっくりしましたけどね。

まぁ、そんな感じで「透明になる恐竜」ってのも危険度MAXでスリリングですね。ちなみに体長は7メートルくらいです。デカッ! そんなデカブツが透明になるなんて…、怖っ!

しかも、そういう恐竜に襲われるシーンの描写がすごいんですよね。手に汗は握る感じで。次から次へと襲いくる展開はスピーディだし、目が離せません。

でも…、ですね。割と退屈かなw 延々と続きますからねw その間、物語的には何も展開しないですから。ちょっと、そういうシーンが長すぎだったかな、というきらいはありました。

しかも、いかんせん魅力的なキャラがいないし、逆にスゲエムカつくキャラがのうのうとしているので、なんだか読んでて正直どっちでもよくなっちゃった感じですねー。

あと、善人であるエディがラプトルにやられた、てのもデカかったですね。その時点で、この一行がどうなろうと、もう興味はなくなっちゃった。

しかもエディのやられ方が、あっさりしてたんですよ。劇的な感じならまだグッと来るものがあったのかもしれないけど…。こういう展開は非常につまらないですね。

やはり読者に感情移入させる魅力的なキャラがいないと、せっかくハラハラする展開でも他人事になってしまいます。だから、そういうシーン読んでても、ただひたすら冗長なだけでしかなくなってしまいます。

ムカつくキャラと言えば、実は生きていたドジスンが、主役側の一人、サラに殺されてしまうんですね。サラは自分が生き延びるためにドジスンをティラノサウルスの生贄にしたんですけど、この展開は微妙でしたねー。

確かにドジスンはこの作品一番の悪役なんですけど、一市民がほぼ殺人行為をするってのは、僕の感覚からするとちょっと納得するのは難しい。

それでは、結局サラはドジスンと同じ穴の狢になってしまいますし、事実、そうなってしまった印象は拭えません。やはり、キャラ作りという面では、この作品は今ひとつ…、って感じでしたねぇ。

今回は、加害者が特に酷い目に遭うこともなくのうのうと生き延び、被害者が酷い目に遭う、という、まぁ登場人物的には読んでいてつまらない感じでしたね。

それにラストのシーンも、なんだか随分あっさり島を脱出しちゃった感じだし。その後あの島はどうなったかの言及もなし。

前作のようなカタストロフィ的なものはなく、後日譚もなし。正直拍子抜けした感じでしたねー。

そんな感じで、登場人物の感情移入とか、ストーリー展開という点では、今回は今一つ、という印象でした。

マイクル・クライトンの分身二人

でも、恐竜の描写とか、マルカムの台詞を使ってのマイクル・クライトンの主張とかは、実に読み応えがありました。

最後のマルカムとソーンの対になるセリフも面白かったですねー。

マルカムは、過去5回地球では大量絶滅があったが、次回それを引き起こすのは人間ではないか、と言います。

人間はひどく破壊的で、しかも効率良く破壊する。人間は地球にとって掃除屋の役割を担っているのではないか、と言うんです。

地球は何億年かに一回、舞台を掃除して、生物を次の段階に進化させているのかもしれない、と。

なるほど。なかなかにしてペシミスティックですけど、昨今の状況を考えると、この作品が書かれた当時以上にマルカムの台詞が刺さります。

この先見性というか、予言性というか、怖いくらいですね。

それに対してソーンは、それは所詮仮説であり、理論だ、と反対するんです。

仮説や理論は空想でしかない。後の世の人からは笑われる可能性も高い。それよりも、手で触れられるリアルなものの方がずっと大事だ、と言います。

順序立てて考えていけば、おそらくマルカムの方が正しいんです。でも、それもまた全部ひっくるめて、「お前が予想しただけでしょ」とソーンは言い放ってるわけなんですね。まだ現実に起こっていないし、これから起こるかどうかは未知数。

そんな先の予想よりも、今目の前で起こっていることに目を向けよう、という。最後に悲観的な予測を提出しながら、それを笑い飛ばすかのように希望を与えてくれる。なんだかソーンという人物そのもののような台詞です。

この人物は、この物語唯一の、そして本当に魅力的な登場人物だったと思います。

とまあ、最後に述べられた二人の論は両極端な話ですがが、二つともマイクル・クライトンの考えのように思います。

前者は警鐘、後者は科学や机上の空論に対する批判。

やはりこの話の本当の主役はマルカムとソーンなのかもしれません。

ただ、ソーンはそれなりに活躍したけど、マルカムは何も活躍できなかった…。まぁ、マルカムに語らせるにはモルヒネを打たないといけないらしいので、仕方のない展開だったのかもしれませんが。

 

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「ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク2」(上)ネタバレ有り読書感想。映画は酷評されたけど、小説は面白い!!


やはり夏のクソ暑い時期には、クソ暑い設定の小説の読むのが臨場感も増し増しで良かろう、ということで読んだのがこの「ロスト・ワールドージュラシック・パーク2」!

マイクル・クライトンの名作「ジュラシック・パーク」の続編であります。

ジュラシック・パーク」は映画も公開されてバンバン大入り超満員。今日まで語り継がれる名作となったわけですが、原作小説の方も傑作でありました。まぁ、原作が良いから映画になったんだけど。

そんなわけでヒットが出れば当然の如く続編が作られるのがハリウッドの自然の摂理。御多分に漏れず、この「ジュラシック・パーク」も続編が作られ、それがこの「ロスト・ワールド」なわけです。

しかしこの続編、映画と小説、両方共観たり読んだりしたことのある人ならわかると思うのですが、「映画原作」と謳ってはいるものの、この小説、映画とは結構違ってます。

それもそのはず、この続編、映画は映画、小説は小説で、同時進行で各々別個に作っていったらしいのです。

随分変わった企画の通し方ですが、残念ながら映画の評価は散々(俺は好きだけど)。でも、こちらの小説の方は個人的にはなかなか面白いと思っています。

またこの小説中の登場人物・レヴィンが、白亜紀の生物が生き残っていてもおかしくない、と言うくだりがあるのですが、この小説の更に後の現代の視点から見ると、実は鳥は恐竜であることを知ってるので、なんというか、感慨深い。

時の流れを感じますねー。

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登場人物

今回も前回の「ジュラシック・パーク」同様、非魅力的なキャラが大挙して出てきますw

このシリーズは本当に非魅力的なキャラばっかり出てきますね。

今作品のガキどもも、前作のレックスに比べればはるかにマシだけど、やはりクソガキであることには変わりないです。

やっぱティムはよくできた子だったんだなぁ、ということが逆に浮き彫りになる感じですかね。

レヴィン

というわけで、先ずはレヴィンですかね。古生物学者の新キャラで、一応主人公格なんですけど、まー魅力ないw

本当にマジクソ野郎で、読んでて呆れるほど。トラブルメーカーのくせに(トラブルメーカーだから?w)心配してくれた仲間(と言ってよいかはわからないが)が助けに来ても「なんで来たの?」と感謝するどころか、むしろ馬鹿呼ばわりするくらいの勢い。

まぁ、レヴィンにはレヴィンなりの言い分があるんだろうけど、お前が連絡もなしに突然消えるからだろう!ということをわかっていない。やはり親しき仲にも報連相有りという感じですかね。そこらへんの人間関係のイロハのイが理解できない、そんな人。

相当優秀な人らしいんですが、異常に優秀な人って、えてして何かが欠けている場合が多いけど、その典型かもしれませんね。

また、描写として、レヴィンの病的なまでの綺麗好きが明るみに出たりもして、さもありなん、といった感じ。

やっぱりどこか異常な感じがする、という、こういう性格づけ的な生活レベルでの細かな描写はさすがですね。

ケリーとアービー

で、次は子供たちかな。今回登場する子供は秀才少女のケリーと天才少年のアービー。出だしは、前回と違って二人ともなかなか可愛らしいのかなー、と思ったんですけど、やっぱりそんなことはなかったですねw

二人とも少なからず問題がある子で、アービーは天才故か世間とのズレがある感じです。また、計画が狂うと思考停止になってしまいます。この性格付けも然もありなん、といった感じで妙にリアルなところが上手い人物造形ですね。

優れすぎてる人は何かが足りない、というのはレヴィンと共通しているところかもしれません。

もう一人の子供であるケリーも、勤勉な、なかなか頭の良い子ですが、いかんせん自己中心的で、自分が絶対的に正しいと思い込んでるやっかいなガキです。

アービーはまだ可愛げがありますが、ケリーの方は物語が進むにつれ、徐々に読んでてウザくなってきますw ああ、やはりティムはよく出来た子だった。

ドジスン

そして極め付けの非魅力的登場人物はドジスンですかね。まぁこの物語の悪役なので当り前なのですが。もう、殺人未遂とかしちゃったりしますからね。もう悪い悪い。

実は前作でも、悪事の手を裏で引いていたのはこの男で、事の発端を起こしたハモンドよりも、より直接的な悪であったように思います。

ドジスンの手引きがなければパークもあそこまでひどいことにはならなかったかもしれません。それだけに、物語にとっては重要人物ということになるんですけど。

でも、本来、それ故に物語的には粛清されなくてはいけない人物だったですが、のうのうと生き延びたんですよね、「ジュラシック・パーク」では。

ひょっとしたら、続編を書くのは既定路線で、その時にドジスンを粛清しよう、と構想していたのではないか、と邪推してしまいます。それくらいの悪党ですね。

ドック・ソーン

ひょっとしたらこのシリーズ初の魅力的なキャラかもしれません。それがドック・ソーンです。

まぁ、マルカムも相当魅力的だと思いますけど、ちょっと態度が尊大すぎるきらいがあり、残念ながら人好きのする感じではないですかねー(そこがカッコよくもあるのですが)。

しかし、このドック・ソーンという工学博士は、荒々しくもさっぱりとした、このシリーズにはいなかった魅力的な好漢です。

彼曰く、歴史も心理学も知らなければ、人のためになる設計はできない、いくら理論が完璧でも人が絡むとめちゃくちゃになる。

机上の空論ではなく、実践の重要性、総合的な、全人的な教育を重視している姿勢がよくわかります。

また、今回の子供達やレヴィンの弱点をも登場早々に看破している点もカッコいいですねぇ。彼もまた、マルカム同様、マイクル・クライトンの分身的キャラなのかもしれません。

で、今回もまたイアン・マルカムが登場するのですが、前回も出てきたし、割愛させていただきます。

描写

とにかく細部の描写が細かく、具体的!

そこは流してもいいんじゃない?と思うところも、これでもか、とばかりに描写してきます。そこがリアリティというか、実存感が表れているところかもしれません。

やはり恐竜を甦らせるという突拍子もないフィクションなのだから、小説世界の作りは細かくなくてはいけないのでしょう。

この細かい描写、設定が「恐竜が現代に甦る」ことに説得力が出るのですね。

そういうところは前回の「ジュラシック・パーク」を引き継いでいる点だと思うのですが、一転前回とは異なるところがあって、それは最初の恐竜出現シーンのところです。

あんまりもったいぶった感じはないんですね。しかも、グラント博士やティム君のような恐竜マニアはいないので、それほどの感動もありません。

今回は2回目だからなのでしょうかね。前回はもっと、こう、「練りに練った」感がありました。

なんせ、いるはずのない恐竜が出現するわけですから、謂わばこの小説の最も大切なシーンです。でも、割とあっさり。

2回目である今回の「ロスト・ワールド」は、「恐竜ありき」だからでしょうか。もう一回もったいぶっても意味はないのかもしれませんね。

ただ、島の全景を見る場面は、サバンナを見渡すような美しさと壮大さを感じさせます。今回は恐竜を、太古の、ある意味ロマンティックな存在というよりは、「動物」として描こうとしているのかもしれません。

そんなこともあってか、今回は恐竜を観察するシーンが面白い。

「こうだったんじゃないかな」を非常に理詰でリアルにシミュレートしています。それも実際のサバンナの動物の行動を参考にしてるっぽいので、説得力もある。

また、化石から推測することは連続写真を見てるようなものなのに、いつしかそれが現実のものと錯覚してしまう、という記述があるのですが、古生物研究が陥りそうなことかもな、と思いました。と言って、他にじゃあどうすればいいんじゃ、という感じですが…。

あとはですねー、今回は「ちょっとだけ近未来」の技術を投入した、秘密兵器的なマシンが登場。ちょっとだけだけど、来たるべき近未来SF、といった感じもあるところが、前回とはまたちょっと違うエッセンスですね。

マルカム先生、今回も大活躍

やはり、今回もまたマルカムのセリフが面白い!

しかも今回はいきなり始まるんですよねぇ。恐竜の絶滅は行動の変化が原因ではないか、とブチかまします。

曰く、カオスの縁より遠いとシステムは硬直化し、画一化する。近ければ、縁から落ちてしまう。

カオスの縁とは、適度に革新性を持ちつつ、適度に安定性を持っている状態らしいです。

いやあ、なんだかよくわかんないけど、なんとなく納得します。このマルカム先生の不思議な説得力。なんとなく分かった気になって、なんとなく頭が良くなった気分に浸れるので、気分いいですw

また、マルカムは絶滅のメカニズムについて、外的な要因よりも生物の行動の変化が絶滅に関与するのではないか、と言います。

マルカムは化石からは想像もできない「事実」を目の当たりにして(フィクションだけど)、恐竜はあれだけ複雑な行動をするのだから、やはりその考えは正しいのではないか、との結論に至ります。

例えば、氷河期の渦中にあっては絶滅は少ないんだそうです。でも、氷河期が終わりに入り、氷が溶ける時、つまり「二度目の変化」が起こる時、絶滅が起きるというんです。

二度の変化は相当な負担になる、ということですね。なるほど(←多分、よくわかってない)。今回も面白い論がいっぱいです。

マルカムの元カノ、恥をかく

それとは別に、ちょっと苦笑してしまう思想もありまして。

今回、サラ・ハーディングという、マルカムの元カノが出てくるんですけど、まぁなかなか、マルカムと違ってワイルドで肉体派な面もある、知的で、まぁなかなか魅力的な女性なのですが、ちょっと鼻持ちならない思想傾向があるのも事実。

どういうことかというと、この人、ハイエナを主に研究してるらしいんですけど、その研究対象の好きさ余って、あまりにもハイエナ上げにするためにライオン下げにするんですね。これが苦笑もので(笑)。

俺やっぱり、単純にハイエナは汚い下劣な肉食動物、っていうことでいいと思うんです。それが正当な評価だと思います。

ライオンがハイエナの仕留めた獲物を横取りすることを称して「下劣」と毒づく場面があるんですけど、それを言うなら、ハイエナなんかはチーターその他の肉食動物から獲物を横取りします。

更に言うなら、「下劣な」ライオンからも横取りしようとさえします。その事実をわかっていない(テレビで見たことがあります)。

思うに「人気者のライオンよりも、嫌われ者のハイエナの魅力がわかっちゃう自分スゲー」アピールをしたかったのでしょう。

しかし、狙い過ぎが見え見えで、失笑ものなんですね(笑) むしろ哀れというか…。

ストーリー

前回は「ジュラシック・パーク」という謎のテーマパークは何か、というのが物語前半の肝だったのですが、今回は「サイトB」がそれに当たります。

「サイトB」という施設が何なのか、それを中心にこの上巻は物語が進んでいきます。

そしてそのサイトBは、かなり闇の深い施設らしく、実はジュラシック・パークはその上澄みでしかなく、その暗部が今回の話っぽく進んでいきます。

そして今作では子供が活躍する場面が多いですね。

子供が大人に黙ってついて来てしまうというジュブナイルの王道的展開でもあるし、加えて上巻はあまりグロ描写が多くありません。

それを考えると、映画の成功もあってか、今回は多分に子供が読むことを想定して書かれているような気もします。

アービーなど、大人の能力を凌駕する子供の存在も、いかにも子供が好きそうな要素です。

だから、ある意味今回は「子供向け」と言って言えなくもないと思います。とはいえ、子供向けと言うには難しい話がいっぱい出てきますが(^^;;

また、マルカムが、前回あれほどまでにパークの建設に反対していたのに、なぜ今作でまた恐竜の島に来たのか、初めは理解に苦しみました。

しかしそれは、「絶滅」の謎を解くためだったのです。絶滅はなぜ起こるのか。

よく考えれば、そのメカニズムについては議論が喧しいですし、恐竜の絶滅ともなれば、更に議論は激化します。

よく言われる隕石(小惑星という説もある)衝突説も、有力ではあるらしいですが、決定的かというと、そうとも言い切れないものであるらしいです。

現代に蘇った恐竜を見れば、その謎が解けるかもしれない。マルカムはその一念で恐怖に打ち勝って「しまった」のです。

純粋な科学的興味は時に危険を顧みることができなくなるんですね。誰かが言ってたけど、勇気とは過大評価された価値観念、ということを思い出してしまいます。

そして、サイトBの恐竜は成体がいない、と妙なことに気付きます。

さあこれからどうなるか?! 次回下巻、乞うご期待!


 

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