「クローンは故郷をめざす」を観ました。いや、すごく良かった。今のところ今年一番です。このまま年間を通じての一位になる可能性も高いです。そのくらい良かった。
やっぱりミッチー良かったですね(^^) この人の演技は前から良いなぁと思ってたんですけど、今回は、1.高原耕平、2.クローン技術で失敗して精神面で小学生の頃のままとなった耕平、3.クローン技術に成功した耕平、の微妙な違いの三役を演じていました。この「同じ人間の三つの演じ分け」は微妙であるが故にすごく難しいと思うんですけど、演じ分けられていましたね。特に失敗したクローンの役が良かったですねー。多分、これはミッチー自身が子どもの持ってる独特の無邪気さを今でも持ってるんじゃないかなー、という所に所以があると思います。ミッチーって何か、無邪気ですよね(^^) 他のキャストも絶妙でしたね。知名度的には、それ程ドカーンと万人に知られている、というわけではないけど、力のある俳優を起用していました。
場も良かったですね。近未来的なロケーションもスタイリッシュでカッコよかったし、日本的な田舎の風景の荒涼とした感じも良くて、その対比も良かったですね。特に田舎の風景は何だか違う星の風景にも見えました。全体的に暗いトーンとか、カメラの撮り方とか、映像的にもホント良かったと思います。
それからやっぱり脚本が絶妙でした。様々な事象が複雑に絡み合い、且つ象徴している感じですね。色々な比喩にもなってると思うんで、考えながら、こう、観てしまいますね。基本的には家族の話だと思うし、自分探しの旅でもあると思います。この作品中の耕平の全ての行動原理は幼少の頃の家族にあると思うんです。耕平がなぜ自分のクローンを作ることを承諾したのか、それも全てこの頃にあるのだと思います。だから途中、子供の頃の描写が延々と続くんですけど、「長いかな」と思いつつ、そこはそれだけ重要な要素なんですよね。ここが後から効いてきたと、今では思います。で、まぁ、この映画、何だかすごく泣けるんですよね。それは誰しも持っている「心にある跡」を突いているからなのかもしれません。
それから、この映画では「魂」の話がすごく重要なキーワードになっていました。「クローンで人間を再生させるとして、ではその魂はどこから来るか?」みたいな台詞を最初にクローン技術を成功させた博士・勅使河原が言っていて、失敗したクローンには耕平の姿が見え、一緒に故郷に帰ろうとします。科学技術を突き進めて行くと精神世界に通じるものがある、という話はたまに聞く話だと思うんですが、そういう話もあってここらへんの展開は妙に納得して観てしまいました。耕平には子供の頃、川で溺れた時にできた傷跡が左手の甲に残っているのですが(このエピソードが全ての出来事の発端となってしまいます)、クローンとして再生された後の耕平にはこの傷がありません。しかし最後、耕平の左手甲に傷が戻ります。この時に、耕平の魂はクローンに宿ったのだと思うのですが、それは成功したクローンの耕平が本物(?)の耕平と同じ道筋を辿ったことによって、クローンは耕平に成り得た、ということなのかなぁ…と思います。もしそうだとしたら、この映画自体が観客に対して突こうとした(と思う)「心にある跡」こそが魂なのかなぁ…とも思います。ただここは、一回観ただけではわからないところかもしれません。
あと、耕平の母親の台詞で「人間は不便なくらいが丁度いい」というのがあるのですが、考えさせられる台詞ですねぇ。この映画全体を暗示してもいるし、実社会に対してもそうだと思う。便利さが世の多くの問題を排出してもいるし、その便利さの恩恵も被ってもいる。そして便利さからは逃れられない。「逃れる」というのもどうかと思うけど。答えを出すのは本当に難しいと思う。
この映画はSFでなければ描けない人間のドラマを描いていると思います。そしてこの話が「SF」ではなくなる日もそう遠くないのかもしれません。