「バケモノの子」を観たのですが、いや良かった。
予想していたとはいえ、良かった。
さすがですねー、細田守にハズれなし!
これで4本連続の大当たり。
ポスト宮崎駿は細田守で決まりですかね。
というより、もう既にそうなってるかもしれまんせんね。
男汁満載
もうホント、すごく良くて、映画を観てこれだけ感動したのは久しぶりですねー。
基本的には男の世界だと思います。もう男汁満載!
だから、女の子が観てもあまり面白くないかもしれません。男目線による男のための男の話。
そもそもタイトルからして男目線。男ってやっぱり強さに憧れるから、バケモノなんてのはその強さの象徴で、その子供となると、やはり広い意味で憧れはある。
言語化できない感覚を教える
で、「男だなぁ」と思うと同時に、実はかなり的を射たこと言ってるなー、と妙に感心してしまったシーンがあります。
それは熊徹が九太に初めて武術を教えるところ。
「グーッと持って、ビュッといって、バーン!」とか、「心の中の剣をだなぁ」とか、もう擬態語とか感覚的な言語のオンパレード。
そんなん子供に言ってもわかるわけない。
だから九太にも、わかんねぇ、って言われたり、「(心の中の剣なんか)あるわけねぇだろ」と全く理解されません。
でも、分かる人には分かる感じがするんですよね~。
パッと思ったのはスポーツ選手のインタビュー番組。
その中でたまに自分自身の中にある感覚を伝えることに苦労している選手を見かけます。
イチローはストライクゾーンの7割を打てると思うようになった瞬間がある、と言ってましたが、それはどういうことかについては「感覚の中の話ですからねぇ」となかなか具体的なことは話せませんでした。
陸上の朝原宜治は明確に「感覚の中のものだから」と擬態語の羅列でメモに取っていました。
また野村克也は「コントロールを教えられるコーチがいたらそれは究極の名コーチだ」みたいなことを言っていました。
コントロールとは本人の感覚の問題なので教えることができないんだそうです。
有名なところでは長嶋茂雄がバッティングを教える時「腰がフワッと」と、それこそフワッとした言葉で語っていました。
しかし、「腰がフワッと」という感覚はそれこそ「腰がフワッと」してるのであり、そうとしか言えず、ギリギリ言語化したものが「腰がフワッと」なのでしょう。
このようにスポーツや武術など、身体的な感覚をフル稼働させる時、それは多く言語化されないものであり、それは言葉では教えることができないものなのでしょう。
他に感覚をフルに使わなくてはいけないものは芸術などがそう。
だから日本古来の芸事などは師匠について見よう見まねで覚えていったり、それこそ「芸を盗む」などは教えてもらうことができないから、つまりは師匠としても教えようがないから、仕方がないから行う行為、と言えなくもないと思います。
考えるという行為はは言語を使って行うもの。つまり、言語が司るもの。
スポーツや武術、更には芸術などの身体行為はそれとは違います。身体に言葉はない。あるのは感覚のみ。
そして、そう考えていくと、ブルース・リーのあの名セリフを思い出してしまいます。
「考えるな、感じろ」
熊徹の擬態語だけの教え方は感覚を人に伝えることの難しさを表しているとも思えます。身体的な感覚は本当には言語化できないのですから。
蓮と一郎彦の違い
そして、今回最終的に一番幸せになってもらいたかったのは一郎彦でした。
なぜなら彼は、望んでそこに行ったのではないから。
蓮は自ら望んでそこに行った。しかし、一郎彦は気が付いたらいつの間にか自分が生きるべき世界ではない世界で、あたかも生来からの住人であるかのように生かさせられてきた。
小さい頃はそのズレがまだ少なくて済んだ。しかし、大きくなるにつれてそのズレは隠すべくもないほど大きくなってしまった。
彼は望んでそうなったのではない。ある意味、最も不幸な登場人物と言えるかもしれません。
だから同じ異界に住む人間でも九太とは根本的に違うのです。
九太は自ら他の者を捨て、異界に来た。
しかし、一郎彦は異界へと捨てられた。
だから一郎彦には幸せになって欲しかった。
だから、最後、多分これからは幸せになるであろうシーンで彼の登場が終わったことは何だかちょっとホッとさせられます。