曇り空を割って、あのお馴染みのポーズでのメリー・ポピンズが登場するシーンでは「来た!」という感じでしたねぇ。飛んで行った凧を持っての登場は「いかにも」という感じでもう最高。「メリー・ポピンズの再登場」としては申し分ない。
また、この凧が物語の中で非常に重要な小道具となっているあたりも素晴らしい演出です。また演出と言えば、冒頭の、弁護士が訪れるシーンも秀逸。あらすじで言えば弁護士が家に来るだけなのに、子供達と家政婦とお父さんと伯母さんでコミカルにドタバタと魅せる。ここらへんの演出はハリウッドの良き伝統がちゃんと引き継がれていますね。
まぁ何と言うかこの映画、製作者がメリー・ポピンズをわかっているなー、という映画でした。実写とアニメの共演パートがあるのですが、なんと2Dアニメ! 「もう2Dは作らない」と宣言してしまったディズニーの、まさかの2D! やはり2Dはいいですね。3Dのアニメは妙に生々しくて気持ち悪いです。しかも古き良きディズニーの2Dそのままといった感じで、とても嬉しかったですね。やはりこれでないと。その2Dアニメとメリー・ポピンズが共演するシーンはこの映画最大のハイライトでした。絵の中に入れる、というのが何とも夢がある。
また、バスタブのシーンは3Dだったのですが、人物の動きが、波の動きなどと微妙に合ってない。実はここが最高なんです。バッチリとリアルに合うような、最近のハリウッドが大好きな現実感はダメなんです。なぜならこれはメリー・ポピンズ言うところの想像力の世界なのだから野暮な現実感を出しては却ってダメ。だから敢えて昔の映画風に動きを合わせていないのではないかと思います。ここらへんが「わかっている」んです。変に最先端の3DCGで撮りました、という映画になっていたら興醒めもいいところだったでしょう。
子供達が自分たちが「この一年で大人になった」と言うのに対し、メリー・ポピンズが「だから問題」と言ったのは印象的です。子供の心を失ってしまう心配と、大人にならざるを得ない状況が心配なのだと思います。そして一見、大人になることは価値のあることのように思え、その価値とは反対の言葉なのですが、この台詞こそがこの映画の肝なのではないか、と思います。
この映画には一貫して「想像力」ということが言われます。大人になったマイケルにもメリー・ポピンズは「昔は想像力があった」と言います。第2水曜で逆さになったメリル・ストリープにも逆さなら逆さに見ればまともだ、と言い、視点を自在に変えることを我々に教えているようです。想像力とは固定観念の破壊で、自由さの象徴なのかもしれない。そしてそれは子供の専売特許。子供の心を大切にすることをこの映画は教えているようにも思います。
物語の世界は大恐慌の時代で、登場人物たちが歌う歌も、苦境の中でいかに振る舞うべきか、を教える歌が多い。これは我々の住む現代という時代がいかに暗雲が垂れ込めているか、の比喩のようにも思うし、その中を生きる我々へのメッセージのようにも思えました。
マイケルのお隣さんの元船長がビッグベンの時報が五分早い、といつも怒っているのですが、クライマックスでは船長の時計とビッグベンがバッチリ合います。これも実は我々が生きている現代という時代は間違った時代を歩んでいる、ということの比喩のように思えてならなかったです。物語の中では一見間違っていると思われていた船長だけが正しい時間を生きていたのかもしれない。