「ヒックとドラゴン2」を観ましたー!
念願叶った! アマプラさん、ありがとー!
そうなんですよねー、この映画、日本で公開されてないんですよねェー。いや参った。
3が公開された時、そういや俺2は観てなかったなー、なんでかなー、とか思ってたら、それもそのはずですよ、日本で公開されてないんだもん。
ハア?
って思いますよね。調べてみたら色々と配給会社の都合やら思惑やらがあったらしいんですけど、いずれにしてもこんな素晴らしい作品を劇場で公開しなかったのは罪ですよ。
ま、そんな感じでですね、残念ながら劇場公開はしていないド名作の代表格となってしまった「ヒックとドラゴン2」ですが、ようやく観れたのは、やっぱり、そりゃもう、嬉しかったです!
予告編
返す返すも、大画面で観るべき映画…
やっぱ、先ずはそのグラフィックですよね。絵というか、デザインとかも含めて。いやもう、ホントねー、CGも素晴らしいし、動きも素晴らしい、最っ高のアニメ映画ですね。
特に背中にバーク島のバイキングを乗せて飛ぶ竜が、構図から何から本当に良い!
他にも、実は生きていたヒックの母親(!)が暮らすドラゴンの楽園の美しさにも目を見張りました。
これはもう、ホントに映画館の大画面で観るべき映画だ!と改めて思いましたよ。これだけ名作が日本では未だ大画面で公開されていないんですから。その恐ろしい事実に戦慄しますよ。怖っ!
目的のない主人公
映画の方はヒックは二十歳になっていて、バーク島ではすっかり人間とドラゴンが仲良くやっています。むしろお互いがお互いになくてはならない存在となでなっているのです。前作からすれば、いわば理想郷のような状況が展開されているのです。
これは観ていて、なんか嬉しくなっちゃいましたね。冒頭からそんな感じですから、もう、出からウキウキです。
でも、ヒックとストイックは相変わらずうまくいっていないよう。というのも、ストイックは長をヒックに継がせる気満々なんですが、ヒックとしてはその重荷に恐れを抱いていているようなんです。言ってみれば最後のモラトリアム真っ最中といったところでしょうか。
思うに、前回はヒックには「みんなに認められたい」という明確な目的がありました。しかし今回は、前回の目的が叶った上、「人間とドラゴンの共存」というヒックが途中から夢想した夢が叶っています。そのためでしょうか、物語冒頭では明確な目的はありません。ありようがないですよね。だって、前回で目的全部達成しちゃってるんですから。
しかし、そういう構成上の都合も含め、この「物語冒頭に主人公の目的がない」という、ややもすると物語の体をなしていないような状態も上手さを感じるのです。
というのも、この「ヒックとドラゴン」シリーズは三部作をかけて、一人の男の子が大人になるまでを描く物語だからです。
その過程では当然思春期のモラトリアムがあるでしょう。モラトリアムとは、大人になりたいと思いつつも、その責任の重さ、未知の世界に恐れおののき、また少年時代との決別を嫌がりつつも、もう子供ではいられないことに気づいている、そういう思春期特有の宙ぶらりんの状態であり、誰もが通るであろう道、だと解釈しています。
今回はそこを描いており(もちろん、その過程で短期的な目的はできるのですが)、従って「冒頭に主人公の目的がない」状態も至極当然なのです。
しかしながら、もちろん本当に目的がないわけではなく、主人公自身も意識できていない「モラトリアムからの脱脚」が目的となっているわけで、その意味ではキチンと主人公には目的があるのです。
強引な大人の階段
そしてこの映画では、半ば強引に主人公であるヒックは大人の階段を上らさせられます。それは、父であるストイックの突然の死、というなんとも最悪な形で、なのですが…。
敵のラスボスである超巨デカ竜(見た目はアカムそっくりだけど、氷を吐く点ではウカムであり、その二つを混ぜた感じ。デカいし。しかし、この映画ホントにモンハンですねw)に操られたトゥースがヒック目がけて雷を吐こうとしたその瞬間、ストイックが庇い、そのまま命を落としてしまうのです。
このことにより、ヒックは「仲間を守る」という長の役割を強烈に受け継ぐこととなります。父である長を失ったということも相俟って、遂にヒックは長になることを決意するのです。
おそらくこれは、構造的には物語の定番である「父殺しによる息子の成長」ということなのでしょう。もちろん、ストイックを直接殺したのはトゥースであり、その大元は敵です。
しかしながら、ヒックの「相手を説得できる」という、ストイックを振り切ってまで追い求めた思想、というよりは理想、そして「自分ならできる」という思い上がり、それらのことがストイックを死に至らしめたとも言えます。その意味では構造上父殺しという形になる、と言えるように思います。
ただ、個人的にはこの展開は嫌いです。もちろん、このまま見つかった母と親子三人でバーク島でやり直してしまうと、ヒックはまたも子供に逆戻りだし、偉大な父がいては、たとえ長を継いだとしても、いつまで経ってもモラトリアムのまま、そして子供のままでしょう。ヒックの成長物語にはなりません。それに、物語は劇的でなくてはいけません。息子の成長を促すのに、父殺し以上のものがあるでしょうか。
そういう、ストーリーテリング上の事情はわかるつもりです。ただ、それを踏まえた上で、やはり嫌いです。
なんというか、逆に物語上とはいえ、命を粗末にしているような印象すら受けてしまいます。なぜハッピーエンドじゃいけないのか、という思いがどうしてもあります。
しかも、今回の場合、ストイックの死はあまりにあっさりしすぎていました。まさか!と思いました。ストイックの復活を途中まで信じて疑わなかったくらいです。だから、この点に関してだけは、ちょっと納得がいかなすぎましたね。
不寛容な相手には不寛容さをもって接する
ともあれ、ヒックはまた一つ、1にも増して更に大きな成長を遂げるわけですが、もう一つ、なんとはなしに裏のテーマも垣間見えた気がします。
それは、不寛容な相手に寛容さをもって接するのは良いことなのかどうか、です。
例えばよく言われる言説で、知的な人とあんまり頭が良くない人が論争になった時、大抵の場合は知的な人が負けることになる、というのがあります。
知的な人は基本的に寛容さや、相手への理解や尊重という考えを持ち合わせています。対してあんまり頭の良くない人はそうではない場合も少なくありません。なんなら、そういった論争になった場合、相手を攻撃することばかり考えます。
また、知的な人は当然のことながら論理的に物事を考えることができるけど、頭の良くない人は感情に任せて怒りをブチまけるだけだったり、或いは幼稚な、論理になっていないトンデモ論を展開したりします。
一方が相手を理解しようとしているのに対し、他方はひたすら攻撃することを望む。また、一方が論理を説くのに対し、他方は感情にまかせて相手を口汚く罵る。
これではどうやっても議論は平行線、なんなら折れるのは知的さを持ち合わせた「大人」であり、従って知的な人は形の上では負けてしまう、ということになります。
このように、劇中のセリフでもありましたが、理屈の通じない相手に話し合いは無駄、というわけです。不寛容に対抗するには不寛容しかない。そして、ヒックとトゥースは敵の総大将であるドラゴと巨デカドラゴンを打ち倒す、という流れになるのです。
それは、確かに正論でもあるとは思います。しかしながら、ちょっと僕としてはひっかかる。やはり理屈の通じない相手であっても、不寛容さで対抗するのではなく、どうにかこうにか和解するのが理想なのではないかと思います。少なくとも物語の上では。
物語が理想論なら、その理想を掲げて欲しかったというのもあります。だから、ストイックの死に始まる、不寛容に不寛容をぶつけた解決策は、ちょっと僕の中で腑に落ちないものでした。
まあ、基本的にこの映画はアクションアニメですから、最後戦ってクライマックスを迎えるには、不寛容には不寛容をぶつけるしかない、っていう事情はかなり大きいとは思います。下手に和解すると、なんとなく尻すぼみみたいな形になりそうですもんね。
ダークサイド
ま、そんな感じで、この映画における不寛容な相手っていうのは言うまでもなくドラゴです(言っちゃったけど)。
思えば、1では完全な悪役というものは、少なくとも人間側には存在しなかったのですが、2ではドラゴという完全な悪役が存在しているんですねー。
しかしながら、そのドラゴも、なぜそこまでドラゴンを支配しようとするのか、その理由がちゃんとあるんですね。
子供の頃、ドラゴンに左腕を肩から奪われ、生まれた村を燃やし尽くされたという悲劇に見舞われているのです。
ここまでの悲劇ではないにしろ、実はヒックも似たような状況ではあります。ヒックが左足首から先を失ったのはドラゴンとの戦いが原因です。
しかし、ヒックはドラゴンを恨むようなことはしませんでした(その戦いの最中では既に仲間だったから、というのはあるにせよ)。
ドラゴンへの恨みを悪い方に純化させ、スターウォーズ言うところのダークサイドに堕ちてしまったのがドラゴなのでしょう。できれば、ヒックにドラゴをダークサイドから救って欲しかった。
粋で洒落た映画
そんな感じで、裏のテーマやストーリーに若干の腑に落ちない点はあるものの、全体として見た場合、やっぱり素晴らしい続編であったということは間違いないと思います。
ヒットした映画の続編というものは、往々にしてつまらないものや、一段落ちるものが多いですが、この作品は1に劣らず面白かったです。
ヒックの母親が住んでいたドラゴンの楽園や、生まれ変わったバーク島の面々がドラゴンを乗り回している姿などなど、絵的にも美しかったり、楽しかったり、カッコ良かったりのオンパレード!
粋な演出も多かった印象です。例えば主人公・ヒックの登場シーンですね。これがまた上手くて、登場後しばらくはトゥースに乗り、仮面をつけている。そして小さな孤島に不時着すると、ようやく仮面を外して素顔を晒すのですが、まだ幼さが残っていながら、立派に成長した姿を見せてくれます。「立派になったなぁ…」と、親戚のおじさんの気分にさせてくれること請け合いです。
その後から、今やすっかり将来を誓い合った恋人同士となっていたアスティが追ってきてヒックの頬っぺたにキスをかますのですが、ヒックの頬にはトゥースに舐められたヨダレがベットリついていて、ヒックにキスしたんだかトゥースにキスしたんだかw
なんか、1でもそうだったんですけど、いちいち粋で洒落てるんですよね。そこがすごくカッコ良くて。作品全体がもうカッコいい。
ヒックの母ちゃん
あと、何と言ってもこの映画のハイライトの一つは、ヒックの母親が実は生きていたんですねぇ。しかも、ドラゴンの楽園で暮らしていたっていうんですから、この展開はヒックならずとも驚きですよね。
で、またその登場の演出が良いんですよねぇ。登場時は本作冒頭のヒックと同じく仮面を被っていて、多数の竜を従えているのと相俟って、最初は「これが噂に聞くドラゴか?」と思わせます。
しかし、ヒックの顎の傷に気づき、母であることを明かすのです。えー!みたいな。これはびっくりしましたねぇ。そして案外ヒックが冷静なんですよね。あんまりにもびっくりしすぎてリアクションが薄かったのかもしれませんがw
そしてこの母親がなかなかにしてヒックの母ちゃんにしてストイックの奥さんで、破天荒すぎるし、運動神経お化けだし、ヒック以上のドラゴン変態w
また、ヒックが赤ちゃんの頃、既にドラゴンが懐いたというエピソードも教えてくれます。こんな逸話なんかは母親ならではですよね。ヒックが生まれながらにドラゴンマスターであることがわかるのです。
ストイック男前伝説
そうこうするうち、ストイックがいなくなったヒックを探してやってきます。
前回、あれだけドラゴンを飼うことに拒絶反応を示していたストイックが、めちゃくちゃドラゴンを乗りこなしているのもまた嬉しい。そして相変わらず人の話を聞かないB型親子であるのも良い感じです。
そして遂に奥さんと再会! 奥さんは色々と言い訳をするものの(家に帰らなかった理由は、ドラゴンは敵ではないことをわかってもらえないと思っていたかららしい)、ストイックは何も言わない。ただ見つめるだけ。
そして、やおら奥さんを抱きしめ、無事を涙ながらに喜ぶのです。
もう、ストイック男前!
さすがはバイキングの親分、男の中の男だと思いました。
許すも何もない。わだかまりなんかない。ただただ、いなくなって久しい妻と会えて、無事でいてくれて嬉しい。
ただそれだけなのだ。余計なものはいらない。想いはシンプルである。
とにかく、今回のストイックはめちゃくちゃ男前でした。ストイック男前伝説である。
それだけに、彼の死が描かれることは非常に残念でなりませんでした。
恋の歌
そして、再会した二人はもう一度結婚することになるのです。多分再婚ではなく、やり直すのでもなく、もう一度新しく結婚するのだ、と思います。
そしてその際、ストイックが恋の歌を歌い、それを受け入れた証として妻も歌を重ね、そして踊る。なんか、こんな伝統のある民族を見たこともあるような気がします。
そもそも、日本でも平安時代とかでは和歌で自分の想いを送り合っていました。他にも、ある種の鳥なんかは、オスが踊り出して、メスが気に入れば一緒に踊ります。求愛行動として、そういった歌とか踊りとかいうのは、本能的な野生的なことなのかもしれません。
それに、なんというか、粋です。上記のような理由もあり、なんとなく、民族的な風習が「らしく」もあります。野性味のあるバイキングの伝統として、実に腑に落ちるというか。
他にも、ストイックの弔いの儀式などもこういった民族的な風習に乗っ取られて行われており、そういうところもよく考えられているな、と思いました。
観ていて見応えがあるし、物語世界に説得力や現実感のようなものも与える。架空の世界でありながら、人が実際生きている社会というものを感じさせてくれる。
話を戻しましょう。こうして三人は家族として今度こそ幸せにやり直せるか、と思いきや、何度も言ってるようにストイックは息子のために命を落としてしまいます。
返す返すも残念だし、やっぱりこういう展開は嫌いです。
ただ、それはそれとして、最高の続編であったことは認めざるを得ませんでした。それだけに、悔しいというか。
