2019年に公開されたアニメ映画で、俺的に一番良かったのは何と言っても『海獣の子供』でした!
近年は良質なアニメ映画が数多く公開されていますが、その中でも出色と言っていいくらいの作品でしたねぇ。
そして昨日、第23回文化庁メディア芸術祭にてアニメーション部門で大賞を受賞しましたね! 本当におめでとうございます!
そんな『海獣の子供』なんですが、先ず、どんな人にオススメするか? 以下の三つになると、思います!
1、クォリティの高い絵と動きのアニメが観たい人
2、難解な作品が好きな人
3、女の子を繊細に描いた作品が好きな人
という感じでしょうか。
2番目に当たる項目を見てですね、非常に敬遠してしまう方も多いとは思います(^^;
でも矛盾するようですが、この映画に関してはそこを楽しめなくても全然楽しめちゃうと思うんです。
というのも、1番目の理由にあるように、絵がとてつもなく素晴らしいんですねー。もうそれは水族館に行った気分になってですね、なんも考えなくても絵だけを観ていても全然楽しめちゃうくらいの、それくらい素晴らしい絵の、もっと言ってしまうと絵と音楽の絡み具合が最高の映画でした。
そして、俺的な観て良かったポイントはこの三つ…プラスもう一つです!
あとのもう一つは、これ、難解な映画なんで、やはり色々考えたくなっちゃうんですね。だから、できれば僕の戯言も聞いていただければと思います!
予告編
絵なのに背中がゾクゾクするほどの巨大感
この映画は大画面で観るべき映画だと思います。というのも、クジラやジンベイザメの巨大海棲生物の描写の巨大感が素晴らしかったからです。
冒頭、水族館での主人公の女の子・琉花とジンベイザメのシーンは圧巻! あの、巨大生物を見た時の、独特の背筋がぞわぞわする、あの感じ!
まさかアニメ観て、あんな感じがするとは思わなかったです。あの表現力、巨大感は本当にすごい。今はやりの3DCGではない、むしろ手書き感のある絵なのにこれだけの巨大感を出すんだから、さすがはstudio4℃って感じですねー。
他にも巨大生物のシーンが目白押しで、これだけでも映画館で観る価値ありました。
studio4℃らしさとしては、他にはやはり街の描写ですかね。
ここはstudio4℃の十八番と言ったところでしょう。街も登場人物の一人、という感じ。それくらいの存在感を描き込みますよね。水族館のバックヤードなんかもカッコ良かったですね。studio4℃らしい。パイプ感がめちゃカッコいい。
他にも全体的に絵の、細かい部分までの描き込みがすごかったです。
特に表情の描き込みですかね。一瞬一瞬で表情が変わる。特に目! 目に関しては色々思ったことがあるので、それはまた後ほど。
自然アニメに似合う久石譲の音楽
これです。やっぱ久石譲の音楽が良かった!アニメの音楽には久石譲の音楽が一番合うのではないか、と思ったくらいです。
なんというか、久石譲の音楽って、絵に生命を与えるというか、そんな感じがするんですよね。それはもう宮崎駿との一連のコラボレーションで何十年にも渡って証明してきたものではあります。でも、それは宮崎駿の絵だけじゃない、それ以外の作品でもこれだけ絵に生命を与えることができるんですね。
逆に言うと、久石譲だから、あれだけ生命感に溢れる作品になったのかもしれない。言っちゃ悪いけど、他の音楽家の曲だったら、これほどまでに「生きてる」感じは出なかったかもしれない。
今回改めて久石譲のすごさを体感した感じでした。
思春期の女の子
やはり思春期の女の子というのは映画においては非常に絵になりますよね。女の子を如何に描くか、っていうのは映画の良し悪しを決める大きなポイントになると言っても過言ではないように思います。
この映画では基本的なストーリーとしては女の子の成長物語を一本の軸にしています。だから尚更女の子の描き方が重要なんですが、先ずそのスタイルが良い。
小顔のショートカットもいいんですけど、何より素晴らしいのは、靴がその体に比べて大きいこと。細身で手足がひょろ長く、小柄でとても身軽なんだけど、シューズだけが大きい。このアンバランスさがね、良いんですよねー。
思えば、この年代の子にはこういう感じのスタイルの子が多い。このアンバランスさがまだ未熟な、精神のアンバランスさも表していて、発展途上の勢いすら感じさせるのです。
そして、このアンバランス感が全編を通して非常によく描けていたと思います。思春期の子の成長物語に不可欠なのは、この年代特有のアンバランスさを如何に描けるか、というのが大事だと思います。そこをこの映画はすごくよく表現できていたと思うんです。
俺の戯言を聞いてくれ!…たら嬉しいです(笑)
えー、そしてここからは僕の戯言になります。まぁ、今までも戯言っちゃあそうなんですが…(^^;
この作品は「映す」という表現がよく出てくるんです。多くのシーンで瞳の中に見ている情景が映っていたり、トラックの荷台に情景が映っていたり。琉花と海くん、空くんが伊豆の海に潜った時、水中から見て水面に水中の様子が鏡のように映っていたり。
何かが何かを映している。
何かが何かの似姿である。
何かは何かと同じである。
そのことが、宇宙に収束されていくように思えたんです。全ては宇宙の似姿なのかと。
また「映す」という点に関して言えば、「繋がってる人」の目には何かが映る。繋がっていない人には映らない。
逆に言うと、この目の描写で「繋がっている人」かどうかわかる。その「繋がり」とはクジラなのか、地球なのか、宇宙なのか、或いはそれらが渾然一体となっているものかはわからないんですけど。ただ観た印象として「繋がり」を感じたんです。
例えば、アングラードはあれだけ大きな目をして、宇宙の謎に近いところにいるような人間なんだけど、その瞳には何も映らない。
一方、デデは最後に琉花に「自分も海から来た少年を見た」と、琉花と同じような体験をしたことを告げる。つまり「繋がっている人」だったんだけどその時のデデの瞳には琉花が映っていました。
何かに「繋がっている」と感じたのは、考えてみるに、これは「見えている」のではないかとも思います。
アングラードが宇宙の9割は観測できない暗黒物質でできている、つまり人はほとんど見えていない状態なのだ、と言ったんだけど、この映画で瞳に何かが映る人は、その見えていないものが見えている人なのではないだろうか。
クジラが長い歌を歌う、という話が出てきて、人が使う言語は限定的なものだけど、クジラは見たもの感じたものをそのまま伝えることができているのかもしれない、という台詞があるんですね。
この「見えている人」はつまり、クジラの使う言語のような目を持っている、ということか、と思います。
その昔、坂本龍一が「Heart Beat」っていうアルバム作ってる時のインタビューで、やっぱりクジラが長いラブソングを歌うっていう話してて、その時に「やはりクジラの方が人間よりも地球という惑星のハートビートに共振していると思う」と言ってて、それを今回すごい思い出して。
だから何だと言われると、申し訳ないけどよくわかんないんだけど(笑)