「ジュラシック・ワールド 復活の大地」を観ましたー!
実は、前回までの三部作シリーズがひどかったので、今回も観るつもりはありませんでした。
しかあーし! 監督がギャレス・エドワーズということで一転。観に行くことにしたのでした。
そしたらあなた。これがまたすごいじゃないですか!
期待を裏切らない「ジュラシック・パーク」大復活でございます!(ワールドだけど)
- 予告編
- 恐竜が出てこない?
- 人間をしっかり描く
- 前三部作の否定
- 家族チーム
- 製薬会社チーム
- ギャレス・エドワーズ
- モササウルスとスピノサウルスの共闘
- ティタノサウルス
- ケツァルコアトルス、そして『主役』ティラノサウルス!
- 宿題完成
予告編
恐竜が出てこない?
ただまぁ、前評判をチラッと見たら、そんなに評価は高くなかったんですね。でも、その低い評価というのが、曰く恐竜が出てこない、とか愚痴ってる類のもので、だったらそれはむしろギャレス・エドワーズっぽくもあり、ある意味僕から見たら褒め言葉だったので、かえって期待したくらいでした。
そしたら、実際観てみたら、結構出し惜しみせずにバンバン出てきてましたね、恐竜がw もう、冒頭からw(ただ、冒頭のそいつは恐竜というよりは、INGEN社が開発していた新種のクリーチャーだったのですが)。
その後、中盤、そしてクライマックスと恐竜は出てきて、しかもちゃんと結構な尺を使って描かれていました。
人間をしっかり描く
但し、確かに冒頭から中盤まではほぼ出てこなくて、登場人物の背景や、物語の背景、設定を描くのに費やしていました。
ただ、ここを丁寧に描くことで、現代に蘇った恐竜の異常性、ある種の「偉大さ」、そして絵空事をリアルなものとすることができるのです。
だからか、ギャレス・エドワーズはスカーレット・ヨハンソンやマハーシャラ・アリなど、芝居のできる人をちゃんとキャスティングしています。
また、このパートで多く語られていたのは登場人物それぞれの家族でした。確かに岡田斗司夫の言うように、海外(特にアメリカ含むヨーロッパ圏)では、映画をまともに作ることは家族を描くこととイコールであるらしいです。
この映画も、ここのパートで「これはちゃんとした、まともな映画ですよ」と宣言しているのかもしれません。思えばギャレスの作品、真ハリウッド版ゴジラもそうだったし、「モンスターズ 地球外生命体」も同じような手法、展開でした。
前三部作の否定
今回の映画は、前三部作で恐竜を世界に解き放ってしまってから幾ばくかの年月が経った世界が舞台。
ここでうまいと思ったのは、恐竜が現代に蘇ったはいいものの、環境が合わず、地球のほとんどの場所で恐竜は死滅して、赤道付近のみに生息している。そしてそこは危険区域として立ち入り禁止になっている、というもの。
更に、もう人々は恐竜を見飽きてしまい、恐竜の動物園や博物館は次々に廃業してしまっている。
これは前三部作の負の遺産をチャラにして、まともな世界観、映画に戻そうとするものだし、そしてそれなりに説得力のあるものだと思います。
但し、現代の赤道付近が恐竜時代と似たような環境かどうかは定かではないですが。
家族チーム
そして、今回の登場人物は二つのグループに分かれていて、一つは製薬会社の裏プロジェクトのチーム。もう一つはヨットで世界一周をしている風の家族。
この二つのグループを設定することによって、それぞれが出会い、また分かれ、そして最後に出会うことによってストーリーが多層的になり、物語が一本調子になることを防ぎ、飽きさせない作りとなっています。
また登場人物それぞれちゃんと一本筋が通っており、破綻がないんですね。個人的に気に入ったのが家族チームの婿(的な立場)のあんちゃんで、なかなか良い味を出していました。
かなりチャラい男なんですが、彼女が恐竜が泳ぐ海に投げ出された時に、躊躇なく海に飛び込み、助けるんです。また、沈みかけたヨットから救難道具一式を取り出してきたり、実は陰で八面六臂の活躍であったんですね。
こういう極限状況の中、その人の人となりが現れるというのはよくある話。娘の彼氏として難色を示していた親父さんも、見方を変え、チャラ男を受け入れます。そして元気づけたりもします。チャラ男もそんな親父さんを彼女に向かって「やさしい」と評するなど、和解するんですね。
こういうほっこりするエピソードが、極限状況の中で描かれると、それこそほっこりします。
製薬会社チーム
製薬会社チームの方は、これまた基本的には魅力的な人物ばかりなのですが、残念ながらそのうち三人が恐竜に食われてしまいます。
確かに、全員生き残ってその後のサバイバルをするのは、人数的に描くのがかなりめんどくさいことになるとは思うのですが、それぞれに魅力的だったので、個人的にはあまり殺してほしくはなかったですね。
それに、こういうパニック映画的展開では人がクリーチャーに食われるのも見せ場的なものになってしまっているので、まぁ致し方がないのでしょう。僕は望んじゃいませんが。
また、製薬会社チームの今回の旅の目的としては、恐竜の血液を使って、心臓の病気の薬の開発に役立てる、というものでした。
そのこと自体は非常に高尚と言ってもいい目的だと思いますが、それを独占販売して金儲けするのが最終的な目的でもあります。
それに対し、恐竜博士(なんとグラント博士の教え子!)は「科学はみんなものだ」として、独占されると救える命も救えない、誰しもが薬を作れるよう特許を放棄すべきだ、と主張するのです。
この、科学を取り巻く状況の批判は、原作の「ジュラシック・パーク」の精神を受け継ぐものであり、本シリーズの本質と言っていいでしょう。
このセリフが非常に観ていて嬉しかった。特にコロナ渦を経験した今、薬の重要性、そしてそれを取り巻くどこかキナ臭い雰囲気の中、このセリフは非常に重く響きますね。
またこの恐竜博士、恐竜は頭が悪いが1億6000万年生きた、人間は頭がいいが今のところ700万年だ、地球が人間に飽きたらすぐに消えてなくなる、みたいなことを言っていました。
このセリフは小説版「ロスト・ワールド」でマルカム先生が語っていた「人間には地球を救う力もなければ、滅ぼす力もない」というセリフと呼応するところがあるように思います。
ここにもマイクル・クライトンの思想が受け継がれているんですね。
ギャレス・エドワーズ
思うに、ギャレス・エドワーズはシリーズ作品の本質を捉えるのが非常に上手い映像作家だと思います。
これまでもゴジラ、スターウォーズという歴史ある大作の監督を務めてきましたが、それぞれにシリーズの本質を捉えていたと思うのです。
シリーズが続くと、その作品の本質はどんどん薄れていってしまいがちですが、ギャレス・エドワーズはその本質の部分を汲み取ることが得意で、またそれを非常に大切に思っているのだと思います。だから、彼の作品は心ある人からは評判が良いのでしょう。
モササウルスとスピノサウルスの共闘
そして、肝心要の恐竜シーンなのですが、これまた過去最高のものであったように思います。
先ずはモササウルスの狩り。ここでの船のクルーがめちゃカッコ良かった。まさに百戦錬磨という感じ。もうここでの登場人物はみんなカッコ良かった。
更には、海岸の浅瀬に行くと、今度はスピノサウルスが待ち構えています。
思えば「ジュラシック・パークIII」では、間違えたスピノサウルスを描いてしまったという黒歴史があるのですが(ちなみに、その当時は最新の情報でした。その後、新事実が発掘され続けてしまったのです)、新しい研究のスピノサウルス像を持ってきて、汚名返上した感じ。
但し、スピノサウルスが海にいたかは定かではないし(多分川だと思う)、泳ぎが得意だったかどうかは今でも賛否あるというから、新たな黒歴史になってしまう可能性も低くはありません。
ティタノサウルス
そして、次はティタノサウルスという竜脚類では最大級の恐竜です。
ここで、やはりというか案の定というか、求愛のシーンが描かれました。「モンスターズ 地球外生命体」にしろ真ハリウッド版ゴジラにしろ、やはりギャレス・エドワーズはモンスター観として、「求愛」というものを描かなくてはいけない、という強迫観念に囚われているのかもしれません。
おそらく、まさに『そこ』が「生物」としての基本だから、生物を描くには求愛は必須である、と思っているのかもしれません。
よく映画、ドラマ、アニメなどには食事シーンが描かれるますが、それは「生きていない」架空の人物に生命を与えるため、生きるために必要不可欠な食事を与える、という思想らしいのです。
この「求愛を描く」という演出は、それに似てる気がします。
ケツァルコアトルス、そして『主役』ティラノサウルス!
更にはケツァルコアトルスです。
言わずと知れた最大の翼竜で、大きさはなんとキリンくらいあったそうです。
劇中ではそこまで大きくは描かれていなかったように思うのですが、それでも人気恐竜の登場にテンションは上がりました。
そして恐竜の最後(まぁ『クリーチャー』は残っているのですが)はもちろん『主役』ティラノサウルス!
そして、今回のティラノは泳ぎまくる!
これは、第一作でも考えられていたシーンだし、実際小説版には泳ぐティラノとボートのデッドヒートがあるのですが、当時は技術的に無理だったそうなんです。
しかし今回、三十年越しにその野望が叶ったわけであります。実際、泳ぐティラノはめちゃくちゃカッコ良かったし、小説で読んで想像して、「すげえなー」と思っていたこちらとしても夢が叶った思いでした。サンキュー、ギャレス!
あと、今回は水のシーンが多かったですね。水を描くのはすごく難しいそうです。
「ゴジラ-1.0」ではそれまでの日本のCG技術では考えられないくらい水を精彩に描いていました。日本のCGとしても、ハリウッド並みの水の表現をすることは長年の、それこそ「宿題」のようなものだったらしいです。そして「ゴジラ-1.0」では見事にハリウッド並みの水表現を、しかもはるかに安い予算で成し遂げました。
ところが本作は更にその上を行っていた、と感じました。
やはりCGはまだまだハリウッドなのです。逆に山崎貴は極低予算であのクォリティを作ったのだから恐れ入るし、何より彼らは「まだまだハリウッドには叶わない」とテレビで言ってました。
さすがに超一流は自分たちの立ち位置を冷徹なまでに見つめています。そのように自分を冷徹に観れる眼差しがあるからこそ、超一流になれるのでしょう。
宿題完成
そんな感じでですね、僕的にはかなり満足度の高い映画だったのですが、思うに、前回までのひどい設定、展開をチャラにしたり、スピノサウルスを最新の学説に基づいて描いてみたり、ティラノサウルスを泳がせてみたりと、ギャレスは本シリーズの『宿題』を全部やってしまおうとしたのではないでしょうか。
それくらい、今作を観て、何か胸のつかえがおりるような、ある種の充足感とでも言えるような、そういうものを感じました。
そしてラストはクリーチャーとの基地での戦いとなるのですが、そこも初代ジュラシック・パークを彷彿とさせる演出が多かったように思うし、実際観ていて手に汗握るシーンも多かったです。
また、新たな演出としては地下道での恐竜(クリーチャー)との戦い。ああいう狭い中での圧迫感のある中での戦いは、それだけで手に汗握る感がマシマシになります。
あと、ダンカンが子供を助けるために発煙筒でクリーチャーを自分の方に引き付けたのですが、あれも第一作の、子供を助けるためにグラント博士とマルカム先生が同様のことをやりましたね。あれの再現なんですけど、最後のクライマックスシーンに持ってきたのが素晴らしいと思います。
だって、やっぱり大人が子供のために男気を見せたシーンですからね。実は第一作の時もかなり大きな、グッとくるシーンだったんですよ。確かに中盤の見せ場でしたが、クライマックスに持ってくると、それだけで泣けますね。自己犠牲というか。本来、僕は自己犠牲って嫌いなんですけど、やはり映画とかで、しかも好きな登場人物がやると、どうしても泣けてしまいます。
そして、ダンカンが最後生き残ったのがまた粋で。その小道具もまた発煙筒というのがいいですよね。でも、ダンカンを演じたのがマハーシャラ・アリだから、まぁ助かるよなw 配役でネタバレというw
また印象的だったのは、ラストの船のシーン。船の横にはイルカが追走していました。
それまでのシリーズだったら恐竜だったのでしょうが、今回はイルカです。
これは、恐竜ではなく現生の動物を使うことで、行き過ぎた科学批判というテーマ性を浮き彫りにしていたと思います。原典の精神を受け継ぎ、そして越えた(小説版では船の上にラプトルが乗ってるという不気味なラストでした)、素晴らしいラストだと思います。