azzurriのショッピングレビュー

僕が買ったもの、観に行った映画・ライヴなど、要は金を払ったものに対して言いたい放題感想を言わせてもらおうというブログです。オチとかはないです。※ネタバレありまくりなので、注意!

「ゴジラ×メカゴジラ」ネタバレ有り感想。人間の業を描けず!!


ゴジラ×メカゴジラ」をアマプラで観ましたー。

割とね、個人的にはちょっと微妙な作品続きだったミレニアムゴジラなのですが、この作品は色んな人が良かったと言っていたので、あまり期待はしないもののw観たかったゴジラ映画ではありました。

で、実際観終わった後の感想は「割とマシ」だったですかねー。

予告編

youtu.be

役者陣

少なくとも、無理のある脚本ではなかった、もしくは無理の少ない脚本だった、と言えるように思います。

それ故役者陣にとっても、演じにくさは他の作品に比べれば少なかったようにも思います。

ただ、そんな中でも演技するのが厳しい展開もあれば、役者の力量の差も垣間見えた、というのが正直なところ。

やはり良かったのはベテラン勢ですね。特に中尾彬はさすがの存在感、実存感を放っていたと思いますし、他にも基本的にはなかなか良い役者を揃えていたと思います。

しかし、やはり主役の釈由美子は大根だったかなw 自衛隊の訓練シーンなど体当たり演技ではあるのですが、やはり力量不足は否めない。

また、良いか悪いかは別として、過去作の出演陣を大量に起用していました。特にメインキャストの科学者に宅麻伸を起用しているのはちょっと嬉しかったかな。なんせ「勇者ヨシヒコ」のダンジョーさんです!

84年ゴジラでは深刻な感じの若者、といった感じでしたが、今作では、娘一人を男手一つで育てる、ちょっとC調なパパ、という役どころ。それがまたなかなかハマッていたというか、上手く演じていたように思います。

他にも「メガギラス」ではトッポい科学者を演じていた谷原章介自衛隊員で出演したりしてます。同じく「メガギラス」の田中美里と永島敏行が二人揃って出てくるシーンもありました。

これは同作で殉死した永島敏行と田中美里が別の世界線で出会う、という「粋な演出」にしたかったのでしょう。しかも、永島は「メガギラス」同様自衛隊員役(田中美里は看護師役)。

でも、「メガギラス」ではこの二人のドラマがほぼ描かれず、従って何の感情移入できなかったので、残念ながらまるで「粋」に感じることはできなかったですねー。むしろ「あ、そういう意図の演出なのね」という感じで、むしろ冷めてしまいました。

出演陣では、やはり松井秀喜のゲスト出演が特筆ものでしょう。ゴジラ松井ですよ! 遂に「共演」といった感じ。

全盛期に近い松井が割とガチめでスイングしてくれているのは貴重。しかも2シーンの出演で、ゴジラが攻めてきて停電になっても一心不乱にバットを振っている姿はいかにも松井らしい。ただし、演技は期待通り大根でありました。

ストーリー

ストーリーの方は、全体の流れとしては、自分のミスで上官を死なせてしまった釈由美子の再生、といったところ。この流れは「メガギラス」と同様のものだし、もっと言ってしまうと、かのゴジラ映画最高峰「ゴジラ-1.0」のログラインにも引用されているように思います。

自分のせいで多くの人をゴジラによって死なせてしまい、それにより「ゴジラ対人間側の主人公」という対立軸を作っているからです。自らを自分としてもう一度再生させるためには、その元凶となったゴジラを倒す以外にはない。そう、強く主人公に意識させるプロットだったと思います。

しかも今作は「メガギラス」よりは感情移入できる仕掛けになっていると思います。それは、「メガギラス」と違い、あくまで釈由美子のミス、という点が「強調」されているからです。

ここに登場人物の悔恨が生まれたので感情の揺れが見えやすく、そして「ゴジラを倒す」という目的もより強く表出することに成功しています。更に「メガギラス」と違い、主人公と周囲の人間との軋轢もあり、更に感情が揺れる、というようにドラマが積み重なっているんですね。

しかしながら、やはり「ゴジラ-1.0」に比べるとドラマは薄く、訴求力はなかったと思います。その理由としては、主人公の追い込み方が弱かった点にあると思います。

ゴジラ-1.0」の神木隆之介は、何度か再生の道は開けるものの、その度にゴジラの影が足を引っ張ります。そして物語中盤、自分を救うために浜辺美波が犠牲となってしまう、という決定的な事象が起こります。

一度ならず二度までも、自分のせいでゴジラによって人が殺され、しかも二度目は自分の最も大切な人でした。ここにおいて、もう神木隆之介にはゴジラを倒すという一本道しかなくなりました。他の道はありません。ここまで主人公を追い込んだんですね。性格悪いですねー、山崎貴w やはり名監督はすべからく性格悪いです。

そういった主人公への追い込み、選択肢の削除が、「×メカゴジラ」にしろ「メガギラス」にしろありませんでした。或いは、希薄だった。

また、後述するような、なかなかのっぴきならない要素もあったので、上手くすれば名作になったかもしれない作品でしたが、上記のような理由もあり、結論としては今一つな作品となってしまった、というのが僕個人の印象です。

ゴジラの骨

また、今回のメカゴジラは初代ゴジラの骨を利用して作られています。

まぁ、この点は正直微妙さは感じました。やはり初代に対する冒涜というか、そういうものを感じてしまいます。

ミレニアムシリーズは、それぞれの形で初代を冒涜したシリーズ、と言えなくもないでしょう。それぞれに独立して初代以外の作品をなかったことにし(「×メカゴジラ」はエメゴジは微妙に踏襲していましたが、あれはゴジラとは違う生物、というエクスキューズがありました)、それぞれに初代を利用しました。

そんなことも感じつつも、今回のアイデアに関しては正直ちょっと面白味をも感じてしまいました。

というのも、そんな感じでメカゴジラ(作中の正式名称は3式機龍)とはいえ、元はゴジラであるため、途中制御不能となって暴走してしまうんですね。この瞬間、ゴジラ撃退のための兵器がむしろ街を破壊し倒す、というカタルシスが生まれたのです。

人類が制御しえないものを開発したがために暴走する、という要素はなんとなく、行き過ぎた科学への批判という思想も見え隠れする。それに、なんかエヴァっぽいw そういった点ではビオランテにも通じるものがありますね。

更に宅麻伸の娘が、誰もメカゴジラを可哀そうだと思わない、と言い放ち、人間の業のようなものも突きつけます。そりゃゴジラにしてみりゃ、水爆実験で傷つけられた上、返り討ちに遭い、更には自分の骨を利用されて同胞を傷つけさせられるわけだから、屈辱以外の何物でもありません。

その元凶となったのは人間なわけだから、その人間の業がどう展開し、どう落としどころを見つけるのか、俄然面白くなってきました。人間がゴジラという化け物を生み出し、その化け物を退治するために今度はゴジラを利用し、更にはその「倒すためのゴジラ」がパンドラの箱となってしまう。これは面白いですよ。

ところが、です。その業の問題はいつの間にやら棚上げになり、気づいたら釈由美子の個人的怨恨と悔恨の決着、それから謎の自己肯定にすり代わり、ゴジラ退治に終始してしまったように思います。

釈由美子メカゴジラに向かって、「自分たちは似ている」と言うシーンがあるのですが、それもどうだか、と思います。似ている、と釈由美子が感じたのは「生まれてきてはいけない命」だと思っていたからです。そこが自分に似ている、と。

しかし、ゴジラとしてはそんなことはなく、実はその出自は圧倒的被害者なんですね。ゴジラとは人間に対して加害者である一方、被害者としての側面の方が大きい(しかも加害者は人間)。だから、「生まれてきてはいけない命」では断じてないんですね。

対して釈由美子の方は、天涯孤独で生まれて色々辛い目に遭ったからそう感じているのだと思いますが、それは彼女個人が感じていることである上、上記の理由でメカゴジラとは全く関係がありません。

しかも、釈由美子がそう感じた細かい経緯は劇中では明確に表現されず、セリフで説明されただけ。それでは感情移入はできません。そんなわけで、最後の方は正直消化不良だった、というのが正直な感想です。

怪獣シーン

また怪獣シーンの方はと言いますと、今回CGよりは特撮が多用されている印象を受け、これはなかなか良かったですねぇ。

ミレゴジのデザインもアップデートされてカッコよくなっていました。CGも、やはり酷くはありましたが、ちょっと技術の進歩はあったかもしれなく、前作までほどには気にならなかったです。

ただ、アクションの演出はちょっとダサめだったかな、とは思いました。

やはり、怪獣シーンは平成ゴジラが最高峰でしたかねー。


 

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