「やがて哀しき外国語」を読み直してみたんですけどね。
村上春樹のエッセイは面白い。
村上春樹が「精神的ナルシスト」のためか、ややハナにつくところは散見されるけど、それでいて、基本的にはユーモアに溢れていて面白い。
全体として、大まかな価値観念が自分と似てるところがある、という点も僕が個人的に面白く感じる要因のひとつかもしれません。
そして何より、アメリカの大学で教える、という大抵の人間なら経験しないようなことを生活レベルで語っているのが良い。
それに、どことなく村上春樹の小説のようにも読めてしまいます。思うに、村上春樹の小説の主人公は多分に村上春樹を反映しているからなのでしょう。
誰かが、村上春樹の小説は「ちょっとオシャレな私小説」と言っていたけど、そう言われてみれば、なるほど、と思ってしまいます。なるほど。
だから、村上春樹のエッセイは、かなりリアルな(基本的に村上春樹の小説は幻想小説だと思っています)、ユーモア要素を増した小説、という風にも読める。それはかなり自分の趣味に合っているので、だから僕は村上春樹のエッセイが好きなのでしょう。
それに、小説よりも村上春樹の世の中の見方や価値観念や風刺みたいなものがダイレクトに伝わってくる(エッセイだから当たり前だが)のも、わかりやすくて良いですね。
日本の先を行くアメリカ(ほめてない)
情勢ってのはわずか5年でが変わってしまう、ということが書かれていまして。まぁ、それくらいの期間があれば変わるかな、とも思う反面、やはり結構短い期間で変わってしまうなぁ、とも思ってしまいます。
日本がバブルに沸いていた頃はアメリカのジャパンバッシングは凄かったらしいんです。でも、今度はアメリカが持ち直して、日本のバブルが弾けたら、ジャパンバッシングはほとんど姿を消してしまったということで。
良いような悪いような、なんですけどね(^^;; 仲良くしたい、っていうことだけを着目すれば、悪いことではないかもしれませんが。
それを思うと、やはり日本はアメリカが歩んできた道を忠実に再現しているのかもなぁ、と思ってしまいます。だから、ひょっとすると韓国や中国に対して嫌悪感を露わにする人が最近多いけど、情勢次第ではそういうのも姿を消していくかもしれませんね。
また、そういうような情勢の変化はアメリカの内部的なものにもあったそうで、このエッセイで書かれていたのは、時期的には湾岸戦争の前と後だったそうなんです。その湾岸戦争中に学生のデモがあったそうなんですけど、それは戦争支持のデモだったそうで…。
そういうところも、なんとなく今の日本と似た感じがしなくもない。戦争って何をやることなのか、わかってるのかな?とたまに思うことがあります。
また、日本車のアメリカにおける台頭についてのBMW社長のコメントが、かなり内輪的なドメスティック且つ歴史に根付いた自分たちの優位性を主張した内容で(かなり恣意的な感じですが)何だかなぁ、とちょっと苦笑してしまったんですけど。
でも、どこかで聞いたことがあるような自慢の仕方だなぁ、と思ったら、最近の日本礼賛番組じゃないかと思いついてですねw
ホントに日本はアメリカの後追いなんだなぁ、と。今の自分たちに自信がなくなったら、歴史を持ち出す、というのはかつての強者が弱者に成り下がった時に使う常套手段なのかなぁ、と思いました。
二種類のアメリカ人
また、やはりアメリカには非常に根深い人種差別があって、それを村上春樹は肌感覚で文章にしていたのも、非常に興味深かったですね。最近のアメリカの情勢を見ると、これまた今の時代まで地続きの話だなぁと思いまして。
アメリカがジャパンバッシングしてた時の話なんですけど、アメリカ人って、日本車をハンマーでブッ叩く、とかっていう非常にわかりやすくて、且つマッチョな攻撃性があるらしいんですね。
その一方で、言葉にしない、割とわかりにくい差別もあるらしいんです。なんとも真逆な特性ですねぇ。
例えば、あっちから向こうの区域には行かない方がいいよ、とか言われるらしいんですけど、そのあっちから向こうの区域ってのは、要は黒人が多く住む居住区らしいんです。でも、ハッキリとは黒人への差別的な言葉は口にしない。
で、そういう人たちって、平たく言えばリベラルな活動をしている白人だったりするんですね。村上春樹はそういう、中流以上の白人のリベラルさはファッションでしかないってことを見抜いていたんですね。というより、嫌でも見えてしまったんでしょう。
なんか、わかりやすく差別してくる連中より、そういうわかりにくい連中の方がなんかタチが悪い気がするんですけど、どうなんでしょう? やっぱり目の前で日本車ブッ壊される方が嫌に感じるのかなぁ。嫌っつうか、怖いですかね。肝が座った奴なら逆に笑っちゃうんだろうけど。
よく言われるけど、アメリカには二種類のアメリカ人がいるらしいですね。マックでハンバーガー食ってるアメリカ人とNASAで働いてるアメリカ人。頭の中までマッチョそうな奴と最先端のテクノロジーを開発している人って感じ。
中国の台頭前夜
あと、今読むと面白かったのが、このエッセイが書かれた当時、アメリカに取って代わる明確且つ強力な価値観を持つ国はなかった、そうなんですね。確かにそれはその通りで。ちょうど東西冷戦も終わって、一時、アメリカが天下取ったみたいな感じの時期ってありましたよね。
けど、現在の中国の台頭を見ると、時間の経過と時代の意外性(でもないか)を思わずにはいられません。
そういう点でも、昔書かれたエッセイを読み返してみると、時代の移り変わりみたいなものが下手な歴史書よりも肌感覚でわかるので、面白いですね。大体、三十年くらい前のものが丁度いいかもしれません。
スノッブとしての村上春樹
それと、大学の世界のスノッブな風習についても書かれてあったんですけど、めちゃめんどくさい世界ですねw スノッブとは大して通でもねぇクセに通ぶる気取り屋、みたいな意味らしいです。
ただ、村上春樹はそういったスノビズムも良いのではないか、と肯定的だったんですね。いわゆる象牙の塔にいると、良くも悪くも俗世間からはかけ離れるのはどこも同じようで、日本でも大学教授は変人ばかりというのは僕が学生の頃には既にあった通説です。ただ、村上春樹は、日本の大学はすっかり俗に染まっている、と批判しているんです。
日本の大学で俗っぽかったら、アメリカの大学はどんだけ高尚なんだ、って話ですけどね。ここらへん、なんとなく村上春樹という人がわかる感じですね。
アメリカの大学のスノビズムを「村」と称して、ちょっと茶化してはいるんですけど、基本、擁護してるんですね。それは何よりも本人がゴリゴリのスノッブだからなんでしょうねw だから、村上春樹的には日本の大学ではそのスノッブさ加減が全然甘いんでしょう。
村上春樹はジャズが大好きらしくて、アメリカに行ってからも中古のジャズのレコードを買い漁っていたらしいんです。この頃はCDが出始めたばかりの頃(この感じも隔世の感があって面白いですね)で、その時代性から言うと、中古レコードを買うと言うのは今とは比較にならないくらい相当にニッチで、且つ今と違って世捨て人的な行為だったのでしょう。
ここらへんのエピソードもまた、村上春樹のスノッブな特性が浮き彫りになってて笑えますね。
ただ、ジャズについては、こんなことも書いてます。
黒人のリムジンの運転手さんとの道中での会話なんですけど。なんてことない会話の中から色々と思うことを書き綴っていて、中でも、おじさんの何気ない「ジャズは俺たちのものなんだぜ」と言ったことに対するくだり。これが良かったですね。
日本人である村上春樹の方がおじさんよりもはるかにジャズの細かいことには詳しいんです。
でも、ジャズは黒人のものである。
そういう細かい知識なんかよりも、ずっとジャズの本質を知ってるし、何より「黒人のもの」なんである。逆に、日本人的には、自分たちのものではないから、その穴を埋めるように知識を積み上げていくのではないでしょうか。知ってる、ということはアドバンテージとはならないんですね。
そのことを、村上春樹はちょっと自嘲気味に、そして相手への尊敬の念をもって書いているんですね。