いつも満員で観れなかった「ゆれる」を漸く観てきました。
いやー、面白い映画でした。硬派だね。そりゃ満員だわ。先週観て座れたけど、満員でした。7月公開なのにすごい。
あ、そういえば、最初アミューズCQNという映画館で観ようとしたんだけど、そこの受付の若い男がふってぶてしい態度で「あ~、今満員なんで、観れないッスね?」だと。
客に対する態度がまるでなってない。皆さん、よっぽどのことがない限りアミューズCQNでは映画を観ないで下さい。折角の映画が台無しになってしまいます。
西川美和・オダギリジョー コメント
観客も「ゆれる」
で、観てきたんですけど、非常に硬派ですね。
人の記憶、人の気持ち、人の感情、そういったものを全身全霊で描いている。そんな印象を受けました。
あと、何がすごいって、師匠(?)の是枝裕和と同じように観客を映画の中に引きずり込むというか、映画の中の登場人物と同じように考え、同じような気持ちにさせるというか。
映画って僕は覗きであり旅であると思ってるんですが、この映画は「覗き」ではないかもしれません。「疑似体験」と言うとちょっと大げさでしょうか?
で、どういう点がそうかというと、主人公の幼馴染の女性が橋から転落するところを描いていないんです。
物語の「核」とも言える事件の現場を映していないんです。
この映画って人の記憶の曖昧さを突いているんですが、映画の中の「事実」として、その場面を描くことは最後までなく、従って結局何が真実だったのかが最後までわからないんです。
「ゆれる」のは橋や主人公の兄への思い、自らの記憶だけでなく、観客もなんです。
兄の腕の傷跡
ただ、やはり兄の腕に付いた傷跡を映したシーンを考えると、兄は裁判の場で嘘などついていなく、女性を殺してもいなかった、と考えるのが真っ当な見方かもしれません。
そう考えると、兄の稔は映画の中で一つの物事に対してしか嘘をついていない。
それはあの幼馴染の智恵子のことについてだけです。
稔は智恵子についてだけは嘘を語りました。
弟の猛に「結婚しないの?」みたいに聞かれても否定的に答えてますし、智恵子が酒を飲めないのも知っていたのに猛に嘘をついた。
人が良くて正直(であろう)稔に嘘をつかせたのは恋愛だったと思います。何か、そこから全ての歯車が狂っていったような気がしてなりません。
そして全てを破壊してしまったのは、今まで兄を信じて慕ってきた弟・猛の猜疑心だったのです。
最後、泣きながら「お兄ちゃん」と叫んぶ猛に微笑んだであろう稔の笑顔がバスに被さるシーンは何を表していたのか。
最後まで観客がゆれる映画だったと思います。
確かなことと、わかんなかったこと
ただ、一つ確かなのかな、と思うのは稔はやっぱりいい人なのではないかと。それはガソリンスタンドのバイトの男の子が7年後、妻と子供ができても稔のことを気にかけていたからです。
あと解せないのはなぜ猛は智恵子の部屋で自分の写真集を見たあと、急に「冷めた」のかということです。あれはちょっとわかんなかったなー。
まぁ、そんなこんなでかなり長く書いてしまいましたが、まだまだ言いたいことがたくさんあって、それくらい見所があるし、考えさせられる作品でした。