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僕が買ったもの、観に行った映画・ライヴなど、要は金を払ったものに対して言いたい放題感想を言わせてもらおうというブログです。オチとかはないです。※ネタバレありまくりなので、注意!

「銀河英雄伝説 Die Neue These 星乱 第一章~第三章」ネタバレ有り感想。田中芳樹の慧眼炸裂!


名作揃いの2019年アニメ映画群の一つと言えるのが「銀河英雄伝説 Die Neue These 星乱」の第一章~第三章。

原作ファンのワタクシは、もちろん全三作劇場で観てきました!

まぁ、「全」と言いましても、TVシリーズからの続きで、これからまだ続くのですけどね。

そんな感じで、基本はTVシリーズですから、構成は30分一話、それを幾つかまとめたものとなっています。

ただ、それを劇場の大画面で観られるというのが、なんともファン冥利に尽きるというものです。

当然のことながら期待通りの素晴らしいアニメでした!

前アニメ版は残念ながら未見なのですが、今回のアニメも、やはり大名作のアニメ化ということもあってか、スタッフが気合入りまくっているのがひしひしと伝わってくるようでした。

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映像にするとわかりやすい

映像で改めて観ると、小説では今ひとつわかりにくいところがわかりやすくなっていたところもありましたねー。戦闘シーンなんかはその最たるものだと思います。

またCGのクォリティも高かったですね。作画や動きやなども一級品であったと思います。特に戦艦の巨大感は大画面に耐えうるものでした。

もちろん、小説の方が心情などはより細かくわかりやすいのですが。それぞれが補完し合うので、原作とアニメの両方を観るのがベストかもわかりません。

また今回、映像で見てわかったことといえば、グリーンヒルがえらい間抜けな人間だったということですね(^^;; 騙されてクーデターを起こした挙句失敗し、あまつさえ帝国の刺客を殺そうとするより早く、その刺客にあっけなく殺されてしまうという…。彼は何もできなかった上に、大きな損失を社会に与えてしまいます。改めて映像で見ると、こんなに間抜けな男だったことを知って驚いてしまいました。なんせフレデリカのお父さんですからね、もっと崇高な人であって欲しかったです。

逆に言うと、こういう重要な登場人物にこういう役どころを与えるということは、それくらい、どんな人でも武力を持つとクーデターの魅力には抗えなくなる、ということを言いたかったのかもしれません。

田中芳樹の先見性

上記のグリーンヒルの役どころのように、示唆に富むところの多いのがこの銀英伝の大きな魅力の一つだと思うのですが、田中芳樹大先生(もう、大先生と呼ぶのが本当に相応しいと思っています)の慧眼には感服させられっぱなしです。

今回のエピソードにも名言が多かったですねぇ。個人的に特に響いたのはヤンの「人の命より尊いものがある。人の命より尊いものはない。前者は戦争を始める時、後者は戦争を終わらせる時だ」(ウロ覚え)という言葉でした。

また、第二章についてなんですけど、内容的にちょっと辛いシーンのある章なので、暗澹たる気持ちにもなった章なのですが、特にスタジアムでの虐殺のシーンは、なんというか、衝撃的というか、考えさせられるというか(こう書くとえらいチープですが)。

そのシーンに至るまでの状況が、言ってしまえば、かつての日本と現代の中国を混ぜたような状況だ、と思ったんです。これがもう何年も前の作品なので、銀英伝の警鐘性を褒めるべきか、進歩していない人間をけなすべきか、評価の分かれるところではあると思います。

そして第三章では、ヤンがトリューニヒトを権力の座に着かせる民衆とは一体何なのだろう?と自問する台詞があるのですが、これはそのまま現代の世界的な状況に当てはめることができるように思います。むしろ、この原作が世に出た時よりも尚、今の時代に当てはまる。

また、続けてヤンは、独裁者はそういった民衆を見て使命感を感じて独裁者になったのではないか、とも言うんです。不吉な言葉だと思いますが、当たってる気もしてしまいます。

ヤン・ウェンリーの優位性

僕はヤンが一番好きな登場人物なんですけど、やっぱり彼は物語中、もっとも達観した視線を持っていて、それは自分をも冷徹に見つめているように思うんです。その感じが、むしろどこか浮世離れしていて、とても好きなんですよね。もっとも、普段の彼は、趣味や思考が俗物だったりゲンキンだったりするんですけどねw そこがまたヤンの魅力なんだよなあ。

そのヤンのセリフに「流した血以上のことが自分にはできるのか」というのがあるのですが、ヤンの意に反して背負わされたものの大きさを物語っていて、短いながら、ヤンというキャラクターを全方位からよく表した名ゼリフだと思います。思うに、田中先生はヤンに自分の主だった考え方を全て投影しているのではないかな、と勘繰ってしまいます。じゃなきゃ、こんなセリフ言わせないと思うんですよね。

あと、「人は頭が回るようになると愚かなことを考えてしまいがち」というセリフもあるのですが、これは作品全体としてラインハルトの作戦を揶揄しているものと思われます。

ヤンは帝国内で内乱が起こると知った時、ラインハルトと同じ作戦、つまり捕虜を使って国内を混乱に陥れようと、ふと思うんです。でも、それは人道に反する愚かなことだ、と自分を諌めるんですね。一方、それを躊躇なく実行してしまったのがラインハルトです。ここに人として、ヤンの方が常にラインハルトよりも優位に立っていることを表しているように思います。一見すると、ラインハルトの方が煌びやかで高貴な貴族、という風貌ですが、その実、崇高な魂を持っているのはどちらなんでしょうか?

また、同盟が帝国領を統治した時、反乱を起こさせるよう計らったのもラインハルトで、これについてもヤンは「自分にも思い付くだろうができない」と言っています。ここも同じことを表していると言えるでしょう。

このシーンは現在のアメリカにおける中東支配をも見越していたように思えてしまいます。民主政治を与えれば、そこの市民は無条件に自分たちを歓迎してくれる、という勘違いが産んだ悲劇と言えるでしょう。圧政を敷かれていたとしても、そこにはそこの文化がある。それをよく知っていたのは日本を統治していたマッカーサーだったのかもしれません。

第三章では色んな登場人物がそれぞれに翻弄され、ヤンもまた同様であるのですが、それでもヤンは比較的安定しているんですね。常に理性を失わない。ここら辺がヤンのすごいところであり、一見頼りないように見えるけど、鋼の精神力を持っているのだと思います。

第三章は辛い

そして、今シリーズ最終章となる第三章はですねぇ…辛ーい!

小説を読んで、筋は知っているのに、いや知っているからこそ、先がわかって却って泣けてしまいます。そういう人は多いらしく、キルヒアイスがブラスターを手放すシーンで既にすすり泣いている人もいました(そりゃそうだ!)。

それに、映像にすると余計に泣けるというか。ここらへんは制作陣や演技陣の素晴らしい仕事が物を言ってる感じですかね。でも、それだけに辛い…。

キルヒアイスがラインハルトに苦言を呈するシーン、メルカッツが亡命を決断するシーン、そしてキルヒアイスの最期のシーン、またラインハルトと姉の電話のシーン、もうね、ここはホント泣けた。まぁ、メルカッツのくだりは違う意味の「泣ける」ですが。

いやー、それにしても第三章はラインハルトに襲い来る試練の数々が、さすがにキツかったですね。それもこれも全てはオーベルシュタインの策のせいなので、俺は本当にオーベルシュタインが大嫌いだ。

俺はオーベルシュタインが嫌いだ

ここから下は僕の感情に任せた文章なので、読み飛ばして頂いて一向に構いませんw ホント、俺は感情に流されて映画観るなー。

オーベルシュタインって、頭はキレる(狡賢い)し、先も見据える力があるのかもしれないけど、人間を見る力はないですね。また、先の先の大局を見据える力もなかったです。

逆にオーベルシュタインの持っていなかったものをキルヒアイスは全て持っていました。それだけに、オーベルシュタインに対するキルヒアイスの優位は動かなかったです。そこら辺の嫉妬があるから、オーベルシュタインは遠回しにキルヒアイスを暗殺したのだろう、と思ってます。僕はね。だから、オーベルシュタインのほくそ笑む姿を想像すると更に腹が立つ(そんなシーンはないけど)。

あと、やっぱりオーベルシュタインは人間というものをわかっていなかったのだと改めて思いました。

ラインハルトの暴走を止められるのは無二の親友のキルヒアイスしかいない。しかもキルヒアイスは賢明な人物です。彼ほどナンバー2にふさわしい人物はいなかったでしょう。冷徹なだけでは人は治められない。人間は机上の空論では動かないのです。

なんだか、社会主義革命のことを思い出してしまいました。社会主義の失敗は人間というものへの洞察があまりにも足りていなかった。オーベルシュタインもまさに、同じように、人間への洞察があまりにも欠けていましたね。

↓銀英伝はこちらから観ることができます!



 

 

 

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