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僕が買ったもの、観に行った映画・ライヴなど、要は金を払ったものに対して言いたい放題感想を言わせてもらおうというブログです。オチとかはないです。※ネタバレありまくりなので、注意!

酒見賢一「周公旦」ネタバレ有り読書感想。人の上に立つ人の資質

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酒見賢一の「周公旦」を読んだのですが、非常に面白かったです。

周公旦とは、「孔子が夢にまで見た」というほどの中国きっての聖人らしいです。

周という国の、まぁ、言ってみれば、王の代わりに国を治めた人、といったところでしょうか。

あの、正直、僕全然詳しくないんですけど(笑)

まぁ、この小説の中ではそんな感じの人だったと思います。ただ、小説と言っても、かなり史実を踏襲した作りにはなってると思います。

解説に書いてあったのですが、酒見賢一の作劇方は、丹念な史実の積み重ねと共に、幻想的なファンタジーを巧みに混ぜることにある、らしいです。だからまぁ、かなり史実に則った作品ではあるんですね。

ちなみに、この作劇法はは坪内逍遥が提唱した「小説」というよりは、中国で言うところの「小説」、日本で言う戯作本に近いといいます。この作劇法はなかなか面白いと思います。

言葉の力

先ずは、周公旦の言葉の力ですね。

この作品の舞台となっている時代の中国では、文字とは多分に呪術的であり、多くの人にとって、記号や模様くらいの感じだったのではないでしょうか。かなり未知のもの、という感じ、だと思うんですけど。

周公旦の書いた文章、言葉によって、戦士たちは戦場へと赴く場面があるんですね。多分、それなしでは、戦場へ行って戦うことなんかできない、というか。ありていに言ってしまえば、怖くてそんなところ行けない。そりゃそうです。

でも、人を戦場へと向かわせるのが、言葉の力だったように思います。

このように、言葉とは様々な、多分呪術的な、或いは心理的な効力を持つものであり、それ故、それを操る者は恐れられていたんだと思います。

思えば、これは今にも通じることだと思います。だって、政治家にとって、ひょっとしたら一番大事なのは、その人の操る言葉(それは発声などのパフォーマンスも合わせてのことなんですけど)ですからね。

一方で、現在はSNSが普及し、若い世代の文章力が向上したと言われています。それを思うと、驚異的なことですよね。かつては呪術的ですらあった、力のある言葉を、若年層が操ってしまっているという。

ただ、反面、そうした現状は、文字から神聖さとか、そういったある種特別な力がどんどんなくなっていってるのかもしれないですね。

また、古今東西、戦争って、その後には兵士による掠奪があると思うのですが、この作品では、それは兵士の獣性を解放させるものでもあるらしく、下手に抑えようとすればその矛先はどこへ向くかわからない、と書かれていました。

だからと言って、それを肯定する気は起きないんですけど、ここで描かれた殷周革命の戦では、そういった略奪行為は起きなかったらしいんです。そして、ここにも周公旦の文章が影響を与えているのではないか、と書かれています。

かくも言葉の力は大きいのか、と思わせるシーンです。

政治的攻防の面白さ

そんな感じで、殷周革命に勝利して、できたばかりの国である周は、やはり政情が不安定らしかったです。

で、そんな中、呂尚が反乱を仕掛けるのですが、それに対抗した周公旦の政治的駆け引きが面白かったです。パワーバランスや人間の心理などを巧みに読む動きは、なるほど!と思ってしまいました。

誰が自分の味方になるかを見極め、自分が疎まれていることを逆手に取り、強い者に自分を叱責されることで自分の敵となり得る勢力の溜飲を下げさせ、且つ叱責させた方を味方に引き入れる。

これにより、情勢が一気に逆転してしまうんですねぇ。読んでいて、非常に見応えがありました。

この知的な攻防を読んでいる時、なんとなく「銀英伝」のヤン・ウェンリーを思い出してしまいました。まぁ、同じ知的攻防でもかなり性質は異なっているのですが…。

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楚へ

しかし、そんな周公旦は、色々あって(←ざっくり)成王に疎まれてしまうんです。

誅殺の危険が出てきたため、一旦亡命(というのともちょっと違うんですけど)するのですが、よりのもよって楚に行くんです。

よりのもよって、というのは、周公旦にしてみれば、他にも身の安全を確保してくれそうな国はいくらでもあったらしいんです。でも、楚というのは当時の、まぁ言ってみれば未開の、非常に野蛮な国であったらしいんですね。しかも、周とは到底友好的とは言えなかったらしいんです。

だから、酒見賢一は、なんでまたそんなところに行ったんだろう?と不思議に思って、この小説を書いたそうです。

だから、まぁ、言ってみればここからがこの小説の本意気なんですね。

で、楚に至る冒険譚はそれまでのポリティカルな展開とほぼ180度変わったかのよう。

現代の我々のみならず、周から見てもかなり異様な見慣れない風習が立て続けに出てくるんですけど、ここが読んでいて飽きないんです。

周公旦が楚に入ってから何があったのか、歴史的な史料には書かれていないらしいので、おそらくは酒見賢一の想像なんでしょう。

ただ、冒頭でも言った通り、時折歴史書を引用するので、何か非常に説得力があるんですね。古代中国の南の野蛮さが割とリアルに感じられる。

ただ、それらの野蛮な国々の呪術的な行事を、周公旦は嫌悪感を持つことなく、論理的に解釈し、観察するんです。

やはり頭の良い人は未知のものに対して、観察し、仮説を立て、理解しようとする。理解するから、徒らに嫌悪感を抱かないんです。

外交手腕

そして周公旦は、楚の国々を転々として、ここら一体の統一の王を立てようとします。

バラバラの、野蛮で強力な国々を相手にするのは骨が折れるけど、それらを束ねる権力者を擁立させれば、たとえその権力者がいかに強力といえども、代表者さえ居れば、話し合うことができる。そうなれば、逆に与し易くなる、というわけです。

ただ、群雄割拠する集団の長を擁立させるのは並大抵ではないと思うのですが、それを成し遂げてしまった周公旦は驚異というしかないですよね。

しかし一方で、そのように楚を「文明化」することは、原初のパワーを剥がしてしまうようにも思えます。

最近読んだ「ジュラシック・パーク」でイマン・マルカムが言っていたように、文化・価値観・精神の単一化が推し進められるようなものなのかもしれません。というより、まさにそれこそが周公旦の目的だったのかもしれないのですが。

ただ、この小説ではそんな周公旦は一貫して誠実であるように思えます。時折、策も弄しはするが、それも致し方のない方便で、その根底には誠実さがあるように思うんです。

しかし結局、周公旦は、楚は組み入れられない、と悟ります。そして、更に礼が必要であると悟ります。力ずくは下策だというんです。ここがすごい。

野蛮な国も、文明国になれば突如凶暴化することはなく、たとえ関係が悪くなったとしても、話し合い、外交というカードがある。

この考え方は、ひょっとしたら社会的動物たる人間の基本的とすべき姿勢なのかもしれません。つーか、それが現代の国際社会ですよね。その礎となる考えを、この時代に周公旦は持っていたのですから、やはりその先見性というか、思想の明らかさはすごいですね。

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人の上に立つ人の資質

周公旦が息子に教えを諭す一コマがあります。

周公旦は、自らを周では重要人物であると自認しています。しかし、そんな重要人物たる周公旦は、洗髪中に客が来たらすぐに出向くそうです。食事中に客が来たらすぐに出向きます。待たせることはありません。

そういうことを息子に教えたそうです。これだけすごい人でも礼を失わない。謙虚であり続ける。なんだか、非常に身につまされました。

この小説における周公旦は権力の座に座り続けていた、といえばそうなのですが、その間の気持ちは、ひょっとしたら片時も心休まることはなかったのではないでしょうか。

思うに、治世とはそういうものなのかもしれない。これは人の上に立つ者全てに当てはまるものでしょう。

最後の30ページほどは特に色々と考えさせられることが多く詰まっていたと思います。