「メイドインアビス 深き魂の黎明」を観ましたー!
先日アマプラで観たんですけどね、映画公開時に観たいと思っていた作品をようやく観れた感じです。
ただ、完全にテレビシリーズの続きとして作られていたので、あの当時、映画観に行ってもわけがわからなかったと思います。
要は、テレビの(テレビ版第一シリーズの最終回が二話分と換算すると13、14話だから、)15話以降、って感じで制作されたのだと思います。
映画にした理由、映画にせざるを得なかった理由というのも、明確にあると思います。
予告編
一見さんには超不親切
もう、説明とかほぼナシです。一見さんの人に親切か不親切かで言ったら、完全に不親切ですw
だから、完全にテレビシリーズを観てる前提で作られた映画ですね。
例えばですね、テレビ観ないで映画行ってたら、ナナチの見た目の解釈からして間違えていたと思うんです。
ウサ耳のこの子は獣人なのかー、そういう世界観なのかー、って、そんな風に理解していたと思います。
ナナチのあの可愛らしい見た目は、それだけで異常なことが行われたという、その生き字引みたいなものなので、全然解釈が違ってしまってた可能性大です。
ナナチのあの見た目はl言ってみればゴジラの、あの皮膚のようなものだと思います。ゴジラが立ち上がり、その姿を人類に晒すだけで、人類は罪の意識を持つ、みたいな。
映画にした理由(多分)
映画は全編グロの嵐でしたね。
グロが強すぎて、あんまり内容が入ってこないようなw、それくらいグロでした。
もう、冒頭の虫のエピソードからグロ!
ボンドルド相手に戦う、その戦法がなかなかエグい! リコも可愛い顔して考えることがエゲツないw
これ、絶対に地上波のテレビでは放送できないですね(^^;; これが映画にした理由なんだと思います。映画にせざるを得なかったというか。いやだって、無理だもん。
でも、映画だからか、まー振り切ってましたねw いやー、参ったw
それにしても、レグは強いですねー。なんというか、今回、全体的には冒険モノ、というよりはバトルもの、という色彩が強かったように思います。やはりそこは「やっぱ映画ッスから、派手にバーンとね」って感じだったんでしょうか。まぁ、わかりますが。
また、映画だから、若干いつもより背景が細かかったように思うんですけど、テレビとあんまり変わらなかったかなー。相変わらず細かい描写でw
つまり、それだけ普段からクォリティの高いTVシリーズだったということです。作画崩れも(多分)なかったし。
白笛とは
また今回、物語の流れという点で大きなポイントだったのは、白笛という小道具の正体だと思います。
あれって、実は人間だったんですよね…。
リコが死体だったり、笛が人間だったり…、いやこのアニメ、大概すぎる! 人を供物として笛にするのだそう(多分)。
笛の使い道としては、ラストダイブと呼ばれる深界最下層へ行く際のゲートを通る際にキーとして使うらしいです。白笛がなければそれ以上、下には行けない。
しかも、その白笛が吹けて、ちゃんとラストダイブの効力を得られるのは持ち主だけなのだそう。
ボンドルドの正体
そしてボンドルドの正体(本体と言った方がいいかもしれない)はこの白笛であるらしいんです。ボンドルドについては後述します。ホンット、ちょっと、言いたいことあるんで。
で、このボンドルド、冒険やアビスの謎を解くことに執着した挙句、自らを供物にしたというのです。だから、あの仮面を違う者に被せ変えれば、死ぬことはない。…らしい。まぁ、ここらへん、白笛と仮面の相関関係とか、ちょっとよくわかんなかったんですけど。
ただ、最後レグとの決戦では仮面を被って、最後ジンオウガみたいな姿になったのを倒したらやっつけることができたんですけど、あれはなんでだろう? ただ、最後に壊れた仮面を別の人が被ってて、復活してましたけどね。
プルシュカ
また今回、ボンドルドの娘のプルシュカという新キャラの女の子が出てきまして。
てっきり、新しい仲間に加わるのかなー、と思ったら、まぁちょっとここで言うのは憚られるようなことをされて、カートリッジと呼ばれるボンドルドの力になるようなトランクに変えられ……。それ、しかも父親にですよ!
いやもう、ホント、なんかね、このエピソード以降、観てる間ずーっとイライラしてました。
話を続けます。それで、そんな姿になってまでも、ボンドルドを思いやるプルシュカに、やるせない思いが広がります。
プルシュカは実はボンドルドとは血の繋がった子ではなく、謂わばボンドルドの実験体(!)の失敗作(!!)だったらしいんです。
生まれながらに生を憎み、呪う子は必ずや役に立つだろう(みたいなこと言ってました。ウロ覚え)、ということで娘として育てたのです。
この子のボンドルドに対する愛情は、生まれてきた子供は親を選べず、そこにすがるしかないことの象徴のようにも思えてならないです。
そしてプルシュカの最後を看取ったリコは、トランクの中から白い笛が出てきたのを見つけます。プルシュカは白笛になったんですね。なってしまった、というべきか…。
その白笛はリコのものとなり、リコにしか吹くことはできません。こんな形ではあるものの、プルシュカは願い通り、リコと冒険の旅に出ることができるようになったのです。やるせない。
ちくしょう
冒険といえば、ナナチは二人との旅を「楽しい」と感じます。
ただその際「ちくしょう」と言います。
それはやはり、ミーティも一緒に連れてきたかったから、だと思います。その悔しさと、自分だけ楽しんでいるという罪の意識が「ちくしょう」というセリフになったのだと思います。
この作品の、そういう言葉の選び方がすごいと思います。しかも簡潔なところがまたすごい。
またそんなナナチは、過去、ボンドルドに言われるがまま、子供を切り刻み、トランクに詰める作業をさせられていたことがわかります。
ナナチがリコの左手の手術ができたことは、そんなことが理由になっていたんですね。ナナチはボンドルドの最後を見た時、こいつの口車に乗せられなかったら…、と途中で言葉を飲みこみます。
ボンドルドの口車に乗せられなかったら、憧れのアビスには来られなかったし、こうして冒険をすることもできなかった。
ボンドルドの手足となって働かなかったら、リコを助けることもできなかった。
それを思うと、よくわからなくなってきます。
ボンドルドは悪、でいい
この映画にはボンドルドという奴が出てきます。(|)←こんな顔(というか仮面)した奴なんですけどね。
なんつーか、ダースベイダー崩れというか、ウォーズマン気取りというか、そんな風貌、出で立ちで登場してきやがります。いかにも、俺悪役だゼ、ってツラして。
それでいて、ボクチン正常ですけど何か?みたいな態度を常に取ってくる奴でもあります。頭のおかしい奴に限ってそういう態度取りたがりますよね。やっぱり後ろめたさはあるのかな?w
ちなみに登場自体はTVシリーズ最終盤で既に出てきてるんですけどね、本格的に物語に登場したのは、この映画からと言っていいと思います。
いやもうね、ホンット、俺このボンドルドって奴が嫌いで。
よくこの映画を称して、鬱アニメという評価があるのですが、個人的には怒りですね。怒りアニメでしたね。途中から、つーか、言っちゃうとプルシュカが、まぁここでは言うのが憚られるようなことをされるシーンから、ずーっと、イライラしっ放しでした。
もう、ホントにボンドルドに対する怒りが収まらなくて。
僕は基本的には映画とかアニメとか小説、マンガを読む時、頭で分析的に観るよりかは、登場人物(主に主人公寄り)に感情移入して、物語の中に入っていく、っていう風に観たり読んだりしてます。
だもんだから、本当にもう、怒りが止まらなかった感じでしたねー。
もうね、ボンドルドは悪だと思うし、悪ということでいいと思うし、悪ということにしなくちゃいけないと思います。
もちろん、正義と悪は相対的なものでしかない、という論もありますが、僕はやっぱり正義とか悪とかいうものは存在すると思う。
じゃあ、そういった正義とか悪とかは何か、と言ったら、やはり社会に反する、公共の福祉に反しているか否か、だと思います。
なぜ社会が大事かというと、人間は社会的動物であり、高度な社会を作ることによって、ここまで生き残ってこれたからです。人間は社会、文明、文化がなければ、多分生物界でも最弱の部類に入ると思います。そんな最弱である人間がここまで発展したのは、ひとえに強力な社会を形成したからだと思います。
だから、社会とは人間にとって最も重要なものであり、それを脅かす者は悪なんです。で、「社会を脅かす」とは何ぞやという話になると、長くなると思いますので、それは割愛させていただきます。
とにかく、人様に迷惑をかける奴は悪なんですよ。
身寄りがないからといって、子供を騙して実験体にし、資源にするなどということは、これはもう、悪ということにしなくてはいけないと思う。
ボンドルドはもう一人のリコ
その一方で、ボンドルドをそうさせてしまったのは、前述したように、冒険と探究心が行きすぎてしまったからだと思うんです。
結局、ボンドルドの過去は語られなかったのですが、なぜ彼はああなってしまったのか、そこにも非常な興味はあります。
なぜなら、彼は多分、元はリコやナナチと同じような冒険心と探究心のある男の子だったと思うからです。不思議な穴であるアビスに純粋な好奇心をもって憧れる、そんな素朴な男の子だったのかもしれません。
それがだんだん行き過ぎて、突き詰め過ぎてしまって、ああなってしまったのかもしれません。なんとなく、科学者とか研究者など、物事を突き詰めて考えなくてはならない仕事に就いてる人にも通じるようなところがあるような気がします。
突き詰めるということは、そういった危うさと表裏一体なのかもしれません。もちろん、それによる功績というものも大きいとは思うし、恩恵も受けているとは思いますが…。だから、完全否定なんかはしないです。
そして、このボンドルドの冒険心や探究心は、今言ったようにリコとも共通するものです。
だから劇中、リコはプルシュカに対する所業に対しては怒りを顕わにしますが、ボンドルドの探究心については、何も言いません。実際、リコも明確にそのことを言葉にしていました。
ボンドルドは、リコが将来こうなる、という可能性の一つなんだと思います。もう一人のリコなんですね。
この先、リコがどうなるか、そういった意味でも注目であると思います。
また、リコの母親も白笛でした。ということは、当然供物となった人間がいるはずです。そこにも、今後注目だと思います。
しかし、この映画は、果たして完全なフィクションなのか、という懸念もあります。