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僕が買ったもの、観に行った映画・ライヴなど、要は金を払ったものに対して言いたい放題感想を言わせてもらおうというブログです。オチとかはないです。※ネタバレありまくりなので、注意!

「鬼滅の刃」第二十巻ネタバレ有り感想。少年漫画に一人称小説を持ち込む!!



鬼滅の刃」全巻感想、遂に大台に乗りましたー!

20!

20巻ですよ!

マイルストーンとしては、最大のものではないですかね。

いやー、長かった。全23巻だから、もうあとちょっと。ラストスパートといったところですね。

でも、読み始めてから一年経ったけど、まだ読み終わってないw

で、20巻なんですけど、先ず表紙がね…誰か?とw

風貌からするに、始まりの呼吸の人ですね。炭治郎と同じピアスしてますね(その当時、ピアスという文化があったかどうかは不問にしましょう)。

この人、今回鬼殺隊が対する上弦第1位の鬼・巌勝の弟、縁壱といいます。そりゃわからないはずです。だって、この巻が初登場なのですから。

というわけで、今巻もね、非常に読み応えのある巻でしたね。特に後半! なんかね、もう小説読んでるみたいでしたね。つーか、作りとしては小説ですね。一人称小説。

だから、前半はバトルマンガで後半はビジュアル的な一人称小説とでもいうような、非常に贅沢な作りの巻となっているかもしれません。

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文化の継承、人との繋がり

この巻では、いきなり悲鳴嶼さんと1位の鬼との間でお互いの思想のぶつかり合いがあります。で、これは煉獄さんと猗窩座との間で交わされた問答と本質的には同じだと思います。

ものすごく平たく言えば、個にこだわるのか、それとも人との繋がりを大事にするのか、ってことだと思うんです。

なんでこの問答をもう一度やり直すか、って言うと、後に出てくる1位の鬼のドラマに繋がって来るからだと思います。

1位の鬼にはやはり弟がいたんですね。それで、弟とは考え方がまるで逆だったんです。己が特別だと信じる、もしくはそうなりたい兄と、(天才なのに)自分を特別とは考えず、次の世代への継承を信じる弟。

ここに繋がってくるから、もう一度おさらいという意味で悲鳴嶼さんと1位の鬼に討論させたのだと思います。

弟や、煉獄さんや悲鳴嶼さんら柱の主張は、文化の継承と言ってもいいかもしれませんし、人との繋がりであると言っていいかもしれません。

で、もっと言ってしまうとこの作品では「人との繋がり=血の繋がり」でもあるんですね。

この作品に出てくる登場人物が抱える人との繋がりの問題はほぼ全て血縁関係にあります。

それは社会的「生物」としての人間を、より象徴的に表しているのかもしれません。

多分この作品で最も言いたいことは、社会が大事だよ、人との繋がりが大事だよ、ということなのかもしれません。そのことを言いたいがために、そうした考えとは真逆の存在である鬼を考えだしたのでは、とすら思ってしまいます。

だから、兄と弟の違いは、言ってみればこんな感じかもしれません。

兄→単独行動の生物
弟→群れを作る生物

考え方が真逆だから、兄は鬼となって弟と袂を分かち、そして時が経ってこうして鬼殺隊と戦っている。

一方弟の思想は、煉獄さんや悲鳴嶼さんら柱の思想と酷似している、というよりそのものだと思います。つまり、弟の願い通り、文化として受け継がれているんですね。

後に出てくる1位の鬼の兄弟の悲劇は、この思想の違いによるものだと思います。なんでそんなことになってしまったか、と言ったら、いわば「神様のちょっとしたボタンのかけ違い」だと思うんです。

弟は、とんでもない剣の天才なんですね。一方兄は、それなりの才に恵まれたものの、天才ではない。

これが逆だったら、何の問題もなかったと思うんですよ。

兄が己にこだわるようになったのは、弟よりも剣の才で劣っていたからだと思うんです。

元々、兄は弟想いの子だったと思うんです。そうでなければ、弟のために笛なんて作りませんよ。笛ですよ? 笛。作るのめちゃめちゃめんどくさいじゃないですか。

だから、兄の方も元々は「人との繋がり」を大事にするような子だったんです。

でも、弟に自分がなりたいものに成られてしまった。この嫉妬心たるや相当なものでしょう。

そうなってくると視野狭窄というか、周りが見えなくなっちゃうと思うんですよね。だから己の鍛錬にこだわるようになってしまうし、弟を憎んでしまう。

しかもこの弟、兄が大事にするものをことごとく否定していくんですね。兄が日本一の侍になりたいと願えば、弟は剣技にはまるで関心がない。むしろ嫌いだったりします。

兄が、自分たちの世代は特別だ、と言うと、弟は、今に我々よりも優れた剣士が出てくる、と言う。

とにかくこの弟は、兄の嫉妬心というか、神経を逆撫でするというかw そういう、兄の嫉妬心を照射するために様々な要素が与えられているようにすら思えます。

でももし、兄に天賦の才があったらどうだったでしょう?

おそらく、十になったら寺へ出される弟を家に呼び戻し、母の遺言にあったように分け隔てなく育っていくことを願い出たかもしれません。だって、嫉妬なんてしていないんですから。

先に言っちゃうけど、このお兄さん、本当は弟のことが大好きだったんですから。

だから、「神様のちょっとしたボタンのかけ違い」が全ての元凶だと思うんです。そして、その「神様」というのは吾峠呼世晴なんですけどねw

弟や、柱たちの考えを照射させるために、兄を個に生き、己にこだわる性格にさせたのではないでしょうか。

世代間闘争

あと、なんとなく世代間闘争とも見て取れるかな、と。

兄は、自分たちの技術は下の者には伝わらない、と嘆きます。更に、腹の中では自分たちの世代こそ最高だ、とも思っています。

これって、何やら勝ち逃げを決めた今の引退世代に通じるようなところがあります。

一方、弟は、我々はそう特別な存在ではない、と言い放ちます。天才なのに。そして、今こうしている間にも、我々より優れた者が産声を上げている、と言います。

これは下の世代にもチャンスを与え、期待し、育てようということなのかな、と思います。

勝ち逃げ世代は、努力を怠り、氷河期世代とかいうものを作り出してしまいました。自分たちは特別だった、後の世代のことは自分たちには関係ない、そういう意識もあったと思います。

そういった、批判めいたものも、透けて見えるような気がするのですが、どうでしょう?

バトルが凄惨

炭治郎は戦いの中で「透明な世界」を手に入れたのですが、それはこの1位の鬼のものだったんですね。

しかも、1位の鬼の弟が(おそらく)最初に見た世界でもありました。

それを炭治郎は日の神神楽として父から受け継ぎました。

また今巻では、他の柱たちも急速にその域に達しました。

こうして連面と技術が受け継がれてきたのですね。このように、とにかくこの漫画では、「引き継がれる」ことを至上としているように思います。

そして、強さを極めると、最後に待っていたのは自分だった、ということなのでしょう。1位の鬼はその象徴でもあるのですね。

で、今巻のバトルは壮絶。凄惨と言ってもいいでしょう。無一郎と玄弥は体をズタズタに引き裂かれてしまいます。言ってしまうと、非常に残酷な展開ですね。更に言ってしまうと、こういう展開はあまり好きではありません。

ただ、今回のバトルの中には面白いな、と思う展開もあって。炭治郎が玄弥に「一番弱い人が一番可能性を持っているんだよ」と教えるシーン。

強い人はもちろん警戒されますが、その一方で弱い人には警戒が緩むというのです。で、その警戒の弱さをかいくぐることができれば、逆に大きなチャンス、流れを一気に変えられるというのです。

なるほどなー、と。そういえば、野茂って結構並み居るメジャーの強打者を抑えてきたのですが、下位打線に一発を浴びるシーンを割とよく見ました。

松坂も、イチローを抑えた後は、割と後続に打たれてたりしました。

やはり、全員同じように警戒する、ってのは無理なんですね。弱者にこそ状況を変えられるチャンスがあり、弱者には弱者なりの戦い方がある。なるほどなぁ、と膝を打ってしまいました。

こうして、仲間からの助言があるのも、鬼と人の違うところでしょう。この助言というのも、一つの「文化の継承」と言っていいかもしれません。

それから、玄弥が鬼の力を取り込むのが面白いですね。グレンラガンを思い出してしまいましたw

敵の、異形の力を取り込むことで強くなり、それを生かす、というのはカッコいいですよね。何より力強いし、頼りになりそう。仮面ライダーもそうでした。元はショッカーの改造人間ですからね。

ある意味エヴァンゲリオンもそうですよね。あれ、確か拾った使途だし。デビルマンなんかも、考えようによっては、そうかもしれないですね。悪魔が人間の側につく、という。

後半は一人称小説

最後に、1位の鬼は自壊のような形で消えていきます。心が折れた、というか。

それは自分の姿を見たからでした。

まぁ正直、見た目かよ、と思ってしまいましたが、形や見た目から入る日本人ならでは感性、とも言えるかもしれません。

また、女性作家ならではとも言えると思います。女性は男性以上に見た目を重視すると思うからです。それは異性に対してだけではなく、同性、そして自分にも向けられているように思います。だから、女性はオシャレなんですねw

センスが良いとか悪いとかは別として、女の人って年齢を重ねても、着る服とかにこだわるじゃないですか。でも、おっさんって、もう、ひどいですよねw ホントは服着るのめんどくさくて嫌だけど捕まっちゃうから布巻いときゃいいんだろ?っていう思想が透けて見えるくらいひどいw

話を戻すと、そうやって自分の姿を見て自壊したのは、鬼となっても人の心があったからかもしれません。これは悲鳴嶼さんの言う、鬼は元は人だったもの、というセリフにも表れているように思います。そしてそれは、実は1位の鬼の言葉の、しかも弟に向けられた言葉の端々に見て取ることができました。

余談なんですが、自壊した鬼の姿は、どこかサモトラケのニケを思い起こさせました。また、無一郎が刺したのは左の脇腹、だから、崩れていくとき、左の脇腹も崩れています。鬼の母が悪かった箇所も左の脇腹。どこか、ロンギヌスの槍を思い起こさせます。

これは、何を表しているのかはわかりませんが、宗教的なことよりは、なんとなく、エヴァンゲリオンへのオマージュなのかな、と思ってしまいます。

で、ここから1位の鬼の回想になるのですが、まー、兄サゲ弟アゲの極みw まぁ、これはねー、日本エンタメの基本ですから仕方ないのですが、またかよ!って苦笑を禁じえませんでした…(苦笑)

主役の炭治郎は長男だったのでね、「長男だから耐えられた!」とかいう(笑える)台詞もあったりして、その時は「お!」と思ったんですけどねぇ…。吾峠呼世晴、お前もか!って、思ってしまいました。

そんな感じでね、兄サゲ弟アゲの典型的な展開にやや辟易とはしたんですが、面白かったです。しかも非常に!

というのも、ほとんど小説になっていたからです。一人称小説で、描写は絵でまかなう。語り手のモノローグが延々と続く。簡潔に、しかも自身の内面を赤裸々に綴る文章は非常に上手いと思いますし、文学的だし、迫力すらある。

思うに、文学的とは孤独な心を書き留めたものなのかな、って思います。誰に向かって喋ってるんだ?という感じも、一人称小説的ですよね。

で、この語りがですね、非常に文学的で。1位の鬼の、孤独な内面を吐露しているんですね。彼は多分、ずっと一人だったんです。なんせ、個に生きる男でしたから。

で、ですねー、なんというかですねー、この小説的モノローグがですね、色々と考えさせられます。どう感じていいのか、どう考えていいのか、どう思えばいいのか、っていうのがですねー、なかなか難しいといいますか。

でもちょっと、拙いながらも、ちょっと思ったことを書き連ねてみます。

兄である1位の鬼は、常に優秀な弟と自分とを比較して、悩み、自分を追いつめ、最後は鬼舞辻に魅入られてしまった。

その、弟に対する恨みつらみ憎しみは、あまりに一途で、それは恋愛にも等しいものでした。そう、言ってみれば、恋い焦がれていたんです。

兄は、お前になりたかった、と言います。

これって、恋愛ですよね。好きでもない人との同一化なんて、誰がしたいでしょうか。

兄はずっと弟のことが好きだったんです。

剣を振るうより、兄上と双六がしたい、という弟をどうして嫌いになれましょうか。

物置のような部屋に押し込まれた弟に、父の目を盗んで、手作りの笛を持って、遊びに行くわけないですよ、本当に嫌いだったら。

憎んだ、というのも、好きだったからですよ。どうでも良かったら、憎むこともできません。

何より、形見の笛を四百年も懐に入れていたのですから。

ただ一つ、本当に憎かったのは、弟が自分よりも母を気遣うことができていた、ということでしょう。


 

 

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