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僕が買ったもの、観に行った映画・ライヴなど、要は金を払ったものに対して言いたい放題感想を言わせてもらおうというブログです。オチとかはないです。※ネタバレありまくりなので、注意!

「鬼滅の刃」第二十二巻ネタバレ有り感想。「ここぞ」の表情の表現力は当代一?!

 

鬼滅の刃」全巻感想、遂に、遂に遂に、22巻まで辿り着きましたあー!

このマラソン企画もいよいよゴールが見えてきました。あと一巻ですよ! 長かったあ…。

やっぱりね、じっくり一巻一巻、自分なりに感想をこうして書きながらだと、どうしても時間かかっちゃいますね。

あと、やっぱり漫画のタイプとして、例えば「ワンピース」みたいなね、一冊手に取ったらいつのまにやら何巻も読んじゃってて、いつのまにやら時間が経っていた、というようなね、そういう一気に読ませてしまうというものではないのかな、と。鬼滅の魅力は、そういう爆発力みたいなものではないのかな、と。

もっとこう、じっくりと読んでいって感じていくというかね、そういうタイプのマンガなのかなー、とも思いました。

ともあれ、あと一巻! その前に22巻! 感想を述べたいと思います!



蛇の柱の一人称小説

先ずこの巻の最初のエピソードは蛇の柱、伊黒さんの話です。伊黒さんの、一人称小説とでもいうような、そんな内容となっております。

しかし、吾峠呼世晴、文章上手いですねー。マジで普通に小説家になってもイケるんじゃないでしょうか。文章は吾峠呼世晴、挿絵はもちろん吾峠呼世晴という、そんな本も読んでみたいと思わせるほどでした。

で、この伊黒さんなんですけど、ちょっと怪談めいた半生でした。

そもそも生まれてから牢獄で育てられた時点で怪奇ですよね。豪勢な料理を振舞われ、気持ち悪いくらいに優しくされ、しかも女だけに囲まれたというのもまた、気味が悪い。

子供は女しか生まれない家系で、男が産まれたのは370年ぶりという。そういった意味で、呪われた名家というか、非常に謎が謎を呼ぶ展開です。

で、そこの当主みたいな奴なんですけど、これがなんと蛇の鬼だというホラー展開。なぜ元々人間だった鬼が蛇みたくなるのかは、ちょっとよくわからないですが。まぁ、そんな感じでケレン味に満ちてますねー。しかも時代が大正というのがまた、効いてます。この味付けは素晴らしいですね。

そして、その蛇当主の生贄とするため、赤子が産まれては喰らわせてたという。いやあ、怪奇! ホラー!

そういった意味で、伊黒さんはそんな家に生まれた自分は穢れた血だ、と蔑んでいるんですね。自分も被害者であるのに、そういった一族の汚点を一人で背負おうとしている。そういった意味では産屋敷のお屋形様と似ているように思います。

そしてこの話は、そんな伊黒さんの、甘露寺さんへの恋心の告白を綴った話でもあったのです。そういう「穢れた」自分を眩しく照らし出す、とでもいうのでしょうか。

でも、そんな眩しい甘露寺さんに自分はふさわしくない、という悲しく思い詰めた心情が綴られています。甘露寺さんは伊黒さんをそんな「穢れた」なんて思うはずもないと思うのですが、それほどまでに伊黒さんの背負わされた重荷は根深かったのでしょう

武器は「老い」?!

この伊黒さんの回想シーン以降は、基本的にはバトルシーンが続きます。そしてまた、今回も非常に見応えのあるバトルシーンでした。

柱たちが「透明な世界」が見え始めたり、善逸たちが駆けつけたりして、徐々に善戦し始めます。

久々に善逸を見れたのが嬉しかったあー。善逸は相変わらずでしたねw

しかし、鬼舞辻がマジでバカ強い! 柱たちが追い詰めても一撃で全滅。まるで全盛期ジャンボ鶴田のバックドロップのようです。その一発で全てチャラ。ビルとかブッ壊してますからね。もはや怪獣です。

しかし、まさかの復活を遂げた炭治郎と伊黒さんという異色のコンビでそんな怪獣相手に追い詰めていきます。鬼舞辻の攻撃は苛烈を極めるのですが、伊黒さん、炭治郎を助けまくり! 

そしてまた、鬼舞辻の様子がおかしくなってきます。どういうことか、と思った鬼舞辻は、珠世さんの記憶を探るというウルトラCを活用して調べたところ、珠世さんは老いる薬みたいのを投入したらしい。それによると、現在鬼舞辻は九千年歳取ったらしい。

九千歳!

90世紀ですよ!

そんだけ歳取ってもこれだけ動けるとか、やはり鬼舞辻は怪獣です。

それはそれとして、スポーツ選手もそうだけど、やはり生物、老いには勝てないんですね。それは鬼舞辻も同じことだった。

この、バトルで敵を追い込む要素に「老い」をブッ込むというのはすごいアイデアだと思います。そう来るか。

鬼舞辻は武士的?

そんな鬼舞辻なのですが、未だに縁壱に対して非常に恐怖しているんですね。そういう描写が随所に挿入されます。

その一方、どこかで縁壱のような剣士を探しているのではないだろうか、と思ってしまいました。それは、炭治郎でさえ遠く及ばない、と言ってるシーンを見たときにそう思いました。

自分を一番追い込んだ、それどころかほぼ自分は負けていた、そんな縁壱に対して、どこか畏怖のようなものを感じたていたのでは、と思ってしまいます。恐怖は畏怖に繋がるように思いますからね。

それと同時に、どこかでまた縁壱のような剣士に会いたいとさえ思っていたのでは、と思ってしまいました。鬼舞辻は強いです。果てしなく強いです。そんな強い自分と同等以上の存在に会いたいと思うのは自然なことかもしれません。強さを追い求めなければあそこまで強くはならないと思いますし、強さに憧れるのであれば、自分ではなくとも究極に強い存在を見てみたい、という思いになるのも無理からぬところかと思うからです。

しかし一方で、鬼舞辻は、てらいなく逃げます。夜明けも近づき、追い詰められた鬼舞辻は何のてらいもなく逃げます。

それに対し、炭治郎たちは、あいつは元々気高い武士でもなければ人間でもない、だから誇りなんてないから簡単に逃げる、と言います。

なんとなく、「アニゴジ」でフツワが言った「生きることが勝ち」を思い出してしまいました。殺されずに逃げ切れば、それは逃げた動物の勝ちなのだそうです。確かに体面にこだわるのは人間だけです。逆にいうと、人間とは生物としてはかなり変な存在で、非自然的な生物とさえ言えるかもしれません。

ですが、こんな話も聞いたことがあります。武士というものは不利と分かれば逃げることを厭わず、態勢を立て直し、また戦う。そうやって、打てる手は全て打つのが武士である、と。だとすると、この鬼舞辻のてらいなく逃げる様は、逆に非常に武士的だとも言えると思います。

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受け継ぐことが人間の武器

炭治郎は細胞レベルでのご先祖の記憶の中で、もしくは夢の中で、はじまりの呼吸の型を縁壱さんに見せてもらっていました。

その型には十三番目の型はなく、不思議に思ったところ、型の名の最初は「円舞」、最後は「炎舞」と、同じ音であることに気付きます。そうやって、十二の型は円環を成し、もってその円環を一つの塊として十三番目の型とする、ということに気付くのです。

思えば、炭治郎の父親も、この十二の型を延々一晩中踊っていたといいます。つまり、この十二の型を「延々繰り返すこと」で十三番目の技とし、鬼を追い詰める、というのです。

縁壱さんは炭吉さんに技を教えたわけではない。ただ、縁壱さんの技が美しく、それを忘れずにいようと、炭吉さんが神楽として残しただけだったのです。

それを三百年あまり、延々と受け継いできた。この繋がり、継承が人の力なんですね。教えずとも、感じた誰かがそれを受け継いでくれる。人とはそういうものかもしれない。

禰豆子が人間に

それと、今巻ではなんといっても、禰豆子が人間になり、記憶を取り戻したシーンが印象的ですよね。

禰豆子を人に戻す。そのために炭治郎は戦ってきた、ひいてはこのマンガが描かれたのですから。

その、自分という人間を取り戻す時の、みんなとの思い出、とりわけ炭治郎との思い出が感動的に描かれています。

また、善逸を思い出した時の善逸の表情も良いですよねぇ。気持ちは伝わっていたんですね。

徐々に徐々に、体が変化していく感じも良い。

やはり、鬼である時は人の記憶はなかったみたいですね。多分、今まで炭治郎を助けたりしてたのは、深層心理で動いていたのかもしれません。

そして、この「禰豆子が人間に戻った」ということは、鬼舞辻への影響への伏線かもしれなくて、それはちょっと怖いですね。どうやら鬼舞辻は禰豆子が向かってきていることを察知したようです

ここぞという時の表情

このマンガのすごいところって、多分、「ここぞという時の表情の描きこみ」だと思うんです。

ぶっちゃけた話、悟峠呼世晴って、ジャンプみたいな超メジャー誌で長期連載抱えてる作家さんの中では相対的に絵が下手な部類に入っちゃうと思うんです。

でも、ここ一番での微妙な表情を描かせたら当代一なのではないでしょうか。いや、もちろん全部の作家さんを詳しく知っているわけではないのですが…。それほどまでにその表現力がすごいってことです。

しかも、言葉では言い表せない感情を絵で表現するんです。

言葉じゃ無理だから、絵を使う。そんな感じ。

この巻でも、縁壱さんが炭吉さんに手を振りながら見せた笑顔とか。「ちゃんとやってよ」と言っているよう(ちゃんとやってね、じゃなくて)。

また、禰豆子が人に戻った時に思い出した炭治郎の笑顔、善逸の笑顔。

そういう、ここ一番、って時、大体コマが大きいんですよね。それほど、微細な表現をしたい、ってことなんだと思います。

 

鬼殺隊は鬼?

あと、なんかちょっとですね、思ったことがありまして。

割と前々から思っていたことなんですけどね。

鬼殺隊は鬼なんではないか、と。もしくは、鬼の力を持った何かなんではないか、と思ってしまったわけでして。

というのも、まさかの炭治郎復活の場面ですね。復活した炭治郎の姿を見て、鬼舞辻が、醜い、と言い、どちらが鬼かわからんな、と言い放ちます。

なんか、このセリフ、伏線感ないですか?

ひょっとしたら、炭治郎もまた鬼なのかもしれない、という予感にも似た感じが出てきてしまいまして。

でまた、鬼舞辻にも痣があることに気づきました。違うのかな? これ、痣じゃないんですかね? 鬼に痣ができるんだったら、痣の出る鬼殺隊もまた鬼なのではないか、と。

あと、縁壱が三百年くらい前につけた傷が未だに鬼舞辻の体を焼き続けていたという衝撃の事実も発覚します。

鬼舞辻曰く、化け物はあの男だ。私ではない、とまで思います。

鬼が自分は化け物ではない、と言うくらいの化け物性。それを持っているのが痣のある男、縁壱。

やはり、鬼を倒すには、鬼の力を持つ者でないとだめなんじゃないでしょうか。怪人を倒すには同じ力を持つ仮面ライダーが必要だったり、使途を倒すためには同じ力を持つエヴァンゲリオンが必要だったり。


 

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