azzurriのショッピングレビュー

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僕が買ったもの、観に行った映画・ライヴなど、要は金を払ったものに対して言いたい放題感想を言わせてもらおうというブログです。オチとかはないです。※ネタバレありまくりなので、注意!

「GODZILLA 星を喰う者」ネタバレ有り感想。新しい「ゴジラ」を提出し、見事に締めた!

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アニメ版ゴジラの最終章「GODZILLA 星を喰う者」はですねー、個人的には楽しみだったのですが、前評価が非常に低かったので若干の心配はありました。

でも、非常に良かった! 最終章として見事に締めたと思います。

と同時に多くの人の評価が低いのに頷けもしました。単純な話、ゴジラの出番がほとんどないし、暴れまわらない(^^;; ゴジラの活躍としては、最後の最後に地球を守った、というところに留まった印象です。

ただ、この「地球を守った」という点が実はゴジラの真骨頂でもあり、非常に昭和ゴジラを踏襲しているなぁ、とも思うし、ゴジラがいなければギドラに地球そのものを壊される、ということで、ギドラとの戦いの際にゴジラに感情移入できる、人類に対する脅威であるはずのゴジラを圧倒的に応援できる、という点でも良かったと思います。

新しい概念

今回のアニメ化に当たっては、新しい概念を導入する、ということがひとつのテーマだったのではないか、と思います。

それは今作の冒頭、僕の好きな声優・杉田智和演じる科学者が語った「人類の核実験が怪獣を生み出してしまったというのが通説だが、怪獣が生まれるために地球が人類に核実験をさせたのではないか」という皮肉な逆説などは、今まで考えもつかなかった概念でしょう。

そしてこの考えは今作の物語のまさに中核を成し、ゴジラとギドラの対決の際に明かされます。メトフィエスがハルオに、文明の行き着く先は怪獣であり、その都度エクシフはギドラへの供物として怪獣を生み出した星を供給し続けてきた、と語ります。惑星が最終的(かどうかはわからないが)に産みだそうとしているのは怪獣なのだ、というのです。

明言はされていないけど、上記のメトフィエスの発言から考慮すると、エクシフがゴジラを生み出すために人類を誘導してきた、とも受け取れます。というのも、エクシフは人類が誕生して以来、人類を観察し続けてきたというのですから。

逆にそうだとすると、「惑星が怪獣を産みだしてきた」のではなく、「エクシフが怪獣を産みださせてきた」ということになります。

全てはエクシフの掌の上だったのですね。

新しいアンチテーゼ

そうなってくると、ややもすると「核を産みだしたのは俺たち人間じゃない。地球の意志なんだ」ということになってしまい、歴代のゴジラ映画がその出自から宿命的に内包されていた核へのアンチテーゼが崩れてしまいそうですが、そうとも言い切れないとも思います。

今作ではもっと広く第二次世界大戦へのアンチテーゼとも受け取れるのではないか、と思ってしまいました。

それは前作の、怪獣退治という目的を達するためには死をも厭わない姿勢がなくてはダメだ、という点。これは軍部の玉砕的な戦い方を想起させます。また、エクシフがギドラを召還する際、信者に神(ここで言うギドラ)と同一化をしなければならない、と言ってましたが、これも身命を神に捧げる、つまりは自らを供物とすること、つまり自分を犠牲にして大義を果たせ、という点で非常に似ているように感じてしまいました。

これらに対し、主人公のハルオはいずれもノーを突き付けます。これはまさに先の大戦へのアンチテーゼ、と同時に、この作品もやはり(そもそもの理由はともあれ)ゴジラは核実験によって生まれたということになっているので、核に対するアンチテーゼも含まれていると思います。それ故、ひいては戦争そのものに対するアンチテーゼとも取れると思うのです。

これはまさに世界的に右傾化し、民族紛争がいつ起きてもおかしくない現代に対する警鐘のようにも受け取れます。また、テロに対するアンチテーゼでもあるようにも思います。

人類側の対決

またこの作品は人類対怪獣という対決構造だけではなく、人類側個々のイデオロギーの対立が縦横に張り巡らされている思想対決の側面が極めて大きいように思いました。

科学の力で全てを合理的に解決しようとする勢力(ビルサイドや地球人類の科学者・マーティンがこれに当たる)、宗教によって人心を掌握しようとする勢力(エクシフ)、自然への回帰を促す勢力(フツア)などが主人公ハルオを通して、また個々にぶつかり合って対立しています。

その中で特に印象に残ったのが、フツアの女の子の勝ち負けの判断です。フツア的には勝ちとは生きること、負けとは死ぬこと。だから「ハルオはずっと負けようとしていた」と言うんです。

それに対してハルオは物語の最後の最後に「勝ち続けるだけなら獣と同じ。負け戦を選べるのは人間」と言います(しかしこれには裏があるが)。

人間は知恵を付けた分、理屈に合わないことをしてしまうのかもしれない。一方、動物は至ってシンプルです。生きるか死ぬか。そして動物は常に勝とうとする。また、負けそうになれば逃げようとする、つまり生きようとする。そしてそれは、フツア的には勝ちを意味します。

大局的に、つまり長い地球史的に見れば、どちらが賢いかは意見の分かれるところかもしれません。

新しい怪獣の形態

また、新しい概念、という点では怪獣の造形に対してもこれまでのものとは全く違う、新しいものを提出しました。

基本的には昭和ゴジラを下敷きにして作られている今シリーズですが、お馴染みの怪獣も多く登場します。前回の2作目ではメカゴジラを都市として登場させました。

そして今回はキングギドラを(正確には「キングギドラ」ではなくギドラ)三つの他の次元からの穴から、首だけを出す蛇(竜?)のような生物、として現出させました。

引力光線も吐かず、全く新しいギドラの誕生です。これには賛否両論もあるだろうし、ぶっちゃけどちらかと言うとマンダのようですが(^^;;、ゴジラを遥かに凌駕する長い首がゴジラに噛みつき、巻きつく様は非常に強さの説得力がありました。

また、モスラを実際には出さなかったのも(物語の中ではゴジラに負けたらしいことが2作目でフツワから語られている)逆に良かったかもしれません。

見事な締めと新しさへの意欲

物語としては最終的には精神の闘いとなり、ハルオの闘いとゴジラの闘いがオーバーラップする作りとなっており、この時両者は同一化していたかのようでした。人間ドラマの主人公とゴジラが同一化するのは、あまりないことだと思います。そういった意味で、この作品の「ドラマ部もしっかり作ろう」という意志が表れた展開のようにも思います。

そして、物語のラストもハルオがエクシフの予言を断ち切るため、科学者が再起動させた飛行ロボット(最後の文明への切り札)に乗り、ゴジラに迎撃されます。そしてエンドロール後の後日譚では宇宙に逃げた地球人とフツワとの間に出来たであろう子どもたちの儀式のシーンで終わりますが、これはおそらく、行きすぎた文明へのアンチテーゼなのかもしれません。

今回のアニメシリーズは「新しいものを作る」という非常な意欲に溢れており、しかもアニメならではのスケールの大きさで描き、且つ最後も綺麗に締めている、非常に傑作であったと思います。また、各声優の演技も素晴らしかったですね。

しかしながら、一点疑問に思うのは、なぜメトフィエスがあそこまでハルオに固執したのか、その明確な理由はわからなかったことです。BL的なことだったのでしょうか?w まぁ、それはそれで、しかも異民族間の話というスパイスも効いてるし、有りのような気もする。戦メリのようというか…。

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