「鬼滅の刃」全巻感想というマラソン企画、遂に第7巻まで来ましたよー。
なぜ「遂に」かと言いますと、この第7巻、これが非常に重要な巻なんですよね。
というのも、ご存知の人の方が多いと思いますけども、この7巻から、あの!爆売れした映画のエピソードでもある無限列車編に突入するわけです。
…多分、無限列車編でいいと思います(^^;; 映画のエピソードで合ってるとも思うんだよな(←映画観てないからわかんない)。
あとはですねー、表紙について一言言いたい。
伊之助、ビジュアル系すぎだろ。
遂にあの男が本格参戦
第6巻で既に登場自体はしていたのですが、この巻から遂にあの男、そう、煉獄杏寿郎が本格的に物語に絡んできます。
いやそれにしても、最初に登場した時は様子がおかしかったですねーw
先ず、瞳孔が土方十四郎ばりにカッ開いてるし、目の焦点も合っていない感じ。大丈夫かあ?この人、と思わずにはいられません。
加えて、電車の中でいきなり弁当をカッ食らってるのですが、一口食べる度に「うまい!」「うまい!」を大声で連発。しかも、その弁当も二、三十箱はイッてる感じです。若かりし頃の馬場さんのようです。
それにしても、お高いであろう駅弁(割とどれも高くないですか? 観光地価格なんですかね)を何十個も買えるんですから、鬼殺隊の懐事情がわかるというものです。結構貰ってるんでしょうね。
そしてそんな煉獄さんを初めて見た善逸は「ただの食いしん坊」かと思ったそうです。非常に心配そうでした。
しかし、いざ声をかけてみると、案外普通に話は通じ、しかもなかなかの面倒見の良い兄貴肌でありました。
なんとなく、竹を割ったような人、という感じで、知ってることはしっかり教え、知らないことは知らない、とハッキリ言う。
そんなサッパリした感じの人柄である煉獄さんは、実は父親との関係で問題があることが、彼が「見させられた」夢で判明します。
父親はどういうわけか、ある日突然柱を辞めてしまい、無気力な人間になってしまったそうなんです。
それでも、煉獄さんはそんな父のため、そして弟のために、健気という言葉が似合わないほどに心の炎を絶やすことなく、燃やし続けてるんですね。
今後、その父親の謎も気になるし、煉獄さんの本当の心の内も気になります。
大正お耽美鬼バトル
それでですねー、それまでも徐々にバトル漫画色が強くなっていってたんですけど、この第7巻で更にバトル色が強くなった気がします。
しかも今回、夢の中での戦いで、更にそのバトルが汽車の中で行われるという。なんかこう、非常に大正で耽美な感じがします。江戸川乱歩要素があるというか。
乱歩は「うつし世はゆめ、夜の夢こそまこと」と言いました。そして乱歩自身も、蜃気楼やパノラマ館など、現実のものではない風景を、夢のように描写していました。
また、汽車、というのが良いですね。電車ではなく、汽車です。しかもこの時代の列車ですから、木造に天鵞絨(ビロード)の椅子がまたナイスです。
そういえば「押絵と旅する男」も列車の中で聞いた老人の話でしたね。
そんな感じで、今回のバトルは大正お耽美鬼バトルとでも言うべき様相を呈しているように思います。
いやあ、非常にツボですねぇ。
夢格差がひどい
そんな感じで、炭治郎、善逸、伊之助、そして煉獄さんまでが下弦の壱の鬼に眠らされ、夢の中から出られなくなってしまうんですけど、この夢がですね、それぞれのキャラクターの中で「格差」があるというか、そこもまたちょっと個人的にツボですね。
先ず、ざっくり言うと、炭治郎と煉獄さんはシリアスな感じの夢なんです。で、善逸と伊之助は間抜けな感じの夢なんですねw
ちなみに、見させられている夢の外側には無意識の領域があるそうなんですが、この領域がそれぞれの個性を反映していて面白かったですね。
例えば、炭治郎の無意識領域はとても綺麗な青空が広がっているんですけど、善逸の無意識は墨のようにまとわりつくような闇だそうですw
で、炭治郎の見させられている夢なのですが、もし家族が鬼に襲われていなかったら、というifの世界の夢なんですね。これが非常に残酷で。
夢の中での炭治郎を含む家族はすごく幸せそうなんです。それこそ、あのまま鬼が来なかったら、の続きの世界で。
炭治郎は、本当ならこんな風に家族と幸せに暮らしていて、禰豆子は明るい太陽の下で山菜取りに行けたし、炭治郎自身も剣なんか振るわずに済んでいたって思うんですね。
でも、炭治郎の思う「本当なら」は本当じゃないんです。「本当は」違うんです。
その本当じゃないという「事実」に、読んでいて、ちょっと愕然とさせられるところがあって。
その「本当」は「本当はこうだったらいいな」の本当なんですよね。「本当は」違う。「本当は」って思うと、本当の事実に直面させられた時、それこそ本当に救いがない。
炭治郎はそのことに直面させられるんですよね。それでも、刃を振るって戦いに行くんです。いや、だからこそ、炭治郎は刃を振るいに行くんですね。ここが炭治郎のすごいところで。
そして、そういうことは、多分読んでる人みんなに多かれ少なかれあって、みんなそういう風に思ってしまう。「本当だったら」って、架空の事実を思うんです。
そういう、人間の弱いところを突いてくる攻撃をするんですね、今回の鬼。
ひょっとしたらこの鬼、この漫画全体を通してみても、最も残酷な鬼かもしれない。
でも、この鬼と炭治郎では唯一共通点があって、それは人の原動力は心だって言ってるんです、二人とも。
でも、鬼の方は、人の心は弱い、と言います。一方、炭治郎は、心はどこまでも強くなれる、と言うんです。
出発点は同じで、多分、人の心は弱い、という認識も一緒だと思うんです。
でも、鬼はそこのつけ込む、弱いままだと思っている。一方、炭治郎は強くなれる、と思っている。しかも、どこまでも。
とはいえ、強くするのはすごく難しいと思うし、誰でも強くなれるとも思いません。
でも、炭治郎にそう言ってもらえると、なんか、いいですよね。強くなれるかもなぁ、って。なれるといいなぁ、って。
コイントスは恋んトス?!
そういえば、この巻には前回から引き続き栗花落カナヲという子が出てくるのですが、とにかく自分じゃ決断しない。炭治郎と喋るかどうかも自分じゃ決められない。コイントスして裏が出たから喋る、といったような状態。
最初、コイントスで決めるなんて、なんか失礼な人だなあ、とか思ってたんですが、なんと本編にはない、単行本に納められた番外編にその秘密がありまして。
コイントスで決めるというのは、胡蝶しのぶのお姉さんの提案だったそうで。
決められないカナヲに対し、お姉さんが、一人の時はコイントスで決めたら、と提案したんです。
それはいわば、お姉さんの優しさだったんですね。
そして、その優しさの上に、炭治郎の優しさが上書きされるわけで。いわば、優しさの二乗倍。
お姉さんが、一人の時には、とコインを渡し、炭治郎がカナヲは心のままに生きるように、とお姉さんから渡されたコインで決めて、カナヲをコインから解放してあげる。
そして、お姉さんは、好きな男の子ができたらカナヲだって変わる、と予言していました。
その好きな男の子ってのは、多分、いや間違いなく、炭治郎なのでしょう。
それにしても、炭治郎は6巻からモテモテですなぁ。でも、わかる気がする。一番モテそうな男の子。
やはり作者の吾峠呼世晴は女性ということもあってか、本当にモテる男を描くのが上手いような気がします。