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僕が買ったもの、観に行った映画・ライヴなど、要は金を払ったものに対して言いたい放題感想を言わせてもらおうというブログです。オチとかはないです。※ネタバレありまくりなので、注意!

「回転木馬のデッド・ヒート」ネタバレ有り読書感想。エッセイと短編が混ざったようでちょっと違う感じ?!


村上春樹のエッセイが好きです。

また、村上春樹の短編も好きです。

元々短編小説自体が好きなんですけど、村上春樹のものは特に小気味が良いというか、切れ味があるというか、読んていてサイズ感が丁度いいんですね。

それは長さ的なものもそうなんですけど、作品自体のスケール感といいますか、あまり大上段に構えていない感じが、読んでてしっくりくるというか。

その、僕の好きな村上春樹のエッセイと短編が混ざったような作品が、「回転木馬のデッド・ヒート」だと思うのです。

今回は各話ごとの感想を書いてみたいと思います。

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前書き

村上春樹の言うことには、あまり前書きとか後書きとかは書きたくないそうです。じゃあ、書かなきゃいいじゃん、と思うのですが、この短編集は割と変わっているので説明の必要がある、と思ったからだそうです。

この短編集は正確に言うと短編小説ではなく、事実に基づいた話で、小説になる前のスケッチ、ということらしいんです。

僕が冒頭で言った「エッセイと短編が混ざったような作品」というのはこのことだったんです。いやあ、楽しみですねぇ。

まぁ、それともまたちょっと違うようなんですが、村上春樹特有の持って回った言い回しでよくはわかりませんw でもまぁ、なんとなくそんな感じらしいです。

レーダーホーゼン

ある日突然理由も不明なまま離婚してしまったおばさんの話。

なんですが、なぜ別れたのか、その理由というのが、完全に明かされるわけではありません。なんせおばさん本人もよくわかっていないのですから。

ただ、別れたその感じといいますか、いかにも女性、という感じで妙に腑に落ちました。今回読み返してみたんですけど、以前読んだ時は全く理解、というか納得できなかったように思うんですよね(最初に読んだのは随分前なので、その時の感想はもうすっかり忘れてしまいました)。

でも、今ならなんとなくわかる気がします。女性の不可解性、その癖のようなものが、以前よりはわかってきたような気がするからです。

女性って、やっぱり論理ではなく感覚で生きてると思うから、「こうだ!」と決めたら、もうそれに向かって猪のように突っ走って行っちゃうところってありますよね。

それが若い頃はまるで理解できていませんでした。ただ単純に「女ってバカだな」って思ってました。

バカの定義が「論理的ではない」ということだとすると、昔の僕のその考え方は間違っていたとは思いません。でも、「論理的でない」ということは、裏を返せば直感で生きていることでもあって、直感で生きれるということは、直感が鋭くもあるのではないかと。

つまり、ひょっとして、直感が鋭いから論理を使う必要なんてないのではないかと。

言ってみれば、多くの男って筋道立ててちゃんと考えて、色々と面倒な手続きを踏んで答えを出す。それに対して、ある種の女性は過程をすっ飛ばしてショートカットで答えにたどり着ける。

だけど、その直感は必ずしも当たってるとは限らないから、とんでもない間違いを犯すことも女性によくあることではないかと。

男は大失敗はしないイメージ。でも、その論理の立て方も完璧というわけではないだろうから、大当たりもしない印象があります。

男は巧打者、女は強打者、という感じがしますが如何でしょう?

「タクシーに乗った男」

今回主役となる女性は、ニューヨークを離れる時、夫と別れ、子供も諦めることになるのですが、その理由として、何もかもを捨てたくなった、ということらしい。

一話目の突然離婚したおばさんと何か似てますね。

女性は突如全てを捨てたくなる、というのはやはりあるように思います。これもまた直観力のなせるわざで、その直感が結構当たってたりする印象。

そして、これだけ思い切って捨ててしまうのは女性ならではだと思います。男はそうはできない。男は過去に生きて、女は未来に生きますからね。だから、男って歴史が好きでしょ?

歴女とかいう人たちもいますが、全体的には「歴史が好き!」というよりも「武将萌え?」というイメージ。キャラ萌えとそうは変わらないし、歴史への入りがとうらぶだったり戦国BASARAだったりしますからね。

あと、よく言われる「男は名前を付けて保存、女は上書き保存」というのも、そういう過去に生きるか、未来に生きるか、の違いがあるように思います。

女は未来に生きるから躊躇なく捨てる。男は過去に生きるから捨てられない。

そう言えば、矢野顕子はバンバン捨てるそうですが、坂本龍一はなんでも取っておいてしまうらしいです。

あと、20代の頃、とある理由で「女性は裏切りたくて仕方のない生き物だ」と気付き、その認識は現在でも変わっていないのですが、それとも関係あるような気がします。

「プールサイド」

エリートの「ボクちん、すごすぎて、悩んじゃってるんでちゅー」という自慢話。

そのエリートが作中で、「この話の面白味は何かな?」と村上春樹(だと思う。語り手)に言うんですけど、俺が教えてやる。

ねぇよ、お前の話にそんなもん。

おそらく、エリートにしてスノッブである村上春樹同族意識が文章にさせたものなのでしょう。

そんだけの話。

「今は亡き王女のための」

とにかく生まれながらにして全てを与えられた女性の話。

そんなんだから、女帝気質満載。相手を責める時は苛烈で、完膚なきまでに叩きのめして、二度と立ち上がれなくする感じ。

ただ、確かにお金持ちの家に生まれて、甘やかされたのかもしれないけど、この女性、それだけではなくて非常に優秀なので、付け入る隙を与えない、というのもあると思います。だから、全てを与えられた女性、なんです。

しかし、だからといって人を傷つけ倒していいというものではないですけどね。思うに、そこまで優秀な人って、二つに分かれるような気がします。

この女性のように他人を傷つけて平気でいる人と、人間関係もそつなくこなしてしまう人。まぁ、その違いの理由は色々あるのでしょうけど、機微な内容にも触れそうなので割愛させていただきます。

またこの話で「スポイル」という単語が何度も出てくるのですが、ダメにする、甘やかす、という意味らしいですね。

この女性はスポイルされすぎたがために、いざ自分が傷付いたら、なかなか立ち直れなかったらしいんです。この話の中でも、まだ立ち直り切れていないらしい。

そういえば、ドSの人って攻撃は得意だけど、ディフェンスがスコスコだから、いざ攻められると弱いという話を聞いたことがあります。

そうなのかもしれないけど、でも、それって勝手な言い分のような気がするなぁ。守るのが苦手なら攻めるなよ、という感じ。自分がやられて嫌なことを相手には平気でする、しかも「俺、ドSなんで」っていうのは通用しないと思います。

結局、想像力がないんですよ。相手の立場になって考える、という想像力の欠如。

ん? ちょっと話がズレましたかね?

なんつーか、やっぱ甘やかすのはダメですね(ざっくり)。でも、厳しすぎるのもなぁ(ざっくり)。

「嘔吐1979」

ホラーテイストの作品。村上春樹はたまにこういう作品も書きますね。

最後、村上春樹がこの話の主役を追い込むような発言をするのですが、この主人公が逆に村上春樹、そして読者までもを追い込むように切り返すんです。

ここら辺が怖くて、そして作品として上手さも感じました。

「雨やどり」

村上春樹が小洒落たバーで夕方雨宿りしてる時に、以前インタビューされた元編集者の女性と偶然会った話。

金で女を買うかどうか、という話になり(女性相手にすげえ話するなあ)、その編集者の女性は行きずりで金で寝てしまった話をするんです。

で、どういうわけか、そうすることを繰り返すうちに、それまで鬱屈していた精神が晴れたらしいんですね。

もちろん、その時寝た男たちとは二度と会わなかったらしいのですが。この場合、消費されたのは男の方かもしれないですね。いや、双方がお互いに消費し合ったのかもしれない。

ま、正直なところ、なんだかなぁ、という感じ。

最後に村上春樹が、自分と寝るとしたら幾らくらい?とセクハラ発言をしたところ、2万、とその女性にとっての最安値を更新していました。

「野球場」

自分は不思議な体験が多い、と言う男の話。

今で言うストーカーっぽい感じの話。ずーっと好きな子の生活を、その子の部屋が見えるアパート借りて望遠レンズで観察するという、純度100%のキモい話。

しかしこの男、覗きをすればするほど精神が病んでいきます。岡田斗司夫の「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」説、人の形をしたものを破壊すると、その人の魂が汚れる、というのを思い出しました。

また、孤独になって精神が病む、という点では「雨やどり」の元編集者の女性とも似てると思いました。

やはり人間、社会的動物ですからね。社会を作らなければ、ひょっとしたら哺乳類最弱かもしれませんから。

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「ハンティングナイフ」

今までの話は全て村上春樹が誰かから聞いている、という体裁で話が進んでいったのですが、ラストのこの話だけ、話の主は村上春樹(であろうと思われる)の一人称でした。主人公の境遇なども照らし合わせると、この話だけは本人の体験談なのかもしれません。

太った金髪の女との会話などが挿入されるものの、基本的には不思議な母子の話。子供といっても三十路前の男です。しかし、非常に美しく描かれています。

作品全体も、ちょっと幻想的な雰囲気があります。村上春樹らしいバブルなリゾート地を舞台としているので、「現実的な」幻想的というか。

最後の夜のシーンは特に秀逸で、月とナイフと車椅子、そして海の情景は非常に美しい。

それにより、何を描きたいのかはわからないのですが、この車椅子の男が、本人の話の印象からも、どこかしら「飼われている」印象があるんです。

その飼われている男が常にハンティングナイフを(しかもこのナイフが非常に良いナイフらしく、それでいて美しい)持っている、というのが、何か示唆的ではあります。それが何なのか、全くわからないんですけど。

母親の方も神経的な病気があるようで、思うに、その綺麗な佇まいと脆弱な感じは、どこか希少種を思わせます。

その弱く美しいものが武器を持っているというのは、何か人に感じ入らせるものがあるような気がします。

そういや、毒を持ってる蜘蛛って小さいのが多いんですよね。腕力が弱いから毒を持つ。タランチュラも毒持ってますが、毒性はそれほど強くないらしいです。やっぱ蜘蛛としてはデカいですからね。毒に頼らなくてもケンカ勝てるということでしょう。

ん? ちょっと話がズレましたかね?

 

 

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