気になる映画だった『存在のない子供たち』を観に行きました。いや、すごい映画でした。
ラストの主人公の少年が裁判官から、なぜ実の親を訴えたのか、という問いに対し、その理由の宣言のような台詞がすごかった。不幸にさせるのなら子供を産むな、という言葉は刺さりました。それまでの少年は、生きることへの執着が非常に強く見えたし、推定12歳という設定でありながら既にヤンキー顔だし、小さく弱い存在ながらすごく強くたくましく見えました。そんな彼が、「自分を産んだ」という「罪」で生みの親を訴える。
このセリフは冒頭、いきなり語られるのですが、物語を通じて最後に再び冒頭のシーンに戻ります。その経緯を知ってからこのセリフを聞くと、非常に深く刺さりました。あの少年がそんなことを思って生きていたのか、と。12歳にして人生や生きることを諦めてしまったのです。
そして、そう思っているであろうことの説得力がその過程において、これでもかと描かれているんです。丁寧な描写や出来事の積み重ねで、少年が生きる世界の逃げ場のない閉塞感が息が詰まるくらい、描かれていました。親は子供を労働力(父親が働いている描写はなし。いつも家で寝ていた)か、「資源」としか考えていない。我が子がある意味「殺された」のに、また一人お腹に子供がいるという。確かに、これだけ生きるのが難しい世の中で、子供をまだ作ろう(十人近く子供がいる)というのは常軌を逸脱しているように思います。
じゃあ親の方はのほほんと生きているかというと、そんなことはない。両親もIDを持っていないため、まともな職には就けない。娘を病院に連れて行ったら追い返された、という台詞もありました。親世代も子世代もとんでもない行き詰まりの状況にある。
しかし、この映画の閉塞感を感じた時、思い出したのは日本です。日本で少子化が進んでいるのも、非常に頷けます。こんな閉塞感のある社会では子供なんか作りたくはない、と思うのは当たり前のように思います。日本は主人公の少年の訴えを実行し続けている、とも言える。まぁ、それもまたどうかとは思うのですが。
映画自体は、一応のハッピーエンドを迎え、観劇後の後味は悪くはないのですが、最後の少年の笑顔があまり笑っているようには見えなかったのが印象的でした。そういえばこの少年は劇中、ほとんど笑わない。最後、証明写真を撮るときの「笑って」という言葉にも、どうやって笑っていいかわからない感じでした。
また、映画全体としては、こういう閉塞感のある内容ながら、非常に美しい、スタイリッシュな映像美に溢れていて、ここら辺は女性監督ならではなのかもしれないですね。特に、冒頭のドローンを使ったであろう、町を真上から見下ろす映像がめちゃカッコ良かったです。