以前、あれはいつだったか、高校生の時だったか、ちょっと忘れてしまいましたけどね、「ライ麦畑でつかまえて」を読んでみたんですよ。その時思春期だったし。思春期の人が読むにはお勧めだろうって色んなところで言われてたので。
で、まぁ、読んでみたんですけどね、これが風呂上がり…あぁ失礼…サッパリわからなくてですねー。
で、それから何年か経って、何年くらいですかねぇ、十数年じゃ足りないかもですね、数十年かもしれないですね、それくらい経って、どういう経緯かは忘れましたが、同じJ・D・サリンジャーの「ナイン・ストーリーズ」の文庫本を本屋さんで手に取りまして。
そしたら、これが面白い!
一遍30ページくらいの、短編としても短めの作品集なんですけどね、これは非常に面白く読めました。
サリンジャー、と言ったら大抵の人は「ライ麦畑でつかまえて」だとはもちろん思います。でも、個人的にはこの「ナイン・ストーリーズ」を断然お勧めしたいです。それくらい好きですねぇ。
- 「バナナフィッシュにうってつけの日」
- 「コネティカットのひょこひょこおじさん」
- 「対エスキモー戦争前夜」
- 「笑い男」
- 「小舟のほとりで」
- 「エズミに捧ぐ」
- 「愛らしき口もと目は緑」
- 「ド・ドーミエ=スミスの青の時代」
- 「テディ」
「バナナフィッシュにうってつけの日」
漫画「バナナフィッシュ」のタイトルの元ネタともなった話としても、その界隈では有名かと思われます。
アメリカのビーチの情緒が全体を覆っているのですが、その裏で常に不穏な空気が漂っています。おそらくは第二次世界大戦の帰還兵であろう主人公の、戦争によって傷つけられた精神が通奏低音のように鳴り響いているような印象です。
これはイーストウッドが「アメリカン・スナイパー」でも描いた問題と同じで、漫画「バナナフィッシュ」の主題にも影響を与えていると思うんです。
「戦争によって破壊された精神」「若き元軍人の死」というのは非常に「バナナフィッシュ」の物語の始まりと共通しているように思いました。
「バナナフィッシュ」はタイトルだけでなく、その物語もこの作品を下敷きにしているのではないか、と思います。
主人公の恋人とその母親との電話での会話から、そういった不穏な雰囲気が醸し出されます。
それで、この二人の会話が、何というか実に上手いんですね。服の話とか、日焼けの話とか、いかにも女性の会話って感じで、それもまた非常に上手いんですけど、そんな最中にポツッポツッと主人公の精神が破綻しているのではないか、というような情報が、主に母親から、出てくるんです。
この、情報が自然に会話からこぼれてくる感じ。あたかも盗み聞きしているような感じが、実に上手い。じわりじわりと不穏な状況が迫ってくる感じというか。
そんな中、後半に主人公が登場します。
ビーチで、小学生の女の子相手に良きお兄さん的に接する主人公からは、戦争の傷を見出すのは難しいですが、バナナフィッシュの話題を持ち出すと、不穏さが顔を出してきます。
それでこの主人公、やたらと女の子の足首を掴むんですね。なんか変だな、って思うくらい。で、その女の子と別れてホテルに帰るんですけど、エレベーターに乗る時に、同乗した女性から自分の足首をジロジロ見られたらしいんです(それもまた定かではない)。
おそらく、主人公には足首に何かしらの傷があるのでしょう。しかし、そのことと、主人公の精神が傷つけられたことと関係があるのか、確かなことは書いていません。
物語は主人公の自殺というショッキングな形で幕を閉じますが、なぜ、この物語の主人公が自殺に至ったのか、明確にはわかりません。
しかし、女の子が、バナナフィッシュを見つけた、と言ったことに何か深い関係があるように思えます。女の子が本当にバナナフィッシュを見つけたのかどうかはわかりません。子供らしい見栄のようなものかもしれません。しかし、主人公にとってはそれは重要なことだったのでしょう。
だとしたら、この主人公の自殺の直接の引き金になったのは、女の子ということになります。そこらへん、何か子供に宿している無垢な悪魔性というものを、なんとはなしに感じてしまいます。
「コネティカットのひょこひょこおじさん」
正直、よくわからない話だったんですけども、大学の同級生だった、今はおばさんになった二人の女性の会話は、実に生き生きとしていました。
これは「バナナフィッシュに?」の前半部の娘と母親の電話での会話もそうだったんですけど、サリンジャーって、女子二人の会話がめちゃめちゃ上手いんじゃないでしょうか。
そしてこの話も、わからないながらも、やはり戦争というのが通奏低音的に、顔を出したり引っ込めたりしているように思います。
結婚している方のおばさんの元恋人が戦死した兵士、という設定らしいのですが、ハッキリとは語られません。やはりポツリポツリと小出しに語られます。そしてそれが、結婚して子供もいる現在の彼女にも大きな傷となって残っています。
また、この話にも「バナナフィッシュに?」同様、女の子が出てきます。結婚している方のおばさんの娘さんなんですけど、その子には見えない恋人がいるらしいんです。
この娘も「バナナフィッシュに?」同様、何かこう、悪魔めいたというか、主人公に不穏な陰を落とすような気がしてならないです。
ラストの方で、母親が寝ている娘の部屋を訪ね、最終的にはそこで泣き出してしまいます。
なんとなく作りが「バナナフィッシュ?」と似ているように思われるし、やはり戦争の影が色濃い。おそらくは、サリンジャー自身の戦争体験が色濃く反映されているのかもしれません。
「対エスキモー戦争前夜」
テニスをやっている女の子二人が、タクシー代を払う払わないで、一方の女の子のマンションに行く話。またしても女性二人です。
主役はマンションに押しかけた方の女の子で、奥に引っ込んだもう一方の女の子を待っている間に、その子の兄貴や兄貴の友達と話をしている、といった内容。
しかし、何を言いたいのかよくわからなかったです。結局、なぜ主役の子がタクシー代は「やっぱり払わなくていい」と言ったのかもわからない。
ただ、この話でも、主役の女の子を中心とした会話が実に生き生きしていました。思うに、サリンジャーは「その当時現代の」若者の等身大の姿を活写したかったのかもしれません。
「笑い男」
タイトルからして、攻殻機動隊の笑い男の元ネタになったものと思われますが、どうでしょうか。
この作品は短編ながら多角的に楽しめる一遍となっていると思います。
コマンチ団とその団長、そして団長の彼女との交流を中心に、団長の話す「笑い男」の物語をもう一つの軸として話が展開します。
そして、団長と彼女の別れ、そしてそれを見ていたコマンチ団、初めて触れる大人の恋の世界と、思うにそうとは意識されなかったであろう、団長の彼女への、つまりは大人の女性への、おそらくは初めての、主人公の恋心が描かれています。
笑い男が、この現実のストーリーにおいて、何の比喩であったのかはわかりません。しかし、笑い男の悲劇的な最期は、子供に現実を突きつけるというか、必ずしもハッピーエンドで終わらない、ということを教えているようでもあります。
ウルトラマン最終回や、デビルマン最終回で日本の子供たちに衝撃を与えたように、団長が語った笑い男の最後のエピソードはコマンチ団に衝撃を与えたことでしょう。
また、コマンチ団が非常にですね、可愛らしいんですね。子供が非常によく描けている。彼らと団長、そして団長の彼女との交流もまた良い。元子供のおっさんとしては、郷愁感も掻き立てられました。
個人的には非常に好きな話でした。
「小舟のほとりで」
これまた子供が実によく描けていると思います。
「笑い男」とは変わって、今回は一人の男の子、年齢はグッと下がって4歳の子供でした。そしてまた、母親もよく描けていましたねぇ。
仕草の感じを実に丁寧に描くことによって、子供の心情をよく表していたと思います。
また、お母さんの感じも良かったですねぇ。何か問題を抱えた子供に寄り添おうとする感じ、その絶妙な距離感は親のお手本とも言えると思います。
なぜ、子供が家出をしたのか、その理由は、メイドが父親の悪口を言っているのを聞いてしまったからでした。それを思うと、冒頭の黒人のメイドたちの会話が違った風景に見えてきます。
最初は、子供の方が困った奴なのかと思っていたのですが、その実、メイドたちの方にも問題があったのです。
思い返してみれば、メイドは始終愚痴を言っています。そこに既にこのメイドの性格が描かれていたのかもしれません。
何が起こるわけでもないけど、その後ろにあるものを浮き立たせる(おそらくはユダヤ人差別問題のように思える)感じです。一つの事象を描きつつ、じわりと本当のテーマがあるような気がします。
「エズミに捧ぐ」
おそらくは、サリンジャーの自伝的短編かもしれません。
第二次世界大戦の頃、イギリスで諜報部として働いていた主人公と、たまたま会った幼い姉弟との交流。
ここでも、やはり子供がよく描けています。特に幼い弟の子供じみた仕草が実にリアルに、生き生きと描かれていました。
お姉さんの方は、年頃(中一くらい)の女の子らしく、少しおしゃま、でも非常に知的で礼儀正しく、しっかりと大人びて、それでいて子供らしい、可愛らしい面も持ち合わせている。とても魅力的な女の子に描かれています。
この短編の魅力はそのままこの女の子の魅力と言っても過言ではないと思います。
そして、この子と主人公との交流が非常に清々しくて、微笑ましい。出会いが良いですよね。ふと入った教会で聖歌隊の一人として女の子がいたという。
歌声は群を抜いて綺麗で、佇まいにも惹かれた主人公。そしてまさかの喫茶店での再会。女の子が雨に濡れている、というのもまた劇的さを感じます。
そして、これから戦場に向かう主人公に、女の子は無傷での無事を祈るりますが、その願い虚しく、主人公は大怪我を負ってしまいます。
ここでの終戦後の戦場での部屋の様子は、以前観たサリンジャーの半生を綴った映画でも描かれていたような気がすます(うろ覚え)。
そして、ラストはこの子、エズミからの手紙を読む場面で終わり、最後は未来に向けた希望の言葉で終わる。
確かに後半の主人公の様子は痛々しいのですが、冒頭の未来(現代というか)の描写で、物語的にはハッピーエンドで終わることがわかるので(というより、冒頭が実はエズミの結婚式に招待されたことがわかるシーンなので、倒置法的に冒頭がハッピーエンドの場面なのだ)、読者はある意味安心して読める。
この作品も非常に心に残る作品です。
「愛らしき口もと目は緑」
今度は一転、大人の男女….というよりは男同士の会話劇。
しかも電話越し。
しかも、主役である電話のこちら側の白髪まじりの紳士は女とヤッてる最中を中断しての電話。
最後の方までは、電話の向こうの男の奥さんと不倫してる最中かと思いきや、最後の最後で奥さんが家に帰ってくる。つまり奥さんじゃなかった。
全く何が言いたいのかわからない作りだけど、とにかくおっさん同士の電話越しのやり取りが面白い!
電話の向こうの奴は相当酔っ払ってるらしく、主人公は正直迷惑そう。だけど、粘り強く話を聞いてやっている、という設定。
どうも立場的には主役の方が上役っぽいんだけど、あんまり主役の方が強く出れないっぽい雰囲気。そこがよくわからないながらも、なんか面白い。
とにかくサリンジャーは会話がめちゃめちゃ生き生きしていますね。これは訳者の力も大きいと思います。
なんかわからないけど楽しい一作。
「ド・ドーミエ=スミスの青の時代」
うーん、これは正直つまらなかったかな…(^^;;
コメディを書いたつもりなんだろうけど、ぶっちゃけ全然笑えない(^^;;
日本人とアメリカ人の笑いのセンスの違いもあれば、時代性もあるのでしょう。
あと、日本人が出てくるのですが、苗字をヨショトという。そんな苗字はない。
「テディ」
船の旅の描写がいかにも古き良きアメリカを感じさせ、その雰囲気が実に良い。
親を困らせる、アホな子供の話かと思いきや、実は世界が注目する天才少年の話であることがわかってきます。この展開は意外性もあるし、突然の転換が面白い。
ただ天才少年(そうでもあるらしいのだが)というよりは、もっとスピリチュアルな存在、発言で世間を賑わしているらしい、という設定でした。
ここらへんのスピリチュアルな問答は、確かサリンジャーの反省を描いた映画でもあったと思うけど、サリンジャー自身、確か仏教に入信したと思うのですが、その経験が生かされているのかもしれません。実際、日本の俳句が作品中に登場していますし。
そんな感じで、前半部(家族との交流の場面)と後半部(大学院生らしき若者の男との会話)で大きく趣が異なる作品です。
ラストはまぁ、非常に不穏な感じをほのめかして終わっていますが、なんとなく「バナナフィッシュに~」を彷彿させる感じですね。
「バナナフィッシュに~」では、ビーチの女の子が、主人公の自殺の引き金になったかのように思えるのですが、この「テディ」では、主人公・テディの妹が、ひょっとしたらテディの命を奪ったかもしれない描写で終わっています。
何かこう、ひょっとしたらサリンジャーの中では、幼い女の子が主人公を不幸へと導く、というプロットのようなものがあったのかもしれないなぁ、とちょっとこの一連の短編を読んで、そういう印象を受けてしまいました。