ヘルマン・ヘッセの「デミアン」という本を読んだんですけども、なかなか面白かったですね。
本を開いていきなり副題が「エーミール・シンクレールの青春の物語」とあって驚いてしまいました。なぜ驚いたかというと、「エーミールと探偵たち」という、僕が大好きな児童文学がありまして、その主人公と同じ人物だと思ったからです。
おー! あの男の子の成長物語かぁ、なんつって。
まぁ、全然違ったんですけどねw そもそも作者違うしw
エーミールって名前、ドイツでは多いのかな?
ちなみにこの話、多分欧米の小説にはよくあることかと思うんですけど、修辞が巧みすぎて、何が言いたいのか却ってよく解りづらくなっておりますw
それもあって、全体的にどういう話なのか、正直掴みづらくはありました。
男の子は不良に憧れる
この世界は二つあって、家族の正しい世界と、まぁ言ってみればそれ以外の不良の世界がある、と割と冒頭で言うんですね。
しかし、その不良の世界に憧れてしまうのはいつの世の男の子も同じようです。このエーミール・シンクレールという男の子も、そういった悪の世界の吸引力に抗いきれずにいます。
ただ、その不良の子に早速酷い目に遭わされるんですね(^^;;
ジャイアンみたいな子に弱みを握られ、なんと金をせびられるという展開。子供なのに!、とも言えるし、逆にまだ成熟していない子供らしい、とも言える。いずれにしろ、いきなり非常に悪質な展開であります。
ただ、その弱みの原因となった、無理に不良っぽく振る舞うため嘘をついてしまった、というのもまた、よくよく思い返してみれば子供らしいのではないでしょうか。
善と悪の包括
そして、そんなジャイアンとスネ夫を足して2で割ったようないじめっ子に悩まされていたエーミールの前に颯爽と現れるのが、この物語のタイトルにもなっているデミアンです。
このマックス・デミアンは、おそらくは歳上の転入生。その大人びた立ち振る舞いで他の生徒の注目の的だったらしく、かなり目立つ生徒らしいのです。ただ、その容姿の要素も大きいのではないか、と推測されます。平たくいえばイケメンです。
ゆすられ、それが理由で盗みを働いてしまったエーミールは、自分がもはや家族のいる善の世界の人間ではない、と精神的に追い込まれていたんですね(不良の世界に憧れたのに)。
それをデミアンは、学校で習ったカインとアベルの話を独自解釈をすることで、善や悪は解釈次第(だと思う)、という助言をして、エーミールを救ってみせます。
実はカインが優れた人物なので、周りが恐れたから現在のような話が残っているのではないか、ということです。
これはキリスト教社会では大問題となるような解釈だと思うんですよね。これを書いたヘルマン・ヘッセはなかなかの革命者だと思います。
他にもデミアンは聖書の解釈をかなり自由に、詩的に、革命的に行います。それは、画一的なものの見方への反逆であり、子供世界からの決別であるように思うんです。そういう考え方をシンクレールにも促すんです。導いていく、という感じ。
それから、物語の後半に差し掛かる頃に、オルガン奏者が出てきて、エーミールと色んな議論をしていくなかで、エーミールに成長を促します。彼もまたエーミールを導く人、といったポジションなんですけど、この人の顔立ちが、大人と子供の要素があるような顔立ちなんですね。
デミアンは、さっき言ったみたいに、悪的なものにも新しい解釈をし、善的なものも悪的なものも包括した価値観、そんな神の存在が必要だ、というようなことを言うんですけど、このオルガン奏者の二つの要素を持つ顔は、その象徴のように思われます。
父親への反発
こういった、悪の道へと足を踏み外してしまった、と思っているエーミールの心情は、子供なら誰しもあることなのかもしれません。
また、その際、自分の嘘に簡単に騙されてしまった父親を軽蔑し、それが多分初めて大人への階段を登った第一歩だった、というような描写があるのですが、これもまた誰しも思い当たるところではないでしょうか。
思春期の一歩前、大人になる準備期間のそのまた準備期間、初めて自我が芽生える男の子、という感じ。
またこれは、父親は越えていくべき存在、として描かれた、ということなのかもしれません。
エーミールの家の門には紋章があって、それは古びて詳細はよくわからなくなっているんですけど、その紋章をデミアンがいたく気にいる、というか注目するんですね。
で、その紋章をエーミールが想像を足して絵にして描き上げて、デミアンに贈るのですが、出来上がったのは卵の殻を破る鳥の絵なんです。
これはまんま、エーミールの成長というか、巣立ちを表してもいるんでしょうが、物語的には、古い世界を壊して旅立っていくことの象徴、となっています。
父親というのは、その古い世界の象徴なのかもしれません。
こんな描写もあります。エーミールがまだいじめっ子にゆすられていた頃、そのいじめっ子にそそのかされて父親を刺させられる、という夢をよく見ていたらしいんですね。
このエピソードは、物騒な話ではあるけど、父殺し、というオイディプス王が始まりであろう、物語の系譜だと思います。それは、前の世代を越えていかなくてはならない、という、これまた古い世界の破壊、ということの象徴なのかもしれません。
似顔絵
エーミールは高等中学に入ると、御多分に洩れず、わかりやすくグレます。
夜毎飲み明かして、両親や学校からもほとんど匙を投げられ、退学寸前というところにまで落ちぶれます。
この間、デミアンとはほぼ音信不通なんですけど、そんな折、一人の女性に一目惚れしてしまいます。
エーミールはグレてはいますが、異性に対してはかなりの奥手。プラトニックな恋愛のまま、声すらかけられません。ただ、この女性を見かけてからは、ピタリと酒や、それに伴う悪い友達とは縁を切り、元の読書好きな真面目なエーミールに戻るのです。
で、その女の子の顔を絵にしよう、と思い立ち、そして出来上がった絵を見つめると、その絵はその女の子よりは他の誰かに似ていることに気付きます。
それが誰か、なかなかわからないんですけど、ある日、それがデミアンであることに気が付くのです。
この感じがすごく良くてですね。好きな人を絵にする、という発想がまず素晴らしい。詩的でもあり、物語的でもあります。
そして、その女性が、尊敬する美少年に変わっていくところがまた素晴らしい。なんと言ってよいのかわからないんですけど、女性が男性になり、男性が女性になるというか、性の倒錯でもあり、性を自由に行き来する軽やかさでもあり。そして、性を超えた何かでもある。
そして、その描いた顔が、自分にも似ている、というんですね。ここがまた面白いところで、尊敬する、憧れる人の中に、自分の似姿を見ていたのかもしれないし、或いは、そうなりたい、といった思いかもしれないし、そもそも人が憧れるのは、根本的なところで自分と似ている人が、その対象になるのかもしれない。
恋い焦がれている人の顔が自分の尊敬する同性の顔になり、それがいつしか自分の顔に見えてくる、というのは、非常に面白い展開だと思います。
アイデンティティ的な問題にも絡んでくるし、エロティックですらあるし。それは自己愛なんですかね?
思うに、この話は、父親が象徴とする偽善的な古い世界から、新しい世界への旅立ちの話であり、その意味で本当の自分を探す旅の話であるかもしれません。
この似顔絵は、そのことを表しているのかもしれません。
男はみんなマザコン
そんな感じで、どうもデミアンにはなんとなく女性性を強く感じもします。(初恋の人と似てるくらいですから)
そしてそれは、母親の象徴かもしれない、と思うのです。
思えば、エーミールは常に父親を否定したり衝突したりしていますが、母親は一貫してエーミールの味方で、やさしく見守る存在なんです。
中学生になってグレたエーミールを正しい道へと導くのは、きっかけは一目惚れの少女であり、最終的にはデミアンでありました。女性と女性性のある憧れの人、それは母親の象徴なのかもしれません。
また、エーミールはよく同じ夢を見るのですが、その夢ってのが、先ず母親を抱く夢なんですね(^^;; まぁ多分それは親子の抱擁であるとは思うのですが、それから、その母親が半男半女の大きな人になって、その人に対して非常な欲望を抱くのですが、それがデミアンに似てるというんです。
これはやはりデミアンは母性をも象徴しているのではないか、という僕の解釈の裏付けのように感じられて興味深かったのですが、それは合ってたような間違っていたような、なんですねぇ。
エーミールが大学生になって、デミアンと再会するんですけど、その際、デミアンの実家に招待されます。そして、デミアンの母親(エヴァ夫人といいます)と会うことになるんですけど、その母親ってのが、そのエーミールの夢に出てきた半男半女の大きな人そのものだったんです。
で、その後エーミールはこのエヴァ夫人に、なんと恋心を抱いてしまう(多分)というペタジーニ的展開になるんです。
なぜエーミールはデミアンの母親であるエヴァ夫人、つまりは母性の象徴に恋心を抱いた(多分)のか?
父親は打倒すべき敵で、母親は主人公を守り、導く存在、ということなのではないでしょうか。
思えば、母親とは子供を産む、謂わば作り出す存在です。この物語が古い世界を壊し、新しい世界を創造する物語なのだとすれば、母親は作り出す者の象徴となり、当然のようにエーミールを後押しする存在になるのです。
それを思うと、新しい世界を作る人であるデミアンは、やはりエーミールにとっては母親であり、エヴァ夫人は、まさに母親の母親というか、究極の母親の象徴だったのかもしれません。
そういえば、デミアンの母親は登場しますが、父親は登場しません。新しく作り出す人であるデミアンには、旧世界の象徴である父親はそもそも存在してはいけないのかもしれません。
こう考えていくと、父親を倒し、新しい世界を作らなくてはいけない男の子は、男である限りは必然的に全員マザコンと言っていいでしょう。
突然の中二的展開
エヴァ夫人の話では、デミアンは最初に会った時からエーミールの額に印を認めていたって言うんです。
どうも、「選ばれた人」にのみ、その印が見えるらしい。そして、その印がある人たちのサロンみたいなものがあり、世界の今後について話し合うんですね。
ここにきて、いきなりの中二的展開を見せ始めるんです。
よくよく考えれば、エーミールという人は、自分は人と違っていると感じ、周りの人間を見下しつつ引け目がある。本を読むのが好きな内向的な人柄で、そして女性には全くの奥手だという。こうしてまとめてみると、中二病満載のオタクそのものですね。
そして、そんな自分が、デミアンとエヴァ夫人という、たまらなく憧れ、この上なく美しい母子に「選ばれ」るのです。しかも額に印のある選ばれし人…。
なんだかすごい超展開になってきました。一人の少年の成長物語かと思っていたら、世界を救う中二的物語にメタモルフォーゼしてきました。
いや、元々デミアンという割とマジカルな人物がいたわけですから、そもそもがそういう話だったのかもしれません。
壊れる世界
最後は唐突に(というわけでもないけど)戦争が始まり、デミアンも、そしてエーミールも戦場へと駆り出されてしまいます。
デミアンはここで、戦争に行くことは本意ではないが、世界が新しくなるには壊さなくてはいけない、と言いいます。ややもするとある意味では戦争賛美と取られてしまうようなことを言うんです。
しかしそれは、戦争と対峙するためにはそう思わなくてはやっていけないような、方便のようにも思えます。
と同時にまた、やはり世界の行き詰まりを感じていたデミアンの、ある意味でのそれは本音であるようにも思えるんです。
これはおそらく、ヘルマン・ヘッセの、起こってしまった戦争に対して、せめてもの意味づけを行った行為なのではないか、とも思えます。全てを否定するには、あまりにも痛々しく、やるせない。そんな気がします。
訳者の解説が素晴らしい
ただまぁ、最初に言った通り、なんせ修辞が巧みなもんですから(笑)、全体としてはよく意味の分からなかった話ではありました。
しかし、訳者の解説が良かったんですねぇ。さすが原文に触れた人!
訳者の高橋健二氏によると「印のある人」「目覚めた人」とは「自己を求め自分の真の運命を生きることが義務」であるということなのだそうです。
「印のある人」「目覚めた人」という中二病的展開には、そういう意味づけがあったのです。で、あるならば、中二病とは自己を求める行為なのではないでしょうか。
そう思うと、中二病的行動が急に色彩を変えてきます。
それまでは黒歴史、自嘲気味の笑いの対象ですらあったものが、自分を探す行為の一環であって、人生の通過儀礼ですらあるのではないか。だから思春期真っ只中の「中二」なのです。
また、高橋健二氏の解説によれば、ヘッセは第一次世界大戦前の欧州の行き詰った世界に批判的であり、大戦の衝撃がこの物語を書かせた、とあります。
おそらくこの物語は大戦前、そして大戦によって壊れた世界を新しく作るべく、当時の若者たちへ向けたメッセージであったのではないかと思います。であるならば、物語の途中で大きく中二的展開に舵を切る少年の成長譚、として綴られたのは必定であったのかもしれません。
少年に課せられた課題は、古い世代を越え、より優れた人間になることです。それは行き詰った世界を変えていく人の姿そのものであり、また、進化し、刻々と変化する環境へ適応するための人間の宿命でもあります。
また、デミアンがエーミールに対して言った言葉の中に、様々な団体は腐敗し、人々の生活がそれまでの規範と合わなくなってきている、と語っています。
これはなんだか「ジュラシック・パークでマルカムが言ったことに似ていて興味深い。マルカムよりも、ひょっとしたら70年近く前に、既に同じような状況だったのかもしれない。