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僕が買ったもの、観に行った映画・ライヴなど、要は金を払ったものに対して言いたい放題感想を言わせてもらおうというブログです。オチとかはないです。※ネタバレありまくりなので、注意!

「夜は短し歩けよ乙女」ネタバレ有り読書感想。幻想的だけど、極めてリアルな恋愛小説!


その当時、「夜は短し歩けよ乙女」が映画化されるということで、急っそいで読んだのがこの小説です。

元々、気になっていて、読みたいとは思っていたのですが、ずっと後回しにしてしまっていて、ようやく重い腰を上げたという形になってしまいました。

やはり、代表作ってもう定番化してて、その意味で、なんというか安心感のようなものもあって、「また今度でいっか」となってしまいがちです。

で、ようやく読んだのですが、もう、期待通りですね。やっぱり面白い!

ちなみに、この話は全四章で、春夏秋冬の季節ごとの物語となっています。映画ではそれを一夜の出来事として描かれていましたが、こちらはじっくりとその季節を描いています。

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男女双方の一人称

恋に悩む男の一人称だけでなく、その対象の女性の方からのモノローグもあるという点で、画期的だと思います。方や女性の方はどうなのか、そこに攻め込んで行ったのだから、やはり森見登美彦はすごい。

また、乙女パートがある程度続くと、時折我慢しきれなかったように先輩の独白が割り込んでくるのが面白い。

やはり、乙女の一人称より先輩の一人称の方が「ノリ」があるように思います。それはおそらく、作者が男だからだと思うんですよね。

これは僕の偏見かもしれないし、僕がこれまで読んだり観たりしたものにそういう傾向があるだけなのかもしれないですが、男は男を書くのが得意で、女の一人称や台詞を書くのが苦手なことが多いように思います。

それに対して、女は男を書くのが得意な気がします。たとえば、僕の大好きなアニメに「カウボーイ・ビバップ」というのがあるんですけど、シッブーい、カッコいい台詞が多数出てくるんですね。で、その台詞を書いたのは脚本家である信本敬子です。女性です。

もっとも、「理想の女」を描くのは男の方が上手いと思います(それでも、台詞や一人称は下手だと思います)。多分、女は女である故に、男が知りたくない、見たくないところを、当り前のように赤裸々に書いてしまうところがあるように思います。だから、やや女性の汚いところも描いてしまう。

ところが男は女に夢を見ちゃってるから「そんないい女いねーよ」という女が書ける。というより、そんな女しか書けない。

しかし劇作においては、後者の方が「魅力的」ではあると思います。少なくとも男から見て。前者も、ある意味では魅力的ではあるとは思いますが…。

逆に、女は男の汚いところを踏まえた上で(女性は現実主義者ですからね)、理想の男を描くので、「こんな男いねーよ」というのは、少女漫画や腐女子相手の商品以外ではあまり見かけないと思うのです。

第一章は、主に乙女の側からの目線の話でしたね。

冒頭、いきなり「おともだちパンチ」なる人の殴り方から始まるという物騒なスタート。乙女が姉から教えてもらったというのですが、確かその握りはボクサーの握りだったような…w

ちなみに、この黒髪の乙女は可愛らしいけど、かなり変わった子で、とにかく酒が大好きという、おっさんのような特性を持っています。

思うんですけど、可愛い女の子って妙な癖を持つ子が多い気がするんですけど、どうでしょう? 僕の友達でも可愛い子ほど一癖ある子が多いんですよね。それは一体何なんでしょうね?w

えー、それでですね、僕が第一章で特に気に入ったのが、とにかく、李白翁の電車の描写がすごいんです。

夢のような電車で、趣味が良いんだか悪いんだか、多分この李白翁は俗物なのでしょう(^^;;、とにかく豪華絢爛なのです。ケレン味を全て叩き込んだような電車。

先ず、営団電鉄を三階建にしたような基本構造で、屋上には竹林と古池があります。中に入ると銭湯があります(←え)。もう、旅館ですねw 移動式の三階建て旅館。それが深夜の先斗町をトラック野郎の如くビカビカと光りながら走るのですから、ロマンの塊というものです。

また、偽電気ブランの描写も良かったですねぇ。究極の酒は水のようだ、というのが逆説めいていて、どこか納得がいく感じ。ちなみに僕は電気ブランが大好きです。

物語としては、複雑な人間関係が一つにの糸で繋がっているかのようで、複雑さを単純さに絡め取ってるというか。入り乱れた人間関係が徐々に一つの糸に結ばれていく。ここらへんの、複雑に見える人間関係を単純化させる手法は森見登美彦は抜群に上手いですね。というより、単純な人間関係を、最初は複雑に見せる、と言うべきでしょうか。

また、荒唐無稽な大団円、という力技も妙なカタルシスがありました。深夜の先斗町という怪しげな通りでお祭りのように飲み歩く、という、ある夜に現れた、ある種大人理想郷、といったところでしょうか。

この話では古本の神様が出てきます。森見登美彦の作品にはひゅっと神様らしき人物が紛れ込むことがあります。日本古来の多神教を持ってくるあたり、何か、作品としてその土地に根付いている感が醸し出される気がします。

この章でも描写がホントに美しく、京都の古本市が、何か別世界のように怪しく美しく描かれています。

古本市の印象が、男の方では何回も訪れているからででしょうか、割と否定的なのんですけど、その中に愛があるんですね。

一方、乙女の方は初めてということで、ワクワクが止まらない感じ。この、男は否定、女は肯定という、同じものでも見方が真逆なのも、読んでて面白いです。こういうところ、男女の「癖」のようなものをよく観察しているあたり、森見登美彦はよく見てるなぁ、と思います。

で、この章の中に、本は一つに繋がっている、と少年が説明するくだりがあるのですが、そこがまたすごかった。森見登美彦の「本の虫」さ加減、博覧強記さ加減がわかるシーンでした。挙げていった本が結構バラバラに思える(中には繋がってるな、とわかったのもあったけど)のですが、それが見事に一つの線となって繋がるのです。ここは非常に知的なスリリングさがあって、読み応えありました。

李白氏の古本争奪戦もこの章のハイライトの一つですが、ここの描写は、映画では割とポップに描かれていたと思うんですけど、改めて本を読んでみたら、本当はもっと怪しい、地獄絵図を意図して描写したかったのではないか、と思いました。吹き出る汗の描写や火鍋も含めて、全体的に赤い描写が凄惨さを表しているように感じます。

この章は先輩と乙女のパートが半々といったところなのですが、やはり、森見登美彦は男のパートは上手いけど、女のパートはあんまり上手くないという印象ですね。

もちろん、森見登美彦ですから、下手ではないんですけど、どこか童貞の理想とする女の子、といった感じ。あまりに理想的で清らかすぎるというか。それこそ乙女の言う「美しく調和のある人生」を地で行くような、そんな実在しない女の子という感じなんです。

だから書くのだ、と言われればそれまでですが…。でも何か、こう、作り物めいているんですね。先輩の生々しさと違いすぎるんです。有り体に言えば、乙女パートはちょっと退屈だったりします。

でも、先輩の目論見通り、乙女と同じ本を取ろうとするシーンを乙女の側から描く、という演出は上手かったですね。

男側からの視点では、傲岸不遜な中二病のめんどくさく滑稽な大学生でしかない先輩が、逆の側、つまり乙女の側から見ると、どこかミステリアスで気の良い先輩、といった風で、「あ、こんな風に見えてるのか」と新鮮な感じに映り、先輩のもう一つの魅力が伝わります。どこか、朴訥としたところすらある。

とすると、内面のモノローグは実は全て照れ隠しの虚飾なのかもしれない。そう思うと、ますます主人公の男が魅力的に見えてきます。

大学祭の話です。いよいよ、乙女の方も様子がおかしくなってきましたw 三章目にして、作者もこのキャラを掴んだか、という印象。乙女パートも読んでて面白くなってきました。

それにしても、大学祭の雰囲気の描写が素晴らしい。大学祭の雰囲気を、細かく、楽しく、小馬鹿にしたように描写していきます。こういうところが、ややもするとラノベ的な要素が多分にある森見登美彦の作品を「文学」たらしめているのではないでしょうか。

また、韋駄天ゴタツ、ゲリラ演劇などの突拍子もなく、独創性に満ちた、フザけたアイデアは眼を見張るものがあります。なぜこんなことを考えつくのか。もちろん、例によって樋口氏が一枚噛んでいるところも秀逸。

乙女のパートを先輩が引き継ぎ、またその逆もある。二つのパートが、クロストークをするかの如く繋がっていくのもナイスアイデアだと思います。男女双方からの一人称がいよいよ冴えを見せてきた感じです。

先輩と文化祭実行委員長がそれぞれに探している人は見つからず、探していない人が見つけてしまう、というすれ違いも面白い。特に乙女の方で先輩のことを見かけているのが悲しくて笑えます。この時点では乙女の方では全然先輩に興味がないことがわかる感じですね。

この章でも、同じものを見ても、男の方は否定的に見下したように見て、乙女の方は肯定的に感動して見てる、という男女の違いが如実に表現しています。男という生物と女という生物をよくわかっている。

そして、最後は先輩がゲリラ演劇「偏屈王」に飛び入り参加し、先輩と乙女が主役を演じてハッピーエンド、という意外な王道で幕。学園全体を巻き込んでのクライマックスへの大捕物は、森見登美彦のもう一つの真骨頂とでも言うべきところだと思います。盛り上げ方も非常に上手い。まさにエンタメ。

しかし、森見登美彦らしくないと言えばそうなるかもしれません。スッキリとまとまりすぎてる感があるんですよね。学祭事務局局長(女装が超美人)がパンツ総番長の恋の相手の正体かと思ったのですが、普通に象の尻の紀子さんがその相手で、こちらも普通にハッピーエンド。それほどの捻りはなかったかもしれないけど、そこまで意地悪でもなかったということかもしれません。

風邪の話。タチの悪い風邪が流行ってしまい、学内、ひいては京都全域に広がっていく様子が、淡々とした筆致で、非常に怖く描かれていきます。

そんな中、 黒髪の乙女だけ無事なのですが、風邪の方が避けるという乙女は、やはり選ばれた人なのか、ただのバカなのか、なんとなく両方のような気がします。

最後はまさに夢か現かをそのままの展開にした感じ。やはり、根底にあるのは幻想小説だと思います。ここらへんはさすが日本ファンタジーノベル大賞出身、といった感じ。

先輩と黒髪の乙女が京都上空数百メートルで再会し、先輩が乙女を助ける、というドラマティックな展開だったのですが、二人が発したセリフはというと、これが素っ気ない。それが素晴らしい。このアンチクライマックスというか。素っ気ないが故に、何か伝わってくる。

やはり、恋愛を描く時、仰々しく描くよりは、こうしてさりげなく描いた方が、ずっといいような気がします。

しかし、乙女にご執心の先輩と比べて、乙女の方は作品を通して、先輩は全く眼中にないのが、女の本質を捉えているように思えます。

やはり女性は恋愛、というか基本男には興味ないんでしょうね(言っちまった)。

そのくせ、樋口先輩や、東堂など、乙女は結構男と出歩いています。この、圧倒的な一方通行さ加減が、極めてリアルな恋愛だと思います。

ただ、なぜ乙女が先輩の恋愛を受け入れたのか、それが今一つわからないんですよねぇ。最後は先輩に助けられて、というのはわかります。ただ、その前段階、学園祭の劇で抱きすくめられたあたりから、風向きが完全に変わった感じです。

先輩の何回も偶然に出会う、という外堀を埋める作戦が功を奏したと考えるのが妥当でしょうか。また、スキンシップという要素も大きいかもしれません。何回も同じ人に会っていると、その人に好意を抱きやすい、ということはあるようですし。ベタですが、スキンシップというのも親密性を高めるのに役立つという話を聞いたことがあります。これは野球部とかでも、部活の先生が生徒と接する時、誉める時とか、使うと効果が大きいらしいです。

そんな感じで、地味ながら、人が人を好きになる王道を、「外堀を埋め続けている」と茶化しつつも、それが肝要であることをわかっており、やはり恋愛というものをちゃんと描いていたのかもしれません。

また、あとがきの羽海野チカのイラストも良かったですねぇ。「太陽の塔」のあとがきがまさかの本上まなみという嫌がらせのような人選でしたがw今回は羽海野チカ! いや素晴らしい。

ただ、そのイラストの中に着物のイケメンがいたのですが、樋口さんはあんなじゃないと思う。

 

 

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