ピース・又吉直樹の「火花」を読んだんですけどね。
いやこれ、素晴らしかった! さすが芥川賞獲っただけのことはある!
史上初の芸人の受賞は、ひょっとしたら史上初の「笑える純文学」なのかもしれません。
ところで、綾部はいつ日本の芸能界に復帰するんでしょうか? そもそも、NYに行く必要あったのか?
描写が良い
先ず思ったのは、描写が良いですねぇ。やはり、小説にとって描写力ってのは、改めてホント大事ですね。
本作の場合、又吉直樹がよく訪れているであろう、吉祥寺の町や、冒頭の熱海の花火大会の描写などは特によく雰囲気が出ていましたねぇ。熱海にもよく行ってるのかな?
描写というのは読者に、そこがどんな場所なのかを視覚的に想像させ、物語世界に引き摺り込む重要な役割があると思います。だから、ここが良いと、スッと小説世界に入れるし、そこから、各登場人物に感情移入させることに繋がります。
感情移入することができなければ、どんなによく出来たストーリー、構成があっても、興味を持つことはなかなか難しいですからね。
でもたまに、映画とかでも、そういうこと関係なく、ひたすら構成とかストーリーを追うだけの人っていますけど、読んだり観たりして、楽しいのかな?
人物造形
また、登場人物といえば、主人公の師匠となる神谷さんの造形が素晴らしい。かなり異色な人なんですけど、芸人の世界には、いかにも実在しそうな人でもあります。
また、おそらくは又吉の分身であろう、主人公の、現状を必死になって打破しようとしつつも、どこかモラトリアムな感じのあるところがまた、主人公として魅力的でしたねぇ。
この主人公・徳永の、よく見知らぬ人とどう接していいかわからない感じや、そんな見知らぬ人たちを無条件で下に見てしまう高慢な気持ちや、それでいて自分のそういうとこに非常なコンプレックスを感じてしまうところなんかは、果たして僕そっくりで、非常に共感が持ててしまいました。
実体験のアドバンテージ
そして、芸人世界の殺伐としつつギラギラしたサバイバルの感じは、実際にそこを生き抜いてきた又吉直樹ならではの迫力で描かれています。
この圧倒的な迫真性は実体験ならではですね。そいういった自分の持つ強みを最大限に活かした設定だけでも、この小説は勝ったも同然だったのかもしれません。
また、芸人ならではの笑える描写も随所にあって、ここがまた面白かったです。読んでて吹き出してしまったりして、焦って周りを見回したりして。
史上初かもしれない「笑える純文学」という感じで、やっぱ芸人ってすごいなぁ、と思ってしまいます。
ちなみに僕は純文学とは、波乱万丈な内容や気になる展開など、ストーリー性で読ませるものではなく、登場人物たちの内面を描くことにより「人とは何か」を問いかけるようなものを純文学である、と勝手に定義しています。
人生の、もっとも輝かしい頃
でも、僕がこの小説で一番グッときたところは、実に些細なところだったかもしれません。
主人公たちが吉祥寺近辺を飲み歩くモラトリアムな感じ。これがホント、いい感じ
。
その様は冴えないw 圧倒的に冴えないんですけど、ひょっとしたら人生の中で実は最も幸福で、輝かしく大切な時間を過ごしてるようで。
そこも、自分の若い頃を思い出させて、グッときてしまいますねぇ。
師匠と弟子の歩む道
そんな主人公と足並みを揃えるように、師匠の方も、冴えないながらも、ある種幸せな時間帯を過ごしたんですけどね。
でも、その時間は同じように共有しつつも、その中で動いていることは真逆の方に向かっていて。そこがまた、人生の甘さ控えめなところを表していて。
主人公の方は事務所に大手からの移籍組が来たことによって、お笑い生存競争の窮地に立たされ、いよいよ本気で焦ってきます。と同時に、銀髪にして垢抜ける、という外見的な変化も出てくるんです。
逆に師匠は仕事でも特にこれといった変化はなく、そして更に同棲相手とも別れ、暗雲が垂れ込めてきます。
同じようで、その内的な変化は逆のベクトルへと急激に動いているようで。それを叙情的な筆致で急ぐことなく、淡々と、それでいて感情的に描いているですね。この感じが非常に上手かったと思うし、グッと作品世界に埋没していった感じです。
解散ライブ最高
スパークスは深夜の若手お笑い番組でプチブレイクするんですが、残念ながらそこが限界でした。そして、相方の結婚を機に解散。
で、解散ライブをするのですが、ここが泣けた。
思っていることと逆のことを言って感謝を述べることによって、泣き笑いを引き出す、というのはひょっとしたらベタかもしれないけど、やはり泣いてしまいます。
全部で172ページという短いながらも、主人公の青春が濃密に、丁寧に凝縮されていたから、というのがやはりもちろん大きいです。
また、このプチブレイクの一方で、彼女と別れた師匠がどんどん落ちぶれていくのがまた印象的。この、師匠を追い抜き、師匠が落ちぶれる、というのもパターンかもしれないですが。
ただ、こ師匠はスパークスが解散した後も芸人を続けるんですね。売れないながらも、辞めない。
主人公に比べて、師匠は非常に破天荒な人で、行動的にも精神的にも不安定に見えます。でも実は、どんなに売れなくても変わらず芸人を続けていっている、という意味では、安定していたのは師匠の方だったのかもしれません。
笑いとは破壊である
ただ、物語の最後の方で師匠が豊胸手術を受けるのですが、これはあまりにも突拍子もないエピソードで、これによって又吉直樹が何を言いたいのか、ちょっとよくわかりませんでした。
師匠の異常性を浮き彫りにしたかったのかもしれないけど、多分、この物語そのものの破壊というのもあったのかもしれません。
やはり、笑いとは破壊という側面もあるので、芸人としての本能みたいなものが出てきたのかもしれないですね。
この「笑いとは破壊である」ということを考えてみるに、そういった意味で、最近のお笑いは、実はあまりお笑いではないのではないか、と思ってしまいます。
特に、最近ではバラエティ番組と言えばトーク中心ですが、それは「楽しい雑談」でしかないように見えます。
それもお笑いだ、と言われればそれまでで、確かに最近の芸人のトーク技術のレベルは極めて高いと思います。笑えればいい、というのもわかります。
ただ破壊こそが、連綿と続いてきた笑いの真骨頂だと思うので、最近の潮流との齟齬がどうにもあるんです。
時代が変わった、と言われればそれもまたそうだとも思います。ただ、最近隆盛のユーチューバーたちを見ると、その多くが何らかの破壊をしているように見えるんです。
一方、楽しい雑談に終始しているテレビはオワコンと言われて久しい。
それを思うと、笑いは破壊である、というのはあながち間違いとは言い切れないのではないかと。
ちなみに、現在ゴールデンを席巻しているクイズ番組に芸人が多く出演しているけど、あれはバラエティ番組としては最も安易な番組で、その意味では最下層であると個人的には思っています。
ついでにテレビという点で言わせてもらうと、メディアの主役の座はネットに奪われましたが、テレビ全体で考えると、まだまだオワコンではないと思っています。
ネット中傷批判
また、物語後半、そしてあとがきも含めて、ネットなどでの誹謗中傷に又吉自身、思うところを叩きつけている感がありました。
個人的には、この話の主人公・徳永の戦いを見た後、何も知らない部外者が心ない一言でスパークスの解散を切って捨ててしまっているのは、やはり非常なグロテスクさを感じてしまいました。
そしてそれは自分の中にもあるものであるんです。思わぬブーメランが返ってきた感じです。
そして思ったのは、やはりこれからの表現者は、受け手側がネットで簡単に誹謗中傷を「発表」できてしまう状況をいかに生き延びるか、というのも大きなテーマであるように思いました。
まぁ、この文章もそうしたネットで簡単に「発表」できてしまっているものの一つなんですけどね。