azzurriのショッピングレビュー

azzurriのショッピングレビュー

僕が買ったもの、観に行った映画・ライヴなど、要は金を払ったものに対して言いたい放題感想を言わせてもらおうというブログです。オチとかはないです。※ネタバレありまくりなので、注意!

「メイドインアビス 烈日の黄金郷」第10話~最終話ネタバレ有り感想。どう感じたかわからないが心は動かされた!!


メイドインアビス 烈日の黄金郷」観終わりましたー!

いやー、やっぱね、もちろん今回もすごかったですけど、なんていうかなー、感想を持ちづらいというかね。うまく言語化できないとでもいいましょうか。自分が何を感じたのか、自分でもよくわからないという不思議な体験をしました。

ただ、心は動いた。それは間違いないです。

やっぱ結構難しい作品だと思いますねー。描いてるテーマもデカいと思います。そのものズバリ「生きる」というか。

そして今回、また新たに仲間が増えました。映画も含め、一作品につき一人という感じ。そういうところは、ちょっと「ワンピース」に似てるかも。

「ワンピース」も主人公が非常に冒険を希求していますよね。未知の世界を突き進む感じとか、やっぱり似たところはあるかもしれないですね。

続編制作決定PV

youtu.be

第10話

冒頭、いきなりべラフがナナチを解放します。おそらくはイルミューイの娘であるファプタがやってきたのを察したからでしょう。

イルミューイの娘にやられることが自身への贖罪だという思いがあったのかもしれません。それにナナチたちを付き合わせるわけにはいかない、という思いもあったろうと思います。

ただ、イルミューイの体(塔)の外へ出ると、形を保っていられなくなり、ミーティは消えてしまいました。このミーティの存在はなんだったのか。今一つよくわかりませんでした。

ただ、よくよく考えてみれば、ナナチは二度もミーティと別れなければならなくなかったのです。そういった意味では残酷です。

じゃあ、なぜナナチはミーティと二度も別れなくてはならなかったのか。それもまたよくわからないのですが、まだナナチはミーティとの別れを受け入れられてはいなかったのかもしれない。

レグの火葬砲でミーティを撃つことはナナチが望んだことかもしれないけど、やはりどこかで後悔していたのかもしれない。それを吹っ切るための儀礼のようなものだったのでしょうか。

その後も、やはりファプタが自分の文法で喋るので、何が言いたいのかよくわからなかったのですが、一つ判明したことがあります。ファプタの、語尾に「ソス」と付ける、あの独特の言い回し。あれは高貴な人の喋り方らしいですね。デカロボットがファプタに教えたそうです。日本でいうところの「ドスエ」みたいなものなのでしょう。

ただ、回想シーンで、レグとファプタとの間にどんな過去があったのか、それはわかった気がします。

デカロボットですら守れなかった相手から、レグはファプタを守ったのだそうです。ちなみに、その描写はありませんでした。何か、スゲエヤバい奴がいるそうです。

で、レグはその当時から「レグ」と名乗っていたのですが、レグとはリコの飼い犬の名です。深層からやってきたレグがそのように名乗ったということは、普通に考えればリコの母親がレグの名付け親なのでしょう。レグはやはり、リコの母親と会っているのです。

そして、その当時レグは、次に火葬砲を使うと(もちろん「火葬砲」とはリコが名付けたものなので、そうは呼んでいなかったのですが)どうなるかわからない、と言っていました。

レグがリコと出会った時は、おそらくはリコを守るために火葬砲をブッ放し、昏倒していました。レグの記憶がなくなったのは、その時の使用によるものと考えるのが妥当かもしれません。レグの言う「何が起こるかわからない」とは、このことだったのでしょう。

そしてレグは、一番大切なものを届けるために上の階層に行く、と言っていました。そのためにファプタと別れ、再会を約束します。しかしもちろん、レグの記憶はありません。

 

第11話

前回のラストで記憶が断片的に戻ったレグ(イルミューイの娘の当時の顔を映像として思い出す)でしたが、その隙を突かれ、ファプタに負けてしまいます。

それからファプタの怒涛の虐殺が始まるか、と思われたのですが、そこへベラフとナナチがやって来ます。

しかし、ファプタはベラフを食ってしまいます。その際、ベラフはイルミューイとの思い出をファプタに見せるのです。

それがどういうメカニズムなのかはよくわからなかったのですが、そのことによりファプタは、イルミューイがただ探検隊に食われたのではなく、仲間としての関係性もあったことを初めて知るのです。

復讐のために生まれた(と思っていた)ファプタでしたが、ここで初めて、その復讐が正しかったのかどうか、問われていたのかもしれません。実際、ここでファプタの動きが止まります。逡巡し、戸惑っていたのです。

ベラフはファプタに「自分の価値を自分で決めろ」と言います。ファプタがこれから先、どう生きるか、可能性を与え、そして肯定もしてくれたんだと思うのです。

その復讐が間違っていたとしても、次なる冒険が待っている。間違った復讐で自分たちを滅ぼしたとて気にするな、と言いたかったのかもしれない。もちろん、間違いとは思っていなかったかもしれませんが。それは、ベラフの(多分に自分勝手な)贖罪でもあったのかもしれません。

ここでちょっと思ったのは、イルミューイにとって探検隊は、初めて得ることができた家族的な関係だったのかもしれません。イルミューイは「子供を産むことができない」ということで、村八分にされていました。そんなイルミューイにとって、ブエコをはじめ、自分にやさしく接してくれる探検隊の面々は、まさに初めてできた仲間、家族だったように思えるのです。

そしてイルミューイは願いを叶えるという遺物を持たされました。イルミューイの願いとは、母となること、家族を作ることだったと思います。またその一方で、家族のように思っていた探検隊の窮地を助けることだったのかもしれない。

だとしたら、自分の子どもたちを、ひょっとしたら命をつなぐための糧として、探検隊に、実は与えていたのかもしれない。果たしてそれはどうなのか、もちろん、よくわからないのですが。

一方、ベラフと別行動となったナナチは、ひょっとしてワズキャンがリコを第二のイルミューイにしようとしているのではないか、という予測を立てます。しかし、それは違うかもしれない、と個人的には思います。なぜなら、ワズキャンの最終的な願いは、リコと共に『冒険を続けること』なのですから。

破壊されたイルミューイの体はもはや結界としての機能を失い、アビスの動物が次々住民を食いにやって来ます。住民たちは、どういう理屈かわからないのですが、イルミューイの体外へ出ると形を保っていられなくなります。だから、内へ内へと逃げるしかない。どんどん袋小路となっていき、食われまくってしまいます。

ファプタにしてみれば、住民たちは母を食い物にした復讐の相手です。彼らに復讐することがアイデンティティですらあります。そんな復讐の相手を、アビスの動物たちは食いまくってるのですから、ファプタはその動物たちに対して激怒します。自分の存在意義を奪うな!ということでしょう。

ファプタは動物たちを攻撃しますが、多勢に無勢、逆に体のそこかしこを食われてしまいます。ここの描写がグロくてですねー、そういうのが苦手な僕は見てられなかったですねー。まぁ、メイドインアビスの真骨頂といったところでしょうか。

そんな感じで身体中を食われたファプタはもう動けなくなり、もうダメか、と思わせたところに、なんと住人たちが自分の体をファプタに供物のごとく食わせていくのです。

それをファプタは「当然だ」と言わんばかりに食っていく。そしてそれは当然でもあると思います。しかし、イルミューイと探検隊の本当の関係性を思うと、当然ではないかもしれない。だが、この状況ではそうするのが最上の策かもしれないし、それしかできないかもしれない。

住民たちはイルミューイに与えられた命を、その娘であるファプタにお返ししたのかもしれない。

そしてファプタは復活し、どう出る? というところで、次回、最終話。

 

最終話

やはり、ファプタは相変わらず言葉遣いが独特すぎるので、何言ってるかわかりません。だから、細かいことはわかりません。

それに、登場人物たちが話している前提が視聴者には開示されていないように思います。だから、わかるわけない。

最終回は、なんというか、これまで以上に上手く感想が持てなかったですねー。しかし、心が動かされたことは確か。なかなか不思議なことだとは思いますが。

ただ、全体的に何が起こっているのかは、大体わかったつもりです。ファプタが住民を食うことによってパワーアップし、侵入してきた動物を返り討ち。ブエコと出会って、まだ人間だった頃の母を知り、リコさん隊に加わる。冒険を続ける、おそらくはそれがイルミューイの願いだったのかもしれない。

ただ、侵入してきた動物たちをやっつける必要性は、実はなかったようにも思います。

自分(ファプタ)の復讐の邪魔をするな、といった理由づけは、よくよく考えればかなり強引だったように思います。逆に言うと、そういう強引な理由づけが必要なくらい、無理があったようにも思います。

だって、よく考えればファプタが住民を食った段階で、ファプタには動物たちをやっつける理由はなくなっています。

アニメとして、最後にバトルがあった方が盛り上がる、というだけのような気もします。

個人的に言わせてもらえば、バトルシーンはなくても困らないかなぁw ある面ではいらないw というのも、基本的にバトルシーンではドラマが進まないから。ただ、ドラマを組み込んだバトルも多くあるので、それは好きです。

で、今回アビスの動物たちがが塔の住民たちを食うシーンを見て思ったのは、やはりアビスとは深海をモデルとしているのかな、ということです。

崩れた壁から入ってきた動物たちが住人たちを貪り食う、その様は深海に落ちたクジラの死骸に群がる生物を想起させました。

確かにグロい描写ではあります。しかし、見ようによっては祝祭みたいなものに見えなくもない。アビスに生きる動物たちにとってはまたとない食事の機会だから。

そして、イルミューイの内部に入った人たち、慣れはて村の住民たちはみんないなくなってしまいました。ある者は食われ、ある者はイルミューイの外に出て消えた。

隊の長であり、ある意味、このシリーズの黒幕かもしれないワズキャンも消えてしまいます。神がかりとまで称されたワズキャンが、最後に何が見えていたのか、とナナチは思うのですが、ひょっとしたら何も見えていなかったのかもしれないのかな、とも思いました。

ただ、ワズキャンは「繋がり」こそが、冒険を続ける原動力になる、みたいなことを言ってました。この「繋がりこそが一番強い」というのは、どことなく「鬼滅の刃」を思い出してしまいます。

ブエコはファプタに会いに行こうとしたその途中、外に出てしまいます。しかし、消えません。消えはしなかったのですが、成り果てになってしまいます。いや、なりかける。いや、やはり「なった」のだろうか。

ブエコの左目は抜け落ち、形が崩れていって、口もミーティのように縦に開いていきます。この時の描写がなんとも言えず…。

ブエコはなぜこんな罰を受けなくてはならなかったのか。それはひょっとしたら唯一つのイルミューイのエゴだったのかもしれません。イルミューイはブエコに最後を看取ってもらいたかったのだそうです。

そういえば、塔の中に入った隊員たちは皆形を変えたけど、なんでブエコだけ人の形を保ったままだったんだろう?と疑問には思っていたのですが、イルミューイがそうさせていたらしいんです。

形を変えた人たちは、塔の外へ出ると消えてしまいます。逆に言うと、形を変えなければ、塔の外に出ても消えることはありません。ただし、深層の影響で成り果てになってしまいます。

ブエコを変えさせず人のままでいさせる。それはつまり、成り果てになったとしても塔の外に出られるということです。ブエコを成り果てにさせてまでも、イルミューイは自分の最後を看取って欲しかったのでしょう。

そして、ナナチのはからいで、ブエコはファプタに会うことが叶います。もう言葉を喋ることすらできないブエコですが、ファプタは何を言おうとしているのか正確にわかることができる。ファプタにはそういう能力があるようです。プルシュカの言葉もわかっていたそうです。

ファプタは在りし日のイルミューイの話をブエコから聞くことができたし、ブエコも伝えることができた。ブエコが知っていたイルミューイの姿をファプタに伝えることで、「忘れない」というブエコの誓いは、これで果たされたと思います。

そして、イルミューイにとってブエコは、ファプタにすら渡したくない大切な人だったのです。

あまりに大切だから、最後を看取って欲しかった。そしてブエコはイルミューイの願い通りにイルミューイを看取り、ブエコ自身はイルミューイの娘であるファプタに看取られた。

そしてファプタはブエコを看取り、初めて「かなしい」という感情を知ったのだと思います。

イルミューイ、ブエコ、ファプタの繋がりにより、自分は何をどう感じたのかわからない。しかし、心を動かされたことは確かだと思います。


 

azzurri.hatenablog.com

azzurri.hatenablog.com

azzurri.hatenablog.com

azzurri.hatenablog.com

azzurri.hatenablog.com

azzurri.hatenablog.com

azzurri.hatenablog.com