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僕が買ったもの、観に行った映画・ライヴなど、要は金を払ったものに対して言いたい放題感想を言わせてもらおうというブログです。オチとかはないです。※ネタバレありまくりなので、注意!

「エーミールと探偵たち」ネタバレ有り読書感想文。キャラ濃厚な地に足のついた児童文学。


「エーミールと探偵たち」という、子供たちだけで犯罪者を追跡して捕まえる、というドイツの児童小説があるんですけど。過去何回か映画化もされた名作です。

実は、この本の作者と「デミアン」の作者は同じだと思っていたんです。そしたら全然違ってましたねーw(いやー、恥ずかしい)

デミアン」はヘルマン・ヘッセで、こちらはエーリッヒ・ケストナーでした。

内省的な「デミアン」とは打って変わって、この「エーミールと探偵たち」は明るく楽しい小説です。児童文学だから当たり前と言えばそうなんですけど、それにしても楽しい小説です。僕が買った岩波少年文庫では、可愛らしい挿絵もついています。

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真逆のエーミール

なんというか、「デミアン」とはえらい対照的です。

デミアン」は第一次世界大戦(だと思う)を通じて、身も心もボロボロになったヘルマン・ヘッセがそこからの脱脚というか、人生の捉え直し、新しい始まりを目指して書いたものであるからか、非常に教義的であり、哲学的でもあり、ある種宗教的ですらあります。

また、多分に「純文学」たろうとして(るように見える)、ちょっと高尚に、言い方は悪いけど、お高く止まってる感がないとは言えないような気がします(そりゃまぁ、ノーベル文学賞受賞者ですからね)。

一方、「エーミールと探偵たち」は、良くも悪くも(悪くはないとは思うが)そういった大上段に構えた思想性からは解放されており、もっとエンタメっぽい感じで描かれています。

その意識は主人公の生い立ちにも反映されているように思います。

デミアン」のエーミール・シンクレールは、裕福な家庭の、厳格な父の元に育ち、高等中学、大学へと進んでいきます。

「エーミールと探偵たち」のエーミール・ティッシュバインは父親を早くに亡くし、美容院を営む母親が女手一つで育てています。ちなみに祖母は美容院の稼ぎだけでは養えない、という理由で遠くベルリンの親戚の元で暮らしています。

また、年齢の違いも象徴的だと思います。

エーミール・ティッシュバインは小学生。エーミール・シンクレールは小学生から大学生までの成長が描かれています。

中高大で思春期を迎え、その時期は一番知識欲に飢えている時期です。人生の中で最もインテリ「風」に振る舞いたい時期と言えるでしょう。

一方、小学生、ましてや男の子は人生の中で最も野生的な時期で、ヒトというよりはサルに近いです。つーか、サルです。そしてアンチインテリ的な面もあるような気がします(様々な物事に対する興味は旺盛ですが)。なにかしら知識をひけらかすと、「気取ってんじゃねぇよ」とケンカがおっ始まりそう。

同じエーミール、同じドイツ、そして、同じく若者に向けた作品であっても、これだけ真逆なんですねぇ。

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楽しい作品

そんな感じでまぁ、この「エーミールと探偵たち」は楽しい本なのですが、先ず前書きが長いですw

どうやってこの小説を書き始めたのか、延々語っていて、なかなか物語が始まらなくて笑えます。でも、その感じがとても楽しくて、いいんですよねー。

また、訳者の解説によると、ここが実は結構重要らしいんですね。エーリッヒ・ケストナーは、背伸びせず、身近なもの、経験したことを元に書くことにこだわっていたそうで、この前書きはその宣言だというんです。

やはり俺が感じたことは正しかった(笑)

そして、この地に足のついた感じが、どこか強さを感じさせるようにも思うんです。

そして前書きも終わり、いよいよ始まるか、と思ったら、今度は登場人物やら場の紹介やらが長いw ただ、それによるわかりやすさはあるので、ここらへんも児童文学ならでは、という感じ。しかも、一つの項目について一つの挿絵入り。

そしてようやく物語が始まりますw

魅力的な描写

特に前半部は、母一人子一人で暮らす母子の愛情が非常に細やかに描かれています。

特に主人公・エーミールがとても魅力的に描かれているんですね。良い意味でちょっと大人びた子。

エーミールを養うため、時には体を壊しながらも働く母親になんとか報いようとしています。日常の手伝いはもちろん、学校に行く意味をもちゃんと考え、自分に恥じない人間になるよう心がけています。かなり自分を反省してしまいました。

そんな風に、本来ならちょっと湿りがちな内容なんですけど、ユーモラスな表現も多用することにより、それを楽しく明るく描いています。そういうところも上手いですよね。

この話の要は、この母子の愛情なんですね。それが動機となって、エーミールは初めて一人で旅をする大都会・ベルリンで大冒険をするわけです。

また、児童文学らしく、子供の様子、仕草も丁寧に描かれていますね。子供をよく観察している感じ。

エーミールのためにベルリンの子供達が集まって犯人を追うんですけども、作戦を立てようとしても、なかなか前に進まないんですねw

教授と呼ばれる頭の良さそうな子が、各自の役割を考え、お金を集めたり、一人の子の家の電話を借りて連絡係にしたりと、まぁ非常にわくわくする展開になるんです。

そして、いよいよ捜索の開始!といったところなんですけど、そこは子供の集団。子供ならではのトンデモ理論で、話がなかなかまとまらないんですよw

それぞれの論理で動いちゃうもんだから、やたらとぶつかり合うw それがまぁリアルで良いんですよねぇ。一人帰っちゃったりしますからねw

もう、微笑ましくって、子供ならでは、と言った感じ。

こういうことあったなー、て、読んでて思いました。子供の観察がよくできていると同時に、やはり子供の生態は今も昔も変わりないのが、なんか嬉しかったですね。

構成も見事

一見、ちょっと無理あるなぁ、と思う要素も、あとあと意味を成したり、物語を作る上で必然性があったり、非常に上手い構成になってました。

エーミールは、以前銅像にいたずら書きをしてしまってるのですが(割と悪ガキだな)、そのことが原因で異様に警察を恐れているんですね。逮捕されてしまう、と。

大人目線では、警察はそんなことそこまでは気にしないし、第一、子供のいたずら相手に警察のネットワークなど使うはずありません。でも、これが効いていて、警察に届け出ることを提案されても断ることができる(逮捕されちゃうと思ってますから)、つまり、子供たちだけで犯人捜索することができる。

無理があるようで、ちゃんと意味があるんですね。

あと、思わず無銭乗車してしまい(割と悪ガキだな)、ピンチに陥るエーミールを見知らぬおじさんが都合よく代わりにお金を払ってくれて、名前も告げずに去っていくという超御都合主義的な展開があるんですけど、あとあとこの人が新聞記者だったことがわかり(名前はケストナー! まさかの作者登場)、お手柄のエーミールにインタビューすることになるのです。

また、伏線といえば、エーミールがお札を落とさないよう、ジャケットの裏にピンで留めるのですが、このお札のピンで空いた穴が、エーミールが持っていたお札という証拠にもなるし、犯人が「寝ている子の懐からお札が落ちてきたので出来心」という証言の反証にもなるんです。証拠としてはちょっと甘いかもしれませんが、一応構成としてはしっかりしています。

そんな感じで、前半の疑問に思う部分が一応回収されているんですよね。

また更に、列車内のスリかと思われていた犯人が、銀行強盗で指名手配されていた男とわかります。銀行強盗をするくらいの犯罪者が子供からわずかばかりの金(銀行強盗に比べればそうでしょう)を盗むのかどうかはさておいて、子供が解決した事件が実はとんでもない大事件に繋がる、というダイナミクスは荒唐無稽な児童小説ならでは、といったところ。またそういうところも児童小説の醍醐味でしょう。

あと、個人的に気に入ったのは、エーミールのお婆さんが、本当は自分も捜索に参加したいのに電話番に従事したディーンスタックを褒めるとこですね。どんなに地味な仕事でも意味があり、それを全うすることの大切さを説いている。一見荒っぽい話のように見えて、抑えるべきところはキチッと抑えているように思えます。

ただ、このお婆さんの「仕送りは郵便為替で送れ」という、エーミールのこれまでの苦労を台無しにし、且つもっともな正論は落ちとして秀逸だったように思います。

しかしそれ以上に、エーミールが得た「人を信じるな」という教訓は、お婆さんのこの一言以上に物語を台無しにする破壊力がありました。

キャラが濃厚

また、それぞれのキャラが濃いです!

特にクラクション少年は濃かった。そもそもなんでクラクション持ち歩いてるの?
(笑)

ただ、子供ってそういうわけのわからないものを持ち歩いていることはよくありますよね。

ここらへんの観察眼の鋭さと、そのデフォルメが濃いキャラを生んだのでしょう。

どこか、クドカンを彷彿とさせました。

それで、その濃いキャラの少年たちの中に教授と呼ばれる子がいるのですが。

この子は割と頭の良い子なんですけど、他の子の発言で自分が良いと思ったものには「マル」と勝手に判定をくだすという、ちょっと偉そうなところのある子です。

で、その教授とエーミールが、お互いの家庭環境について立ち話をするシーンがあるんですけど、これが良かった。

エーミールの家は生活が苦しいんですけど、それ故にお互いがお互いを支え合い、母子の絆は却って強くなっているように思われます。

一方、教授の家はどうも裕福なようなのですが、教授が家に帰っても、両親は芝居に行ったりしていて居ないことが多いらしい。それでも、教授曰く家族仲は良いようなんですけど、エーミールの家に比べると希薄な感じは否めない。

お互いがお互いのことを羨んでいるようにも見えるけど、エーミールの方が強く前を向いているようにも思えるのに対し、教授の方が足りないものを抱えているようにも思えます。

そしてお互い、そういう家もあるんだな、とどこか達観したように見受けられます。そして、お互いの違いを認め合うことによって、この二人はより強い絆で結ばれたように思うのです。

この二人の感じというか雰囲気というか、そういう空気感がすごく良くて、この(身近な世界を舞台にしつつも)荒唐無稽な物語の中にあって、ヒュッと牽制球を投げるように、虚を突くようなリアリティがあります。冒険物ではない、等身大の子供があるように思います。

そしてまたそれは、この頃現れた都市生活者として、それまでの親子関係とは変わっていく子供を教授が体現しているように思います。

そしてそれに対して、作者は否定も肯定もしていないように感じられます。ただ移りゆく時代を写しているというか。ただそこにはある種の郷愁感はあると思います。

 

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