azzurriのショッピングレビュー

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僕が買ったもの、観に行った映画・ライヴなど、要は金を払ったものに対して言いたい放題感想を言わせてもらおうというブログです。オチとかはないです。※ネタバレありまくりなので、注意!

「トールキン 旅のはじまり」ネタバレ有り感想。主役はサリンジャー役と同じ人。


トールキン 旅のはじまり』という映画がありまして。

どういう映画かというと、あの『ロード・オブ・ザ・リング』や『ホビット』などのファンタジー文学の作者であるJ・R・R・トールキンの前半生を描いた作品です。

ちなみに『ロード・オブ・ザ・リング』って、「指環への道」っていう風に勝手に脳内翻訳する人が多いと思いますが、違います(バッサリ)。

先ず、ロードが「道」なら「オブ」がそもそもおかしい。多分「トゥ」が一般的だと思います。

そして原題を見てみると「Lord of the Rings」となっています。「lord」、つまり「主君」ですね。だから、「指環への道」というのは大間違いで、多分「指環の所有者」くらいの意味になるような気がします。

そんな俺の学生時代の英語の成績は五段階評価で大体「3」。

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トールキンを演じたのはサリンジャーを演じたニコラス・ホルト

何でこの映画を観に行ったかというと、トールキン役を『ライ麦畑の反逆者』でJ.D.サリンジャーを演じたニコラス・ホルトが演じたからです。『ライ麦~』がなかなか良かったし、連続して(俺の中で)の作家役は興味深いなぁ、と思ったからです。

ちなみに僕は『ロード・オブ・ザ・リング』や『ホビット』は映画も観ていないし、本も読んだことがありません。でも、本は読みたいと思ってます。

ま、そんな理由で行ったんですが、トールキンが作家になる前の人生を描いた映画だったので、作家のシーンは実質ゼロでした。最後にタイトルを書いただけという(^^;; 残念。そういった意味では、まさに『旅のはじまり』ではあったかも。

しかしながら、トールキンの想像力溢れる物語を作るシーンは随所にありました。幼少の頃、少年の頃、そして青年になるまで、彼は常に夢と冒険の世界を想像していたんですね。

彼は物語と共に生きていたんです。トールキンは様々な困難に直面するんですけど、その度に彼を救ったのは、彼の物語作者としての空想力と、学生時代に知り合った無二の親友達だったんです。

また、トールキンをそうやって、想像力豊かな人に育てたのは、これまた空想の物語が好きだった母親でした。やはり親の影響って大きいんですね。

そういう風に育ったトールキンは、まだ作家になる前、若かりし頃に物語を紡いでいくのですが、そこは既に文学者のそれだった、と言っていいと思います。そういった意味では、作家としてのシーンはなかったけど、非常に作家的ではあったかもしれません。

それをまたニコラス・ホルトがカッコよく演じるんだ。とりあへず彼はありえないくらいイケメンですね。

ただ、サリンジャーとはまた違うタイプの作家だったこともあり、ニコラス・ホルトからサリンジャーを連想することはなかったですね。違う作家を演じるのだから、それは却って良かったことだと思います。

ただ、物語を作ることに悩み、希望に溢れる若者を演じたニコラス・ホルトは非常に良かったです。

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物語を語るシーンをきめ細かく演出

ま、正直、映画全体としてのストーリー自体はそんな面白いものではなかったかなぁ(言っちまった)。

ただ、トールキンが物語を語る時の描写、映像にしたら単純になってしまいがちなシーンをですね、きめ細かく描いた演出はさすがだったですね。またそれには、さっきも言ったようなニコラス・ホルトのカッコいい演技も大きかったと思います。

物語を作るということが、すごくスタイリッシュでカッコいいことのように思えてくる。多分、実際は「物語を作る」っていう行為は、なんせ頭の中でやることですから、はたから見ると地味なんだと思うんですよ。動きなんて全然ないし。でも、彼の表情、声、立ち居振る舞いで、魅せてしまう。

もちろん実際はそんなことして作り出さないと思うけど、それが本当らしく思えるというか。だから彼の作家の演技はすごく良かったんです。

だから、ややもすると退屈になってしまうであろう映画が、飽きずに観ることができました。そう、面白くはないと正直思うんですけど、あんまり飽きなかったんですよね。

セリフが(多分)音楽的

またこの作品は文学をテーマとしていることからか、特にセリフの英語の響きが韻を踏んでいたり、リズムがあったりと、多分に詩的で音楽的であった印象を受けました。

おそらく、英語詩って、まだロックとかポップスとかが流行るもっと前の時代には、そういう音楽的に、謂わばかなりポップに楽しまれていたのではないかぁ、と思うんですよね。

あと、セリフといえば、『ライ麦畑~』では「作家の声」という表現が頻繁に出てきましたが、この映画ではありませんでした。でも、この映画の監督であるドメ・カルコスキはインタビューで下記のように語っています。

 

若い頃のトールキンは、自身の声に耳を傾けて自らの想像力に向き合っていました。
引用元:『トールキン 旅のはじまり』には、偉大な作家の目に映った「想像の源」が描かれている:映画レヴュー|WIRED.jp

 
やはり「声」なんですね。欧米の作家の創作活動にとっては内なる声こそが大事なんでしょう。しかし、それは一体なんなのか? 向こうの人でしかわからないニュアンスなのでしょうか。