azzurriのショッピングレビュー

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僕が買ったもの、観に行った映画・ライヴなど、要は金を払ったものに対して言いたい放題感想を言わせてもらおうというブログです。オチとかはないです。※ネタバレありまくりなので、注意!

「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」ネタバレ有り感想。声優だけじゃない、上質なアニメ映画!

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打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」は前評判も悪くて、全然期待してなかったんですよね。

しかも、岩井俊二原作だったし(^^;; 個人的に岩井俊二の映画で面白いと感じたことはなかったと思います。でも、僕の大好きな新海誠岩井俊二大好きなんですよね(^^;;

だから、主演二人の声を菅田将暉広瀬すずが担当するということだけを楽しみに、観に行ったんです。

しかし、これがめちゃ良かった。

場が良い

先ず、とても絵が綺麗だったですね。

あと、舞台の作り方も良かったと思います。特に円形の校舎が良かったですねー。教室も窓際は丸くなってて、なんだか面白い建物でした。

確か、もう廃校になっちゃったけど、こういう形の校舎って実在したんですよね。以前テレビで観たことがあります。その校舎を参考にしたのかな?

街にはやたらと風力発電の風車がありましたけど、個人的には自然エネルギーへの志向と、この作品のキーワードとなる花火の象徴が込められているように思えました。多分合ってるよね?w

お約束的アニメ的キャラがいない

高校生たちの人物の造形もね、個人的にはすごく好きでした。みんな、等身大の高校生で、所謂アニメっぽい嘘臭さがなかったですね。

やたら優等生でイケメンな完璧超人だったり、ロリ巨乳メガネだったり、ドSで高飛車な美人だったり、そういう定型化された「いかにも」な登場人物はいなくて、非常に好感が持てました。

…まぁ、元が実写映画だから当り前か(^^;;

演出が細やか

話の内容もファンタスティックなSFで、あるアイテムをきっかけに、現実から少しはみ出た異世界に行く、って感じなんですけど、この設定が超俺好み!

この「半歩だけ」異世界な感じが良いんですよねー。片足だけ突っ込んでる感じ。全部じゃなくて。思えば、僕のそういう「半歩だけ」SFが好きなのはドラえもんの影響もあるのかもしれません。

演出の方もですねー、ストーリー上、繰り返しの場面が結構あるんですけど、1回目を単純に繰り返すんじゃないんですね。

カメラアングルなどを変えて見せ方を変え、全くの同じ世界ではない、少しズレた平行世界であることを表したりして、結構きめ細かな演出が施されていました。

ここらへんはさすが新房昭之ですね。

やはり主役二人のキャストが良い

もちろん、主役の二人はさすがと言っていい出来で、声も良ければ芝居も上手い!

ちゃんとアニメの声になりつつ、変に作らないリアルさがありました。この点に関しては他の声優陣もそんな風に演じていて、ここらへんは監督の演出なのかもしれない。そういった演出にみなさん見事に応えていましたね。非常に力のある声優が揃っていたと思います。

で、その中でも特に広瀬すずがすごくて。

彼女の演技力はマジで半端ない!

声だけであそこまで表現できるものなんでしょうか。

また彼女は歌声も披露していて、ま、それ程上手くはないんですけど、かと言って決して下手ではなく、声の良さもあって(いい声してますよね)なかなか良い歌を歌っていたと思います。

しかも曲はあの名曲、松田聖子の「瑠璃色の地球」!

歌詞も作品の世界観に合っていて、この選曲はナイスすぎましたねぇ。

若い夏の切なさがナイス

全体的には、高校生特有の、消えていってしまう夏休みの時間を描き切っていたと思います。

また、女の子が男の子よりも先に大人になってしまうあたりもうまく描いてい
ました。

そしてまた、ちょっと取り残されつつも、男の子の方も少し成長していく、そんな切なさみたいなものが、見事に表現されていたと思います。

「聲の形」ネタバレ有り感想。思い出したくないことを思い出させる!

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聲の形」というアニメ映画を観たんですけど、この映画は人の心の、一番思い出したくないであろうところをグリッグリとエグってくるアニメでした(^^;;

大抵の人は被害者と加害者の両方になって、一部の人は被害者で有り続け、そして一部の人は常に上手く立ち振る舞って加害者の立場に居続ける。

そういう、大抵の人が直面する問題を、障害者をみんなでよってたかっていじめ、次にそのいじめの首謀者がいじめの対象になる、という非常に極端な形で見せています。

オープニングテーマはなんとThe Who

先ずはオープニング。主題歌はThe Whoの「My Generation」から始まります。これにはビビりました。アニメなのにThe Whoかよ!

この選曲の妙はさすが山田尚子ですね。「けいおん!」で唯ちゃんにウィンドミル奏法をさせて、多くのアニメ好きロックファンをうならせたのですが、この作品で遂に直接的にThe Whoを使用!

やはり結構なロック好きなんでしょうね。そもそも「けいおん!」の場合、ベースが左利きって(^^;; それってポールじゃん!

それでまた、アニメの小学生の子供たちとこの曲が妙にバッチリハマるんですね。

このオープニングはすごい勢いがあって、すごく上がる感じです。ものすごい子供たちが活き活きと描かれていて、違った風に期待させてしまうのですが…。

本編に入ると地獄が待ってます(^^;;

小学校の現場がリアル(多分)

まぁ、今回の作品は小学生による陰湿ないじめというのがテーマのひとつだと思うんですけど、そういった点では、現在の小学校の現場を非常にリアルに描いている、ように思います(最近の小学校事情はニュースとかでしかわからないので、実際の現場は知らないんですけど)。

子供のいじめの陰湿さと、いじめ発生の責任を逃れたくて保身に走る教師、というのは然もありなん、といった感じ。ここらへんが可愛らしい絵柄でリアルに描かれているので、観ているこっちとしては非常に感情を揺さぶられます。

実はああいう担任こそがいじめを助長させているのだろうなぁ、と思いました。自らの責任逃れで他の誰かを生贄にするっていうか。

しかし、それは教師だけでなく、生徒もです。いじめを取り巻く状況はみんなそうだと思います。ここらへんをガツっと描いているので、非常に然もありなん、というかリアルさが増し増しなわけです。

ただ、話はちょっと脱線しますけど、いじめの問題って、「我が校ではいじめは起きません」とかって言うじゃないですか。それがそもそもの勘違いだと思うんですよね。子供って、いじめを「したがる」ものだと思うんです。まぁ、言ってしまえば、子供だけじゃなくて大人も、なんですけど。

なぜなら、自然状態で生きる時、一匹だけ目立つ個体がいると、天敵に見つかりやすいんですよね。捕食される側の動物だったら、これは種の保存レベルで危険なことです。

だから、その集団において異質な個体は積極的に排除しようとする。

だから、いじめは本能として組み込まれているのではないかと。

それが証拠にいじめられるような子って、良くも悪くも目立つ子が多いと思うんです。

でも、現代の社会ではいじめなんて、到底許されるものではないこともまた事実。

だから、学校側の正しい姿勢としては「いじめは起こるもの」とはじめから認識しておいて、「我が校はいじめの芽は早期に潰します」という方が正しいような気がします。

なんか、「いじめが起こる学校」というのは恥ずかしいことでもあるかのような風潮がありますが、いじめは起こるものなんだと思います。大事なのは、いじめが発生した後、いかに素早くそれを抑え込むか、なんだと思います。

ちょっと感情的になりますよ

しかし、石田はまだ良いんです。彼は結果論とはいえ罰を食らい、やってしまった罪に対して、これまた極端な形ではありますが、反省をしているので。

ダメなのは植野という女と島田ですね。 こいつらが特に始末が悪い。特に植野みたいな奴はよくいる感じですよね。マツコ・デラックスに気持ち悪いと言われてしまう典型的な女でしょう。絶対に信用してはいけない女ですね。

また、島田で印象的だったのは、彼の目が常に濁っていた(ように見えた)ことですね。なんか、他のキャラの目に比べて、非常に色が濁っているように見えたんです。しかも最後まで。

これは僕の思い込みかもしれないけど、彼はこの作品では最後まで扱いとして人ではなかったように思うんです。あんな奴人ではない、という制作者のメッセージというか。

しかし、それもまた極端な形で提出されているもので、誰しもが持っている素養であることは間違いない、とも思うんです。誰しもが人ではない要素を持っている、と。

罪を犯した子供のその後を描く

「罪を犯してしまった子供が、その後いかに生きるか」という点では「心が叫びたがってるんだ」を思い出してしまいました。もちろん、あの作品とは扱っているテーマは全然違うとは思いますが。

でも、犯した罪に苛まれ、それを乗り越えて再出発する姿を描く、という点では共通したところはあるのかな、と思うのです。

とは言え、あっちはミュージカル演じてみたり、割とさわやかに描いているのに対して、こっちは描き方が描き方だけにどう感じていいか難しい作品ではあります(^^;;

よく考えたらものすごいことを描いているわけであって、TVでは絶対に放送できない…んじゃないかと思ってたら放送しちゃいましたね(^^;; 大丈夫なんだろうか?

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だけど、妙にほっこり

だがしかし、妙にほっこりしてしまう作品であることもまた確かなような気がします。

それはおそらく、石田と西宮さん、そしてゆづるが真摯に生きようとしているから、な気がします。子供たちの中でこの三人だけが真摯だった、と思います。

また、石田が西宮さんをいじめてしまった理由が、おそらく不器用すぎる初恋の彼なりの表現だったのではないか、ということだったからかも?ということも、俺はあると思うんですよねぇ?。

もし、石田の初恋であるならば、これは石田が苦しみ抜いて間違え倒した彼の初恋の長い旅路の物語なのかもしれない。

小学生男子ってバカで、まだ人間じゃないサルだから、好きな子をいじめちゃうんですよね(苦い思い出)。ま、今の子はどうだか知らないですけど。割と素直に彼女とか作っちゃってるのかな。

一方、西宮さんはなぜ石田のことを好きになったのか? 非常にわかりにくいけど、それは彼女に障害者としてではなく、「人として」初めて興味を持った男の子だったから、ではないでしょうか。そんな気がしてならないんです。

また、西宮さんのお母さんの年齢が44歳だと知った時、俺はアニメの主役というよりはその親の年齢なんだと気付いて、ちょっとショックでした。

↓「聲の形」配信中!






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「レディ・プレイヤー1」ネタバレ有り感想。一人の男の人生の物語!

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レディ・プレイヤー1」はもう、予告の段階で絶対観に行かなくてはいけない、と思った類の映画でした。

でも、制作は「どうしてもこれを撮らねばならん!」というスピルバーグの強い要望で、「ペンタゴン・ペーパーズ」が優先されてしまいます(^^;; とはいえ、さすがスピルバーグが使命感に駆られて作られた映画で、こちらも観るべき映画でした。お勧めです!

そして、待ちに待った「レディ・プレイヤー1」は、期待以上の出来で、本当に楽しめました! 待たされた甲斐があったというものです(^^)

冒頭の集合住宅の感じは非常にディストピアSFの世界観で良かったし、それから続くOASISの映像もゲームの世界に入ったようですごく良かったです。

この作品は基本的にはディストピアですね。なんというか、希望のあるディストピア。でも、ハッピーエンドではあるけど、この世界全体は何も改善されていないんですね。そこがなんというか、突き放した感じというか。

最初は2Dで観たんですが(僕は映画の基本は2Dだと思っています)、これは是非IMAXでも観たい、と思い、その日のうちにIMAXでも観てしまいました。

1日に同じ映画を別の映画館で観たのは初めてでしたね。やはりこの映画のCGはIMAXで観るべきものでありました。なんといってもゲームの中の世界、という設定ですからね。

特に冒頭のOASISのシーンはアトラクションのようで、それこそゲームの中に入る感じを堪能しました。でも、それ以外は特に3DCGはなくても、取り立てて変わらなかった感じですかねー。

OASISはハリデーの人生そのもの

先ずは何と言ってもOASISの開発者であるハリデーですね! 彼が作品全体に投げかけるメッセージ性のようなもの抜きにはこの映画は語れないと思います。ある意味、ハリデーがこの作品の全てと言っても過言ではないでしょう。

ハリデーの三つの鍵は、彼が歩んできた人生そのもので、故に鍵を見つけたプレイヤーはハリデーの人生の歩み、痛み、思想を見ることになるのです。

そしてその鍵を解くには、ハリデーが愛した、人生の支えだった80年代ポップカルチャーへの深い造詣と理解がなければならない。この試練はハリデーの人生そのものなのだ。

だからハリデーの隠したイースターエッグを見つけた者は彼の後継者となれるのです。

叶わなかった恋、壊してしまった友情、そしてポイントは、時には後ろに向かって全力で走るのも良い、という思想だと思います。

これはつまり、過去をないがしろにしない、ということだと個人的には解釈しました。

この映画の肝は実は80年代ポップカルチャー

この映画の主な舞台となるOASISはハリデーの人生そのものなので、当然の如くこの作品には80年代のポップカルチャーが色濃く彩られています。

確かに2018年時点の最先端の技術を駆使したゲーム映像がこの作品の大きな醍醐味ではありますが、じゃあその中身はというと、そのものズバリ80年代の文化なんです。

それはつまり、「過去のものたち」。

だから、この作品自体が「全力で過去へ突っ走ってる」のです。

で、個人的に言わせて貰えば、僕が青春期を過ごしてきた文化がふんだんに盛り込まれているわけですので、僕ら世代には特に刺さるのではないでしょうかw

故に郷愁感がある。だから、観ていてすごく懐かしくて楽しいんだけど、どこか切ないんです。そう思って観てたおっさんおばさんは多いのではないでしょうか?w

そしてその、僕らが感じた切なさは、生き方が不器用で他人との関わりが下手だったハリデーへと繋がっていくんです。

内向きで(おそらく繊細だったであろう)ハリデーはゲームや漫画、アニメ、映画の世界に没頭しました。そこが彼の逃げ場所であり、そして同時にたまらなく魅力的だったのではないでしょうか。

そういった意味で、ハリデーにとっては80年代ポップカルチャーは、逃げと同時に攻めだったのだと思うんです。

それは取りも直さず僕と似ていると思う(^^;; というより、この映画に特に深く刺さる人間はそういう人間なのではないでしょうか。

実はすごく切ない映画

そんな感じで、ガンダムAKIRAが出てくるハリウッドの、しかもスピルバーグのSF超大作ということで観に行ったんですけど、観終わったらとても切ない良い映画だったというw もうさすがスピルバーグです。

切ない、と言えば、イースターエッグを見つけた主人公が泣いているのを見て、敵の親玉が銃を降ろすシーンがあるんですね。ここが良かった。

おそらく最初はゲームに何の興味もなかった親玉ですが、主人公たちとゲーム内でバトルしてるうちに感化されていったのではないか、と勘繰ってしまいます。でなければ、あそこで銃を降ろさないでしょう。

その一方で、やはり金儲け目当てのビジネスマンが敵として描かれている点もスピルバーグのメッセージ性があるのではないかと思います。経済最優先の現代の世界への皮肉だとも捉えられるかな、と。

また、ハリデーのかつての親友にして元同僚に対して主人公が「このゲームの本当の鍵はあなただ」と言うシーン。ここも、良かった。

そう言われて、その元同僚は泣いてしまうんですけど、このシーンには思わずグッときてしまいましたねぇ。彼はずっとハリデーのことが好きで、気にかけていたのだと思います。

その感じが、変わらぬ友情というか、別れても、ずっと「繋がっていた」感が、すごく良くてね。

そんな感じで、まさかこの映画で泣くとは思わなかったですねー。

もちろん、夢の競演も最高!

もちろん、ゲーム内のシーンも最高でした。

ガンダムvsメカゴジラという日本人の同人作家ですら、いや日本人の同人作家だからこそ考えつかない夢のロボット対戦や(正確に言うとガンダムはロボットではないのですが)、金田バイクとデロリアンのカーチェイス、そして全編を彩る80年代の音楽(やはり80年代の曲は良いですね)。

とにかく、どこをどう取っても最高の映画でした。

ガンダムと言えば、森崎ウィンの「俺はガンダムで行く!」というセリフと言い回しが良かったですねー。あれでテンションがまた更に上がった感じがして。そういう細かいセリフって、大事ですよね。

アバターの向こうのご本人たちも最高

主人公グループの現実世界の姿も良かったと思います。

野武士風のダイトウの森崎ウィンと主人公は割と意外性はないものの、巨漢男のエイチは、なんと黒人の肝っ玉かあさん風の女の子。

同性(男)の親友だと思っていたけど、実はお前女だったんかい!という驚きと、やっぱり頼りになる感じがすごく嬉しかった。やっぱり女性の方が肝っ玉座ってるし、頼りになるよな。現実世界でのこの女の子の活躍もすごくカッコ良くて、良かったですねぇ。

そして、相手役の女の子は右目の周りにあざのある女の子。ここにも監督のメッセージ性のようなものが現れていると思います。

あざのある人のコンプレックスは殊の外大きい、とテレビで見たことがあります。実際、今までの映画などでは悪役に使われることも多かったです。

しかし、この作品ではヒロインです。そういう偏見を打ち破りたい、という思いがスピルバーグの中ではあったのではないでしょうか。

そして中国忍者は中国人の11歳の可愛らしい男の子。子供を入れることで、ネット社会の年齢の不特定性を表していると共に、なんとなく役者は揃った、って感じ。

全部で5人。これがヒーローなのでですが、やはりヒーローは5人なんですね。キャラは立ってるし、個性もバッチリ。

アバターではメシは食えない

また、普通、たいていの映画の中では食事のシーンがあるものです。

というのも、映画の中の人物は、しょせん作り物なので、その作り物に「生」を与えるには、ものを食わせるのが手っ取り早いからなんだそうです。だから、映画とかドラマとか、或いは漫画とか小説とかでも、やたら食事のシーンが出てくるんですね。

しかし、この映画には一切ありませんでした。

観てて不思議に思っていたのですが、それはおそらく、最後にハリデーが、現実世界でなければメシの旨さはわからない、と言ったことに集約されてると思うんです。

やはりこの作品はゲームの世界であり、登場人物はOASISの中では全てアバターなんですね。確かにそれを操っているアバターの向こう側にいる人は普通に人間なんですが、アバター自体は生物ではありません。だから食事はしないんです。

おそらく、この点はスピルバーグの、現実の世界が大事なんだ、というメッセージが込められてるのかもしれませんね。

また、主人公が最後に新たにOASISの経営者となるですが、火曜と木曜は営業休止にしちゃうんです。

アバターはメシを食わない、毎日営業はしない。この二点に、なんとなく高橋名人の「ゲームは1日1時間」を思い出してしまいます。

ゲームばっかりでなく、外に出て遊ぼう、ということなのかもしれませんね。

 

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ミッキーフィギュア付きインスタントコーヒーはフィギュア、缶デザイン、コーヒーの美味しさのトリプルスリー!

コーヒーが好きです。いや、

『珈琲』が好きです。

こう書いた方が瀟洒な感じがしますね。

まぁ、とにかく年がら年中飲んでいる感じです。仕事中も、本読んでる時も、テレビ観ている時も、ネットサーフィンやYouTube観てる時も、そのお伴にコーヒーがあると楽しい時間がもっと楽しくなります。

また、書き物するために、家でPCに向かう、或いはスタバでMac開いて(まぁ僕の場合はiPadなのですが)ドヤる。そんな時、コーヒーがあると気分も盛り上がりますよね。

そんな感じで、僕は珈琲が大好きなのですが、まだディズニーランドとシーの年パスを持っていた頃、何気なく入ったお土産屋さんにとんでもなく俺得な商品がありました。

それは、ミッキーフィギュア付きインスタントコーヒー、しかも缶入り!

僕はディズニーキャラではミッキーが一番好きです。いわゆるミキヲタです。

そして、ディズニーランド、もしくはシーでお土産を買う時、大体が缶入りのお菓子です。

また、今言ったように珈琲が好きです。

ミッキー、珈琲、しかも缶入り。

その時は既に年パスを手に入れ、いつでもポップに夢の国に入国できる、いわゆる年パス貴族になっていた僕には、その日、何の記念もありません。

でも、買うしかないでショオこれわぁー!

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缶にミッキーのフィギュアが付いている!

ただでさえ魅力的な缶入りお土産があったら心動かされるのに、それプラスフィギュアですよ、ふぃぎゅあ!

しかも、あのスーパースター、ミッキーマウスですよ!

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ふあっ!

興奮を止めろと言う方が無理というものです。

しかもですね、このミッキーが僕の大好きな、目が真っ黒なレトロタイプのミッキーなんです!

いやぁー、可愛いカッコいい。そしてオシャレ。

また、今回の商品がコーヒーということで、ミッキーはカフェの店員のコスプレをしています。このなりきり感がいいですよね。

そして、いつも思うんだけど、ミッキーってどんな格好してもホント良く似合う。ミッキーがファッションモデルになったファッショナブルイースターは、まさに彼のための春イベだったように思えます。

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フィギュアの大きさは大体3cmくらい。非常に小さいミニフィギュアとなっておりますが、非常によくできています。顔の造形、顔と体のバランス、手やエプロンの紐の感じも丁寧に作ってあります。小さいのに細かい仕事するなぁ。

後ろからのショット。エプロンと手の造形も手を抜かず!

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また、小道具にも気を配っているところがニクい。ミッキーが手にしているのは、おそらくはコーヒーが入っているであろうポットなのですが、このポットの蓋がですねー、ミッキー仕様になっているのです。つまり、丸い耳が付いているんですねー。全長3cmのミッキーが手にしているわけですから、その小ささは押して計るべし!

正面から! ポットの蓋にもミッキーの耳が!
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いやぁ、ホント、細かく丁寧な仕事しますよねー。

樽デザインの缶

そして、缶の方です。大きさは大体10cmくらい。ちょっと小物として飾るのにも、逆に小物を入れるのにも丁度よい大きさではないでしょうか。

全体のデザインとしては、樽を模したものになっております。この感じがナイスなんですよねー。コーヒーということで、豆を入れた樽ということなんでしょうけど(インスタントだけど)、このレトロな雰囲気を持ってくるところがナイスです。レトロミッキーとの相性は抜群ですよね。

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そして、樽の表紙にはもちろんミッキーのイラストがデカデカと描かれているわけですが、こちらのミッキーももちろんレトロタイプ! 嬉しいのがフィギュアのミッキーと同じ衣装、同じポーズ、同じポットを持っている、つまり、フィギュアはこのイラストから飛び出してきたようなものなのです! このロマン溢れるコンセプトがファンにとっては嬉しい!

ミッキー以外にもコーヒー豆や蔓草のデザインがあったり、貼りつけたステッカーを模したイラストが描かれていたりと遊び心満載。

更に遊び心と言えば、このイラストが、まさに樽で描かれているように若干掠れているんですよね。缶のデザイン全体が「なりきっている」感じで、それはフィギュアのミッキーと同様、いいですよね。

右側から見たところ。

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左側から見たところ。

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もちろん、味もナイステイスト!

そして、コーヒーの方なのですが、そこはやはりオリエンタルランド! 当然のことながら美味しいです。しかも、めちゃめちゃ!

僕は普段、インスタントコーヒーはネスカフェゴールドブレンドをよくいただいています。ネスカフェゴールドブレンドのキャッチコピーは、かの有名な「違いが分かる男の」ですが、実は大して違いが分からない俺でも違いが分かるほど美味しいインスタントコーヒーだと思っています。

ところが、このミッキーコーヒーはその「大して違いが分からない男でもわかる」くらい美味しいネスカフェゴールドブレンドよりも断然美味しかったのです!

だから、やはりこのコーヒーは「ここ(※)」という時に飲みたい、その時まで取っておきたいコーヒーです。ちなみにこのコーヒーは季節限定物ではないと思いますので、お土産に迷って、コーヒーがお好きな方でしたら、是非お勧めさせていただきたいと思います(最近インしてないので詳しくはわかりません。もう販売終了してたらごめんなさい)。

そんな感じで、フィギュア、缶デザイン、コーヒーのクォリティ、とまさに三拍子揃った、僕的には究極のトリプルスリーお土産なんです!

※基本的には美味しいお菓子を食べる時ですね。



富士の天然水ウォーターサーバー【フレシャス】

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「バハールの涙」ネタバレ有り感想。女性記者は女性戦士の分身?!

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予告編を観て、「これは観に行かなければいけない」と思ったのが、「バハールの涙」でした。

ISに夫を殺され、息子を奪われて少年兵の教育を受けさせられ、自らはISの女郎屋に売られた主人公の女性、バハールが、その女郎屋から逃げ出して女性部隊のリーダーになり、ISと戦う、という話です。

まぁ、最後は一応のハッピーエンドを迎えるのですが、なんともやりきれなくありつつも、芸術度の高い映画でもあったように思います。

女性も戦わなくてはいけない、戦わずにはいられない、事実であろうそのことに、何とも言えない負の感情を持ちながら観ました。

女性は強く、賢く、しなやかだ

バハールを女郎屋から逃がす手立てを取ったのは、たまたまバハールがテレビを見ていた時に、女郎屋へ売られた女性たちに向けてテレビから語り掛けた代議士の女性でした。

「自分が女性たちを売春宿から買い取ることも辞さない」とまで言い放つんですね。インタビュアーに「ISに資金を渡すことになる」と言われると、その代議士は「女性がこのまま犠牲になってもいいのか」と返すんです。ここのやり取りは迫力ありましたね。めちゃカッコ良かった。こういう民に寄り添う目線というのは、政治家に最も大事な資質だと思うのですが、どうでしょうか。

ちなみにこの代議士は、バハールのフランス留学時代の教授だそうで、懇意にしていたそうです。バハールは本来は弁護士で、フランスにも留学するくらいインテリだったんですね。女性部隊のリーダーはかつてはインテリの弁護士であった、という出自は考えさせられます。

それにしても、ここでも女性は強いです。バハールが所属する部隊は、女郎屋に売られた女性たちで作られた部隊なのですが、彼女たちは戦時中でも歌い、踊り、その中でもささやかにお洒落を楽しみ、楽しみを見つけていたんです。彼女たちは武器を獲りつつも、女性であり続けたんですね。

また、女郎屋から逃げる場面では、一人身籠った女性がいました。そして国境(だと思う)を越えたところで出産するんです。その国境線を越えるまでは危険だということで、ずっと我慢してたんですね。

このシーンは、脱出の困難さと女性の強さ、そしてある種の神聖さ、生命の力強さを表していて、素晴らしい迫力がありました。

冒頭が秀逸すぎる

物語は基本的にはフランス人女性記者・マチルドの目線、正確に言うと、マチルドの回顧録という形で語られます。

その冒頭、白っぽい映像の中、バハールが寝ています。とても綺麗で、彫刻のようですらある。しかし、彫刻のように感じ、白っぽい映像だったのは、砂を被っていたからです。その砂は爆風によるものです。あまりにも凄まじい爆風なので、全身白になってしまったのです。

そこで女性記者が悪夢にうなされたように目を覚まします。

そしてそこから状況説明があり、移動手段がなく、足止めを食らっている、というモノローグから映画は始まっていくのです。

女性記者は過去にあった出来事を夢で見、そこから過去を振り返っていたのです。

そして、この冒頭のシーンがラストへと繋がるんです。ラストは主人公が自分の子供を助けだし、一応のハッピーエンド的ではある。しかし、バハールは仲間を三人、殺されました。

この、倒置法的に置かれた冒頭の映像が何とも美しく、でもその美しさは非常に悲劇的なものであったんです。これは女性と、女性が置かれた状況を端的に表しているようだし、絵的にも非常に綺麗。そして、映画全体の流れとしても非常に効果的であったように思います。

本当に、芸術度、メッセージ性が高く、秀逸な冒頭のシーンであったと思います。

わかりにくい構成には意味がある?

マチルドの目線で進むので、バハールとの会話の中でシーンがよく過去に飛びます。だから、結構観ていてわかりにくくはありました。

でも、回想シーンが会話である、と考えれば、物語の流れとしては途切れていない。会話ってあっちこっち飛ぶじゃないですか。

このあたりの作りもうまいと思います。意外性のある作りは、考えながら観なければならず、目が離せなくなるからです。自然、集中して観ざるを得なくなる。こういうメッセージ性の強い映画には、特に大事な仕掛けだと思います。

女性記者は女性戦士の分身?

バハールはマチルドに真実を伝えて欲しい、と言います。

でも、マチルドは「真実は何も伝えない、みんな無関心。ワンクリックしてそれで終わり。人が望むのは希望と明るい未来。悲劇的なものには蓋をする」みたいなことを言うんですね。このセリフは刺さりました。

このことは、普段、色んなメディアとかSNS見て、なんでみんなもっと関心持たないんだろ?と疑問に思いもするんですけど、正直自分もこうだよな、と自戒の念にもかられるという、なんとも複雑な気持ちにえぐられる感じです。

そしてマチルドは、だから自分は出会った人のために書くのだ、と。マチルドはバハールに、あなたのために書く、と言うんです。マチルドの書く動機は、非常にパーソナルなものだったんですね。大義名分とか、真実を明らかにする、とかそういうんじゃない。不特定多数のためなんかじゃない。目の前のあなたのために書く。

何か、二人が、すごく繋がっているように思います。

また、マチルドには娘がおり、夫は戦争の取材中に地雷で亡くなりました。そのことにバハールは自分と似た境遇を感じ、マチルドの覚悟も見て取ったのだと思います。だから、バハールはマチルドに真実を託し、マチルドはバハール個人のために記事を書くのではないでしょうか。

また、マチルドが言った「戦士でなくても死ぬ」というセリフがあったのですが、多分、マチルドは、バハールは自分だ、或いは、自分はバハールだ、という思いもあったのかもしれない。この台詞はそういうことも表しているようにも思います。