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僕が買ったもの、観に行った映画・ライヴなど、要は金を払ったものに対して言いたい放題感想を言わせてもらおうというブログです。オチとかはないです。※ネタバレありまくりなので、注意!

「キングコング対ゴジラ」ネタバレ有り感想。怪獣映画というよりは娯楽喜劇映画!!


世界に遅れること四ヶ月ほど、ようやく日本でも「ゴジラvsコング」が公開されましたね。

もちろん僕はゴジラが大好きなのですが、前作(「キング・オブ・モンスターズ」)がとんでもない駄作だったので、ハリウッド版のゴジラには一気に興味を失くしてしまいました。

そう、最初は大好きだったんですよ。ギャレス・エドワーズゴジラは最高だったぁー。

でも監督がドハディになったら、小学生レベルの脚本になって…(^^;; ひどかったぁー。

というわけで、「ゴジラvsコング」は観に行きません。まぁ、今回監督は変わったらしいですが、もう興味持てなくなりましたねー。

金曜ロードショーで放送されたら、それを観ます。多分、金払って観る価値はないでしょうw

でも、大好評ですねー。興行成績もいいし。いきなり1位ですか? 多分「その手の」ファンが喜んでいるのでしょう。怪獣が出て来てプロレスやればそれでいいっていう輩が。

映画ファンには耐えられないだろうなーw

で、代わりと言ってはなんですが、「キングコング対ゴジラ」観ましたw

やっぱ、面白れーなー、この映画。

ちなみに、僕が初めて見たゴジラです。

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デアゴスティーニから発売

以前、といっても結構昔になっちゃいますかねー、デアゴスティーニから東宝特撮のDVDシリーズが発売されまして。

いくら位だったかなー、値段はもう忘れちゃいましたけど、割と安かった印象です。

DVDの他に冊子も付いてまして。こういうのがなかなか特撮オタクの心をくすぐりますよね。

この頃くらいから多分、DVDの価格が下落していったんだと思います。そういう時代の流れに乗って、お手頃価格でシリーズを揃えられるってのはファンにはたまらない、ナイス企画でしたね。

あー、もっと揃えとけばよかった…。買ったの「ゴジラ」「ゴジラの逆襲」「キングコング対ゴジラ」「モスラ対ゴジラ」「三大怪獣地球最大の決戦」の5本だけなんですよね。最初の五作というか。

もっと、「空の大怪獣ラドン」とか「大怪獣バラン」とか「フランケンシュタイン対地底怪獣(バラゴン)」とか買っときゃよかった…。

いまさら後の祭り。

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音楽がカッコいい

やはりですねー、なんと言っても音楽がカッコいいですよ。

音楽はもちろん伊福部昭ゴジラ映画には欠かせません。と言いつつも、結構担当していない作品もあるんですよね。

ゴジラの逆襲」は佐藤勝、「ゴジラ対ヘドラ」は眞鍋理一郎、「ゴジラvsビオランテ」は御大・すぎやまこういちです。

だからゴジラ映画=伊福部昭では必ずしもないんですけど、やはりどうしてもその印象が強いですよね。インパクトあるからなー。

で、この作品はのっけからこの作品のテーマ曲とも言える、なんというか、ファロ島のテーマ(名前わからん)から始まります。

これがめちゃカッコいい!

結構、作中でもよく流れるのですが、やはりこの曲も、なんと言いますか、原始的な曲と言いますか、リズム主体でホーン主体の荒々しい曲となっています。

第一作でも使用されたゴジラの、「♪ゴジラゴジラゴジラメカゴジラ」という「あのテーマ曲」に、若干雰囲気似てるかもしれませんね。

ストラビンスキーの「春の祭典」のようと言いますか。実際、参考にしたらしいんですけどね。

で、伊福部昭、ストラビンスキー聴いて、「これくらいなら俺も作れる」と思ったらしいです。

さすが天才!

感じることが全然違う!

なんせ、アカデミックな音楽教育受けていないのに交響曲書いて、それがいきなりロシアで賞取ったくらいですからね。本物の天才です。

そんな本物の天才が書いた曲はこの作品でも唸りを上げているのです。

この曲聴くだけでも、個人的には観る価値あるかなと。

意外に細かい作り

で、今回改めて見直してみたんですけど、意外にも(失礼!)細かい作りになっていることに気付きました。

結構伏線が細かく張られていて、後々になって功を奏してくることが多かったですね。

例えば、最初の方で高島忠夫がCMでドラム叩いているシーンがあるんですけど、これが後の東京に来たキングコングを眠らせる時にボンゴを叩くシーンに繋がってきます。

いきなりコンガ叩くと不自然ですからね。ちゃんと打楽器の素養があるぞ、というのを前もって見せてからだと観てる方も納得しやすいです。

あと、シーンの繋ぎがスムースというか。

例えば冒頭、世界の驚異シリーズというパシフィック製薬の一社提供の番組があるんですけど、この番組内で、北極の氷が溶けてきている、という情報が流れます。

この後のシーンでゴジラが眠る北極の氷山のシーンとなるわけです。北極の氷が溶けてゴジラが目覚めてしまうんですねー。

ただ、ちょっと余談なんですけど、この頃は多分地球温暖化ってことは言われていなかった時代だと思うんですよね。

そういった意味で、結構予言的な場面にもなってしまっているという。まぁ、余談でしたけども。

しかも、ただ繋ぎのために北極を話題にしたのではなく、そういった気象情報は世界の驚異でも何でもない、とパシフィック製薬の多湖部長が怒る原因ともなるわけです。

パシフィック製薬の一社提供、ということは会社の宣伝ですからね。番組がつまらないと視聴率が上がらず、商品の宣伝効果が低いわけです。これを部長は怒ってるわけなんですね。

世界の驚異シリーズなら、驚異を紹介して視聴率を上げろ。そして商品を売れ、というわけです。

そしてこれがこの物語の根幹なんですね。

番組視聴率を上げるためにキングコングを探せ、というわけです。

この多胡部長の無理難題がなかったら、ゴジラキングコングは対戦しなかったわけです。だから、物語のそもそもの始まりとなる非常に重要なシーンでもあるわけです。

必然性がありつつ、次のシーンへの繋ぎともなっている。非常に上手い作りと言えると思います。

そんな感じでですね、割と脚本はしっかりしてる印象でした。

あと、怪獣が現れた時の社会のリアクションとかも丁寧に描かれていました。

双方の怪獣の現在地がニュース速報で流れたりしますし、あと「疎開」という言葉もよく出てきました。

やはりこの時代、1962年公開なんですけど、まだまだ戦争の傷跡が強く残っていて、疎開という言葉を使って、そうした記憶を想起させ、人々に「現実的な恐怖心」を煽っていたのだと思います。ただ、そうした煽りは是か否か、って問題はありますが…。

ただ、そういった「人々のリアルな生活」をすごくよく描けているとは思います。やはり、人の生活、人のリアクションを丁寧に描かないと、怪獣映画ってホントに嘘っぽいだけの映画になってしまいますからね。

映画って、どんな映画でも嘘を描いているけど、だからこそ本当っぽく見せるために必死になって作ってるじゃないですか。

それが怪獣というとんでもない大嘘をつくわけだから、それこそ丁寧に丁寧に作っていかないと、映画として全く成立しなくなってしまうと思うんですよね。

あと、怪獣と人間との関係でいうと、とにかくエキストラの人数が半端ないです。町を逃げ惑う人の数がすごい! ファロ島の部族の人数もそうですが、めちゃめちゃ人件費かけてる。金使ってんなぁ、って唸るくらい。

ここらへんも、人のリアクションですよね。巨大な怪獣が出てくると、これだけ多くの人に影響を与えるという。それを表すには、やはり人海戦術が一番なんですよね。

怪獣映画というより娯楽喜劇映画

あとはですねー、全体的な印象なんですけど、どちらかというと怪獣映画というよりは娯楽喜劇映画といった趣がありました。

それは、物語の根幹となるのがパシフィック製薬という会社の広告、そしてそれに伴う売り上げという点であるからです。

この映画の時代背景としては、日本は高度経済成長期。モーレツ社員なんて言葉が生まれたほど、とにかく激烈に働く時代であったそうです。

今みたいに、コンプライアンスがあー、とか、パワハラモラハラがあー、とか言った瞬間にクビになる時代です。

そういった、パシフィック製薬を中心とした会社人としての悲喜こもごもが、映画の根幹となっています。

サラリーマンたちの奮闘ぶりをコメディタッチに、やや風刺も交えながら、描いている映画。それが「キングコング対ゴジラ」です。

この映画はゴジラ映画史上最高の興行成績を今なお誇っているのですが、それはおそらく、怪獣を見たがる子供達の他に、サラリーマン映画が好きな社会人にも訴求できたからなのかもしれません。

それは配役にも現れてますよね。多胡部長の有島一郎は社長シリーズでもお馴染みの喜劇役者、高島忠夫藤木悠氏サラリーマンシリーズでも共演しています。

そういうことも加味してみると、ひょっとしたら多分この映画、怪獣映画というよりは、サラリーマン映画の延長線上に作られているのかもしれません。サラリーマン映画に怪獣が出てきちゃった、というか。

だからまぁ、全然子供向けには作られていない感じですね。

子供にそういうサラリーマンの悲哀や喜劇を見せても、全然ウケないですからね。

だけど、やっぱり荒々しい

とはいえ、ですw やっぱりこの時代の、しかも基本は怪獣映画。容赦のない粗々しい作りは満載です。

例えば、さっき言った高島忠夫キングコングを眠らせるためにボンゴを叩くシーンなんですが、ボンゴ叩いてるんですけどなぜかティンパニの音がするんですねw なかなかの特殊能力やもしれません。

他にもいっぱいあるんですけど、そもそもよく考えたら、なぜキングコング連れてきた? 絶対ダメでしょ。危険すぎるでしょ。

高島忠夫が島で眠ったコングを見て、「日本に連れて行くぞ!」といきなり啖呵を切るんです。全く必然性はありません。突然です。もう、勢いだけですね。

ここ、どうしよー?!ってんで考えた末、何も必然性を見つけられなかったから、もう勢いで持ってっちまおう、っていう感じだったのでしょうか?

でも、妙にリアルなところのあるこの映画。海上保安庁に怒られてしまいます。勢いだけで持って行けなかったんですねー。自分ボケ自分ツッコミのようです。

あと、キングコングが高圧線100万ボルト作戦で帯電体質になったのですが、それと放射能火炎防ぐのにどんな因果関係があるのでしょうか? 謎です。

ファロ島での島の部族の人たちのシーンはもう、あまりにもあんまりすぎるので割愛させていただきます。まあ一言、時代性ですね。

そんな感じで、妙に繊細なところと、大胆に荒々しいところが奇妙に混在している映画、とも言えるのではでしょうか。

実はそこがこの映画の一番の魅力かもしれないですけどね。

多胡部長が主役?

まぁ、よく言われることですが、多胡部長が主役並みの大活躍を見せますw

だって、主役の高島忠夫は元より、ゴジラキングコングも食っちゃってるもんwww

インパクトは絶大ですね。

とにかく全てが攻撃的。思想、アイデア、言動、表情、笑顔で上機嫌の時ですら攻撃的です。

最初、子供の頃に初めてこの映画観た時は、この人が面白くて仕方なかったんだけど(実際、多胡部長を演じる有島一郎は喜劇の名優でした)、今見ると怖いかなw

社会に出て会社で働いて、改めて多胡部長見ると、これは怖いですね。もう、パワハラモラハラの嵐。声はデカいは、怒鳴るは、もう、たまったもんじゃないですよね。

とはいえ、やっぱり面白いですけどね。この映画全体がこの人の気分で進んでいるようですらあります。多胡部長がいるから面白い、ってのは確実にあると思います。

女優可愛い

あと、地味に思ったのが、メイン女優二人が可愛い。

先ずは浜美枝。本作品では高島忠夫の妹にして、「ウルトラQ」「ウルトラセブン」でもお馴染みの佐原健二氏の彼女役です。

もうね、ふっつーに可愛い。この時代にこんだけ可愛いんだから、当時としてはもう場違いに、オーバーテクノロジーという感じで可愛かったのではないでしょうか。

で、結構熱演するんですよね。体当たりというか。

ゴジラから逃げ惑い、そんな必然性もないのに、川に倒れ込んでしまいます。もう濡れ鼠。そこを佐原健二に助けられるのですが、全出演者の中で一番荒々しい演出を要求されたのではないでしょうか。

また、キングコングお約束、さらわれてしまいます。あのデッケー手の中に。しかも今回のコングは身長40メートルにスケールアップ。本家よりデカです。なんか、体臭とかすごそうですけどね。そりゃ悲鳴も上げたくなるわ。

だもんだから、ものすごい悲鳴を上げるんですね。この悲鳴がねー、良かった。迫真の演技というか。すごい、なんかロック、いやファンクかもしれない。

やはり怪獣映画はリアクションなのだなあ、と再認識させられます。

もう一人、若林映子

この人もねー、普通に綺麗。いわゆる美人。ちょっと日本人離れしたエキゾチックなお顔立ちですね。

後の「三大怪獣地球最大の決戦」では金星人を演じます。ええ、金星人です。金星人と言われても、なんとなく納得してしまうような、そんなエキゾチックな美人です。

この人もまたオーバーテクノロジー…、いや、オーバープラネットな美人ですね。この時代には完全に場違いなルックスです。

そんな感じでこの御二方、割と男の論理で展開し、男汁満載な怪獣映画に、それはそれはもう、花を添えまくってました。

やっぱキンゴジカッコいい

しかしですねー。やはり、なんと言ってもこの映画は、怪獣ファン的に一番の目玉は「キンゴジ」です!

キングコング対ゴジラ」に出てくるゴジラだから、略してキンゴジ!

実は一口にゴジラと申しましても、様々な顔のゴジラがいます。例えて言うなら、監督が違うとキャラが微妙にマイナーチェンジする、というのと似てるかもしれません(例えが例えになっていないかもしれませんが)。

例えば(更に例えを重ねてみる)、「ルパン対マモー」のルパンと、「カリ城」のルパンと、旧ルパンと新ルパンでは、それぞれ顔が違いますよね? そういう感じだと思います(わかったね?)

そんな感じで、作品ごとに顔の違うゴジラですが、特に人気の高いのが、元祖である初ゴジ、モスゴジ、ビオゴジなのですが(わからない人には全くわからない)、このキンゴジもトップグループの人気を誇る、大人気ゴジラなのです。

僕が最初に見たゴジラでもありますので、当然このゴジラは超大好きです。一番好き、と言っても過言ではありません(まぁ、その時々の気分で違うのですが)。

何が魅力か、って、やはり類人猿のキングコングと対決させるため、より違いをクッキリと浮かび上がらせるためか、全てのゴジラの中で際立って爬虫類顔、言ってみれば恐竜顔なんですよね。

ゴジラって、実はあまり爬虫類っぽくない、恐竜っぽくないんです。

初代とか平成ゴジラで言うと、耳も生えてるし、肩もある。そんな恐竜やトカゲはいません(まぁ、恐竜はトカゲとは違うのですが)。

何かで読んだけど、ゴジラって魔人らしんです。人のフォルムを参考に作られているというか。

そもそも初代ゴジラのコンセプトとして、戦争で亡くなった兵士の亡霊、というのがあったそうです。

ですから、ゴジラってそもそも人なんです。

設定的にはジュラ紀の恐竜の生き残りなんですけど、デザインやコンセプトは人らしいんです。

だから、ゴジラは見ようによっては人に見えてしまう。人が怒れる神となった姿なので、当然そう見えてしまいます。

だから、ヒトの祖先であるサル、ゴリラ、その巨大種であるキングコングと見ようによっては被ってしまうんですね。

だから、このキンゴジはヒトとは異なる形にしなければならなかった。だから、シリーズ中最も爬虫類っぽい顔になったのではないかなー、と想像します。

そんでまた、このキンゴジ、太いんですよね。それに、強そう。「強そう」という説得力では一、二を争うかもしれません。このキンゴジなら、キングギドラも余裕で粉砕しそう。

やはりこの「強そう」というのも、相手のキングコングとのバランスを考えてのことだと思います。

この映画のタイトルは「キングコング対ゴジラ」です。キングコングの方が先にコールされています。

つまり、主役はキングコングなのです。

両者の対戦ストーリーを追ってみても、それは明らかです。

先ず、大涌谷で初激突します。そしてゴジラ放射能火炎で圧勝します。コングはビビって頭をかいて敵前逃亡。

その後、コングは自衛隊の高電圧線100万ボルト作戦により、帯電体質となり、放射能火炎に対抗する強力な力を得ます。

そして最後に富士の裾野で決戦。苦戦しつつも、最後に逆転。

ただ、勝利を収めたっぽく見えますが、両者揉み合いつつ海に落下し勝負はうやむや。両者リングアウトのような、非常にプロレス的な、ある意味、両者に傷のつかない最も美しい形の決着となりました。

このストーリー。まるでバトル系少年漫画のようではありませんか?

強大な敵が現れる→猛特訓なりをして対抗する力を身につける→激戦の末勝利

これをキャプテン翼に当てはめると、

日向小次郎が現れる→(色々割愛)ドライブシュートを習得する→激戦の末、南葛・東邦、両校優勝

となり、バッチリ当てはまります。

ですから、主役のコングを引き立てるため、ライバルであるゴジラは強そうじゃないといけないのです。

そりゃハリウッドからお借りした大スターですからね。おいしくしないといけない。でも、勝利は渡さないw

そう考えると、他団体のエースを自分のリングに引き上げ、非常に盛り立てはするけど、勝負はうやむやにする、というか。

或いは、各国のスターレスラーを挑戦者として迎え、相手の良いところを引き出しまくって、最後は反則負けでタイトル移動なしとか、両者リングアウトで防衛とか、なんとなーくチャンピオンに居座り続ける往年のNWA王者のよう、というか。

いずれにしても、プロレスの方が当てはまるかもしれませんね。

プロレスの世界戦興行に少年漫画のストーリーを当てはめたというか。

怪獣映画は基本的には怖い

そういや、これ見返して思ったんですけど、子供の頃って、割とガチで怪獣怖かったと思います。

もう随分昔のことだから、その感覚は忘れちゃったけど、ゴジラとかキングコング出てきた時「うわぁ…」って、ホント怖かったと思う。

子供の目って、あの無機質なテレビゲームの世界(最近のはすごいけど)にも非常に豊かな世界を見る、というか自分で勝手に作っちゃうことができるので、ましてや怪獣なんか、あの特撮の向こうに自分で世界を構築しちゃってたんでしょうね。

だから、大人の目とは比較にならないくらい、豊かで深い、世界が広がってたんだと思います。だから、怖い。

そういえば宮崎駿は、最初のゴジラが公開された時に劇場に観に行って、すげえ怖かったそうです。

この映画でも、あらためて大ダコのシーンは怖かったですね。

本物のタコを使ってるから動きはそりゃもう自然。それを大画面に映してるもんだから、キモいw

あと、タコの撮影もすごいけど、音効が素晴らしいですね。

あの、軟体動物特有の「クチャッ」とか「クチュッ」とかいう音や、ヌメヌメした感じの音を被せてくるわけですよ。

あと、呼吸音ですかね。多分口だと思うんですけど、それが開くのが見えるんですね。で、それに合わせて「クパッ!」っていう音が重なるんです。ヒー。キモい。

やはり特撮の八割は音ですよね。以前、庵野秀明の、段ボール倒しただけの絵にそれっぽい音を重ねるだけで、ビルが壊されるように見える、っていう談話を読んだことがあります。

そんな感じでですねー、今見ると娯楽大作って感じなんですけど、子供の頃は「怖いもの見たさ」って感じでしたねー。

 

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「鬼滅の刃」第十四巻ネタバレ有り感想。時透無一郎と炭治郎は似てる?!


鬼滅の刃」全巻感想もようやく半分を越え、今回は第14巻。全部で23巻なので、遂に残り10冊を切りました!

残りあと一桁と思うと、ゴールが少しだけ見えてきたようにも思いますが、まだあと9冊という思いもあります。

あと少しだな、と感じれるのは、やはり残り5冊を切ってからでしょうかね。

というわけでこの第14巻なんですけど、前巻に引き続いて基本的にはバトル巻です。でも、今回はバトルの合間に結構人のドラマが描かれていて、読み応えはあったと思います。

ただ、今回上弦の鬼を一匹やっつけるのですが、鬼のドラマはなかったですね。そこはちょっとだけ物足りなかったかも。でも今回は柱のドラマがありました。

そういや、鬼と柱、双方のドラマが描かれたことはなかったかも。一バトルについて、描きこむドラマは一つ、ということなのかもしれませんね。

そうそうページ割いてられないということかもしれません。テンポが悪くなるというか。

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引き続きバトルにもギャグ要素

前巻の感想で、バトルの中にもちょいちょいギャグを挟むことが目に付くようになった、と書いたのですが、今回はもっと大胆にギャグを取り入れるようになりました。

先ずはやっぱり無一郎と6位の鬼の口喧嘩ですかねw サブタイトルもそのまま「悪口合戦」!

いや、すごいですね。振り切ってきましたね。で、この悪口合戦、さすが時透先生、常に押し気味に進め、最終的に勝ちます。

悪口合戦の勝利、それは相手をブチ切れさせることです。

こういうのって、先に怒った方が負けですからね。相手の最もプライドを持っているものにケチをつけて、見事クリティカルヒットを与えます。さすが、人をムカつかせたら右に出るもののいない時透先生です。

この悪口の応酬もなかなか面白かったと思います。吾峠呼世晴って、やっぱり口喧嘩強いんでしょうか。時透先生の悪口がなんとなく女性っぽさがあって、そう思ってしまいました。

また、マイLOVE甘露寺さんは、鬼に「あばずれ」と言われ、最初はまさか自分に向けられた言葉であると信じられなかったくらい、気分を害しました。

いや、全く無礼千万ですね。甘露寺さんをあばずれ呼ばわりするとは、やはり鬼です。所詮は鬼です。甘露寺さんの可愛さを理解できないとは、むしろ同情します。

でも、鬼にあばずれ呼ばわりされて怒る甘露寺さんも可愛いよな。

ちなみに甘露寺さんには弟がいるそうです。

炭治郎、説教する

ちょっと今回思ったのは、炭治郎、鬼相手に説教するんですよね。その感じがすごく、良いなぁ、と思って。

先ずは、4位の鬼が血鬼術で出した鬼(?)に向かって。他の鬼を無理矢理取り込んで、むちゃくちゃパワーアップして、むちゃくちゃ怖いんですけど、その鬼がむしろ炭治郎たちを悪人呼ばわりするんです。

それに対して、被害者ヅラするな、と説教するんです。炭治郎強ぇな、と。

次に、その鬼の本体が逃げ倒しているんですけど、その本体に向かって、責任から逃げるな、とこれまた説教するんです。

あんまり少年漫画のヒーローが「説教」するの、って見たことないですよね。理不尽なことを言ったりやったりする敵を叩きのめすことはあっても、説教ってあんまり聞かないと思うんですよ。

こういったところも炭治郎の特色というか、個性的なところで。やはり、真っ直ぐで曲がったことが嫌いだから、一言言わなければ気が済まないし、そんなこと言っても鬼は聞く耳持たないと思うんですけど、言わずにはいられないのでしょう。

そういうところも、炭治郎の魅力だと思うのです。

時透無一郎、自分を思い出す

で、今回の14巻の前半では主役級の活躍をするのが時透無一郎です。

前巻の感想で、俺こいつ嫌いだなぁ、とブチかましたワタクシですが、無一郎にものっぴきならぬ事情があったんですね。

実はこの無一郎、元はむしろ優しくて、純粋な男の子でした。それこそ炭治郎みたいに。木こりの子だったらしく、山で炭を作っていた炭治郎と、そういうところでも共通点があると思います。

そんな無一郎が無機質で杓子定規な人格になってしまったのは、鬼との戦いの後、傷ついた後遺症(だと思う。明言はされていませんでした)で記憶喪失になってしまったようです。だから、過去の記憶がないんですね。

そして、記憶を失った後、性格が真逆になってしまったのは、おそらくは双子の兄・有一郎の性格を引き継いてしまったものと思われます。有一郎は無一郎とは違い、非常に冷たい、無機質な性格だったようです。

なぜ、兄貴の性格を引き継いだのか、詳しいことはわかりませんが、やはり兄を慕ってのものだろうと、僕は思います。兄を守り切れなかった悔恨というのもあったかもしれません。

両親もとても明るく、前向きな人たちだったようなのですが、なぜ兄の有一郎だけが無機質な性格になったのかというと、おそらく、両親の死が悔しかったのだと思います。結局、何もできなかった自分が悔しかったのではないだろうかと。

そして、無一郎に対して無駄に厳しかったのは、無一郎を守ろうとしての所業であったそうです。

神様も仏様も結局は守ってくれない、ということを両親の死から学んだのでしょう、そういった信念の元、自分が無一郎を守らなくては、と思い、それゆえ気が張り詰め、余裕がなかった、ということだったようです。

ひょっとしたら、真面目すぎて、優しすぎたのかもしれません。

そして、前巻では天才と謳われた無一郎ですが、実はとんでもない努力の人だったのです。確かに、鬼殺隊に入る前に、一人で鬼を倒してしまうくらいですので、元々天才ではあったのかもしれません。

しかし、刀鍛冶の人が心配になるくらい、日々鍛錬を怠らず、常にギリギリに張り詰めた状態だったようです。

そこまで無一郎を追い込んでいたのは、兄を奪われた鬼に対する怒りでした。鬼に対する復讐で動いているという点でも炭治郎と似ていると思います。

一見真逆に見える二人ですが、意外にも共通点が多く、また、無一郎曰く、炭治郎の目は父親と同じ赤い目だと言います。日の呼吸の使い手であるところも共通していますよね。

無一郎の過去の記憶を呼び起こしたのは、やはり炭治郎だったと思うのですが、それはやはり、無一郎にとって、炭治郎が自分とよく似た男の子だったからでしょう。炭治郎が無一郎の記憶を思い出させるトリガーとなったのは必然だったのかもしれません。

そして、ここでも煉獄さんが良い味出しました。わずか一コマの登場なのですが、柱になったばかりの無一郎を激励し、そのことを無一郎は覚えていたんですね。そして煉獄さんを思い出して涙するくらい、無一郎にとっても思い入れの強い人だったのでしょう。

甘露寺さんはやっぱりナチュラルパワー

前巻の感想で、甘露寺さんはスタン・ハンセンのようだ、と書いたのですが、ホントにフィジカルエリートでした!

もう、生まれながらのパワーファイターで、しかもよく食べる。子供の頃から、お相撲さんよりも食べてたらしいです。

おそらく、フィジカル的には柱でも随一なのではないでしょうか。

見た目は可愛い女の子なのですが、その細腕にはハルク・ホーガンばりの筋肉が内包されているそうです。質の良い筋肉にも程がありますよね。さすが甘露寺さんです。

しかし、それ故に悩みもあるそうです。

嫁の貰い手がない。

まー、大正時代ですからね。これほどのパワーファイターを嫁に貰うのはなかなか難しかったかもしれません。

今ならね、その素養を生かして、むしろ国民的アイドルになれるかもしれないですが(柔道とかプロレスとかTVチャンピオンとか)、生まれてくる時代が早すぎたかもしれません。

でも、柱の中では(多分)アイドル的存在っぽいし、俺は好きです。好き。

そう、そんな感じで鬼殺隊の中では(多分)アイドル的ポジションにいる甘露寺さんですが、彼女にとっても鬼殺隊は大事な場所であるらしいです。

上記の理由で、嫁に行けるよう(この時代では多分嫁に行けるということが女性にとっては最重要事項だったのでしょう)、自分を殺して生きてきたのですが、鬼殺隊に入って初めて、ありのままの自分が認められたのです。

だから、彼女にとっては鬼殺隊とはアイデンティティそのものの場所であると言える思います。

多くの鬼殺隊メンバーにとっては、鬼殺隊とは鬼を退治するための手段だと思うのです。それは炭治郎でさえもそうでしょう。しかし、甘露寺さんにとっては鬼殺隊そのものが、自分の存在理由なのでしょう。

逆に言うと、甘露寺さんほど鬼殺隊を大事に思っているメンバーはいないかもしれません。

そこら辺、甘露寺さんと他のメンバーとでは鬼殺隊に対するスタンスは結構違うように思います。

様々な謎

そして今回、一つの謎が明かされ、新たな謎が出てきました。

解き明かされたのは、玄弥の鬼疑惑。

これは、やはりどうも玄弥は鬼ではないようです。じゃあ、なぜ玄弥は鬼みたいなのか? それは、玄弥は鬼を食うことによって、一時、鬼の力を得ることができるのだそうです。

鬼を喰う。

すごいな! 玄弥!

そんな人間いないだろう、と思ったら、やはりそんな人間はいなく、玄弥は特異体質なのだそうです。

すごいな! 玄弥!

実は鬼殺隊にとって玄弥はものすごい逸材だったりするのです。

そして、新たな謎とは、痣です。

今回の戦いの中で、無一郎の顔に、炭治郎のような痣が浮かび上がってきました。

また、甘露寺さんにも胸のところに(エロい)痣が浮かび上がりました。

そして、甘露寺さんの痣は鬼曰く「鬼の紋様に似てる」のだとか。

鬼との戦いの中で浮かび上がる痣とは一体何なのか?

炭治郎が夢によく見る、あの侍の顔にも痣がありました。

その侍の遺伝子を持つ者の証なのでしょうか?

次巻、明かされるそうですなので、期待大です。

 

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「鬼滅の刃」第十三巻ネタバレ有り感想。バトルの中にもギャグを混ぜてきた?!


鬼滅の刃」全巻感想、今回は第十三巻ですねー。全23巻なので、まだ残り10冊切っていません。長いです。

前回の第十二巻は戦いと戦いの合間の、体を癒す巻、そして更に強くなるための修行の巻だったのですが、今回は一冊丸々バトル巻です。

そして、そのバトルを通じて新キャラ(登場自体は皆随分前に済ませていますが、本格的に描かれたのは前巻から)の人となり、歴史みたいなのも描かれてきました。

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久々、鬼のキモバトル

いやー、キモッ! キモい!

ひっさびさですかねぇ、これだけのキモバトル。バトルがキモいというよりは敵がキモいですね。しかも、上弦の鬼の第5位の方。4位の方はそんなでもなく、むしろちょっとカッコ良くすらあるのですが、第5位がキモい。

鬼滅のバトルはキモいのがデフォなので今更感はあるのですが、そのキモさはスプラッター的なキモさなんですよね。猟奇的というか。

でも、この第5位のキモさは、何て言うんでしょうねー、生物的なキモさというんでしょうかねー。生理的に無理というか、まぁ、正確に言うとそれすらも軽く越えるキモさなんですよね。

「久々」と言うからには以前もあったんですけど、それは第四巻の蜘蛛の回でしたね。あれはキモかった。それ以来ですね、こういうキモさは。

先ず、この第5位の武器、と言っていいんでしょうかね、それがキモい。鯉みたいな魚に手足が生えた化け物を壺から出すのですが、こいつが人を喰ったりするわけです。それがねー、キモい。

そして、人を殺した後、その殺した人たち同士をくっつけて、更には刀まで突き刺すんです。おまけに断末魔の声とかも再現させたりして。

いやー、まぁ、本当に悪趣味で、これは非常に猟奇的ですね。マジでヘドが出るし、あの時透無一郎すらも「クソ野郎」呼ばわりしてしまいます。

ここらへん、何というか、吾峠呼世晴の残酷性が如実に出てるところなのかもしれませんね。

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バトル場面でもギャグ要素

これまでの鬼滅って、ギャグ要素は結構多目だったりしたのですが、それは戦いと戦いの合間のエピソードに限られていたように思います。

でも、今回のバトルでは、ちょいちょい、まぁそんなに数は多くはないのですが、ギャグ要素を挟んできています。

ここら辺、ちょっと作者としての余裕を感じました。なんというか、こなれてきたというか。作品世界を掴んだというか。

血生臭い描写やシリアスな展開が続く中、こうした息抜き的な描写があると、ちょっとホッとしますよね。そこら辺の出し入れが上手いというか。

しかも、それがすごく小さく、手書きのセリフとかなんですよね。そのさりげなさがいいですよね。

また、バトルで言うと、ちょっと炭治郎が怖くなってきました。バトル中、鬼の弱点を見つけた時、笑うんです。

これ、ちょっと怖いですよね。あんなに優しくて純粋な炭治郎が、殺しあってる最中、笑うんです。また、その笑いの絵が、なんか怖いんですよね。

戦いを重ねていく中、炭治郎も「染まってきた」な、っていう風に感じました。

時透無一郎は生まれたて?

で、今回、新キャラの過去が少しずつ語られているのですが、先ずはこの男、時透無一郎。

前巻の感想で、俺こいつ大っ嫌いって書いたばっかなんですけど、彼にもなかなかの過去がありまして。

どうも、記憶がないらしいんですよね。しかも、かなりの大怪我が原因らしくて。その大怪我がどうしてなのかは語られていないのですが。

彼の、なんか紋切り型というか、無機質な思考は、そういうところから来てるのかもしれません。

ひょっとしたら、時透無一郎は意識的には「生まれたて」なのかもしれません。人と相対しても、どういう風に感じていいかわからない、というか。

そんな彼も、早くも炭治郎との出会いに影響を受けたようです。

彼の無機質な優先順位の思考が変わるんですね。それも、炭治郎を思い出して。

鯉の化け物にやられそうになっている小鉄少年を見ても、最初は素通りしようとするんです。優先順位が下、ってんで。でも、その時、炭治郎の顔が頭をよぎるんですね。それで、助けるんです。

また、別のシーンでは、身を呈して毒針から刀鍛冶たちを守ります。

多分、生まれたてなもんだから、影響も受けやすいのかもしれません。

しかも、さっき書いたように、鬼に対して「クソ野郎」と感情を露わにします。

これは、炭治郎との出会いだけではなく、戦いを通して記憶が徐々に戻ってきたからなのかもしれません。

ただ、この巻では鬼に水の中に閉じ込められた(しかも毒針を刺された状態で)ままで終わっています。次巻、どうなるか。

不死川玄弥は鬼?

そして今回過去が語られた新キャラのもう一人、不死川玄弥。

前巻では炭治郎には、大して仲良くもないのに「玄弥」とファーストネームで呼ばれ、苦言を呈していましたね。炭治郎って、割と距離の詰め方がおかしいところがあるかもしれません。

で、この不死川玄弥なんですけど、彼は柱であるお兄さんに対して、後ろめたい気持ちがあったんですねぇ。

状況もわかりもせずに、自分よりももっと辛かったであろう兄貴をなじってしまったんですね。そのことを謝りたい一心で鬼殺隊として頑張っているようで。

彼ら兄弟の母親は鬼になってしまったんです。鬼になったわけだから、間違いなく鬼舞辻が絡んでいるのでしょう。あいつ、どこにでも出てくるな。

それで、この不死川玄弥なんですけど、その名の通り、死にません。どんなに鬼から致命傷を食らっても死なないんです。

なぜなら、不死川玄弥が鬼だから。

そのように言明はされていないのですが、これもう鬼でしょ! 目とか完全に鬼じゃん。

実は鬼殺隊には、禰豆子よりも先に鬼がいたんですねー(禰豆子は正式には鬼殺隊じゃないけど)。

でも、不死川玄弥、鬼ではあるのですが、会話ができます。人を食いたがりません。だから、ちょっと怖いけど会話ができる禰豆子、といった感じです。

甘露寺蜜璃はビッチ?

そして、今回は甘露寺蜜璃が初参戦です。

いや、強い。なんか、鞭のようにしなる刀であのキモい鯉みたいな化け物を一刀の元斬り捨てます。

里の人たち曰く、可愛いから忘れてたけど強い。

なんせ、自分より強い殿方を求めて鬼殺隊に入隊しただけあって、ナチュラルな強さがあるのでしょう。ちょっとスタン・ハンセン的なところがありますね。

ところで、どうでもいいですけど(よくないけど)、甘露寺さんの隊服って一人だけやたらとエロくないですか?

胸めちゃくちゃ開いてるし、そもそも超ミニスカートだし。

誘ってるんですかね? ビッチなんですかね? 好き。

 

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「鬼滅の刃」第十二巻ネタバレ有り感想。第2回パワハラ会議開催されるも、ほのぼのギャグ巻!?


全巻感想、今回は第12巻。全23巻なので、ようやく半分を越えました!

そしてですねー、今巻では一つのマイルストーンに辿り着きました。それは第100話に到達したことです。

100話。

これはなかなかのマイルストーンなのではないでしょうか。100ってやっぱりデカいですよね。それまでとは桁が変わるわけですから。次に桁が変わる時は1000ですからね。話数としてはひょっとしたら一番のマイルストーンかもしれません。

そんな100話に到達した第12巻ですか、戦いと戦いの合間の小休止、といったところでした。
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第2回パワハラ会議

第12巻、先ずは初っ端、鬼舞辻無惨先生のパワハラ会議から始まりますw

いや、いきなりの緊張感w 戦闘とはまた随分様子の違った緊張感となりますが、緊張感は緊張感です。嫌な汗をかきます。

今回は第2回ということなんですが、1回目はいつでしたか、あ、そうそう6巻でしたね(←調べた)。

第1回は下弦の鬼に対してのパワハラ会議だったのですが、今回は上弦の鬼に対しての会議でした。

1回目の時はですね、下弦ということで、あんまり大事にしていないんでしょうか、バッサバッサと殺していってですね、一人を残して全員ブッ殺してしまったというとんでもない拷問会議。拷問というよりは、死刑ですね。

ただ、この生き残った鬼が、あの爆裂大ヒット映画の原作となった「無限列車編」のキーパーソンならぬキーデーモンとなります。

まぁ、とにかく、いくら敵方の会合といっても、そのあまりの無慈悲不条理ぶりに結構話題になっていたみたいですね。

しかし鬼舞辻無惨というのは、本当にわからない鬼ですね。まぁ、そもそも鬼だから、わかれって方が無理ではあるのですが、それにしてもですよ。てめぇで下弦に選んでるんだから、先ずはそれを選抜した上司の責任だと思うんですけどね。

しかも、よくよく考えたら集められた下弦の五人の鬼は特にミスを犯したわけではありません。一人やられたから連帯責任で殺されたようなものです。むちゃくちゃですよ、これ。

まー、何と言うか、鬼の不条理さを表すにはこれ以上はない演出ではありました。

しかし、1回目では猛威を振るった鬼舞辻先生のパワハラも、2回目の今回は相手が上弦ということで、いささか鳴りを潜めます。

やっぱ上弦は贔屓されてんですかね?w

というより、むしろ興味がなさそう…。

それもまたどうかと思うのですが。

今回も招集の理由は上弦が一人倒されたから。なんか、一人いなくなる毎に連帯責任っていうか、呼び出されて怒られて…。そういった意味では非常に日本的ではありますが…。鬼としてもたまったものではないですよね。

しかも、今回の戦闘に関して、鬼舞辻先生は大体のことは把握していた模様。

…見てたんですかね?

だったら、手伝いに来いや、って感じしません?

俺、思ったんですけど…鬼舞辻って、鬼殺隊怖いんですかね?

思えば、鬼舞辻って鬼には滅法強いけど、まだ一度も鬼殺隊には手を挙げておりません。

ここらへん、なんかおかしいですよね? 妙ですよね?

何か秘密があるんでしょうか…。あるような気がしてきました。

要注目ですね。

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様子のおかしい柱

そして今回、上限の鬼との激闘をなんとか制し、傷ついた体を癒し、また刃こぼれしてしまった刀を作ってもらいに刀鍛冶の里へ行きます。そして、そこに柱が二人いました。

先ずは一人目、恋柱・甘露寺蜜璃。

恋柱。

恋柱、って何だァ?

炎とか音ならわかるんですよ。恋って何スか? 恋でどうやって戦うの? すごくない? しかも、鬼殺隊に入った動機が、平たく言えば婚活だという。

……。

すごいですね、甘露寺蜜璃。

また、めちゃめちゃ食いしん坊で、めちゃめちゃ食う。炭治郎の軽く10倍は食ってました。ギャル曽根入ってますね。そう言えば、煉獄さんもめちゃめちゃ食いしん坊でした。

こんな話を聞いたことがあります。プロ野球の世界では「食える」ということが必要だそうです。人よりも練習するためには、そうするための体力が必要だそうです。そして体力をつけるにはエネルギーの補給が肝要です。だから、たくさん食べることができなければ、プロに必要な練習ができないのだそうです。

そう言えば、王さんはその食欲は群を抜いていたそうです。やはり、フィジカルなもので超一流になるためには食欲というのも、一つの才能なのかもしれません。あ、そうそう。川藤幸三の食欲もすごかったらしいですね。

だから、煉獄さんにしろ、甘露寺さんにしろ、食いしん坊で大食いなのは柱になるための必要な能力なのかもしれません。炭治郎もいっぱい食えよ。

ちなみに甘露寺さん、めちゃめちゃ優しくて、めちゃめちゃ可愛いです。好き。

そして、もう一人。霞柱・時透無一郎。

俺、こいつ嫌いだなぁ。何て言うんでしょうね、天然で嫌な奴ですね。それでいて天才。好きになれる要素は皆無です。

天然で嫌な奴、でもダメな奴、だったら好きになってたかもしれません。

天才、で良い人、だったら好きになってたかもしれません。

嫌な奴(しかも天然)+天才。これほど嫌な組み合わせはあるでしょうか? ないですね。

まぁ、ぶっちゃけキャラ的には悪役ですよ。ホント、柱って悪役要素ある奴ばっかですね。

今のところ、話が通じそうなのは、冨岡義勇、胡蝶しのぶ、煉獄杏寿郎、宇髄天元甘露寺蜜璃くらいですかね(段々増えてる気はしますが、気のせいでしょう)。

ギャグ要素多め

それで、今回は戦いと戦いの合間に、炭治郎が成長するための修行の巻、といったところなんですけど、その修行の感じが、なんか、笑えるw

今回、炭治郎は小鉄くんという10歳の少年と修行をし、また一つ開眼するのですが、小鉄くんのスパルタっぷりが、なんかこう、笑えます。

最初小鉄くん登場した時、まだ10歳だし、頼りない子、って感じだったんですけど、いざ修行になると卓越した分析力で炭治郎をしごきます。

そういった意味で、意外にも炭治郎にとって非常な力になるのですが、いかんせん、つーか、めちゃめちゃ口悪いですw

その口の悪さが時透に向けられた時は非常に痛快だったんですけど、炭治郎にも向けられます。

そんでできなければメシを与えないという拷問のごとき無茶なトレーニングをするから、むしろ炭治郎あやうしになります。

なんか、以前もそうだったんですけど、修行の回はちょいちょいギャグ要素を入れてきますね。欲しがってる感満載。

戦闘の時はエグすぎるほどにシリアスですが、反面、修行する時はちょっとゆるめに楽しくって感じです。辛い練習の時こそ、明るく楽しくってことなのかもしれません。

今回はそんな感じで全体的に楽しい巻だったのですが、善逸が全然出てきませんでした。善逸推しとしては、ちょっと寂しい。


 

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「鬼滅の刃」第十一巻ネタバレ有り感想。鬼のドラマは感情のグレーゾーン!!

 

鬼滅の刃」全巻感想、今回は第11巻。遊郭編が遂に決着!ということで、一つのエピソードとしては、今回が現時点での最長エピソードでした。

三巻ブチ抜きの長期エピソードということで、三話を費やしたウルトラマンタロウバードン編を思い出してしまいます。まさかのゾフィの敗北でした…。これが原因で「ゾフィー最弱説」が定着してしまった曰く付きのエピソード。まぁ、それはいいんですけど。

今巻はほとんどのページを戦闘シーンに割いていて、バトル漫画として本格的に覚醒した感があったように思います。ひとつひとつの絵も、それぞれにバトルとしての迫力、勢い、スピード感があって、初期のたどたどしさはすっかり影を潜めた感じです。

また、久々に鬼のドラマが描かれていて、そこも非常に良かったと思います。

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絵、上手くなってない?

今回、非常に迫力のあるバトルが、ほぼ全編に渡って描かれていたのですが、その迫力の要因の一つが絵だと思います。

吾峠呼世晴、絵ェ上手くなってない?

実は、結構前の巻から思い始めていたのですが、絵がかなり上手くなってきたのではないでしょうか。

一巻とかの時は正直、「…下手じゃね?」とか「見にくいなぁ」と思うことが多々あったんですけど、それがこの11巻になると、そう感じることがあんまりなかったと思うんですよね(少しは見にくいと感じるところはあった)。

よく言われることですが、長期連載をすると、最初は下手だった漫画家が瞬く間に上手くなっていくそうです。吾峠呼世晴も例外ではなかったようです。グイグイと上手くなってきています。

やはりバトル漫画はバトルの描写が大事。ということは絵が上手くないとダメ。いくら展開や発想が面白くても、それを表現する技術がないと、その面白さを余すところなく読者に伝えることができません。

バトルは肉体的なものですから、動きを視覚的に表現できるのは小説に比べて漫画の大きな武器であります。しかも現実にはありえないカッコいい描写を、絵なら表現できる。ここは実写映画に比べても漫画(アニメ)の強味であると思います。

だから、バトル漫画描くには絵が下手だとダメなんですね。

それが、吾峠呼世晴はバンバン上手くなっていって、この巻でそれが大きく花開いたように思います。

「もうダメだ」と思わせる

しかも、展開やアイデアも上手い。

読んでいて、「これもアウトだろ」と思うことが多々ありました。というより、その連続でした。やっぱ、上弦の鬼、強い! 上弦の鬼が二人一組のタッグ組んだらダメでしょ。反則だよそれ(こっちは総勢7名だったけど、それは置いときます)。

しかも、やられ方もグロい。炭治郎は下からアゴを貫かれ(ヒー)、天元は左腕を斬り落とされ、左目を潰され、伊之助は心臓を一突き。

これもうアウトでしょ。

しかし、それぞれにウルトラCを駆使して、なんとか這い上がり、最後には上弦の鬼二人の首を斬り落とします。

ついでに、毒攻撃も、禰豆子の血鬼術の炎で飛ばす、というご都合主義的チート能力で無効化します。

でも、解決の仕方や勝ち方なんて、割とどうでもいいんですよね。どうでもいい、っていうと言い過ぎだけど、要は、少々無理があったり、ご都合主義でもいいんです。

要はそこに至るまで、読者に「もうダメだ」と思わせることが大事で。読者に諦めさせる。でも、その状態から主人公が、炭治郎が勝って、そこにカタルシスを感じる。

この「もうダメだ」が非常によく出来ていたと思います。炭治郎がボロッボロになりながらも絶対あきらめない。「炭治郎もあきらめた」と思わせて、それは全く嘘。全然あきらめてなんかいない。

それに、どんなにチートでご都合主義な解決方法でも、それを使って救われて「良かった」と思わせる登場人物の魅力が大事。

鬼滅の刃」は登場人物がみんな魅力的。だから、チートでご都合主義でも無事なら万事OK。天元は引退に追い込まれたけど、生きていたのは、読者的にはせめてもの救いだったように思います。

感情のグレーゾーン

それと、なんと言っても、久々に鬼のドラマが描かれていたのが良かったと思います。ある意味、この「鬼のドラマ」がこの漫画の核のような気がします。

今回の上弦の鬼の兄妹も、鬼になる前の人生がありました。それはもう、本当に悲惨で、それこそ「人に食われて」いたように思います。

そして鬼になって、今度は逆に、文字通り人を喰い倒してきました。

しかし、彼らが鬼になってやったことは、それはもう悪いことです。償う事すらできないでしょう。

じゃあ、彼らが全く悪いだけだったかというと、そう感じることも難しいです。

どう感じていいか、どう話していいか、わからないですね。何かこう、正解がなく、非常にもやもやしたものが残ります。

確か村上春樹が、人の社会にはハッキリとしたものや論理では説明できないものがある、そういった、人の社会からこぼれ落ちたようなものを汲み取るのが小説家の仕事、というようなことを言っていたように思います(ウロ覚え)。

鬼滅の刃」はそんな漫画のように思います。

確かに、ジャンプ漫画特有の「友情、努力、勝利」といった紋切型の勝ち負けは、あるにはあります。でも、炭治郎が勝った後、彼に去来する感情は勝利でしょうか?

多分、感情には黒と白だけじゃない、グレーゾーンとでも言うべきものがあるように思います。

鬼滅の刃」は、そんなものがある漫画かな、と今回の11巻でまた強く思いました。

 

 

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