第一作「ゴジラ」がデジタルリマスターで劇場公開されるということで行ってまいりました。
それまでも何回かビデオで観ていて、その作品の素晴らしさはわかっていたのですが、今回、劇場の大スクリーンで公開ということで、情報を仕入れてからは非常に楽しみにしていました。
やはり怪獣映画は大きな画面の映画館で観るべきですよね。
予告編
迫真性
さて、今回初めて大スクリーンで観たのですが、何と言ってもその迫真性はすごいものがありました。
演技、丁寧な撮影そして編集、炊き出しの多さ、全てが真に迫ってくるものを感じました。
スケールも大きかったですね。なぜ娯楽映画たる怪獣映画にこれだけの迫真性、観る者に訴えかけるものがあったのか?
それはおそらく次のことにあると思います。
実はこの映画は娯楽映画ではないのではないか。
観た人はわかると思いますが、これは反戦映画にして災害警告映画なのだと思います。そしてそのことが、この迫真性に繋がってくるのだと思います。
つまりはこの映画に込められたメッセージ、思いの強さですね、そういったものが役者や撮影などに迫力を持たせたのだと思います。
二人の博士
そしてそのことを最も体現しているのが芹沢博士です。オキシジェンデストロイヤーの開発者ですね。
科学的探究を追及していったがために辿りついてしまった核兵器に匹敵する力を持つオキシジェンデストロイヤー。そしてそのことに対する危機感。
つまりは科学者のエゴと人間の理性との戦いですね。それが芹沢博士を常に悩ませていました。山根博士とは全く対照的です。
山根博士は生物学者としてゴジラを生かし、研究することばかり考えてしまいます。
それは目の前で東京の街が破壊しつくされても変わりません。つまりは目の前の人間よりも科学的探究の方が大事、というわけです。
そこに悩みはありません。人間の理性をなくしてしまっているわけです。
だから、本当に怖いのは怪獣ではなく、科学者のエゴなのかなってふと思ってしまいました。そこに現実の恐怖としてのこの映画の恐怖があるように思います。
しかし、芹沢博士は違います。
悩み、葛藤し、遂には何千万人の命を救うため、ゴジラを倒し、オキシジェンデストロイヤーが悪用されるのを防ぐため、自ら命を落とします。
芹沢博士は科学への警鐘、反戦への思い、人間の理性など、あらゆるテーマが込められた登場人物です。
彼の存在がこの映画を芸術作品として高め、強いメッセージ性、思いを込めた傑作に押し上げているのです。
今日性が増してしまった
また、この映画は公開当時、戦争が終わってから間もない時期の映画であり、非常に今日性のある映画だったと思うのですが、東日本大震災を経てしまった今、遠い時代の話には思えないところがありました。
むしろ、災害、疎開、放射能、科学の暴走、言い伝えの軽視など、この映画のキーワードは再び今日性が増してしまったと言えると思います。
最初に公開された以前の日本、人間社会を諌めると同時に、未来の日本を予見し、警鐘を鳴らした映画と言っても過言ではありません。まぁ、結果として、その警鐘はまったく響かなかったわけですが…。
暗闇の白黒映画
あと、大画面で観たゴジラなのですが、実は暗闇の中、細部まではよくわからない映し方になっています。
そのことがゴジラを謎の存在としており、そのことが恐怖、迫真性を増している一因になっていましたね。
黒い、デカい、ヌメヌメとした物体がジリジリと移動していく様はやはり迫力がありました。
また、時折インサートされる真っ黒い海が不気味でしたね。自然の象徴のようにも思えました。自然はやはりデカくて怖くて得体のしれない不気味なものです。
でも、やはり今回大スクリーンで改めてわかったのはゴジラのデカさ、迫力よりも作り手の思いの深さだったように思います。やはり映画は映画館で観るべきですね。