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僕が買ったもの、観に行った映画・ライヴなど、要は金を払ったものに対して言いたい放題感想を言わせてもらおうというブログです。オチとかはないです。※ネタバレありまくりなので、注意!

「鬼滅の刃」第二巻ネタバレ有り感想。ズバット的展開かと思いきや、いきなりのマイケル登場?!


鬼滅の刃」全巻感想というマラソン企画、全23巻なので、まだまだ道のりは長いです。

今回はその第二弾ということですが、これが! 面白くなってきた!

いや前回の第一巻の時にですね、「売れてなかったら次買ってない」ということを言ったのですが、いやいきなり! 第二巻でドカーンと面白くなってきたのでびっくりしました。ここからが本域といったところでしょうか。

しかも……、俺好みの作風になってきた(主に絵)。

やっぱ、大正時代、いいッスね!

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丁寧な作り

第一巻ではですね、割と雑な作りだな、って正直思ったんです。台詞とかも紋切型だし、特訓のシーンも「もう終わっちゃうの?」ってくらい、ザッと描いていた感じだったし。

でも、二巻に入っていきなり様子が変わった感じですね。

それは二巻収録の最初の話。いきなり炭治郎が最初の難敵というべき巨大な鬼に勝つシーンから始まるんですけど、その鬼の過去、鬼になってしまった瞬間みたいなものを描いていたんですね。

その鬼は、多分飢餓感のあまり自分のお兄さんを喰ってしまったんです。それで、以来ずーっと一人きりで寂しくて不安で孤独だったんですね。何十年と。

それで、お兄さんを喰ってしまった後に、お兄さんのことを、ひいては人であった頃の記憶がなくなってしまうんです。鬼になってしまいましたから。

これは、すごく悲しいことだと思うんですよね。悔恨の思いすらなくなってしまう、というのは、そのお兄さんとの関係性すらもなくなってしまう、ということですからね。

後悔するっていうことは、その人との関係性が保たれてるってことだと思うんです。関係性がなければ、後悔そのものができません。だから、後悔するっていうことは、その人の中では、まだ関係性は切れていないとも言えると思うんです。

でも、それすらなくなってしまった。お兄さんの記憶をなくしてしまって、その最後の関係性すら断ち切られてしまった。これはつまりどういうことかというと、全くのひとりぼっちになってしまうわけなんです。

そして、自分が汚くなってしまった、蔑まれている、そういうことも、実はこの鬼はわかってるんですね。

でも、炭治郎はその鬼の悲しさがわかってしまうんです。彼は嗅覚が超人的に鋭くて、感情すらもわかってしまうんです。ある種のエスパー的なところがあるんだと思います。

そんな炭治郎は、自分が倒した鬼の手を取ってやるんですよね。

それが、その鬼にしてみれば、お兄さんの手のように感じて、何かこう、一つ救われるというか。

もう、いきなりこのシーンから始まるんですよ。これは、結構やられましたねー。グッと来るというか。

こういう、敵のキャラも掘り下げると、物語にグッと深みが増してきますよね。

また、和巳さんという、鬼に自分の、多分恋人、というか許嫁だと思うんですけど、その人を喰われてしまった人が登場するんですけど、この人が炭治郎の手を掴むシーンがあるんです。で、炭治郎の手に触れてみて、いかに炭治郎が厳しい特訓を積んできたか、わかるんですね。

第一巻では、特訓のシーンが割とあっさりだな、って思ったんですけど、こういう何気ないシーンでその凄まじさを表現している。こういう丁寧な描写が主人公の辿ってきた道を、登場人物にわからせているようで、実は読者に感じさせるというか。

とても丁寧な作りになってきたな、と思いました。

キャラ濃厚の登場人物

あと、二巻では新キャラがたくさん登場してくるのですが、みなさん、かなりキャラ濃いですね。

鬼殺隊試験に合格した子で、刀寄越せっつって試験官の女の子(男の子かもしれない)をブン殴る、首輪つけといた方がいいんじゃねぇか、って野郎が出てきます。

それから、日輪刀を打った鋼鐡塚さんは、齢三十七にして子供に相手に駄々をこねる人で、非常に大人げなくて可愛らしいですね。

あと何と言っても、珠世さんと愈史郎の二人。もう御二方とも非常に美しく、御耽美さんなんですけど、特に愈史郎ぼっちゃんが様子がおかしいw

もう、珠世さんにベッタベタに惚れていて、かなりの美少年キャラなのに頭の中はピンク色。この人はなかなか良いキャラですねぇ。

マイケル?

キャラと言えば、いきなり炭治郎の家族の仇である敵が登場したのには焦りました。この展開の早さ! 出し惜しみなしですね。

もちろん、これは「顔見世」ってやつで、まだまだこの仇敵との因縁は続くのでしょうが、物語の序盤も序盤で出すところが、非常にテンポの良さを感じさせます。

で、それはいいのですが、この鬼舞辻無惨(すごい名前だ)、モデルはマイケル・ジャクソンですかね? しかも「Smooth Criminal」のビデオの時(つまりは映画「Moonwalker」の時)の。

なんかすごく似てるんですけど。名前にも「舞」が入ってるし。

マイケルファンの俺としては、ちょっと嬉しい。

ところで、ちょっとマイ…鬼舞辻絡みで気になることがあります。

一巻では「傷口に鬼の血を浴び」ると鬼になり、基本的に「人喰い鬼はそうやって増える」そうだったんですけど、二巻に入ると、このマイ…、鬼舞辻しか鬼を増やすことはできない、ということになっています。

この二巻で、若干の設定変更があったのでしょうか。ちょっと謎です。

異形を連れる主人公

登場人物関係でもう御一方。炭治郎の妹君であらせられる禰豆子です。

第二巻からは遂に本格的に炭治郎を助け、鬼との戦いに参戦するわけですが、この感じがいいですよね。

人間である炭治郎が敵方と同じ鬼を連れている、ってのが矛盾した関係性でありつつ、何とも頼もしい。

この主人公が異形を連れてるってのが、ケレン味がありますよね。ウルトラセブンカプセル怪獣にも通ずるところあるというか。しかも、この異形が血を分けた妹というのもまた、哀しさを背負っている感じで、カタルシスがあります。

また、着物着て、太もも出して戦う姿は、どことなく「ドロロンえん魔くん」の雪子姫を彷彿とさせる感じで、個人的には非常にツボです。

で、この禰豆子を元の人間に戻すヒントは、他ならぬマイ…鬼舞辻なのですが、炭治郎が鬼を倒す時に、「鬼舞辻はどこだ?」って聞くんですけど、この感じがですねー、非常に「快傑ズバット」的で良かったですね。あ、そういう展開かな、と思ったらすぐに鬼舞辻を見つけてびっくりしたんですけど。

でも、復讐のために黒幕を追う、っていう展開はやっぱり似てるかな、と思います。

創意工夫のあるバトル

そしてやはり、二巻に入ってから本格的なバトル漫画になってきた感じですね。

鬼の能力や、それを相手にする炭治郎の戦い方も、一戦一戦それぞれ違っていて、目が離せないですね。特殊な能力に対して、主人公側が持ってる手札をどう使うか。ある種頭脳戦的な要素もあると思います。

なんとなく思い出すのは、やはり「ジョジョ」ですね。ジョジョのスタンド戦なんかも、そういった側面があると思います。

やはり創意工夫のあるバトル物は読んでいて、引き込まれてしまいますね。

ただ、炭治郎。鬼の口を黙らせる時、口を切るのは怖いし、グロすぎる。ジャンプの少年漫画って、たまに残酷すぎる描写が出てきますよね。しかも、主人公がそれをやるのは、ぶっちゃけ、ちょっと疑問ではあります。

大正浪漫は浅草から

そして何と言っても、浅草という都会に行ってからは、一気に大正浪漫味が強くなります。

これこれ! 大正を舞台にした漫画はこうでなくちゃ。

浅草という街の感じがね、やっぱいいですね。去年「いだてん」を見てたんで、それもちょっと思い出してしまいます(「いだてん」は僕の中では圧倒的歴代No.1大河ドラマです)。

特にその大正浪漫で御耽美な感じを強く醸し出しているのは、珠世さんと愈史郎の御二方ですね。珠世さんの「惑血 視覚夢幻の香」の花模様などは、もうホント御耽美。それを背景に佇む御二方は綺麗の一言ですね。

だからまぁ、なんというか、大正御耽美バトル漫画とでも言うべきもので、何と言うか、超俺好み!

 

 

 

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「鬼滅の刃」第一巻ネタバレ有り感想。大ヒットの裏には吾峠呼世晴の心意気があると見た!


鬼滅の刃」をですねー、買ってきましたよ!

ここまで売れるとね、そりゃ気になるってもんで。

アニメも気になるけど、やはりその元となった原作本を読みたい。やはりオリジナルを知りたいですからね。

それで、まぁせっかくだから、この機会に最近流行りの電子書籍の漫画を買うことにしました。

今回僕はebookjapanで買ったんですけど、クーポンとかでかなりお安く手に入れることができました。

そして、せっかくなので、一巻ずつ、全巻感想を言ってしまおうというマラソン企画を立ち上げることにしました。
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絵ェ下手。しかし…!

先ず最初の印象は、絵ぇ下手だな、ってことでした(笑) まぁ、長期連載の一巻あるあるっちゃあそうなんですが、それにしても下手だな、と……。

ただ、ですね、その下手さ加減が悪くなくてですね、なんとなく、その作風が伝説的雑誌「ガロ」にでも連載していそうな、いわゆるガロ系ってやつですか、そういうのを彷彿とさせる感じで、悪くないですね。

それから、ところどころの描写が可愛い! 例えば、太陽の光が怖くてカゴの中に困った表情で隠れている禰豆子とか。

こういう演出って、最近の漫画ではあまりない印象。80年代の漫画とかには割と頻繁に出てきた表現だけど、こういう感じ、すごく好きです。

どうしても、殺伐とした内容ですからね、こういうのがあると、何かこう、読んでいて救いになるというか。

色々とあっさり

ただ、話としては色々あっさり、かなぁ、と……。

例えば、修行のシーンでも、割とあっさり師匠の難題をクリアしちゃう印象。もちろん、傷らだけになって帰ってきたりするんだけど、なんというか、時間が早いというか。

読んでて、この苦難がもう少し続くのかな、って思ったら、「あれ、もう?」っていう感じ。

テンポの早さを狙っているのでしょうか。個人的にはもう少し溜めて欲しいかも。

あと、セリフの感じがですね、紋切り型な印象は否めないですね。心で思ってることを全部セリフにしてしまっているというか。全部説明しちゃってる感じ。

ここもちょっと、余白というか、読者に想像させて欲しい気もします。

気になる点

あと、ちょっと引っかかったのは、第一話で鬼殺隊の人である冨岡義勇という人がですね、結構な強さの強要というか、弱者の権利も何も全否定するんですよ。

ここ読んだ時、ちょっと、うーん……、となってしまいまして。

これは、その後師匠ともなる鱗滝左近次という人も割とそんな感じなんですね。

まぁ、確かにその通りだし、そういう状況でもある。しかし、そう正面切って言われると反発もしたくなる。まぁ、ここら辺も紋切り型な印象を受けたところなのですが……。

世の中、弱い人ってのは絶対いますからね。それは色んな状況でそうなってしまって、そこから抜け出せない人も絶対的にいるし、い続けるんです。

そして、弱い人の方が、圧倒的に多い。

弱い奴には権利なし、っていうのは強者の理論なんですよね。

そりゃ、強いお前はそう言って気持ち良いんだろうけど、言われたこっちはたまったもんじゃねぇよ、と。

何か、ファッショなものも感じるし、資本主義的なものも感じるし、体育教師的なものも感じるし、校内カーストみたいなものも感じてしまいますね(笑)

あともう一つありましてですねー、鬼殺隊への入隊希望の面々がみんな子供なんですね。

ここもちょっと、引っかかってしまいまして。

何でそんなに子供を戦場へ行かせたがるのか、って感じですねー。

ジャンプ連載だからだよ!と言われればそれまでですが(笑)

なんか、日本人って、子供を戦場に向かわせるの好きですよね。そういう伝統って、なんかあるような気がする。

子供を大事にする一方、子供を「消耗品」と捉えているようなところが、どこかあるような気がするんですよね。

ハッとするシーンも

そうは言っても、色々とハッとするようなシーンもありまして。

炭治郎が岩を叩っ斬るシーンなんかは特にそうですね。

先ず、錆兎にようやく勝てた時の錆兎の、あの表情!

まだまだ一巻だから、さっきも言ったように絵は下手だと思います。でも、この表情はすごい! 泣きそうな、嬉しそうな、安心したような、というその笑顔の感じがですねー、ホントにそんな感じなんですよ。

ここねー、ここは、さっきと言うこと違いますが、全然説明していない、読者に感じさせるところですよねー。

錆兎も鱗滝さんと同じく、本心は岩を斬って欲しくなかったと思うんですよね。岩を斬ってしまえば、その先にあるものがわかるからです。

でも、岩斬りは炭治郎の念願でもある。そして、そんな炭治郎に期待する、ある種すがるような思いすらあったかもしれない。

そんな、なんとも言葉では表現できない感情を、あの「笑顔」で表現してるんですよね。

この表情の表現はすごかったですね。

そして、岩を叩き斬った時の演出ね。ここもすごい! ハッ!としましたもん。錆兎に勝った、と思ったら、それは岩だったという。

そういえば、この岩には注連縄がありましたもんね。最初、これ斬っちゃっていいのか? と思ったら、そういうことだったんですね。

売れる理由は作者の心意気!

そんな感じでですね、色々思うところもありつつも、さすがと思わせるところもあったんですけど、まだまだ一巻ということで、物語は序盤も序盤、といった雰囲気。

ただ、例えば「ワンピース」みたいに第一巻か捕まれて根こそぎ持っていかれて大ファンになっちゃう、っていう強さはないですね。多分、ここまで売れてなかったら、正直次巻買うかどうか迷いますもん。……買わないかな。

この一巻の段階で、後の大ヒットを予想した人はいなかったんじゃないかな?

しかし、ですね、この大ヒットには僕は理由があると思います。それは、作者である吾峠呼世晴の心意気です。

第一巻には「感謝の言葉」として自筆で綴られたメッセージが掲載されているのですが、漫画は生きていくために必要なものではない、と言い切ってるんですね。漫画は不要なものだ、ということがわかってるんですね。

漫画だけではありません。映画も、音楽も、絵画も、みんな生きていく上ではいらないものばかりです。

そこをわかってるのとわかってないのとでは全然違うと思います。

不要なものだけど、でも書く。書かずにはいられない、というか。

そして、買ってくれた人への感謝を忘れない。

その心意気が、大ヒットに繋がったのではないかと、僕は思います。

人が食われる話は高確率で売れる

この漫画のことはよく知らないで買ったのですが、基本的な世界観としては、人を食う鬼がいるんですね。まぁ、人が食われるということです。

最近、ここ十年くらいかな?人が食われる漫画が高確率で売れる気がするんです。

進撃の巨人」「東京喰種」そして「鬼滅の刃」。

三つともメディア展開もして、それぞれメガヒットしてる。

人が食われる、ということが何か日本社会の病理を反映しているようにも感じます。

上級国民問題、全人口のわずか1%の富裕層、広がり続ける格差、世界的な右傾化などなど、思えば人が人を食っているとも言える社会が年々広がっていると思います。

読者はそのことに敏感に反応しているのかもしれない。

 

 

 

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「PSYCHO-PASS Sinners of the System Case.1 罪と罰」ネタバレ有り感想。俺は宜野座大好き、霜月大嫌い!

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霜月が主役ということで、観ようかどうしようか悩んだのですが(霜月が大嫌いなため)、やはりPsycho-Passということで観に行くことにしたのが「PSYCHO-PASS サイコパス Sinners of the System Case.1 罪と罰」です。

観てみたら、めちゃくちゃ面白かった! さすがはPsycho-Passですね。

脚本、作画、演出など、作品自体の質も非常に高かったし、モノレールが走る更生施設の描写など、近未来的な映像は今回もカッコ良かったです。

未来の日本の縮図

今までのPsycho-Passは「現代日本の縮図」っていう側面が強かったと思うんです。でも、今回はそればかりか、将来の日本の姿にまで踏み込んでいたと思います。相変わらずの攻めの姿勢を見せつけてくれましたねぇ。

この作品世界のおそらくは百年前、つまり現在の日本ですね、そこで行われた(行われる?)ずさんに投棄された核廃棄物の運搬、そしておそらく再利用(そこまでは描かれていなかった)という題材は、なんというか、日本の危険な未来予想図って感じがします。

また、核廃棄物運搬の隠れ蓑としての犯罪者の更生施設の管理は集団心理によって行われているんですね。その管理の仕方は、なんとなく現代日本国民の心理にも通じるような気がします。なんとなく、戦前の隣組とか、江戸時代の五人組とか、脈々と続く日本の管理制度というか。それは間違いなく現代にも残ってますもんね。

でまた、そこの施設がですねー、どことなく宗教的な雰囲気を醸し出していたのも印象的でしたねぇ。

宜野座かっけぇ!

やはりこの作品の見所は、何と言っても宜野座でしょう! 宜野座は一作ごとに成長してて、どんどん柾岡のとっつぁんに似てくるのが良いです。シリーズが進む毎に好きになってく!

今回、敵のすんげぇ強ぇ奴にボッコボコにされてしまうのですが(でも勝つ)、今後どんどん強く、たくましく、頼りあるキャラになっていくのでしょう。なんせとっつぁんの実の息子ですからね。そうなってもらわなくては困るし、そうなる資質もあるはずです。

また、明らかに狡噛のことを「親友」「正確に言うと腐れ縁」と、懐かしそうに語る場面も良かった。何かこう、「成長」とか、「吹っ切れた」とか、そんな印象を受けます。

そして! 自分を称して「年寄くさいかな」と言ってみたり、子供に「おじさん」と言われても普通に受け入れていたところが、なんか、ホントに成長したなぁ、と思わせます。昔は万年生理って言われてたのになぁオイ!

それと同時に、物語中の時間も随分経過しているのだなぁ、としみじみ思ってしまいます。

霜月いらねぇ!

霜月はですねぇ、それまでは「シビュラシステムの奴隷」だとばかり思っていたのですが、今回シビュラに対して非常に懐疑的であることがわかったり、人を捨て駒として使うことに怒りを覚えていたりと、若干のキャラ変はあった感じですかねぇ。

やはり曲がりなりにも、今回主役的な立ち位置ですからね(今作の本当の主役は宜野座だと個人的には思ってる)。まぁ、そうした主役属性も入れておかないと格好つかないですからね。まぁ、そういった意味では霜月には身に余る光栄を噛みしめて欲しいですね。

とはいえ、です。しょせんは霜月。

潜在犯は殺しても問題ない、と冒頭で語っているあたり、その精神性の根っこのところでは今回の「敵」と実は何ら変わりないのです。

また、簡単に「正義の味方」などと口走る人間は到底信用できん。

「正義」とは不寛容の象徴であり、そいつが振りかざす「正義」以外はどう扱っても良い、という思想に直結するし、「悪」の方から見れば自分たちの方が「正義」となってしまいます。

そんな、底の浅い「正義」感を振りかざし、自己陶酔的な俺様感も相変わらず。結局、しょせんは霜月、です。

今回の映画でも、霜月を無理矢理活躍させたり、あまつさえ特に痛い目に遭うこともなく、なぜスタッフがこのキャラをここまで大事に丁重に扱うのかは全くの謎ですね。それがこの作品一番のミステリーかも。

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「墨攻」(酒見賢一)ネタバレ有り読書感想。ハリウッド的王道エンタメだが考えさせられもする!


酒見賢一は「後宮小説」「周公旦」、そして「墨攻」と三作読んだのですが、どれもめちゃくちゃ面白いです。今のところ酒見賢一にハズレなし!

そして今回ご紹介するのが「墨攻」なんですけど、これまた歴史上の出来事なのかフィクションなのか、曖昧模糊としております。それ故、何かこう、真に迫って来るような、リアルに感じることができます。

しかし、解説を読んだら、どうやらほとんどが作者によるフィクションだったようなんです。酒見賢一の特徴として、時折史実や歴史学の研究みたいなのを巧みに挿入してくるので、虚実がわかりにくいんですよね。そしてその混ぜ方がうまい!

だから、この物語の主人公・革離も実在の人物かと思っていました。多分、この話にある城攻めも架空の出来事なのでしょう。いや見事だったです。

ちなみにこの作品、漫画化もされ、映画化もされ、更には中島敦記念賞も受賞しています。更にちなみに、ジャケ写は近藤勝也。この方は「後宮小説」のアニメ版「雲のように風のように」でもキャラデザを担当。

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ハリウッド的王道なエンタメ展開

まー、とにかく面白かったですね。全体としてはハリウッド的な王道エンタメ展開という感じです。

幾つも乗り越えなくてはいけない壁が立ち塞がり、その度毎に乗り越えていくのですが、それが徐々に高くなっていくんですね。次はどうなる?次はどうなる?って。

そして何と言っても、主人公の革離がカッコいいんですよね。

梁という小国が趙という大国の軍勢に攻められるということで、先頭集団でもある墨子教団に助けを求めるんです。

でも派遣されたのは革離たった一人。いわば、たった一人で素人集団の邑人を束ねてプロの軍隊に対抗しなくてはならない。どうすんの?!という感じです。こりゃもうダメだぁ、いや一人で対抗できるくらい墨子教団ってのはすごいのか?! もう冒頭から掴まれまくりです。

まぁ、通常墨子教団といっても複数人で応援に来るのですが、革離一人で来たのは教団内でいざこざがあったからなんですね。売り言葉に買い言葉というか。そこの展開もまた、非常に男気に溢れています。自分の信念を曲げないというか。

そして、この革離が八面六臂の大活躍をする、というのがこの物語の肝なのではないか、と思います。

その当時最新の兵器を教えて邑人に作らせ、非常なカリスマ性を発揮して、邑を統率し、そしてほとんど寝ずに誰よりも働きます。自分の国じゃないのに、です。これがいわゆる「兼愛」という精神なのでしょう。

そしてまた、酒見賢一の戦闘描写が非常に上手い。細かいながらも勢いのある描写で、ジリジリと手に汗握る感じというか。また、基本的にはフィジカルな戦いなんですけど、兵器がその当時の最先端のテクノロジーなのが面白い。

こうして戦闘のプロ中のプロである革離の周到な準備によって、邑人という素人が、趙という巨大な軍事力を誇る敵を相手に圧倒するという。その、小が大を倒す感じが非常に小気味良いです。

弱小野球部が甲子園常連校に頭を使って勝つ、というような感じに似てると思います。

墨子教団の矛盾?

墨子は「兼愛」という思想を唱えていたらしいのですが、平たく言えば博愛主義だと思います。

解説に書いてあったのですが、家族愛を基本とする儒教に対しての思想なのだそうで、家族を重視すると特権が生まれることになり(世襲制とかそうだと思います)、差別的な傾向が出てしまう。そうではなくて、家族という小さな単位を越えて、広く人々を愛する、ということらしいんです。

しかし、そういう博愛とは逆に思える面が墨子教団にはあって、それは戦闘集団ということです。これがまたかなり苛烈で、理論的にも技術的にもその当時最先端の戦闘能力を持っていたそうです。

ただこれは、戦国時代にあって兼愛を貫くには攻められることに対して守ることをしないと生き残れないから、ということらしいです。言ってみれば専守防衛ですね。

大国にやられそうな小国があり、そこから応援の要請があると、身を粉にして戦ったそうです。これもいわば兼愛、博愛の精神でしょう。困っている人がいたら、助ける。広く人々を愛するからこその行動でしょう。

しかし、この小説において、この戦闘、まぁ防衛なんですけど、これがさっきも言ったように苛烈なんですね。

墨子教団から派遣された軍師(この場合革離)をトップとする上意下達の命令系統は強烈に徹底され、大のためには小を捨て、異常なまでに禁欲的。

言ってみれば、統率する際の組織の作り方が非常に全体主義的なんですね。そうでもしないと守りきれないと言われれば、そうなのかもしれないんですけど、それが徹底されすぎてるようにも見えるんです。

この小説では、確かに、大国である趙の軍勢を幾度となく破ります。それはその徹底された組織力の為せる技だったと思います。

しかし、組織を重視するあまり、情の要素が欠けすぎていたようにも感じました。あまりにも杓子定規にすぎるというか。

革離が救うはずの小国の王子・梁適、その小国を滅ぼそうとする趙軍の大将・巷淹中、敵味方双方が墨子教団に対して何とも言えない不気味さを感じるのですが、それはこの点なのかもしれません。

博愛と言いながら、愛とは真逆のことをする。信賞必罰は大事なのかもしれませんが、禁を犯した者は平気で処刑する。解放された捕虜が帰って来れば処刑する。

博愛を突き詰めていくと、それは全体主義になってしまうというパラドックスがあるような気がします。よく考えれば、全員を平等に愛するということは全員を均一化するということで、それは全体主義と繋がるようにも思うんですよね。

兼愛と戦闘。一見、真逆とも思える墨子教団のこの二つは、実は根っこでは繋がっているのかもしれないのかな、とちょっと思ってしまいます。

梁適、巷淹中の感じた嫌悪感は、おそらくこの全体主義的な傾向だったのではないかと思います。そういった意味では、この二人は反全体主義的な感覚を持った人たちと考えることもでき、逆にものすごく広い意味で人類的な博愛の感覚を持っていたのかもしれないのかな、と。というより、情の部分が厚い二人だったのかもしれません。情って、そういう全体主義とは真逆のものだと思いますからね。

その一方で、梁城を守り、邑が生き残ることを一番考え、そして一番働いていたのは革離であったと思います。邑人に対する気配りにも骨を折っていました。邑があと少しで存続できそうなところまできたのは、紛れもなく革離のおかげです。

そして、革離は墨子教団の祖である墨擢の唱えた兼愛ということを強く信奉しているように思えます。自分のことは顧みず、人のためになることをする。彼を動かしていた根本はそういうことのように思えます。彼が示したのは、博愛の精神そのものと言えるのかもしれません。

とはいえ、全体を優先すれば、個は消される。さりとて、個を重んじれば、滅んでしまう。

そう言うと、非常時の場合は全体を優先すべき、と返される雰囲気が今は世界のどこにでもあるように感じられます。

この物語では、最後、革離は梁適に殺されてしまいます。理由としては、恋人(愛人と表記されていましたが、多分こういうことで合ってると思います)を処刑されたことへの恨みでした。

そして、革離を失った梁城は、趙軍に手もなく滅ぼされてしまいます。

全体のためと考え、情の部分をないがしろにした結果、負けてしまいます。

おそらく、この梁適は作者である酒見賢一による、墨子教団の戦い方へのアンチテーゼだったように思えてなりません。疑問というか。

梁適は、最初から革離に対して不快感を露わにし、革離に対して、元々の墨子の兼愛という精神からは革離の戦闘方法はかなり乖離しているようだ、と指摘もしました。

問われた革離の方でもそれには気づいていたようで、反論はしませんでした。というより、できなかったんですね。それは、革離の根本にあるのは兼愛の精神だったからだと思います。

そういった矛盾点を抱えながら、杓子定規的に全体主義的な墨子教団の戦い方を推し進めていった革離は、最後は梁適に殺されてしまいます。

何を優先すれば良いのか、実はものすごく難しい問題なのかもしれません。

負けを描いた方が面白い

この話、面白いのは、梁城、趙軍の双方が負けるんですよね。

趙軍は幾度なく、分厚い梁城の守りに跳ね返され、多大な損害を被ります。

一方、梁城の方は、梁適の?個人的な恨みによって革離を殺され、柱を失い、最終的には負けてしまいます。

やはり、勝ちよりも負けを描いた方が面白いと思うんです。

負けの方こそ、見えることも多いと思うし、勝ちよりも負けから学ぶことの方が多いと思います。実際、偉大な発見とかも、失敗から学んだ結果のものも多いように思います。

それに、敗者の方が、より濃いドラマがあるようにも思うんです。そこには悩みや葛藤や悔恨があるから。より人間臭さが出ると思うんですよね。それに、大抵の人はそうだと思うけど、人生、勝つよりも負ける方が多いじゃないですか。あのイチローだって負けの方が多い、って言ってましたからね。

二つのあとがき

僕が買ったのは文春文庫版の本なんですけど、元々は新潮文庫でも発売されていたそうです。それで二つのあとがきがあるんですね。

新潮文庫版は酒見賢一が、多分、まだ若かった頃の文章で、なかなかトンガっていて、硬い感じがしました(^^;;

いきなり、最近の小説はつまらない、とか、小説の未来が危うい、などと喧嘩を売ってくるんです。で、その後は「想像を絶する話」はありえない、ということについて延々と語っています。いやー、なんか、若さ爆発、って感じですね。

一方、文春文庫版のあとがきは、もう結構年を取ってからの文章なのでしょうか、かなりC調な、面白い感じの語り口になっています。

随分前に、墨子事件という事件が日本で起こったそうなんですけど、その際警察に意見を求められた時の話を語ってるんですけど、これがなかなか面白い。

これで自分も作家探偵だ、とが言って、その当時テンションが上がっている感じを書いてるんですね。その感じがなんか良くてですね、やはり人間歳を取ると、角が取れるというか、むしろ面白いものを求めたくなる、という傾向はあるのかもしれないですね。逆に若い頃は深刻ぶってトンガリたくなるというか。

その二つがこうして並んでるのがなんか、可愛らしいというか、面白いというか、面白いんですけど。この二つのあとがきを並べてくれたのは、なかなかの文春文庫のGBだと思います。

あとですね、酒見賢一があとがきで語ったところによると、詩の方が小説よりも言葉の力が強い、らしいんですね。いとうせいこうアジカンゴッチなど、そういうことを言う人は多いんですけど、個人的にはそう感じたことはないですねー。

むしろ、詩だけでは足りない、とすら思います。そこには音楽の要素が必要なのではないか、と思うんです。

 

 

 

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「夜は短し歩けよ乙女」ネタバレ有り読書感想。幻想的だけど、極めてリアルな恋愛小説!

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その当時、「夜は短し歩けよ乙女」が映画化されるということで、急っそいで読んだのがこの小説です。

元々、気になっていて、読みたいとは思っていたのですが、ずっと後回しにしてしまっていて、ようやく重い腰を上げたという形になってしまいました。

やはり、代表作ってもう定番化してて、その意味で、なんというか安心感のようなものもあって、「また今度でいっか」となってしまいがちです。

で、ようやく読んだのですが、もう、期待通りですね。やっぱり面白い!

ちなみに、この話は全四章で、春夏秋冬の季節ごとの物語となっています。映画ではそれを一夜の出来事として描かれていましたが、こちらはじっくりとその季節を描いています。

男女双方の一人称

恋に悩む男の一人称だけでなく、その対象の女性の方からのモノローグもあるという点で、画期的だと思います。方や女性の方はどうなのか、そこに攻め込んで行ったのだから、やはり森見登美彦はすごい。

また、乙女パートがある程度続くと、時折我慢しきれなかったように先輩の独白が割り込んでくるのが面白い。

やはり、乙女の一人称より先輩の一人称の方が「ノリ」があるように思います。それはおそらく、作者が男だからだと思うんですよね。

これは僕の偏見かもしれないし、僕がこれまで読んだり観たりしたものにそういう傾向があるだけなのかもしれないですが、男は男を書くのが得意で、女の一人称や台詞を書くのが苦手なことが多いように思います。

それに対して、女は男を書くのが得意な気がします。たとえば、僕の大好きなアニメに「カウボーイ・ビバップ」というのがあるんですけど、シッブーい、カッコいい台詞が多数出てくるんですね。で、その台詞を書いたのは脚本家である信本敬子です。女性です。

もっとも、「理想の女」を描くのは男の方が上手いと思います(それでも、台詞や一人称は下手だと思います)。多分、女は女である故に、男が知りたくない、見たくないところを、当り前のように赤裸々に書いてしまうところがあるように思います。だから、やや女性の汚いところも描いてしまう。

ところが男は女に夢を見ちゃってるから「そんないい女いねーよ」という女が書ける。というより、そんな女しか書けない。

しかし劇作においては、後者の方が「魅力的」ではあると思います。少なくとも男から見て。前者も、ある意味では魅力的ではあるとは思いますが…。

逆に、女は男の汚いところを踏まえた上で(女性は現実主義者ですからね)、理想の男を描くので、「こんな男いねーよ」というのは、少女漫画や腐女子相手の商品以外ではあまり見かけないと思うのです。

第一章は、主に乙女の側からの目線の話でしたね。

冒頭、いきなり「おともだちパンチ」なる人の殴り方から始まるという物騒なスタート。乙女が姉から教えてもらったというのですが、確かその握りはボクサーの握りだったような…w

ちなみに、この黒髪の乙女は可愛らしいけど、かなり変わった子で、とにかく酒が大好きという、おっさんのような特性を持っています。

思うんですけど、可愛い女の子って妙な癖を持つ子が多い気がするんですけど、どうでしょう? 僕の友達でも可愛い子ほど一癖ある子が多いんですよね。それは一体何なんでしょうね?w

えー、それでですね、僕が第一章で特に気に入ったのが、とにかく、李白翁の電車の描写がすごいんです。

夢のような電車で、趣味が良いんだか悪いんだか、多分この李白翁は俗物なのでしょう(^^;;、とにかく豪華絢爛なのです。ケレン味を全て叩き込んだような電車。

先ず、営団電鉄を三階建にしたような基本構造で、屋上には竹林と古池があります。中に入ると銭湯があります(←え)。もう、旅館ですねw 移動式の三階建て旅館。それが深夜の先斗町をトラック野郎の如くビカビカと光りながら走るのですから、ロマンの塊というものです。

また、偽電気ブランの描写も良かったですねぇ。究極の酒は水のようだ、というのが逆説めいていて、どこか納得がいく感じ。ちなみに僕は電気ブランが大好きです。

物語としては、複雑な人間関係が一つにの糸で繋がっているかのようで、複雑さを単純さに絡め取ってるというか。入り乱れた人間関係が徐々に一つの糸に結ばれていく。ここらへんの、複雑に見える人間関係を単純化させる手法は森見登美彦は抜群に上手いですね。というより、単純な人間関係を、最初は複雑に見せる、と言うべきでしょうか。

また、荒唐無稽な大団円、という力技も妙なカタルシスがありました。深夜の先斗町という怪しげな通りでお祭りのように飲み歩く、という、ある夜に現れた、ある種大人理想郷、といったところでしょうか。

この話では古本の神様が出てきます。森見登美彦の作品にはひゅっと神様らしき人物が紛れ込むことがあります。日本古来の多神教を持ってくるあたり、何か、作品としてその土地に根付いている感が醸し出される気がします。

この章でも描写がホントに美しく、京都の古本市が、何か別世界のように怪しく美しく描かれています。

古本市の印象が、男の方では何回も訪れているからででしょうか、割と否定的なのんですけど、その中に愛があるんですね。

一方、乙女の方は初めてということで、ワクワクが止まらない感じ。この、男は否定、女は肯定という、同じものでも見方が真逆なのも、読んでて面白いです。こういうところ、男女の「癖」のようなものをよく観察しているあたり、森見登美彦はよく見てるなぁ、と思います。

で、この章の中に、本は一つに繋がっている、と少年が説明するくだりがあるのですが、そこがまたすごかった。森見登美彦の「本の虫」さ加減、博覧強記さ加減がわかるシーンでした。挙げていった本が結構バラバラに思える(中には繋がってるな、とわかったのもあったけど)のですが、それが見事に一つの線となって繋がるのです。ここは非常に知的なスリリングさがあって、読み応えありました。

李白氏の古本争奪戦もこの章のハイライトの一つですが、ここの描写は、映画では割とポップに描かれていたと思うんですけど、改めて本を読んでみたら、本当はもっと怪しい、地獄絵図を意図して描写したかったのではないか、と思いました。吹き出る汗の描写や火鍋も含めて、全体的に赤い描写が凄惨さを表しているように感じます。

この章は先輩と乙女のパートが半々といったところなのですが、やはり、森見登美彦は男のパートは上手いけど、女のパートはあんまり上手くないという印象ですね。

もちろん、森見登美彦ですから、下手ではないんですけど、どこか童貞の理想とする女の子、といった感じ。あまりに理想的で清らかすぎるというか。それこそ乙女の言う「美しく調和のある人生」を地で行くような、そんな実在しない女の子という感じなんです。

だから書くのだ、と言われればそれまでですが…。でも何か、こう、作り物めいているんですね。先輩の生々しさと違いすぎるんです。有り体に言えば、乙女パートはちょっと退屈だったりします。

でも、先輩の目論見通り、乙女と同じ本を取ろうとするシーンを乙女の側から描く、という演出は上手かったですね。

男側からの視点では、傲岸不遜な中二病のめんどくさく滑稽な大学生でしかない先輩が、逆の側、つまり乙女の側から見ると、どこかミステリアスで気の良い先輩、といった風で、「あ、こんな風に見えてるのか」と新鮮な感じに映り、先輩のもう一つの魅力が伝わります。どこか、朴訥としたところすらある。

とすると、内面のモノローグは実は全て照れ隠しの虚飾なのかもしれない。そう思うと、ますます主人公の男が魅力的に見えてきます。

大学祭の話です。いよいよ、乙女の方も様子がおかしくなってきましたw 三章目にして、作者もこのキャラを掴んだか、という印象。乙女パートも読んでて面白くなってきました。

それにしても、大学祭の雰囲気の描写が素晴らしい。大学祭の雰囲気を、細かく、楽しく、小馬鹿にしたように描写していきます。こういうところが、ややもするとラノベ的な要素が多分にある森見登美彦の作品を「文学」たらしめているのではないでしょうか。

また、韋駄天ゴタツ、ゲリラ演劇などの突拍子もなく、独創性に満ちた、フザけたアイデアは眼を見張るものがあります。なぜこんなことを考えつくのか。もちろん、例によって樋口氏が一枚噛んでいるところも秀逸。

乙女のパートを先輩が引き継ぎ、またその逆もある。二つのパートが、クロストークをするかの如く繋がっていくのもナイスアイデアだと思います。男女双方からの一人称がいよいよ冴えを見せてきた感じです。

先輩と文化祭実行委員長がそれぞれに探している人は見つからず、探していない人が見つけてしまう、というすれ違いも面白い。特に乙女の方で先輩のことを見かけているのが悲しくて笑えます。この時点では乙女の方では全然先輩に興味がないことがわかる感じですね。

この章でも、同じものを見ても、男の方は否定的に見下したように見て、乙女の方は肯定的に感動して見てる、という男女の違いが如実に表現しています。男という生物と女という生物をよくわかっている。

そして、最後は先輩がゲリラ演劇「偏屈王」に飛び入り参加し、先輩と乙女が主役を演じてハッピーエンド、という意外な王道で幕。学園全体を巻き込んでのクライマックスへの大捕物は、森見登美彦のもう一つの真骨頂とでも言うべきところだと思います。盛り上げ方も非常に上手い。まさにエンタメ。

しかし、森見登美彦らしくないと言えばそうなるかもしれません。スッキリとまとまりすぎてる感があるんですよね。学祭事務局局長(女装が超美人)がパンツ総番長の恋の相手の正体かと思ったのですが、普通に象の尻の紀子さんがその相手で、こちらも普通にハッピーエンド。それほどの捻りはなかったかもしれないけど、そこまで意地悪でもなかったということかもしれません。

風邪の話。タチの悪い風邪が流行ってしまい、学内、ひいては京都全域に広がっていく様子が、淡々とした筆致で、非常に怖く描かれていきます。

そんな中、 黒髪の乙女だけ無事なのですが、風邪の方が避けるという乙女は、やはり選ばれた人なのか、ただのバカなのか、なんとなく両方のような気がします。

最後はまさに夢か現かをそのままの展開にした感じ。やはり、根底にあるのは幻想小説だと思います。ここらへんはさすが日本ファンタジーノベル大賞出身、といった感じ。

先輩と黒髪の乙女が京都上空数百メートルで再会し、先輩が乙女を助ける、というドラマティックな展開だったのですが、二人が発したセリフはというと、これが素っ気ない。それが素晴らしい。このアンチクライマックスというか。素っ気ないが故に、何か伝わってくる。

やはり、恋愛を描く時、仰々しく描くよりは、こうしてさりげなく描いた方が、ずっといいような気がします。

しかし、乙女にご執心の先輩と比べて、乙女の方は作品を通して、先輩は全く眼中にないのが、女の本質を捉えているように思えます。

やはり女性は恋愛、というか基本男には興味ないんでしょうね(言っちまった)。

そのくせ、樋口先輩や、東堂など、乙女は結構男と出歩いています。この、圧倒的な一方通行さ加減が、極めてリアルな恋愛だと思います。

ただ、なぜ乙女が先輩の恋愛を受け入れたのか、それが今一つわからないんですよねぇ。最後は先輩に助けられて、というのはわかります。ただ、その前段階、学園祭の劇で抱きすくめられたあたりから、風向きが完全に変わった感じです。

先輩の何回も偶然に出会う、という外堀を埋める作戦が功を奏したと考えるのが妥当でしょうか。また、スキンシップという要素も大きいかもしれません。何回も同じ人に会っていると、その人に好意を抱きやすい、ということはあるようですし。ベタですが、スキンシップというのも親密性を高めるのに役立つという話を聞いたことがあります。これは野球部とかでも、部活の先生が生徒と接する時、誉める時とか、使うと効果が大きいらしいです。

そんな感じで、地味ながら、人が人を好きになる王道を、「外堀を埋め続けている」と茶化しつつも、それが肝要であることをわかっており、やはり恋愛というものをちゃんと描いていたのかもしれません。

また、あとがきの羽海野チカのイラストも良かったですねぇ。「太陽の塔」のあとがきがまさかの本上まなみという嫌がらせのような人選でしたがw今回は羽海野チカ! いや素晴らしい。

ただ、そのイラストの中に着物のイケメンがいたのですが、樋口さんはあんなじゃないと思う。

 

 

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