超大名作テレビアニメ「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」。
そしてこちらも超名作アニメ映画「心が叫びたがってるんだ」。
この二つの弩級の名作アニメを制作した超平和バスターズが新作を作るってんで、当然の如く観てきました「空の青さを知る人よ」!
前二作に比べると、正直僕的にはインパクトは薄かったんですが、それでも名作と言ってよい素晴らしいアニメでした。
しかし2019年はホントにアニメの名作多いですね!
さすが超平和バスターズ! 名前の通り平和をぶっ壊して物語を面白くするゼ!
僕の「空の青さを知る人よ」の感想ポイントは以下4点です!
予告編
キャストが良かった!
最近のアニメ映画によくあることなんですが、本作でも主役級のキャストには実写で活躍している俳優を起用しています。まー、声優原理主義者はそれだけで観に行くのやめてしまいそうですが、もしそうだとしたら実にもったいない。各キャストの演技がホント、素晴らしかったです。
あおい役の若山詩音は子役出身で今は声優さんですが、思春期の、可愛さの欠片もない、生意気なクソガキの女の子を、それでいて繊細に、実存感を持って、でも可愛らしさもあり、そんな結構難しい役所を演じきりました。
シンノとシンノスケという年代の離れた同一人物という、これまた難しい役所を荒々しく、若く、やさぐれて演じた吉沢亮もホント素晴らしかった。この人マジ演技力すごい! 同一人物であることがわかり、それでいて二つの年代の感性が全然違う。声の出し方を使い分ける吉沢亮の演技力の高さに改めて驚きました。
そして今回、あかね役の吉岡美穂がとてもやわらかい演技であおいを素晴らしく好演していました。後で言いますが、この映画の根幹を成す存在で、非常に重要な役なのですが、それもこれも吉岡美穂の声があるからこそだったと思います。
「あの時のお前」がホントに出てくるというウルトラC
「あの時のお前はそんなんじゃなかった!」とはよく聞くセリフだと思いますが、その「あの時のお前」がホントに出てきてしまうんだから、この映画すごいですよね(^^;;
シンノスケが街に戻ってきたはいいものの、これがまた非常にいい感じでやさぐれてて、あかねに「あんまりがっかりさせないで」とまで言われてしまいます。まさに「あの時のお前はそんなんじゃなかった」状態。
で、比較するように「あの時のお前」のシンノが登場するんですけど、ただこのシンノの正体が何なのかというと、よくわからない。
生霊なのか地縛霊なのか、今ひとつよくわからない。作中で、本人もわからないって言ってるんだから、周りの人間がわかるわけないです。
ただ、その両方の性質を兼ね備えているのかなぁ、とはほのめかされます。
クライマックスで、シンノがあの古民家から飛び出す時、鳥居のしめ縄の紙が一枚切れていたり、ギターの弦が切れたりするのは、霊的な存在であったことを示唆したものだと思うんで、まぁそういった存在なんでしょう。
でも実体はあるし、よくある「子供にしか見えない存在」ではない。おそらく「なんだかよくわかんないけど、あの時のあいつ」というのが設定なんでしょうね(ざっくり)。ただ、個人的にはその感じは「新しい」と思うし面白くもあるなぁと。
この「ちょっと不思議な存在」が現実から半歩だけはみ出した物語で、その微妙感が僕的にはツボでした。
言いたくないのに言ってしまうことってあるよね
この映画で一つ、印象的なシーンがありまして。
それは、あおいがあかねに対して一方的に責め立てるシーンがあるんですけど。それです。
あおいはあかねに「盆地の枠の中で全てを諦めた人」みたいなことをバーッと言って、すげえ悪態をつくんです。
その一方で、心の中では「そんなことを言いたいんじゃない」と思ってるんですね。
心の内とは反対のことを口走ってしまう。
こういうことってないですか?(^^;;
なぜだかわからないが、そういう時っていうのはねー、ありますよね。
特に親しい人に対して。
なんでなんでしょうね?
でね、それがまた本音でもあったりするんですよ。
鬱屈していた不満というか。
でも更にその本音の向こう側、本当の本音というのもある。そう思ってるけど言いたくないし、でもその実言ってしまったことはやっぱり思っていないというか。
人間の心根とは不思議なもんで。
だから、このシーンは非常に泣けたんですよね。
ちなみにこのシーン、あおいのあかねに対するディスりの内容は、全部お前のせいじゃー!というツッコミどころ満載でもあるんですけどw
実はあかねの物語
で、ですね。この映画の影の主役とも言うべき人はあかねだと思うんです。
この人が登場人物中最もやわらかい印象を与えるんですけど、その実最も強い人なんですね。
山に囲まれた盆地にある閉鎖的な街という「井戸」から、みんな抜け出したがってる。バンドマンとして成功することを夢見て、いち早く「井戸」を抜け出したシンノ。姉の重荷になりたくないという理由で抜け出そうとしているあかね。
そしてとっとと結婚就職してよその街に行きたい、あかねのクラスメイトの女の子。
理由はそれぞれあるけど、とにかく井の中の蛙であることを厭う人物ばっかりなんです。でもあかねは違う。
あかねは、あおいを守ることに全てを捧げようとした、或いはあおいその人への限りない愛を見出し、「されど空の青さを知」ったんですね。
そんなあかねは閉ざされた井戸の中でも自分を見失わず、強く生きていた。
この「自分を見失わない」の中にはシンノに対する恋心も含まれていると思う。
今と昔のシンノや、あおいを中心に描かれてはいるけど、その実この映画のテーマはあかねその人で、彼らはあかねをあぶり出すために存在しているようにすら思えます。
かつてあかねがシンノを追いかけて行かなかったのは、全てはあおいのためだったんです。
この映画はあかねとシンノスケのラブストーリー、或いはあおいと「あの時のシンノ」の時を越えた、常ならぬラブストーリーというのが前面には出ています。
けれど、実は姉と妹の姉妹愛もまたこの映画のテーマだったんですね。
そんな風にあおいへ愛情を注ぎ続けたあかねなんですが、同時にシンノスケへの愛情も変わらず、またシンノスケもあかねに対する愛情は持ち続けていた。もちろん、あおいもあかねには愛情を持ち続けて、だからこそ街を出たいと考えている。
姉妹同士、恋人同士という二つの純愛の話なんです。その中心に居るのはあかねであり、だから、あかねは強くなければならない。
そして実際、あかねはめったなことでは泣かない。両親が亡くなっても泣かなかったし、あおいからキツくディスられても泣かない(このシーンでは泣くと思った)。洞窟に閉じ込められても飄々と探し物をしている。
でも、シンノスケに「あの時」の姿を見た時は泣いた。
多分、「あの時」のシンノスケに触れた時、自分もまた弱かった時の「あの時」のあかねに戻ったからではないでしょうか。
でも、最終的には、あかねはあおいから、まぁなんと言うか、卒業するんですね。
実はあおいは両親が亡くなった時のあかねの年齢に追いついてて、そこにあかねが気づくシーンがあるんです。
その年齢はあかねが親の代わりに妹を育てようと決意した年齢であり、つまりあかねが大人になった年齢だった。
あおいがその年齢に達したということは、最早あおいは大人であり、自分が守るべき存在ではないことを悟ったんですね。
そのことに気付いたから、あかねはシンノスケの元に行くことができたのだと思います。
あかねが空の青さを知る、井の中の蛙のままでいるのか、それともシンノスケと共に大海に出るのかはわかりません(確かそこまでは描かれていなかったはず…確か)が、いずれにしろ、知った空の青さ(あおい)は忘れることはないんでしょう。
…結構いい事、俺今言いませんでした?
そんな感じで、現実を見せつけられながらもファンタスティックで、ハッピーエンドとバッドエンド(当然のことながらあおいの恋は実らない)がないまぜになりつつも、観終わった後、さわやかな感動に包まれる映画だと思います!