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僕が買ったもの、観に行った映画・ライヴなど、要は金を払ったものに対して言いたい放題感想を言わせてもらおうというブログです。オチとかはないです。※ネタバレありまくりなので、注意!

「ランペイジ 巨獣大乱闘」ネタバレ有り感想。ロック様と白いキングコングのアイコンタッグ怪獣映画!


ランペイジ 巨獣大乱闘」という映画をご存知でしょうか?

WWEのスーパースター、ロック様ことドウェイン・ジョンソンと、白いキングコングがタッグを組んで怪獣と一戦交える、という強力胸熱な内容の映画です!

と、言いつつ、実は観る前はそこまでの期待はしていなかったんですけどもね(^^;; 観る前は巨大生物モノかなー、と思ってたんです。

それが、実際観てみたら、それはもうガッツリ怪獣映画でした!

 

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三大怪獣ご紹介

先ず、造形が既に既存の生物じゃないです。

なんでそうなったか、というと、ゲノム編集の宇宙での実験中(なぜに宇宙?)、事故が起こってしまい、遺伝子サンプルが地球上に落下。ゴリラ、狼、ワニに影響を与えた、という次第です。

ゴリラは見た目まんまでも、12メートルにもなればキングコングになります。しかも、白いんですよ。白いキングコングですよ! これもうカッコいいでしょ!

ちなみにこの白いゴリラ、動物学者であるところのロック様が保護しており、両者の間では意思疎通ができるということ。まさにタッグパートナー!

他の怪獣はどうかというと、先ず狼はゴリラの倍くらいあります! その時点で既に怪獣! 加えてムササビのような膜があって、滑空します。ほぼほぼバランです!

そしてワニ。一番原型を留めていません。尻尾はアンキロサウルスのようだし、背中には一面棘がある。そして顔はほぼほぼビオランテ! つーかそっくりだ! そして三大怪獣の中では圧倒的にデカい! 体長68.5メートル、体重150トン!

なぜ怪獣と断言できるか?

そして、出てくる生物が最早怪獣だ、という理由についてなのですが、以下の3点に当てはまるからです。

1、デカい
2、強い
3、カッコいい

先ず1のデカい。やはりデカい生物にはロマンがあります。だから、クジラや恐竜は人気があるのです。ゾウも陸上哺乳類としては限界値の大きさを誇りますが、如何せん全長7メートルです。最低でも二桁メートルには乗ってくれないとロマンを感じません。この「ロマン」というのが重要です。

その点、「ランペイジ」の三大怪獣は一番小さい白いキングコングでも12メートルもあります。ロマンがあります。先ずこの点で怪獣の第一条件クリアです。

次に2、強い。これも絶対条件ですね。デカくても弱かったらロマンも何もあったもんじゃありません。アンドレが圧倒的存在感を放ちまくってたのも、その大きさだけではなく、強かったからです。

そして、この「ランペイジ」に出てくる三大怪獣は米軍の兵器がまるで通用しません。これはハリウッド映画には珍しく、脈々と連なる歴代ゴジラ映画に汚点を残した最初のハリウッド版ゴジラも米軍に普通に退治されてしまいます。おそらく、アメリカにとって米軍とは最強でなければならないのでしょう。

ところが、です。最強であるはずの米軍が誇る数々の兵器が「ランペイジ」の三大怪獣、ワニ、ゴリラ、狼にはまるで歯が立ちません。この強さは怪獣と言って全く差し支えないでしょう。ひょっとしたら、自衛隊や科特隊などの攻撃を涼しい顔で受け切った日本の歴代怪獣よりも強いかもしれません。

そして最後の3です。この要素がひょっとしたら一番重要かもしれません。アメリカの巨大生物映画、或いは未知の生物パニック映画に登場するのは、ほぼほぼ「クリーチャー」でした。

向こうの人のモンスター観として、やっぱり「怖い」というのがあると思うんです。そして、その「怖さ」を徹底的に突き詰めた先に辿り着いたのは「気持ち悪い」なのではないかと。だから、ハリウッド映画のモンスターでカッコいい、ってのは基本なかったように思います。少なくとも、子供に「カッコいい!」と言ってもらえるものは。

ところが、「ランペイジ」の三大怪獣は、アメリカの映画には珍しく、造形もカッコいいのです。アメリカ映画特有の「クリーチャー」の気持ち悪さがないんです。ビオランテに似たワニ、バランのような狼、そして白いキングコングには神々しさすらあります。これなら子供たちも憧れてくれるというもの(確認はしていませんが、憧れてくれるに違いない)。

以上のことから、「ランペイジ」の三大怪獣は間違いなく怪獣なのであります!

プロレス界のスーパースターと怪獣のタッグマッチ

そんな怪獣たちを相手に真っ向勝負するのがロック様です。

これらの怪獣を向こうに回して一歩も負けてないあたり、さすがはWWEのNo.1スーパースター!

そもそも怪獣映画とプロレスはどこかシンクロしたものがあると常々思っています。理由としては、怪獣の「デカい強いカッコいい」の三大条件を満たしているのがまさにプロレスラーだからではないでしょうか。

その怪獣映画にプロレス界のナンバー1スターが殴り込みをかけた上、タッグパートナーに選ばれたのは怪獣の元祖、アイコンと言ってもいいキングコング。怪獣界とプロレス界の二大スーパースターの、アイコン同士のタッグと言っても過言ではないと思います。そしてこのタッグに全く違和感がないのは、怪獣とプロレスの親和性からすれば、当り前のことなのかもしれません。

設定なんざどうでもいい!

ちなみに、映画の設定とか展開はもう全くデタラメでめちゃくちゃですw SF映画としては穴だらけです。

でもそんなものはどうでもいいんです!(←言っちまった)

ロック様と怪獣の対決をハリウッドが映画化するための契機でしかないんです。肝心なのは対戦です。

そしてその対戦はと言えば、素晴らしい名勝負となりました。もう、怪獣映画として、最初のハリウッド版ゴジラは元より、パシリム2なんかも軽く超えています。

とにかくめちゃくちゃで、すごく楽しい最高の怪獣映画でした。

 

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「ブレードランナー2049」ネタバレ有り感想。人間になりたかったレプリカント!?


ブレードランナー2049」を観たんですけど、僕は良かったと思います。

そもそも、映画館で予告編を見た時は上がりましたねぇ。大画面にあの銃が映された時、「ええぇー??!!!」っ驚いてしまいました。

しかも監督はドゥニ・ヴィルヌーヴ! 主演はライアン・ゴズリング! 好きだらけ!

もちろんハリソン・フォードも出演!! そして実際、本編でデッカードが出てきた時は、それはホントに上がりましたよ。相変わらず弱かったしw

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人間になりたかったレプリカント

前情報なしで観たんですけど、主役のライアン・ゴズリング演じるジョーはもちろんブレードランナーだったんですけど、レプリカントだったんですね! これはいきなり意表を突かれましたねぇ。

年齢制限のない旧型(ネクサス8型)を新型が狩る、という構図。旧作を知る人間にとっては意外性があって、なかなか面白い設定だと思います。

また、意外性は全編に渡って存在していて、ライアン演じるジョーが辿ってきた人生は非常に数奇なものでした。

結局彼は「奇跡」を隠し、守るための当て馬でしかなかったんですね。彼の人生は非常に哀しいもので。

徐々に解き明かされていく自らの人生に、恐怖や期待が二転三転し、AIの恋人(らしきもの)も結局空の器でしかなかった(ように思う)。

そんなジョーが、全てが裏切られた果てにデッカードを娘に引き合わせたのはなぜだったんでしょう?

思うに、そうすることが人間らしさだと判断したからではないか、と僕は思います。

ジョーは人間になりたかったのではないか。

大義のために死ぬのもまた人間らしさ」というようなことをジョーは言われ、結果としてはそうだったかもしれない。でも、そんなことのためにジョーは行動したのではないと思います。

一度親だと思ったデッカードの幸せ、望み、そのために行動したのではないでしょうか。

愛するならば時には他人になった方が良い場合もある、というようなことを言ったデッカードの寂しさ、本音、それらをジョーは感じたのだと思います。親だと思った人物のために行動すること、それが人間らしい行動だと思ったのではないでしょうか。

人間らしい、とは何か

じゃあ、人間らしい行動って何でしょう?

人間らしい行動、それは相手への思いやり、相手の立場、気持ちを推し量り、行動することではないしょうか。

であるならば、この 2049は非常に原作と近い精神性を有しているのではないかと思う。

原作で訴える人間の本質とは、感情移入である、と僕は思いました。登場「人物」は全て何らかの形で他者のために行動する面がありました。

この感情移入とは、他者の立場に立ってみる、ということだと思います。そしてそれは社会的生物としての人間にとって、欠いてはいけない大切な能力だと思います。ここにレプリカントと人間の決定的な差があります。

そして、ジョーはこの壁を越えようとしたのではないか、と思うのです。

前作には映像美の点では及ばず

ブレードランナーと言えばその世界観、映像美だと思うのですが、これに関しては一作目の方が良かったように思います。

技術的にはもちろん今作の方が上なんでしょうけど、あの混沌としたパワーは今作にはなかったですかねぇ。

やはり一作目から様々な未来感が創出され、そうして一周回った上での焼き直しなので、勢いも衰えてしまうのは致し方がないことなのかもしれません。

新しいことをやりたい面もあるんでしょうけど、いかんせん続編なので、当然のことながら世界観は踏襲しないといけない。

なんだけど、やはりブレードランナーには新しい世界観を求めてしまう。それは取りも直さず、一作目の偉大さの証明でもあるんですけどね。

また、あのパワーは時代性もあったと思うし、始祖の試行錯誤から生み出される時の特有のパワーもあったのだろうとも思います。

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「ブリグズビー・ベア」ネタバレ有り感想。偽物でも好きを貫く!

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ブリグズビー・ベア」は全編やさしさに溢れている感じで、悪人が一人も出てこない珍しい映画。

そういった意味でも、とても良い映画だったと思います。

そしてやはりマーク・ハミルはカッコいい。なんというか他の出演者に比べてオーラがある。…フォースでしょうかね?

主人公がポジティブでアクティブ、そしてジェントル!

主人公がとにかくポジティブ!

今まで彼が観てきた「ブリグズビー・ベア」が、実は偽の両親が作ったものだと知ったら、普通落胆すると思うんですけど、それどころか偽の父親をより尊敬するんですね。

そして、もう新作が見れないことを知ると、自分で作ることを決意します。

とにかく前向きで行動的なのです。

しかも、案外頭が良いんですねぇ。25年間も隔離された生活を送っていたので、確かに奇行が目立つし、世間の常識が通用しない面はあるんですけど、知らないことはネットでバンバン調べ、実現させていきます。アクティブ!

そしてやさしいんです。

自分の担当刑事が学生の頃演劇をやっていたものの夢破れたことを知ると、不思議そうに、自分の好きなことをやらないなんてもったいない、とつぶやいたり(やさしさとはちょっと違うかもしれないけど)、爆発事故を起こして送検された時に(これはジェームズが悪い。もっとも、悪気はない)他の面々が持ち込んだ酒やドラッグについても全て罪を被ったり。

おそらくこれは、ジェームズを誘拐した偽の両親の教育が良かったのだと思います。

確かに誘拐は犯罪なんですけど、子供のできなかった夫婦が出来心でやってしまったことであるっぽい。だから、根っからの悪人というわけではない、と思うんです。

だから、そんなジェームズと触れ合う回りの人たちも変わっていくし、皆最終的には彼にやさしく接するようになります。

ただ、ジェームズと肉体関係を結ぼうとした女の子に対して、結婚は嫌だからセフレになってくれみたいな発言をしたシーンは理解できなかったですねぇ(^^;; かなり失礼なことを言っているので、女の子の方がもっと怒るかと思ったら、そんなこともなく。あのシーンだけは全体の流れから完全に浮いていましたねぇ。

産みの父親と、育ての父親

実の父親がブリグズビー・ベアを巡ってジェームズと口論になるシーンがあるのですが、そこでこの二人は本当の親子に戻れたような気がしました。喧嘩ができてようやく家族というか。

最終的には、実の父親がありのままのジェームズを受け入れたい、と言ってジェームズが生きてきたこれまでの25年間を肯定し、映画作りに全面的に協力するんですけど、このシーンが良かったですねぇ。

父親と言えば、ジェームズが留置所にいる偽の父親の元を訪問したシーンも良かったです。

この二人もやはり親子なのだなぁ、と思いました。

偽の父親がジェームズを誘拐した経緯を説明しようとするのですが、ジェームズはそれを遮り、ブリグズビー・ベアの新作を作っているので、声が欲しい、と録音を依頼します。その時の父親の笑顔が良いんですよねぇ。ジェームズは誰も恨んでいないんです。

偽物でも好きを貫けば

恨んでいない、と言えば、その番組に出ていた女の子(今では母親になっている)を探して初めて会った時も、その女性が謝罪するんですけど、ジェームズはずっとあなたが好きだった、と言い、心の支えだった、と感謝の意を述べます。ジェームズの中では許す、という感情すらなく、本当に感謝していたのだと思います。

おそらくそれはジェームズが観て育った「ブリグズビー・ベア」がとてもよくできた番組で、なぜ良くできていたか、と言えば、偽の両親が真剣に子供のための教育番組を作っていたからだと思うんです。

誘拐した偽の両親だったけど、彼らの愛情もまた本物だった証でしょう。

作品を観たジェームズの妹の同級生の映像作家志望のイケメンが大絶賛したのも、この作品が非常な情熱を持って作られていたからで、それをわかりやすく表現していたのかもしれません。

あと、ブリグズビー・ベアの主題歌がやけに良い曲なのが笑った。

自分が本当に好きだったものは、それが「偽物」だったとしてもそう簡単には捨てられないし、好きなら好きと貫くことで強さが生まれるのかなぁ、と。



「フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法」ネタバレ有り感想。なぜ俺はこの映画がわからなかったのか。


以前、「フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法」を観たことがあるんですけど、その時は、まぁ全然楽しめなかったわけじゃないんですけど、まー刺さんなくて。

その当時の映画.comの評価は3.6だったんですね。4行くとこれはもう大評判、3.7だと好評、という感じなので、まぁ微妙な感じではあったんです。

ただ、この映画の背景とかを考えると、やはり気になる。というわけで、頭の良い人が書いたレビュー記事を調べてみたんです。

そしたらまー、自分全然読めてねぇな、と(^^;; 我ながら知識のなさと行間の読めなさっぷりに愕然としたわけです。細かい伏線とかも全然読めてませんでしたね。

ただ、言い訳すると、割とわかってはいたんですよ、背景とか状況とか撮影の意図とか(←え?)。でも、それを踏まえた上でこの映画は楽しめなかったんですね。

なんで僕がこの映画をある程度わかりつつ楽しめなかったか、よくよく考えたら、それがわかったような気がします。

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ざっくりどんな映画か

詳しい話は、それらレビューサイトを見ていただくとして(ここで書いてしまうと、それはパクりですからね)、ここではざっくり言ってみます(ざっくりなら許されると思って…)。

アメリカのどうにも抜け出せない貧困層を徹底した子供の目線から描くことで、「本当の」アメリカを非常なリアリズムで活写し、ドキュメンタリーのように描きつつ、実は役者の配置なども周到に計算され、しっかりとしたストーリーがあるという、非常に凝った作りとなっている映画、と言えると思います。

そうすることで、ジワジワと観る者に問題提起をしている、のだと思います。

なぜ俺はわからなかったか

観てて、僕もね、貧困層の若いシングルマザーをリアル且つ生き生きとパワフルに描いていたのは、面白いとは思ったんです。

ヒーローではなく、下の方からの社会やものの見え方を描く、っていう視点は大事な視点だと思うし。

同じような時期に公開された「万引き家族」はまさに同じような視点で描かれていたし。

でも、「万引き家族」はすごく刺さって、「フロリダ・プロジェクト」は刺さんなかったんですよね。

それは多分、主人公に感情移入できるかどうか、だったと思います。

万引き家族」の方はあの家族一人一人にすごくスポットを当てたり、それぞれの関係性を丁寧に浮き彫りにしたり、とにかく登場人物に感情移入ができるような作りになっていたように思うんです。もちろん、個人差あって、全然感情移入できなかったって人もいると思うけど、少なくとも、彼らの日常を誤解を恐れずに言うと「豊かなもの」(←なんじゃそりゃw でも上手い表現が見当たらない)として描こうという意図はあったと思います。

一方の「フロリダ・プロジェクト」は、登場人物にほぼほぼ感情移入できませんでした。

もちろん、この映画でもこの母娘の強い絆や貧しいながらも楽しく、「豊かな」シーンはありました。でも、ダメだったんですねー俺。

主人公のシングルマザーが基本クソだったんです。就職することもできず、非合法な押し売りをやってみたり、言葉遣いも汚いし。別のモーテルの女性受付に「そんな言葉遣いだから貧しいのよ」と一喝されてしまうくらいです。

そんな親に育てられた子供はとんでもなく可愛げのねぇクッソガキだし。その子供の目線から映画は撮られてるわけですから、そりゃ感情移入しろってのは無理というものです(これも個人差あると思いますが、僕はそうでした)。

だから、自業自得じゃね?とすら思ってしまいました。

感情移入できなかった点に気付いた時、「あぁ、俺は頭で観るタイプじゃなく、感情に引きずられて観るタイプなんだなぁ」と改めて思いました。

だから、僕は「フロリダ・プロジェクト」を楽しめなかったんだと思います。

そこを切り分けて考えられて、あくまで映画をまっさらな状態で、冷静にストーリー、絵、音を観ることができる人には楽しめる映画なんだと思います。

それに、なぜ僕が感情移入できなかったか、の理由に、この映画で描かれている状況がなぜ起こってしまうのか、そのアメリカが抱える本当の貧困にまつわる問題に対して、僕が無知だったこともあるでしょう。

それを知っていれば、なぜ主人公たちがああいう行動を取らざるを得なかったのか、それがわかったと思います。自業自得、そういう側面もあるけど、それだけじゃない。もっと構造的な問題があるんです。それがわかれば、感情移入できたかもしれません。

また、やはりここで描かれていることはアメリカでの出来事で、実感としては僕にはわからなかった、というのも大きいと思います。

万引き家族」はやはり日本を描いた作品ですから、肌感覚として状況が理解できたんだと思います。だけど、やはり異国の作品で、社会問題を繊細に描かれたら、やはりそこを理解するのは難しかったかなぁ、と思います。

なんだかすごい自己弁護してますけどねw

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子供がポップに描けている

そうは言っても、楽しめた面もあるにはありました。

「クソガキ」を生き生きと活写してたのは良かったと思います。子どものキャーキャー言う感じ(←)や、ヤバいことをした後に様子がおかしいところなど、そういった子供の生態は非常によく描けていたと思います。

ここも是枝裕和と共通するところなんですが、それもそのはず、この作品の監督さんは制作するにあたり、「誰も知らない」を参考にしたそうです。是枝裕和すげえ!

あと、モーテルという舞台を逆手に取ったポップでカラフルな映像美は見事でしたね。特にこの映画のモーテルは近くにディズニーワールドがあることを意識してか、非常にファンタスティックなデザインとなっております。

管理人のおっさんは元悪役

登場人物中、唯一感情移入できたのは支配人のおっさんでした。

クズ揃いの住人を愛を持って守っている感じがして。子どものみならず大人も、です。みんなのことを守ってる。

でも、その眼差しは優しいながらもどこか切ないんですよねぇ。彼らの行く末を心配しつつ、案じているんでしょうね。助けたくても、ある程度までで、本当には助けられない。その感じがすごく良かったんですよねぇ。

そしてこの役でアカデミー賞助演男優賞候補にノミネートされたそうです。

ちなみにこのおっさん、「ストリート・オブ・ファイヤー」では悪役軍団ボンバーズ(ネーミングのダサさが好き)のボス、レイベンを演じていたのです!

あの蛇のような目が印象的な、いかにも悪そうな兄ちゃんが時を経てモーテルの管理人さんになっているとは感慨深い。どうりで、曲者揃いの住人にも全く怯まないはずだ。

ただ、親会社のお偉いさんには全く頭が上がらず、元ヤンと言えども、世間の荒波には逆らえないのは、何とも世知辛いですね(もちろん、二つの作品に関連性は全くなく、完全な俺の妄想)。

そんな感じでですね、自分の映画を観る技術のなさを痛感させられた、自分にとってはそんな作品となってしまいました。

 

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「若おかみは小学生!」ネタバレ有り感想。人生訓が詰まった超名作!!

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ツイッターとか見ていて非常に評判が良かったので、「若おかみは小学生!」を観に行ったんですけど、前評判通りめちゃくちゃ良かった! もう、ホント泣きそうになりましたよ!

重く、シリアスな人生を歩まなくてはいけなくなった子供にファンタジーを絡めると名作になることが多い気がします。

 

スタッフがすごい!

観終わった後、スタッフを調べてみたら、監督と脚本が非常に力のある人で、これだけの名作になるのもうなずけます。

先ずは原作なんですけど、令丈ヒロ子の児童文学シリーズです。20巻完結済みで、なんと300万部を売り上げる大ヒットシリーズ!

監督はジブリ作品の作画監督や原画を歴任し、「茄子 アンダルシアの夏」を監督した高坂希太郎

脚本は「猫の恩返し」「たまこラブストーリー」「聲の形」の吉田玲子!

そして、音楽は鈴木慶一だ! いや、すげえメンバーだなぁ。

もう、ね、人物の配置やそのキャラクター設定、起こる出来事などが全て繋がっているように思うし、どれもが効果的。ホント、隙のない作りで、それでいて、めちゃ熱い、魂のこもった作品のように思います。

土着的な設定が見事!

温泉街や神楽など、土着的な設定も見事でしたねぇ。そして好きでしたw 超俺好み。

ここらへんの設定や小道具の使い方は、同じように土着的要素を使った「君の名は。」よりも上手いと思います。出てくる小道具それぞれにきっちりと、しかも浅からぬ意味があるんです。

特に温泉街が出来た理由などは、思想性が素晴らしい。色んな動物が傷を癒しに温泉を利用した、という自然的且つファンタジー的な理由から「来るものは全て受け入れる」という博愛的で反差別的な思想性へと至るところが、物語全体を照らしているように思うし、またそれは、主人公が最終的には他人を許すことへも繋がっていると思います。

良い脚本家や監督は性格が悪い?

キャラクター設定で言うと、完全な悪役がいないのも特徴ですね。

例えば、ピンフリ(ピンクのフリフリの服を好んで着ているため、このアダ名が着いた。このアダ名も小学生らしい頭の悪さ爆発で良い)などは立ち位置的には悪役的であり、ライバルであるが、彼女なりの哲学、思想をしっかりと持っていて、一目置いてしまう。そして、彼女は最終的には主人公・おっこを助けてもくれる。ここらへんが、この作品を清々しいものにしてくれてると思うんですよねー。

ただですね、主人公の試練の与え方がですね、ある意味、すごく残酷なんですよね(^^;; 良い脚本家や監督は皆性格が悪い、とは庵野秀明の言葉だが、まさにその通りだと思います。

でも、この作品ではそれでもその試練には深い意味があって、主人公を無駄に追い込んでいるわけではないんです。

そして、その試練を乗り越えたおっこが、最後に振り返って、目に涙をためながら見せる笑顔は、もうホントね、神々しくすらあるんです。

それら全部を通過して、神楽を踊りながらのエンディングは見事と言うほかないです。

人生訓

また、おっこは両親の死を実感として受け入れられることなく物語は進んでいくのですが、事故を起こしてしまったトラックの運転手が、おっこの働く旅館に泊まりに来たことにより、突如として現実のものとして襲ってくるんです。

それと時をほぼ同じくして、おっこを支えてくれていた幽霊たちが徐々に見えなくなり、最後は完全にお別れをすることとなってしまいます。このことは、人生とは別れである、ということを突き付けられているように感じました。

また、幽霊たちが見えなくなるおっこの喪失感にはカタルシスがあり、そのはかなさが成長と共に失うものの象徴のように思えました。

そして、主人公が一番必要としている時にそれらのものが見えなくなる、というのは試練の一つであり、ここは「魔女の宅急便」と共通するものがあると思います。

試練とは一人で乗り越えるもの、というのは基本ではあると思うのですが、その一方、他の誰か、特に大人が手助けしてくれもする。

図らずも教育の重要性というものを感じてしまいました。やはり、子供を導くのは、もちろん、自らの意思も重要だと思いますが、やはり大人の力こそが大事なのかなと。だから、社会とは教育を根幹として形成されるべきものなのです。

唯一の疑問

そんな感じで、ホント素晴らしい作品なんですけど、演出的な面で唯一疑問に残る点があります。

なぜ幽霊たちが見えなくなるのか、その理由です。

鬼の子は、幽霊達は成仏する、と言っていましたが、なぜこのタイミングなんでしょう? 主人公の女の子が成長したから見えなくなる、と思っていたけど違ったし、その成仏のタイミングが都合が良いようにも思います。でも、製作者側では何か明確な意図があるとは思いますが、それが僕にはちょっと見えなかったです。

とはいえ、色々観てて辛いところや、教えられることも多い作品ですが、とにかく観てて単純に楽しい作品で、もちろん深みのようなものもあり、素晴らしい映画でした。

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