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僕が買ったもの、観に行った映画・ライヴなど、要は金を払ったものに対して言いたい放題感想を言わせてもらおうというブログです。オチとかはないです。※ネタバレありまくりなので、注意!

「コップクラフト」第二巻ネタバレ有り読書感想。ボーナストラックも楽しい、いよいよ本編?!


僕の大好きなラノベ、「コップクラフト 2」を読んだのですが、いやー、やはり僕の性癖にザックリ刺さると言いますが、モロ俺好みって感じでした!

ストーリー、キャラクター、世界観、そしてキャラクターデザイン!

どれをとっても素晴らしく、最高のラノベですね。

そしてまた、今回からがいよいよ本編、といった感じで、今度の展開が益々楽しみな巻でもありました。

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マトバとティラナの関係が進展

第一作は「如何にしてこの二人がコンビを組むことになったか」という前日譚的意味合いが強かったのですが、今回は第2巻ということで、むしろこれからが本域ということになるのでしょう。

ただ、二人の「反目しながらも協力する」という緊張感が薄れた点で、作品の勢いというか緊迫感が欠けてしまっているきらいもあるとは思います。

しかし、その代わりに、どこかほのぼのとした雰囲気が全体を流れており、そしてこの「ほのぼの感」は第一作の緊張感を通過しなければ得られない類のものだと思います。だから、今後しばらくは続いていくであろう、二人のどこかほのぼのとした関係は非常に味わい深いですね。

とはいえ、まだまだコンビを組んでから日が浅いので、ギクシャク感は残っています。そしてそのギクシャク感の方も、第一作とは違い、非常にほほえましく楽しいものになっています(第一作でもその「ほほえましい」萌芽はありましたが)。

実はいよいよ本編!

そんなわけで「コップクラフト」の第二巻はいわゆる「本編」のためか、物語全体に渡る大きな謎かけが出てきた感じです。

セマーニ世界の古文書、ニバの書というものが出てきました。

その書物にはミラージュ・ゲートは「大いなる門」という名前で出てきているそうで、予言、つまり予測された出来事だったんです。でも、「預言」と書かれていたので、神から託された言葉なのかな?

ちなみに、このニバの書は第一巻でも出てきたらしいんですけど、覚えていない(^^;;

いずれにしろ、ミラージュゲートとは何か? なぜセマーニ世界と地球が繋がってしまったのか? その謎の一端がいよいよ登場してきた感じです。

二部構成

本としては二本立てで、最初のエピソードの冒頭の何気ない描写が、二つ目のエピソードの最後の最後に意味を成す、という統一感のある上手い作りとなっていました。

また、二話目は余韻の引き方が特に上手かったですねぇ。二人が仲直りして、めでたしめでたし、と思いきや、ドンデン返し(伏線もキッチリある)があってまた喧嘩。しかし、最後の最後に二人は仲直りして、綺麗に終わる。余韻を二つ持ってくるのもまた上手い。

この最初の、めでたしめでたし、の余韻の引き方がちょっとハリウッド的でもあって、その感じもまた上手く雰囲気が出ていましたね。ちょっと映画を観ているよう。

一話目 科学的アプローチ

セマーニ世界の、地球で言うところの吸血鬼の話。

今回の話はファンタジー世界の吸血鬼に対して、非常に科学的なアプローチを行なっているように思われます。架空の生物に対して、実在する動物を引き合いに出して喩えてみたり、吸血鬼と対決する時も、現代の武器(主にアメリカの警察の)やシステマティックな組織で対抗したり、リアルに細かく描写し、非常にリアルな方法論で対処しようとしています。

また、ファンタジー世界の住人であるティアナにしても、吸血鬼を捜索するに当たって、ある種非常に科学的、論理的な、理詰めのアプローチを見せています。ファンタジー世界の小道具すら「現実」的に使用しているんです。

こういった演出を施すことによって、ファンタジーの世界をリアルに感じることができるし、またそうやってファンタジーに対して現実的な手段を行使することによって、両者の対比を鮮やかに浮き彫りにすることができていると思います。

こうした細かい科学的な言及を用いて異世界とのやり取りを表現することで、異世界との繋がりをよりリアルに表現することができていて、とても上手い演出だと思います。

あと印象的だったのは、1950年代から大気中の放射能濃度が増えたことについて言及していたことですね。理由としては、この年代から核実験が頻繁に行われるようになったからだそうです。こういう形での反核(だと思う)のさりげないメッセージは非常にインテリジェンスだと思いました。

ただちょっと参ったのは、描写が非常にグロいんですよねぇ。ここらへんは、あまりライトノベル的ではないと思うんですけど、どうなんでしょう? この作品的には必然性はあるものの、個人的にはそういうグロ描写は勘弁してほしいですね。

二話目 楽しい描写が盛りだくさん

物語全体の大きな流れには、多分それほどシリアスには関わらない、楽しい回だったと思います。いわゆる日常回ですね。

確かに事件ではあるけど、それまでのものと比べると格段にシリアスさはないし(後の重大事項の伏線になってるかもしれないけど)、風紀班の各メンバーについての説明も多い。

もちろん、主役二人の日常に割く字数が多く、特にマトバの趣味が前面に紹介されています。そこから、仕事以外のマトバの顔が垣間見られて、楽しいですね。

あとは、ティラナ(だけでなくセマーニ人全体)の性教育が中学生以下だということもわかったり、なんというか、全体的に楽しい回です。

マトバとティラナの関係が少し進んだ感じだし、その他のメンバーのパーソナリティや、彼らと主役二人との関係性も一歩踏み込んだ感じ。

ノリノリのボーナストラック

この小説は、アメリカのドラマのノベライズの、しかも翻訳という体裁で作られていますので、当然「ドラマ版主演女優」なるものが存在します。

そして巻末には本作の「原作者」である賀東招二が「ノベライズ版翻訳者」としてティラナ役の女優にインタビューをするという体裁の「小説」が「BONUS TRACK」として収録されているのです。

この感じがまたw どこまでサービス精神旺盛なんでしょう! いや、作者本人がノリノリで楽しんでるんでしょうがw そして、その感じが作品に勢いを与えてるんでしょうね。

ちなみにティラナ役の女優さんは日本のアニメヲタクの腐女子で、ワンフェスにコス参加しようとしてるくらいのゴリゴリのガチ勢、という設定です。

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「やがて哀しき外国語」ネタバレ有り読書感想。30年前のアメリカから今の日本が見える?!


「やがて哀しき外国語」を読み直してみたんですけどね。

村上春樹のエッセイは面白い。

村上春樹が「精神的ナルシスト」のためか、ややハナにつくところは散見されるけど、それでいて、基本的にはユーモアに溢れていて面白い。

全体として、大まかな価値観念が自分と似てるところがある、という点も僕が個人的に面白く感じる要因のひとつかもしれません。

そして何より、アメリカの大学で教える、という大抵の人間なら経験しないようなことを生活レベルで語っているのが良い。

それに、どことなく村上春樹の小説のようにも読めてしまいます。思うに、村上春樹の小説の主人公は多分に村上春樹を反映しているからなのでしょう。

誰かが、村上春樹の小説は「ちょっとオシャレな私小説」と言っていたけど、そう言われてみれば、なるほど、と思ってしまいます。なるほど。

だから、村上春樹のエッセイは、かなりリアルな(基本的に村上春樹の小説は幻想小説だと思っています)、ユーモア要素を増した小説、という風にも読める。それはかなり自分の趣味に合っているので、だから僕は村上春樹のエッセイが好きなのでしょう。

それに、小説よりも村上春樹の世の中の見方や価値観念や風刺みたいなものがダイレクトに伝わってくる(エッセイだから当たり前だが)のも、わかりやすくて良いですね。

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日本の先を行くアメリカ(ほめてない)

情勢ってのはわずか5年でが変わってしまう、ということが書かれていまして。まぁ、それくらいの期間があれば変わるかな、とも思う反面、やはり結構短い期間で変わってしまうなぁ、とも思ってしまいます。

日本がバブルに沸いていた頃はアメリカのジャパンバッシングは凄かったらしいんです。でも、今度はアメリカが持ち直して、日本のバブルが弾けたら、ジャパンバッシングはほとんど姿を消してしまったということで。

良いような悪いような、なんですけどね(^^;; 仲良くしたい、っていうことだけを着目すれば、悪いことではないかもしれませんが。

それを思うと、やはり日本はアメリカが歩んできた道を忠実に再現しているのかもなぁ、と思ってしまいます。だから、ひょっとすると韓国や中国に対して嫌悪感を露わにする人が最近多いけど、情勢次第ではそういうのも姿を消していくかもしれませんね。

また、そういうような情勢の変化はアメリカの内部的なものにもあったそうで、このエッセイで書かれていたのは、時期的には湾岸戦争の前と後だったそうなんです。その湾岸戦争中に学生のデモがあったそうなんですけど、それは戦争支持のデモだったそうで…。

そういうところも、なんとなく今の日本と似た感じがしなくもない。戦争って何をやることなのか、わかってるのかな?とたまに思うことがあります。

また、日本車のアメリカにおける台頭についてのBMW社長のコメントが、かなり内輪的なドメスティック且つ歴史に根付いた自分たちの優位性を主張した内容で(かなり恣意的な感じですが)何だかなぁ、とちょっと苦笑してしまったんですけど。

でも、どこかで聞いたことがあるような自慢の仕方だなぁ、と思ったら、最近の日本礼賛番組じゃないかと思いついてですねw

ホントに日本はアメリカの後追いなんだなぁ、と。今の自分たちに自信がなくなったら、歴史を持ち出す、というのはかつての強者が弱者に成り下がった時に使う常套手段なのかなぁ、と思いました。

二種類のアメリカ人

また、やはりアメリカには非常に根深い人種差別があって、それを村上春樹は肌感覚で文章にしていたのも、非常に興味深かったですね。最近のアメリカの情勢を見ると、これまた今の時代まで地続きの話だなぁと思いまして。

アメリカがジャパンバッシングしてた時の話なんですけど、アメリカ人って、日本車をハンマーでブッ叩く、とかっていう非常にわかりやすくて、且つマッチョな攻撃性があるらしいんですね。

その一方で、言葉にしない、割とわかりにくい差別もあるらしいんです。なんとも真逆な特性ですねぇ。

例えば、あっちから向こうの区域には行かない方がいいよ、とか言われるらしいんですけど、そのあっちから向こうの区域ってのは、要は黒人が多く住む居住区らしいんです。でも、ハッキリとは黒人への差別的な言葉は口にしない。

で、そういう人たちって、平たく言えばリベラルな活動をしている白人だったりするんですね。村上春樹はそういう、中流以上の白人のリベラルさはファッションでしかないってことを見抜いていたんですね。というより、嫌でも見えてしまったんでしょう。

なんか、わかりやすく差別してくる連中より、そういうわかりにくい連中の方がなんかタチが悪い気がするんですけど、どうなんでしょう? やっぱり目の前で日本車ブッ壊される方が嫌に感じるのかなぁ。嫌っつうか、怖いですかね。肝が座った奴なら逆に笑っちゃうんだろうけど。

よく言われるけど、アメリカには二種類のアメリカ人がいるらしいですね。マックでハンバーガー食ってるアメリカ人とNASAで働いてるアメリカ人。頭の中までマッチョそうな奴と最先端のテクノロジーを開発している人って感じ。

中国の台頭前夜

あと、今読むと面白かったのが、このエッセイが書かれた当時、アメリカに取って代わる明確且つ強力な価値観を持つ国はなかった、そうなんですね。確かにそれはその通りで。ちょうど東西冷戦も終わって、一時、アメリカが天下取ったみたいな感じの時期ってありましたよね。

けど、現在の中国の台頭を見ると、時間の経過と時代の意外性(でもないか)を思わずにはいられません。

そういう点でも、昔書かれたエッセイを読み返してみると、時代の移り変わりみたいなものが下手な歴史書よりも肌感覚でわかるので、面白いですね。大体、三十年くらい前のものが丁度いいかもしれません。

スノッブとしての村上春樹

それと、大学の世界のスノッブな風習についても書かれてあったんですけど、めちゃめんどくさい世界ですねw スノッブとは大して通でもねぇクセに通ぶる気取り屋、みたいな意味らしいです。

ただ、村上春樹はそういったスノビズムも良いのではないか、と肯定的だったんですね。いわゆる象牙の塔にいると、良くも悪くも俗世間からはかけ離れるのはどこも同じようで、日本でも大学教授は変人ばかりというのは僕が学生の頃には既にあった通説です。ただ、村上春樹は、日本の大学はすっかり俗に染まっている、と批判しているんです。

日本の大学で俗っぽかったら、アメリカの大学はどんだけ高尚なんだ、って話ですけどね。ここらへん、なんとなく村上春樹という人がわかる感じですね。

アメリカの大学のスノビズムを「村」と称して、ちょっと茶化してはいるんですけど、基本、擁護してるんですね。それは何よりも本人がゴリゴリのスノッブだからなんでしょうねw だから、村上春樹的には日本の大学ではそのスノッブさ加減が全然甘いんでしょう。

村上春樹はジャズが大好きらしくて、アメリカに行ってからも中古のジャズのレコードを買い漁っていたらしいんです。この頃はCDが出始めたばかりの頃(この感じも隔世の感があって面白いですね)で、その時代性から言うと、中古レコードを買うと言うのは今とは比較にならないくらい相当にニッチで、且つ今と違って世捨て人的な行為だったのでしょう。

ここらへんのエピソードもまた、村上春樹スノッブな特性が浮き彫りになってて笑えますね。

ただ、ジャズについては、こんなことも書いてます。

黒人のリムジンの運転手さんとの道中での会話なんですけど。なんてことない会話の中から色々と思うことを書き綴っていて、中でも、おじさんの何気ない「ジャズは俺たちのものなんだぜ」と言ったことに対するくだり。これが良かったですね。

日本人である村上春樹の方がおじさんよりもはるかにジャズの細かいことには詳しいんです。

でも、ジャズは黒人のものである。

そういう細かい知識なんかよりも、ずっとジャズの本質を知ってるし、何より「黒人のもの」なんである。逆に、日本人的には、自分たちのものではないから、その穴を埋めるように知識を積み上げていくのではないでしょうか。知ってる、ということはアドバンテージとはならないんですね。

そのことを、村上春樹はちょっと自嘲気味に、そして相手への尊敬の念をもって書いているんですね。

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「三度目の殺人」ネタバレ有り感想。真相も真犯人もわからない故にわかる、人の根っこの部分?!


是枝裕和監督作品「三度目の殺人」を観たんですけど、すごい映画でした。

人の根っこの部分を多面的に一つ一つ丁寧に掘り下げ、知ろうとしているように思いました。

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予告編

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裁判とは何か?

先ず印象的だったのは、司法制度の不安定さについても言及していたところ。

司法の場は「何が真実かを求める」のではなく、

「こういう事実にしよう、ということを決める場」なのではないか。
また、「勝ちか負けかを争う場」なのではないか。

この二点を指摘しているように思います。その点で、「それでもボクはやってない」にテーマ的に類似している、と思いました。

また、裁判とは「勝ちか負けかを争う場」であることについて、福山雅治に結構直接的な台詞を言わせていましたねー。

そしてそんな福山演じる主人公が役所広司広瀬すずを通じて徐々に真実を追求し、被疑者に寄り添っていき、変わっていく姿がスリリングでした。

でも、そんな風にして、司法の場は真実を追及しない場かもしれないけど、それでもそこに従事している人はいる、ということも忘れてはならない、というようなこともちゃんと描いていたあたり、バランス感覚を感じました。

当然のことながら、司法の場には必死になって、ギリギリのところで働いている人がいるわけですから。

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真実は闇のまま

で、この作品では結局、その真実は最後までわかりません。真相も真犯人もわかりません。

役所広司がどういった人間なのかもわかりません。

しかし、そこを描かないが故に、人間の不確かさ、不明さ、不気味さ、多様性、矛盾さを感じることができたように思います。

また、わからないよう、混乱するように描いてもいる。

役所広司が殺したのか、広瀬すずが殺したのか、わからないようなシーンもありました。むしろわからせないために、そのシーンを作ったのかもしれません。

タイトルにある三度目の殺人は描かれていないし、何かも明らかにされていません。ただ、三度目の殺人とは、おそらくそれは死刑、ということなのかもしれないないのかな、と思いました。司法制度による人殺し、ということなのかもしれません。

あと気になったのは、役所広司の自宅の部屋のシーンで、大家さんが「やだ、蜘蛛がいる。まぁ、夜の蜘蛛じゃないからいいか」という台詞が独り言のように小さく入っていたんです。

以前、僕の友人から、夜の蜘蛛は親の顔をしてても殺せ、と言います、ということを聞いたことがあるんですけど、そのことをほのめかす台詞なのかも。

もし、そうだとしたら、この話は親殺しの話かもしれない。しかも広瀬すずの父親が殺害されたのは夜でした。

母と娘のキャスト

また、広瀬すずは本当に可愛いし、本当に芝居が上手いですねー。

そして、役としては汚れ役にも積極的に挑んで行こうという印象を受けます。「怒り」という映画でも、そういうシーンがありました。

シーンとしては流石になかったのですが、ひょっとしたら周りが許さないかもしれないですね。

あと、広瀬すずの母親役は斉藤由貴だったんですけど、不気味な母親役がすごく良かったですね。

そんな感じでこの映画は是枝裕和監督からの様々な問いかけがあるように思います。そして監督自身の答えは確実に存在するのだろうと思います。

 

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「きみと、波にのれたら」ネタバレ有り感想。予告がひどいと本編はもっとひどい!

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傑作揃いの2019年アニメ映画の中、残念なアニメ映画シリーズ第三弾!w

ちなみに、第一弾は「バースデー・ワンダーランド」、第二弾は「二ノ国」でした(^^;;

そして、第三弾はと申しますと、これです。

「きみと、波にのれたら」!

これはですねー、つまらなかったw 正直、めちゃめちゃつまらなかったですねー。

第一弾と第二弾は、もちろん良くなかったんですけど、まぁ、「つまらなくはなかった」って感じだったんです。でも、今回感想を述べる「きみと、波にのれたら」は、そのものズバリ、「つまらなかった」(^^;;

というわけで、つまんなかったから、あんまり書くことないんですけど、2019年アニメ映画の中で「つまらなかった」という作品は珍しいので、一応記録しておきます。

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監督目当てで行ったのだが…

何で、この映画を観に行ったかというと、理由は単純、湯浅政明が監督だったから。

もはや説明の必要もないと思うけど、湯浅政明はそれまでに多くの傑作アニメを監督してきた人です。

テレビアニメで言うと、「四畳半神話大系」「ピンポン THE ANIMATION」、アニメ映画だと、「夜は短し歩けよ乙女」「夜明け告げるルーのうた」を監督して、いずれも傑作でした。最近ではテレビアニメ「映像研には手を出すな!」を監督して、各方面から好評を得ています。

そんな湯浅監督の新作劇場用アニメということで、期待はしたのですが…。

実はちょっと、予告の段階でつまんなそうだとは思ったんですよねぇ。なんかちょっと、恋愛要素強すぎじゃね?って。しかも登場人物が、割と最近のチャラついた若い人たちって感じ…。

いやでもまぁ、湯浅政明だし、ということで行ったんですけど、…悪い予感は当たってしまいました。

やっぱ、いくら好きな監督の作品でも、予告見て、内容がつまらなそうだったらダメですね。

そういえば予告って、「予告は面白そうでも本編はそうでもなかった」というパターンが多いくらいですから、「予告はつまんなそうでも本編は面白かった」なんてことはあるわけはないですよね。

予告がつまんなそうなら、その映画はつまらない。

これは映画を選ぶ時の基本中の基本ですよね。

しかし、絵は良かった!

でも、さすがにSARU! 絵は素晴らしかったですねー。

水の質感は半端ない! そして「アニメならでは」というより「湯浅政明ならでは」の動きは今作でも健在で、そこは非常に楽しめました。

そこが炸裂しまくったのは、最後のクライマックスのところですね。超高層の廃ビル一つをまるまる水で包んでしまうという、非常にSF的な描写なんですが、ここの動きや水の「質感」は本当に素晴らしかった。

そう、この映画は「水」というのが一つのキーワードなのですが、その水が個体ででもあるかのような「質感」があったんですよね。

こういう、最近のアニメではあまり見かけなくなった「現実には絶対にありえない」表現、ある意味非常にアニメ的な、マンガ映画とでも呼ぶべき表現は本当に湯浅政明の真骨頂のように思います。

でも、映画全体では…

しかし、脚本、ストーリーは、正直良くなかったかな、と思います。

しかも、絵の素晴らしさの足を引っ張るタイプのものだったと思います。それくらいひどかった印象ですかねー。

基本的にはラブラブバカップルチャラアニメとでも言うべき内容で、全編底の浅い話が展開されていきます。

少しはひねりを加えたり、伏線張ってはいるものの、それも大したものではなかった、というのが、観終わった後の感想でした。

また、演出やテンポ感も非常にダルかったですね。

多分、それもこれも、恋愛をテーマのメインに据えてしまったからなのかもしれません。

やはり、映画や小説、漫画などなど、劇的な作品において、恋愛というものは、どんなジャンルのものにおいても「要素」としては、ほぼ外すことのできないものではあると思います。

ただ、それをメインに据えてしまうと、作品に広がりがなくなってしまうようにも思うんです。

それは、何と言うか…、他人がイチャイチャしたり、痴話喧嘩してんの見ても面白くないからかな?w

名声を得ると…

今年は名作アニメ映画が多い一方、原恵一湯浅政明と、過去コンスタントに名作を生み出してきた気鋭の監督が大コケしていますねー。一体どうしたんでしょうか?

やはり大御所になってしまうと、要らぬ勢力が絡んで来がちなんでしょうかねー。

ほぼ前情報なしに観たので(僕は映画を観る時、まっさらな状態で観たいので、前情報は極力カットします)わからなかったのですが、今回の映画に関して言えば、EXILE系の事務所ありきの企画だったらしいんです。

後々調べて観ると、劇中でEXILE系の楽曲(詳しくは知らない)を無理矢理突っ込んでみたり、主演声優に使ってみたりと、とにかくEXILE系の影が見え隠れしています。

それを思うと、あのラブラブチャラチャラバカップルの物語となっていることにも納得できます。多分、EXILEのファン層って、ああいう感じの人らなんでしょうね(←偏見)。

映画が終わり、不満を抱えて席を立ち、劇場を後にしようとしたら、まだ椅子に座ってたカップルの女の子の方が、「泣けた~」とか言って泣いてました。そのカップルはもちろん、ラブラブチャラチャラバカップルっぽかったです(←偏見ではなかった)。

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「二ノ国」ネタバレ有り感想。脇の声優が超豪華なシリアスな異世界転生アニメ!

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二ノ国」を観たんですけどね。

前評判が壊滅的に低かったので全然期待してなかったんです。

しかし、それがかなりなスパイスになっていたからか、意外にも結構楽しめましたですね。少なくとも退屈はしなかった。

ただまぁ、じゃあ映画として手放しで褒められるかと言ったら、やっぱりそんなことはなく(^^;; 傑作揃いの2019年アニメの中では残念な部類に入ってしまうと思います。

 

粗々しいものの、無理のない作り

作りとしてはですね、粗くはありますw

脚本的な細部は粗々しかったですね。かなりざっくり感があったり、無理があったりした、というのが正直な感想です。

ただ、粗くはあるんですが、その一方、伏線を張り巡らせていたり、次から次へと展開していったりはしていました。

ご都合主義的なところもあまりなかったですね。あったことはあったんですけど、それは異世界転生モノでよくある類の主人公のチート補正で、そういったところは観客も求めているところだと思うので、ご都合主義にはカウントしなくてもいいのかなと。

それに、この映画は「シリアスな異世界転生モノ」という感じですからね。チート補正は必然といったところでしょうか。

物語の流れの中で「ちょっとこれはないよなぁ?」と思うようなご都合主義はなかった、もしくはわかりにくかったと思います。

だから、粗っぽさに笑ってしまいつつも、飽きることはなかった、といった感じですかね。

基本的には異世界転生モノなので、その意味でも全体的には子供のために作られた映画なのかなと。中高生というよりは、これから中高生になる小学生向けというか。

だから、子供向けだから、大人から観ると随分と粗々しい脚本になってしまっているのかもしれません。

逆に言うと、子供の世界は容赦がないですから、ある程度の粗々しさは必要なのかもしれません。

副主人公が足を引っ張る?

ただ、副主人公の男の子がですねー、あまりにも魅力なさすぎて(^^;; そこには全く感情移入できなかったです。

しかも最後に、この子と主人公が異世界で繋がった同一人物だということになるんです。役柄的には、主人公の親友、といったところですから、その設定自体は有りっちゃあ有りなんですけど、いかんせん、魅力がない(^^;; 主人公と同一人物になるには、言ってみれば役不足なんですね。

だから、えー!こいつが主人公と同一人物かよー、となってしまう。

主人公と同一人物であるのなら、反目し合うのは全然いいんですけど、もっと魅力的に仕上げて欲しいですよね。

それにですねー、この設定自体が唐突感がありすぎる(^^;;一応伏線は貼ってありましたが、印象としては唐突です。

そもそも、この二人はどちらかというと対照的な仲良しコンビという感じなので、同一人物と言われてもあまり納得できないですね。見た目も似てない。まぁ、コインの裏表だから同一人物でも対照的、というのは有りなんでしょうけど、やっぱり対照的過ぎると、あまり納得できないですねー。

基本的なアイデアとしては悪くはないのですが、「こういうの面白くないですか?」という思いつきをまんま使ってしまった、感じですかね。

期待していたテーマではなかった

また、話として期待したのは同一人物の、この場合、一ノ国の女の子と、二ノ国のお姫様と、命が繋がっている同一人物のどちらを救うか、という二者択一のドラマでした。

しかし、微妙にそうではなかったですね。

副主人公は悩むことなく一ノ国の女の子を取るし、主人公は「二者択一ではない」というカラクリにいち早く気付いてしまっている。いずれにしろドラマは生まれなかった、ということです。だって、そこに葛藤はないわけですから。

このテーマは「あした世界が終わるとしても」が描くことを逃げてしまった(?)テーマで、予告編ではそこがガッツリ描かれるのか?!と期待したんですが、この作品でもそうではなかったので、それは非常に残念でした。

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声優は脇が超豪華

あと声優についてなんですけど。

今回、割と大作アニメ映画にありがちな非声優の若手俳優を主役に抜擢していたのですが、主人公二人の男の子は良かったと思います。

しかし、ヒロインの女の子とお爺さんを演じたムロツヨシは良くなかったですねー(^^;; 声優原理主義者が手を叩いて喜びそうな展開ですが、ホントにポンコツだったと思います。特にヒロイン二人を演じた永野芽郁はホントにひどくて、次声優やる時はめちゃめちゃ修行するか、もう二度とやらないかのどちらかにした方がいいですね。

ところが、です。

脇を固める声優陣が豪華すぎ!

王様の伊武雅人は基本役者なのですが、宇宙戦艦ヤマトデスラー役で一世風靡をしたことがありますし、さすがに上手かったです。

しかも、山寺宏一! 梶裕貴! 宮野真守! そして俺の好きな津田健次郎! そしてそして、マイフェイヴァリット声優であらせられる坂本真綾

すごすぎでしょ。

主役よりも脇を安心して観ることができるという……まぁ、映画ってそういうもんですけどね。