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僕が買ったもの、観に行った映画・ライヴなど、要は金を払ったものに対して言いたい放題感想を言わせてもらおうというブログです。オチとかはないです。※ネタバレありまくりなので、注意!

「墨攻」(酒見賢一)ネタバレ有り読書感想。ハリウッド的王道エンタメだが考えさせられもする!


酒見賢一は「後宮小説」「周公旦」、そして「墨攻」と三作読んだのですが、どれもめちゃくちゃ面白いです。今のところ酒見賢一にハズレなし!

そして今回ご紹介するのが「墨攻」なんですけど、これまた歴史上の出来事なのかフィクションなのか、曖昧模糊としております。それ故、何かこう、真に迫って来るような、リアルに感じることができます。

しかし、解説を読んだら、どうやらほとんどが作者によるフィクションだったようなんです。酒見賢一の特徴として、時折史実や歴史学の研究みたいなのを巧みに挿入してくるので、虚実がわかりにくいんですよね。そしてその混ぜ方がうまい!

だから、この物語の主人公・革離も実在の人物かと思っていました。多分、この話にある城攻めも架空の出来事なのでしょう。いや見事だったです。

ちなみにこの作品、漫画化もされ、映画化もされ、更には中島敦記念賞も受賞しています。更にちなみに、ジャケ写は近藤勝也。この方は「後宮小説」のアニメ版「雲のように風のように」でもキャラデザを担当。

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ハリウッド的王道なエンタメ展開

まー、とにかく面白かったですね。全体としてはハリウッド的な王道エンタメ展開という感じです。

幾つも乗り越えなくてはいけない壁が立ち塞がり、その度毎に乗り越えていくのですが、それが徐々に高くなっていくんですね。次はどうなる?次はどうなる?って。

そして何と言っても、主人公の革離がカッコいいんですよね。

梁という小国が趙という大国の軍勢に攻められるということで、先頭集団でもある墨子教団に助けを求めるんです。

でも派遣されたのは革離たった一人。いわば、たった一人で素人集団の邑人を束ねてプロの軍隊に対抗しなくてはならない。どうすんの?!という感じです。こりゃもうダメだぁ、いや一人で対抗できるくらい墨子教団ってのはすごいのか?! もう冒頭から掴まれまくりです。

まぁ、通常墨子教団といっても複数人で応援に来るのですが、革離一人で来たのは教団内でいざこざがあったからなんですね。売り言葉に買い言葉というか。そこの展開もまた、非常に男気に溢れています。自分の信念を曲げないというか。

そして、この革離が八面六臂の大活躍をする、というのがこの物語の肝なのではないか、と思います。

その当時最新の兵器を教えて邑人に作らせ、非常なカリスマ性を発揮して、邑を統率し、そしてほとんど寝ずに誰よりも働きます。自分の国じゃないのに、です。これがいわゆる「兼愛」という精神なのでしょう。

そしてまた、酒見賢一の戦闘描写が非常に上手い。細かいながらも勢いのある描写で、ジリジリと手に汗握る感じというか。また、基本的にはフィジカルな戦いなんですけど、兵器がその当時の最先端のテクノロジーなのが面白い。

こうして戦闘のプロ中のプロである革離の周到な準備によって、邑人という素人が、趙という巨大な軍事力を誇る敵を相手に圧倒するという。その、小が大を倒す感じが非常に小気味良いです。

弱小野球部が甲子園常連校に頭を使って勝つ、というような感じに似てると思います。

墨子教団の矛盾?

墨子は「兼愛」という思想を唱えていたらしいのですが、平たく言えば博愛主義だと思います。

解説に書いてあったのですが、家族愛を基本とする儒教に対しての思想なのだそうで、家族を重視すると特権が生まれることになり(世襲制とかそうだと思います)、差別的な傾向が出てしまう。そうではなくて、家族という小さな単位を越えて、広く人々を愛する、ということらしいんです。

しかし、そういう博愛とは逆に思える面が墨子教団にはあって、それは戦闘集団ということです。これがまたかなり苛烈で、理論的にも技術的にもその当時最先端の戦闘能力を持っていたそうです。

ただこれは、戦国時代にあって兼愛を貫くには攻められることに対して守ることをしないと生き残れないから、ということらしいです。言ってみれば専守防衛ですね。

大国にやられそうな小国があり、そこから応援の要請があると、身を粉にして戦ったそうです。これもいわば兼愛、博愛の精神でしょう。困っている人がいたら、助ける。広く人々を愛するからこその行動でしょう。

しかし、この小説において、この戦闘、まぁ防衛なんですけど、これがさっきも言ったように苛烈なんですね。

墨子教団から派遣された軍師(この場合革離)をトップとする上意下達の命令系統は強烈に徹底され、大のためには小を捨て、異常なまでに禁欲的。

言ってみれば、統率する際の組織の作り方が非常に全体主義的なんですね。そうでもしないと守りきれないと言われれば、そうなのかもしれないんですけど、それが徹底されすぎてるようにも見えるんです。

この小説では、確かに、大国である趙の軍勢を幾度となく破ります。それはその徹底された組織力の為せる技だったと思います。

しかし、組織を重視するあまり、情の要素が欠けすぎていたようにも感じました。あまりにも杓子定規にすぎるというか。

革離が救うはずの小国の王子・梁適、その小国を滅ぼそうとする趙軍の大将・巷淹中、敵味方双方が墨子教団に対して何とも言えない不気味さを感じるのですが、それはこの点なのかもしれません。

博愛と言いながら、愛とは真逆のことをする。信賞必罰は大事なのかもしれませんが、禁を犯した者は平気で処刑する。解放された捕虜が帰って来れば処刑する。

博愛を突き詰めていくと、それは全体主義になってしまうというパラドックスがあるような気がします。よく考えれば、全員を平等に愛するということは全員を均一化するということで、それは全体主義と繋がるようにも思うんですよね。

兼愛と戦闘。一見、真逆とも思える墨子教団のこの二つは、実は根っこでは繋がっているのかもしれないのかな、とちょっと思ってしまいます。

梁適、巷淹中の感じた嫌悪感は、おそらくこの全体主義的な傾向だったのではないかと思います。そういった意味では、この二人は反全体主義的な感覚を持った人たちと考えることもでき、逆にものすごく広い意味で人類的な博愛の感覚を持っていたのかもしれないのかな、と。というより、情の部分が厚い二人だったのかもしれません。情って、そういう全体主義とは真逆のものだと思いますからね。

その一方で、梁城を守り、邑が生き残ることを一番考え、そして一番働いていたのは革離であったと思います。邑人に対する気配りにも骨を折っていました。邑があと少しで存続できそうなところまできたのは、紛れもなく革離のおかげです。

そして、革離は墨子教団の祖である墨擢の唱えた兼愛ということを強く信奉しているように思えます。自分のことは顧みず、人のためになることをする。彼を動かしていた根本はそういうことのように思えます。彼が示したのは、博愛の精神そのものと言えるのかもしれません。

とはいえ、全体を優先すれば、個は消される。さりとて、個を重んじれば、滅んでしまう。

そう言うと、非常時の場合は全体を優先すべき、と返される雰囲気が今は世界のどこにでもあるように感じられます。

この物語では、最後、革離は梁適に殺されてしまいます。理由としては、恋人(愛人と表記されていましたが、多分こういうことで合ってると思います)を処刑されたことへの恨みでした。

そして、革離を失った梁城は、趙軍に手もなく滅ぼされてしまいます。

全体のためと考え、情の部分をないがしろにした結果、負けてしまいます。

おそらく、この梁適は作者である酒見賢一による、墨子教団の戦い方へのアンチテーゼだったように思えてなりません。疑問というか。

梁適は、最初から革離に対して不快感を露わにし、革離に対して、元々の墨子の兼愛という精神からは革離の戦闘方法はかなり乖離しているようだ、と指摘もしました。

問われた革離の方でもそれには気づいていたようで、反論はしませんでした。というより、できなかったんですね。それは、革離の根本にあるのは兼愛の精神だったからだと思います。

そういった矛盾点を抱えながら、杓子定規的に全体主義的な墨子教団の戦い方を推し進めていった革離は、最後は梁適に殺されてしまいます。

何を優先すれば良いのか、実はものすごく難しい問題なのかもしれません。

負けを描いた方が面白い

この話、面白いのは、梁城、趙軍の双方が負けるんですよね。

趙軍は幾度なく、分厚い梁城の守りに跳ね返され、多大な損害を被ります。

一方、梁城の方は、梁適の?個人的な恨みによって革離を殺され、柱を失い、最終的には負けてしまいます。

やはり、勝ちよりも負けを描いた方が面白いと思うんです。

負けの方こそ、見えることも多いと思うし、勝ちよりも負けから学ぶことの方が多いと思います。実際、偉大な発見とかも、失敗から学んだ結果のものも多いように思います。

それに、敗者の方が、より濃いドラマがあるようにも思うんです。そこには悩みや葛藤や悔恨があるから。より人間臭さが出ると思うんですよね。それに、大抵の人はそうだと思うけど、人生、勝つよりも負ける方が多いじゃないですか。あのイチローだって負けの方が多い、って言ってましたからね。

二つのあとがき

僕が買ったのは文春文庫版の本なんですけど、元々は新潮文庫でも発売されていたそうです。それで二つのあとがきがあるんですね。

新潮文庫版は酒見賢一が、多分、まだ若かった頃の文章で、なかなかトンガっていて、硬い感じがしました(^^;;

いきなり、最近の小説はつまらない、とか、小説の未来が危うい、などと喧嘩を売ってくるんです。で、その後は「想像を絶する話」はありえない、ということについて延々と語っています。いやー、なんか、若さ爆発、って感じですね。

一方、文春文庫版のあとがきは、もう結構年を取ってからの文章なのでしょうか、かなりC調な、面白い感じの語り口になっています。

随分前に、墨子事件という事件が日本で起こったそうなんですけど、その際警察に意見を求められた時の話を語ってるんですけど、これがなかなか面白い。

これで自分も作家探偵だ、とが言って、その当時テンションが上がっている感じを書いてるんですね。その感じがなんか良くてですね、やはり人間歳を取ると、角が取れるというか、むしろ面白いものを求めたくなる、という傾向はあるのかもしれないですね。逆に若い頃は深刻ぶってトンガリたくなるというか。

その二つがこうして並んでるのがなんか、可愛らしいというか、面白いというか、面白いんですけど。この二つのあとがきを並べてくれたのは、なかなかの文春文庫のGBだと思います。

あとですね、酒見賢一があとがきで語ったところによると、詩の方が小説よりも言葉の力が強い、らしいんですね。いとうせいこうアジカンゴッチなど、そういうことを言う人は多いんですけど、個人的にはそう感じたことはないですねー。

むしろ、詩だけでは足りない、とすら思います。そこには音楽の要素が必要なのではないか、と思うんです。

 

 

 

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「夜は短し歩けよ乙女」ネタバレ有り読書感想。幻想的だけど、極めてリアルな恋愛小説!

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その当時、「夜は短し歩けよ乙女」が映画化されるということで、急っそいで読んだのがこの小説です。

元々、気になっていて、読みたいとは思っていたのですが、ずっと後回しにしてしまっていて、ようやく重い腰を上げたという形になってしまいました。

やはり、代表作ってもう定番化してて、その意味で、なんというか安心感のようなものもあって、「また今度でいっか」となってしまいがちです。

で、ようやく読んだのですが、もう、期待通りですね。やっぱり面白い!

ちなみに、この話は全四章で、春夏秋冬の季節ごとの物語となっています。映画ではそれを一夜の出来事として描かれていましたが、こちらはじっくりとその季節を描いています。

男女双方の一人称

恋に悩む男の一人称だけでなく、その対象の女性の方からのモノローグもあるという点で、画期的だと思います。方や女性の方はどうなのか、そこに攻め込んで行ったのだから、やはり森見登美彦はすごい。

また、乙女パートがある程度続くと、時折我慢しきれなかったように先輩の独白が割り込んでくるのが面白い。

やはり、乙女の一人称より先輩の一人称の方が「ノリ」があるように思います。それはおそらく、作者が男だからだと思うんですよね。

これは僕の偏見かもしれないし、僕がこれまで読んだり観たりしたものにそういう傾向があるだけなのかもしれないですが、男は男を書くのが得意で、女の一人称や台詞を書くのが苦手なことが多いように思います。

それに対して、女は男を書くのが得意な気がします。たとえば、僕の大好きなアニメに「カウボーイ・ビバップ」というのがあるんですけど、シッブーい、カッコいい台詞が多数出てくるんですね。で、その台詞を書いたのは脚本家である信本敬子です。女性です。

もっとも、「理想の女」を描くのは男の方が上手いと思います(それでも、台詞や一人称は下手だと思います)。多分、女は女である故に、男が知りたくない、見たくないところを、当り前のように赤裸々に書いてしまうところがあるように思います。だから、やや女性の汚いところも描いてしまう。

ところが男は女に夢を見ちゃってるから「そんないい女いねーよ」という女が書ける。というより、そんな女しか書けない。

しかし劇作においては、後者の方が「魅力的」ではあると思います。少なくとも男から見て。前者も、ある意味では魅力的ではあるとは思いますが…。

逆に、女は男の汚いところを踏まえた上で(女性は現実主義者ですからね)、理想の男を描くので、「こんな男いねーよ」というのは、少女漫画や腐女子相手の商品以外ではあまり見かけないと思うのです。

第一章は、主に乙女の側からの目線の話でしたね。

冒頭、いきなり「おともだちパンチ」なる人の殴り方から始まるという物騒なスタート。乙女が姉から教えてもらったというのですが、確かその握りはボクサーの握りだったような…w

ちなみに、この黒髪の乙女は可愛らしいけど、かなり変わった子で、とにかく酒が大好きという、おっさんのような特性を持っています。

思うんですけど、可愛い女の子って妙な癖を持つ子が多い気がするんですけど、どうでしょう? 僕の友達でも可愛い子ほど一癖ある子が多いんですよね。それは一体何なんでしょうね?w

えー、それでですね、僕が第一章で特に気に入ったのが、とにかく、李白翁の電車の描写がすごいんです。

夢のような電車で、趣味が良いんだか悪いんだか、多分この李白翁は俗物なのでしょう(^^;;、とにかく豪華絢爛なのです。ケレン味を全て叩き込んだような電車。

先ず、営団電鉄を三階建にしたような基本構造で、屋上には竹林と古池があります。中に入ると銭湯があります(←え)。もう、旅館ですねw 移動式の三階建て旅館。それが深夜の先斗町をトラック野郎の如くビカビカと光りながら走るのですから、ロマンの塊というものです。

また、偽電気ブランの描写も良かったですねぇ。究極の酒は水のようだ、というのが逆説めいていて、どこか納得がいく感じ。ちなみに僕は電気ブランが大好きです。

物語としては、複雑な人間関係が一つにの糸で繋がっているかのようで、複雑さを単純さに絡め取ってるというか。入り乱れた人間関係が徐々に一つの糸に結ばれていく。ここらへんの、複雑に見える人間関係を単純化させる手法は森見登美彦は抜群に上手いですね。というより、単純な人間関係を、最初は複雑に見せる、と言うべきでしょうか。

また、荒唐無稽な大団円、という力技も妙なカタルシスがありました。深夜の先斗町という怪しげな通りでお祭りのように飲み歩く、という、ある夜に現れた、ある種大人理想郷、といったところでしょうか。

この話では古本の神様が出てきます。森見登美彦の作品にはひゅっと神様らしき人物が紛れ込むことがあります。日本古来の多神教を持ってくるあたり、何か、作品としてその土地に根付いている感が醸し出される気がします。

この章でも描写がホントに美しく、京都の古本市が、何か別世界のように怪しく美しく描かれています。

古本市の印象が、男の方では何回も訪れているからででしょうか、割と否定的なのんですけど、その中に愛があるんですね。

一方、乙女の方は初めてということで、ワクワクが止まらない感じ。この、男は否定、女は肯定という、同じものでも見方が真逆なのも、読んでて面白いです。こういうところ、男女の「癖」のようなものをよく観察しているあたり、森見登美彦はよく見てるなぁ、と思います。

で、この章の中に、本は一つに繋がっている、と少年が説明するくだりがあるのですが、そこがまたすごかった。森見登美彦の「本の虫」さ加減、博覧強記さ加減がわかるシーンでした。挙げていった本が結構バラバラに思える(中には繋がってるな、とわかったのもあったけど)のですが、それが見事に一つの線となって繋がるのです。ここは非常に知的なスリリングさがあって、読み応えありました。

李白氏の古本争奪戦もこの章のハイライトの一つですが、ここの描写は、映画では割とポップに描かれていたと思うんですけど、改めて本を読んでみたら、本当はもっと怪しい、地獄絵図を意図して描写したかったのではないか、と思いました。吹き出る汗の描写や火鍋も含めて、全体的に赤い描写が凄惨さを表しているように感じます。

この章は先輩と乙女のパートが半々といったところなのですが、やはり、森見登美彦は男のパートは上手いけど、女のパートはあんまり上手くないという印象ですね。

もちろん、森見登美彦ですから、下手ではないんですけど、どこか童貞の理想とする女の子、といった感じ。あまりに理想的で清らかすぎるというか。それこそ乙女の言う「美しく調和のある人生」を地で行くような、そんな実在しない女の子という感じなんです。

だから書くのだ、と言われればそれまでですが…。でも何か、こう、作り物めいているんですね。先輩の生々しさと違いすぎるんです。有り体に言えば、乙女パートはちょっと退屈だったりします。

でも、先輩の目論見通り、乙女と同じ本を取ろうとするシーンを乙女の側から描く、という演出は上手かったですね。

男側からの視点では、傲岸不遜な中二病のめんどくさく滑稽な大学生でしかない先輩が、逆の側、つまり乙女の側から見ると、どこかミステリアスで気の良い先輩、といった風で、「あ、こんな風に見えてるのか」と新鮮な感じに映り、先輩のもう一つの魅力が伝わります。どこか、朴訥としたところすらある。

とすると、内面のモノローグは実は全て照れ隠しの虚飾なのかもしれない。そう思うと、ますます主人公の男が魅力的に見えてきます。

大学祭の話です。いよいよ、乙女の方も様子がおかしくなってきましたw 三章目にして、作者もこのキャラを掴んだか、という印象。乙女パートも読んでて面白くなってきました。

それにしても、大学祭の雰囲気の描写が素晴らしい。大学祭の雰囲気を、細かく、楽しく、小馬鹿にしたように描写していきます。こういうところが、ややもするとラノベ的な要素が多分にある森見登美彦の作品を「文学」たらしめているのではないでしょうか。

また、韋駄天ゴタツ、ゲリラ演劇などの突拍子もなく、独創性に満ちた、フザけたアイデアは眼を見張るものがあります。なぜこんなことを考えつくのか。もちろん、例によって樋口氏が一枚噛んでいるところも秀逸。

乙女のパートを先輩が引き継ぎ、またその逆もある。二つのパートが、クロストークをするかの如く繋がっていくのもナイスアイデアだと思います。男女双方からの一人称がいよいよ冴えを見せてきた感じです。

先輩と文化祭実行委員長がそれぞれに探している人は見つからず、探していない人が見つけてしまう、というすれ違いも面白い。特に乙女の方で先輩のことを見かけているのが悲しくて笑えます。この時点では乙女の方では全然先輩に興味がないことがわかる感じですね。

この章でも、同じものを見ても、男の方は否定的に見下したように見て、乙女の方は肯定的に感動して見てる、という男女の違いが如実に表現しています。男という生物と女という生物をよくわかっている。

そして、最後は先輩がゲリラ演劇「偏屈王」に飛び入り参加し、先輩と乙女が主役を演じてハッピーエンド、という意外な王道で幕。学園全体を巻き込んでのクライマックスへの大捕物は、森見登美彦のもう一つの真骨頂とでも言うべきところだと思います。盛り上げ方も非常に上手い。まさにエンタメ。

しかし、森見登美彦らしくないと言えばそうなるかもしれません。スッキリとまとまりすぎてる感があるんですよね。学祭事務局局長(女装が超美人)がパンツ総番長の恋の相手の正体かと思ったのですが、普通に象の尻の紀子さんがその相手で、こちらも普通にハッピーエンド。それほどの捻りはなかったかもしれないけど、そこまで意地悪でもなかったということかもしれません。

風邪の話。タチの悪い風邪が流行ってしまい、学内、ひいては京都全域に広がっていく様子が、淡々とした筆致で、非常に怖く描かれていきます。

そんな中、 黒髪の乙女だけ無事なのですが、風邪の方が避けるという乙女は、やはり選ばれた人なのか、ただのバカなのか、なんとなく両方のような気がします。

最後はまさに夢か現かをそのままの展開にした感じ。やはり、根底にあるのは幻想小説だと思います。ここらへんはさすが日本ファンタジーノベル大賞出身、といった感じ。

先輩と黒髪の乙女が京都上空数百メートルで再会し、先輩が乙女を助ける、というドラマティックな展開だったのですが、二人が発したセリフはというと、これが素っ気ない。それが素晴らしい。このアンチクライマックスというか。素っ気ないが故に、何か伝わってくる。

やはり、恋愛を描く時、仰々しく描くよりは、こうしてさりげなく描いた方が、ずっといいような気がします。

しかし、乙女にご執心の先輩と比べて、乙女の方は作品を通して、先輩は全く眼中にないのが、女の本質を捉えているように思えます。

やはり女性は恋愛、というか基本男には興味ないんでしょうね(言っちまった)。

そのくせ、樋口先輩や、東堂など、乙女は結構男と出歩いています。この、圧倒的な一方通行さ加減が、極めてリアルな恋愛だと思います。

ただ、なぜ乙女が先輩の恋愛を受け入れたのか、それが今一つわからないんですよねぇ。最後は先輩に助けられて、というのはわかります。ただ、その前段階、学園祭の劇で抱きすくめられたあたりから、風向きが完全に変わった感じです。

先輩の何回も偶然に出会う、という外堀を埋める作戦が功を奏したと考えるのが妥当でしょうか。また、スキンシップという要素も大きいかもしれません。何回も同じ人に会っていると、その人に好意を抱きやすい、ということはあるようですし。ベタですが、スキンシップというのも親密性を高めるのに役立つという話を聞いたことがあります。これは野球部とかでも、部活の先生が生徒と接する時、誉める時とか、使うと効果が大きいらしいです。

そんな感じで、地味ながら、人が人を好きになる王道を、「外堀を埋め続けている」と茶化しつつも、それが肝要であることをわかっており、やはり恋愛というものをちゃんと描いていたのかもしれません。

また、あとがきの羽海野チカのイラストも良かったですねぇ。「太陽の塔」のあとがきがまさかの本上まなみという嫌がらせのような人選でしたがw今回は羽海野チカ! いや素晴らしい。

ただ、そのイラストの中に着物のイケメンがいたのですが、樋口さんはあんなじゃないと思う。

 

 

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「エクス・マキナ」ネタバレ有り感想。帝国側の将軍は反乱軍のエースパイロットの部下!?

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「アバウト・タイム」という映画が好きなんですけども、主役を演じたドーナル・グリーソンがすごく良くてですね。以来、非常に好きな俳優なんですけど、その彼がまた主役をやるということで、観に行ったのが「エクス・マキナ」です。

士郎正宗原作のSFアニメ「EX MACHINA」という同タイトルの映画もありました。その点でも、気になる映画でしたね。

ちなみにエクス・マキナというのはラテン語で「機械仕掛けの」を意味するそうです。タイトルからして非常にSF的な香りがしますね。

そうなんです、この映画は、そのものズバリ、ロボットの映画なんですけども、そのロボットと人間の恋愛を基本的には描いています。ロボット、というかAIといった方がしっくりきますかね。

ジャンルとしてはSFスリラーらしいのですが、非常に綺麗でスタイリッシュな映画でした。

ドーナル・グリーソン、やっぱいいなぁ

というわけで、基本的にはドーナル・グリーソン目当てで行った映画なんですけども、やっぱ良かった!

彼の演技は相変わらず良かったですね、。ナイーブな男の子を演じさせたら右に出るものはいないのではないか、と思ってしまいます。

ひょろっとした体型とか、どこかオドオドした感じとか、この映画でも特にハマッていたと思います。こういう感じの人、あまりハリウッドでは見かけないですからね。

しかし、そんなドーナル・グリーソンですが映画「レヴェナント」では将軍役というのがすごい。全然違う! こちらはものすごく威厳のある役ですからね。もう、髭面の大男。

俺、全然わかんなくて、後でキャスト調べたら、あの「アバウト・タイム」の男の子であるというじゃありませんか。えー!とかびっくりしちゃって。

もう、見た目から演技から全部変えちゃう。個人的には名優と言っていいと思うんですけどね。あぁ、だから主役たくさん演じたり、大作にも多く出演してるのか。

そうそう、スター・ウォーズでも将軍役演じてましたね。なんだか将軍づいてるなぁ。それを思うと、あのナイーブな男の子がねぇ、と勝手に親戚のおじさん的気分に浸れます。

でも、スターウォーズの将軍は割と情けない感じの役でムカつく役どころでもあるんですけどね。でも、その感じがまた上手い。さすがですねぇ。

登場人物で言うと、社長役のオスカー・アイザックスター・ウォーズのポー・ダメロン役を演じてるんですよね! これまたびっくりした。この映画の時は割と太かったんですけど、スター・ウォーズでは渋い大人の男担当でしたもんね。やっぱ向こうの俳優は演じ分けがすごいなぁ。

しかし、よくよく考えたら、この映画では帝国側の将軍が反乱軍のエースパイロットの部下なのですね。そう思って観ると、なんか味わい深いですね。

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ロボットと言えば日本?!

ところで、この映画は全編通して、何となく「日本」を意識して作られたのではないかと思えてしまいます。

山奥の社長の別邸からの景色は、なんとなく日本的な印象を受けるんですよねぇ。

木が風にそよぐ音だけのシーンがあったりもして。こういうのって、なんか日本的じゃないですか? こういうシーンを使う日本映画もたくさんあるし。例えば、是枝裕和とか西川美和の映画に多い印象。

あとわかりやすいところで言うと、日本人のアンドロイドが出てきたり、ですかね。

やはり、ロボットものは日本、ということでしょうか。ロボットアニメとかは有名なところですし、日本のロボット産業はすごいものがありますからね。

但し、この映画のテーマでもある「人間とAIの恋愛」ということで言うと、AIに関しては日本はもうすっかり周回遅れというか、もう完全にアウトみたいですけどね。

デザインの勝利

それで、この映画、全体を通して、えらいスタイリッシュなんですよね。

別荘のデザインなんかもですねー、ちょっとキューブリックっぽくて秀逸ですし。自然派キューブリックとでもいうべき趣がありますね。

また、アンドロイドのロボ感がですねー、なんか綺麗だった! ああいう、中のメカが見えるアンドロイドのデザインって大体キモくなるのに(キカイダーはカッコ良かったですが)。それこそ透明感があって(透明ですからね)、すごく綺麗でした。

まー、アンドロイドを演じたアリシア・ヴィキャンデルが綺麗だった、って要素は相当にデカイいとは思いますがw

それにしても綺麗でしたねー。ありゃ恋に落ちるわ。このアンドロイドを観るだけでも一見の価値アリではないかと、個人的には思います。

あと音楽もですね、非常に良かったと思います。何が良かったって、その使い方ですね。よく聞くとひっきりなしには流れているのですが、あまり意識されない。

この主張しない感じが、映画を邪魔せず、それでいて、作品の構築に一役買っている感じで。

しかもちょっと音響系テクノっぽいんですよね。その感じもこの作品にすごく合ってるし、そうやって音楽が作品世界を盛り上げていたと思います。

そしてこの映画、アカデミー賞の視覚効果賞を受賞しています。さすがですね。

男女関係の比喩?

話自体もですね、サスペンス仕立てで面白かったと思います。シニカル、というには毒の効きすぎたラストも良かったですね。

そしてそれは、男女の関係の比喩だったんじゃないか、というような気がしたりしなかったり。

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「ナイン・ストーリーズ」(J・D・サリンジャー)ネタバレ有り読書感想。漫画「バナナフィッシュ」に影響を与えたであろう珠玉の名作集!


以前、あれはいつだったか、高校生の時だったか、ちょっと忘れてしまいましたけどね、「ライ麦畑でつかまえて」を読んでみたんですよ。その時思春期だったし。思春期の人が読むにはお勧めだろうって色んなところで言われてたので。

で、まぁ、読んでみたんですけどね、これが風呂上がり…あぁ失礼…サッパリわからなくてですねー。

で、それから何年か経って、何年くらいですかねぇ、十数年じゃ足りないかもですね、数十年かもしれないですね、それくらい経って、どういう経緯かは忘れましたが、同じJ・D・サリンジャーの「ナイン・ストーリーズ」の文庫本を本屋さんで手に取りまして。

そしたら、これが面白い!

一遍30ページくらいの、短編としても短めの作品集なんですけどね、これは非常に面白く読めました。

サリンジャー、と言ったら大抵の人は「ライ麦畑でつかまえて」だとはもちろん思います。でも、個人的にはこの「ナイン・ストーリーズ」を断然お勧めしたいです。それくらい好きですねぇ。

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「バナナフィッシュにうってつけの日

漫画「バナナフィッシュ」のタイトルの元ネタともなった話としても、その界隈では有名かと思われます。

アメリカのビーチの情緒が全体を覆っているのですが、その裏で常に不穏な空気が漂っています。おそらくは第二次世界大戦の帰還兵であろう主人公の、戦争によって傷つけられた精神が通奏低音のように鳴り響いているような印象です。

これはイーストウッドが「アメリカン・スナイパー」でも描いた問題と同じで、漫画「バナナフィッシュ」の主題にも影響を与えていると思うんです。

「戦争によって破壊された精神」「若き元軍人の死」というのは非常に「バナナフィッシュ」の物語の始まりと共通しているように思いました。

「バナナフィッシュ」はタイトルだけでなく、その物語もこの作品を下敷きにしているのではないか、と思います。

主人公の恋人とその母親との電話での会話から、そういった不穏な雰囲気が醸し出されます。

それで、この二人の会話が、何というか実に上手いんですね。服の話とか、日焼けの話とか、いかにも女性の会話って感じで、それもまた非常に上手いんですけど、そんな最中にポツッポツッと主人公の精神が破綻しているのではないか、というような情報が、主に母親から、出てくるんです。

この、情報が自然に会話からこぼれてくる感じ。あたかも盗み聞きしているような感じが、実に上手い。じわりじわりと不穏な状況が迫ってくる感じというか。

そんな中、後半に主人公が登場します。

ビーチで、小学生の女の子相手に良きお兄さん的に接する主人公からは、戦争の傷を見出すのは難しいですが、バナナフィッシュの話題を持ち出すと、不穏さが顔を出してきます。

それでこの主人公、やたらと女の子の足首を掴むんですね。なんか変だな、って思うくらい。で、その女の子と別れてホテルに帰るんですけど、エレベーターに乗る時に、同乗した女性から自分の足首をジロジロ見られたらしいんです(それもまた定かではない)。

おそらく、主人公には足首に何かしらの傷があるのでしょう。しかし、そのことと、主人公の精神が傷つけられたことと関係があるのか、確かなことは書いていません。

物語は主人公の自殺というショッキングな形で幕を閉じますが、なぜ、この物語の主人公が自殺に至ったのか、明確にはわかりません。

しかし、女の子が、バナナフィッシュを見つけた、と言ったことに何か深い関係があるように思えます。女の子が本当にバナナフィッシュを見つけたのかどうかはわかりません。子供らしい見栄のようなものかもしれません。しかし、主人公にとってはそれは重要なことだったのでしょう。

だとしたら、この主人公の自殺の直接の引き金になったのは、女の子ということになります。そこらへん、何か子供に宿している無垢な悪魔性というものを、なんとはなしに感じてしまいます。

コネティカットのひょこひょこおじさん

正直、よくわからない話だったんですけども、大学の同級生だった、今はおばさんになった二人の女性の会話は、実に生き生きとしていました。

これは「バナナフィッシュに?」の前半部の娘と母親の電話での会話もそうだったんですけど、サリンジャーって、女子二人の会話がめちゃめちゃ上手いんじゃないでしょうか。

そしてこの話も、わからないながらも、やはり戦争というのが通奏低音的に、顔を出したり引っ込めたりしているように思います。

結婚している方のおばさんの元恋人が戦死した兵士、という設定らしいのですが、ハッキリとは語られません。やはりポツリポツリと小出しに語られます。そしてそれが、結婚して子供もいる現在の彼女にも大きな傷となって残っています。

また、この話にも「バナナフィッシュに?」同様、女の子が出てきます。結婚している方のおばさんの娘さんなんですけど、その子には見えない恋人がいるらしいんです。

この娘も「バナナフィッシュに?」同様、何かこう、悪魔めいたというか、主人公に不穏な陰を落とすような気がしてならないです。

ラストの方で、母親が寝ている娘の部屋を訪ね、最終的にはそこで泣き出してしまいます。

なんとなく作りが「バナナフィッシュ?」と似ているように思われるし、やはり戦争の影が色濃い。おそらくは、サリンジャー自身の戦争体験が色濃く反映されているのかもしれません。

「対エスキモー戦争前夜」

テニスをやっている女の子二人が、タクシー代を払う払わないで、一方の女の子のマンションに行く話。またしても女性二人です。

主役はマンションに押しかけた方の女の子で、奥に引っ込んだもう一方の女の子を待っている間に、その子の兄貴や兄貴の友達と話をしている、といった内容。

しかし、何を言いたいのかよくわからなかったです。結局、なぜ主役の子がタクシー代は「やっぱり払わなくていい」と言ったのかもわからない。

ただ、この話でも、主役の女の子を中心とした会話が実に生き生きしていました。思うに、サリンジャーは「その当時現代の」若者の等身大の姿を活写したかったのかもしれません。

笑い男

タイトルからして、攻殻機動隊笑い男の元ネタになったものと思われますが、どうでしょうか。

この作品は短編ながら多角的に楽しめる一遍となっていると思います。

コマンチ団とその団長、そして団長の彼女との交流を中心に、団長の話す「笑い男」の物語をもう一つの軸として話が展開します。

そして、団長と彼女の別れ、そしてそれを見ていたコマンチ団、初めて触れる大人の恋の世界と、思うにそうとは意識されなかったであろう、団長の彼女への、つまりは大人の女性への、おそらくは初めての、主人公の恋心が描かれています。

笑い男が、この現実のストーリーにおいて、何の比喩であったのかはわかりません。しかし、笑い男の悲劇的な最期は、子供に現実を突きつけるというか、必ずしもハッピーエンドで終わらない、ということを教えているようでもあります。

ウルトラマン最終回や、デビルマン最終回で日本の子供たちに衝撃を与えたように、団長が語った笑い男の最後のエピソードはコマンチ団に衝撃を与えたことでしょう。

また、コマンチ団が非常にですね、可愛らしいんですね。子供が非常によく描けている。彼らと団長、そして団長の彼女との交流もまた良い。元子供のおっさんとしては、郷愁感も掻き立てられました。

個人的には非常に好きな話でした。

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「小舟のほとりで」

これまた子供が実によく描けていると思います。

笑い男」とは変わって、今回は一人の男の子、年齢はグッと下がって4歳の子供でした。そしてまた、母親もよく描けていましたねぇ。

仕草の感じを実に丁寧に描くことによって、子供の心情をよく表していたと思います。

また、お母さんの感じも良かったですねぇ。何か問題を抱えた子供に寄り添おうとする感じ、その絶妙な距離感は親のお手本とも言えると思います。

なぜ、子供が家出をしたのか、その理由は、メイドが父親の悪口を言っているのを聞いてしまったからでした。それを思うと、冒頭の黒人のメイドたちの会話が違った風景に見えてきます。

最初は、子供の方が困った奴なのかと思っていたのですが、その実、メイドたちの方にも問題があったのです。

思い返してみれば、メイドは始終愚痴を言っています。そこに既にこのメイドの性格が描かれていたのかもしれません。

何が起こるわけでもないけど、その後ろにあるものを浮き立たせる(おそらくはユダヤ人差別問題のように思える)感じです。一つの事象を描きつつ、じわりと本当のテーマがあるような気がします。

「エズミに捧ぐ」

おそらくは、サリンジャーの自伝的短編かもしれません。

第二次世界大戦の頃、イギリスで諜報部として働いていた主人公と、たまたま会った幼い姉弟との交流。

ここでも、やはり子供がよく描けています。特に幼い弟の子供じみた仕草が実にリアルに、生き生きと描かれていました。

お姉さんの方は、年頃(中一くらい)の女の子らしく、少しおしゃま、でも非常に知的で礼儀正しく、しっかりと大人びて、それでいて子供らしい、可愛らしい面も持ち合わせている。とても魅力的な女の子に描かれています。

この短編の魅力はそのままこの女の子の魅力と言っても過言ではないと思います。

そして、この子と主人公との交流が非常に清々しくて、微笑ましい。出会いが良いですよね。ふと入った教会で聖歌隊の一人として女の子がいたという。

歌声は群を抜いて綺麗で、佇まいにも惹かれた主人公。そしてまさかの喫茶店での再会。女の子が雨に濡れている、というのもまた劇的さを感じます。

そして、これから戦場に向かう主人公に、女の子は無傷での無事を祈るりますが、その願い虚しく、主人公は大怪我を負ってしまいます。

ここでの終戦後の戦場での部屋の様子は、以前観たサリンジャーの半生を綴った映画でも描かれていたような気がすます(うろ覚え)。

そして、ラストはこの子、エズミからの手紙を読む場面で終わり、最後は未来に向けた希望の言葉で終わる。

確かに後半の主人公の様子は痛々しいのですが、冒頭の未来(現代というか)の描写で、物語的にはハッピーエンドで終わることがわかるので(というより、冒頭が実はエズミの結婚式に招待されたことがわかるシーンなので、倒置法的に冒頭がハッピーエンドの場面なのだ)、読者はある意味安心して読める。

この作品も非常に心に残る作品です。

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「愛らしき口もと目は緑」

今度は一転、大人の男女….というよりは男同士の会話劇。

しかも電話越し。

しかも、主役である電話のこちら側の白髪まじりの紳士は女とヤッてる最中を中断しての電話。

最後の方までは、電話の向こうの男の奥さんと不倫してる最中かと思いきや、最後の最後で奥さんが家に帰ってくる。つまり奥さんじゃなかった。

全く何が言いたいのかわからない作りだけど、とにかくおっさん同士の電話越しのやり取りが面白い!

電話の向こうの奴は相当酔っ払ってるらしく、主人公は正直迷惑そう。だけど、粘り強く話を聞いてやっている、という設定。

どうも立場的には主役の方が上役っぽいんだけど、あんまり主役の方が強く出れないっぽい雰囲気。そこがよくわからないながらも、なんか面白い。

とにかくサリンジャーは会話がめちゃめちゃ生き生きしていますね。これは訳者の力も大きいと思います。

なんかわからないけど楽しい一作。

「ド・ドーミエ=スミスの青の時代」

うーん、これは正直つまらなかったかな…(^^;;

コメディを書いたつもりなんだろうけど、ぶっちゃけ全然笑えない(^^;;

日本人とアメリカ人の笑いのセンスの違いもあれば、時代性もあるのでしょう。

あと、日本人が出てくるのですが、苗字をヨショトという。そんな苗字はない。

「テディ」

船の旅の描写がいかにも古き良きアメリカを感じさせ、その雰囲気が実に良い。

親を困らせる、アホな子供の話かと思いきや、実は世界が注目する天才少年の話であることがわかってきます。この展開は意外性もあるし、突然の転換が面白い。

ただ天才少年(そうでもあるらしいのだが)というよりは、もっとスピリチュアルな存在、発言で世間を賑わしているらしい、という設定でした。

ここらへんのスピリチュアルな問答は、確かサリンジャーの反省を描いた映画でもあったと思うけど、サリンジャー自身、確か仏教に入信したと思うのですが、その経験が生かされているのかもしれません。実際、日本の俳句が作品中に登場していますし。

そんな感じで、前半部(家族との交流の場面)と後半部(大学院生らしき若者の男との会話)で大きく趣が異なる作品です。

ラストはまぁ、非常に不穏な感じをほのめかして終わっていますが、なんとなく「バナナフィッシュに~」を彷彿させる感じですね。

「バナナフィッシュに~」では、ビーチの女の子が、主人公の自殺の引き金になったかのように思えるのですが、この「テディ」では、主人公・テディの妹が、ひょっとしたらテディの命を奪ったかもしれない描写で終わっています。

何かこう、ひょっとしたらサリンジャーの中では、幼い女の子が主人公を不幸へと導く、というプロットのようなものがあったのかもしれないなぁ、とちょっとこの一連の短編を読んで、そういう印象を受けてしまいました。

 

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「名探偵コナン ゼロの執行人」ネタバレ有り感想。福山雅治は「赤安」を知った!!


最近、ようやっと鬼滅旋風が一段落といったところですが、いや凄まじかったですね。

年始の「スポーツ王は俺だ!」の「リアル野球BAN」でも日ハムの杉谷が鬼滅バット持って打席に立ったりして、もうすっかり日本全国が鬼滅に飲み込まれた感じ。

そして公開当初は、煉獄さんを100億の男にするとかなんとかで、劇場に何度も通うオタクも多かったと思いますが(まぁ、そんな何度も通ったからどうこうとかいうレベルの話じゃなかったですけどね。300億ですよ)、そこで思い出したのがこの映画です。

名探偵コナン ゼロの執行人」。

いわゆる「ゼロシコ」ってやつです。

この時も「安室の女」たちが、「安室さんを100億の男に!」と言って、せっせと劇場に足を運んでいたのです。何度も何度も。

残念ながら、彼女たちの甲斐甲斐しい努力とは裏腹に、日本での興行収入は100億には届かなかったのですが(91億)、海外も含めると、見事110億と相成ったわけであります。すげえな、安室の女。

僕の友達にも「安室の女」は何人かいまして、もう大絶賛してるので、「そんなに面白いか?面白かろう!」というわけで、僕も観に行ってきたのです。そうなんですよ、僕も「全世界で100億の男」に貢献してきたのですよ。

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予告編

そりゃ面白いでしょ

まぁね、事前の評判もなかなか良かったので、期待はしていたのですが、まぁ、ぶっちゃけ、「言うてもそんなでもねぇだろ」という気持ちも半分くらいありました。

そんな半々の気持ちで観に行ったのですが、めちゃ面白かったです!

まぁ、そりゃあね、基本はミステリーだし、あれだけの長寿シリーズだし、それが力入れて劇場版作るわけで、しかもその劇場版も何作も作られて毎回毎回興行成績も良いわけですから、もう手堅く面白いですよ、ええ。

で、ですね、やってることはハリウッド映画のようなスケール感なんですよ。いや、見事でしたね。デカいビルで爆発事件が起きちゃったりしてね。内容的にも警察の内部告発モノで、非常に骨太の警察ドラマでした。

そういうのを実写で撮るとなると、そりゃ予算もハリウッド級になってしまって、なかなか難しいですが、絵なら何とか頑張れる、という感じでしょう。アニメーターの方々は大変だと思いますが(^^;;

一方、ラストのアクションの方はですね、少林サッカーを思い出してしまいましたw コナン君の必殺の武器はサッカーボール(と特殊シューズ)ということもあってw でもやっぱり、安室さんが運転するカーアクションはハリウッド級でした。ここのアクション、作画もアニメーターの方々大活躍という感じ。

日本人だって、発想だけならハリウッドに負けてねーぞ!といったところですよね。

俺は安室さんより犯人に興味を持った

でも…ですね。世間で言われているようには僕は安室さんにはそれほど惹かれなかったですねー。実はそこも(を?)期待して行ったのですが、そういった意味ではほんの少しだけ残念だったかな。

世間の女子(主に腐女子)がなぜああも安室安室と騒いで「安室の女」になったのか、まぁ、正直、全く分からなかったですね(笑)

なんでもクライマックスのアクションシーンでの「俺の恋人は……この国さ」という安室さんの台詞が名ゼリフとされているらしいのですが、個人的にはまるで響かなかったですね。

むしろ…何かこう、非常にファッショなものを感じてしまい、うすら寒くすらありました。まぁ、安室さんが警察ということを考えると、一応の納得もするのですが…。台詞の一部が「市民」となると、おお!とも思うのですが、「国」となると…。いや、まぁ、いいんですけどね。

逆にですねぇ、僕が強く惹かれたのは、黒幕であるところの日下部さんだったんです。

何と言うかですねぇ、その、非常に人間臭いんですよねぇ。

警察機構の被害者的側面もあって、その意味で本当の悪人ではないと思うんです。

むしろ、彼の中の正義を全うするために、行き過ぎた行為を行ってしまい、挙句犯罪者となってしまった、ということも言えると思うんです。

もちろん、彼のやったことは決して褒められたものではなく、むしろ裁かれなくてはいけない、罰を受けなくてはいけない行為です。

しかしよくよく考えると、彼を犯罪行為へと駆り立てた事の元凶は、安室ら公安警察である、とも言えると思うんですよね。そのことを思うと釈然としない。だから、安室にも釈然としない。

何が正しくて、何が悪いのか、非常に曖昧に思えてきます。犯した罪が悪ならば、その元凶を辿っていかなくてはならないものなのかもしれません。

そういった意味では、非常に後味の悪い、非常に考えさせられる、そういった奥行きの深い作品であったとも言えるでしょう。

なんとなく、思い出してしまったのが、かの名作刑事ドラマ「相棒」です。警察物だし、非常に共通点が多いかもしれません。

その他雑感諸々

また、ゲスト声優は今回博多大吉と上戸彩だったのですが、二人共とても上手かったと思います。特に大吉先生は意外でしたねぇ(失礼!)。上戸彩も、ちゃんとアニメの絵に負けていない、実写の俳優が陥ってしまいがちなモソモソ感はほぼなかったと思います。

それから思ったのは、コナン君がですねぇ、最早小学生の姿であることが物語の足枷でしかないように思えて仕方なかったですw 高校生の新一君でもキツいですかねぇ(高校生は世間的にはバリバリ子供です)。もっとちゃんとした、社会人であった方がスムーズに話が進むような気がしました。

安室さんの部下の風見さんっていう人がコナン君に愚痴をこぼすシーンがあるんですけど、そのシーンなんて「風見は大人として終わってる」風に見えてしまいますw お前、大人だろ?w しかも公安警察だろ?w 小学生相手に仕事の愚痴こぼすなよwww

後はですねー、これも割と強く思ったんですけど、話が難しいw 警察の細かい機構や裁判についての話が結構細かく描かれていて、もちろん「図入り」で詳しく解説はされているのですが、それでも難しく、子供が観ても面白いものか?と思ってしまいました。

一応、「名探偵コナン」って子供向けのアニメですよね? 人殺しの現場は出るは、警察の難しい話は出るは、なかなかハードですよねw

最後にですね、今回主題歌を担当しているのは福山雅治! あの「日本一モテる男」こと福山雅治です(いや、ホントカッコ良いですよね!)!

で、その福山。ツイッターで動画が流れてきたんですけど、なんと、「赤安(読み:あかあむ)*1」なる単語を知ってしまったそうです。そんでまた調べてしまったそうです。あまつさえ、読んだそうです(!)。

いやさすが福山ですよね。自身のコンサートにおいて、ノーパンでチャック全開させただけのことはある。

 

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*1:気になった人は調べてみてください。福山曰く「割と浅いところに埋まってる」ので。