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僕が買ったもの、観に行った映画・ライヴなど、要は金を払ったものに対して言いたい放題感想を言わせてもらおうというブログです。オチとかはないです。※ネタバレありまくりなので、注意!

「海を駆ける」ネタバレ有り感想。不可思議映画だけど仲野太賀スゲエ!


「ほとりの朔子」「淵に立つ」が良かったので、すっかり好きな監督になったのが、深田晃司です。

で、その最新作が公開されるってんで、その当時、当然のごとく観に行ったのが「海を駆ける」です。

ま、でもですね、なかなかにして不可思議な映画でしたね。

またまた謎映画の森に迷い込んだのでありました。

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映像美

先ず、すごく綺麗な映画でしたねぇ。

画面の切り方とかがすごく計算されている印象を持ちました。

そしてとてもスタイリッシュ。

家の感じとか家具とか、南国インドネシアのお洒落な部分を切り取った、という感じでしょうか。

絵としての映画というか。

これもまた、劇場に足を運ぶ醍醐味ですよね。

展覧会で絵を観る気分で映画を観るというか。そういう効能も映画にはあると思います。

謎映画

でも、なんだかよくわからない映画でした(^^;;

まぁ、ファンタジーということなので、ファンタジーにありがちと言えばそうかもしれないですけども…。

とにかくディーン・フジオカの役どころが謎すぎてわからない。

ただただ不可思議なだけの存在で、周りに何か影響を与える、ということもないように思えます。

で、そのディーン・フジオカが主役らしいんですが、主役には思えなかったですね。

むしろ、鶴田真由のファミリーを取り巻く若者たちの群像劇、といった趣でした。

初めのうちはインドネシアで起きた津波災害と東日本大震災をなぞらえるような、そんな話かと思ったんです。

でも、そこから微妙に浮き上がる日本人のいびつさがあぶり出されていき、全編に渡ってそのような描写が点在してきます。

ただ、物語も中盤を過ぎると、それぞれの恋愛感情を軸に行き方を模索する若者たち、という方向にシフトしていったように思います。

そして更に、そこからディーン・フジオカ扮する謎の男・ラウの不思議性がどんどんと露わになっていって、ラストの方では完全に不可解ファンタジーになってしまうのです。

ラウは人を助けもするし、理不尽に人の命も奪う(そのように受け取れる)。

そんなラウは、ひょっとしたら自然の象徴なのかもしれない、と思うとなんとなく納得はいくんですけど…。

それにしても不可思議な映画でした。

太賀スゲエ!

そんな感じで、ディーン・フジオカが演じた主役のラウはもちろん、インパクトは絶大だったわけですが、ただ役者としては、何と言っても太賀でした(現在は仲野太賀ですが、この当時は太賀でした)。

前々から良い役者だなぁ、とは思っていたのですが、この映画を観て、マジ半端ねぇな、と思いました。

もう、その実存感たるや、他の追随を許さない、って感じです。

ホント、現地人か、って思うくらい。インドネシアの現地の言葉もとても流暢に(と言って、その言語知らないんで、「日本人的には流暢に聞こえる」って感じなんですけど(^^;;)話すし、佇まいなんかも、我々がイメージする「現地で生まれ育った日本人」って感じ。

確かに話の筋はよくわからない謎映画ではあるのですが、映像美、そして太賀の演技だけでも一見の価値有り、だと個人的には思います。

 

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「カンガルー日和」ネタバレ有り読書感想。村上春樹のエキス絵本?!


基本的に僕は短編小説が好きです。

やっぱり読むのが遅いってのが大きいと思いますw 読むのが遅いと、いつまでも話が終わんない。

だけど、短い話だと割とすぐに読み終わる(それでも遅いけど)。もちろん、本一冊となると時間はかかっちゃうんですけど、それでも、短い方がキリをつけるのに便利だったりします。

村上春樹も好きでたまに読むんですけど、やっぱり長編よりも短編の方が肌に合う感じです。

特に村上春樹の場合はそれが顕著ですね。村上春樹の短編は長編に比べてスキッとまとまっていて読みやすいと思うし、切れ味も鋭い気がします。

人気がある故に酷評も多くて、割と最近出された「女のいない男たち」も結構批判されているのを見たことがあるんですけど。僕は面白く読めました。

カンガルー日和」は、もう随分前に刊行された本なんですけど、これも好きです。

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村上春樹の魅力が凝縮

カンガルー日和」は短編と言うには短く、ショートショートにしては長すぎる、そんな分量の、掌編とでもいうべき長さです。これがまた個人的にはすごく読みやすかったです。読むの遅いですからねw

短編っつっても、大体50ページくらいあるじゃないですか。そうなると僕的にはもう長いw どんだけ読むの遅いんだ、って話ですけどねw

でも、「カンガルー日和」は一日一話読み終えられる感じ。一話10ページくらいですかね。実に短いです。ちょっと時間がある日は二つ三つ、できれば五つくらい読めちゃうし、時間がない日は一話でもOKだし。実に都合が効く感じです。

それだけ短いから、言ってみればその作家の物語性みたいなものをギュッと絞ってエキスにした感じになるから、より村上春樹の短編の良いところが出ていると思うし、短編集全体を見渡しても、村上春樹っぽさがよく出てると思います。

幻想小説的なところや、エッセイのような私小説のようなもの。お洒落な感じや、郷愁感を感じるところ。不気味なところや、ちょっとユーモアがあるところ。あと、料理に関する文章! たまらなく魅力的ですよね。こっちも食いたくなってきてしまいます。そんな、色々ある村上春樹の良いところが全てある感じ。

それに、今よりもまだ大分若いからか、文章に瑞々しさが感じられるんですね。まだ多分、30をちょっと越えたくらいじゃないかな。本人的には、もう若くはない、って意識が文章の端々から見えるんだけど、でもやっぱり30はまだまだ若い。

ただ、80年代当時としては、30はもうすっかりおじさん、おばさんって感じだったんですよね。今の30とは全然違う。今のイメージだと、40かそこら。それを思うと、今の人たちはホント若いですよねー。

あと、佐々木マキのイラストも村上春樹の小説に合っているんですよねー。実際、何度も装丁を担当していますし。ちょっとお洒落でちょっと不気味。それって村上春樹の文章の特徴でもあるし、実にハマッていると思います。それまでは表紙を担当していただけらしのですが、この本では挿絵も幾つか入っているんです。だから、大げさに言えば、ちょっとした絵本的にも楽しめるんですよね。そして、そういった挿絵が箸休めにもなって、読むのが遅い僕としては、何となく息抜きできて楽しかったです。

ちなみに、この本にはあとがきがあるのですが、村上春樹の何かの本でまえがきとかあとがきが嫌い、って書いてあったの読んだことあるけど、その後けっこう見かけますけどね。村上春樹の本のまえがきとあとがき。

「1963/1982のイパネマ娘」が一番好き

で、どの話も面白いんですけど、中でも「1963/1982のイパネマ娘」が個人的には一番好きでしたかねー。

ジョビンの「イパネマの少女」に登場する娘に対する、まぁ、夢物語というか、そんな感じ。レコードの中、或いは歌詞の中の少女は歳を取らない、という。そして、その少女と会話をする。ちょっと妄想的な小説、というかエッセイかもしれない。

とりとめのない連想を通じて、郷愁感を描いている。ブラジル音楽特有のサウダージ村上春樹なりに表現してみた、という感じかもしれません。

「イパネマの少女」に対する返歌のつもりで書いたのかもしれません。で、更にそれを、リオのビーチで起こったことを、都市的に表現してみた感じ。村上春樹の都会的センスが良い意味で爆発してますね。とても読み心地の良い作品って感じです。

個人的に思う「村上春樹の良いところ」が全部詰まってる感じですね。60年代の音楽が好きで、シャレオツで、食べる描写が美味しそうで、知らないはずの時代に懐かしさを感じて、ちょっとユーモアがあって、幻想的で。

懐かしの手紙の時代

バート・バカラックはお好き」を読んだ時に、ちょっと思うところがあって。

これは手紙の通信添削の大学生の話なんですけども。添削の先生は生徒とは異性、という決まりが、そのバイト先ではあったらしく、主人公(多分村上春樹)は若い子からおばさんまでの手紙の指南を行なっている、という話。

思うに、この時代はラブレターとか、文通とか、手紙での交流が盛んだった時代だったかもしれません。多分60年代が舞台だし。

この物語では主人公は手紙を書くのは「寂しいから」だろう、と言っています。そして、この時代、手紙を出す相手は、おそらくは自分の手紙を、書いた文章を、ひいては自分を、受け入れてくれる人だったのでしょう。だから、手紙を書くということは、それだけで救いになっていたのかもしれません。

翻って現代はSNSの時代です。手紙なんか誰も書かない。手紙の代わりになるのがSNSだから。で、一人ではなく、一気に多数の人に自分の文章を見られてしまう。

でもそこは、基本的には悪意の塊だったりします。だから、今の時代、自分の文章を書いても、自分を受け入れてくれることは、あんまりない。

おそらく、この「不特定多数」というのがよくないのかもしれません。一対一ならば、真摯に向き合わざるを得ない(あるいはそのことを強要される)ことが多いと思うんです。

なんだか隔世の感を禁じ得ませんね。

こんな風に、昔のエッセイや小説を読むのは、今の時代と比較できるので、そういう楽しみ方もできて面白いと思います。

村上春樹は案外昔気質の人?

「五月の海岸線」ではですねー、村上春樹の意外な一面を垣間見れた気がして、そういった意味でも面白かったです。

結婚式で、おそらく地元の神戸に帰郷した時の村上春樹のエッセイといった話なんですけど、多分小説じゃないんじゃないですかねー。

もう、とにかく開発に対して否定的なんです。新幹線から、地元の海辺の町から、変わってしまうことに関して全否定(^^;;

個人的には新幹線から見える風景が(新幹線も)大好きなので、読んでてあんまり気分が良くはなかったのですが、ただ、なんとなく気持ちはわかります。

日本って、それまであった風景を台無しにして、画一的で無駄な建築を作り続けるところあるじゃないですか。そんな国、世界でも稀なんじゃないですかね? 歴史と伝統を大事にするヨーロッパを見習うべきだと思うんですけどねー。

そういうことは細野晴臣も、昔の東京オリンピックで東京はダメになった、みたいなこと言ってました。

でも、村上春樹にはそんなイメージなかったんですよ。でも、この話を読んで村上春樹も、戦後すぐ生まれの日本人、ていう感じがして意外でした。

近所の海で海水浴を楽しみ、井戸で冷やした西瓜を好んで食べていたそうです。井戸というのが良いですよね。

普段の文章では村上春樹は都市型スノッブを気取りまくっていますが、その根底にあるのは、まだ牧歌的だった日本の風景なのかもしれません。

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映画「夜は短し歩けよ乙女」ネタバレ有り感想。黒髪の乙女は光を与える!

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森見登美彦が大好きなのですが、そもそもは深夜アニメの「四畳半神話大系」を観たのがきっかけでした。

それがホント素晴らしいアニメで、あまりに素晴らしすぎて「原作も読みたい」となって、「四畳半王国見聞録」を買ったのが始まりでした。……。ええ、「四畳半神話大系」じゃないんですよw でもこれ面白かったあー。

というわけでですね、その森見登美彦の代表作と言っても過言ではない(代表作多すぎてわからない)のが「夜は短し歩けよ乙女」だと思うんですね。

その劇場版アニメがやるって話を聞いた時は、それはもう観に行かなくてはいけない、と思いましたよ。

で、実際観に行って、面白かったんですけど、残念なのは特典の小説ですね。これがもらえなかったのは実に残念無念……。

ちなみにこの小説、先輩と黒髪の乙女のその後の話が描かれているというじゃありませんか。嗚呼……。そろそろ、文庫版のあとがきあたりに掲載してもいいんじゃないですかね?

映画というフォーマットには合わなかったかも

全体的にはですね、監督・湯浅政明、脚本・上田誠、キャラクター原案・中村佑介、主題歌・ASIAN KUNG-FU GENERATIONなどなど、「四畳半神話大系」の制作陣とほぼほぼ同じということもあり、森見登美彦のあの世界観を見事に映像化していたと思います。

ただですね、やはり「四畳半神話大系」と比べてしまうと、そっちの方が面白かったかもしれません。

というのも、やはり森見登美彦原作ということで、情報量が多いんですね。とにかく一人称で、モノローグで、主人公が喋り倒す。

そういった作風ですと、やはり長くじっくり作れるTVシリーズというフォーマットの方が合ってるのかもしれません。

だから、映画という、長くても2時間という尺の中では、ちょっと収まりが悪かったかな、と。

割と無理矢理に詰め込んだ感は拭いきれなかったかな、と思います。

原作の方では、季節ごとに全四話だったのですが、この映画では、あたかも一夜の出来事のように描かれていました。まぁ、それも映画にするにはなかなか良い方策だったかとは思いますが、やはりいかんせん、駆け足感というか、そういう印象は否めない感じでしたかねぇ。

カラフルな小説世界の映像美!

そうはいいつつも、あのめくるめくサイケデリックな映像美、場や小道具、セットデザインなどはホントに素晴らしい、夢のような世界でした。

京都という街をファンタスティックな世界に変えてしまった感じですねー。

さっきも言いましたが、一夜の出来事なのか、四季を巡ったのか、時間の流れもわからない、最早四次元エンタテインメントって感じです。

その点は、さっきも言ったように、ややもすると駆け足感、詰め込み感を感じてしまう点でもあるのですが、そうやって、時間の流れがよくわからない、それ故夢のようにも感じられて、観方によってはやはり面白い作りになっていると言えるとも思います。

四季を巡った一年間が、一夜の夢のように感じられる。それは、先輩と黒髪の乙女が過ごした特別な一年が、二人にとってはまさに夢のように過ぎ去った一年であったことを表していたのかもしれません。

黒髪の乙女は光を与えてくれる

黒髪の乙女は、日陰しか歩いてこなかった人を強烈に照らす人、という感じがしました。

孤独な老人、やさぐれたおじさん、そして自分に片想いをしている先輩。

色んな人に光を与えていました。最後、先輩の部屋を目指す乙女は、なんだか救世主のような、女神のような。

なんでもできて、どんどんと前に進んでしまう乙女だけど、そんな彼女も恋愛には奥手なところが、良かったですねぇ。

くだらなくも笑える展開のオンパレードの中、最後はグッときてしまいました。多分、乙女と関わった男たちが、なんとなく自分に似ていたからかもしれません。

 ↓「夜は短し歩けよ乙女」配信中!






 

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「コードギアス 反逆のルルーシュ I 興道」ネタバレ有り感想。ルルーシュとスザクは真逆!

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どうもね、コードギアスの続編が作られるそうで。

まぁ、賛否両論あると思いますけど、ファンとしてはやっぱり嬉しいです。「復活のルルーシュ」も、これまた賛否あるけど、面白かったですからね。

そもそも、続編を作るための復活だったらしいですね。今一度、ルルーシュに決着をつけさせるというか。それはルルーシュのため、というのもあったとは思いますが、作り手のため、という意味合いも強かったとか、何かで読んだ気がします。

そんなわけでですね、一連のコードギアス続編の流れの最初にあるのは、TVシリーズではなく、映画「コードギアス 反逆のルルーシュ I 興道」なのだそうです。

僕はテレビの第一シリーズは観てなくて(←それでもファンか)、土曜の午後五時からので初めてみたので(だから、ロロはマジでルルの弟だと思っていた。そういった意味では騙されてたルルーシュ目線で観ることができたのは面白い体験だったと思います)、この映画でようやく最初から観れた、ということになります。

しかし、よくよく調べたら、この映画、TV版の再編集、というのではなく、結構TV版とは違っているらしいんです。それは映画シリーズ全体を通してのことなんだそうですけども、いや俺全然わかんなかったわ。人の記憶は曖昧だからね。

そういった意味で、やっぱりTV版の第一シリーズは観ないといけないですね(まだ観てない)。

「よく放送できたな」レベルの設定

やっぱすごいアニメですねー!

状況設定、人物設定などすごくよく作り込まれてますよね。

よく放送できたものだと思います。よくよく考えたら、かなりヤバい内容ですよね。

「もしもの歴史」からよくあそこまで作れるもんだなー、とホント、驚愕してしまうレベルです。

もしアメリカが独立しなかったら、というところからスタートしてるんですよね。だから、イギリスが世界の覇権を握り続けている世界、という世界観でしょうか。

なんとなく、「もしも日本がアメリカとソ連に分断されて、津軽海峡に国境が引かれていたら」という世界観の新海誠監督作品「雲の向こう、約束の場所」にも通ずるものを感じてしまいます。

そんなわけで、だから、「神聖ブリタニア帝国」なんですよね(イギリスの日本語での正式名称は『グレートブリテン及び北部アイルランド連合王国)。

そして、日本はブリタニアに併合され、支配されている、という設定。大丈夫か?! この設定! 色々怒られそうですけどね。しかし、振り切ったなー。

で、その日本は「日本」という名前を取り上げられて、エリア11という呼称を与えられてしまい、そのため日本人は「イレブン」と呼ばれているのですが、そこらへんのネーミングも、なかなかよく出来ているなぁと。

これはわかりやすく侍ですよね。十と一を合わせて「士」という。十一、だからイレブン。

で、その日本人がテロ組織を作って、反乱・革命を起こす、というのが主な内容なんですけど、ヤバすぎないか? この設定!

しかもしかも、そのテロ組織を仕切るのが、ブリタニアの「捨てられた王子」(このネーミングもまた外連味に満ちている)ってのがまた、ひねってて、すごいですよね。敵の敵は味方というか。ブリタニアに恨みを持った者同士が手を組む、という。

なんというか、ホント、外連味に満ち満ちた設定ですよね。

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ルーシュとスザクは真逆の魅力

で、改めて思ったのが、ルルーシュとスザクってのは、もう真逆の人なんだな、と。

ルルーシュは、ナナリー一人の幸せのためなら、ぶっちゃけ他の全てはどうとも思っていないし、下手をしたら自分すらどうでもいいと思っている、と思うんです。

でも、そんなルルーシュの行動は、結果多くの人のためになっている。

日本(ここで言うイレブン)なんかはそうですよね。黒の騎士団(これもすごいネーミングだ)なんかは、ルルーシュにいいように利用されてるのですが、結果、それが日本の独立のためになっている。

黒の騎士団が活躍するためには、ルルーシュのカリスマ性と頭脳が絶対に必要なものですから。それなくしては、早々に制圧されていたと思います。

逆に、スザクの行動原理ってのは、みんなの幸せのため、っていう感じなんです。みんなのためにスザクは頑張る。

でも、結果全ての人を不幸にしてしまっている。

スザクがあんなことしなければ、ってのは結構ある。

なぜそんなことになってしまうかというと、やっぱ、ルルーシュと違ってスザクがバカだから、というのはあると思いますw 割とマッスル脳ですからね。あとは、その方が物語が動くからw そういう役割を与えられたキャラクターだから、というのが実は最大の要因だと思います(そう言ってしまうと元も子もないですが)。

ただ、スザクの法を遵守する姿勢は、どことなくスピルバーグの「ブリッジ・オブ・スパイズ」を思い出してしまいました。

今回初めてスザクのかっこよさがわかったというか。

でもやっぱルルーシュ

ケレン味満載のゼロはやっぱりカッコいいですねー。ルルーシュのセルフプロデュースというか。

セルフプロデュースの上手さは、ルルーシュかミッチー(及川光博)か、ってくらい上手い。

動きも無駄にデカくてナルシスティックですからね。もう、指先にまで自意識があるかの如くです。

正義のため、というルルーシュの笑いは、もう悪役そのままなんですけどね(笑) この人、ホント、ロボットアニメの主役か?と思ってしまいますw

でも、交通事故を見てスマホで写真撮りまくってる群衆に舌打ちかまして、一人助けに行くルルーシュは、なんというか、ホントルルーシュ

このシーンにルルの全てが凝縮されているように思います。

大変な目に遭っている人たちを見捨てない。行動する。それが一人でも、です。

これって、人の上に立つべき人の資質だと思うんですよね。

やはりルルーシュは「人を導く人」として生まれたのだと思います。

↓「コードギアス 反逆のルルーシュ I 興道」配信中!

 

 

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「皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ」ネタバレ有り感想。色々とカッコいい、等身大ヒーロー!

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脚本家の中島かずきが大好きです。

基本的には劇団☆新感線の座付作家だと思うのですが、アニメの脚本も多数書いてます。「天元突破グレンラガン」「キルラキル」「プロメア」などなど。どれもホント大好きです。

で、ツイッターもフォローしてるのですが、そのツイッター中島かずきが絶賛お勧めしてたのが「皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ」。

鋼鉄ジーグ

それだけでも食いつくのに、しかもイタリア映画だといいます。

イタリアと言えば言わずと知れたお洒落総番長国家。そのイタリアと鋼鉄ジーグという、異種格闘技戦のようなタッグに思わず胸が熱くなったのですが、実はお洒落国家イタリアでは鋼鉄ジーグが大人気だったんだそうです。

最近、巷のマニアの間ではフィリピン版実写版「ボルテスV」が話題ですが、「ボルテスV」はフィリピンの人なら誰でも知ってるくらい大人気だったんだそうです。

いやー、日本のロボットアニメはどこで人気があるかわかりませんね。素晴らしい。

あ、そういや、一頃のイタリア代表のほとんどのメンバーが「キャプテン翼」読んでたみたいですね。デル・ピエーロは翼くんのイラスト入りスニーカーを履いてました。

うーんお洒落。イタリア人にはアニメ好きマンガ好きの素養があるのかも。

さて、そんな感じで当然のことながら観に行った「皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ」なのですが、全体的にはついていけなかったり、よくわからなかったりと残念感はあったのですが、やはりイタリアフィルターはすごくて、カッコ良かったです。

でも、全体的にはグロくて下品で汚くて血生臭い(^^;; ここらへんはイタリア人の感覚なのでしょうか。

ちなみにこの映画、イタリアのアカデミー賞を総ナメにしています。

ローマかっけぇ

冒頭の追跡シーンがカッコ良くてですねぇ、非常に丁寧に時間をかけて作られている感じがしました。

大掛かりなロケができないであろう中、カメラワークと編集でスピード感のある画面になっていましたね。

あと、やっぱりローマの街はカッコいい!

このロケーションだけでも勝ったも同然ですね。

役者かっけぇ

役者がそれぞれ魅力的でした。特に悪役の狂気のイケメンがニューロマンティック入ってて良かったですねぇ。

主役の男も、うだつが上がらないながらも朴訥とした渋さがありました。

クレイジーな女の子もすごく綺麗! アホみたいなドレスがカッコ良く似合うのはやはりイタリア人ならではですね。

なんでイタリアの人って、あんなカッコ良かったり綺麗だったりするんでしょうね?

歌かっけぇ

あとEDの歌が超絶カッコ良かったです!

鋼鉄ジーグの主題歌なんですが、なんとイタリア語! やっぱイタリア語ってカッコいいよなぁ。

歌声も渋くて、すげえ良い声で、ひょっとしたらイタリアの国民的歌手が歌ってるのか?!と思い調べてみたら、なんと主役のうだつの上がらない男性役の人でした!

すげえなぁ。向こうの役者は歌も上手いのか!

そういやあ、ハリウッド版のレミゼ観た時も、ヒュー・ジャックマンとかラッセル・クロウとか、みんなめちゃ歌上手かったもんなー。

等身大ヒーロー

鋼鉄ジーグと言えば、巨大ロボットアニメです。僕も子供の頃、大好きで観ていました。

しかも、変身ロボットアニメなんですよね。主人公の男が、こう、クルクルクルクルッ!って前宙を何回転もして(!)、いつの間にやらそれが鋼鉄ジーグの「頭」になるという。どういう原理だ?

で、その超合金も流行りましたねー。磁石で手足がくっつく、というかなり凝ったオモチャだったんですけど、そんな感じで各パーツが分離可能だもんだから、失くしやすいんですよね。

で、案の定、俺の友達が、よりによって頭のパーツを失くしやがってですね、どうしよう、ってんで代わりになるもの探したら、パチンコの玉があったそうなんです。で、試しにそれをジーグの頭のパーツに付けたら、これがまた妙に収まりが良かったらしかったんですけども。

ジーグの頭をパチンコ玉にすんぢゃねーよ!www

一番大事なパーツだろ、頭部パーツ! 主人公が前宙して変身するんだぞ! いわば主人公そのものだ。

その、物語の主役、ヒーローを、あのツルッツルのパチンコ玉にするとは、なんたる……面白い!

そんな感じでですね、えーっと、何でしたっけ? あ、そうそう。鋼鉄ジーグって巨大ロボットなんですよ。でも、この「皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ」のヒーローは巨大でもロボットでもありません。

等身大の、冴えないあんちゃんです。変身もしません。ただ、強くなっただけです。

基本的にはマフィア(というよりはイタリアンチンピラ)映画で、その世界の一人に超人パワーを授けたって感じですね。

その力もスーパーマン的な極端なものではなく、普通の人より大分強い、といった感じ。ショッカーの戦闘員よりちょっと強いくらいか。

しかも、さっき言ったみたいに、主役の男は全然ヒーロー然としてなくて、むしろうだつの上がらない男なんです。

そういった意味で、極めて「等身大」的なヒーローだと思います。

で、その感じが、イタリアフィルターも相まって、すごく良い感じでした。

↓「皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ」配信中!

 

 

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