azzurriのショッピングレビュー

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僕が買ったもの、観に行った映画・ライヴなど、要は金を払ったものに対して言いたい放題感想を言わせてもらおうというブログです。オチとかはないです。※ネタバレありまくりなので、注意!

「Ryuichi Sakamoto Playing the Piano : 2022+」ネタバレ有り感想。

先日、絶対に観たかった「Ryuichi Sakamoto Playing the Piano : 2022+」を観に行ってきましたー!

故あって、昨年末の配信ライヴを観ることは叶いませんでした。だから、YouTubeで「Merry Christmas, Mr.Lawrence」が特別公開された時はイチもニもなく飛びつきました。

その後、NHKでもダイジェスト版が放送! いやもう、ホンット、NHKにはありがとうございますと言いたいです。

そしてその放送内で、映画公開の予定もあることを教授が仰って、それ聞いた時はもう、本当嬉しくて、楽しみにしていたのですが。

その映画が、遂に公開されました! しかも、配信ライヴでは未公開の曲まであるという…!

というわけで行って参りました。場所はもちろん109シネマズプレミアム新宿。教授が音響を監修したという映画館での上映ということで、その点でも楽しみでした。

そして、やはり最高でした。

 

teaser

youtu.be

久々の歌舞伎町

先ずは104シネマズビル屋上のゴジラを記念撮影しながら、久々の歌舞伎町を進んでいきます。

徐々に写真を撮りながら近づいていき、最後にゴジラの真下でカメラを構えたら、トラックにクラクションを鳴らされてしまいました(^^;;

夢中になって道路の真ん中で撮影しちゃダメですよw

ちなみに、歌舞伎町へ行ったのは実に久々だったのですが、割と小綺麗にはなっていましたねー。とはいえ、そこは歌舞伎町w 相変わらずの雰囲気は保ったままでありました。さすが歌舞伎町。かぶいてるね。

そして! いよいよ初の109シネマズプレミアム新宿へ。

しかしなんつーか、そのビル内部にある飲み街がねー…なんというか、下品w 電飾の感じとか、もー、ホンット、なんとかして欲しい感じでしたが。

教授はこんなところの映画館の音響を担当したのか…、となんだか勝手に気の毒な気分になってしまいました(←)。しかし、階をエスカレーターで上がっていって映画館に着くと、そこはちゃんと小綺麗なスペースであったのです。

物販とチケット購入

先ずは物販へ。入るといきなり教授の挨拶と略歴のボードがお出迎え。

そしてすぐに教授のスペースが! CDや本、Tシャツはもちろん、スコラシリーズなどが博物館のように陳列されていました。ちょっと細野観光を思い出してしまいましたね。

他にはガイナックス関連の映画グッズもたくさん。教授が音楽を担当した、かの名作「王立宇宙軍 オネアミスの翼」の限定版もありました。この作品、実は超ウルトラスーパー大好きな作品なので、正直ちょっと心を引かれました。しかし、今日の所は我慢(正直ちょっと高かったし)。

あと、ネルフのマグカップもありました! こちらもちょっと欲しかったけど、ウチに三つ四つあるので、さすがにちょっともういいだろう、と思い、こちらも断念(でもまだちょっと欲しいけど)。

ちなみに、観劇後に「12」のマスキングテープを買いました。

そしていよいよチケットを購入。しかあーし! なんと現金不可! マジかよ。後でマスキングテープを買った時もそうだったのですが、この映画館フロアでは完全に電子的な決済に移行した模様。使う側からすれば、かなり不便ですが、仕方がないのでクレジットカードで購入しました。

ちなみに座席代はAクラス4,500円、Sクラス6,500円。なかなかです。「この映画館、すぐに廃館になるんじゃなかろうか?」と勝手にいらぬ心配をしてしまいました。

しかし購入を進めていくと、途中、画面で「ドリンクとポップコーン込みなので、是非ご利用ください」みたいなメッセージが。なるほど、とちょっと思いました。そういうサービス込みなのね。でも、その値段分安くしていただいた方が嬉しいかも…。

ラグジュアリー映画館

そしていざ映画館へ! 中に入ると、かなりなラグジュアリー空間。さすが4,500円!

そしていきなりのレセプションカウンター! 本当はイの一番にトイレに行こうと思っていたのですが、そのトイレに行くのも忘れ、思わずカウンターに歩を進めてしまいました。

カウンターに行くと、購入画面にあった通りウェルカムドリンクと『ウェルカムポップコーン』が! すげえなぁ。こんな映画館初めてだよ。さすが4,500円。

で、カウンター内部のおねいさんにドリンクを選ぶよう言われたので、アイスコーヒーを所望。更におねいさんはポップコーンの種類を問うてきたので、塩を選びました。他にはキャラメルと、その二つのミックスがありました。

ウェルカムアイスコーヒーとウェルカム塩ポップコーンを両手にラウンジを奥に進んでいくと、運良く窓際の席が空いていたので確保。

外を見ると、眼下にはなんと、さっき撮影した104のゴジラ

東宝の映画館を見下すように作った東急の意地の悪さを感じなくもないですがw、眺めは最高! 実にリッチな気分でアイスコーヒーとポップコーンを食しました。アイスコーヒーもポップコーンもうまかったです。昼メシ食ってなかったので、実は正直助かりました。

そういえば、J-WAVEの教授特番でクリス・ペプラーが、教授とゴジラ話で盛り上がったことを話していて、その話の中で、教授は伊福部昭が好きだった、と言っていたのを思い出しました。そういった意味でも、なんとなく縁も感じてしまいます。

そんな風にしてゴジラを見ていたら、途中、カラスがビルの谷間を飛んで横切りました。

「12」制作中、録音中にカラスの鳴き声が入って良かった、みたいな教授のコメントがあって、それを思い出しました。そんなこともあり、なんとなく、「楽しんでね」と教授に声をかけられたようにも思いました。

そして時間が来たので、いよいよスクリーンへ。ポップコーンとアイスコーヒーは全部食い切れなかったので、トイレはもう我慢です。

中へ入るとこれまたラグジュアリー。座席も肘掛スペースもゆったりで、もちろんドリンクを入れるところもバッチリ。めちゃくちゃ良い座席でした。音響は教授監修だし、こりゃ確かに4,500円だなあ、と改めて思いました。もはや文句はありません。賞賛あるのみ。

最高の座席!

いくつかの予告編の後(「怪物」もありました!)、いよいよ本編スタート。

先ずは教授からのご挨拶。だったのですが、なんと!主に教授は画面左側から語りかけていたのです。

このことのどこいらへんが「なんと!」かと申しますと、僕が座っていたのが左側の方の最後列だったんですね。つまり、画面の教授のド真っ正面だったんです!(ややズレてはいましたが)

なんとなくここらへんがいいなあ、と特に何の考えもなく選んだ座席だったのですが、それが最高の席だったわけです。あの時の俺ナイス!

思えば、教授のステージはピアノを横に置いて左側が定位置でした。YMOでも立ち位置は向かって左でした。この構図は、そういうのもあったのかもしれないですね。教授といえばステージ左という。

だから、ほぼ俺の真正面だったので、教授に話しかけられているようでした。目線の高さはバッチリだったと思います。

そんなサプライズ(←?)の後、いよいよ演奏開始。

教授監修の音響

この映画館の売りの一つでもある、音に関してなのですが(やはり先ずはそこが気になりました)、正直、他の映画館との違いは明確には感じられませんでした。

そもそも、最近の映画館はどこも音が良い。逆に言うと、全体的にレベルが上がっていると思うのです。

ただ、J-WAVE特番で言われていた「正しく無音」というのはバッチリ感じられました。何も音がしないんです。無音を作り出すってのが結構難しいらしくて、どうしてもホワイトノイズとの戦いになりますからね。そしてまたホワイトノイズが結構な強敵。そこに打ち勝って無音を作り出すというのは、やはりさすがだと思います。

そういうこともあってか、ピアノの極小さい音も細かく聴こえました。特にダンパーペダルの音が生々しい。さらに言ってしまうと、ダンパーを離す時、少しハーモニクスがかかるのです。やはりピアノは弦楽器なのだなぁ、と改めて思わされました。

ちなみに、小学校の頃のピアノの先生には「ピアノは打楽器だから思い切りぶっ叩きなさい」(ウロ覚え)と言われました。大学のバンドサークルの先輩には「鍵盤楽器は歴史的にリズム楽器だったことを知った方がいい」とも言われました。

ピアノという楽器は、弦楽器や打楽器などなど、様々な楽器の要素から複雑に構成された総合体なのかもしれません。

あと、教授の息遣いも聴こえてきました。なんとなく、グレン・グールドを思い出しました。グールドのレコードには演奏中の彼の癖でもある鼻歌がよく入っているのです。グールドは、教授が敬愛するピアニストでもあります。

そういう、ピアノ演奏の音以外の様々な音の要素が聴き取れました。そういうのは、もちろん録音する際に、意識的に採取された音であると思います。

それを思うと、やはり教授はベルトルッチの影響も大きかったのだと思います。教授は最初、作った音楽をベルトルッチにプレゼンした時、シンセを使った録音だったそうです。そりゃそうだ。その当時、教授と言えばシンセだったわけですから。

しかしベルトルッチは「これは音楽じゃない」(ウロ覚え)みたいなことを言ったとか言わなかったとか。なぜなら「椅子の軋みや、息遣いが聞こえないじゃないか」。

それに対して教授は「だったら、椅子の音をサンプリングしましょうか」と言い放ったそうです。いやあ、トンガってたんだなぁw

ただその後、確か教授自身もそんなベルトルッチの影響を受けたって何かのインタビューで言ってたような気がします。

あとは、そういう「ノイズ」みたいなものを意識的に入れるのは、やっぱりジョン・ケージの影響もあっただろうし、20世紀の現代音楽にも町の音を入れたオーケストラもあったみたいなので(「スコラ」で紹介してました)、そういった素養は元々教授の中にあったのでしょう。

だから、ベルトルッチの「文句」も、最終的には受け入れられたのではないでしょうか。

ただ、そういったノイズを拾う録音技師の技術がすごいのか、それを再現する館内音響が良いのか、どっちだろう?とは思いました。両方かもしれない。

優しい演奏

曲で言うと、最近はあまり演奏しなかった良い曲を演奏してくれたのが、個人的には特に嬉しかったですね。

例えば、「嵐が丘」と「Happy End」がそんな感じ。この2曲、めちゃくちゃ良い曲ですからねぇ。特に「嵐が丘は」「The Last Emperor」や「The Sheltering Sky」に並ぶくらいの名曲だと思っています。

演奏で言うと、YouTubeで特別配信された「戦メリ」を聴いた時と同じように、やっぱり「優しい」と思いました。

もちろん、教授の音楽の中には攻撃性というか、先進性というか、前衛性みたいなものはあると思うし、それは演奏の中にも最後まであったと思います。でも、優しいんです。

攻撃性の中にやさしさが出てきた感じ。教授自身、このライヴを終えた時「ここに来て新境地」と言ったインタビューを読んだことがあります。まさにそうだと思いました。

あと、何と言っても「東風」をソロピアノでアレンジしていたのも嬉しいポイント。で、この演奏、ゆったりしたテンポなのに、ビート感を感じさせたと思います。

アレンジもそうだし、演奏技術の妙でもあると思います。そもそも教授の曲は弾いてみるとわかるけど、リズムキープがめちゃめちゃ難しい。やはり教授はリズム感すごいと思います。

それに、教授自身言っているように技術は落ちたとは思います。もう昔みたいに速くは弾けないし。でも、音がいい。タッチがいい。そこはもう、センス、経験、思想とすら言ってもいいかもしれない。そういうものが、やはり抜群なんだと思うのです。

映画ライヴ

あと思ったのは、久々に映画館で観たら、やはり観客の咳とか、飲み物を飲む音とか聞こえてくるんです。

特にピアノコンサート映像だから、ちょっとした音でも聞こえてくる。

でもそれが、かえってライヴ感をかき立ててもいたと思うんですよねー。

元は配信ライヴとして作られた映像なのですが(より正確に言うなら、公開レコーディングを配信ライヴ仕立てに見せる)、こうして劇場公開することによって初めて「ライヴ」になったようにも思うのです。

また、個人的には、以前ならそういうノイズが許せなかったんですけど、今回は「ライヴ感」として、ちょっとテンションが上がってしまいましたw

あぁ、ライヴってこうだったな、ていう感じ。

今後は映画館で映画を見る自分の態度、姿勢も変わっていくかもしれない。

そういったこともあって、今回はまさにライヴを擬似体感できる、まさに「映画ライヴ」だったと思います。なんとなく、ビートルズの「Eight Days A Week」を思い出してしまいました。

エンドクレジットの「Opus」のカットはまさにコンサートに来ているようでしたねー。多分、この劇場のステージなどのことなども計算し、そういう風に見えるように撮ったのだと思います。教授も等身大に映っていたように感じました。

まさに映画ライヴ。

永久に残したい作品

この「Opus」も、さっき言った「最近はあまり演奏しなかった良い曲」の一つなのですが、まだまだ教授には良い曲があります。

例えば、「音楽図鑑」に入っている「マ・メール・ロワ」などは超名曲なのです、おそらくはコンサートでは演奏されたことはないのではないでしょうか。非常にもったいなく、残念でもあります。ただそれを思うと、やはり唯一無二の音楽家だったのだなぁ、と改めて思いますね。

そして、こういう演奏、ライヴ、映画を残してくれた教授は偉いと思いました。映像作品としても本当に素晴らしい。やっぱり教授はカッコいいと思う。永久に残したい作品ですね。

映画が終わって、ほとんどボーッとしながら帰り支度をしようとしたら、ウェルカムポップコーンを盛大にブチまけてしまいました。

落としたポップコーンを片付け、まだ残っているアイスコーヒーを飲もうとラウンジに出たら、まだ明るかったです。随分日が伸びたなぁ、と思いました。今が一年の中でも一番気候が良い時季かもしれない。

ゴジラを見下ろす窓際の席は埋まっていたので、反対側の奥に行ったら、そこもまたラグジュアリー空間でした。いや、本当に良い映画館だ。映画の余韻に浸りつつ残ったアイスコーヒーをおいしく飲みました。その後、ちゃんとトイレにも行きましたよ。

帰りのエスカレーターから見えた夕陽が見事でした。


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東京ド―ム開催!埼玉西武ライオンズvs福岡ソフトバンクホークス観戦記。超久々の野球観戦は0点だけどサイコー!!


いやー、先日、超久々の野球現地観戦に行きましたよー。めちゃくちゃ久しぶり。いつ以来かな? 2019年のオールスター以来かもしれませんね。

試合は4月18日の埼玉西武ライオンズと、我が福岡ソフトバンクホークスのライバル対戦。しかも、五年振りの西武主催東京ドーム。

そんなこともあって、西武が色々と気合の入った一日でありました。

それだけに…。まぁいいや。

ちなみに、今回の野球観戦はライオンズファンの友達が誘ってくれたのですが、僕はホークスファンです。そう、これはなかなか、どっちに転んでも試合後禍根を残す野球観戦となることが定められていたのですw

まぁ、禍根は残しませんでしたよ。僕は大人ですからね。えぇ。

ライオンズグッズはカッコいい

先ずは友達の付き添いのため、物販を物色。

ライオンズのグッズはなかなかカッコいいですね。まだ僕がライオンズファンだった頃(秋山トレードが原因でホークスファンに怒りの鞍替えしました)は、レオのあのマークが大好きだったんですけど、今はLのマークに変わってしまいました。

噂によると、なんでも虫プロへのロイヤリティがバカにならないんだとか。まー、仕方ないですね。

でも、装いを新たにしたユニフォームもカッコいいと思います。ちょっとクラシカルなデザインがむしろいいですよね。あと、やっぱり青のユニフォームってカッコいいですよね。そりゃ青をチームカラーにする球団多いはずだ。

で、グッズを見てみたら、何気にレオのマークはまだ使われていました。肩口のところに入っていて、これがまたカッコいい。こういう細かいところはテレビ中継とかではわかりにくいですよね。

久々の球場にテンション上がる

そしていざドームの中へ。入場時にライオンズのレプリカユニフォームをもらいました。

さすがに対戦相手が我がホークスのこの日に着る気にはなれず、鞄にしまいましたが、なかなかカッコいいし、よくできてる。これは大切に俺のクローゼットに保管することにしました。それに、このレプリカにも腕にレオのイラストが入っている。やっぱカッコいいですねー。

そして久々の現地の雰囲気を堪能。友人の取ってくれた席がこれがまた最高! 一塁側のピッチャーとバッターの両方がよく見える良席でありました。ナイス友人!

しかし、当たり前のように周りは西武ファンばっかw 俺的には超アウェイw 友人的には超ホームw そりゃそうだw

そしてこの日は5年ぶりのライオンズの東京ドーム主催ということもあってか、満員札止め。そしてイベント盛りだくさん! 試合前にはエキシビション対決として、試合後のライヴを控える郷ひろみとレオの一球対決。更にその後の始球式に登場したのは松坂大輔! いやあ、超豪華な試合前セレモニーでした。更には国歌斉唱は郷ひろみ! 結構出ずっぱりでしたね。

試合は0点

しかし、試合の方はと言いますと、これがまたしょっぱかった。近年稀に見る塩味キツめの試合でした。正直、見るに耐えなかったですねー。

先ずはホークスが幸先良く一点を先制するものの、その後はスリーツーピッチングが続き、球数の多い平良を攻め切れず、試合は膠着状態。立ち上がりはむしろ石川柊太の方が良かったのですが、四球が多いのが気にはなっていました。

そして四回です。魔の四回です。外崎にライトへ同点ホームランを打たれ、続く中村剛也にも連続ホームラン。一発攻勢で一気に逆転。

更に続く五回。地獄の五回です。石川が二、三塁にランナーを溜めると、ここで降板。スイッチした又吉が前の打席でホームランを打った外崎に試合を決めるスリーランを打たれてしまうのでした。

これだけでは終わりません。更にヒットの中村を一塁において、ペイトンにトドメのツーランを被弾。被安打3、被本塁打2、失点5という、何をしに出てきたのかわからない背信投球。

ただ、打たれた又吉も情けなくはあるとは思いますが、5回途中でマウンドを降ろされた石川の方に、むしろ責任があったようにも思います。さすがにちょっと又吉は準備不足だったのではないでしょうか。

やはり先発なら悪くても六回までは投げて欲しい。せめて五回。それを早々に引っ張り出されては又吉も本来の投球はできないというものです。

以前、里崎チャンネルを見た時、変化球でストライクが取れる時の石川は無双するらしいんです。逆に言えば、変化球でストライクが取れない時の石川はかなりヤバいということだと思います。

石川の生命線はパワーカーブだと思うので、これでストライクが取れるかどうかでその試合が決まってしまう。その日の調子で良い悪いが極端に変わる。そもそもが不安定なピッチャーなのかもしれませんね。

そんな具合で、これで試合は完全に壊れてしまいました。その後はホークスも完全に練習試合モード。主力を引っ込めて、敗戦処理メンバーでの投球なり守備なりになってしまいました。試合としては0点です。

なんか、ちょっと今年はライオンズにはもう手は出せないなー、というくらい完膚なきまでに叩きのめされましたね。それどころか、今年のホークスはもう、ちょっとダメだな、という感じ。

シーズン前にはホークスを優勝候補筆頭に推す雰囲気も強かったですが、今はもうダメですね。少なくとも、Aクラス入りは完全に不可能です。最下位にならなければ御の字、ってレベルですね。我々ホークスファンの今シーズンのポイントはそこです。目指せ!脱最下位。これを合言葉にやっていこうと思います。

まあでも、フジモン監督は2年目。去年は優勝したバファローズと同じ勝ち星だったし、やはり三年は続けて欲しいと思っています。

生観戦は勝ち負けだけじゃない

しかしまぁ、この日は5年ぶりの西武主催試合東京ドーム公演。試合前後で様々なセレモニーがある、謂わばライオンズの日です。

普段の所沢では交通が不便なこともあり、平日の試合は一万人にも満たない西武主催試合がこの日は満員。やはり西武が勝たなきゃいけない試合だったとも思います。

何より、ホークスが勝っていたら試合後の郷ひろみライヴがヒエヒエの地獄絵図になっていたかもしれませんw そんな感じで、まぁこの日は仕方ない、といった感じでしょうか。何より、誘ってくれた友人が喜んでいたので良かったと思います。

それに、生観戦は試合の勝ち負けだけじゃない! 超人的な身体能力を目の当たりにできるのが素晴らしい。もう、試合前の練習から楽しかったですもん。肩とかすごいですね! もうね、弾道が違う。真っ直ぐ、糸を引くようなボールがビューンと行くんです。あれ見るだけでも楽しいですね。

また、試合的には先取点の周東の二塁からホームを陥れた走塁を観れたのが嬉しかった。WBC準決勝メキシコ戦のサヨナラのホームを思い出しましたねー。栗原の打球はフラフラっとしたセンター前へ落ちるテキサスヒットだったのですが、あっという間に三塁を回り、ホームイン。めちゃくちゃ足速い! それから走るフォームがカッコいい!

甲斐キャノンを目の当たりにできたのも嬉しかったですねー。試合前の選手たち
肩の強さにも驚いたのですが、やっぱ甲斐は一際強い! めちゃ強い! 送球も正確だし。これまたWBCの三振ゲッツーを思い出させた。ただ、その後走られた時は悪送球で三塁まで進まれましたが…。

 あと、敵ながらファンである中村剛也のホームランを見れたのも、実は嬉しかったw おかわりはホームランの弾道も綺麗だし、何より球史に残る選手ですからね。ホームラン王6回ですか。それに、あの飛ばない統一球で圧倒的に飛ばしまくりましたからねー。あの年はびっくりした。

それから、忘れちゃいけないギータ! ギータを久々に観れたのは、やはり良かったです。日米野球以来かな? ただこの日は当たりはなく、最後の打席で四球を選んだのみだったのですが、しかしきっちり出塁するあたりがギータかな、と思います。

そんな感じで、試合自体は不満だったのですが、久々の現地観戦を堪能しまくったのでした。


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「すずめの戸締まり」ネタバレ有り感想。新海誠がようやく言えたメッセージ!?


待望の新海誠監督作品「すずめの戸締まり」が公開されて、観たくて観たくてしょうがない、と行ってる割には、まぁ随分時間が立ってしまったそんなある日。

来場特典に新海誠書き下ろし小説が付いてくるというじゃありませんか。

それは是非とも欲しい。

だって、それって、多分、その時の劇場じゃないともらえないし、新海誠書き下ろしってことは、映画と地続きってことだし、下手したら、それ読まないと本当の意味では映画完結しないじゃん、ってことになって、急いで観に行って参りました。

急いで、と言う割にはそれからまたそこそこ時間が経ってしまいまして、行こうとしていた映画館では既に配布終了の情報が…。更に調べたら続々と配布終了してる。

こりゃヤバい、ってんで、映画館に電話かけまくって、まだ配ってる映画館を調べて、ようやっと行って参りました、「すずめの戸締まり」。

いやもう、素晴らしかった。さすがですね、新海監督。



予告編

www.youtube.com

絵が綺麗

先ずはですねー、やっぱり絵が綺麗! 美麗な絵こそが新海誠の真骨頂ですからね。これを劇場で観るだけでも価値はあると思います。

彼にかかると現実的な街並みも、何かこう、異世界のような美しい世界に切り替わる。

そしてまた不思議なことに、映画という新海誠のフィルターを通して観た後、映画と同じ街並み、例えば新宿とか行くじゃないですか。するとですねぇ、現実の世界まで「あの世界」のように綺麗に見えてしまうんですねー。これこそ新海誠の魔術でしょう!

今回も特に雨とかの自然現象がいちいち綺麗! 雨の雫なんかもう、一粒一粒に虹色を混ぜてきていましたからねぇ。

あと特筆すべきは埃! なぜ埃?と思う方も多いと思いますが、例えば、朝とか窓から射した日の光に布団の埃が反射して、それが案外綺麗だな、って思うことありません? あれです(笑) ああいうところに目が行くのが新海誠の美的センス、そして観察眼、そして表現力ですよね。

そして全体を見渡しても、非常に美しいロードムービーとなっていますよね。特に廃墟を巡る、というのも新海誠はなんだかわかっているというか、オタク気質あるなあと思いますw

なぜなら、そういう廃墟マニアみたいな輩も結構多くいますからね。僕も割とそうだったりしますw 廃墟には何かしら魅力のようなものがありますよね。

おそらくは色々と理由があると思うのですが、多分「隣の異世界」を感じるというところに集約されるように思います。

そこはかつて人が住んでいたところだけど、もうその時代の町とは違う。人が住む場所のようであって違う場所というか。あと、思い出だけが残っている場所というか。うまく言えないけど。

そしてまた、今回は東日本大震災がテーマなので、廃墟となってしまった被災地を想起させるというか、「人の思い」みたいなものは残るという点で共通しているというか。

「廃墟巡り」にはそんな意図があるような気がします。

作りが丁寧

そんな感じで、今回二回観たんですけどね。二回観ると、やはり丁寧に作られているなー、とわかりますね。

特に冒頭からの流れがそうだったと思います。

先ずは幼い頃のすずめが荒野を歩く。そこはビルの上に船が乗り上げていたりして、震災後の世界であることがわかります。そしてこれは東日本大震災の映画であることを観客に宣言しています。

そしてまた、二度目だからわかるのですが、幼いすずめが出会うのは未来の自分であったんですね。それをわかって見ると、ド頭でいきなりクライマックスを見せていた、と同時に観客をミスリードしてもいる。最初観た時は、母親なのかな?と思いました。そう思った人、多いんじゃないかなー。そういった意味で、なかなか上手く、洒落た立ち上がりなのではないでしょうか。

そこから、夢が覚め、それは高校生になったすずめの夢、そして記憶であることがわかります。ド頭の夢オチw それもまた新し…くはないですね、やっぱりw

更にそこから、お弁当を忘れないでね、という環さんのセリフから、二人の関係がうまくいっていないことが仄めかされます。なぜなら、後の「愛情たっぷり」のお弁当のシーンですずめが困り顔になることから、わざといつも忘れていたことがわかるからです。

更にずっと後のシーンでこういう環さんの過剰な愛情を称して、すずめは「重い」と口走ってしまうシーンに繋がっていくのです。育ての親ということで、ついつい愛情を突っ込み気味にしてしまっていたのやもしれません。

そういうキャラ設定もよく考えられているなー、と思います。と言って、すずめは環さんをひたすら疎んでいるわけではなく、むしろ「綺麗な人」と称したり、好き嫌いで言ったらかなり好きである描写も散見されます。

ちなみに、環さんはすずめにブチ切れ、「私の人生返してよ!」と怒鳴るシーンもあるのですが、あそこで二人は本当の親子になれたのかもしれない。そのきっかけにはなったのかもしれない。腹の中のわだかまりをブチまけることで、今後はより親密な関係になっていくのかもしれません。で、ここがね、来場者特典第三弾のプレゼントに繋がってもくるのですが、それはまた後ほど。

それから、すずめと環さんがそれぞれ学校、職場へと出かけるのですが、玄関の鍵をかけ、車の鍵を開け、チャリンコの鍵を開けます。これらの動作が手のアップになり、ガチャッ、ガチャッ、ガチャッとスピーディに切り替わっていきます。

これがまたカッコ良くもあるのですが、タイトルの「戸締まり」をより強く印象づけます。ここまで強調する「戸締まり」って何だろう? どんな意味合いが込められてるんだろう? ということを考えさせもします。それはまた後ほど。

そしてすずめは、海の見える坂道を軽やかに自転車でくだっていきます。それだけでも美しいシーンなのですが、更にはそれに並走するトンビを後方に配する。これにより、朝らしい、実に爽やかなシーンになっていると思います。

ちなみに、この作品では鳥が場を作り上げる役割を担っているように思います。例えば今言ったトンビは希望のシーン、カラスは絶望のシーン、小鳥は美しい日常のシーン、という感じ。そういや、なぜ『ミミズ』にカラスが群がるのでしょうか? そこには特に意味はなく、演出上、見栄えがいいからなのかもしれませんが。

そして朝の爽やかな坂道をくだっていくと、白衣を着たイケメンが…! 白衣みんな好きでしょ?w それプラスイケメンですよ。イケメン、みんな好きでしょ?w 更には、声までかけられちゃいます(道を聞かれる)。

そんなことあるわけないじゃん!wと言いたくなるシーンでもありますが、これは川端康成だと思います。

トンネルを抜けると雪国になっていたり、伊豆に行くと綺麗な踊り子がいたり、そんなことないだろー、という美しいものを描くのが小説であり、映画であるのだと思います。現実には存在しない、でもあったらいいなー、をてらいなく表現してくれるあたり、さすが新海誠と言いたいです。

そして学校のシーンのそのすぐ後に、最初のクライマックスシーンが訪れます。特に細かい状況説明はなく、とにかく事件を起こさせて、これから何が起こるのか、この映画のメインとなる冒険はどういうものか、それをいきなり出し惜しみせず、スピーディに魅せます。

ここらへんの構成も上手いですよねー。細かな説明は一旦事件を解決し、落ち着かせた後、じっくりやればいいわけですから。先ずは事を起こしちゃう。観客を冒険の世界に引きずり込んじゃう。それが肝要かと。

あなたの人生の物語

そして、全体的には、おそらくは新海誠なりの「あなたの人生の物語」をやろうとした、というのもあったように思います。

なぜなら、常世の設定が、過去から未来の時間が全て存在する、というものだったからです。

これはヘプタポッドの時間の捉え方と酷似している、というよりそのもののように思います。

しかも、それを単純に使っているだけに留まらず、物語の根幹を成す重要な要素として使っています。

しかもしかも、新海誠はこの「あなたの人生の物語」という小説、そしてそれを映画化した「メッセージ」の大ファンでもあるのです。小説の帯文まで書いてますもん。僕は小説は未読なのですが、映画は観ました。あれ、大傑作SF映画でしたよねー。そりゃ新海誠も好きになりますよ。

でも、ただ単に「あなたの人生の物語」の真似をしたかった、というのではないと思います(もちろん「俺もああいうのやりたい!」というはあったでしょうが)。

新海誠の表現したかったものが「これを使えばできるかもしれない」というものだったように思うのです。

ただ、未来を知ることによる大まかな全体的な流れは、ちょっと「メッセージ」の方が複雑かもしれません。

「すずめの戸締まり」の方は、絶望から希望へ至る、そのための未来だと思うのですが、「メッセージ」の方は必ずしもそうではなかったように思います。「メッセージ」は未来を見ることによって、希望と絶望を両方とも得てしまうと思うのですが、そこから希望を見い出すというか。

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新海誠が言いたかったこと

新海誠の表現したかったもの、それはやはり東日本大震災に被災した子供達へのメッセージなんだと思います。

なんとか生き抜いて欲しいという、そういう願いにも似たメッセージなのではなかったろうか、と思います。

それを、子供の頃のすずめがあの扉をくぐり、過去と未来が渾然一体となった常世に行くことによって、未来の、十七歳の自分と会わせる。未来のすずめは草太さんという好きな人ができて、生きてて良かった、と思っている。そんな十七歳のすずめと会わせることで、すずめに生きようと思わせよう、としたのではないでしょうか。そんな気がします。

一方、そんな過去の自分と出会うことによって、十七歳の今のすずめは、辛い過去の自分と決別し、そして受け入れる、そういうことができたのではないでしょうか。更に未来へと、目を向けることができたのではないでしょうか。

生きる希望というのが恋愛、というのが、個人的には微妙な感じもしないではないですがw、新海誠としてはそうなのでしょう!

であれば、すずめの草太への恋愛は成就しなくても良いのです。恋愛する、そのこと自体が、新海誠的には生きる希望なのだから。だからか、映画の中では成就「しそう」というところで留めているあたりがニクいw ここらへん、新海節炸裂ですねー。「君の名は。」もそんな感じのラストでしたよね。「秒速五センチメートル」に関しては結ばれなかったりしますからw

また観ていて、今回は直接的に、いよいよ東日本大震災に踏み込んできたか、ということを強く思いました。

それまで、震災以降「君の名は。」「天気の子」と、立て続けにディザスター映画を作りました。しかし、明らかに東日本大震災の比喩ではあるものの、隕石衝突、記録的な大雨と、かなり間接的なものだったと思います。

しかし、今回は明白に東日本大震災です。それでも、「東日本大震災」という言葉は映画の中では使わなかったのですが。ギリギリ直接は言及しない、というのは、何か考えがあるのかもしれません。

思うに、新海誠東日本大震災によって、相当に傷ついたのではないのでしょうか。震災当時、スピッツ草野マサムネが震災の映像を見て精神的にやられてしまったことがニュースで流れたことを覚えています。繊細で鋭い人ほど、受ける影響は大きくなる。

新海誠は作品を作ることで、自分なりのけじめをつけようとしているように思えてならないのです。けじめとは何か。ひょっとしたら、この映画で新海誠は自分なりの犠牲者への弔いの言葉を言いたかったのかもしれません。それは、十七歳のすずめが、子どもの頃のすずめに言った言葉、あれがそのままそうなのではないか、と思うのです。

また、この映画の中では印象深いシーンがあります。それは芹澤が被災地の景色を見て、「ここ、こんなに綺麗なところだったんだ」と言うのです。

それに対し「ここが、綺麗?」とすずめは気色ばみます。芹澤の部外者的発言に当事者のすずめはキレるのですが、逆にこの芹澤の発言は、被災地にプラスの意味合いを乗せようとしているのではないか、と勘繰ってしまいました。または復活してきているんだ、という思い。そういうものを乗せているような気がしたのです。

震災というマイナスなイメージのついた場所ですが、元は美しい場所であり、それを取り戻しつつある、という思い、或いは希望なのかもしれない。

当事者からすれば思い出したくもない場所かもしれないけど、しかしそこは元の魅力的な場所に回帰しつつあり、ある意味で許してあげて欲しいという思いがあるのかもしれない。うーん、うまく言えないけど…。いやあ、うまくないなぁ。

とにかく、「秒速五センチメートル」でも感じたことですが、新海誠は人生やこの世界に対して、やたら前向きなところがあると思います。

そして物語は新海誠の願いのような心の叫びと共に大団円を迎えるのですが、やはりすずめのセリフが良かったと思う。幼いすずめに「お姉ちゃんは誰?」と聞かれ、一瞬逡巡した後に、「あなたの明日」と答えました。

これが良かったですねぇ。未来、じゃないんです。明日、なんです。これが良かった。

他に言いたかったこと

で、この映画、実は他にも新海誠が言いたかったことがあるのではないか、と思いました。順を追って話していきましょう。

戸締まりとは何ぞや?

先ず、映画の最初の方のシーンから。すずめが目を覚まして、朝の家のシーンになります。そこから出かける時間になり、さっきも言ったように、鍵を開けたり閉じたりするシーンが連続して続くのです。

タイトルの「戸締まり」を印象付ける、それこそ印象的なショットの連続なのですが、じゃあ、こうも強調する「戸締まり」とは何なのだろう?  タイトルの「すずめ」じゃないんですね、「戸締まり」の方なんですね、強調してるのは。

思うにそれは、災いから守る、その予防線、ということのように思います。そしてその予防線とは何か? 何から守るのか? そして誰がその予防線を張るのか?

更に映画の時間を遡って、ド頭のシーンを思い出してください。さっきも言ったように、東日本大震災の後の世界が描写されています。この映画は東日本大震災について描いた映画だ、という宣言でした。

だとするなら、この予防線とは災害に対する予防線であることがわかります。それに対するできうる限りの備え、それが「戸締まり」に込められた意味なのかもしれません。

東の要石を抜いたのは誰だ?

そして色々と大冒険があり、出会いと別れがあり、遂にすずめの旅は草太さんの住む東京へと行き着きます。

そこで東の要石が抜けてしまうという、未曽有の事態に出くわします。これがこの映画の最初の大きなクライマックスになります。

ここで不思議なのは、どうして東の要石が抜けてしまったのか、ということです。

ダイジンが抜いたわけではないと思います。ダイジンは西の要石です。その西の要石には、自分の代わりに草太さんを当てがおうとしていました。その意味で、東の要石に用はないはずです(まぁ、東の要石が抜けたことを利用しようとはしましたが…)。

また、自分が抜けたことによるその影響で、後ろ戸になってしまった場所が幾つか出てきてしまったわけですが、そこにすずめと草太を案内してたことが、物語最大のクライマックスの際に判明します。

つまり、ダイジンは職場放棄しつつも、『ミミズ』を封じる手助けはしていたようなのです。となると、東の要石を外すということは考えにくい。

そして、映画の最後に草太さんは、人の思いが軽くなって後ろ戸になってしまった扉がまだある、みたいなことを言ってました(ウロ覚え)。

つまり、人の思いが重しとなって、後ろ戸になることを防いでいた、と考えられます。

逆に言うと、要石は人の思いが軽くなると抜けてしまうものなのかもしれません。

しかし、東の要石は東京にありました。人はたくさんいます。何なら、日本で一番います。人の思いは重すぎるくらいです。

そんな東京で東の要石は抜けました。

東の要石の場所はどこだ?

そして殊の外大きな問題となるのは東の要石の場所です。

東の要石はどこにあるのか?

その場所を探るため、草太さんのアパートで古い文献をすずめと椅子は調べまくります。しかし、肝心な要石の場所が書いてある箇所は全て黒塗りとなっていてわかりません。

どうしたことだ?

そりゃわかるはずはありません。

なぜなら東の要石のある場所は、神聖にして犯すべからざる場所である皇居の下にあったのですから。

映画内でもハッキリと「皇居」と口にされることはありませんでした。しかしバッチリ絵で表現していましたよね。

すずめが地下に取り残された時、ここはどこだ?とスマホの地図アプリを開きます。そして、一瞬そこが皇居であることが映されるのですが、すぐに電池が切れてしまいます。あたかも隠すように。

そしてすずめが地下を脱出し、路地裏から地上に出ると、そこは皇居のお濠の前でした。あの皇居ランナーがいつも走ってるところです。

なぜ東の要石は皇居の下でなくてはならなかったのでしょうか。

皇居とは、もちろん天皇のお住まいです。そして、元は江戸城でありました。古くは天皇は公家の、そして政治の中心でした。江戸城武家の頂点、将軍の住まいであり、もちろん武家政治のトップでした。

おそらく、天皇の住居にして元は江戸城である皇居とは、公家と武家の、つまりは日本の政治の象徴という風に見ることができると思うのです。

つまり、東の要石の場所として皇居が選ばれたのは、政(まつりごと)の象徴、比喩として選ばれたように思うのです。

なぜ東の要石が抜けたか?

そして話を戻しますが、人が多いはずの東京で東の要石は抜けました。誰が抜いたわけでも、どうやらないようです。なぜなら、それっぽい、怪しい登場人物はいないのですから。

ということは、人の思いが軽くなったから東の要石は抜けた、と考えるのが自然かと思います。

では、日本で人口が最も過密している東京で、「人の思いが軽くなる」ということはどういうことでしょうか。

東京とは日本の経済の中心です。そして何より、政治の中心であります。

そんな場所で人の思いが軽くなること、それは政治が機能していないということに他ならないのではないか。

政治を行うのは代議士です。代議士。代わりに議論する人。代わりなんですね。じゃあ誰の代わりか。もちろん、我々国民一人一人です。

つまり、代議士とは、国民一人一人の思いを、代わりに議論する人、ということです。

そして、東の要石は政治の象徴である皇居の下にありました。

人々の思いが軽くなって東の要石は抜けた。つまりそれは、国民一人一人の代わりである、代議士の思いが軽くなった、ということを意味しているように取ることもできるのではないでしょうか。

この映画は冒頭で、東日本大震災についての映画である、ということを明白に宣言しています。

それを思い出すと、東日本大震災以降の日本の政治に対する批判が、その裏のテーマとして隠されていたのではないか、と思われるのです。

上の方で、タイトルにある「戸締まり」とは災害に対する予防線なのではないか、と書きましたが、では災害に対する予防線を張るのは誰かというと、大きな枠で考えれば、それは行政ということになると思います。

復興政策に問題があったから、後ろ戸が大量に発生し、若者がそれらを閉じて行かねばならなくなっている。そういうことを描いた、という解釈も成り立つのではないでしょうか。

黒塗り

映画の中には黒塗りのシーンが結構出てきます。要石の記述の黒塗り、すずめの絵日記の黒塗り。

その度に登場人物は過去の重要な出来事を知ることができず、困り果ててしまいます。

この黒塗りってのがまたなかなか、香しいですよねw まぁ、お家芸だったりしますからねーw

この映画は一見、ファンタスティックな美しいロードムービーの冒険アニメ、という大衆受けを狙ったもののように見えますが、実のところ、政治的なメッセージを孕んでいる可能性も、あるようなないようなあるやもしれない気が、しないでもない感じですかねー。知らんけど。

空に向かって伸びるもの

僕の中で新海誠の映画といえば、それは空に向かって真っ直ぐに伸びるもの、という印象があります。そういう要素のものが必ずと言っていいほど出てくるように思います。

例えば「雲の向こう、約束の場所」だったらユニオンの塔だったり、「秒速五センチメートル」だったら種子島のロケットだったり。「君の名は。」は変則的でしたが。あれは地上から見て上から下、宇宙から地球へとティアマト彗星の欠片が落ちて来ました。

そして今回、「すずめの戸締まり」では『ミミズ』! あのでっかい赤黒く光る塊です。今まで出てきた「空に向かって伸びるもの」は、多分に希望の象徴のように思われました。少なくとも、観る者にそのような印象を与えていたと思います。まぁ実際はユニオンの塔は兵器だったし、隕石は大災害をもたらしましたが…。

でも今回は明確に絶望の象徴だと思います。新海誠の中で何かが変わったのでしょうか。

よくわからなかったこと

あと、細かく色々わからないところが散見されましたですねー。

すずめのそばには、大体いつも二匹の蝶々が飛んでいましたよね。

でも、あの蝶は一体なんだったのでしょうか?

母親ということも考えられますが、ではもう一匹は?

父親とするのが無難かもしれないけど、すずめが幼い頃はシングルマザーでした。父親の描写は一切ありません。二匹というのがポイントだと思うのですが、それがなんだか、結局わかりませんでした。

あと、草太のおじいさんが要石だった猫にすずめを見守ってくれ、と頼むシーンありましたが、あれはダイジンだったのか左大臣だったのか。

御久しゅうございます、と言ったところから知り合いではあるのでしょう。元は知り合いだった人が要石になったのか。ちょっとわかりませんでした。

左大臣ということで言えば、初めて左大臣が登場するシーン。

すずめの「あなた、誰?」の問いに、左大臣と同時に環さんまでも「左大臣」と名乗りますが、あれは一体なんだったのでしょう?  環さんは左大臣に憑りつかれていた? これもちょっとわからないところですねー。

要石

また、要石とは誰かが生贄になったものなのでしょうか。

であれば、草太の代わりにダイジンが元の要石に戻れ、というのも可哀想な気がします。もちろん、じゃあ草太でいいじゃん、というのも違うと思います。

ちなみにダイジンが可哀そう、とする言説を多く見かけますが、それはまた違うと思います。

なぜなら、ダイジンは職場放棄した上、同意していない身代わりを立てたから。

しかも、東京の人口という犠牲を盾にして、すずめに半ば脅迫するように草太を打ち込ませました。

以上のことを見て「ダイジンは被害者」とは到底思えません。すずめが怒るのも当たり前ですよね。

しかし、生贄は誰でもよいのか?と考えると、別によいのかもしれません。

生け贄というシステムは基本的に残酷で理不尽でありながら合理的でもある。

そもそも、合理的とは理不尽であるものです。なぜなら人情を排し、実用一点張りを突き詰めたものが合理だからです。

しかしそれを推し進めすぎると、策士策に溺れることになりかねないので、ほどほどにした方が良いでしょう。

その他雑感

ちなみに草太くんは「すずめさん」と呼び、芹澤は「すずめちゃん」と呼ぶ。こういう呼び方にキャラも表れてて、なんか、いいですね。

キャラと言えば、道中で面白かったのは、スマホの地図アプリで新幹線での移動速度が速いことにすずめが感動するところ。あれすごくわかる! めちゃテンション上がりました。それに対して草太くんが「そうだね…早いね…」と、半ば呆れ気味にリアクションが薄いのも絶妙。

こういったキャラ作りが今回、殊の外上手いような気がします。

そして旅の途中で出会う大阪のおばちゃん役を伊藤紗莉が演じているのですが、安定の良さですよねー。伊藤紗莉のアニメの声優を聴くのは、あの「映像研には手を出すな」以来。この人の声、ホント好き。

そして、すずめは丸ノ内線の地下から発生した『ミミズ』を、草太を要石にすることで納めますが、その時の『ミミズ』の形が幾何学的で人工的とすら言える綺麗さあったのが、さすがに天候マニアの新海誠だと思います。

以前、石原良純が、美しいものというのはものすごいパワーがある、だから美しい形を作る、だから美しいものに近づいてはいけない、と言っていました。こういったところ、さすが気象予報士ですよね。

自然界の強烈なパワーのあるものの多くは美しい。それをわかっている描写のような気がしました。

マクドナルドの絵本「すずめといす」



今回、映画にちなんだスピンオフ的な本が色々な形でプレゼントとして配られました。

まずは、マクドナルドのハッピーセットのオマケである絵本「すずめといす」です。

これは欲しかった! 新海誠原作だし、しかも絵は俺の好きなイラストレーター・海島千本! このニュースを知った時は、是非とも手に入れなければ、と半ば使命感にも似た思いを抱きました。

でも、おっさんになってハッピーセットは、なかなかの勇気が必要です。それこそ、CMの神木くんのようにw いや、神木くんなら全然オッケーだけどw

でもまぁ、なんとか恥を忍んで欲に忠実に買ってきましたよ、ハッピーセットを。でも、ヨーグルト美味かった。

で、内容の方なのですが、なんということもない話のようにも思うのですが、映画を観た後だと、まだすずめと母親が一緒に暮らしていた時の話を見ることができたのは、嬉しくもあり、悲しくもあり。

そしてその後、このいすが草太くんとなって動き、喋ることを思うと、なんというか、感慨深いですよね。

どうでもいいですが、草太くんが椅子にされてしまうのもポイントですよね。このイケメンが可愛い椅子になるっていう面白さ。

椅子のくせにセリフの一つ一つがイケメンぶっていて、そのギャップが可愛らしいw

しかも、最後、要石になっている重要なシーンでも、もちろん椅子のままです。ここ観てて、なんというか、絶妙な脱力感を感じてしまいましたw

そしてもちろん、この椅子というのがポイントで、これはすずめの母親との最も強い絆であるからです。

そして、この椅子と旅をするということは即ち、母親との失われた時間を旅することでもあったと思うし、更には擬人化されたこの椅子と話し、行動するという、幼い頃のすずめの夢が叶った瞬間でもあります。

やはり草太くんには悪いけど、彼は椅子になる必然性があったのです。

そしてやはりこの絵本は、親子の絆が描いていて、そこも嬉しい。

やはり料理というのは家族の絆の象徴であるのだと思います。またまたBUMP OF CHICKENの「魔法の料理」を思い出してしまいました。



小説 すずめの戸締まり ~環さんのものがたり~


そしてスピンオフ本の第二弾は、映画来場者プレゼントの第三弾でありました。なんと、環さんを主人公とした新海誠書き下ろしの小説。

これも欲しかったー! もう、映画館にね「まだ在庫ありますか」と問い合わせしちゃったりしてね。その甲斐あって、無事ゲット!

でもまぁ正直、映画監督が書いた小説ということで、ちょっと高を括っていたところもありました。以前買った河瀨直美の小説がひどかったですからね。

一方で、それまでの映画の小説化がどれも大ヒットしていたこともあったので、期待していた部分もまたありました。で、読んでみたら、後者の期待が当たりました。

先ず文章が良い。普通に小説家としてもやっていけそうなくらい。

あとやはり、人物の描き方も良かったと思います。環さん、そしてすずめの心の傷が、(こういうと偉そうだけど)上手く表現できていたと思います。

多分、環さんとすずめは同じなのだと思います。

環さんにとっては姉、そしてすずめにとっては母親、その立場は異なる同じ人を失った、同じ悲しみを背負った二人。

思うに、依存していたのはむしろ環さんの方だったかもしれない。その一方、環さんなくしては生きていけないすずめもまた、生活的には環さんに依存している。

そしてまた、映画中で環さんはすずめにひどいことを言いましたが(すずめもまた環さんにひどいことを言いましたが)、それはやはり本心かもしれないけど、全然本心ではないことが、この小説を読むとよくわかります。

環さんにとって、結婚とか男とかは、すずめの存在によって(それは同時に姉の喪失によって)、二の次のものとなってしまったのだと思います。

もちろん、結婚も男も大事だ。それは間違いなくそうだと思う。だけど、二の次は二の次なのだ。

だから、環さんは独身を貫いたのです。しかしまぁ、環さんがその気になれば染谷翔太がいるから安心して欲しい。

小説 すずめの戸締まり ~芹澤のものがたり~


スピンオフ本の第三弾は芹澤主人公の小説。

環さんの小説が出た時、来そうだなー、と思ってたらハイ来ましたw

腐った人たちに人気だそうで。もうホント、そういうのはどっちでもいいですが。

で、読んでみたら、正直、環さんのものがたりと比べるとぬるい感じはしました。

しかしそれでも、文章はやはり良かったと思います。

コロナの流行を説明する箇所では、あたかもSF小説であるかのような語り口で、そういったところはさすがSF小説マニアである新海誠の真骨頂といったところでしょうか。

あとがきを読んだら、どうやら元々芹澤はそれほどは重要視していなかったキャラであった模様。映画の物語上のターニングポイントに登場する重要な役割を持ってはいるものの、環さんのような思い入れはというと、どうやらそれほどでもないらしい。

思い入れがあり、是非ともスピンオフを書きたい、と思った環さん。そして思い入れはそれほどでもないけど、一部腐女子人気が出てしまったため、必要に駆られて書いた芹澤w

思うに、映画来場記念プレゼントの二つの小説は、そんな感じで対照的な動機で書かれたものだった、と言えるかもしれません。

そういった意味で、作り手側の要請、受け取る側の要請、両サイドから描かれたそれぞれの物語であり、その意味で、映画に更に輪郭を与えるようなものになっているのかもしれません。


 

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「メイドインアビス 烈日の黄金郷」第7~9話ネタバレ有り感想。時間的距離を感じない過去エピソード!!


メイドインアビス 烈日の黄金郷」第7~9話を観ましたよ! いよいよ大詰めを迎える、その前段階といったところでしょうか!

前回、第4~6話の感想の時は、過去と現在が邂逅した、と書いたのですが、今回はまたしても過去の話となります。

この「烈日の黄金郷」はそういった意味で、時系列が行ったり来たりしますね。でも、あんまりわかりにくい感じはしません。過去に行くことでテンポが停滞する、ということもないと思います。そこらへんも作りが上手いというか。

やはりこのエピソードは、過去が直接現在に作用してるし、何より現在が過去に直結している、時間的距離を感じない、もっと言ってしまうと、この村の住人たちは百五十年の過去から何も変わっていない、言ってみれば、時間に置いてけぼりにされてる、ということが言えるのかもしれません。過去に捕らわれてるというか。

そして、その「過去」が暴かれ、「過去」がいよいよ牙をむいてきた、そんな感じになっていると思います。

PV

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第7話

今回は全編過去の話。ヴエコの昔語りですね。どうやってこの村ができたのか、その謎が解き明かされる感じです。

決死隊が第六層に着いてからしばらくの話。基本的には見知らぬ、それまでの常識が全く通用しない世界でどうやって生きていくか、が見かけ上の主だった話、だと思います。

あのエレベーターみたいなもので隊員が再び第五層まで上昇すると、成り果てになってしまい、早々にもう戻ることはできないことが判明します。

ちなみに、あのエレベーターに乗って、第六層に来れた(来れてしまった?)のは、決死隊の前に成り果てが第五層にいたのですが、その「彼」のおかげだったらしいです。そしてその成り果ては白笛を持っていました。「何か」はあったのだろうことが示唆されますが、「彼」がなぜ成り果てになったのか、それは当然のことながら分からずじまいでした。

決死隊はそこらにいたであろう緩衝機を捕え、案内役に仕立てあげます。緩衝機曰く、自分たちは物事を観察するためにいる、みたいなことを言ってました。そのあからさまなオーバーテクノロジーさから察するに、やはり宇宙的な何かなのでしょうか。

そして生きるためには先ず水が必要です。第六層に水を手に入れられる場所は幾つかあるのですが、そのほとんどは危険を伴います。そりゃそうです。あらゆる生物にとって水は必要ですから、どうしたって強いものから優先的に独占していきます。

その結果、決死隊が確保できる水がある場所は消去法で一つに絞られてしまいます。しかし、なんとか水を確保することには成功。しかし、その水が後々大問題となります。

そして、今回はサバイバルが横軸だとすると、縦軸はヴエコと現地の女の子・イルミューイの絆だと思います。そして、このイルミューイが子供を産めない体というのがキーワードだと思います。

イルミューイは子どもが産めない身体のため、家族から見放されていました。実はヴエコも同じく子供が産めないらしいんですね。そういったこともあって、ヴエコのイルミューイに対する情も更に強くなっていきます。

また、イルミューイがヴエコを慕う理由が、母親と同じ匂いがする、ということにありました。曰く、色んな男と寝たことのある人特有の匂いがあるのだとか。なんとなく、ヴエコがどうやって生き延びてきたのか、そういうものも仄めかされています。

これはヴエコとイルミューイだけの話ではなく、決死隊というものが、なぜ決死隊にならなくてはいけなかったのか、ということにも関わってきます。他に居場所がなかったんですね。自分の居場所を確保できなかった人たちがヒシッと寄り添うように集まった、おそらくそれがこの決死隊なのでしょう。

ある日緩衝機が、願いが叶うという金の卵みたいなものを拾ってきます。その卵みたいなものはイルミューイに託されます。なんせ願いが叶うというのですから、決死隊の存亡をかけ、渡します。なんでも、大人よりも子ども(緩衝機は「子ども」ではなく「幼体」と呼んでいましたが)の方が都合が良いというのもありましたが、予言者の側面も持つリーダーの提案でもありました。曰く「この子が我々を救ってくれる」と。

イルミューイの願いはやはり、子供を産むことができる、ことだったと思います。

やがて、決死隊に発熱を伴う下痢が蔓延していきます。更には発症した者の体が植物のようなものに変わっていく。

調べてみると、水自体がどうも生物であったようで、下痢の中には卵のようなものが含まれていました。で、下したウンコを調べる描写があったりするのですが、やはり第2期はウンコというか、下(しも)というのがキーワードの一つかもしれないです。

こう言うとアレですが、実はそれが殊の外重要で、避けては通れないテーマであるようにも思うのです。

それは「生きる」ということを如実に表現しているのではないか、と。

生きるためには栄養の摂取が必要で、それには必ず排泄が伴います。よくよく考えれば、食べるだけでは生きてることを全て表現していることにはなりえません。

やはりこのアニメは「生きる」ということがこの作品の最大のテーマのように思います。

しかも、それは「原始的な生」というか「生きるということの根幹」みたいなものであるように思うのです。出産なんかはまさにそうですよね。

そして金の卵を託されたイルミューイは、願いが叶って出産します(無精卵のようなものでしょうか)。

しかし、生まれてきた子どもは何の動物なのかもよくわからない。でも、イルミューイは生まれてきた子をとても可愛がる、愛情を注ぐんですね。

でも、生まれた子には食料を摂取する機能がないんです。だから、生まれてすぐ死んでしまいます。

イルミューイは何度も何度も子どもを生むのですが、その度にそれを繰り返します。繰り返させられるというか。宿主に希望と絶望を繰り返させる金の卵とは一体何なのでしょうか。

そして遂にヴエコも発症し、苦しみの中、誰かに食料を与えられます。そしてその食料とは、現地の女の子の変わり果てた姿だった…のか? まだこの回では食料の正体はわかっていないので何とも言えないですが、そうなのかな、と思ってしまいました。

ただ、ここに至るまでの流れが、ヴエコと女の子の絆を丁寧に描いたものだったので、それ(食人)を匂わせる演出は非常に衝撃的でした。

また、リーダーが言った「この子が我々を救ってくれる」という意味合いが一気に怖いものになる。言葉というものには、時に凄みがある。

第8話

レグが野性味のありすぎる女の子の元に戻ったシーンからのスタートとなります。前回との繋がりがないので意表を突いたスタートと言えるかもしれません。

女の子はレグに、約束を守ってくれたら何でも協力する、と言われるがレグはその約束を覚えてません。そりゃ約束どころか、過去の記憶がスコーンと抜けてるわけですからね、覚えてるわけはない。

困ったレグは約束を教えてくれと正直に告白します。すると、どういうわけか女の子はウサギのような巨大な片耳と右腕を一本(左右二本ずつ、腕が生えています)を引き千切るという衝撃の展開。このアニメは本当にキャラクターにグロい行動を取らせたがりますね…。

そして、ヴエコの昔語り、つまり過去のシーンに戻ります。前回、衝撃のラストシーンからの続きとなります。ヴエコが食べたのはイルミューイではなく、その子供だったことが明かされます。若干、そっちも予測はしていましたが、それはそれで衝撃的です。いずれにしろ衝撃的です。もはやこのアニメには衝撃しかありません。

ヴエコ、そしてイケメンの男・ベラフは、そのイルミューイが生んだ子どもの肉を食べることに抗いながらも抗い切れず、本能に従い、食べ続けます。

イルミューイは巨大化し、最早原型をとどめていないほどですが、尚も子供を産み続けます。そして人格はほとんど失っているように見えますが、ヴエコには反応します。ヴエコへの愛情は変わっていないような、そんな感じに見えます。おそらく、それが更にヴエコを苦しめていたようにも思います。

そして、ある意味ヴエコ以上にダメージを追っていたのがベラフでしょう。おそらくべラフは、すごく真面目で良い人で、言ってしまえば「まともな人」なのでしょう。彼はずっと正気であったと思います。それ故、誰よりも辛かったかもしれません。

対して、周りの人間は、どうもイルミューイを神のように扱い、宗教のようになってしまっていたように見えました。そうなる気持ちもわからんではないですが…。飢えた彼らを救ってくれるイルミューイは、まさに神にも等しい存在であるとも思います。

しかし、変わり果ててしまったとはいえ基本的には人であり、彼らが食ってるのはその「人の子」です。まともな神経ではもたなかったのかもしれません。人は時に、自分を守るために本能的に自らを狂わせることがあるのかもしれません。そういった意味で、ベラフは非常に強い精神力の持ち主だったと言えるかもしれません。

ヴエコとベラフの二人に共通しているのは、狂えず、それでいて自らを罰する勇気もないことでしょう。というより、生きる、という気持ちが勝っていたのでしょう。そういった意味では、弱くもあり、強くもある。強さと弱さが同居しているというか。そもそも、強さ弱さとは何だろう?とも思わされます。

そして更に怪獣みたいに巨大化したイルミューイは、アビスの中心の方に移動していきます。そこでイルミューイの体に、透明な緑の膜ができます。それはリコたちが訪れた時に通った膜でした。

ここで「烈日の黄金郷」の舞台の秘密が明らかになるのです。あの街、あの塔はイルミューイ、つまり人間の体の中だったのです。どうりで地面が所々、血のように赤く染まっていたはずだ。あれはおそらく血管か何かの名残なのでしょう。

そしてその状況を作り出したのは、決死隊のリーダー・ワズキャンであったらしい。しかも、金の卵を自らも使用したらしい。おそらく彼の願いは、自分たちの「故郷」を作ることであったのだと思います。

決死隊はなぜ危険を冒してまでアビスに来たのか。それは彼らが、どこにも居場所がなく、流浪の民となった者たちだったからであることが、これまでの物語から容易に想像できます。彼らの願いは自分たちの国、自分たちの居場所を見つけることであったはずです。

ただ、決死隊は透明の緑の膜を潜ると、成り果てのようになったのですが、リコはそうはならなかった(ナナチは元々成り果てでしたから)。そしてヴエコも姿は変わらなかったんですね。これは一体どういうことなのか。その謎も今後解き明かされるのでしょう。

そしてヴエコはイルミューイの頭に相当する場所の中にいたのです。あの竪穴はそういう場所だったんですね。村人が竪穴を訪れると調子が悪くなったのは、イルミューイが拒絶してたからなのだと思います。イルミューイが受け入れたのはヴエコだけなのですから。頭に該当する場所にヴエコだけが入れたのは、そんな理由があったのでしょう。

だから、ヴエコは「ネットワーク」で街の様子を知ることができていたんですね。なぜなら、そこは「脳」に等しい場所だったのですから。

ヴエコの周りにいたスライムのような生物は、イルミューイの生んだ子供達の魂であるらしいです。

そして、イルミューイは自分の子を食った決死隊を許してはいなかったらしい。まぁ、そりゃそうでしょう。あの野性味の溢れる女の子は金の卵から生まれた、イルミューイのもう一つの願い、つまりは復讐であったのです。

最初はイルミューイだと思っていたので、なるほどそうかあ、と思ってしまいました。闇が深い。

第9話

イルミューイの子供がレグに向かって、なんか色々喋りはするんですけど、あまりにも自分の文法で喋るので、正直何言ってるかわからないです。そんなんだから、状況が今ひとつ掴めない。でも、どうやら母親の復讐を果たすつもりらしいことはわかります。

前回、自分の耳と腕を引き千切ったのはそのための布石のようなんです。多分、イルミューイにとって子供は自分の分身、という扱いなんだと思います。つまり、自分を自分の体の中に摂取することはできない、ということなのではないでしょうか。

それならば、と一部ならいけんじゃね?ということで、レグに引き千切った腕(耳はどこかへ行ったらしい)をあの街の中へ入れてもらうという作戦らしい。

しかし、案の定というか、街の管理者的な奴が子供の腕を、多分異物として排除しようと暴れまわります。でまた、この管理者みたいのがややこしくて、ヴエコの思念みたいのから生まれたものらしいです。

多分、イルミューイを思い、イルミューイを守ろうとするヴエコの気持ちみたいなものから生まれたらしく、リーダーの前の現れた時、自ら「三賢人である」と告げたらしいです。化け物じみてはいますが、言語は解するらしい。つまり、知性はあるようです。

で、その暴れまわるそいつをなんとかしなくちゃいけないということで、レグは火葬砲をブッ放します。火葬砲はアビスの法則みたいなものをブッ壊す力があるらしく、火葬砲が塔に、つまりイルミューイの体に風穴を開ければ、イルミューイの子供も街の中に入れる、という仕組みです。

なるほど、イルミューイの子どもが自分の腕をレグに託したのはここまで折り込み済みだったわけですね。

そしてその通り、イルミューイの子どもが攻めてきます。そしてここで一席ぶち上げるのですが、ちゃんとした日本語でした。なんだ、ちゃんと喋れるんじゃん。

そしてこれから復讐が始まるぞ!…という、その前に、久々にナナチが登場。長い夢を見ていたらしく、それはざっくり言うと決死隊のリーダー・ワズキャンに率いられて冒険の旅に出る、というものだったらしいです。大蛇になったイケメン・ベラフはそれを聞くと、これからは夢じゃなくなる、と言います。おそらく、今後の展開は、ワズキャンと共にリコさん隊はアビスの更に奥深くへと行くのでしょう。

そういえば、その前のシーンでリコはワズキャンに向かって、あなたの夢はここに自分たちの居場所を作ることじゃない、私を利用してここから出て、冒険を続けるというものなんでしょ、と看破していました。だから、おそらくそういう展開になっていくんだと思うのですが果たして。

しかし、リコがなぜそんな結論に至ることができたのかは、やはりよくわかりません。リコ曰く、前にも似たようなことがあった、ということです。それはボンドルドのことなのか、不動卿のことなのか。

それにしても、このリーダーもまた自分の欲望に実に忠実です。自分のやりたいことのためにはイルミューイをあんな風に凌辱しても構わないという感じらしい。

ただ、限界的状況では手段を選ぶ余裕はない、ということでしょうか。いずれにしろ、なんとなく、ボンドルド、そしてリコに似てると思います。

とにかく今回は、各登場人物がオリジナルの言語を使ってきたり、言ってることが論理的に飛躍していたりと、ざっくりとは話の流れはわかった気はするものの、ハッキリとはよくわからない回でした。


 

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「メイドインアビス 烈日の黄金郷」第4~6話ネタバレ有り感想。謎のヒントと新たな謎でテンテコ舞い!!


メイドインアビス 烈日の黄金郷」第4~6話を観ましたぁー!

前回感想を書いた第1~3話は、過去と現在が入り乱れる構成が多かったと思うのですが、今回は遂に過去と現在が邂逅した!と、いった感じだと思います。

それまでの謎のヒントとなるようなものが出てきたり、また新たな謎が出てきたりと、なかなかにしてテンテコ舞いです。

ただやはり、映画がアクション多めだったと思うのですが、やはりそこはTVシリーズ。アクションというよりは、じっくり場を見せていく感じにして、各キャラクターの心情、ドラマを描いていく、って感じです。

と言いつつも、結構アクションあったりします。

そして、リコの脱糞も健在です(←)。

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第4話

前回、レグが対峙した相手は、昔のシーンの現地の女の子の成り果てた姿なんだと思います。

その子とレグはかつて知り合いだったらしいのですが、レグには記憶がなく、女の子の言葉も、なかなかにしてオリジナルの言語を使ってくるので、これがまた要領を得ないw

で、この女の子、めちゃくちゃ強いです。レグを自分の住処までさらってきてしまうし、レグを押さえつけて体をまさぐったり(!)もします。

最終的にレグはまぁ、帰って(逃げて)しまうんですけど、その際に女の子は「人の子供と同じ時間を生きるのか」という言葉を投げかけます。

確かに、前々から思ってはいたのですが、レグはロボットです。リコもナナチも成長します。ですが、レグは成長しません。当然のことですが。将来的にはどうなるんだろう?と。一人だけ子どもだから、バランス悪いよなー、とw

でもレグは、そのことを気にはしつつも「最後まであの二人のそばにいる」と言います。それからのことはそれから考える、とも。なるほど、確かにそりゃそうです。後のことはその時考える。それに、今はそんな余裕はないだろうし、リコもナナチもレグを必要としています。

またこの女の子は、デカいのと行動を共にしているのですが、それがなんとなくレグに似てるんですよねー。手には火葬砲らしきものもあるし。やはりレグとは「同族」なのでしょうか。

一方、リコの下痢を治すべく、ナナチはカジャと買い物に行きます。その会話の中で、この村の「価値」というものは自己申告制ではない、ということがわかります。どうもこの村の住人は、言うなれば「魂の形」が見えるようで、そこを基準にものの価値が決まるらしい。

例えばリコがペットのことを、何ものにも代えられないくらいの価値がある、と叫んだ時、それはリコの魂の叫びであり、リコにとってのペットの価値はその「リコの魂」から判断されたものらしいんです。

すると、ナナチが、自分でも自分に嘘をついていることがわかっていない場合はどうか、と問います。なるほど、いいこと聞いた。もっともだ。

それに対し、マジカジャはこう答えます。それはいずれ本物になる。なるほど、と思いました。

多く、カリスマと呼ばれる人たちは「なりたい自分」になるよう、自分に暗示をかけ、いつしかそれが本物になる、という話を聞いたことがあります。それを思い出しました。

そして、さらに二人の会話の中から、なんとミーティがこの村にいるらしいことがわかります。当然、ナナチはそこへ連れて行って欲しいと言います。

マジカジャに連れられたナナチは、巨大メカ大蛇(メカマンダと言った方がいいかw)みたいな奴の「巣穴」でミーティを見つけます。しかし、そのミーティには両目がありました。ミーティはボンドルドにやられて片目となってしまったはず。果たして、本当にミーティなのでしょうか。ちょっと疑問です。

そしてリコは、相変わらずホテルでウンコを踏ん張っています。今シリーズで、リコはすっかり脱糞ヒロインのイメージが定着してしまいましたねw しかも、ウンコをする際必ず「音入り」であるところが芸が細かい。本当にこのアニメはいらないところまで徹底して描写が丁寧です。そしてリコはウンコをする時もペットを離さない。

で、その脱糞ヒロインことリコなのですが、レグとナナチがどこにもいないので、探しに出ることにします。しかし途中、物陰にいたヤクザみたいな村人に捕まり、身ぐるみ剥がされそうになってしまいます。大ピンチ! 身ぐるみどころか解剖されそうな勢いです。しかしそこへ、前回ペットを潰そうとしたピンクの住人が登場。助けてくれました。

今度はピンク住人もペットを大事に扱うのですが、やたら肛門を見つめています。なんか今回のシリーズは、何ていうか、アナ*(←検閲のためカット)強めですよね。

そしてリコとピンクは友達になり、レグとナナチを探しに行くのですが、途中飯屋で人語を解する店員と遭遇。この店員の正体は何なのか?!

第5話

野性味溢れすぎる女の子の元を飛び出したはいいが、レグは道に迷ってしまいます。すると、女の子の横にいたロボットが助けてくれます。このデカいの、やはりロボットでありました。

しかし、善意からではなく、邪魔なのでさっさとどっかに行ってもらいたかったから助けたらしい。ロボット曰く「自分たちは干渉機(緩衝機?)」なのだそうです。レグもその干渉機らしいのですが、干渉機は層を跨がないのだそう。階層を越えていくレグは、やはり特殊な存在ということになるのでしょう。

そしてやはりリコの白笛を盗んだのはあの女の子であったらしいのですが、兎にも角にも、レグは村に戻ります。

一方、リコは飯屋で成れ果てた、あの決死隊のリーダーと出会います。このリーダーが村を作ったらしい。そしてリコは女将に村の言葉を教えてもらいます。リコは言語学の才もあるよう。なんか、ホント、スーパーガールだな。

そしてリコは女将にレグとナナチの居場所を聞くと、村人が行くと体の調子が悪くなるという、いわく付きの暗い縦穴に探検に行ったのではないか、と言われます。観てて、なんとなくそそのかされてる感はあるのかなぁと思いましたが、とにもかくにもリコたちは行ってみることにします。

その竪穴に行ってみると、スライムみたいなキモ生物がいる中、あの決死隊の女の子が囚われていました。この子は村を作ることに反対し、そのせいでここに幽閉されているようです。

あれから何百年も経っているはずですが、決死隊のメンバーはそれぞれ生き続けているようで、第六層は時間の進みが遅いのか、年を取らなくなるのか。それもまた新たな謎です。

女の子はネットワークのようなものを通して村を見続けていたらしいのですが、なんとなく、ハーミットパープルを思い出させます。

そしてこの女の子は、「始まりは、地獄を生むようなものだったが、今は割と良い村になっている」と言います。これまた気になる情報です。おそらくそれが、女の子が村作りを反対した理由なのでしょう。後々、この村の成り立ち、そして現状も詳しく語られるかもしれません。語られないかもしれません。

リコは女の子を助け出し、村に戻って二人を探します。女の子は例のハーミットパープル的な能力でナナチの場所がわかるそうで、案内してくれます。しかし、その家は自分を罰したかつての同僚(あの目の綺麗な男の子だと思う)の家なので自分は入れないと言い(そりゃそうだ)、リコだけで入ることになります。

そこにはミーティを取り戻すべく「自分」を売ったナナチが、ミーティのそばで寝ていました。ナナチを取り戻すにはリコの体を売れ、とメカ蛇は言います。つくづくスプラッターなアニメですね。

ちなみに、なぜミーティが復活したのかは、現段階ではよくわからないです。思うに、それは無理矢理な後付けで、大事なのはミーティをナナチの前に現すことだったのだと思います。

そこでナナチに自分を差し出させるかどうかの選択こそが大事だったのではないか。そしてリコにもナナチを取るか自分を取るかの選択をさせようとしたのだと思います。

しかし、それにしても第2シーズンは、特に第六層の人々の話がよくわからない。核心を外した、その周辺を話しているというのもあるだろうけど、そもそも言葉がよくわかりません。色々と「現地語」を混ぜてきますからね。

その意味で、アクションものになった映画とはまた作風が変わったとも言えるかもしれないですね。より観念的になったというか。

第6話

ナナチを取り戻すため、リコは自分の体の一部を売ろうと決心します。しかし、そんなリコを、マジカジャが強引に連れて帰ります。ピンク成り果てといい、なんとなく、敵か味方かわからない人が味方に回ることが多くなってきてる印象。

そうこうしてるうち、「呼び込み」と呼ばれる、多分狩のようなものが始まります。巨大な、半透明のスライムみたいな外側の中に、本体があるような怪獣が村に侵入してきます。

縦穴の女の子曰く、ここの村は外と隔絶されているから、たまに外の動物を呼び込んで狩をする、のだとか。ただ、狩といっても、どちらかというと一方的に村人が蹂躙されている感じ。

そこでリコが機転を効かせて、なんとか退治に成功。かと思いきや、トドメを刺すに至らず、大ピンチとなってしまいます。

そこへ、プルシカの幻影が現れ、リコは白笛を吹くことを思いつきます。

笛を吹くと、どこからともなくレグが! まさにヒーロー! しかし……、どこか変。ネイビーだったパーツが白へと変化しているのです。そして、いつにも増して強い! そして怪獣をやっつけると、いつものレグに戻りました。

白笛は遺物の本当の力を引き出すらしいのですが、これがおそらくレグの本当の強さなのでしょう。

そして全てが片付くと、元決死隊のリーダーがノコノコやって来て「祭りは終わったの?」と、いかにも呑気らしく訊いてきます。おめぇ、何やってんだよ、と思わずにはいられません。

おそらく、この「呼び込み」は村人の獣性を解放させるためのもののような気がする。なぜなら、リーダーが「祭り」と言ったからです。祭りとは、普段社会生活の中で押さえつけている、人間が根源的に持っている野性、獣性を解放させる側面もあるからです。そうやってガス抜きをしないと、その暴力性は社会に向けられてしまうからだと思います。

そして一段落してホテルに帰ると、縦穴の女の子によって、この村の成り立ちが語られ始める、というところで次回。いよいよですねー。

今回は「呼び込み」という「災害」を通じて、村人たちにもちゃんと人間性みたいなものがあるよ、ということを描きたかったのかな、とも思いました。

プルシカをちゃんとした笛の形に変えてくれたおっさんの、職人気質で実はやさしいところや、女将さんの商店街への思いと意地、意外とリコのために身を粉にして活躍するマジカジャなどなど、それぞれのキャラクターが立ち上がって来た感じ。身を呈してリコを守ったピンク成り果ても忘れてはいけません。

あと、怪獣退治のため、マジカジャをスーパーカーに改造するため、リコが髪を切ったのも印象的でした。リコの覚悟を表す、という点では非常に効果的且つ印象的且つカッコ良い演出だったと思います。

まぁ、髪はいずれ生えるから、いいっちゃいいのでしょうけど、女の子にとって髪は大事なものですからね。相応の覚悟だったと思います。

 

 

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